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30代後半、結婚14年目、小学生低学年の子1人の男です。
http://okwave.jp/qa3804396.html http://okwave.jp/qa3804396.htmlでご相談させて頂いておりました件の続きとなります。お時間とお気持ちに余裕のある方はご一読頂ければ嬉しいです。当方現在、私が1人家を出る形で別居中、今月でもうすぐまる5ヶ月です。

昨日、仕事中に妻よりメールが入りました。内容は、「(同居に戻るか、離婚するかの)考えを先延ばしにしても、自分の(離婚希望の)考えが変わることは少なくとも今の段階では無いという結論に至った。よって今日、家庭裁判所に「離婚調停」を申し立てする事にした。事後報告だと失礼だと思ったので、仕事中とは承知しつつも申し立てる前に連絡をした次第」という内容でした。

上記の参照アドレスのスレッドにも書き込みしているとおり、現在我々は既に私が申立人となって家裁に「円満調停」の申し立てをしており、再来月、その5回目の調停が開催される予定です。よって上記妻からの更なる「離婚調停」の申し立てがなされたことにより、次回はこれまでと同じ調停委員により、「円満」と「離婚」の2つの案件が取り扱われることになります。

妻の心に、前向きな意味での変化がないのは、別居中ながらも薄々感じており(こちらから連絡しない限り何ら連絡がない、こちらから打ったメールの返信内容も必要最低限の事しか書いていない等の様子から)また、数日前に妻の両親と妻が、「この先どうするつもりなのか」、という類の話し合いの場を持つ話も(義母から)聞いていたので、近々何らかの連絡が妻から来るだろうな、と予想はしていたのですが、案の定でした。

もはや私は心身共に疲れ切ってしまっています。相変わらずの不規則勤務、深夜、朝方に家に帰り、ボーッとして考えることといえば、「遺書の内容」だったり「どうやったら皆に迷惑を掛けずに、且つ見苦しくなく死ぬことができるか」、そんなことばかり。職場の産業医からは抗鬱剤や抗不安薬、導眠剤が処方され、それらを服用しながら自分を騙し騙しして仕事をしている状態です。よって妻から来たメールを読んでも、「そうか・・・とうとう私も本当に独りぽっちになっちゃうな」と首をうなだれる他ありませんでした。そして妻に対してはメールで、「分かった。1度2人でゆっくりと話をしよう。今週末時間はないか?」と返信して話し合いの場を設定、そして先程まで妻と2人話し合いをしていました。

妻曰く、結婚して14年、些細な不満が積み重なり、気がついたら身動き取れなくなるほどその不満が大きくなっていた。(私との)同居は今や全く考えられない。そしてそもそも自分(妻)にとって「結婚」という制度はとても窮屈だった。結婚という制度からも逃れ、子供と2人、自分のペースで生活していきたい。計算した結果、4月から入社予定の職場のお給料、公的扶助、私からの養育費等々があれば、母子二人生活していくことができ、貯金もできそう。離婚が成立したら、現在住んでいるマイホームからも退去してどこかに居所を設ける予定、とのこと。

私からは、私に対する愛情を今更求めることができないのは分かった。しかし子供が可哀想。折角いい校風の学校に通えていることだし、良いお友達だって沢山いる。転校させるのは忍びない。子供の為だけに、そして子供がある程度の年齢になる迄でも構わないから、「仮面夫婦」の状態ででも同居しよう、と提案したのですが、「同居はもうできない」の一点張り。

妻の決意は固く、翻意は全く不可能と感じました。しかし、それでも私は調停では飽くまで「円満解決」の方向で臨もうと思っていますが、これだけ主張に隔たりがあると、闇雲に調停期間の長期化を招き、挙げ句には離婚裁判に発展する展開も予想されます・・。 

私の手帳には、子供が幼稚園生の頃に書いた、家族3人が仲良く手をつないでニコニコしている、小さな絵が入っています。仕事で凹むことがあると、いつもそれを見て頑張ってきました。・・・いつかまたこんな家族に戻りたい、そう願って別居生活と辛い仕事にも耐え、頑張ってきました。でも、、もう頑張れそうにありません。

こんな状態になってしまいましたが、私にとっては今でも最愛の妻、そして最愛の子供です。彼らと別れ、財産分与などを考えると買ったばかりのマンションも手放さなければならない事になります。最愛の家族も、そしてそんな家族との幸せな生活を夢見て買った家も失い、残るものは家族との楽しかった想い出だけ・・。とても悲しいです。

辛いです。この世から去るという最悪の決断も頭をよぎります。
望まぬ離婚をご経験された方、いったいどのようにして立ち直られましたか?教えて下さい、お願いいたします。

A 回答 (53件中31~40件)

お言葉に甘えて、失礼致します。



私も実は今、妻から無視されています。
3月の下の娘の卒業式以来、雰囲気が変わってしまいました。と言うか、手紙を書いたのが逆効果だったのかも知れません。
今更、今までの想い出を引っ張り出されても・・・と言う感情なのか?
多少は、心に響いたけど、もうどうでも良い事なのか?
全く無反応と言うより、卒業式の時の妻の表情が恐かったです。それ以降、妻は娘達に会うのもギリギリまで黙っていて、夕食を一緒に食べて帰します。と言う連絡も、こちらの都合も考えずに、6時、7時ごろにメールが来るので、少しカチンっと来ます。もう既に夕食の準備に年老いた母が既にかかっているからです。
今まで18年婚姻生活を共にして来て、夕食の時間など当然、妻も百も承知のはずなのに・・・です。
しかも、以前は、娘と食べて来ても良いですか?と言う問いかけメールでしたが、最近は、食べて来ます。と決定事項のメールなので、少々カチンと来ています。決定事項のメールなので、返事のしようがありません。

