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毎年感じている事なんですが、お正月にお寺や神社に行ってお賽銭をあげてお願いごとをする人(表現が違っていたらごめんなさい)が多いですが何故なんでしょう。
充分な医療施設が無い所や食料が乏しい所・・・そんな所にお金をあげたほうが困っている人が助かっていいと思うのですが。一生懸命投げ入れている人達を見て理解できなかったので質問しました。
コメントをお待ちしています。

A 回答 (8件)

#3です、まだ見られているならと思い追記します。


「お金」は大切なものですから、信仰する神様に身銭を切って、
賽銭として自分の気持ちを表しているという行為になります。

お参りをしたからといって、別に賽銭を必ず支払う必要もないと
考えており、信仰する神様に感謝する気持ちが重要と考えます。

境内の掃除を手伝ったり、弱者を手助けするでもいいと思う。
それが簡単にはできないから、賽銭という簡単な方法を選んで
いるのだと解釈しています。(専門家や宗教家ではないので、
間違っているかも知れませんので注意して下さい)

そういう意味で「賽銭をお供え」しているのであれば、
(何も考えずに)投げ入れるのは失礼になるという考え方です。
混雑して仕方がなく、「申し訳ない」と感じている・いない
では全然違うという意味で書いたつもりです。

「誰に対して」とは神社に祭られているものに対してです。
それが何かというのは信仰であり、場合によっては宗教です。
(それを分かり易く、「神様」といっています)

それを信じている人は「必要」としています。その行為も
「良かれ」と考えているので、そのような状態において意見を
したところで理解もされ難いとは思います。
(これは「信仰がいい」とも「悪い」とも断定はしていません)

そういう意味合いがあって、「昨年も無事に過ごせました、
ありがとうございました。今年も見守って下さい」という
ご報告に行きます...なので、信仰がないなら単純な年越し
イベントであり、詣でる必要もなければ祈る必要もありません。

素人ながらに書き過ぎましたが、最後に...
「誰かを助けたい」と思う気持ちは、とてもいいことだと思います。
でも、その人は本当に困っているのかは判断が難しいです。

貧しそうな人でもその原因は「自分の怠慢(仕事をしない)」で
あったり、場合によっては「悪い人(犯罪者)」の可能性もあります。

分かり易く書くと、路上で困っているような素振りをして、
裏路地ではそのお金でお酒を飲んでいるだけかも知れません。
海外援助で助かった人が、実は人を殺めている可能性もあります。
そう考えると人助けって、すごく難しい行為なんですね。
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この回答へのお礼

こんにちは。お返事をありがとうございます。”信仰する神様に感謝する気持ちが重要”←そうですよね。それが簡単なお賽銭を入れる行為=感謝としてお正月に行う人も大勢いるのかもしれませんね。”神社に祭られているものに対してです”←なるほど・・・神社やお寺などの建物には神様はいないと思うのですがこれは私の考えなので深く追求しないで下さいね。そして、困っている人に関してですが、本当に難しいですね。だから直接ではなくてボランティア団体などを介して寄付などをしますが、それでも以前流行った○○○○リングみたいに寄付金額が含まれていない物を売ったりする団体もあり助けたい気持ちを利用する人達もいて難しいですね。二度もお返事をいただきありがとうございました。皆様のお返事から感謝の形としてお賽銭を入れに行く・毎年のイベントだから・お願いする気持ちの後押しの為とそれぞれですが神様を思い出し感謝する人がお正月に増えるんだなとほんの少し解りました。そしてお金ではなくて、気持ちだという事、4番さんのおっしゃる通り一年を通じて感謝の気持ちが持てる様になるとすばらしいでしょうね。

お礼日時:2007/12/27 16:04

形(形式)には意味があります。


「あげる」のではなく、「奉納する」のです。日本の神道には、とても奥深い知恵が隠されていると思いますよ。
Wikipediaには、こうありました。

(以下引用)
「賽銭(さいせん)とは、祈願成就のお礼として神仏に奉る金銭。また、社寺に詣でる際に奉納する金銭。「賽」は神恩に報いる祭儀の意。古くは金銭ではなく幣帛(へいはく)・米などを供えた。賽銭は神に奉げる供物の一種であり、社寺の事業に使うために献げる寄付(浄財)とは異なる。」

祈願成就の「お礼」だったんですね。また、「供物」だったということで、私も大事なことを知るきっかけになりました。

「供物」すなわち、神前にお米や塩を供えるのと同じで、実際にそれらを食する人がそこにいるわけではないと考えると「もったいない」ですが、まず日本人で、そうしたものを「食べないのにもったいない」と感じる人はいないですよね?聖なるものを思う心があって、はじめてそう思えるのでしょう。
なので、お賽銭は「(物質的な)お金」ではなく、「供物(の象徴)」だったということがわかりました。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%BD%E9%8A%AD
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この回答へのお礼

こんばんわ。お返事ありがとうございます。”供物(の象徴)”ですか・・・お賽銭を入れる事はお寺や神社の為、願い事を叶える為にではなくて神様への感謝の気持ちを表しているのですね。でも実際はお金で潤うのは神様ではなくて神社やお寺ですけれどね。当たり前ですが・・なんとなく、ほんの少しだけ解ってきた気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/26 20:10

