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仏教の正保・像法・末法の期間について
いろいろな説があるそうですが、どのような説がありますか?

A 回答 (12件中1~10件)

>>552年説ですか?疑問符の方がいらっしゃいますので、ご意見にお答えください。


 こちらの方は、そちらの方の質問への回答の中に書かせていただきました。
>>そうなんですか?曾我入鹿の戦い(また誤字かもしれませんね)など、暗殺や殺害が繰り返されていて、わたしには平和には見えないんですけど。
こちらも、今と比べちゃいけませんよ。鎌倉新仏教と呼ばれる仏教が生まれた頃の時代背景は、源平の合戦やら承久の乱やら大きい戦が立て続けにあって、政権は天皇から武士に変わっちゃうわ、東大寺が燃やされちゃうわ、兵士の落ち武者が物騒なお坊さんになるやら、疫病が流行るは天変地異が多発するは、元が攻めてくるわで、やっと「末法やばいぜ」ってことになるわけです。それに比べれば、平和だったんだと思うんですよ。当時強盗なんて当たり前ですからね。清少納言なんて入ってきた強盗に「こいつ、女か?」と馬鹿にされると、下半身を見せて「あたしは女だ。」と一喝したなんて話が残ってますからね。今の感覚の平和と、当時の感覚の平和はちょっと違うと思いますよ。

>>これもわたしのあやふやな仏教理解なんですけれど、何万年か先に弥勒様が現れて救われるという信仰ですよね。これって三時思想と矛盾しませんか?末法になると釈迦の教えが衰えて通用しなくなるんですよね。それで大乗教が重要になる。それで救われるんですよね。
これは違いますね。まず、末法とは「教(教え)」「行(修行者)」「証(悟り)」のうち、「教」だけが残っていますが、衆生の機根(才能)が低下してしまうために、修行が出来なくなってしまう時代です。これは、お釈迦様の仏教や大乗仏教問わず、仏教全体に対してです。しかも、仏教の教理が衰えるわけではなく、仏教を聞く側である私達の機根(才能)が衰えることで、結果的に仏教が衰退するという考え方です。問題点は、仏教にあるのではなく、それを聞く私達側にあります。
そして、この時「末法に住まう機根の低下した衆生(凡夫)も、悟りを得ることが出来る教えはないか?」というところから生まれてくるのが鎌倉新仏教と呼ばれる諸宗派になるわけです。
>>何万年後かに現れる弥勒でなければ、本当は救われないのですか?
一応、一般的には五十六億七千万年後といわれますね。

>>末法の大乗教も1万年で効力をなくし、その後は弥勒信仰でなければ救えないのか?
>>末法1万年説を採用すると、弥勒が現れる2万数千年後?までの空白期間の人間は救われないのか?
法滅を迎えてしまえばそうなりますね。というより、仏教が滅んでしまえば弥勒信仰とか救いとかそういう事自体も、人々は知らなくなるでしょうね。とりあえず、弥勒の出現に関してはパーリ語聖典の「長部経典」の『転輪聖王獅子吼経』に詳しくのっていますが、ある意味すごい内容ですよ。
仏教が滅んだ後、どんどん人が悪くなって、仏教で言う十悪だけの世界になります。しかし、仏教が滅んでいますから、それが悪だなんて誰も思いません。寿命も悪いことばっかりしてますから、みんな十歳くらいになってしまうそうです。けれどもそんな中、「あれ、こんなことじゃいけないんじゃないか」と思い始める人物が生まれます。そんで、まじめに暮らしたいという人たちが、悪を犯さないように生活をし始めますと、次の子の代から寿命が延び始めます。そして、その寿命がずいぶん長くなってきましたが、生老病死の問題が解決されないと思い始めます。すると、やっとこ弥勒仏がこの世に現れて仏教を説かれるってことになっています。
これも宗派によって解釈が異なりますが、直接の文章を読むとこんな風に書いてあります。

>>「弥勒菩薩信仰」は、キリスト教の世紀末思想、メシア思想に良く似ていますね。
確かに似ています。ただ、法滅の思想は、キリスト教の終末思想のように世界自体が終わってしまうようではないようです。
>>道元は名前くらいは聞いたことがあります。曹洞宗ですか。あまりその宗派は見かけません。わたしが関心がないのかも?
日本で東西を合わせなければ、浄土真宗よりお寺の数は多いはずですよ。

>>末法を励ませるためとはどういう意味なんでしょう?
>>これは曹洞宗の方にお聞きしたほうがいいですね。
 ちょっと言葉が悪かったですかね。すいません。簡単に言えば「こんな風に仏教を廃れさせないようにがんばなさいよ。」という意味で末法を解釈したんですね。だから、「世間が末法といってもそんなのは関係ない、仏道修行に励むべきなんだ」と考え、道元禅師は「只管打坐」とにかく座りなさいという事を強調するという見方も出来ます。
長くなってしまいました。申し訳ないです。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀仏
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つづきです。


>>アビダルマもやはり小乗なんですか。

いえいえ、私は「アビダルマ」を「小乗」と呼ぶのではないかと考えています。

>>中村さんの言われる >分析はあまりにも細分化されすぎて
>>は大乗に対してだったような記憶があるんですが、わたしの記憶違いだったんでしょうか?

