出産前後の痔にはご注意!

初めての質問ですが、随分前から知りたかったことがあります。
どうかどなたか、どんな小さなことでもいいので教えて下さい。

お釈迦様が苦行を終わりにする決意をした時、
森を離れガヤーという地でスジャータという女性と出会い、
乳粥の施しを受けたという話は有名ですが、
お釈迦様が体力を回復し悟りを開き、
ガヤーを離れるまでの期間、
そのスジャータの暮らしぶりと
お釈迦様とどんな係りがあったのでしょうか?

ついでに由来になっている商品の宣伝では「褐色の恋人」というコピーがありますけれど、
善意以上に互いに異性として意識はしなかったのでしょうか?
誰の恋人だったのでしょうか?

A 回答 (4件)

#3です。

続けてすみません(^^;

乳粥とは母乳で作った離乳食みたいなもので、母乳を直接飲ませたわけではないと思います。(紛らわしくて申し訳ない)
本で見たスジャータのレリーフは結構エロティックで胸もはだけてたので、その場で作ったとも考えられますが、たぶん家で作って持っていったのでしょう(笑)

それと、訂正ですが
>バニヤンという聖樹
ではなく バニヤン樹の聖樹 でした(謝)
バニヤン樹とはイチジク属の木で「ベンガル菩提樹」とも呼ばれる木で、願ったものをすべて与える「如意樹」としても尊ばれていたそうです。
いまだにインドでは不妊症の人や母乳の出ない人がよくお参りしているとのことです。

スジャータの村からはけっこう離れているところにあり、お釈迦様も人里の近くで修行してたわけはないでしょうから、偶然の中の偶然(人によってはそれを必然とも言うw)の出会いだったのかもしれませんね。
私が思うに、スジャータは悩みや苦しみをたくさん抱えた女性だと思っています。それでも尚且つ一所懸命生きていて、自分が貧しくても施す心を持った優しい姿に、お釈迦様は心を打たれたのではないかと思います。
お釈迦様の平等観はスジャータが原点になってると考えたりしてます。

ただし、私の知っている説はあくまでもこういう話もありますよって事です。正式な記録がないので誰もスジャータの本当の姿は分かりえません。質問者さんの想像したスジャータが真実かもしれませんよ(^^)

この回答への補足

※スジャータさんに関する補足

スジャータはコーヒーフレッシュに商標登録されている商品名ですが、
スジャータさんが施した「乳粥」はインドにあって、「カルピス」というそうです。
カルピスの意味は「醍醐味」「大変美味しく感動する」「初恋の味」とかもいいますね♪

それからスジャータという名前の由来は「善人」
シッダールタは「種馬」だったかな?

ブッダガヤにはお釈迦様が解脱するのに邪魔になった、「リンガ」を置いていったそうですが、いつのまにかなくなってしまって、今は拝むことが出来なくなっていますが、東南アジアでは商売繁盛・子孫繁栄のお守り?・・・よくお店に飾って拝まれてます~~~。

ついでに・・・・インドの秘儀(謎)で「スジャータ」というのがあって、「母乳プ○イ」らしい・・・・・・・・・・・・・。

補足日時:2005/05/20 15:46
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この回答へのお礼

monkshoodさん再来ありがとうございます。感謝です。
そして返事がおくれましたこと申し訳ありません。

因みにお釈迦様自身がこの伝説を書き残していたのではなく、死後弟子達によって派閥も出来経典が作られたのですよね。
私も検索したり本を探してみましたが、スジャータさんのことを詳しく書かれているものはなかったです。

手塚治さんの「ブッダ」のスジャータは少女で、シッダールタの危機を救ったり、成長して振られてしまって自殺を図ったりでしたが、生死をさまようスジャータをシッダールタは「あの世」まで行って魂を取り返してくれスジャータは息を吹き返してた。でもそこにシッダールタの姿はなく、切ないスジャータなのでした。

