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 こんばんは~。
 皆様のご両親はどういう点での躾が一番厳しかったでしょうか。また、今子供さんを躾られているご両親は、どういう点を最も厳しくご指導なさっているのでしょうか。

 私が最も厳しく躾られたのは「食に関すること」でしたか。テーブルについての食事ではなく卓袱台での食事でしたから、きちんと正座して食事をすることはもとより、少しでも膝を突きでもしようものならピシャリ。箸の持ち方、使い方にも厳しかったですね。中で最も印象深く残っているのは「ご飯粒は一粒たりとも残さず食べる」という躾でした。「お百姓さん(差別用語ということならごめんなさい)が汗水流して作ってくれたものを粗末にするんじゃないよ。一粒一粒、お百姓さんが心をこめて作ってくれたんだからね」・・・  長じて、ご飯粒を一粒でも残すことが気持ち悪くなってしまいました。駅弁の蓋についたご飯粒は勿論一粒一粒取って…(笑)。
 食事のことについてもうひとつ印象深く残っていることがあります。それはお代わりをする時に、必ず一口分ご飯を残してお代わりをする、ということです。これは私の食生活の後々まで残った習慣でした。

 私の、親としての立場からの子への躾は、従ってやはり「食に関すること」が最も厳しくなってしまいます。それと「挨拶」。また、いつまでもグズグズと尾を引きながらあれやこれやと不平不満を鳴らされるのもダメですね。「いつまでグズグズ言ってるつもりだぁ~っ!!」(笑) 

 皆様方はどういう「親の躾」が印象深く残っていらっしゃるでしょう? また、子供さんに対し、どういう点を最も厳しく躾けていらっしゃるのでしょう。時代の変化とともに人の心も移り変わります。「今時ご飯粒の一粒如きで」ということになっているかもしれません。その辺りを知りたくて質問させて頂きます。お礼は遅くなりますが、どうぞ宜しくお願い致します。

A 回答 (20件中1~10件)

私自身厳しく躾けられてよかったと思っていますので


自分の子供にもそのようにしています。

ただ、うちの子供が普通にしている事をしないお子さんが多いです。
お茶が欲しい時
「おばちゃんお茶!」
「ちょうだい」「下さい」は付きません。
「ありがとう」も付きません。
 (うちの子だけ言います)
そして、飲んだ後下げる子はめったにいません。
 (友達の分もうちの子が下げます)

自分が使った食器は自分で下げる、というのは躾け以前の問題だと思います。
食事の後、母親が下げているのでしょうか?
友人に「母親ができることを子供にさせるのは親の怠慢」
と言われた事がありますが、私はそうは思いません。
むしろ子供がしなければいけないことを親がなぜしてあげるのか?
と思います。
我が子は、お子様ではなく家族の一員と思っているので
どんどん手伝わせます。

子供の友達を見ていると甘い親が多いような気がします。
のびのびさせる事とわがままを容認する事は別です。
厳しいでしょうか?
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この回答へのお礼

>ただ、うちの子供が普通にしている事をしないお子さんが多いです。~~そして、飲んだ後下げる子はめったにいません。友達の分もうちの子が下げます)

 そうそう、私がこの質問を立ち上げたのも「そうしたお子さんが増えてきちゃいないか?」と思ってのことだったのです。「だとすりゃ大変だぞ。世の親たちは心して子供の躾に当たらにゃいかんのじゃないか?」 私が質問文に《時代の変化とともに人の心も移り変わります。「今時ご飯粒の一粒如きで」ということになっているかもしれません。その辺りを知りたくて質問させて頂きます》と書いたのはまさにそのことでした。

 「じゃあ昔の人に礼儀知らずはいなかったのか」ということになるかもしれませんが(ホントは、なるはずありませんが)、その割合の問題なのですよね。全体の1割程度なら残り9割程度が支えてカバーすることもできるかもしれないが、3割も4割もとなってくると支えようにも支えようがない。カバーしようにもカバーのしようがなくなる、ということなのですね。日本の将来がかかっていることですから、今の若い両親たちには是非とも頑張っていただきたい。ですから--zero--さんのような方には「厳しいでしょうか?」なんて躊躇われることなく、ビシバシやっていただきたいわけです(笑)。

>友人に「母親ができることを子供にさせるのは親の怠慢」と言われた事がありますが、私はそうは思いません。

 --zero--さんのご友人を非難する気はもとよりありませんが、何かこう、「親としてのスタンスの違い」を感じさせられる「一言」ですねえ。どういう文脈でのご発言かは存じませんが、少なくとも食器を下げること等を含む、日常生活上での身の周りの行いは、やはり「自分でできることは自分でする」が基本でしょう。「親のできることは親がしてやる」という発想では子供のさまざまな(可能性の)芽をつぶしてしまうような気がします。親は子供の奴隷ではありませんから(笑)、子供自身でできる範囲のことはどんどん子供たちにさせるべきだと、--zero--さん同様、考える者です。

