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obrigadoです。
この前はたくさんの方にお答頂きありがとうございます。
その後の他のカテゴリーで私の質問見て頂いた方にはお解りでしょうが、ほんの少しですが前向きの考えれるようになりました。

ただ・・・私は「神」に対する考えが少し変わりました。
例の件で自分のせいとはいえ、今の所、神に対して、(その教祖さんに対しても)不信感が多く募っています。母親は相変わらず毎日手を合わせていますが私はあれ以来一切手を合わせていません。
そんな母は「罰が当たる、またお前がそんな態度でいたら家族にも罰が当てられる」と言います。「どうして罰当てられないといかんのだ、家族の為に信じたくもないのに信仰しなくてはならんのだと反発し、日々喧嘩になっています。

話しがズレましたが、
お聞きしたいと思います。(私見で構いません)
1・神様っていると思いますか?
2・信仰していた事でいい事ってありましたか?
3・願い事をする時、どの程度まで祈りますか?(気休め程度であるとか、全身全霊を込めてだとか)
4・これは主に宗教家さんにお聞きしたいのですが(別にどなたでも構いませんが)「神」というのはどう考えるべき存在だと思われますか?
またはご自由にご意見あれば聞かせて下さい。

なお、煽りやこの質問と関係ない回答はご遠慮願います。
皆さんの「神」に対する価値観や考え方が聞きたいだけで言い争いたい訳ではありませんので。

A 回答 (19件中1~10件)

obrigadoさんへ



こんにちは。

1・神様っていると思いますか?
いらっしゃると思います。
おられます。言い切りで申し訳ないですが、実際いらっしゃいます。
神様も仏様もいらっしゃいますよ。それぞれ、得意分野をお持ちです。
人間と同じようにです。(同じとしか説明が上手くはできないのですが。)
やおよろずの神と良く聞きますが、仏の世界と神の世界も人間社会の人の
繋がりがあるように、同じように繋がっています。そう感じています。


2・信仰していた事でいい事ってありましたか?
ありましたよ。感謝をする事を、覚えたような気がします。
後、生かされていると感じ取る力を育てられたと思います。
いい事って言うのが自分の願望が全て叶うとかでは勿論ありません。
欲と願いは違います。そう思ってます。
平常心を保つ鍵が祈りだと思います。穏やかになりました。
こころの舵を取ると言った感じです。
又は気持ちをクリアーに出来るようになりました。
小さな事がポツポツと沢山、ありましたね。
怪我や病気は心通りに快復に、導いていただきました。


3・願い事をする時、どの程度まで祈りますか?(気休め程度であるとか、全身全霊を込めてだとか)
神様にお任せします、見守ってもらってるという感覚です。
後、精神統一に近いのかもしれません。
最近はあまり自分の願い事はしなくなりました。
祈りは、自分の為にするものでは無いと、年配の方から教わりました。
人の為に願い事をする事が、おのずと己に戻ってくるという図式だそうです。
私の場合は、欲をかかずに、きっとお見通しだから(神仏は)心に
よどみが無いように、みられて恥ずかしくないかが重要な気持ち、
手を合わせるときに一番、重視しています。
気休めはありません。みられて恥ずかしい心でいるか、居ないかが
私にとっては、祈る量や思いの強さより大切な気がしています。
自分の心に嘘が無いか、綺麗(済みきる状態)かが一番重視しているので
ある意味いつも、全身全霊ですね。
願い事は、本当に最近していなくて、自分の事では「今日も行ってきます」
「ありがとうございました。」だけですね。ほとんど。
今年は周りに色々あったので、その快復、回復をねがってましたね。
大抵、人間の気持ちが乱れる時は、感謝の気持ちや受け取る度量が狭くなっている
時ですから。
波長を整えるって感じです。
そうしてきました。

4・これは主に宗教家さんにお聞きしたいのですが(別にどなたでも構いませんが)「神」というのはどう考えるべき存在だと思われますか?
私達には計り知れない、頭ではある意味理解できない部分も持ち合わせていると
思います。
宇宙の中の私達個人個人が繋がっているように、内にも同じ物がきっと流れて
いると思います。
私達が位置付けするような簡単な物では、無いようにも思っています。
私も、昔はobrigadoさんと同じように、神様を位置付けして解釈 理解を
しようとしていました。
だけどそのような私達でも、こちらの理解うんぬんは関係なく慈愛の目で
見極めらていらっしゃるのだと思います。
まだまだ、自分の頭の理解では死ぬまで分らないと、思ってます。
目に見えず、肌に感じず、音も無く、温度も無く、気配も無い
だけど地べたに這いつくばっている気持ちを、救い上げてくれる救済の
慈愛の念のあらわれだと解釈しています。
人間だって一日の中で、気持ちが地獄のような気持ちにもなるし
天国の住人のような気持ちにもなるし。
ただ、どのような境遇にいても、世や人を恨まずにいるようにいられるように
向かい合わして頂いてます。今のところ。