スジャータのレリーフを見てみたい~。
ドラクロワの「自由の女神に導かれる群衆」をスジャータに重ねる私。
社会の恒常性に関心を示す男性(勇者)が次々と倒れ行く。
女は視野が狭いようで、赤い血を白く甘い栄養に変える柔らかな乳房がある。内なる恒常性の象徴と思ってます。

スジャータが教えた悟りと自由?輝く魂の原点?
仏典は難しすぎて、悟りの内容はよく判りませんが、
唯の村娘だって素直に必死に生きていた。
疲れた顔しているのは「自我(エゴ)」を隠そうとして不自由と戦う知識人なのかもしれませんね。
2500年経っても人類は争いが絶えずあまり進歩してないし。

日本にも菩提樹があるかな?
バンコクで見たことがありますが、当時はあまり記憶がありません。
いつかブッタガヤーを訪れてみたいです。

こういう風に語り会うことで私の妄想が膨らんでしまって、でも現実逃避こそが私の実態を蘇らせてくれそうで楽しいです。
普段はボケボケなんです(泣)
お付き合いありがとうございます♪

お礼日時:2005/05/20 01:03

お釈迦様はスジャータの乳粥を食べた後、川を渡り菩提樹の下で禅定(瞑想)に入り、夜までに魔王軍を追い払い、3夜で智の開顕(解脱)をし、7日間境地を遊興したあと、検証をおこないに行ったらしいですから、スジャータと一緒に暮らしたわけではないです。


スジャータとは一度きりの出会いではないでしょうか。

一説によりますと、スジャータは結婚していて子供もいたのですが、乳の出が悪かったそうです。そこでバニヤンという聖樹に祈願したら(日本でも姥杉とか姥神といって神木に乳が出るように祈願することがありますが同じですね)乳の出が良くなったので、お礼に乳粥をお供えに行った。そしたら、バニヤンの樹の根元にお釈迦様が行き倒れていた。そこで、何かのお導きだと思ってお釈迦様に食べさせた。とのことです。
スジャータの方にも恋愛感情は無かったことでしょう。

ちなみに、乳粥はスジャータの母乳で作られたものという説もあります。カーストの厳しいインドでは、最上位の王族出身のお釈迦様が、最下層(それ以下?)のスジャータの乳を飲むということが大変ゆるされざる行為だったため、受け入れられなかったのでは、ということもあるそうです。
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この回答へのお礼

monkshoodさん お礼が大変遅れました。申し訳ないです。
それでmonkshoodさんの説(?)ではスジャータさんは既に結婚・出産していて、お乳の出が良くなり張って苦しいところに出くわした精霊の木の人に感謝を込めて自らのお乳をしぼって与えた!?ということですよね。(←妄想しすぎ?)
それもあり得る説と思います。
お乳は精神的ストレスで出なくなったりするので、スジャータさんは健康そのものな女性だったのでしょうね。

健康が一番! 王族でも求道者でも健康を損なっては悟ることも慈しむことも困難、平凡で健康なスジャータさんこそ非凡な才能の持ち主?

お礼が短いのですが、又追記します。では

お礼日時:2005/05/18 02:28

参考までに


ゴータマが選んだ施しも受けない難行苦行の結果、ゴータマは骨と皮の形相すさまじい修行僧であったのですね。川で沐浴すると木のように流されていくようなひどい状況ですね。そこに妖精のような娘がきてミルク粥を差し出したのですね。ゴータマは、それを受け取り飲み干しましたが当時の修行僧の常識では堕落したということですね。でもスジャータをみて、自分と村娘とどちらが立派にみえるかといえば村娘ではないかと考えたのですね。美人だったかどうかはわかりませんが、骨と皮のゴータマからみればは生命がひかり輝いていたと思いますね。この気付きが「苦楽の中道」つまり苦行の中にも王子のような楽な生活にも悟り無しに発展、その後ゴータマは、施しを受けながら修行をし、悟りを開き仏陀となりますね。その意味で、スジャータは苦楽の中道理論の貢献者と同時にまた、ゴータマが布施をうけた最初の人でもあったということ
ですね。スジャータが本当の村娘であったのか、精霊が化身してゴータマを助けたのかは知りようがありませんが、その後の話にはスジャータは出てきませんので本当は精霊が化身だったもしれませんね。これは想像ですから気に留めないでください。でも2500年もの間名前が残る功徳だったのですね。だから施しは大切ですね。
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この回答へのお礼