 子育ては本当に「命がけの行為」です。どんなに後悔しても後戻りはできません。躾に厳しい親というのはそのあたりのことが分かっているのだと思います。これは《知識》ではなく《智慧》の領域で了解することです。大学卒の母親が尋常高等女学校(昔の母親?)卒の母親に子育ての面で劣っていることがあるとするなら、まさに《知識》と《智慧》の差でしょう。《知識》をまとってスマートな親になる(なった気になる)のではなく、人間のさまざまの本能の、その微かな声まで聴き分けられる《智慧》をこそ磨いていってほしいと思います。さまざまな《子育てに関する知識》が乱れ飛ぶようになって却って子育てという《実践》は混迷の度を深めていっているような気がするのです。《偉い先生》が書いた本の中の知識一つ一つを有難がるのではなく(それを一概に悪いとは言いませんが)、子への愛情と自分の感性を信じて、思い切って子育てに当たってほしいのです。戸惑い、躊躇い、傷つく過程の中からしか本物の智慧は湧いてこないのですから・・・

 ・・・・・・っとっとっと、--zero--さんのご意見に感銘して思わず口数が増えてしまいました。普段は無口な私なのに・・・(^_^;)・・・ 何だか偉そうにベラベラとまことに失礼いたしました。

 ご回答、有難うございました。

お礼日時:2002/09/19 01:05

近所に住む祖父母が農家でしたので、ごはんつぶ一つでも・・・なんていうのは躾けられたというより身をもって学んだ気がします。

収穫なんぞはよく手伝いをしてました。
他の回答者の方々が挙げられたことはほとんど学校で教わったような。いい先生に巡りあったということですね。
母親に躾けられたのは
・親を大事にしろ
・お店の中で食べるな
・食べたいものを我慢するな
・「うそ~」と言うな
の4つくらいでしょうか。

親を大事にしろというのは、親が実際に自分の親をとても大事にしているのを見て育ちましたので、わたしも当然のようにやっているつもりです。

お店の中で食べるなというのは、買ってもらったお菓子をその場で開けて食べるなということです。
幼い頃は母の買い物についていって先にお菓子を買ってもらいすぐに店の外へ出ておとなしく食べて待ってましたね。
いくら支払を済ませてシールを貼ってもらっても絶対外でした。今考えると当然なんですけど、あのときは親と一緒にいることを取るかお菓子を食べることを取るかの子供にとって究極の選択だったような。
もし親といることを取っても買ってもらうお菓子をずっと持っていたかったのにお店の中では絶対にカゴに入れさせられました。

食べたいものは我慢するな。
これが一番印象に残っています。今でもたまに言われます。
昔は食べたいものもろくに食べられなかったり、6人兄弟の一番上である母は我慢する事が多かったのでしょう。
わたしが「これ何?食べたことない」とか「食べてみたい」と言うと絶対買ってくれました。
今でも母はいろいろなめずらしいものを買ってきては結婚して別居しているわたしを呼びつけます。
旅行なんぞに行った日には抱えきれないお土産の山です。

「うそ~」と言うな、「本当?」と言え。
信じられないような話をされたときには「うそ~?」と言わないように躾けられました。相手がうそつきもように聞こえるそうです。自分が言われると不快になるんだとか。
疑わしそうな「うそ~?」ではなく「そうなの?」という感じで「本当?」もしくは感心したような「本当~」と言えと。
これは今でも気にするようにしています。

父に言われた事は・・・覚えてませんねぇ(^_^;)

この回答への補足

 補足欄をお借りいたします。m(_ _)m
 多数のご回答をお寄せくださり、まことに有難うございました。本日をもって締め切らせていただきます。

 ご回答をお寄せいただいたのはよかったのですが、私、ひとつだけ失敗してしまいました。皆様のおおよその年代をお聞きするべきでした。と申しますのも、そもそも「時代の移り変わりに伴う躾の変化」を知りたかったからです。しかし、それでも今回寄せられた多数のご回答には深く感謝しております。

 私が借りている契約駐車場で昨日と今日、こんなことがありました。自転車が2台、ここのところ毎日とめられていたのです。このところ車通勤ではなくバイク通勤でしたので、私の駐車場スペースにゆとりがあったわけです。別に迷惑にもなりませんでしたからそのまま自転車をとめさせていたのですが、昨日と今日は雨降りで、私も車通勤。すると5時ごろになって30代前半~後半と思われる主婦が二人、会社の入り口に立って「すみませ~ん、自転車が出せませんので車をどけてください」「・・・・・・??? はい???」  

