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平成も来年で20年目ですが、昭和から平成に変わろうとしていた・変わった時、皆さんはどんな風でしたか?
当方は当時幼稚園児ということもあり忘れてしまいましたが、皆さんの体験談を聞かせてください。

昭和最後の日(1989年1月7日)はもちろん、平成最初の日(同年1月8日)・昭和末期~平成初期など、なんでも体験談や思い出をお待ちしています。

A 回答 (23件中11~20件)

社会人2年目でした。


ちょうど1月7日は当時つきあってた彼女も私もたまたま休みで、遊ぼうという話をしていたところだったので、余計に思い出深い一日でした。
朝寝坊した私は電話で起こされました。
「天皇陛下亡くなったんだって」「マジかよぉ」「どうしよう?」
寝ぼけた頭でそんなやり取りをしたような気がします。
娯楽施設はどこも休業になってしまったのですが、同じ日に休める機会はめったにないのでとりあえず、新宿東口で持ち合わせしよう、という事になりました。
空さえも哀しんでいるかのごとき曇天だったのを今でも覚えています。
辛うじて東京ドームで開催されていた全国物産展が中止されないと新聞に書いてあったので、行ってみました。
広い東京で他に遊ぶところがなかったせいか、結構な盛況でした。
JRの車掌が案内放送の際に「本日天皇陛下が崩御されました。謹んでお知らせ申し上げます。」と付け加えていました。
彼女の郷里のお菓子などをたくさん買い込み、彼女の部屋に帰ってどうでもいいような話ばかりしてごろごろしてました。
その彼女も今頃どこかで幸せに暮らしているでしょうか?
その数日前には甥が生まれており、数少ない「昭和64年生まれ」になってしまいました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
娯楽施設も休業とは、喪に服していたことを物語っていますね。
それでも、世間の自粛ブームに呑まれず開催した物産展は、英断だと思います。

お礼日時:2007/12/08 21:37

ちょうど、その時、名古屋の繁華街の飲み屋で


同僚達と飲み会をしていました。

その日、街のネオンはほとんどが消されていました。
喪に服していたんでしょうね。
昭和天皇に対しての思いはそれほどなく・・っていうか
あまりに遠い存在に何か感じるものもでてきませんでした。
しかし、あの日の街の静けさは心に残っています。
まだ新米に毛の生えたような若き営業マンだった頃の私。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
緊急事態だけあって、喪に服す人もさぞ多かったでしょうね。

お礼日時:2007/12/08 21:34

青春の只中にある学生でした。



故小渕恵三さんが平成と書かれた紙をもっている映像が印象に残っています。
「何だ、この気の抜けたような元号は・・・」
発表には家族全員呆気にとられました。

この頃は景気が拡大し続けていたので、自粛ムードが納まると夜中に店を営業したり、年中無休で営業したりが流行ってましたね。
なんであれにぎやかなのが好まれたというか・・まあそれがバブルなんでしょうけど。

都心に住んでいたので静かなところを探すのには苦労した覚えがあります。
今は派手な公園になってしまった竹芝桟橋も当時は普通の埠頭で、夜中に自転車で出かけ、煙草を一服するのが日課でした。
友人とか好きな女の子のこととか、学校のこととか親のこととか、そんなことに考えをめぐらせて何故かハードボイルドを気取ってました。
この恥ずかしさこそ青春なわけでして・・・。

昭和~平成は私にとってはそんな頃です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
若かったころの良き思い出ですね。

お礼日時:2007/12/08 21:32

高校生でした。

昭和64年の硬貨を見付けて騒いでいました。昭和よりも名前がダサいな~とか言っていました。社会現象に興味が無かったですね…。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
昭和64年の硬貨は持ってましたよ。

お礼日時:2007/12/08 21:31

当時は社会人1年目でした。


新聞を見ると、いつもならページの下の方にある広告エリアまで記事がびっしりと。また民放もコマーシャルが一切なし。スポーツ中継でこうしてくれたらいいのに…と思ったほどでした。
ニュースは最初のうちは見ていましたが、同じことの繰り返しで飽きてしまってましたね。
のちに昭和64年の硬貨が運良く手に入ったときは使わずに保存しました。と言っても1円玉だけですが。
大喪の礼のときは、会社も休みになりました。でも遊びに行こうにも、どこも休業で、仕方なく家に居たのを覚えております。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
昭和天皇関係の番組はすごいものだったのですね。
とはいえ、同じことの繰り返しでは飽きたのは回答者様だけではありませんでしたね。

お礼日時:2007/12/07 21:22

 あのころ「自粛騒ぎ」というのがあって、天皇がああいうことになったものだから、日本中で旅行・遊び・レジャー・ひいては飲み会、その他、とにかく「楽しむ」ことに関して有言無言の圧力というか、この国特有の「村」意識が働いたのを覚えています。



 そのころ放映されていた、HONDAのCMだったか、井上陽水が車の窓から「お元気ですか!」と視聴者に向かって、声を掛ける場面があったのですが、それが「まずい」というので、音声を消して陽水さんが口だけぱくぱくさせる、という実にばかげたこともやってくれていました(思い出すだけでも恥ずかしく、悔しい)。