そう述べておられるところもあると思いますよ。大乗も追々難しい理論を展開していくことになります。その表れとして、大乗経典は比較的一般的だったパーリ語(ただこれも諸説あり、それほど一般的ではなかったとも言われます)ではなく、宗教の専門的な言語であったサンスクリット語による表記が中心になっていきますからね。しかし、書いてある内容は大乗の方が物語的で大衆向けという言い方もできますね。

>>この辺は専門過ぎてよく分かりませんでした

出来るだけ分かりやすく説明しますと、現在では「大乗」は「上座部系の部派仏教」すべてを「小乗」と呼んでいたと思われていますが、大乗が対象としたのは上座部系部派仏教の中でも「説一切有部」という派閥が中心であり、大乗は上座部系部派仏教の中でも「アビダルマ仏教」と呼ばれる細かい注釈や一般人には理解しにくい理論展開を中心にした派閥を「小乗」と呼んだのではないかと考えるわけです。

>>今までのブッダ観と違い新鮮です。複雑な論は展開されていなく、すっきりした感じです。わたしは
こういった方が仏教を理解できそうです。
 大乗仏教だと仏陀は超人的ですからね。私は上座部の分かりやすさは見習うべきだと考えていますよ。

>>そのお経を書いた方が、自分自身の自戒のためにそのようなことを書いたのかもしれませんね。
>>『涅槃経』はブッダが説いた教えとされていましたが、ブッダの死数百年後の大乗時代にインドか中国の僧侶がまとめられたんですよね。

『涅槃経』も、大乗と上座部に伝わるものでは違いがあるそうです。あらすじは同じなのですが、大乗の方には「一切衆生悉有仏性(すべての生きとし生けるものに仏になる可能性が秘められている)」というような大乗的要素が加えられていますから、一概に『涅槃経』といってもどちらによるかで違いがあるはずです。とりあえずここで私が言っているのは大乗の『涅槃経』です。

>>するとブッダの力、権威?は、あまりなかっとかまで疑ってしまうのは、わたしだけでしょうか?

なぜこういうことが起きるかというと、お釈迦様を頂点とした一枚岩の教団ではなかったようです。ふつうであれば、自分を頂点としたピラミッド式の教団を作るのでしょうが、お釈迦様はそうされなかったようです。もちろん時には集まってお釈迦様のお話を聞いたりしていたでしょうが、普段はそれぞれいろんな場所を中心に修行を積む小さな集団があったようです。お釈迦様ご自身は教団の統率者であるという意識を持っておられたかどうかは、難しいところですね。
ですから、「来るものは拒まず、去るものは追わず」だったんだと思います。

>>宗教は仏教に限らず、時代が経つごとに細胞分裂のように新派が誕生してきますね。
>>日本の仏教もそうですよね。人がそれぞれ考え、達観すること、人が違えばそっくり同じ考え、思>>考、理想、理念というものはありえない。分裂、分派するのは当然、必然なのかもしれませんね。

 しかも厄介なことにお釈迦様の立場は「対機説法」にあって、相手によってそれぞれに違い方法を説いておられますから、より違いというものが現れてしまったといえるかもしれません。

>>まるで熱力学の「エントロピー増大の法則」のようです。
私は熱力学は専門ではないので、詳しいことは分かりませんがそういうこともいえると思います。私もいま宇宙物理学の方面にも首を突っ込んでまして、熱力学にも興味を持っていたところなので勉強させていただきます。
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遅くなってすみません。

私も長くなるかもしれませんが、なるたけお返事していきます。
>>釈迦自信は、はっきりとは述べていないんですね。
ここには、誤解があるようなので述べさせていただきます。まず、確実にお釈迦様自身が述べたもの   であるといえるものは存在していません。
  釈迦族の王子であるお釈迦様の使っていた主な言語は「マガダ語」または「東方訛りの言語」であったと言われています。しかし、現存する経典は基本的には「パーリ語」「サンスクリット語」「チベット語」「漢語」が中心となりますから、お釈迦様が話していた言語の経典は存在していないことになります。
  ただ、パーリ語学者水野弘元氏によれば、19世紀から20世紀初頭までの研究ではパーリ語こそがお釈迦様の使っていたマガダ語である(現在でもこの説を支持する学者も存在していますし、タイやスリランカの上座部仏教はこの立場を取ります)と考えられていました。しかし、現在の研究ではパーリー語は西部インドの言葉(ピシャーチ語)が中心になって他の言語と交わりながら(マガダ語の要素も含まれる)出来上がった言語であると言う説が有力です。 
 つまり、「釈尊自身がはっきり述べていないんですね?」と問われれば、「法滅」ということだけではなく「縁起」や「四諦」「八正道」等々仏教におけるすべてのことに対して「その通りです。」と言わざるを得ません。しかし、「法滅」や「縁起」「四諦」「八正道」などは、比較的初期の経典と呼ばれるものの中に見ることが出来「お釈迦様の言葉に近い所から見出すことが出来る」というのが、学問的な表現としては限界なんですよ。
>>仏教が形骸化して来ていたと言うことでしょうか?
>>他の宗教が台頭してきたのですか?
 大乗の起こりに関しては諸説ありまだ定説を見ていませんが、「仏教が形骸化して来た」ということは、一つの要因としてはあると思います。
それと、ほかの宗教が台頭してきたとありますが、当時のインドの時代背景から考えて、仏教以外の「ヒンドゥー教(バラモン教)」や「ジャイナ教」などの宗教も仏教と同等かそれ以上に流行っていたものもあるはずですよ。
>>だとすると、やはり後世の仏教者たちの創作のようにもみえてしまいます。
 三時思想ということであれば、出来上がったのは中国といっても問題ありませんから、そのようにとらえてもいいと思いますよ。ただ、そのベースになるものはすでにインドの初期の段階で仏教の中には存在していたという事は言えるでしょう。

>>「違う解釈を持った仏教」というのが、初期大乗経では
>>ないんですか?別にもいろいろな仏教があったんですね。
>>釈迦の仏教とは違う仏教が大乗かと思っていました。私の誤解だったのでしょうか?