 そして今日。「すみませ~ん、車出してもらっていいですか」「はいはい、で、ですね、ここは契約駐車場なんで、これからは別の所に自転車を止めてもらってもいいですか」「・・・あ~ぁ、はい」 車を出して自転車が出て行くのを待つ私。一人(30歳前半ぐらいと思われる主婦)は昨日も今日も私に頭を下げて去っていきましたが、もう一人の40歳近くにもなろうかという主婦は、まるで私のほうを見向きもしません。頭を下げようともせずに、平然として去ってゆきました。いや、これにはビツクリギョーテン!! 他人の駐車場に止めていたのだと分かれば一言のお詫びがあったり、頭をペコリと下げたりするのは当然ではないでしょうか。2週間ほども黙認しておいたのだし、わざわざ私が仕事を中断して雨に濡れながら外に出て車を出しているというのに、まるで一言、一動作の挨拶もできないその主婦とはいったい・・・

 こうした主婦が感受性豊かな時期の子供たちを教育しているのだと思うと、やはり暗澹たる気持ちにさせられてしまいます。自分が社会人として最低限のマナーも守れないのに、一体子供にどういう躾をしようというのか・・・(子供を乗せるための座席を作っていましたので子供さんがいるものと推測されます。) 

 勿論私は気分が悪くなりました。もう一人の若いほうの主婦の存在にかろうじて救われはしたものの、まるで心配りや気遣いの気配を感じさせないそのがさつな(笑)主婦に、長嘆息のひとときでした(今度無断で置いてるところを見つけたら警察に通報するぞっ(笑))。世の中、様々な人がいると、改めて感じさせられますね(笑)

 ポイントのつけづらい質問でどなたに進呈したらよいものやら分からぬまま、今回も恣意的に進呈させていただきました。本当に皆様方全員に良回答を差し上げたい気持ちでいっぱいです。

 また皆様方とどこかでお会いできますよう。(‘ー‘)/~~

補足日時:2002/09/28 00:12
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この回答へのお礼

母親に躾けられたのは
・親を大事にしろ
・食べたいものを我慢するな
・「うそ~」と言うな

 「親を大事にしろ」・・・なるほど、ある意味「突き抜けた」躾ですね。照れもあって、なかなか親自身の口からは出ない言葉ですが、これ以上の真理はありません。

>親を大事にしろというのは、親が実際に自分の親をとても大事にしているのを見て育ちましたので、わたしも当然のようにやっているつもりです。

 こうした《姿勢のリレー》は絶やしたくないものです。言行一致であるからこそ子供の心を打つし、次の世代へまた言い継ぎたいと思うのですよね。子供はやはり「親の背中を見て育つ」のです。

>食べたいものは我慢するな。
これが一番印象に残っています。~~
旅行なんぞに行った日には抱えきれないお土産の山です。

 う~ん、これは私は躾られませんでした。しかし、sceanaさんのお母様のお気持ちは実によく分かる気がします。私の姉(昭和22年生まれ)がそうでした。子供を4人設けたのですが、「どうしてチミは《お下がり》という言葉を知らないの~っ!?」と私たち兄弟から顰蹙を買うぐらい、すべての子供たちに新品を買い与えていました。
 で、ある日ふとこの姉が漏らしたのですよ、母に向かって。
「お母さん、私、いつも姉ちゃんのお下がりばっかり着せられていたからね、自分の子供たちだけにはそういう思いをさせたくないと、ずっーと思っていたんよ。贅沢させてるように見えるかもしらんけど、私のしたいようにさせてね」・・・  おそらくsceanaさんのお母様もこの団塊の世代のお生まれではないかと思います。物に不足していた昭和30年前後、親は親で一生懸命であったにも関わらず、そして子供は子供で親の苦労を肌身で感じていたにも関わらず、子供って寂しい思いを持つものなんですね。この姉の言葉を聞いて私も絶句しましたが、家族一同シ~ンとしてしまいました(笑)。

>「うそ~」と言うな、「本当?」と言え。
~~「本当?」もしくは感心したような「本当~」と言えと。
これは今でも気にするようにしています。

 sceanaさんと私とでは少し世代に開きがあるようですね(笑)。まるで覚えていない躾です(笑)。そもそも「うそ~」なんて表現は一般的ではありませんでした。それを言うなら確かに私たちの時代は「ホント?」でしたね。・・・しかしそれすら、あやしい・・・(笑)

 sceanaさん、お礼が遅くなりまして失礼致しました。そして、ご回答有難うございました。締め切ろうかなという矢先のご投稿でした。改めて感謝申し上げます。

お礼日時:2002/09/27 00:31

親の立場からの回答です。



わが家では厳しい躾をしているつもりです。主に我慢するということを教えています。特に食べることに関しては、決して人のものを欲しがらないように躾けています。

うちの子は好き嫌いは少ないほうですが、それでも嫌いなものはプイとそっぽを向きます。そういうときは、『世の中には食べたくても食べれない子がたくさんいるんだよ。おまえは幸せな家庭に育ってわからないかもしれないけど、贅沢言っちゃだめだよ』と諭します。