mmkyさん回答ありがとうございます。一度お礼を書いたのですが、なぜか消えてしまっていて。大変おそくなりすみません。

mmkyさんの説(?)では精霊かもしれないということですね。
そうかもしれないです。
実は私もお釈迦様が生後まもなくで実母を亡くされているので、お母様の精霊かも?って思うのです。
人の最期は「おかあさん」と発するのが一番多いそうです。
きっとお釈迦様も偉大な母を呼んだ??
なんて思うのです。
施しは母なら当然当たり前に差し出しますよね。
恋愛ではなくても一度きりの出会いでもきっと慈しむ気持ちはかわらない。
親子の愛だったのだろうか???
それも素敵な逸話ですね。ありがとうございます。

お礼日時:2005/05/18 02:14

おはようございます。



幾冊か私も仏陀に関する本を読みましたが、その知識から鑑みるに、スジャータと仏陀が「通りすがり」の関係であり、すれ違った際に、悟りの境地を開かんとする、その魂の輝きに惹かれて「施し」を行ったのだと思いますよ。そこには多分、なんら「恋愛感情」と言うべき「生臭い」とされるものは無かったと思うのですが・・・
この教えは、スジャータの件がよく取り沙汰されますが、それよりも「中庸」を教える為の件ではないかと思います。苦行を止めて施しを受けた仏陀に対し、「堕落した」と、兄弟子(だったと思うのですが)は離れていきます。しかし、張り詰めた弦はすぐに切れてしまうし、緩すぎる弦では音が奏でる事は出来ません。全てに於いて「丁度良い加減」と言うものがあり、その加減を会得したときに初めて、悟りが開けるのではないかと、勝手に解釈しています。

因みに「褐色の恋人」の褐色は、「コーヒー」の事じゃないですかね(笑)

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

sophia35さんおはようございます。
そしてお初回答本当にありがとうございます!
回答が付くまでの間不安ばかりだったのに、善意で輝く魂の回答頂けると嬉しいですね。
私の魂も輝いておりますよ~~~(笑)。

魂が輝き良い音色を出すには、他より特別に立派とかの比較からではなく
丁度よい負荷を見出すことではないかと私も思っていました。
「中庸」は極端を克服するのではなく避ける知恵なんですよね。
お釈迦様は高い次元のことを既に理解していたと思いますが
また違う次元の出会いに久々の新鮮さを感じたはずだと思っています。

お釈迦様にも子供が居たので性欲は普通にあったはずで、それを超える使命感・充実感・達成感をもたらしたスジャータさんの魅力とは何か?
そんなことも考えてしまっています。

「褐色の恋人」スジャータはなるほどコーヒーと良く合います! 
お釈迦様の悟りとコーヒーは無関係でも(笑)異質なものが溶け合うといいことがある!?って例えですね。

お礼日時:2005/05/15 12:40

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Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q乳首から角栓に似たものが出てくるのですが病気ですか?

最近、片方の乳首に角線(鼻の穴をぎゅっと押すと出てくる黄色いもの)のようなものがたまるようになりました。

最初は、垢とかが乳首の穴のくぼみにたまってできた塊かなと思っていて、気にもしなかったのですが、ふと乳首を絞ってみると、鼻の角栓のように出てきたので、これは乳が分泌してできたものだと気がついて、不安になりました。

最近この乳首がむずがゆくなるようになり、熱を持っているような感じがするときがあります。
角栓は水っぽくは無く、微量で、無理をして押し出さないと出てはきません。
時間がたって、気がつくと黄色い角栓のようなものが乳首のくぼみにあるという感じです。

これは何かの病気でしょうか?