 先にも申しましたとおり、初期の大乗の人々の立場は「お釈迦様の仏教の復興運動」であったと考えられます。それを、私達現代人が、当時の人たちの立場や時代背景を考えずに、「釈迦仏教とは違う」と判断してしまうのは、私達の傲慢です。私がここで言いたいのは、それが正しかったかどうかではなく、当時の初期大乗の「立場」ということです。
>>「説一切有部」も私にはよく分かりません。
先にも述べましたが、お釈迦様は自利(自分自身の悟り)と利他(他者の救済)の両立をしていました。しかし、「説一切有部」と言われる部派仏教の一派閥が台頭してくる頃の時代はに大様や貴族・または豪商などから援助が大きくなり、僧侶は僧院などにこもって仏教の教理研究が中心となり、自分自身が悟りを開く(自利)が中心となってしまいました。これの代表といて言われるのが「説一切有部」という部派仏教の一派閥です。それに対して、初期の大乗は、それらの自利が中心で衆生救済という利他を忘れた立場を批判して、仏陀本来の自利利他が両立された仏教を目指そうとしたわけですよ。
>>わたしの仏教解釈の誤解でしょうか?仏教は「利他行」といいますよね。
>>自利は捨てたのでないのですか?
 これは誤解です。「自利」とは「自分自身が悟りを得る」という事で、自利を捨てるという事は「悟らなくても良い」という事になってしまいます。大乗仏教の菩薩が仏門に入るときに「四弘誓願」というものを誓いますが、
1、衆生無辺誓願度・地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するぞ
2、煩悩無量誓願断・煩悩は無量だが、すべて断つぞ
3、法門無尽誓願智・法門は無尽だが、すべて知るぞ
4、仏道無上誓願・成仏の道は無上だが、かならず成仏するぞ
この四つですが、1は利他、234は自利です。もちろん、利他が一番前に来ますから四弘誓願の中心といえますが、残りの誓願を見ますと「自分自身が悟る(自利)」と言うことを捨てるとは書いてありません。
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baka-hageさん、こんにちは、こちらは文献も提示され、有意義な議論を交わされているようです。


以前お願いしておいたのですが、真宗のご僧侶として、私が質問しております
「浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないか」
http://questionbox.jp.msn.com/qa6213133.html
にも、ぜひご意見、ご叱責をいただきたいと思います。

さて、ご回答されていた内容で、ちょっと気になった箇所があります。

>ですから、日本に仏教が伝来したとき、すでに三時思想をまとめた論書が送られていたことはまずありえないでしょうね。

『日本書紀』の欽明天皇13年壬申(552年)これが、仏教伝来の年と有力視されていますね。この年は中国では末法に突入した年でもある。そんな偶然なことがあるのか?意識的に符号させたのではないかと思っていました。その有力な根拠を見つけました。

『新稿日本仏教思想史』大野辰之助 吉川弘文館によると、p35~36
唐から帰朝した三論宗の道慈が、末法思想に基づいてこの年を定めたのであろうと。
 『周書異記』の説、13年壬申は仏滅から1501年目にあたり、三論宗の正像末の思想に従えば末法初年にあたると。
 
この指摘は極めて説得力がありますね。だとすると552年仏教伝来説は作為的なもの。またも『日本書紀』の歴史改ざんが、判明したということになりませんか?
いかがでしょうか。 

この回答への補足

ご僧侶のbaka-hageさんと、ご意見を交換されてくださって結構です。


ただ、わたしの勝手な都合から、この質問をしばらくほーっておいたので、
「おしえてgoo」さんから、そろそろ閉じるように催促が来ていました。
そこのところ、よろしくお願いいたします。

補足日時:2010/12/01 12:43
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>>仏教が日本に入ってきた時期にすでにあったということですか?


日本に仏教が伝わったのは、いくつか説ありますが538年か552年ということで落ち着いているようです。この時期は中国においても、まだ三時思想という形で整っていたかは微妙な時代です。ですから、日本に仏教が伝来したとき、すでに三時思想をまとめた論書が送られていたことはまずありえないでしょうね。

>>中国は正保500年、像法1000年ですよね。
>>この年代法を日本でも知っていたということなのでしょうか?
 まぁ、仏教伝来直後という事はさておきまして、すこし時間がたって来ると知っていたと思いますよ。(ただ、その書籍を思い出せないのでお許しを)しかし、末法の時代をえがいた論書に書かれる時代状況と、日本の時代背景にあわなかったんですよ。「ここにもう末法って書いてあるけど、僕ら結構平和だよね。」ってことで、この説は採用されなかったのかなとも思います。もちろん、日本人の仏教理解がまだ未熟だったことも挙げられますけどね。それが、平安末期になると「これって末法じゃね」ってことになってきたわけです。

>>Oそれから弥勒菩薩信仰はいつから言われだしたことでしょうか?
 「弥勒」という未来に現れる仏が登場する経典としては『長阿含経』の中に出てくるのが最も古い資料と言えるはずです。『長阿含経』は上座部では『長部』と呼ばれて、確か同じ記述は双方に残っているはずですから、南伝北伝両方に「弥勒信仰」は出てきますから、かなり古い段階で弥勒という未来仏は仏教の中にあったはずです。
ただ、弥勒菩薩のいる兜卒天に上生して、弥勒菩薩が人間の世界に下生する時に一緒に下生しようという「弥勒菩薩信仰」は、大乗が現れるのと同時期に起こり、その信仰が教学的に固まるのは弥勒三部経の成立年代から考えて三・四世紀くらいまでかかるかもしれませんね。あと、紀元300年ごろに弥勒という人が実際にいて唯識を説く仏教者だったのですが、いつの間にか弥勒菩薩と同一視されるようになっちゃったみたいです。
ちなみに、中国の弥勒菩薩はおデブさんなんですよ(笑)