何事も小さい時から躾けたほうが、楽に教えられるようです。大きくなってからでは無理というわけではありませんが、時間がかかるかもしれませんね。

スキンシップは大切ですね。やはり小さい時は遊ぶのが好きですから、できるだけ一緒に遊んであげることで心身ともに健全に発達すると思います。

危険だったり、不都合な行為をやめさせる時には、一言、ハッキリ「ダメ!」と 毅然とした態度で言います。 笑いながら言ったりしては、たとえ相手が子どもでも、見抜かれてしまいます。

「子どもだから仕方ない」と、やりたい放題をさせるのは、大きなトラブルの元になります。子どものおねだりをその度に聞いていたら、どんな子供に育つでしょう?我慢が必要ですね。

今ではすっかり人間の言葉も聞き分けられるようになって、「おすわり」「まて」「ふせ」「おいで」 「よし」「だめ」「お手」などの一般的なことは一通りできるようになりました。

あれ?カテゴリー間違えちゃいました。すみません。(確信犯)
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この回答へのお礼

 いやあ、最後の《オチ》にずっこけてしまいました。(^。^)
 それまで私、「フムフム、さすがにいいことをおっしゃる。素晴らしい。名言だ。こりゃ~さぞや素晴らしい躾を・・・」なんて思いつつ読んでたじゃないですか(笑)。 ・・・・・・む、てえことは、人間の子供も犬の子供も躾に関してはほとんど変わることがないという・・・・・・

 いや、ご名答、有難うございました。

お礼日時:2002/09/19 20:59

#7です。


一応、補足を。

「他人の物には・・・」
の意味ですが、私の物をイタズラして壊したりしているので、他人の物ももちろん同じように壊したりするだろうし、他人の物にイタズラなんかされたら親の私はたまったもんじゃないわ!
って事で、あのような言い回しになったのでした(^^;)

はい、私は紛れも無く肉親です(笑)
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この回答へのお礼

>「他人の物には・・・」
の意味ですが、~~あのような言い回しになったのでした(^^;)

 そうですね。分かります分かります。でもね、rilfeeさんの子供さんも多分そうだと思いますが、子供って大人が想像する(親が心配する)以上に分かっているんだと思うんですよ。必要以上に絡んでくるときは(笑)、全てを分かっていながら親をからかっているんです(笑)。その手に乗っちゃあいけない(笑)。

 わざわざ補足にお越しいただき、有難うございました。

お礼日時:2002/09/19 01:15

こんにちは。

23才女です。
うちも(躾は母担当でした)食事は厳しかったです。御飯を残すな、箸の持ち方、ひじをつくな、茶わんを持て、正座を崩すな、音をたてるな、など。父はよく「寄せ箸」をしていて、あれはしてはいけないよ、と母に言われたりしていました。あとは、食事中にはテレビはつけないことでしょうか。実際、食事する部屋にはテレビを置きませんでした。悪戯によっては、真冬に庭に立たされたこともあります。挨拶は正座して、とかも小さい頃からしてたし(今、正座で挨拶できない人もいますよね)。敷居を踏むな、人を跨ぐな等、あとは皆さんとほぼ同じです。しかしながら、今年のお盆、ダンナの親戚が12人(子供は5人)で泊まりにきたのですが…すごい!!「いただきます」「ごちそうさまでした」が言えない。親も言わない、子供にも言わせない。他人ちのソファーで走り回る、親も注意しない、などなど。躾というか、最低限のマナーすら欠如しているようでした。義父は「泊まりに来てあれだけ好き放題やってりゃあ、気疲れもしねえやなあ。注意するってこと知らねえもんなあ」などと。笑えましたが、自分に子供が出来たら、と考えさせられました。
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この回答へのお礼

>父はよく「寄せ箸」をしていて、あれはしてはいけないよ、と母に言われたりしていました。

 むむ、生きた手本(反面教師)としてお父様がいらっしゃったんですね。思わず笑いが出ますが、かなり複雑な笑いになってしまいます(笑)。

>悪戯によっては、真冬に庭に立たされたこともあります。

 おお、真冬の庭に・・・ で、どのような《おいた》を? さぞやお寒かったことでしょう。昔の親はそういう躾をよくしてたものなんですが、今の親もそういう躾をされることがあるんですねえ、やっぱり。体に染み込む躾ですね。場合によっては百万言の《スマートな言葉》による躾よりも有効なときがあります。親に流される《涙》も《言葉》より遥かに心に沁みることがありますが、それと同じですね。子供って、すべて分かってますからね、それが怖い(笑)。

>しかしながら、今年のお盆、~~躾というか、最低限のマナーすら欠如しているようでした。

 う~ん、それは凄まじい(笑)。hide-noriさんからすればちょいと注意しにくいご関係の方々ですからねえ(笑)。まあ、元気があるのは結構なことなのですが、元気がやや《粗暴》に流れ始めてますね(笑)。食事の前後の「いただきます」「ごちそうさまでした」が言えないのはやはりよくない。それが親も・・・(@_@) そりゃ親が言えないなら子供たちが言えるはずがありませんものね。まさに子供は『親の鏡』です。

