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宗教上の問題です。

私の家は祖母の代から始めた宗教を信仰しています。
父は祖母に連れられ幼い頃信者になり、私と兄は産まれた時に無条件に入信の儀式を受けていました。

ですが、私にはほとんど信仰心はありませんでした。

信仰すればすべて救われる。
ガンもエイズも治るとの教えも信じられませんでしたし、救われたいなら信仰心を示せと
高額のお布施や勧誘を半強制的に強いる教団に対しても冷ややかに見ていました。

信仰に守られているはずの父が友人の借金をかぶり、一家路頭に迷ったあげく
母と離婚して兄弟がバラバラになってしまったのも、宗教を信じられない一つの原因かもしれません。

母に逃げられ、私を育てられなくなった父は、私を叔母へ預けました。

叔母もまた、父と同じ宗教を信仰していました。

叔母は私を実の娘のように大切に育ててくれましたが、いくら説得されても
やはり宗教に対する私の考えは変りませんでした。

ですが、家族である以上は仕方ないと、年に数回行われる
総本山での修行には泊まりで参加していました。

なんとか折り合いを付けてはいましたが、私の結婚話をきっかけに話は
大きく動きました。

父は私の結婚の条件に、相手の男性の改宗と、この宗教での挙式を強く言っていましたが
私は相手の男性を改宗させる気など無く、ましてやお寺とも会館とも言えないところで
結婚式を挙げるつもりもまったくありませんでした。

私は、悩んだあげく「結婚式は挙げない」
「でも、宗教から脱退する」と父に告げ、1人暮らしの自宅に祀っていた仏様をお寺に
返しにいきました。

その後、お世話になった叔母が他界。

お墓は無く、宗教のお寺の集合墓地に安置される事になりました。

ですが、この宗教は性質的に「他宗教攻撃主義」なので、脱退した私はお寺の門を
くぐる事はできません。

命日にはお墓参りをしたいと思うのですが、できないままに3年が経過しました。

今年の命日も日が迫ってきており、胸のモヤモヤが消えない状況です。

こんな場合、どうすれば叔母の供養ができるでしょうか。

詳しい方、教えて下さい。

A 回答 (4件)

供養はお墓参り、場所、時間関係ないと思います。



死んだ後その人の魂は形を持たなくなりますからどこにいても心は通じます。

自宅で叔母さんの名前を紙に書いて100円ショップのお線香、ローソク、ささやかなお供え物で十分です。気持ちがあればそれだけで十分です。

いなくなったお母さんにしても時間はかかっても気持ちは必ず伝わります。

もうお父さんの支配から自分を自由にしましょう。お父さんのためでもあります。

そのお墓にはおばさんはいません

空間にいます。

読んでも聞こえないし見えないけど繋がってます。

宗教も一種の集団催眠が多いから
....でないといけない  式は脅迫観念です

おばさんはそのお墓というかたちでなく
ただの真心を受け取ってくれます
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。
幼い頃から宗教の話ばかり聞かされてきました。
否定しているようで、「こうしないといけない」という
脅迫観念に縛られていたのかもしれません。

私もこれからは、叔母さんはお墓の中にいるのではなくて
空間にいるのだと思うようにします。

今年の命日には、叔母さんの好きだった好物を食卓に並べて
叔母さんの事を思い出したいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/07 17:46

他の方々と同じような意見ですが…、



写真を飾って、叔母様が好きだったものをお供えして、それに手を合わせれば十分です。

世の中には、物理的に遠くに離れてしまってお墓参りが出来ないという方だって沢山います。
それでも、故人を慕う心があれば、ことあるごとに思い出し、心の中で語りかけ、見守っていてくれと願い、頑張りますと誓うでしょう。
そして、それが供養だと思います。

お時間が許すのなら、命日は叔母様との思い出の品やアルバムを眺めて、じっくりと叔母様と語り合うことにしてはいかがですか。

お墓に手を合わせることだけが供養ではないと私は思っています。
逝ったものにも、遺されたものにも、いいことも悪いことも思い出をたくさん語り合うことが一番の供養だと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

みなさんの言葉に救われた思いです。
今年の命日には、叔母さんの好きだったものを食卓に並べて
写真など見ながら、叔母さんの事を思い出したいと思います。

毎日、叔母さんの事を思い出さない日は無いのですが
命日の日は改めて「あれから何年たったね。私はこんな事があったよ」
と語り合ってみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/07 17:59

曹洞宗の僧侶です。



先祖祭祀、故人の慰霊は、かならずしも宗教的な作法に則ったものでなければならないというものではありません。

「供養」「追善」「回向」などの言葉は、大まかにいって「まだ今生の名残りがあって完全な仏になっていない故人のために、子孫縁者が善行いを積んで、その功徳を故人に振り向けることで成仏を助ける」という
意味で用いられます。

unalunaaさんが、叔母さまの供養を願っておいでであれば、unalunaaさんが叔母さまにして頂いたような親切を、今度はunalunaaさんが甥姪の方や他の人々に分け与えて、その功徳が叔母さまに回向されるよう、心の中でお祈りされれば良いのではないでしょうか。

ただし、お祈りをしていく上で宗教的な儀礼は決して無意味なものではなく、むしろ心中の祈りを形にして自分自身で振り返る事のできる大切なものです。ご結婚される相手の方のお家のご宗旨をうかがって、unalunaaさんに抵抗がないのであれば、その作法によってお祈りされても良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

功徳を積めるような行動をするのは人としても大切な事だと思います。
私の行いで叔母が供養できるのであれば嬉しい事ですね。
ありがとうございます。

主人の実家はお寺なので、頼めば供養などして頂けると思いますが
自分自身、どうしてそう思うのが解らないのですが
主人の宗派の作法に従う事(お経を上げたり、数珠を持ったり)は
実家の宗教を信仰していた時よりも、もっと出来ないのです。

知り合いの葬儀に出席するなど、どうしても仕方のない時には
昔使っていた数珠を使っています。

マインドコントロールはなかなか抜けないと言いますが
こういう事なのかもしれないですね。

お礼日時:2007/11/07 17:54

宗教のことは回答できず、すみません。



>「でも、宗教から脱退する」と父に告げ、
>1人暮らしの自宅に祀っていた仏様をお寺に
>返しにいきました。

>その後、お世話になった叔母が他界。

>今年の命日も日が迫ってきており、
>胸のモヤモヤが消えない状況です。

こういう場合、グリーフケアという哀しみを受け入れる作業を
することもあります。

本:
http://revival.shop-pro.jp/?pid=5440261

グループカウンセリング:
http://www.a-h-c.jp/semi_grief.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

現実を受け入れられないとか、悲しみを乗り越えられない場合には
グリーフケアという方法が良さそうですね。

私の場合、叔母が亡くなった時に少しの間、仕事に対する意欲が
無くなってしまい、虚無感から抜け出せない日々を過ごしました。
ですが、周りの人達(今の主人など)の暖かい励ましによって克服し、
今は普通の精神状態で生活が送れています。

モヤモヤ感に襲われるのは、命日が近い時やお盆・お彼岸の時など
世間一般的にお墓参りに行くのが良しとされる時だけなのです。

お礼日時:2007/11/07 17:40

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