下の娘が高校に入学のお祝いに、と、妻の実家の両親から現金で10万円を、上の娘に持たせて来ました。妻からは2万円。
フルに働いていて(20数万円貰っている様です。)、実家暮らしで、殆どお金を使わなくて済んでいるはずの妻は・・・
去年のクリスマスに娘達に、別居後初めて小遣いをくれたそうです。その後正月にお年玉。それ以外は今回の入学祝い金のみ。普段のお小遣いすら、娘達は一切貰っていません。どう言うつもりか、本音では聞きたいぐらいですが・・・
確かに、ここ数年はお金に余裕はありませんでしたが、決して貧しい生活をしていた訳ではありません。娘達も幼稚園からず~っと私立に通わせて、塾や習い事もさせています。親は子供達の為に、多少の犠牲は当然だと思っていますので、私はタバコも止め、酒も飲まず、勿論ギャンブルもしません。
贅沢等しなくても、幸せだと思っていたのですが・・・いつの間にか、妻には不満が溜まっていたみたいです。でも、直接、私に不満をぶつけて欲しかったです。
私も、毎日毎日色々な考えが入り混じっていて、なかなか悟れません。
私も、結論を急いでしまいます。でも、急げば、妻の思うツボになってしまいます。耐える事が、我慢する事が辛いです。寂しいです。
先の見えないものを待つほど不安な事はありませんね。
でも、私達が先を急ぐのは、最悪の結果しかありませんので、頑張りましょう。
又、手紙を書いて見ようかと思っています。

oolongtea20さん、お嬢さんとなるべく、沢山時間を作って会って下さい。お嬢さんが架け橋です。つながりです。希望です。

この回答への補足

当方の我が儘でお話を聞かせて下さって、ありがとうございます。

今年の1月、我々の14回目の結婚記念日がありました。1月と言えば、別居をして比較的まだ間もない頃とはいえ、妻の様子も大分落ち着いてきたように見え、対応もかなり優しくなってきたように感じられたので、同居に戻れる日も近いかな、なんて楽観的に思いながら過ごしていた時期でした。

しかし結婚記念日当日は、カレンダーを見ると平日。平日の私は例の如く仕事で朝帰りなのは分かっていたので(因みに今日も午前3時過ぎに帰宅、それから家事をして、これを書いています。もうへとへとです)、お祝いご飯などは物理的にできない、そしてそれ以前に、別居状態の夫婦が結婚記念日にお祝いご飯をするのもまた変な話なので、私は週末、花を買って妻に届けました。ゴタゴタしているとはいえ結婚記念日、何もせずスルーするのも寂しいし、さりとて何かイベントごとをするのは時間的にも精神的にも無理(私は大丈夫ですが、妻はそうだろうと思いました)、だから折衷案として、まぁ気持ち、ということで花を買ってきたよ、と。自分なりの、「夫婦の誕生日」に対する気持ちでした。

しかし妻、表面上は「ありがとう」といって受け取ってくれましたが、、しかし内面では、なんとも言えない複雑な表情。私はあの表情を一生忘れることはできないでしょうけど、とにかく奥歯に物の挟まったような気持ちを抱えているような、非常に複雑な表情をしながら「ありがとう」と言ったのです。・・それ以来でしょうか、妻は、私が思っているほどに別居によって気持ちの変化は生じていないんだな、ということが薄々分かってきたのは。

案の定、3回目の家裁での調停では、調停委員曰く、妻は気持ちに大きな変化は生じていない、未だ離婚の選択肢もある、と聞かされました。・・・薄々気がついていたとはいえ、やはり第三者を通じてそういわれると、頭が真っ白になりました。

焦った私は調停後、初めて直接妻と、我々の関係の今後について話しました。(それまでは、その手の話しは調停の場のみでしよう、ということにしていました)別居の寂しさ、苦しさで窒息しそうだった私は、自然、妻に同居か離婚かハッキリしてくれ、と迫ってしまい・・・その結果、先般の妻による離婚調停申し立てにつながりました。妻曰く、「あのときに、あんな風に結論を迫られなかったら、今の時点で離婚調停申し立てなんてしなかったと思う」だそうです・・。

毎日毎日、寂しさ、苦しさを感じ、周りの幸せそうな人を見ては羨ましさを感じ、そして自分の人生そのものだと思って大切に想ってきた妻子の声の聞こえない家に帰る「離婚」という選択をするのなら、もう生きている意味もないので、世の中を悲観して最悪の決断も、、相変わらず頭をよぎります。

私は酒こそほんのちょっと(寝る前に缶ビール1、2本程度ですが)飲みますが、たばこもギャンブルも風俗も大嫌いな、いたって地味な男です。何をするでもない、家族の声のする家にいるのが何よりも心地く感じる、本当につまらない男です。仕事は辛い、やり甲斐も感じない、体力的にもかなりキツイ。でも、この家族を路頭に迷わせないように、私は頑張らなきゃ。当然のように心の面での問題が症状となって現れ、薬を飲みながら仕事を頑張ってきました。でも私にとっての心の支えがすっぽり無くなり、それどころか最愛の妻からは離別の意思表示をされ、結婚という枠組みが窮屈だったとこの14年間を否定するようなことまで言われました。家族のため、と思って自分に鞭を打って頑張ってきたこの結婚生活って一体何だったんだろう、、今はそんな気持ちで一杯です。

焦ってはいけない、と分かりつつ、しかしこの先、自分が歩いている暗いトンネルに果たして出口があるのか、あったとしたら、それは明るい出口なのか、暗い出口なのか、分からずにトンネルをただひたすら、あとどれくらいの道のりが残っているかも分からずに歩くのはとっても辛いです。回答者様もきっと同じお気持ちだとお察しします。焦ってはいけない、焦ってはいけない、、何度も何度も心で念仏のように唱えるのですが、ついつい結論を焦ってしまう自分がいます。

いっそのこと、本当にもう私が妻から手を離せば、、もうそれで終わりじゃないか、妻もきっとハッピーだろう。そして私は他に目を向けて別の人生歩んでみようか、、思うこともありますが、次に目に浮かぶのは娘の顔。娘との関係では、いつまでも本当の意味での「お父ちゃん」でいたい。いてあげたい。もう結論はでません・・・。

自分のことばかり書いてしまいました。失礼しました。
これに懲りず、またお話し是非お聞かせ下さい。宜しくお願いいたします。

補足日時:2008/04/04 05:10
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この回答へのお礼

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お礼日時:2008/04/04 05:15

又お邪魔します。



oolongtea20さん、私も今は妻に何を言っても何をしても、通じない事に悲しみと、虚しさを感じながら現在に至ります。
oolongtea20の奥さんも今は、別居し一人でお子さんを育ててみせる!みたいな、勢いにもみえる、意地の様なものを感じます。
奥さんは一人で仕事に家事に育児にと大変だと思います。でも、自ら選んでしまった道です。今は気持ちだけで、突き進んでいられますが、ふと力が抜けた時、ご主人事をoolongtea20さんの事を思い出しますよ。
奥さんが誰かを頼りたい、と思う時が必ず来るはずです。その時oolongtea20さんがその瞬間に、何の抵抗も無くス~っと奥様の心の中に入れる時まで、頑張りましょう。
お子さんとは、会っていますか?oolongtea20さんの為にも、何とか時間を作って、会った方が良いですよ。これだけは、いくらお仕事が忙しい、と言っても何とか時間を作って会って下さい。
まさか、奥さんはお子さんに会う事は拒否していませんよね?