 それにしてもお義父様の最後の一言は何とも言えない味がある(笑)。思わず笑ってしまいますが、これまたちょいとばかり複雑な笑いで・・・(笑)。いや、すべてをスッと救ってくれるようなお言葉ではありました(笑)

 ご回答、有難うございました。

お礼日時:2002/09/19 00:52

「ありがとう」と「ごめんなさい」


だけしか教えてないや。いかんいかん。
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この回答へのお礼

 いえいえ、それこそ必要にして充分な躾だと信じていますよ(笑)。最も大切な「感謝の気持ち」と「お詫びの気持ち」です。これを素直に言える子は素晴らしい。

 ご回答有難うございました。

お礼日時:2002/09/19 00:42

こんにちは。



私は末っ子のためか放任主義で育てられ、「しつけ」と言われてピンと来る事はあまりないのですが、ご飯粒については「お米を残すと目がつぶれる」なんて言われて、本気にしてました。
未だに、外食でどんなに大盛りで出されても、コレだけは残せません。(^^)

その他、特に具体的にはないのですが、「人に迷惑をかけるな」という事だけは厳しく言われていました。
迷惑をかけないようにしようと思うと、自然とお行儀も良くなるものなんです。
 電車の中で、大きな声を出したり、物を食べたり、今なら携帯電話を使ったり・・・
 誰かがせっかく作ってくれたご飯を残したり・・・
 自分が使ったものを片付けずに放っておいたり・・・
 ゴミの日でもないのに、ゴミを出したり・・・
なんだって、迷惑になっちゃいますものね。

あとは、しつけではないのですが、良く言われた言葉があります。
 人にしてあげた事は、できるだけ忘れるようにしましょう
 その代わり、人からしてもらった事は、絶対に忘れないようにしましょう
「自分がしてあげた」事はいつまでも覚えていがちで、「あの時してあげたのに」と見返りを求める思いが募りがちです。
逆に、「してもらった」事は、忘れがち。だから、逆を心がけるくらいが、ちょうどいいんですって。
実際にはなかなか難しいのですけど、心の奥には留めている、両親の言葉です。
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この回答へのお礼

 こんにちは、tapさん。

 私もtapさん同様、(5人兄弟の)末っ子だったのですが、な~んだか、お目こぼしはありませんでしたね~。父が早くに亡くなったこともあって、世間から「お父さんがいないせいでだらしないんだ」と言われるのを母が嫌ったせいかもしれませんね(笑)。

>迷惑をかけないようにしようと思うと、自然とお行儀も~~なんだって、迷惑になっちゃいますものね。

 そうですね。「他人に迷惑をかけるな」の一言で大抵のことは片付いちゃいますね。しかし、思うにtapさんのような方なら「どういうことをすれば他人に迷惑をかけるのか」が分かっても、少しばかり思慮の足りない子供や若者たちははっきり言葉に出して言われないと分からないのかもしれませんね。いや子供・若者に限らず、いい年をした大人だって分かってない人がいます。はっきり言葉に出して言ってやらないと、本当に分からないのかもしれません。かく言う私も実はヒヤヒヤの毎日です(コラ)。自分の気づかないところで人様に迷惑をかけているかもしれない・・・謙遜でも何でもなく、本当に自戒の日々なんです。え? お前はここでも迷惑をかけてるんじゃないか? (^_^;) え、えーっと、それはまあご愛嬌ということで(ゴン←私の頭に少し大きめの石がぶつかった音)。

>人にしてあげた事は、できるだけ忘れるようにしましょう。 ~~心の奥には留めている、両親の言葉です。

 いやあ、名言至言です。tapさんのご両親のお心がけの高貴さが胸にズシリと響きます。おっしゃるように、実際には確かに難しい。でも難しくはあっても、それを心がけようとすることとそうでないことでは雲泥の差があると思います。そこには「やせ我慢」も必要になってきますが、実は私はこの「やせ我慢」が嫌いじゃないんです。一部では「本音を言うことが人間らしいんだ」と信じられているようですが、《本音》なんて言い出せば収拾がつかなくなるだけです。欲と欲との醜い争奪戦が繰り広げられるだけでしょう(笑)。「本音を抑えさせて、やせ我慢を教える」案外これが躾の要諦かもしれませんね。

