No.10ベストアンサー
- 回答日時:
お返事いただきまして、ちょっと時間の関係で短めに。
>>「自分自身を見つめなおす」 簡単にできそうですが その基準を考えていると 疑問も生まれ難しく考えてしまいます 執着しない 煩悩を無くする 欲を持たない・・
>>俗にいう「上を見て暮らすな 下を見て暮らせ」 欲望を捨てることで 幸せを感じる それが お釈迦さんの教え(仏教)なのでしょうか?
これは違いますな。「上を見て暮らすな 下を見て暮らせ」ということでしたら、これは自分の幸不幸は他者によっていることになってしまいます。「自分自身を見つめなおす」という事は、自分の幸不幸を他者のせいにしないという事です。お釈迦様はパーリ『長部』「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(大般涅槃経)」(翻訳は中村元『ブッダ最期の旅』による)の中で
この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ
とあって、お釈迦様は自分と法をよりどころとして、他人をよりどころとしてはいけないとしております。そしてそうなるためにはどうしたらいいかについては続けて、
ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心によく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
とし、ここでは身体ですが、この後に感受、心、諸々の事象、について同じ様に説かれて、これこそが「自らを島とし、法を島とし、他をよりどころとしない」姿だとおっしゃっています。ここでも文中では「観じ、熱心に、気をつけて」とありますが、これはおおざっぱに言えば「自分自身を見つめ直しなさい」ってことで、それによって法をよりどころとし自分をよりどころとして他をよりどころとしない人になれるわけです。
>>お釈迦さんの教えの「縁起」ですが 「結果には必ず原因がある」 そうであれば この世の幸せは、すべての人は「平等」 または「公平」に暮らせることだと思います
>>その為には この世が平等・公平になっていない原因を見つけて除去する これがお釈迦さんの教えでないのかなぁ? と思ってしまうのです。
このあたりは私の文章読解能力不足と力不足の為ニュアンスでしか伝えられないんですが、例えば仏教学者の佐々木閑氏なんかは、お釈迦様の説く平等は一切皆苦ということで「平等に不幸」という意味でとらえておいでです。この一切皆苦の苦は原意を日本語に直訳すれば「思い通りにならないこと」となるそうです。ですから、一切皆苦というのは「すべての人は平等に思いどおりにならない」ってことなんですな。その点で、この世はそもそも平等で公平です。もし、この世の中を生きるときに「思い通りにならない」と思ったのであれば、原因は自分自身にあるとかんがえます。
こんなことを話しているとマイナス思考と思われがちですが、実はそうではありません。有名な詩人正岡子規の文章にこんなものがあります。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた
悟りとは死ぬのが怖くなくなって平気で死ねることではなく、どんな状態でも平気で生きることができることだったというのです。これは、大変上手に表された言葉だと思います。すべての人が「思い通りにならない」人生を生きている。しかし、「思い通りにならない」という事は、自分がないものねだりをしていたり、自分のプライドを守るためだったり、自分の中にある原因に目を背けて人の生にしてみたりするからであって、自分自身をちゃんと見つめなおすことができればその人生をちゃんと生きられるようになりますよってことだと思うんですよね。
なんかぼんやりですんません。
>> 仏教の教えは「心」の問題だけなのでしょうか?
もちろん心は大事です。しかし、仏教では心が私ではありません。五蘊化和合という言い方をしますが、簡単に言えば心を含めたいろんなものが集まって私というものを構成しています。もっといえばそのいろんなものが、他のいろんなものと関係しています。こういった関係性を仏教では一つには縁起といってみたり因縁といってみたり空といってみたりします。つまり、私の心が変わればその関係するたくさんのものたちに影響があるわけです。そうやって、関係するものたちとともによい方に向かっていくっていうのが仏教であり、その根本的な考え方は「自分自身を見つめなおす」ってことになると思うのですよ。
ちょっと、時間がなくてぼんやりした回答になりまして申し訳ありません。しかも、先の回答では途中文字数が切れてしまい、最後のお念仏が切れてしまい、自分の至らなさを感じるばかりです。急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛
再度お返事頂きありがとうございます 熟読して勉強いたします。
私の文章力がない為に疑問を適切に表現できないところが残念です
>この一切皆苦の苦は原意を日本語に直訳すれば「思い通りにならないこと」となるそうです。ですから、一切皆苦というのは「すべての人は平等に思いどおりにならない」ってことなんですな
「思い通りにならないこと」
人によれば我儘と思える欲望でそう思う人も居れば また物質的な「お金が無く」病気でも病院に行けない 学校にも行けない 生活も苦しい 物質的なことが原因になって家庭が壊れるなどの人も居られるのも現実です
「縁起」は それらを追求しその原因を探る? 原因が判明すれば それを正すこと
お釈迦さんの説かれた「縁起」はそこまで言われている?