離婚はさて置き、今は奥さんを見守るしか、私達には無いのかも知れません。
私の妻も、現在はパートを辞め、フルタイムで且つ夜勤のある不規則な仕事をしています。
更に、この春からは、ひょっとすると、実家を出て、仕事先の寮に入るかも知れないのです。
でも、誰も止められません。やりたいだけ、やれるだけ、やらせるしか無いのかとも、思っています。
どこかで、挫折してくれる事を願ってしまっている自分も居ます。その時に、私や娘達で助けたいです。
今、私は娘達からママに「プレッシャー」作戦をする様に頼んでいます。「ママ、いい加減にして!いったい何時になったら帰って来るの!?」って会う度に言ってくれ。と頼んでいます。
一応、分かった。言ってみる!と言ってくれていますが・・・

奥様も一人で何もかもと言うのは、大変だと思います。
少し見守りましょう。

何度も何度も失礼致しました。

この回答への補足

いつも見守ってくださって、ありがとうございます。

当方の妻は、そうですねー、確かにもう離婚して女手ひとつで娘を育て上げる、という線路に乗っかって突き進んでいる暴走列車に乗っているように見えますね。妻は、加えて本当に頑固というか、一本木というか、そういう人間なんで、仮に離婚して経済的に困窮しても、精神的に寂しくなっても、万に一つ離婚に後悔の念が沸いたとしても、私にだけは頼ってこないような気がしてなりません(悲観的過ぎますでしょうか?)。待つ、見守る、、、日々の気持ちの辛さから楽になりたい一心の今の私は、結論をどうしても急ぎがちになってしまうので、待つ、というのがとっても難しい心境です。でも、もう我々にできることといえば、それ位しかないんですかね・・。

妻は別段私と娘の今後の関係については、何ら口を挟んだり、邪魔をしたりするつもりはないといっており、そういう意味での心配は私はしていません。それどころか、先日の話し合いの時には「授業参観日には都合が合えば行ってあげてほしい」と言っていました。

また、娘とは週末一緒にギターを習いに行っています(これは家庭がゴタゴタする前からの話です)。別居中の今は、唯一それが娘と、そして妻との実質上の接点です。ただ私と娘は違う先生に習っているので、互いの先生との都合が合わないと、一緒にレッスンには行かれません。極力一緒の日程にしようと調整してもらうのですが、双方の都合が合致するのは平均月2回位でしょうか。

先日、週末に娘とのギターレッスンが入っている中で、妻から軽~く、「今週の土曜日、子連れで昼、友達に会う日程が入っちゃったから、ギターレッスンの時間を変えました」という連絡がメールで来ました。私としては、久しぶりの娘とのデート、更にそれをきっかけにして夜には妻も含めて3人で一緒にご飯でも食べに誘おうか、とも考えていた矢先だったので、妻の無神経さに本当に腹が立ちました。後から不満の意を露にしながら妻と話したところ、私がそれほど週末のギターレッスンの機会を大切に思っていたとは妻は気がついていなかったらしく、悪意があった訳ではない、というのは分かりましたが・・・、別居して、妻にとっては自分なんて既に「どうでもいい存在」になってしまっているんだな、というのはよく分かりました。

>今、私は娘達からママに「プレッシャー」作戦をする様に頼んでいます。「ママ、いい加減にして!いったい何時になったら帰って来るの!?」って会う度に言ってくれ。と頼んでいます。

羨ましいです。うちの娘は8歳ですので、さすがにそこまで高度なお願いはできません。そしてそもそも、8歳は8歳なりに両親がうまくいっていないということに気がついており、そういう話に関与するのも嫌らしいので(そりゃぁ両親が離婚するのに積極的に関与しようとする子供がいるわけはありませんが)、お願いもできません。でも本心は回答者さまと同様、娘の口から妻に、「お父ちゃんと一緒に3人で暮らしたいよ」と訴えてほしいです。繰り返し、繰り返し・・。

お願いです。何度でも何度でも書き込んでください。
回答者さまのお話が聞きたいです。

補足日時:2008/04/02 21:44
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この回答へのお礼

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お礼日時:2008/04/02 21:41

何度も何度もすみません。

大丈夫ですか?
oolongtea20さんの考え方。感情がまるで自分の様です。
私もどなたかの回答者さんに、被害者意識が強すぎる!そんな考えでは、とても、妻と前向きにいけるはずが無い!と言われました。
確かに、被害者意識だと言われれば、そうかも知れません。
あんなに愛し合っていたのに。あんなに頑張って来たのに。あんなに楽しい想い出があったのに。あんなに子供の為にして来たのに。あんなに・・・
とキリがありません。
そして、何でこんな目に合わなきゃいけないんだ。何でハッキリ言ってくれなかったんだ。何で別居なんだ。何でこうなったんだ。
とやはり、キリがありません。
更に、自暴自棄になったり。もう少し頑張って見ようと思ったり。あ~やっぱりダメかも、と思ったり。妻の望みを叶えてやろう、と思ったり。ふざけんな!と思ったり。そして又、消えて無くなりたい!と思ったりと、毎日毎日堂々巡りの様な考えばかりです。
こんなに愛しているのに!と言う、こんなに・・・と言うのが邪魔をしているのかも知れません。
どうしても、見返りの様な、分かって欲しい!何で分からないんだ!と言う様な怒りにも似た感情も湧いて来ます。それが、自分自身を苦しめているのも、分かっています。分かっているけど、理解し、納得し、呑み込めないです。自分の中でその事が現実が大き過ぎて、呑み込めません。こんな大きなものは喉を通らない。通したくない。と、無意識に拒絶してしまいます。
私も、色々な方に、女性は一度覚めた熱は、もう二度と戻らない。諦めた方が良いかも。と言われています。そうなのかも知れませんが、自らそれを認められません。
その様な考えに至りません。
正直、今でも、最後の最後は、すべて投げ出そう。生きて行く自信がありません。妻とその関係者すべてを集めた目の前で・・・と無茶苦茶な考えをしたりもしています。
が、もう少し悪あがきをしたいです。
oolongtea20さんも私と一緒にもう少し、悪あがきをしましょう。

追伸
メールより手紙の方が良いと思いますよ。手書きで。。。

この回答への補足

すみませんだなんて、とんでもありません!!本当に感謝しています。と、ともに、気持ちを共有できて本当に心強く、そして嬉しく感じています。

>あんなに愛し合っていたのに。あんなに頑張って来たのに。あんなに楽しい想い出があったのに。あんなに子供の為にして来たのに。あんなに・・・とキリがありません。そして、何でこんな目に合わなきゃいないんだ。何でハッキリ言ってくれなかったんだ。何で別居なんだ。何でこうなったんだ。とやはり、キリがありません。