「神」に拘っていらっしゃるご様子に受け取れますが、ご先祖様に感謝するのが
人間の普通の姿だと思いますよ。

>母親は相変わらず毎日手を合わせていますが私はあれ以来一切手を合わせていません。
別にあなたが選んだことだもの、構わないのではないでしょうか。
言われて手を合わせるのと、感謝の気持ちや、誰かの病気がよくなりますようにと
願いを込めて手を合わすのは、意味が気持ちが違いますもの。
そういう気持ちになったときでいいと思います。
自分の周りに居る人を大切にしてゆくだけで、充分なのだと思います。
「お前は手を合わしたから良い奴だ」と、言うようなレベルでは消して神仏は
ないと思うので。
見極められるのは、本質や気構えや努力だと思います。
別に、自分が手を合わそうと思うまで、いいんじゃないですか。

ところで、前から少し気に掛かってましたが、お母様の関係の神様は
精神的な部分や、気持ちの使い方、波長の合せ方、
仏様の世界で言う、慈悲のさとしのお話や、悟りの部分についての
学びや、解釈の面もチャンとあるのでしょうか。

又、時期がきて、お話が聞きたくなったとき、別に神のみに拘らずに
神仏の語り掛けに、耳を傾ければいいのじゃないですか?
それぞれ、人生を与えられていきているのだから、自分の生活や
賄を一生懸命している事が、充分生き抜くと言う意味で、清いことだと
思うので。
自分の生活も賄わず、怠けて 出会った人も大切にせず、そんな生き方で
手を合わせて「信仰してます!」ってしてても、意味無いとおもってます。
それこそ、神仏とは気持ちがかけ離れてるから、手を合わすどうのは
関係ないと思うから。

神にこだわらず、これを機会に冷静で冷めた目で、色々な仏神のご縁が
あれば、お話聞いてみたらいいとおもいますよ。
私はいい話を伺うと、涙がドバーンッと出てしまいます。
どれだけ皆がいいからと言って連れてゆかれても、学びの無い
意味の無いお話だと頭が痛くなります。
自分の六感を信じて判断してます。(苦笑

こんな私ですが、一つアドバイスできるのは、さとしのある宗教や方のお話は
良いと思います。
おどしのある宗教やお話はだめですよ。後、他を認めなさ過ぎる傾向も危険だと感じてます。

話がまとまりませんが、私もこれから自分の人生の上で精一杯生きて
学んでゆくのだと思ってます。

obrigadoさんも、これから 色々あるとおもうけれど、がんばりましょう。
神仏の前に、私達は同じ人間なんだし、今を大切にいきてゆきましょうね。
では、又機会があれば、寄せさせていただきます。
ながながと失礼を致しました。
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この回答へのお礼

たくさんのご意見ありがとうございました。
私自身神様はおられると思うようになりました。
しかし何でもかんでも頼るのではなく、日々の感謝を忘れずにいれば神様もきっと見守ってくだされるかなと思います。
お答え下さった皆様どうもありがとうございました。m(_ _)m

お礼日時:2002/10/31 02:05

う~ん簡単なようで難しい質問ですね。


1.神様とは何か?と言う事からまず答えると、私にとっては2種類に分けられます
  (1)モノに宿る精霊のような神様。八百万の神様みたいなもの
  (2)人々の祈りみたいなもののエネルギーの塊
 (1)に関してはいると思う。『信じて信仰して…』というのではないけどごく自然
  にそう思う時がある。
 (2)に関しては、これがどう言えばいいか分からないけど、人間って自分の力では
  どうしようもなくなった時に何かに助けや癒しを求めようとするじゃないです  か(みんなではないけど)その求めた相手が神であるなら、神とは人間の理想  で作られた人間の心の中に存在するものだと思うのです。だからいるかいない  かと言えばそういう意味での神ならいる。願いをかなえたりする事はなくて苦  しい気持ちを委ねて慰めにするような存在。
2.前に答えたけど心を慰めるとかそういう意味では良い事なのかな?自力で歩き  出す為の心の休養です。
3.気休めかな?全身全霊は自分に『やるんだ!』と言い聞かせる時の方が良いと  思うので。神社に行った時のお参りはそこに奉られてる神様(この場合は(1)の  神様ですよね?)へのご挨拶みたいなものだと思ってるので頼み事はしませ   ん。ただ初詣では決意表明みたいなことをしちゃうかな(笑)
4.あ、1で答えちゃいましたね。