 ご回答、有難うございました。

お礼日時:2002/09/19 00:37

ウチも食べ物ですよ。

ちゃんと食べないと「アフリカでは食べたいものが食べれなくて死んでいく人が・・・」と言われて、私も弟も「食べ物はなんて大事なんだろう」と思って育ちました。だから出されたものは全部食べます、どんなに嫌いでも、苦しくても。そして、そう躾けてもらって感謝してます。
と言うわけで、私も子供の躾は食に関するものが多いです。ウチは椅子で食べるので「背中伸ばして」「貧乏ゆすり!」「ひじつくな」「茶碗ちゃんと持って」。食べ終わった時も茶碗をチェックし「ご飯残ってるよ、一つ」。ねぶり箸、迷い箸、探り箸も禁止。食べ途中に話すと「シー(見える)フード(食べ物)だめ!」。そしてもちろん「アフリカでは・・・」も欠かせません!
食以外だと「靴遊んでるよ!」「挨拶した?」「返事はちゃんとする!」「おもちゃ片付けて」が多いですね。あと交通安全と公共の場でのマナー。人前で大声で騒がない、売り物に触らない、電車で靴を脱ぐ、走らない、などなど。
子供6歳なんですけど、ちょっと厳しすぎますかね?母にはよく「あんたは本当に口やかましいわね」と言われますが「お母さんが甘いのよっ」と返してます。(^^; 
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この回答へのお礼

>ウチも食べ物ですよ。ちゃんと食べないと~~そして、そう躾けてもらって感謝してます。

 やはり食事関係の躾はどこも厳しいようですね。アフリカの子供たちの話を出されて「食べ物はなんて大事なんだろう」と思われたTorako3さんも、そして弟さんも、なんて素直ないい子供さんだったんでしょう。今時の子供たちなら「俺は日本に生まれたんだい。アフリカに生まれたわけじゃねえよ」と理屈をこねるかもしれません(←独断と偏見?・・・(笑) いや分かってますよ、今時の子供たちも素直ないいお子さんが多いことは)。

 好き嫌いは私もずいぶん注意された記憶がありますねえ。お蔭で今は嫌いな食べ物はほとんどありません。「食べたくないなら食べないでいい」と躾けられていたら、今頃はずいぶんと偏った食生活だったかもしれません。

>子供6歳なんですけど、ちょっと厳しすぎますかね?

 いやあ、尊敬します。それだけ毅然とお子様に向かってらっしゃるんですから。子供をペットか何かと勘違いしている母親もいるようですが、Torako3さんはまさに「母の鑑」だと思います(私がTorako3さんの子供なら絶対家出する(コ、コラ))。私がおかしかったのはTorako3さんのお母様もTorako3さんをそうやって育てられてきたくせに、「あんたは本当にくちやかましいわね」とおっしゃるその姿です(笑)。

 Torako3さんのお子様も将来きっとお母様(Torako3さん)の思いが伝わって、深く感謝するときがくるでしょう。親の有難さを知るのは「その時、すぐ」ではなくてもいいのですね。愚か者の私などは親が死んでから初めて「親の有難さ」に気づきましたからね(^_^;)。もうバカとしか言いようが・・・

 どうぞそのご姿勢で今後ともお子様のご教育にお当たりください。日本の夜明けは近い(ぉぃ)!

 ご回答、有難うございました。

お礼日時:2002/09/19 00:18

全く同じ躾を受けました。

非常に感謝しています。
で、子供たちにも同じようにしつけています。

もっと一杯ありますよ(笑)。

靴は揃えて置く・・・当然です
物(人)をまたがない・・・物では特に書籍で「本をまたぐなんて!」という感じでした
人の枕もとを歩かない・・・急いでいても必ず寝ている人の足元を通ること
遠くから人に声をかけない・・・はしたない行為
相手の名前を呼んでから話をする・・・「○○さん、・・・」
物を渡すときは必ず両手で渡す・・・会社で書類等をポイポイ放り投げて渡す人が苦手です
頂き物をその場で開けない・・・京都の一般的な風習です
休みの日でもゴロゴロと寝ころがらない・・・これだけは現在守れていませんが
口をつけたものを差し上げない、もらわない・・・当たり前だと思いますが、飲料の回しのみを平気でする人もいますよね
人を見送るときは見えなくなるまで待つ・・・当たり前の行為
電話は先に切らない・・・失礼な行為
脚を組んで座らない、あぐらをかかない・・・行儀が悪い行為
「パパ」「ママ」は愚かな家庭の習慣・・・そうは思いません、何と呼んでもOKですが「おかん」「おとん」と言った時はさすがに家から放り出すつもりでおります
絵画展は1年に1度は観に行かなければならない・・・毎年美術館に連れて行かれました、が、トイレに行った記憶しか残っていません(笑)

などなど、数え上げるとまだまだきりがないです。

子供に対してもあまり変らない躾をしています。

今時ご飯粒の一粒如きで・・・は、もってのほか。
お百姓さん云々ではなく、とにかく“行儀が悪い行為”という理由からです。

このように書き出しているとおかしな人間のように思えますが、習慣になっているので、ごく自然に出来てしまいます。

社会に出てから一番困ったのは、融通が利かないことです。
会社で急ぎの時でも書類を両手で渡したりしていると、辛気臭いと思われてしまいます。
でも、体に染み付いた習慣はそう簡単には拭い去れないです。
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この回答へのお礼