私も怖いくらい同じ気持ちです。あんなに、あんなに、あんなに、と・・私も常に心の中で堂々巡りです。それほどまでに不満を溜め込んでいたのなら、どうして別居だ、離婚だなんて言う最悪の結果に至る前にハッキリと言ってくれなかったんだ、と思い、自分の心は、怒りの感情、悲しみの感情、諦めの感情、自暴自棄の感情が一日中ぐるぐると周り、とっても辛いです。ここ数日は、そんな強いストレスのせいからか、風邪を引いたわけでもないのに発熱したりして、しかし仕事は休めないので、今日は重い身体を引きずり、解熱剤を飲みながら日付が変わるまで仕事をしていました。気がつくと、職場でも深いため息ばかりついている自分がいます・・・辛いです。

既に私との同居は不可能、だから離婚したいと言い切っている妻、そして彼女は今日から新しい職場で派遣社員として働き始めました。私が諦め、手を離してあげればきっと彼女は楽になるでしょう。吹っ切って娘と2人の、次の人生を歩き始めるでしょう。私が手を離せば、、、私が手を離せば、、、。しかし、私もその現実が大きすぎて、どうしても呑み込むことができないんです。呑み込むことを心が拒否するんです。

・・・昨日などは、仕事から戻り深夜、1人で部屋でビールなど飲んでいたら、「いっそのこと、親しい友人や親族集めて、明るく楽しく、『離婚パーティー』でも催しちゃおうかな」とか考えたりしました。どうせ別れるなら、派手に笑って別れようかな、なんて・・・(苦笑)。

そんなことを考えながら寝たら、変な夢を見ました。私が家に戻り、一生懸命鍵を鍵穴に入れようとしているのですが、入らない。それもそのはず、マイホームに別居用ワンルームマンションの鍵を入れようとしていたので。あ、そうだ、自分はもうマイホームに戻る事になったのだから、マイホームの鍵を使わなければ、と思い、それを使って中へ。。すると、、家具などはそのままある一方、中には誰もいない、がらーんとしたマイホーム。・・器だけあっても、中身がなければ器なんて持っていても仕方ないな、、なんてがらんとしたマイホームで1人たたずみ考えている、、そんな夢でした。

去年の夏から続いているこの長いトンネル、一体出口はあとどれくらい歩けばみえてくるのでしょうかね。そしてトンネルを抜けたら、そこはお花畑なんでしょうか、それとも雪国なんでしょうか・・。分かりません。

明日もこの大きな悩みを抱え、重い身体を引きずりながら深夜まで仕事をしなければならないことを考えると、憂鬱です。。

どんなに辛くても、共に頑張りましょう!!

補足日時:2008/04/02 04:08
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この回答へのお礼

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お礼日時:2008/04/02 04:05

私もこの歳になって口に出して言わなければ


相手に思いが通じないと言うのを実感しております。

>子供が生まれる時、私は途上国に勤務しており、(妊娠中の妻は、医療事情の悪いその国に置いておくことができなかったので、一時的に日本の実家に戻っていました)生まれる瞬間も立ち会ってあげることができませんでした

その思いを奥さまに伝えましたか?多分奥さまは誰頼ることも出来ず一人で生んで育てるのにご苦労されたのでしょう他にもあなたが知らないご苦労があったかもしれません。いまさら。。。って思いがあるのかも知れません私の勝手な想像ですが。。。

>「仕事、本当にお疲れ様でした。そして明日からの新しい仕事、緊張するだろうけど頑張って!!力になれることがあったら協力するから何でも言って」、って声を掛けてあげたいです。。。

だめもとで勇気を出してお気持ちを伝えてみたらいかがですか?
私と違い奥さまは仕事がお出来になる方のようですね。
もう何を言っても心に響いてくれないかもしれませんが
出来ることを精一杯することが出来れば前に進むことが
出来るように思います。

たとえ離婚することになっても一緒に住むことはかなわなくても
困ったとき助けを求めたとき手を差し伸べてあげてください。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

仕事で帰りが遅く深夜にタクシーにて帰宅してから読ませて頂きました。お返事が遅くなって申し訳ありません。

>その思いを奥さまに伝えましたか?
>多分奥さまは誰頼ることも出来ず一人
>で生んで育てるのにご苦労されたので
>しょう他にもあなたが知らないご苦労
>があったかもしれません。

伝えました。出産予定日近くに、勤務地より電話で、「予定日に合わせてその近辺に一週間位なら休みが取れそうだから、日本に帰ろうかと思うんだけど?」と聞いたところ、「予定日通りに生まれるかどうかも分からないから、無駄してもいけないから帰ってこなくて良いよ」という返事でした。悪意で言っているのではなく、空振りに終わってしまったら、時間も体力もお金も勿体ない(格安航空券というものが存在しない国でしたので、日本に帰るのに大きな出費が必要だったのは事実です)という事を気遣っての発言であったのは分かったので、その時はすんなりと納得しました。

でも、未練がましいかも知れませんが、無理にでも一時帰国して、やはり立ち会っておけば良かった、一緒に子供の出産の苦しみを分かち合い、出生の瞬間の喜びを味わっておけば良かった、と今でも深く後悔しています。

私1人途上国で勤務し、妻が出産のために実家に戻っていた約7ヶ月の間、妻は、「元気な子を産まなければ、途上国で1人頑張って仕事をしている夫(私)に申し訳ない」と常に思い、自分とお腹の中の子供の健康管理には非常に気を遣っていた、と言っていました(そしてその甲斐あって、とても元気な、可愛い子を産んでくれました)。それを聞き、とてもしっかりした妻だな、良い女性と巡り会い結婚でき、可愛い子供までも受ける事ができて本当に良かった、と思っていました。

>だめもとで勇気を出してお気持ちを伝えてみたらいかがですか?