>>Oもう一つ日本で末法思想、三時思想を否定している僧侶や仏教教団はありますか?
一番有名なのは道元禅師ですかね。『正法眼蔵随聞記』の中で、お釈迦様の時代のお弟子でも、優れた才能はなくても悟りを開くことが出来たのだから、「末法の時代の人間は才能がないから悟れない」なんて考える必要など無く、仏道修行に励むべきだと考えていました。つまり、末法というのは私達に仏法を励ませるために説かれたものであるとしていたようですね。ですから、曹洞宗は末法を否定しているのではないでしょうかね。

 こんな感じでしょうか。重複する部分も多々ございますが、一通り答えさせていただきました。だらだらと駄文を連ねましたが、急ごしらえのため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀仏
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この回答へのお礼

>日本に仏教が伝わったのは、いくつか説ありますが538年か552年ということで落ち着いているようです。

552年説ですか?疑問符の方がいらっしゃいますので、ご意見にお答えください。

>>中国は正保500年、像法1000年ですよね。

失礼しました。また誤字変換を間違えてしまったようです。
私のパソコンは「しょうほう」と入れると「正保」がなぜか出てきてしまいます。
「正法」はそれぞれ別に打ち込まないと出てきません。すみませんいい訳でした。

>しかし、末法の時代をえがいた論書に書かれる時代状況と、日本の時代背景にあわなかったんですよ。「ここにもう末法って書いてあるけど、僕ら結構平和だよね。」ってことで、この説は採用されなかったのかなとも思います。

そうなんですか?曾我入鹿の戦い(また誤字かもしれませんね)など、暗殺や殺害が繰り返されていて、わたしには平和には見えないんですけど。

>「弥勒菩薩信仰」は、大乗が現れるのと同時期に起こり、その信仰が教学的に固まるのは弥勒三部経の成立年代から考えて三・四世紀くらいまでかかるかもしれませんね。

これもわたしのあやふやな仏教理解なんですけれど、何万年か先に弥勒様が現れて救われるという信仰ですよね。これって三時思想と矛盾しませんか?末法になると釈迦の教えが衰えて通用しなくなるんですよね。それで大乗教が重要になる。それで救われるんですよね。
何万年後かに現れる弥勒でなければ、本当は救われないのですか?
末法の大乗教も1万年で効力をなくし、その後は弥勒信仰でなければ救えないのか?
末法1万年説を採用すると、弥勒が現れる2万数千年後?までの空白期間の人間は救われないのか?
こんな疑問がまた沸いてきます。
「弥勒菩薩信仰」は、キリスト教の世紀末思想、メシア思想に良く似ていますね。

>あと、紀元300年ごろに弥勒という人が実際にいて唯識を説く仏教者だったのですが、いつの間にか弥勒菩薩と同一視されるようになっちゃったみたいです。

実際に弥勒という仏教者がいたんですか?それも知りませんでした。

>一番有名なのは道元禅師ですかね。『正法眼蔵随聞記』の中で、お釈迦様の時代のお弟子でも、優れた才能はなくても悟りを開くことが出来たのだから、「末法の時代の人間は才能がないから悟れない」なんて考える必要など無く、仏道修行に励むべきだと考えていました。

道元は名前くらいは聞いたことがあります。曹洞宗ですか。あまりその宗派は見かけません。わたしが関心がないのかも?

>つまり、末法というのは私達に仏法を励ませるために説かれたものであるとしていたようですね。ですから、曹洞宗は末法を否定しているのではないでしょうかね。

末法を励ませるためとはどういう意味なんでしょう?
これは曹洞宗の方にお聞きしたほうがいいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/01 12:35

この時「部派仏教」と「アビダルマ仏教」とを同一視することがありますが、これは少し違います。

部派仏教の中でも、政治的、経済的な保護を確立した主要な部派がそれまでに体系化された経典や戒律をもとに、精舎にこもり緻密な解釈を施し理論構築していきます。当時の時代背景についてアビダルマ仏教の研究者西村実則氏の説によれば、当時は仏教に限らずインド思想全般が、自分達の教義や学説の組織化・体系化を進める傾向にあって、仏教教団もそういった他の思想と対抗すべく理論武装する必要があったと述べておられます。このような時代状況の中整えられていくのが「論」「論書」であり、簡単に言えば経典や戒律の細かい解説書みたいなものです。後にこの論のこと自体をアビダルマと呼んだりするようになります。 
このアビダルマ仏教の発展は、お釈迦様の教説を研究し、多面的に分析することによって、時代を追うごとに生まれる新しい問題に対処していくことに大きく貢献しました。しかし、仏教学者中村元氏によれば、その分析はあまりにも細分化されすぎて、局所的な研究も進んでしまったために、お釈迦様の真意から逸脱する嫌いが見えると述べておられます。また、その細分化された仏教哲学は、一般の人には理解できず仏教が一部のエリートのものになってしまったというわけです。ここで、大乗はこういった立場を「小乗」と呼んで批判し、お釈迦様の頃の仏教を復活させようと言い出したわけです。
ですから、上座部とは根本分裂のときに生まれた仏教の一部派系統を呼び、アビダルマ仏教とは根本分裂や枝末分裂時期の頃から現れた経典や律蔵に細かい解釈を加えていく仏教の事を呼びます。部派仏教の中には、こういった論書の作成を良しとしない部派もありましたから、部派仏教すべてをアビダルマ仏教とは呼べないわけです。

ただ、一つ注意点としてはこれは大乗側の歴史観が中心ですから、上座部系にしてみればまた違う歴史観を持っておられるはずです。
ちなみに最近本屋さん等々で見かけるアルボムッレ・スマナサーラ氏を中心とした日本テーラワーダ仏教協会さんは、スリランカに渡った「分別説部」の流れを汲んだ方々で、現存する最後の上座部系の仏教を信仰する方々です。
 