 はあ・・・本当に不愉快というか、情けないというか、あからさまに言えば、「バカ」というか。残念で残念で涙が出そうな日々でした。

 私はもちろんそんなことには構わずに、自然体で行動してましたが、たまたま職場の仲間で計画していたある企画(遊びの)にどうしても都合がつかず、キャンセルしたことがあります。
 もちろん「自粛」とは何の関係もない、「個人の都合」だったのですが、私の欠席を知ったある人が電話を掛けてきて「・・・やっぱりまずいですかねえ・・」と遠慮がちに言うので、「おい!ちょっと待てよ。馬鹿なことは考えるじゃないぞ。私がキャンセルしたのは、本当に済まなかったが、あの「自粛騒ぎ」とはなんの関係もないことなんだ。頼むから冷静になって、考えてくれ、そして計画通り実行してくれよな。変な世間の風潮にだけは踊らされないでくれ!!」と必死に頼んだものでした。
 結局どうなったかというと・・・なんと・・・企画は、取りやめになってしまったのでした。
 中止した人にも腹がたちましたが、私がいれば断固決行したのに、と悔しくてなりませんでした。
 言うまでもないことですが、こうしたことは自分の気持ちに従って考えたり行動したりすれば良いことであります。自粛する人を否定する気持ちも毛頭ありません。
 ただ、風潮に飲み込まれる、というのが情けない、そして、なんでもっと自分の考えをしっかり持って行動できないのか、というのが情けなくてなりませんでした。別に殺されたり、殴られたりするわけでもないのに。

 いやな思い出ではありますが、時代が昭和~平成になっても、まだこんなことがまかり通っているというのも、実に驚きではあります。

 まあ、この程度なら笑い話で済みます。でももっと深刻な問題だったら、この国は本当に恐ろしいことになると思います。
 ・・・例えば戦争とか・・・
 あの教訓を忘れずに、少しでも良い国にしたい、と私は思います。

この回答への補足

ちなみに問題の井上陽水氏のCMはNISSANだそうです。(#4さんの回答にあり)

補足日時:2007/12/07 21:32
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

自粛ムードで嫌な思いをされたようですね。
特に、個人の都合と自粛ムードを混同した友人との付き合いは大変だったようですね。

回答者様の考えには同意です。

お礼日時:2007/12/07 21:20

当時高校生でしたが、冬休みを境に年号が変わってしまいました。



3学期登校初日には、教室の黒板に年号が変わった事についての落書きで一杯でした…。「これから俺達旧世代(だったかな?)」を見て、自分が一気に凄くオジサンになってしまったような気がしました(^_^;)。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
未成年でも、年号が変わると相当年をとった感じがするのですね。

お礼日時:2007/12/07 21:18

高校1年でした。

「崩御あそばされました」が、その後しばらくクラスの流行語になっていましたよw

あとはまあ、他の人たちと一緒でニュースでそれをたくさん流していたとかそんな感じですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
比較的自然体だったようですね。

お礼日時:2007/12/07 21:17

大学生でした。


昭和63年暮頃から、昭和天皇のご病状がすぐれず、NHKでは、夜中でも1時間毎に天皇陛下のご病状を知らせるニュースを流していました。ニュースのニュースの間には、夜景のみを放送していて、字幕で『詳しい状況が入り次第お伝えします』『次のニュースは何時からの予定です』と表示していました。
昭和天皇がなくなった日は、朝から大手スーパーでバイトをしていましたが、午後からは営業を自粛したのを覚えています。
新しい年号が『平成』になる事は、そのスーパーでのバイト中に、昼休みのラーメン屋で生放送で知りました。
昭和天皇のお葬式にあたる『ご大葬の礼』の日は、確か学校が休みになったと思います。日曜だったのかも。NHK総合・民法とも、ご大葬の礼の中継をしていたので、通常放送をしていたNHK教育テレビを見ていました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
昭和末期は、ニュースでは天皇の体調を知らせていたのですね。
スーパーも営業時自粛とは、市民より天皇が重要だったようですね…

お礼日時:2007/12/07 21:08

一人で北志賀高原にスキーに行ってました。


なじみの民宿で寝てたら、朝、懇意にしている宿のおやじさんが
「天皇が亡くなったよ」と起こしにきてくれました。

あれからもう20年かぁ。
ついこの前みたいな気がするんですけどねぇ。

ちょうど、あの時代で思い出すことといえば
・井上陽水氏が走行する日産セフィーロの助手席の窓をあけて「みなさんお元気ですかぁ~」というテレビコマーシャルがありました。その後、昭和天皇の体調不良となったためそのセリフ部分の音声が消されました。
・毎日のように皇居からの中継で天皇の体調を伝えるニュースが流れていました。
・まだ若かった故小渕元総理が「平成」と色紙に書いたのをTVカメラの前で披露してたのを思い出しますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
年号といえば、昭和の次の元号を予想したTV番組があったらしいです。
その中に平成が含まれていたかどうかなど全くわかりませんが…

お礼日時:2007/12/07 21:10

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