今日、初出勤を終えた妻からメールが来ました。「今日から○○で働き始めました。何もかも初めて尽くしで、何もできずに一日が終わったという感じでした」という内容でした。

私からは、「今日はきっと胃が痛い一日であっただろうと想像しています。新しい環境に飛び込むというのは大きな勇気がいるよね。私も転勤の度に感じてきたプレッシャーなので、その気持ちよくわかります。習うより慣れろ、といいます、私なんかより順応性が全然高いから、もうちょっとしたらスイスイ仕事することができるよ。大丈夫、頑張って、応援しています」というような返信をしました。

色んな意味で新しい一歩を歩み始めた妻、返信の通り応援したい気持ちは山盛りにありますが、一方、私の元から旅立っていこうとしていると考えると、複雑な気持ちになるのも正直なところです。

願わくば、フルタイムで仕事する大変さを思い出し、私側の立場もほんの少しでも良いから理解してくれ、それが歩み寄りのきっかけになってくれたらいいなと、、現実逃避かも知れませんが思ってしまっている自分がいます。未練がましいですね・・・。

ありがとうございました。

補足日時:2008/04/02 03:15
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この回答へのお礼

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お礼日時:2008/04/02 03:12

簡単に申します。



子供にとって父親の存在は、いくつになっても必要です。
私自身、父親とは縁のない人生を歩んできましたが、30代後半になり、子供を持つ身になってもいろんな意味で「父親」を求めています。
どんな父親でもいい、ということではありません。
いないほうがいい父親もいます。
そして、あなたは「いなくてはいけない父親」です。

奥様との復縁は難しいかもしれません。
でもお子様のために、父親であることを放棄しないでください。
一緒に暮らせなくても、やり方はいくらでもあると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「妻と子供の声のする暖かい家に毎日帰る」、ということが今や叶わない夢となりつつあり、悲しくて悲しくて、仕方ありません。いつまでも娘の父親い続けたい。側で成長を見守ることができる、父親でい続けたいです。自業自得でこうなったのは承知していますので、とても贅沢な事を言っているのも分かっています。でも、、子供の成長を側で見ていたい、この願いは消えません。

子供が生まれる時、私は途上国に勤務しており、(妊娠中の妻は、医療事情の悪いその国に置いておくことができなかったので、一時的に日本の実家に戻っていました)生まれる瞬間も立ち会ってあげることができませんでした。できれば出産に立ち会い、ずらりと並んだ保育器の中に入った娘をガラス越しに見ながら、「やっぱりうちの子が一番可愛いね」なんて、テレビでよく見るような光景を繰り広げてみたかったですが、仕事の都合で異国に1人住んでいた私にはそれも叶いませんでした。経験することができませんでした。

「赤ちゃんは生まれたばかりの時は猿みたいにしわしわで」、なんてよく聞きますが、私はそんな頃の娘を知りません。娘を初めて見たのは、退院した妻が送ってくれたメールに添付されていたデジカメ写真。そして実際に会ったのは、(私が休暇で日本に一時帰国することができたタイミングの関係上)生後1ヶ月半経ってからでした。

いまでも目を閉じると、出迎えて貰った空港で初めて会った、バスケットの中に入ってスヤスヤと寝ていた、壊れてしまいそうな程小さな娘の姿が克明に目に浮かんできます。

生まれる時にも側にいることができず、そして今、夫婦関係が拗れ、娘の成長の過程ですら側にいることができずになりそうになっています。
悲しいです。愚かな感情なのは承知しながら、あまりの悲しさに、自暴自棄な気持ちになってしまうのです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/01 01:09

奥さまの決断ゆるぎないもののようですね。


そして、もうメールも電話も無用の長物とおしゃいましたが
けんかして私は一度主人に出てけといわれ家を出たことがあります。
もう二度と戻るもんかと離婚の決意は固かったのですが、主人は
私が出て行ってから反省したのか、殆んど毎日電話が掛かってきました。最初は話したくない相手との電話はっきり言って不快だし
私の言い方も淡々と冷たい言い方しか出来なかった。でも、数週間
経って段々気持ちが変わってきてどの位の経過がたったか覚えてませんが戻るのはとても勇気が要りましたが現在に至ってます。

一度壊れた茶碗を元通りにするにはとても難しい。。。
奥さまとこのまま離婚になってしまっても、縁がなかったのだと
思います。でも、世の中には同じ人とまた再婚する方もいらっしゃるようです。
もし、奥さまが気持ちを落ち着かれ現実に目を向けて、また質問者さまのお気持ちに気づかれた時は暖かく迎えてあげてください。

それから、私の最近感銘を受けた言葉を書きます。
“厳しい冬のあとには必ず春が来て陽光が降り注ぐ
今たとえ不遇のうちにあったとしてもそれは後の喜びを
倍化させる試練”。

辛い経験をしたぶんだけ人は思いやりの心を持つことが出来ます。
辛ければ辛いほど些細な喜びや幸せを感じるようになれます。
どうか人生をあきらめないでくださいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私もできれば電話したい、他愛もない事でも良いから電話やメールでコミュニケーションしたいんです。しかし、冷めてしまった妻の心を再び温め直す自信がないんです。しつこく電話したら、逆に更に心を冷めさせてしまうのではないか・・。自信がありません・・。

今日は妻の、今の勤め先(パート)の最終日、そして明日からは派遣社員として15年ぶりに事務仕事の現場に「新入社員」として復帰します。パートとはいえ、よく頑張っていたと思います。皆からも頼りにされて、お店の売り上げにもとっても貢献していたようです。そんな妻には「仕事、本当にお疲れ様でした。そして明日からの新しい仕事、緊張するだろうけど頑張って!!力になれることがあったら協力するから何でも言って」、って声を掛けてあげたいです。。。

でも、離婚調停を申し立てられ、既に目線は私と離別して娘と2人で自分の稼ぎだけで生活していく、というところに向いている妻には、、何を言っても逆効果になってしまいそうで、怖くてそういう何気ない言葉でも掛けてあげることができません。

「そういうこと、今言われても、もう優しい気持ちを返してあげることができない。そんな自分も嫌なので、逆にプレッシャーにすら感じてしまう」、、そう言われてしまうのが目に見えるようなのです・・。

回答者さまのご家庭のように、壊れた茶碗を元通りに治したい。。回答者さまのご家庭が羨ましくて仕方ありません。一体どうすればいいのでしょうね・・。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/01 00:30

#10です、コメント拝読しましたが、自殺なら橋の欄干から身を投げる所まで行きました(遺書などは有りません)何しろ今が嫌だから逃げたい手段など二の次で足を欄干に乗せた時背負うわが子の泣かれ我に返り、自殺未遂事件で終えた経緯が有ります。