お賽銭を投げつけるというイベント料を支払っているだけであって、


神主に寄付しているというようなつもりはありません。

実家から一番近い神社は、受験でも有名な神社。
人にもまれながら前進前進を繰り返し、
ようやく到着した賽銭箱に前から何番目かの位置で
他人の後頭部に当たらないように注意しながらも、
無事に届くよう、一瞬のチャンスに投げつけるべし!
この一瞬の判断力を要請される緊張感がたまらない
年に一度の大人のイベントです。(笑)
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この回答へのお礼

こんばんわ。お返事ありがとうございます。”お賽銭を投げつけるというイベント料を支払っているだけ”←そうですか。この様な考えもあるのですね。神主は願い事を叶えてくれる人ではないですものね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/26 19:37

あげるのではないのです。

お願い事を叶えてもらうためにお金を支払っているのです。叶わないこともありますから宝くじと一緒ですね。

寄付とは根本的違います
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この回答へのお礼

こんばんわ。お返事ありがとうございます。”お願い事を叶えてもらうためにお金を支払っているのです”←そうなんですか?お願い事が叶うのはお金を払う払わないは関係ない気がしますが・・・・

お礼日時:2007/12/26 19:30

「信ずる者は救われる」からです。



「神様に願い事をすれば叶う」と信じて、お賽銭を上げ、祈り、「努力」という自分の行動を後押しするためです。
病気の方の「自然治癒力」を増すためというのもあります。
人それぞれ、「気持ちの問題」です。
「自分のことだけ」の人もいれば、「世界平和を願う人」もいる。

「信じない人」には、ただの「遊び」でしかありません。
「占いのようなもの」です。
「みんながやるから、やる。」長いものには巻かれろ精神の人もいます。

が、みんなお正月だけしかやらないのは、ずるいですね。
一年を通して、折りに触れ「感謝の気持ち」を持っていかないと、「神様も怒るのではないでしょうか。」

あなたのような考え方の人もいるので、そうした考え方ならば「寄付」をすればよいのではありませんか?

すべては、自身の気持ちの問題であって、お金が「自分の納得のいく使われ方をしていれば、それでよい」のでは、ないでしょうか。
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この回答へのお礼

こんばんわ。お返事をありがとうございます。”祈り、「努力」という自分の行動を後押しするため”という事も考えられるのですね。”お金が「自分の納得のいく使われ方をしていれば、それでよい」のでは、ないでしょうか。”←ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/26 19:27

賽銭は「自分の信仰に対する表現」として上納しています。


だから、誰かの為に「寄付」をしているのとは異なります。
(当然「投げ入れる」のも、気持ちが伴ってなければ失礼です)

補足ですが「お願いごと」についても少し違います。
神様は「結果を提供はしてくれない」と聞いた事があります。
「導いて下さるよう、見守っていただけるよう祈る」とも
聞いた事がありますから、「~して下さい」なんてのは
駄目ではないでしょうが...聞いて下さるかも疑問です。

客観的に「役に立てたい」と考えたなら、単純ではありますが
寄付するのが分かり易い結果が得られるとは思います。
寄付の仕方にも注意すべきで、街頭募金などを利用した不正に
利益を得ようとしている怪しい集団もいます。可能なな限り、
素性の分かっている団体へと預けるべきです。

「使用目的の違い」や「個人の考え方の違い」もあるので、
質問者の考えだけで他人の行為見ただけで、一概に無駄のように
判断するべきではないと思いますよ。
(お墓や神社への供物も、無駄ではないと考えています)

なんて、専門家でもないですが聞いた事あります。
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この回答へのお礼

お返事をありがとうございます。”「自分の信仰に対する表現」として上納”ですか・・・・ん・・・難しいですね。
「投げ入れる」のも、気持ちが伴ってなければ失礼です←これは誰に対して失礼なんでしょうか?もしよろしかったらお返事を下さい。
寄付に関しては質問者さまのおっしゃる通り、怪しい団体があるので気をつけないといけませんね。
”「使用目的の違い」や「個人の考え方の違い」もあるので、質問者の考えだけで他人の行為見ただけで、一概に無駄のように判断するべきではないと思いますよ。”←これに関しては、もったいなく感じた気持ちから疑問が生じたので質問させていただきました。

お礼日時:2007/12/26 17:22

それが個人の自由と言うものです 自分のお金をどんな方法で使うかは


自由 困っている人にあげたい人はあげればよいのです
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この回答へのお礼

早速のお返事をありがとうございます。確かに個人の自由ですよね(^^;
お正月にあの人だかりの映像を見て毎年疑問に思っていたので質問させていただきました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/26 17:00

現実主義者が宗教を理解しようとしてはいけません。


宗教とは、無意味だからこそ宗教たり得るのですから。
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この回答へのお礼

お返事をありがとうございます。こんなに早く沢山のお返事をいただき驚いています。”無意味だからこそ宗教たり得るのですから”←なるほど・・・奥深い言葉で考えさせられます。ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/26 16:54

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