Aベストアンサー

お礼をありがとうございます。妊娠、出産されていないということで。。。
おそらく、体の準備がととのったということではないでしょうか?お年がわからないので、わかりませんが、時間がたって、きずくと黄色のものがでているのか、、産後の最初の母乳は、初乳といって、一番赤ちゃんにとって、栄養のあるものだそうで、それは、白くなく、黄色に近いクリーム色です。当然、赤ちゃんが、最初に、口にするので、清浄綿できれいにし、角栓をとり、少し絞りだしてからふくませます。外から、ばい菌が入らないように栓をしているのではないでしょうか?それをとってしまうと、また、あたらしい栓が体から、分泌されるので、気になさらないでいいとおもいます。

また、ついでに申し上げますと、人によりますが、初乳は、1~3日の2,3日しかでません。あとは、白っぽくなっていきます。それが、母乳です。ですから、私のような、径産婦は、白い角栓がでるのかもしれません。でも、また妊娠すると、同じように白い角栓をとり、しぼると初乳はでてきます。赤ちゃんひとりひとりにちゃんと、初乳はでます。

それから、話が変わりますが、ブラはサイズがあっていますか?左右で胸の大きさがちがうと大きいほうに当然あわせますよね。そうすると、ちいさいほうのカップに空きができ、レースなどにこすれてむずがゆくなります。そのような場合は、乳漏れ防止などのパットが、使い捨てのものか、洗いがえできるものが、売っていますので胸の大きさを同じにすると解消するかもしれません。私としては、洗いがえのほうをお勧めします。使い捨ては、紙なので、かさかさして、違うところがかゆくなる可能性があります。洗いがえのほうは、綿なので肌にはいいです。

水っぽくないということなので、うみではないと思います。出てきたものは、表面だけきれいに洗って、むりに、絞る必要は、ないです。又体から自然に分泌されます。取っても、取ってもまた、出てきます。外からのばい菌をふせいでいるんだと考えてください。病気ではありません。大丈夫ですよ。^^
とても、デリケートな部分なので、かゆいからといって、かくと、熱も持ちます。清潔にしていれば大丈夫です。たまに、ボディークリームと、ブラの調節で、解決すると思います。

お礼をありがとうございます。妊娠、出産されていないということで。。。
おそらく、体の準備がととのったということではないでしょうか?お年がわからないので、わかりませんが、時間がたって、きずくと黄色のものがでているのか、、産後の最初の母乳は、初乳といって、一番赤ちゃんにとって、栄養のあるものだそうで、それは、白くなく、黄色に近いクリーム色です。当然、赤ちゃんが、最初に、口にするので、清浄綿できれいにし、角栓をとり、少し絞りだしてからふくませます。外から、ばい菌が入らないように...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q卒業検定に落ちた人!

卒業検定に落ちた人!
(ペーパー試験じゃなくて、実技の方)

どの理由で落ちたか教えてください。
あと10日程で、卒業検定です。
参考にさせてください。

Aベストアンサー

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返しで
抜けられるところ,未熟なため列から抜け出せず
全員が100点原点で不合格になった(実話ですよ)

ポイントは状況判断ミスと走行不能による検定中断になったため
一般的なことは皆様書かれているようなことで
おそらく,質問者様もある程度予測できていることも
あると思います
上のような,予測不可能な事態に巻き込まれたとき
如何に判断して抜け出せるかだと思います

運とか,こういう場面に出くわす確立とか
ありますが,平常,冷静を保つことが大事です!!

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返し...続きを読む

Q煩悩ってどういう意味ですか?

煩悩(ぼんのう)ってどういう意味ですか?
辞書で調べても難しくて理解できません。
具体的に、わかりやすく教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
 
  煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。
 
  仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。
 
  しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。別に和服でなく、洋装でも構わないのです。また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。
 
  あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。極楽じゃ。しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。
 
  また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。
 
  大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。
 
  仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。
 
  もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。これも煩悩か」などとなります。
 
  「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。
 
  これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。
 
  煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。(ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。
 
  煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。
 
  肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。
 
  人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。
 
  「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。
 
  世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。
 

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
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Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q「ビバ」とはどういう意味か?。

 「ビバ」
 という言葉がありますが、どういう意味でしょうか?。
 
 用例
 ビバ!埼玉
 ビバ!兄弟

 などなど・・・。

Aベストアンサー

イタリア語でバンザイですね。「viva」

Q"Can you celebrate?"ってどういう意味??