これは私個人の意見なのでそうとう片寄ってると思うけど、私が自分で納得できる『神様』の考え方です。
ここのカテゴリからは外れてる話ですが『警察官』という肩書きがなくても警察官として必要な知識が貴方の中に蓄積された事は絶対無駄ではないはずです。何かに打ちこんで精一杯努力したと言えるのってとてもすごい事だと思います。私は何かと理由とつけては自分を甘やかすので羨ましいとさえ思うほどです。
考えてる事をうまく言葉に出来なくてすごく分かりにくい文章になってしまいました。すみません。何となく雰囲気だけでも伝わると良いのですが・・・
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1.いる。

そこらへんにいっぱい。八百万の神。精霊といってもいいかも。
2.信仰、、、、、。してるのかな。存在を否定しないという意味では信仰してる。多神教主義なので。いいことといえば、他者に寛容になれることと、感謝の気持ちを持てること。
3.普段はご挨拶程度。別して特段にお願いがあるときは気合を入れてお祈りすることもある。それでも効果の期待は政治家への請願程度。
4.何らかの意を感じるものは山川草木器物に至るまで全て神でいいと思う。まあ、普段は人間の普通の知覚では感じられないが、何かの意がありそうなモノをと言っている。絶対神は信じてない、というか考えの外。
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>1・神様っていると思いますか?



心に存在を信じれば、神様は存在すると思います。
理論理屈では存在感を知る事が出来ないのではないでしょうか?

>信仰していた事でいい事ってありましたか?

仏教用語で「現世利益」と言う現実的な出来事はたくさん体験致しました。
信仰は良くも悪くも自身の行いや信仰心によって、格差があるのでしょう。
つまり、福徳を求めたければ現実的に行動し努力を怠らず、信仰も同時に行えば必ず加護してくれるのではないでしょうか。個人的には、五体満足生きていること自体「いい事」と思っております。

>3・願い事をする時、どの程度まで祈りますか?(気休め程度であるとか、全身全霊を込めてだとか)

願い事によって違いますが、場合によっては「御百度参り」をした経験が何度となくありますので、全身全霊に近いと思います。

>4・これは主に宗教家さんにお聞きしたいのですが(別にどなたでも構いませんが)「神」というのはどう考えるべき存在だと思われますか?

神様の存在を現実的日常世界に追求しても、そこに神様を見出せません。
神様は見るものではなく、「想う」がゆえに存在するものなのかも知れません。個人的には、「神様信仰者」「無神論者」これはどちらでも「信仰心」がございます。どの選択を選ぼうが人間の自由でございます。「無神論者」が存在しなければ、「神様信仰者」の存在は有り得ない訳ですし、その逆もあります。考え方として、「神」は何であるのか知る者が「この世」に一人も存在しないので、「尊い」存在なのではないでしょうか。
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1、神様は存在すると思います。

というか、日本古来の「八百万の神」の信仰と言うのはあって損は無いと思います。「絶対神」と言うのは私は認めませんが、「全てのもの一つ一つに神様が宿っているので大切にしよう」と言うのは素晴らしい考えだと思います。「神は愛」なんてキリスト教もこの考えならOK。

2&3、たまに神社や寺に行く程度です。正月は必ず行きますね。
「1年間健康で過ごせますように」

4、精神の支え。
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1.神の存在については.マルクスが規定しています。

「神の見えざる手」。よって.神は存在します。
2.ないですね。創価学会は金を巻き上げる事しか考えてないし.家業がおかしくなったら.坊さんも金を巻き上げる事しか考えなくなったし。
3.すべて神の御心ですから。神に頼り切っています。自分でどうにでもなる事は.どうでもしますが。
4.マルクスの唱えた自由競争
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いるとおもいます。

っていうか神しか存在しないと思います。この世のあってあるものすべてが神であると思います。ということは私たちも神ではないのでしょうか。イエスは神はわたしの手よりも足よりも近くにおられると言っていたそうだし、お釈迦様も色即是空、空即是色と言っていたそうだし。色は即、空なりということは、見えるものは即、見えないものだとおもうんですが、どうでしょうか。モーセも汝、わたし以外を神と呼んではならない。私以外を偶像崇拝してはならないと十戒にもあるように、わたしが神だといっているではないかい。それをキリスト教はイエスを偶像崇拝しているし、お釈迦様も私の脱いだ抜け殻は燃やしてガンジス河にながしなさいといっているみたいではないかい。仏教もキリスト教もどうしちゃったのと思うんです。意味がよくわからなかったらすみません。とにかくすべてが神であって例外はないと思います。悪人も善人もことごとく神であるし、空気や植物、動物、鉱物すべてが神であるということです。神の存在しないところは無いということです。それが全知全能の神の身技だと思います。神が神棚にいたら大変です。神は無限ではなくなってしまいます。神とはあってあるものすべてのすべての存在だと思います。だから神は祈る対象物でもないと思います。罰を与える存在でもありません。もし神が罰を与える存在ならば、私はとうの昔に死んでますって。すけべなことばっかり考えているから・・・。
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1・神様っていると思いますか?