>>堕落した僧侶とは、定義するとどのようになりますか?
私は大乗仏教側の人間ですから『涅槃経』の中には「お経を読んだりしていても、自分の身を永らえさせる事しか考えていない。袈裟は着ているけれども、猟師が獲物を狙ったり、猫が鼠を狙うように、他人から何かを奪おうとねらっている。そして、外側はまるで悟った賢者のよう見えるけれども、心の中は嫉妬と怒りで渦巻いている」って書いてありますからね。私みたいな人だなとよく思いますよ。

>>仏教の堕落はいつから始まったんでしょうか?
いつからと問われると難しいですね。うがった見方をすれば、釈尊在世からはじまっていたとも言えますからね。
>>釈迦が死んで後、ちょっとしてからはどうだったのでしょう?
例えば、「第一結集」といってお釈迦様が亡くなった直後に、直弟子の中の摩訶迦葉尊者が座長となって、阿難尊者は経典の担当、と優波離尊者は戒律の担当になって、500人ほどの比丘が集まって、お釈迦様の言葉をまとめる会が開かれました。この時は文章化するのではなく、みんなで記憶を確認しあって、言葉を統一したりしたようです。このこと自体は何の問題もないのですが、なぜこんなことを行なわれなければならなかったのでしょうか?もし、全員が正しく覚えていれば結集なんて必要はなかったはずですよね。もしかしたら、この時点ですでに違うことを言い出していた人がいたという事も考えられるわけです。
 これは、確かに重箱の隅をつつくような見方かもしれませんが、中国の玄奘三蔵の『大唐西域記』や法顕という方の『仏国記』には、お釈迦様に破門された提婆達多尊者の仏教を信仰している人たちがいたことが記されています。これを見ると、すでにお釈迦様が生きておられた頃から仏教教団は分裂していたとも言えますからね。まぁ、疑えばきりがありません。
しかし、基本的には直弟子達がいらっしゃいましたから、正しい仏教が伝えられていたと思いますよ。

>>現代でもそのようなことはあるんでしょうか?
>>たとえば浄土真宗内での自己反省や改革とかが?
 これは、今でもありますよ。明治期以降の真宗について言えば、浄土真宗を西洋哲学的な分析を加えようとした近代教学ですとか、またこの近代教学への反省ですとか、ずっと繰り返していますよ。

この回答への補足

>アビダルマ仏教の研究者西村実則氏の説によれば、当時は仏教に限らずインド思想全般が、自分達の教義や学説の組織化・体系化を進める傾向にあって、仏教教団もそういった他の思想と対抗すべく理論武装する必要があったと述べておられます。このような時代状況の中整えられていくのが「論」「論書」であり、簡単に言えば経典や戒律の細かい解説書みたいなものです
 
>仏教学者中村元氏によれば、その分析はあまりにも細分化されすぎて、局所的な研究も進んでしまったために、お釈迦様の真意から逸脱する嫌いが見えると述べておられます。また、その細分化された仏教哲学は、一般の人には理解できず仏教が一部のエリートのものになってしまったというわけです。

わたしも中村元さんの分析が近いのではないかと思いました。
アビダルマか忘れましたが、中村さんの著書にはそのようなことが書かれてあったような記憶があります。

>ここで、大乗はこういった立場を「小乗」と呼んで批判し、お釈迦様の頃の仏教を復活させようと言い出したわけです。

アビダルマもやはり小乗なんですか。
中村さんの言われる >分析はあまりにも細分化されすぎて
は大乗に対してだったような記憶があるんですが、わたしの記憶違いだったんでしょうか?

>ですから、上座部とは根本分裂のときに生まれた仏教の一部派系統を呼び、アビダルマ仏教とは根本分裂や枝末分裂時期の頃から現れた経典や律蔵に細かい解釈を加えていく仏教の事を呼びます。部派仏教の中には、こういった論書の作成を良しとしない部派もありましたから、部派仏教すべてをアビダルマ仏教とは呼べないわけです。

この辺は専門過ぎてよく分かりませんでした

>ちなみに最近本屋さん等々で見かけるアルボムッレ・スマナサーラ氏を中心とした日本テーラワーダ仏教協会さんは、スリランカに渡った「分別説部」の流れを汲んだ方々で、現存する最後の上座部系の仏教を信仰する方々です。

その方の『ブッダ』ちくまプリーマー新書
近くの本屋にあったので購入しました。まだほんの一部しか読んでませんが、
今までのブッダ観と違い新鮮です。複雑な論は展開されていなく、すっきりした感じです。わたしはこういった方が仏教を理解できそうです。
 
>>堕落した僧侶とは、定義するとどのようになりますか?
>私は大乗仏教側の人間ですから『涅槃経』の中には「お経を読んだりしていても、自分の身を永らえさせる事しか考えていない。袈裟は着ているけれども、猟師が獲物を狙ったり、猫が鼠を狙うように、他人から何かを奪おうとねらっている。そして、外側はまるで悟った賢者のよう見えるけれども、心の中は嫉妬と怒りで渦巻いている」って書いてありますからね。私みたいな人だなとよく思いますよ。

そんなことが『涅槃経』に書いてあるんですか。おもしろいですね。
そのお経を書いた方が、自分自身の自戒のためにそのようなことを書いたのかもしれませんね。
『涅槃経』はブッダが説いた教えとされていましたが、ブッダの死数百年後の大乗時代にインドか中国の僧侶がまとめられたんですよね。

>>仏教の堕落はいつから始まったんでしょうか?
いつからと問われると難しいですね。うがった見方をすれば、釈尊在世からはじまっていたとも言えますからね。

そうなんですか?驚きです。
するとブッダの力、権威?は、あまりなかっとかまで疑ってしまうのは、わたしだけでしょうか?