安室奈美恵さんの「Can you celebrate?」
という曲がありますが、そもそもこの英語はどういう意味ですか?
(誰が誰に対して言っている言葉なのでしょう・・・)
「Will you celebrate our marriage??」
とかならわかるのですが、celebrateが自動詞ではおかしいと思うのですが・・

Aベストアンサー

中傷だけで終わるのも何なので補足します。

Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。質問者さんは、「Can you celebrate?」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。

例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。これは明らかに米英人はしない間違いです。意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という意味にしか聞こえない)。こんな間違いは英語の歌詞にもないでしょう。

結論を言うと、「Can you celebrate?」は微妙なところだと思います。「Clean Elaser」ほどひどくはないけど、英米人は言わないでしょう。でも、歌詞になら使ってもおかしくはない・・かな??という感じです。聞くひとも、意味はかろうじて推測できるかなという程度だと思います。賢いひとなら、こんな詩は書かないでしょうね。

慣用だからとあきらめずに、正しい英語を使おうと努力する姿勢を評価したいですね。

中傷だけで終わるのも何なので補足します。

Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。質問者さんは、「Can you celebrate?」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。

例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。これは明らかに米英人はしない間違いです。意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という...続きを読む

Qダブルルームとツインルームの違い

ダブルルームとツインルームの違いを教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

海外のホテルの場合ですが、国内もほとんど同じと考えてもらってもかまわないと思います。

部屋の広さ的には、ダブルルームもツインルームも同じ大きさの場合が多いです。
違いは、ほかの方がたが書いていらっしゃるように、
ダブルルームはダブルベットが1つ設置。
ツインルームはシングルベットが2つ設置。
です。

Q日蓮正宗ってやばいのでしょうか・・・

日蓮正宗(カルト集団と呼ばれる)に・・・
という質問を見たことがあるのですが
そうなのですか?
自分が日蓮正宗ながら知りませんでした。
数珠が皆と違う事と
お花はダメとされている事はなんでだろ~と
思ってましたが、カルト集団と呼ばれる
宗教だったと思ってませんでした
そう思われてるのでしょうか。。

Aベストアンサー

日蓮正宗は、カルトではありません。
日本では、「カルト」の定義が誤って考えられています。
「カルト」とは、宗教団体の開祖か開祖に直接かかわった人達が、教団の中心となっている時期で、教団の方向性が確定していない時期を指します。
カルトの次の段階が「セクト」で、教団が安定化してくる時期で、だいたいカルト時代の人達を知っている・指導を受けた人達が、中心となってくる時代を指します。
次の段階が「チャーチ」で、教団が安定化する時期になります。

そのため、日蓮正宗は、完全に「チャーチ」の時代で、教団も安定化しています。
創価学会による信徒の大量離脱で、揺れる事はあっても、基本的には安定化した集団とみてよいでしょう。
一方の創価学会は、実質池田氏の始めた宗教で、完全に「カルト」時代です。
そのため、創価学会は、国際的にも「カルト教団」と認識されています。
(カルトとは、危険教団という意味ではありません。カルト時代にあるという意味です)

質問者のご心配は、以前創価学会が、日蓮正宗に属していたため、現在でも混同されている方の声を聞いたからではないでしょうか。

日蓮正宗は、カルトではありません。
日本では、「カルト」の定義が誤って考えられています。
「カルト」とは、宗教団体の開祖か開祖に直接かかわった人達が、教団の中心となっている時期で、教団の方向性が確定していない時期を指します。
カルトの次の段階が「セクト」で、教団が安定化してくる時期で、だいたいカルト時代の人達を知っている・指導を受けた人達が、中心となってくる時代を指します。
次の段階が「チャーチ」で、教団が安定化する時期になります。

そのため、日蓮正宗は、完全に「チャー...続きを読む


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