>全く同じ躾を受けました。非常に感謝しています。
で、子供たちにも同じようにしつけています。

 口やかましい躾はその時は子供に煙たがられるところもありますが、後になってその素晴らしさがじわっと分かってきますからね。やはり、我が子たちも同じように躾けようと思ってしまいます。親の有難さを知るのはずーっと先でいいのかもしれません。

>遠くから人に声をかけない・・・はしたない行為

 フムフム、これは私の記憶にない躾でした。お互い遠い場所でやり取りしてると相手が何を言っているのかよく聞こえないことがあって(そばのテレビ音が邪魔をしたりして)「な~に~?、よく聞こえんよ~?」「あのねえ、~~」とそれでもやり取りを続けようとする輩がおりますね(私たちはどちらかと言えばそういう夫婦です(^-^;)。ところが私の友人の奥さんはそういう時必ず友人の傍に来て坐り、「なあに?」と話を聞くそうです。これを聞いた時は、その心栄えのよさ、品のよさ、奥床しさを思い、ある意味深く感動しました。・・・ということは、やはり「遠くから人に声をかけない・・・はしたない行為」というのはまさにそのとおりなのでしょうね。  ???・・・どうして私の母はその躾をしなかったのでしょう? 思うに子供の頃は六畳一間の狭いアパート住まいで、遠くから声をかけるも何も、呼び掛けたい人が常に傍にいる状況だったからかもしれません・・・(^o^;

>頂き物をその場で開けない・・・京都の一般的な風習です

 ん、これは私の家でもそうでしたよ、福岡ですが。だから今でも戴き物をその場で開けることは極めて下品な感じがしますね。相手が「今開けてみてよ」と言う場合には別ですが・・・

>口をつけたものを差し上げない、もらわない・・・当たり前だと思いますが、飲料の回しのみを平気でする人もいますよね

 そう、これは私にもかなりの抵抗があって、最初に飲料の回し飲みをしている人たちを見たときはショックを受けました。「オエ、汚ね…」 コップのような容器でのやり取りならまだしも、コーラ瓶などのような、まるごと口をつけてしまうようなものをやり取りしてるんですからね。好きな女性とならいざ知らず、男同士で・・・((*^^*)・・・顔文字が間違ってるような・・・)

>人を見送るときは見えなくなるまで待つ・・・当たり前の行為

 素晴らしい心がけですね。見送られるほうは感激するでしょう。で、でも、却って相手を恐縮させてしまうかもしれません。自宅の前が直線コースで1キロほど続いていたとしたら冷や汗が出ますよね。嘘でもいいから一旦脇道の路地に隠れてほしい。(^_^;)

>電話は先に切らない・・・失礼な行為

 これも確かにそうなんですが、お互いがそう思って切らないままでいると延々とその状態が続きそうな・・・(^_^;)  自分から電話をかけたときには極力先に切らないようには心がけていますが・・・ 

>脚を組んで座らない、あぐらをかかない・・・行儀が悪い行為

 これは私はパスです。(^_^;) 脚も組むし、胡坐もかきます(笑)。

>「パパ」「ママ」は愚かな家庭の習慣・・・そうは思いません、~~さすがに家から放り出すつもりでおります

 あはは。面白いですねえ。「おとん」「おかん」はNGですか(笑)。何だか味があって、私は可愛らしいような気もしますけどねえ(笑)。私は柄じゃないので「パパ・ママ」とは呼ばせませんでしたが、若い両親で「パパ・ママ」派は多いですよねえ、実際。 「お前が《パパ》って柄かよっ!!」と思わず突っ込みたくなる《純日本風のオヤジ》も混じっていたりなんかします(笑)。

>絵画展は1年に1度は観に行かなければならない・・・~~トイレに行った記憶しか残っていません(笑)

 「教養を高めよ」「芸術眼を養え」ということなのでしょうかねえ。義務で絵画展に行くのもどうかと思いますが(笑)、いずれにせよ絵画展に行くのはいいことですね。トイレからも普通とは違って何となく芸術的香りがしてくるような・・・(笑)

>今時ご飯粒の一粒如きで・・・は、もってのほか。 ~~という理由からです。

 そうですね。「もってのほか」だと私も思うのですが、な~んだか「もってのほかだ!」「言語道断だ!」という強く憤りたい気持ちが昨今の様子を見てますと「も、もってのほかじゃないのかな~ ^-^;」「ご、言語道断じゃないのかな~ (^o^;...」とついつい弱気になってしまうんですよ。世代によってはひょっとするとそうした価値観のズレが確実に生じてきているのかな、と・・・