私はそのように思えて仕方がありません。
私が日頃仏教に感じる印象は「心 その内面の持ち方」とか「死後の世界での幸せ」を論じているように聞こえ 先に書きました「縁起」とかの考えとのギャップがあまりにも大きく それで この質問をした次第です。
このたびは尊い教えを頂きありがとうございました 感謝しています。
またの機会にもよろしくお願いします。
No.9
- 回答日時:
人間には欲望があるからそれに振り回されて不幸に
なるのだ。
だから欲望を捨てれば、幸せになれる、というのが
核心の教えです。
それで欲望を捨てることが出来た人間が、仏陀
つまり悟った人、というわけです。
しかし、そんなこと出来る人間は限られています。
だから、後世の仏教家達は色々と考えます。
欲望を捨てなくても、お経さえ唱えればそれで
良いのだ、なんて考えも出てくるようになりました。
そうやって色々な派に分かれるようになりました。
ありがとうございました
>欲望を捨てなくても、お経さえ唱えればそれで良いのだ、なんて考えも出てくるようになりました
はい 私が聞いたのは それよりひどい?
教団と繋がりを継続し 正しい教えを持つ僧侶さんのお話をを聞く それが一番大切だと言われていました。 自分が正しく生きることなどは あまり大切ではないような教えです。
No.8
- 回答日時:
私が、空とか、智慧とかについて色々と思い巡らしているときに、ある方が次のような事を言っているのを目にしました。
「諸々の経典は、ただ一つの事を語っている。それは、真実にやさしい人は、あなたの身近に必ず現れる、それを自ら発見せよ。」と。
私は人生で初めて聞くようなその文言を聞いて、自分の考えてきた事が如何に外縁であって核心でなかったかをこころに知らしめられた気がしました。
諸仏の教えの内で、最も仏の教えの核心を突いているのは善知識だと私は思います。善知識こそが即ち真実にやさしい人であり、世における一大事因縁によって現れる一瞬の化身仏なのだと。
その本当のやさしさとは何かを如実に知って、人は不滅の安穏、ニルヴァーナに住することになるのだと。
以上、私の思うところとその見解と、伝え聞くところです。
教え ありがとうございます
「善知識」が仏教の教えの核心
その繋がりを理解するのは 私には もう少し時間が要るようです
勉強します
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
どうも、いろんな回答者さんに書かれているいわゆるクソボーズです。
しばしお付き合いください。>>仏教は私たちに何を教えようとしているのですか?
まず、こういったことを考えるうえで前提としておくべきことは経典についての事です。仏教をお開きになったお釈迦様という人は自身で筆をとって教えを残したという事はありません。お釈迦様自身は現在はマガダ語もしくは東インド訛りの言語でお説教をしていたといわれていますが、当時は文章として残すという事もされておりません。現存する経典はお釈迦様が入滅されてから口伝えで伝わっていたものを、二百年から三百年くらいたってから文献化したものです。その中で最も古い起源をもつのが東南アジアで伝えられたパーリ語といわれる言語で書かれた経典です。ただし、このパーリ語の経典も現存するものは五世紀頃のブッダ・ゴーサ師が編纂しなおしたものがベースにありますので、写本としての起源は五世紀以降という事になります。そして、中国語に経典翻訳がされ始めますのが、紀元前二世紀秦の始皇帝のころという伝説もありますが、実際に経典の翻訳が多く行われ始めるのが二世紀頃と考えられます。ですから、写本としてはパーリ語の経典より、中国語の経典の方が古いものも存在します。また、サンスクリット語やチベット語、その他多くのインドの言語に翻訳された経典が現在発掘されております。大変簡単ですが経典に関する前提は上述のとおりです。つまり、お釈迦様の教えを読み解くにはこういった経典を総合的に解釈していく必要があるわけです。しかし、文字数の関係からも細かな「○○語ではこう、○○語ではこう」というような検証はできませんので、上述の事を前提におきながらご説明していきます。