 追い詰めれた時点の私の場合、遺書を書くとかそんな気力もない何しろ今を消したいそんな願望しかない。
 人は追い詰められると、自分の理性は効かない事は身を持ち体験しました。
 泣くわが子を道ずれに出来ない、子どもの成長を親の都合で止めて良いのか
心中を聞く度に子どもの人生を親の都合では奪うことが良いのか無限な将来を思えば今があるのもあの時泣いたわが子自身が居たからですが。
 質問者さんとは逆ですが、私のケースは無料で使える労働力、手間一人の人間と思ってはいない、単に家でいる家を守る嫁とはそういた物と言い続けられて違和感無しで過ごして来ましたが、旦那は前回も書いた様に生活環境も変わらず、自己中心でお金など好き勝手もできる境遇、行き着けば、DVモラハラであると知る事で離婚をしたい自分自身の尊厳を思えば離婚で自分を放つ事ではないかと、その後は家裁で調停を掛けながら長い離婚戦争をして来ました。
 離婚を言い出すなら財産分与もなし、慰謝料もなし女の子では後継ぎでは予をなさないなど、今後金銭に要求はしない、理不尽な叩きつけの内容ですが、親権はほしいと言えば子どもの面接を付けるその代りに養育費を付けてやるから、子どもに合わせる事を条件。
 こうした解決を得るまで5年掛かり、離婚を終えたのですが質問者さんと違うのは最愛の子どもとも何度も離婚調停中でも言いましたが、しかし肝心養育費に関し離婚後未払いは出るは、しかし面接交渉権はあるから会う、しかし子どもの生活の糧の費用は払わない。
 その後、何度も内容証明郵便を出しても応答なし、その後は世間お決まりの未払いで子どもは成人になりました。(現段階でも過半数以上は子どもへ借金のつけは存在しています)前夫は何一つ変かなく人生を思う存分エンジョイ出来た生活その物でしたし、今もお気楽な生活を続けていると予測します。
 長い自己談を書いて申しわけありませんが、多かれ少なかれ自殺をしようとする経過は何処にでもあると言う事です。
 あの時点で泣かない子どもであれば、私も子どももこの世に居ないと思います。
 死を覚悟する事で出た事を、当然避難豪語されより前夫の暴言は強まるばかりでしたが、どんなケースでも離婚をするそれに弾みが着くことは安直な回答は得れないのでは無いかと思うのです。
 こんな状態ですので、当然鬱も発症し心療内科通院、カウンセリングも受けやっと何とか暮らせるレベルまで到達した次第です。
 喪失体験とは何もかも失うから、虚しさ怒りそんなどうにもならない物を抱えて生きていく事ではないかとも思います。
 好きで結婚した前夫も豹変した要因を思えが自分も責めましたしかし、これが前夫の本性と理解し、現実を受け入れをする事で乗り越えるしか道はないのだなと痛感する事ばかりです。
 楽しい思い出もあります、しかし思い出だけではどうしようも出来ない心の傷を負うまで奥さんを求める事でより心の傷に塩を塗ることになりませんか、この傷は消えませんだから難儀なんです。
 苦しいです、しかし人としてこの先を思えばどうしようか、今も永遠の課題その物です答えが出ない、出せない自分と向き合う日々を送るこれが人生その物とも感じるからですが・・・
 たわいもない愚痴ですが、苦しいのはご自身だけではないそれが言いたく書きました。
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この回答へのお礼

再びの回答、ありがとうございます。
重い身体を引きずって出勤し、昼休み時間を利用してこれを書いています。

回答者様もそこまで切羽詰って、自殺一歩手前にまでいかれたご経験がおありとは・・、そして5年にも渉る離婚調停、そして取り決めごとの不履行・・・辛い、辛すぎますね。そしてそんないばらの道を歩んでこられた回答者さまのお言葉であるが故に、以下のお言葉が重く心に残りました。

>楽しい思い出もあります、しかし思い出だけでは
>どうしようも出来ない心の傷を負うまで奥さんを
>求める事でより心の傷に塩を塗ることになりませんか

他の方へのお礼の欄にも書かせていただきましたが、昨日、「諦めない、最後の最後まで諦めない」という決意の下、妻に「ただただ子供の為だけでいい、もう一度だけ私にチャンスを下さい」という内容のメールを送ったのです(返事は当然まだありませんし、そんなにすぐ返事できる内容でないことも分かっています)。

回答者さまとは違う側面かもしれませんが、当方の妻も耐えて耐えて耐えて、そしてそれも限界を迎えてとうとう大爆発し、別居なども経ましたが、その上で妻の出した結論は、妻の今後の人生は私と離別し自立して子供とともに歩む、というものでした。

私が送った妻に昨晩送ったメールは、妻に更なる我慢を求める、というものに他らないんですね・・。(勿論、私は今までの自分のままで良いとは思っていませんので、自分は自分なりに変わって、家族と融和していきたいと思っていますが)私からのメールを受け取り、ふっきれたと思った妻もまた悩み、苦しんでしまっていることでしょう。

自分が妻や子供を失いたくない為、という私のわがままにより、「妻の心に塩を塗っている」のかもしれません。・・・潔くぱっと手を離してあげるのも「妻への愛」・・・なのかもしれませんね。。。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/31 13:34

30代後半、女性です。


質問者さんとは、まったく状況は違いますが、先月私も離婚問題云々、
生きて行く事に疲れ楽になる事を考え遺書まで書きました。
睡眠不足、食欲減退、頭痛、吐き気、動悸・・死ぬ気になれば何でも出来るとよく言いますが何もする気になれないから死にたくなるのですよねぇ・・。私を止めてくれたのはただただ子供の笑顔だけでした。
この笑顔を泣かす、それも一生引きずる様な事になってしまう。そんな事だけはしてはいけない!その気力だけで乗り切り?ました。
質問さんを思いとどめさせるお子様がそばにいらっしゃらないため、なかなかそのような気持ちには慣れないとは思いますが・・。
その後、子供の卒業式や高校合格など、これから待っている明るい未来を楽しみにしている子供の笑顔を見たとき、よかった~死ななくてと思えました。質問者さん、お子様を悲しませないで。
今はとても苦しいと思います。でもあの時死ななくてよかった~と思える日が必ず来ます。
考え込んでばかりいず、少し気持ちを違う所へ持って行かれる努力をしてみては、どうでしょうか・・

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>死ぬ気になれば何でも出来るとよく言いますが何もする気になれないから死にたくなるのですよねぇ
仰るとおり、ホント、その通りだと思います。今日一日の私など、本当に何もやれてません。明日からの仕事も憂鬱です。職場で暗い顔している訳にもいきませんから、無理に明るく振る舞うのですが、とっても疲れます。同僚からは、「最近痩せたんじゃない?」と何人もから言われました。知らず知らずに大きなため息をついているようで、先日は電話越しに電話の相手から、「どうしたの?そんなに大きなため息ついて」と言われました。