>中国の玄奘三蔵の『大唐西域記』や法顕という方の『仏国記』には、お釈迦様に破門された提婆達多尊者の仏教を信仰している人たちがいたことが記されています。これを見ると、すでにお釈迦様が生きておられた頃から仏教教団は分裂していたとも言えますからね。まぁ、疑えばきりがありません。

宗教は仏教に限らず、時代が経つごとに細胞分裂のように新派が誕生してきますね。
日本の仏教もそうですよね。人がそれぞれ考え、達観すること、人が違えばそっくり同じ考え、思考、理想、理念というものはありえない。分裂、分派するのは当然、必然なのかもしれませんね。
まるで熱力学の「エントロピー増大の法則」のようです。
宗教の派閥にも当てはまるとは。哲学、思想、経済、政治にもある程度該当できそうですね。
特に弟子がいる社会はその法則が見事に効いてくるようです。
華道や茶道の世界でもそうですね。
浄土真宗というか、親鸞様以後もいろいろ新派が誕生していますよね。
やはり分裂は生きている限り必然なんですね。
増大、拡散はエネルギーがある限り、元に戻せない不可逆的なんですね。

補足日時:2010/12/01 12:15
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この回答へのお礼

入りきらなかったようですので、ここに書きました。

>>たとえば浄土真宗内での自己反省や改革とかが?
 これは、今でもありますよ。明治期以降の真宗について言えば、浄土真宗を西洋哲学的な分析を加えようとした近代教学ですとか、またこの近代教学への反省ですとか、ずっと繰り返していますよ。
 
近代教学の検証については分かりませんが、反省とか分析が絶えずなされていることは、すばらしいことだと思いました。 

お礼日時:2010/12/01 12:18

遅くなりました。

何度も何度も失礼します。いくつかに分けてもいいという事で長くなってしまいますが、お許し下さい。

>>やはり自分の教えが将来、効力がなくなるとは普通言わないのかな?と思いました。
普通の宗教者は言わないでしょうが、そうとも言い切れないのがお釈迦様なんですよ。なんたって「諸行無常」を説いた方ですからね。自分の教えだけは例外ってことにはならないと私は考えてます。まぁ、法滅に関しては、北伝系(大乗仏教)だけじゃなく、詳しいわけではありませんが南伝系(上座部)の増支部経典(アングッタラ・ニカーヤ)や律蔵の中には「正法500年説」がありますからね。大乗上座部両方に残っているという事は、少なくともかなり初期の段階で法滅の思想はあったとはいえますね。

>>大乗仏教から三時思想が生まれてきたとすれば、間違った仏教が生まれるというのは
自分自身の仏教を言っているとも、言えなくはありませんか?
それは、「後出しジャンケン」ですね。こういった研究の態度は、当時の時代状況と当時の人たちがどのように考えていたかを考察する必要があります。今の私達の立場をもって当時の研究結果を否定するのは非常に簡単なのですが、それでは研究の態度としては不誠実であると考えます。
少なくとも当時の大乗の人々の立場は「仏教復興運動」と考えられます。しかも、この当時は三時思想というにはまだまだ断片的で、初期の「末法」と考えられます。当時の末法史観は先にも申し上げたとおり、三時思想のような時代的な区分によって起こるものではなく、「仏教が衰退していく」または「お釈迦様の立場とは違う解釈を持った仏教がある」というようなことを指しているわけです。この時に、お釈迦様の立場に戻ろうと言うのが初期大乗の立場なわけですよ。

>>釈迦の時代の仏教を原始仏教とか小乗教とかいったのは、大乗教の人たちですよね。
なんでそんな差別的な言い方をしたんでしょう?
まず、当時においても現在においても大乗の人々は「釈迦の時代の仏教」を小乗とすることは絶対にありません。なぜなら、先に申しましたとおり「釈迦の仏教」を目指したのが大乗だからです。初期大乗において小乗とされるのは、基本的には「説一切有部」が中心です。後に「自分だけの悟りを目指す仏教」とみなせるものを指して小乗と呼ばれるようになったわけです。
また小乗の訳ですが、「劣った乗り物」と訳される場合が多いのですが、この「小」にあたる部分はサンスクリット語では「ヒナ(hina)」といって、「劣っている」以外にも「欠けている」や「除外された」という意味を持っていて、私は「欠けた乗り物」もしくは「除外されてた乗り物」と訳す方が大乗の立場を表すには分かりやすいのではないかと考えています。お釈迦様のいらした頃の仏教は自らの悟りと他者への教化(教えを広め、救うという事)が両立されていました。これを大乗では自利・利他といいます。しかし、いつしか利他が忘れられ、自利のみを追求するようになってしまった。だから、利他が「欠けた乗り物・除外されてしまった乗り物」ということで「ヒマヤーナ」と呼び、それを中国人は小乗と訳したわけです。そこで、今一度お釈迦様の頃のような自利と利他が両立された仏教を目指そうという事になったのが大乗という事になります。
また、原始仏教という呼び名は私が知る限りでは近代に入ってからの、歴史的研究の立場から生まれたもので、大乗経典に「原始仏教」の語を検出することは出来ないはずですよ。