まず、何人かの回答者の方が「執着を離れる」という事を質問の答えにしておられますが、これについて仏教の経典の中で最も成立年代が古いものといわれているのが『スッタニパータ』というお経です。また、そのお経の中でも最も古い部分と考えられていますのが、四章と五章です。その四章『八つの詩句の章』(翻訳は中村元『ブッダのことば』に依る)の中にこんな一節が出てきます。
839 師は答えた、「マーガンディヤよ。『教義によって、学問によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、私は説かない。『教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』とも説かない。それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)」
この中ではお釈迦様はやはり「固執することなく」とあって、執着を離れることを説いています。しかし、その前の文章を見ると。「『教義によって、学問によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、私は説かない。『教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』とも説かない。」とあって、大変単純な言い方に変えてしまえば「こだわるな。こだわるなという教えにもにもこだわるな」とおっしゃっているわけです。
お釈迦様の立場はまさにそれで、例えば仏教からすればバラモン教の儀式は否定すべきものです。しかし、お釈迦様はただ単に否定することはいません。これはパーリ経典の中でも『長部』「シンガーラ経」(漢訳では『六方礼経』)にこんなお話があります。
お釈迦様があるとき、托鉢のためににふらふらしてると、目の前の家から一人の青年バラモン・シンガーラがが飛び出してきて、川に飛び込み、ずぶぬれ状態で、東西南北の四方と上下の計六方に礼拝し、そのあと六方に米をばらまきました。シンガーラは
「ふー、終わった終わった」
といいながら家に入ろうとすると、お釈迦様が
「何?何?今のどうしたの?」
と尋ねると、シンガーラは
「いやー、親父の遺言なんすよ。意味わかんないんですけどやめられなくて、とりあえず六方に頭下げて、米ばらまけばいいかって感じっす。」
と答えました。するとお釈迦様は
「いやいや、遺言を守るってのはいいけど、お父さんの意図が伝わってないと思うよ。東は生んでくれた両親、南は教えをくれる先生、西は妻子、東は友達、上は尊敬すべき修行者、下は土の中にいる虫とか小さな生き物、みんな幸せになってって思いを持たないと形ばっか整えても意味がないよね。」
と教えてあげました。すると、シンガーラは
「まじ、お釈迦様スゲー、一生この儀礼をかかさずやりますわ。」
文字数の関係上超意訳なので本来の翻訳はネットで調べてみてください。ここでは、本来否定されるべきバラモン教の儀式をお釈迦様はやめるようにはおっしゃいません。そのバラモン教の儀式を続けさせながら、仏教的な意味を上乗せしているだけです。
つまり、お釈迦様の立場は「こだわるな」(バラモン教の儀式をやめろ)という事にあるのではなく、「こだわるな。こだわるなという事にもこだわるな。」(バラモン教の儀式だからやめさせるという事にもこだわらず、バラモン教の儀礼をとおして仏教を説いていく)ということにあります。
では、このような立場に立つためにはどのようにしていくことが重要か。これが私の
>>仏教は私たちに何を教えようとしているのですか?
という質問の答えですが、それは「自分自身を見つめなおしなさい」ということです。「自分は執着しているのではないか?」「自分は執着するなということに執着していないか?」と自分自身を見つめなおし続けることが重要です。これは、『スッタニパータ』というお経と同じくらい古い起源をもつといわれる『ダンマパダ』(翻訳は中村元『ブッダの真理のことば・感興のことば』に依る)という経典の中に
63 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。
とあって、お釈迦様は自分自身の愚かさを知るものを賢者と説いておられます。このような「自分自身を見つめなおす」という考えは、すべての仏教に共通した考えです。私の知る限りではこのことを否定する仏教はないとおもいます。
>>来世に逝ったら 浄土世界に行けるように そのアドバイスをされているのでしょうか?
