
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
釈尊は幼児に学校へ行って、学友とともに板を膝の上にのせて授業をうけたという文献を、故中村元氏がその著『ゴータマ・ブッダI』で紹介しています。
ヴェーダの学問は聖典を暗誦するものですから、板のようなものは必要としないのですが、釈尊が幼児に受けた学問は実学であり、文字に書いたようです。バラモンたちのヴェーダの学問とは全然異なったものを学んでいたようです。中村氏は、教師を自分の宮殿に呼びつけて講義を聞いたのではなく、学校へ出かけて行ったのだと古代インド人が考えていたことは、氏のいわれる釈尊の神格化はされていないので歴史的事実であったろうと記されています。
インド最古の文献「リグ・ヴェーダ」は、インドに定着したアーリア人によって前1200年前後に編纂されたと推定されていますが、当時のインドにあっては口伝伝承が当たり前の世界で、バラモンにあっても「リグ・ヴェーダ」、「サーマ・ヴェーダ」、「ヤジュル・ヴェーダ」のヴェーダ聖典は14世紀後半に南インドにおいて文字で記されるまで師から弟子に一字一句も誤ることなく口伝により伝承されていました(コーサンビー『インド古代史』岩波書店P.113)。ですから今日的感覚では当時のインド人のお経の伝承のありさまは理解しにくいかも知れません。
そのため古代インドでは暗記のために特別の訓練を幼少の頃から受けていたようです。古代インド人の暗記能力も潜在的にたかかったのかも知れません。
第一回の経典結集は釈尊の死後アーナンダが経典を暗誦し、それを他の弟子が唱和することにより認証するという形で経典が編纂されましたが、文字化は行われていません。釈尊はマガダ語で説法したと考えられますが、現存する最古の経典である『スッタニパータ』は、パーリ語で書かれており、前250~150年頃に現在の形にまとめられたようです。
No.3
- 回答日時:
仏典についてですが、お釈迦様が自分で書いたと伝えられる経典というのは残っていません(お釈迦様自身が説いたという経典はありますが)。
大部分の仏典、特に大乗仏典は、仏教が上座部仏教と大乗仏教に分かれた頃に書かれた物で、例えば法華経もこの時期の物です。しかし、お釈迦様の時代(紀元前5世紀頃)にインドに文字がなかったわけでもなく、例えばブラーフミー文字という文字(もっとも南インドとスリランカなどが中心ですが)は現存するだけで紀元前6世紀にまで遡ることが出来ます。
No.1
- 回答日時:
ブッダの時代には、釈迦族に文字があったと思われます。
紀元前1000年ころには、バラモン教の正典であるベーダが作られています。
ブッダの活動は、紀元前500年ころですから、ベーダの時代よりも後になります。
仏典の編纂が後なので、当時文字が無かったとする事にはなりません。
キリスト教の場合でも聖書の編纂は、キリストの時代から300年ほどたってからですし、コーランの編纂もムハンマドが開いてから50年ほどたってからです。
ちなみに仏典の最初の編纂は、ブッダの死後まもなく行われています。
この回答へのお礼
お礼日時:2008/04/12 15:34
入滅後、100年位に経典が書かれたと見聞きした様に記憶があったものですからお聞きしました。
早々有り難うございます、参考になりました。
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