子供の笑顔。分かります。私の友人(女性)も今、離婚問題で悩んでいる人がいるのですが、彼女は「子供の笑顔が一番のビタミン剤。どんなに辛くても、どんなに疲れていても、子供の笑顔を見ると一気に元気になる」と言っていました。ひねくれた言い方ですが、こういう状況下では女性は親権や監護養育権をとりやすくて、本当に本当に羨ましいな、って思ってしまいます(隣の芝生は青いだけなのでしょうけど)。私も娘の笑顔があれば、娘とじゃれる時間が毎日あれば、こんなマイナスな気分にならず、もっと頑張れるのだろうと思います。

子供は悲しませたくありません。勿論、ずっと笑顔のままで、すくすくと育って欲しいと心の底から願っています。しかし矛盾しますが、昨夏より続いている夫婦問題や、超長時間勤務の仕事、そして人一倍寂しがりやな自分をしての別居独り暮らし、、更に離婚とそれに伴う様々な諸事項・・・想像しただけで、今の私の心では受け止められる範囲を大きく逸脱していて、、情けないですが、もう楽になりたい、、って思ってしまう自分がいます。

本件に限らずですが、私は元来より気分転換が凄く下手で、とことんまで考え込んでしまう傾向があります。考えて考えて、頭で納得できないと動けない、、そういうタイプです。(故に、妻と口論になったときにも長時間話し合うことになってしまい、妻もそんな話し合いを避けたいが為に、私への不満をため込む事になりました)娘と一緒にギターを習いに行っているのですが、離婚したらそれもどうなるか分かりません。昨日、私はレッスンの日だったので重い身体を引きずって行ったのですが、先生に、「いつも○○さん(私の名前)お仕事忙しくて疲れていらっしゃる様子ですけど、今日はまた、露骨に疲れた顔してますよ」と指摘されてしまいました・・。

下の方へのお礼の欄ではないですが、疲れて疲れて、過労死でも良いから向こうの世界に連れて行ってくれないかな・・、なんていつも寝る前に考えてしまっている自分がいます。

ありがとうございました。

補足日時:2008/03/31 01:08
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この回答へのお礼

文字数の関係で補足欄に書かせて頂きます。

お礼日時:2008/03/31 01:05

先のご質問での奥様がおっしゃった離婚の理由が全てでしょう。


貴方に合わせて生活するのが厭になられたのでしょう。
今、お子さんと二人で自分のペースで暮らして、とても楽なのでしょう
。金銭的に楽ではなくても、夜9時にお子さんと共に寝てしまっても遠慮は有りません。貴方の帰宅を気にすることなく、ぐっすり寝られますね。
酷ですが、彼女との離婚は避けられないでしょう。
彼女を自由にして上げることも貴方の愛情でしょう。
ですが貴方は父親ですので、お子さんに出来るだけ会えるようにして、出来れば誕生日は3人で祝い、夏休みには子供と旅行できるようにして欲しい、とか具体的なこれからの付き合い方を検討された方が前向きに考えられると思います。奥様が愛情が無いとおっしゃっていますが嫌いになったとのことではないので、上手く付き合っていくことをお考えになったらと思います。貴方が厭と言うより、夫に合わせている自分の価値や自由が見えなく窮屈でたまらなくなられたのでしょう。
貴方が奥様の意を察し、何らかの行動を起こされていたらこのようにはならなかったかもしれませんね。
慰謝料・財産分与・養育費を沢山欲しいとかの要求がないなら、貴方の給料で籠の鳥より自分の収入で自由に生きたいとのことなのでしょう。
貴方からすれば家庭の為に必死で働き、家も購入したのに、と思われるかもしれませんが、共に過ごす時間も少なく、只子育てと家事だけでは家政婦同様ですよ。もし、奥様に貴方以上の能力が有り、貴方が家事・育児をすることになってたら、夜中や朝方に帰ってきて、休みの日はパソコンしている妻に我慢できますか。
前向きに毅然と、奥様の幸せを考えられる貴方になって下さい。
取りすがる姿より、パリッとして素敵な男性を見せて下さい。
死も考えるなら、なんどもの口論で訴えられたであろう希望を聞いて、転職するなり帰国するなりして奥様の希望に添う決断もできたのではないですか。しっかりしてくださいよ。
愛する妻子に会えなくなると言う訳ではあるまいし、妻子が他の男に取られるというのではなし、新しいスーツを買って、男性エステにでも行き背筋を伸ばして、離婚調停に臨んで下さい。
貴方を好きになって結婚された奥様に、結婚した頃を思い出させるような素敵な姿でお会いになって下さい。
落ち込んでいないで、掃除や料理をしゴミも出しましょう。
奥様に、今まで有難う、これからも友達として子供の父親として宜しくお付き合い下さい、困ったらいつでも遠慮なく相談して下さいとおっしゃれば、素敵な女性と想像される奥様も宜しく、とおっしゃると思いますよ。
籍はともあれ、後の付き合い方を考え、将来もう一度プロポーズする気持ちで立ち直って下さい。
マンションを数年間妻子に住まわせ、財産分与・養育費に代えるとの公正証書を作成することも話し合って下さい。
今の生活で他の方と再婚しても離婚となるか浮気されます。
自殺する前に過労死しますよ。
いつも疲れたー、クタクタだよ、寝かせてくれ、休ませてくれよー、とのヨレヨレの夫では堪りませんね。
大きなお世話ですが、明るくなったら出勤し暗くなる頃に退社出来る仕事に変わり。趣味やジムに通い人生を楽しんでみたら如何でしょう。
公務員削減となれば、病んでいる人からでしょう。
転職して収入が減ったから、養育費を減額して欲しいと言われても、奥様は了承されると思いますよ。
外資系に勤めれば安定はしていなくても能力は発揮できますね。
文句ばかり言ってて、チャレンジしない貴方に失望したのかもしれませんね。奥様の立場にたっての考えで気分を悪くされたかもしれませんが、
奥様が離婚を随分前から考えていられて、タイムリミットと考えられ実行されたのでしょう。このままの人生では堪らない、とのお気持ちがよく分かり貴方を贔屓することは出来ませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

妻との離婚がもはや避けられないだろうな、というのはご指摘の通りだと、思っています。離婚希望の理由も、お察しの通りです。確かに、死別する訳じゃないですから、全く会えなくなるわけではありません。が、それなら喪失感がないか、と言えばいやいや、喪失感の固まりです。想像するだけで寂しいし、苦しいです。自分の蒔いた種かも知れませんが、一生添い遂げようと結婚した女性と他人になるというのは、ネクタイが気に入らないから、といって変えるようには、簡単には心がついて行きません。少なくとも私はそうです。