もしそうでしたら 宗派の中には簡単な準備で その確約が貰えるような教えもあるように思えるし・・ 宗派によって偏差値が異なるように感じます
>>そんなこと考えていたら 仏教は何を教えようとしているのか 的がつかめません。
たとえ、それが阿弥陀仏を説く浄土教であっても同じです。例えば、法然聖人もそのお言葉の中で『往生大要抄』には
初めには我が身のほどを信じ、後には仏の願を信ずるなり。
とあって、まず浄土に往生するために心の始まりは自分自身を見つめなおすことにあるとしています。また、親鸞聖人も『教行信証』の中で人間の真実の心について
外に賢善精進の相を現ずることを得ざれと、内に虚仮を懐けばなり
と説いて、外側に賢く見せようとか良い人に見せようとかするよりも、外側に賢くに見せようとした内側にいる愚かな自分に目を向けなさいとしています。
また、浄土教における自分自身のを見つめ直し愚かさを知って自分の力では悟りを開けないと知ったものが阿弥陀仏と出会い念仏称え信心得る事によって救われていくという構造は、『スッタニパータ』の中でももう一つのもっとも古い部分といわれる五章の中で、年老いて自らの限界を感じるビンキヤ尊者がお釈迦様と出会い念仏(ここでは仏を心で念ずる意味)によって信心を深めていく事(中村元訳では「信仰を捨て去れ」と翻訳されていますが、現在村上真完師等々の研究では「信を発せよ」「信を起こせ」と訳す方が正しいのではないかといわれます。)によって救われていくという構造の共通性が、ポール・ウィリアムズ(Paul Williams)氏の『Mahāyāna Buddhism:The Doctrinal Foundatins』というものの中で指摘されています。このように、最初期の経典においても日本仏教と共通する構造をもっています。こういった研究を無視して表面的なことで、各仏教を「これは仏教」「これは偽物」と判断するのは大変軽率なことで、私はそれを仏教を勉強する者が「分かってきたかな」という頃に必ずかかる中二病みたいなものだと思います。よくよくご考慮ください。
今回の回答としては、やはり私はすべての仏教に共通して言えることは「自分自身を見つめなおす」という事であると考えます。
また、他の人のかたの御返事に輪廻に関する質問がございますが、お釈迦様は輪廻説を否定してはいません。文字数の関係でここでは書ききれないので、私が前にした回答を挙げておきます。
仏教の教えの矛盾?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8874697.html?pg=1&i …
この質問者さんは仏教の無我説と輪廻説は矛盾するのではないか?という質問ですが、回答№18が私です。お釈迦様の輪廻説について『スッタニパータ』の最古層から抜き出して論じております。参考にしてください。
長々書き連ねましたが回答になっていましたでしょうか?急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無弥陀佛
お礼が遅くなりすみません
ご丁寧な長文ありがとうございます
まだまだ知識不足で理解も的確できてないと思いますが・・
「自分自身を見つめなおす」 簡単にできそうですが その基準を考えていると 疑問も生まれ難しく考えてしまいます 執着しない 煩悩を無くする 欲を持たない・・
俗にいう「上を見て暮らすな 下を見て暮らせ」 欲望を捨てることで 幸せを感じる それが お釈迦さんの教え(仏教)なのでしょうか?
お釈迦さんの教えの「縁起」ですが 「結果には必ず原因がある」 そうであれば この世の幸せは、すべての人は「平等」 または「公平」に暮らせることだと思います
その為には この世が平等・公平になっていない原因を見つけて除去する これがお釈迦さんの教えでないのかなぁ? と思ってしまうのです。
仏教の教えは「心」の問題だけなのでしょうか?
今回質問の動機は こんな思いがあったからです。
このたびは詳しく分かりやすい説明 読み直して勉強させて頂きます
本当にありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
一言で言えば
「希望を捨てないで暮らしやすい世の中を目指すための役割の一つを自分なりに生きていきなさい」
ということだと思います。
いかに(四諦八正道)
動的な世の中で(諸行無常)
わがままでない普遍性(諸法無我)
を追求していくか。
ということを詰めようとして展開してきた結果
そういう方向性が見える体系に発展してきたという解釈が可能だと思います。
お礼が遅くなってすみません
現世に目を向けた生き方 それが大切なのですね
現世の生き方は来世の幸(浄土)せを願うものではではないのですね。
そう考えたいですね ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
本来の?と付けるべきでしょうが。