>社会に出てから一番困ったのは、融通が利かないことです。会社で急ぎの時でも~~辛気臭いと思われてしまいます。

 う~ん、何だか分かるような気もします(ぉぃ)。私も両手で書類を渡されようものなら思わず威儀を正して、最敬礼しながら受け取るような気もします(表彰状を受け取るような感じですかね? 笑)。でもね~、それこそmasa-pata-miyaさんの《体に染み付いた習慣》ですからね~。そんなに簡単に払拭することはできないですよねえ。私だってろくに挨拶もできない近所の中学生を「どんな教育を受けとんのじゃっ!」って、他人事ながらついつい思ってしまいますからね。「子供たちが元気よく挨拶する(勿論大人もですが)のは当然」という思いが体に染み付いていますから、(ロクに挨拶もできないような)赤の他人の子供まで怒鳴りつけてしまいそうになります(あ、行きずりの子供たちのことじゃありませんからね)。

 ですから、《辛気臭い》と言われようと何と言われようと、masa-pata-miyaさんはどうぞそのスタイルを貫かれてください。そのことが周囲との深刻な軋轢、摩擦を生むと言うのなら話は別ですが。(^。^)

 ご回答、有難うございました。

お礼日時:2002/09/18 01:44

久しぶりに躾のご投稿を拝見し懐かしく思いました。

私の家は祖母がことのほか厳しくmasatoshi-mさんと全く同じでした。まず食事は正座、箸は交差させてはいけない、ご飯の前に必ず汁を取る、おかずは移り箸、ためらい箸は禁止お茶漬けはみっともない、口は閉じて噛む等々、もちろん一粒たりともこぼしたり残してはいけない、お代わりは一口残して差し出す等同じではないかと思います。その他畳のヘリの上を踏んだり座ってはいけない、寝ている人を跨いではいけない、他人の下駄も揃える、出したものは片付ける・・・数え上げたらキリがありません。しかし米粒を大事にするとかは家業が農家で、子供の時から身をもって農業のつらさを体験していましたから抵抗は感じませんでした。またご飯の前に吸い物などを取るのは、箸を湿らせるための合理的理由からだと大人になって気がつきました。

先ごろテレビで、「こぶ平の箸の持ち方がおかしいのは、母親の躾がだめだったからだ」とまで言われていましたが、私も同感です。逆に行儀のよい子を見るとその子の親を尊敬します。
我が家も食事のマナーのほかに、子供が小さい時から「人に迷惑をかけるな」とくどいほど言ってきましたので問題も起こさず素直に成人してくれました。これだけが親としての誇りと思っています。
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この回答へのお礼

>まず食事は正座、箸は交差させてはいけない、~~お代わり
は一口残して差し出す等同じではないかと思います。

 そのうちいくつかはなかなか実行できませんでしたねえ、私は・・・(^^; 特に「口は閉じて噛む」というのはなかなか・・・食事中は同時にある意味団欒の時間でもありましたからねえ。喋りながら口をもぐもぐさせておりました。「お代わりは一口残して差し出す」という習慣は全国的なものではなさそうですが、これについてはもう少し詳しい情報が欲しいものです。

>畳のヘリの上を踏んだり座ってはいけない

 あー、そうでしたね。私も言われてました。

>寝ている人を跨いではいけない

 うんうん、これも言われてましたね。そもそも人を跨ぐということそのものに抵抗がありますからね。これも幼い頃からの躾がそう思わせるのでしょうか。

>逆に行儀のよい子を見るとその子の親を尊敬します。

 箸の持ち方のおかしな子供たちが増えています。ですから私もkakubeiさんと同じように、正しい箸の持ち方、使い方をしている子供さんを見ると何だか本当にホッとしますね。逆にそうではない子供さんを見ると心がザワザワと騒ぎ出します(笑)。「箸の持ち方ひとつ」と言えど、あだやおろそかにできないような気がします。勿論それをもってその人の人格云々を論うほど私もピント外れではありませんが(笑)、きれいに揃えられた靴を見れば心が澄むし、逆に脱ぎ散らかされた靴を見ると心がざわつき出す。これは人の自然な心理かもしれませんね。

>子供が小さい時から「人に迷惑をかけるな」~~親としての誇りと思っています。

 もうお子様は成人なさったのですね。「これだけが~」というのはご謙遜でしょうが、やはり「他人に迷惑をかけるな」という躾は教育の基本でしょうね。今は学校でも社会でも迷惑をかけている人が多過ぎはしないかと・・・ 

 少し違う方向の話になるかもしれませんが、『学校(学級)崩壊』なんてその典型のような気がしています。これについては話し出せばキリがありませんのでやめておきますが、私たちの時代には『学校(学級)崩壊』なんておよそあり得ませんでした。成人式にしても、昨今報道されているようなバカ騒ぎをする新成人はまず皆無。単純に論じきれる問題ではありませんが、「親の子を躾ける力」が段々衰弱してきていることがその背景にあることは間違いないと私は思っております。

 ご回答、有難うございました。

お礼日時:2002/09/17 10:26

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