>>このころから堕落が始まっていたと、大乗教の人たちは批判していたということですか?アビダルマ仏教という言葉は初めて聞きました。上座部仏教とはまた違うですか?
 ここで少し基本的な仏教歴史観を説明させていただきます。
1、まず最初は、お釈迦様が生きている頃の仏教を「釈迦仏教」と呼んだりします。
2、お釈迦様が亡くなってから、根本分裂というものが起こるまでの100年くらいまでを、「初期仏教」または「原始仏教」と呼びます。
3、釈迦様が亡くなってから100年くらいたちますと、教義や戒律などの意見の相違から仏教が「上座部」と「大衆部」に分かれます。
4、この後に、枝末分裂といって、『異部宗輪論』によれば上座部は十二部派、大衆部は九部派にわかれ「部派仏教」の時代を迎えます。(ここまでで、初期仏教という言い方をする場合もあります)
5、続いて、部派仏教の中でも特に説一切有部という部派仏教に対抗して「大乗仏教」が起こります。
もちろん諸説ありますので、この歴史観が必ずしも正しいとはいえませんが、大まかに言うとこんな所です。

この回答への補足

返信が遅くなっています。何度も回答いただきありがとうございます。
まるで個人授業のようで恐縮です。

ただいま、他のサイトでちょっとトラブルというか論争に巻き込まれてしまい、
(私のせいかもしれませんが)
こちらへの返信が、もうちょっと遅れるかと思います。
よく読ませていただき、また返信させていただきます。
申し訳ありません。

補足日時:2010/10/08 13:48
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この回答へのお礼

大変、大変返信が遅くなってしまい申し訳ありません。

>大乗上座部両方に残っているという事は、少なくともかなり初期の段階で法滅の思想はあったとはいえますね。

上座部というのは小乗経のことですよね。
小乗、大乗ともに初期の段階であったんですね。
釈迦自信は、はっきりとは述べていないんですね。

>少なくとも当時の大乗の人々の立場は「仏教復興運動」と考えられます。

仏教が形骸化して来ていたと言うことでしょうか?
他の宗教が台頭してきたのですか?

>しかも、この当時は三時思想というにはまだまだ断片的で、初期の「末法」と考えられます。当時の末法史観は先にも申し上げたとおり、三時思想のような時代的な区分によって起こるものではなく、「仏教が衰退していく」

初めから3つの時代区分があったわけではないんですか?
はじめから3つには分けられていると思っていました。
だとすると、やはり後世の仏教者たちの創作のようにもみえてしまいます。

>または「お釈迦様の立場とは違う解釈を持った仏教がある」というようなことを指しているわけです。この時に、お釈迦様の立場に戻ろうと言うのが初期大乗の立場なわけですよ。

「違う解釈を持った仏教」というのが、初期大乗経では
ないんですか?別にもいろいろな仏教があったんですね。

>先に申しましたとおり「釈迦の仏教」を目指したのが大乗だからです。初期大乗において小乗とされるのは、基本的には「説一切有部」が中心です。

釈迦の仏教とは違う仏教が大乗かと思っていました。私の誤解だったのでしょうか?
「説一切有部」も私にはよく分かりません。


>「劣っている」以外にも「欠けている」や「除外された」という意味を持っていて、私は「欠けた乗り物」もしくは「除外されてた乗り物」と訳す方が大乗の立場を表すには分かりやすいのではないかと考えています。

「欠けた乗り物」という訳も私には、小乗が劣った仏教のように解釈できてしまいそうです。

>今一度お釈迦様の頃のような自利と利他が両立された仏教を目指そうという事になったのが大乗という事になります。

わたしの仏教解釈の誤解でしょうか?仏教は「利他行」といいますよね。
自利は捨てたのでないのですか?

「基本的な仏教歴史観」は大変参考になりました、ありがとうございます。

#じつは天文学関係のサイトで、ちょっとした論争めいたことになってしまい、
かなり落ち込んでいました。ご僧侶様には、べつに人生相談というか、心のケアというかをお願いしたいくらでした。どうにか立ち直れましたので、また質問項目を変えて
ご相談できたらと思います。大変返信がおそくなってしまい、すみませんでした。

お礼日時:2010/11/26 19:01

 たびたび失礼します。

お待ちしてました。
>>釈迦の言葉には末法とかという言葉もないんですね。(中略)やはり後世の人が、自分の教えの正当化に考え出した奇説?奇説は言いすぎですが、理論?と考えるのが自然化と思います。
 法滅を匂わせる「正法・像法」という事に関しては、比較的初期の経典に見ることが出来ますので、釈尊の言葉ではなかったとは私には言えませんが、三時思想が形態として整うのは後世になってからということになりますね。

>>間違った仏教ですか?(中略)仏教そのものがおかしくなってしまうんですね?
 「像」という字は「似ている」という意味があります。ですから、像法とは正法に似ている教えという意味を持ち合わせています。もちろんpon-poncon1さんのおっしゃるように衆生の機根(才能とか根性、気質という意味)の低下により悟りが開けなくなってしまうという事もありますが、そのために仏教(仏教教団といえるかもしれませんが)内部に間違った仏教が生まれてくることにもなるようです。だから分かりやすく、像法を偽の仏教と訳したのですが、分かりにくかったですかね。ごめんなさい。
>>(他の質問者さんが、現代の仏教は堕落しているとか言っていますが)
 私もそんな堕落した僧侶の一人です。

>>これも末法万年と言われていますので、単純に万代という意味かと思っていました。
 これもまた難しい問題なのですが「末法」を大きく取り上げたのは大乗経典なわけですが、大乗仏教はその初期の性質においては「仏教復興運動」でした。大乗仏教が「小乗」と批判したのは上座部仏教すべてというわけではなく「説一切有部」と言われる部派仏教のことが中心でした。(後に上座部全体を小乗と批判するようになっっていきます。)簡単に言うと、お釈迦様が亡くなってしばらくすると、アビダルマ仏教の展開に伴い仏教が複雑な哲学のようになってしまいます。その中心にあったのが説一切有部です。そんな中で、「そんなのお釈迦様の説いた仏教じゃない。もっと、一般人も坊さんも分け隔てなく理解できて実践できるのが仏教だったはずだ。」と言い出した一群がいました。これが大乗仏教になるわけです。
 お釈迦様の仏教をもう一度復興させようという大乗仏教の立場において、世はまさに哲学理論重視の偽の仏教がはびこる「末法」だったといえます。ですから、歴史学的な立場から言えば、大乗経典に現れる末法とは大乗経典が生まれた「今まさにその時」であったといえます。つまり、末法思想の本質は現在の仏教への仏教内部からの自己反省にあるのであって、時間的区分が必ずしも必要ではないといえます。
    