仏教とは、質問者さんが考えるものとは、多分に正反対のもの、になります。日本は仏教国ではありません。インド人が日本の寺、仏象、などをみると。日本はヒンズ-教の国だ、と思うでしょう、それは多分に正しい認識となるでしょう。分派、分裂、してゆく様に、歯止め、が必要、と考えた、世界の仏教界は、3法印、4法印という、どこまでが仏教と認められるか、の枠組みを定めたました。
1 諸行無常 常なるものはない。世界は変化してゆく過程といて、常に、今、ある。
2 諸相無我 世界の存在形式に、我、は無い。我がなくとも世界は在る。神は存在しない。
3 一切皆苦 人間の一切は苦である。と知恵によりて見る者は自らの苦悩を癒す(ブッダ)
4 涅槃寂静 悟った者の心は静けさ、がある。
この4つを、教義に掲げている宗派は、仏教(釈迦の思想)と認める 4法印
4っを掲げていなくとも、一切階苦、涅槃寂静どちらかが欠けていてもよい。 3法印
法印に照らすと。日本には仏教と認められる宗派は無いと言うべきでしょう。仏教に接近したければ
ホテルなどに、キリスト教の聖書と共に置いておいてある。「仏教経典」という本を読むと。仏教にたいする認識が変わるとおもいます。
四諦の法門、苦集滅道、四諦八正道、なと゛が法門、仏教の入門、と言われる、考え方です。
最も、釈迦の教えに近いと私が見るのは。「世界の歴史」に見た一節
釈迦はかって修行を共にした、5人のバラモン修行者を前に次ぎのようにかたった。
修行者たちよ。 ここに4っの真理がある。
苦と苦の起源と、苦の滅と、苦の滅と、苦の滅に至道、とである。
生も苦 死も苦 なら 愛する者と離別するのも苦であり 好まぬ者と結合するのも苦 である。
苦の起源 とは何か
喜びと貪りとを伴い、あれこれと執著する愛執質である。
苦の滅 とは何か
愛着の心を残りなく 捨て去ること である
苦の滅に至る道 とはなにか
八っの 正しい道
1、正しい思惟 2、正しい見解 3、正しい言葉 4、正しい行為 5,正しい生活
6、正しい努力 7、正しい思念 そして 8,正しい瞑想 である。
仏教が変質するのは、
「理法を好む者は栄え、理法を厭う者は滅びる。これが第一の破滅への門 である」(ブッダ)
というのがありますが。
総ては縁によりて起こる。(縁がなければ何事も起こらない)
縁起の理法、が理解されない、伝わっていない事、が一因にあるようです。
何故理解されないのか。釈迦はこの世界は縁によって起こっている。根源としてあるものは、縁、と起、である。時間と空間の中での、因果律、ではないのです。別の言い方をすれば、縁が時間であり。起、きているのが、空間、あるいは、世界、である。と最先端物理学が遠く及ばない事?、を考えているのです。
ありがとうございます。
日本の仏教宗派は「輪廻転生」を肯定し それが重要な基本となり いろんなことが言われていると思い この質問になりました
教えて下さい
お釈迦さんの教えの中には、来世に関することは言われてないのでしょうか? 現世を対象した教えばかりなのでしょうか?。
日本の仏教では 大きく「阿弥陀さん」の存在がありますね 阿弥陀さんは 来世の教えばかり? ですよね
その辺のところも どう繋がっているのかわかっていません。
よろしくお願いします。
No.1
- 回答日時:
私は仏教徒でもなんでもなく、以前祖父の葬儀がった時に、仏教についてちょっと調べたことがある程度です。
まず今日本に伝わっている仏教と、本来の仏教とは全く異なるというのが私の見解です。
本来のブッダの教えは、原始仏教、南伝仏教や小乗仏教と呼ばれるものです。
そして、日本に伝わってきている仏教は、中国経由で伝わってきた北伝仏教であり、大乗仏教とよばれるものです。
本来のは「欲望から離れなさい」というブッダの教えが、昨今の大乗仏教では「現世利益を実現」になってしまいました。
私も含め、多くの人々がお寺にお参りに行って「家内安全」や「交通安全」などなどを願っていますよね。
これは大乗仏教がブッダの死語数百年かけて、時の権力者が民衆を操るためにその教えを都合の良いように改変した結果です。
従って、質問者様が抱いている疑問は当然であり、日本に伝わっている仏教には多くの矛盾点が存在します。
ですから、仏教の本来の教え、核心となると、ブッダがある人に言ったという「何物にも執着してはいけない」というのが本来の教えなんだと私は考えております。
ありがとうございます
お釈迦さんの教えは 私も小乗仏教なのではと思っていますが・・
ただ お釈迦さんは出家して修行している者のみが救われことが良いと思われたのでしょうか?
いや そうでなくすべての人が救われるべきだと思われていた?
すべての人が救われるとなれば大乗仏教
その辺のことを考えていたら 何も分からなくなり この質問に戻ってきてしまいます。
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