いると思います。それも沢山。なんせ八百万ですから。

2・信仰していた事でいい事ってありましたか?
うーん。特に分かりません。
でも、いい事も悪い事もあったんだと思いますが。
逆に信仰してなくても同じっていうことでもありますけど。

3・願い事をする時、どの程度まで祈りますか?(気休め程度であるとか、全身全霊を込めてだとか)
形式的に。(^^;
友だちに借金頼むのと違うんですから、
見返りがはっきりしませんし(ぉぃ)

4・これは主に宗教家さんにお聞きしたいのですが(別にどなたでも構いませんが)「神」というのはどう考えるべき存在だと思われますか?
神道っこなので、仏教もキリスト教もイスラム教も全部組み込んでます。
どの宗教が「神様の言う事は絶対」なんていってもかまいません。
「絶対」はないと思ってますので。
それぞれの宗教による「アドバイス」は良さそうなものは受け入れ、
気に入らなければ受け入れないだけです。

ということで「神の言葉」も「アドバイス」以上にはならないかなと。
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>1・神様っていると思いますか?


思います。でも信仰はしません。
というか、人類の起源、地球の起源、宇宙の起源etc・・
ハッキリしないモノは全て『神の所業』って事でかたづければ楽ですし(笑)
そんな為にも『神』という役職の存在は必要でしょう。

>2・信仰していた事でいい事ってありましたか?
お祭りの日や、年始等にお参りに行くぐらいです。
信仰と言うよりは「ご挨拶」ですから信仰したことはありません。
ただ、周りの人が一生懸命「信仰」に燃えている姿をみると
『時間が勿体ない気がするな・・他人事だけど』とは思います。

>3・願い事をする時、どの程度まで祈りますか?
お賽銭(45円【しじゅうごえん[始終御縁]とカケてます。】)→ 拍礼して境内を一周
→もう一度拍礼して帰宅。
拍礼時に「今年もよろしくお願いします」とかお願いするだけです。
モノの5分程度ですね。(笑)
まぁ、神程の度量があれば、願いの大きさや、どうやってお願いするかで相手を区別するような
無粋な真似はしないでしょうし。皆平等に扱ってくれます。
(って言うか、「お参り」は願い事ではなくて「神への挨拶」の場ですね。(^^ゞ)

>4・これは主に宗教家さんにお聞きしたいのですが
どう考えなくても良いと思います。意識して考えるものじゃ無いと思いますよ。

と、言うわけで『神』には会ったことが無いのでどうでも良いです。(うわ、乱暴)
個人的には「先祖」の方が大事です。祖父、祖母は好きでしたし、今でもお彼岸などは
必ずお墓参りに行きます。
そう言えば、「お参り」より、「お墓参り」の時の方が手を合わせている時間は長いですね。。
何か、祖父、祖母や先祖と会話できる気がして落ち着きます。
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書こうと思っていたことを既にnatoniiさんが書いていた(笑)。


1)いないしいても役に立っていないと思っています(役に立たないならいないのも同じでしょう)
2)信仰したことがないのでわかりません。
3)結果は自分の責任であることは十分に承知してそれでも少しでもいい方向に向けばいいかな…くらいの気持です。
4)自分の気持の弱いところをなすりつける相手だと思っています。(私も宗教家ではありません)

信仰が盛んな国とそうでない国、同じように国民は悩んでいたり苦しんでいますから信仰には意味がないとも思います。かえって宗教が人を不幸にしているのではないかとも思います(9.11なんてね)。経済問題だけならまだ手の打ちようがあるきがして。神は信じないけれど先祖は祀る…これも同じ。お盆の習慣などは宗教としてでなく生活習慣として受け入れています。

natoniiさんが書かれていた神社費、私は「地域の公園維持費」だと思っています。最近の街中に土で覆われた広場ってなかなかなくって、神社の境内って結構重要だと思うから。そう考えたら数百円くらいなんとも思わなくなりました。子供がそこで遊べると思うからかな(子供が生まれるまでは?????と思っていましたけれど)。
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