>いつも疲れたー、クタクタだよ、寝かせてくれ、休ませてくれよー、とのヨレヨレの夫では堪りませんね。
誰かがしなければいけない仕事、それがたまたま人事の采配で私にその役割が回ってきたと言うことです。確かにこんな夫、堪らないと思います。が、私だって好きでやっている訳じゃないということを考えると、そして大なり小なりこの仕事が今回の離婚に影響したのだとしたら、私はこの仕事が「憎い」です。私と私の家族の人生をも狂わせた今の担当業務が、憎くてたまりません。

>自殺する前に過労死しますよ。
いつも寝る前に思います。このまま目覚めなければいいな、と。いっそ過労死したい気分です。

離婚してからの、妻子との付き合い方の部分は、大変参考になりました。そうなったら、是非参考にさせて頂いて、「いい関係」の友達であり、子供の父親としてお付き合いしていきたいものです。

アドバイス、ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/31 00:37

No.8.12です。

何度もすみません。
私の女々しい質問は
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3485685.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3805422.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3875653.html
です。

私も、皆さんに回答をしていますが、正直、日々気持ちが揺れ動いている次第です。
周期的に、自暴自棄になったりしています。
別居当初は、睡眠障害、食欲低下、動悸と散々で、心療内科に通い、睡眠薬と安定剤、カウンセリングも通いました。3ヶ月で18キロダイエット?に成功しました。
睡眠障害は相変わらずですが、今は一切薬は飲んでいません。

この回答者さんが、言われていましたが、愛している、愛していると言うけれど、それに対して、相手の愛を求めている!と
確かに私も、こんなに愛しているのに・・・と言う思いがどうしても拭えません。
どうしたら、その様な考えになれるのか、日々自問自答しています。
最近、その様な本を読んでいるのですが・・・どうしても、何でそんな仏様の様な考えが出来るのか?どうやったらそんな考えになれるのか?まだまだ、悟れません。

この回答への補足

ino-manさま、アドレスを頂き、ありがとうございました。今丁度目を通してきたところです。

そうですか、ino-manさまは奥様のメールを見てからのトラブルだったのですね。実は当方も同じトラブルが生じ、その時も離婚の危機が訪れたことがあります。番外編(?)ですが、当方ケースをご紹介します。

海外勤務していた際、当時は発展途上国に勤務していたので、半年から1年に1回、1ヶ月程度の休暇期間を与えられ、日本に一時帰国するくることができました。当時家は持ってなかったので、私の実家に1ヶ月間の居候です。
途上国に在住していると、娯楽が無いものだから、日本に帰ってくると弾けたように、買い物!友達と食事!家族でお出かけ!なんて日程がバンバン入って、直ぐ1ヶ月なんて終わっちゃうんですね。当時既に赤ん坊の娘がいたので、我々夫婦、別個に夜の飲み会に行くのなら、どちらかが夜、娘の面倒を見なきゃいけないから、手帳付き合わせて事前に綿密に予定を調整するわけです。この水曜日は私、それじゃあ私は木曜日、ってな具合です。

で、その日は女房が同期の女の子と飲み会に行くという日でした。夕方、出かける前の女房をみると、ばっちりメイク、そして普段履いたこともないセクシーな網タイツ。おーおー、妙に気合いが入ってるねぇ、と呑気に冷やかし、妻を送り出しました。

女房が帰ってきたのは終電時刻。私は、「疲れたので先に休むね」といって布団に入ったものの、なかなか寝付けず、それ以前に妻もなかなか寝室に来ないのが気になって、布団から出て居間に顔を出しました。すると妻が実家のPCに向かっていたんです。「もう夜遅いし、寝たら・・」なんて言いながら私が妻に近づくと、・・こういうタイミングって本当に恐ろしいのですが、PCが突然フリーズして画面が固まっちゃったんです。私が、あらら、そういうときはこうして、なんて復旧作業をしようとPCに触ろうとすると、妻がオタオタしてる。??と思って画面を見たら、メールソフトが立ち上がっており、書きかけのメールがありました。相手は、なんと私と結婚する直前まで付き合っていた元彼氏。「今日はとっても楽しかったです。どうもありがとう。また是非会いたいです」みたいな内容でした。

おいおい、同期の××ちゃんと飲み会じゃなかっのか?と聞くと、実は嘘だった、元彼と事前に連絡取り合って、今日の「逢瀬」をセットした、と。どうりでばっちりメイクで網タイツだった訳だ、と変なところで納得しましたが、それからもう、話し合いです。

何故嘘ついたのか、やましくないのなら嘘なんてつかなくて良いはず。変な話し、男と女なんて1泊しなくても、2時間あればすることできちゃう。焼け木杭に火がついたのか?と問い質しても、何もない、向こう(元彼)も家庭持ちだから、お互いの近況や子供の話をしていた、と。で、妻は逆ギレ気味に、「こんな状態で結婚生活は続けて行かれないから離婚しよう」なんて言い出す始末。私が三行半突き出すならいざ知らず、元凶作った本人が離婚しよう、ってどういうことだよ!と激しく言い合い、結局妻は「冷却期間をとりたい」と称して隣県に住む姉の家に娘と数日間待避。その間の私の心の中は大嵐。想像すると、妄想がどんどん膨らんで、妻が元彼氏と×××している想像がグルグル。気持ちが落ち込み、気が狂いそうになり、心療内科にいき安定剤や睡眠薬を出して貰いました。(思えばその手の病院に行ったのはその時が初めてでした)

で、私は思いました。何が起こったか検証不可能な事で悩んでも仕方ない。それよりも私がここで短気を起こしたら、ホントに離婚になってしまう。赤ん坊にも不憫な想いをさせてしまう。人間は間違いを犯す生き物だ。一々その都度断罪していたら、家庭なんて幾つあっても足りない。妻には彼に、「旦那に会った事が知れてしまったからもう連絡取らない」という内容のメールを送らせ、以降、その件は一切不問にすることにしました。一方妻の方は、「今後、喧嘩する度にこの件を持ち出されて攻撃されるのも嫌だから、離婚しよう」なんてまだ言っていましたが・・(これにはさすがに呆れました)。

とりあえずその山を乗り越え、我が家はとりあえず今があるわけです。しかし今回の山は、、相当高く険しそうだし、私も無傷で越えられる自信はありません。

離婚調停を申し出ている現在の妻。上記のエピソードは正直、今でも私の中でのトラウマになっています。ですので、妻は私と離婚したら、元彼とくっつくのかな?なんて思うことも多々あります(が、口には出しませんが。言い争いのネタに使わないって約束したので)

番外編ながら長々と失礼しました。

補足日時:2008/03/30 23:47
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この回答へのお礼

文字数の関係で補足の欄に書かせて頂きます。

お礼日時:2008/03/30 23:47

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