>>つまり永久的にとか半永久的なのかと。1万年とはっきり数字で区切れるんですか?
 末法が一万年という比較的古い記述は私の知る限りでは、先に挙げた『立誓願文』と隋の時代の『中観論疏』という物の中にあったかと記憶しています。まぁ、区切れるかどうかということには解釈論になってしまうのですが、「末法万年」はあくまで半永久的という意味の象徴という事で解釈されることももちろんあります。ただ、三時思想には法滅という考え方が内在しますので一定の時間的区切りはないとおかしいことになりますね。

>>日本の正法1000年、像法1000年、末法万年と決定したのは誰なのでしょうか?
 日本における時代区分の最古の文献は私はちょっと存じ上げませんが、奈良時代からすでに危機意識はあったようです。平安時代に入って藤原時代になると正法千年、像法千年、末法万年説は定着していたようですが、その中心は最澄選『末法灯明記』があります。この『末法灯明記』は偽選説が有力なのですが、後世への影響力はかなりのもんでした。この中には、「現在は像法の末期で、ほとんど末法と変わらないです。」という事が書かれていて、1052年が末法元年とされています。

>>人類滅亡とか終末観は、キリスト・メシア思想にしかないということでしょうか?
>>世界の終末が来るときに、信じるものだけが救われるという選民思想でしょうか?
 これに関して言えば、キリスト教以外でもユダヤ教系であれば「最後の審判」の思想はあるはずですよ。

>>法滅後とは1万年後の意味ですか?それとも釈迦の教えの効力がなくなるという末法の時期ですか?
 三時思想において末法の時代は「教え」だけは残った時代ですから、お釈迦様の教えが効力がなくなったとは言えないんですよ。『無量寿経』の記述は素直に解釈すれば「法滅」の後です。

 すみません。文字制限ですべてのお答えが出来ませんでしたが、大まかに書かせていただきました。またmaunder-maxさんの答えにもなってしたかは分かりませんが、ご了承下さい。
 合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

再再度回答ありがとうございます。

>釈尊の言葉ではなかったとは私には言えませんが、三時思想が形態として整うのは後世になってからということになりますね。

やはり自分の教えが将来、効力がなくなるとは普通言わないのかな?と思いました。

>そのために仏教(仏教教団といえるかもしれませんが)内部に間違った仏教が生まれてくることにもなるようです

大乗仏教から三時思想が生まれてきたとすれば、間違った仏教が生まれるというのは
自分自身の仏教を言っているとも、言えなくはありませんか?
釈迦の時代の仏教を原始仏教とか小乗教とかいったのは、大乗教の人たちですよね。
なんでそんな差別的な言い方をしたんでしょう?

>私もそんな堕落した僧侶の一人です。

堕落した僧侶とは、定義するとどのようになりますか?
仏教の堕落はいつから始まったんでしょうか?
釈迦が死んで後、ちょっとしてからはどうだったのでしょう?

>お釈迦様が亡くなってしばらくすると、アビダルマ仏教の展開に伴い仏教が複雑な哲学のようになってしまいます。その中心にあったのが説一切有部です。

このころから堕落が始まっていたと、大乗教の人たちは批判していたということですか?
アビダルマ仏教という言葉は初めて聞きました。
上座部仏教とはまた違うですか?

>つまり、末法思想の本質は現在の仏教への仏教内部からの自己反省にあるのであって、時間的区分が必ずしも必要ではないといえます。

現代でもそのようなことはあるんでしょうか?
たとえば浄土真宗内での自己反省や改革とかが?
    
>奈良時代からすでに危機意識はあったようです。

仏教が日本に入ってきた時期にすでにあったということですか?
中国は正保500年、像法1000年ですよね。
この年代法を日本でも知っていたということなのでしょうか?

>これに関して言えば、キリスト教以外でもユダヤ教系であれば「最後の審判」の思想はあるはずですよ。

旧約と新約、元は同じなので、基本思想は同じということなんでしょうね。

Oそれから弥勒菩薩信仰はいつから言われだしたことでしょうか?

Oもう一つ日本で末法思想、三時思想を否定している僧侶や仏教教団はありますか?

いろいろ質問すみません。半分くらいに分けていただいてもけっこうです。

お礼日時:2010/10/03 20:41

返信


真宗の僧侶の方も、おい出でだったんですか。
私も質問したいことがありますので、その節はどうぞよろしくお願いいたします。(かなり過激な質問になるかと)

質問者さんの
>500+500年説は、自分たちの正当化のために
編み出された説とも言えなくはないですか?

理論と言うものは自説の正当化のために構築するもの、
とも解釈できるので、ある程度的をついているかもしれません。

>日本が1052年の末法説を採用したのは、すでに日本に仏教が入ってきた時が末法では、
聖徳太子などの法華経重視が意味を成さなくなるので、1000+1000年説を採用したのでは?
なんか意図的なものを感じてしまいますね。どうでしょうか?

中国では、正法500年、像法1000年だとすると、意図的なものを感じますね。
あるいは日本の衆生がまだそこまで、熟していなかったからと言う理由かもしれませんが、
500年か1000年にするか、明確な理由などないと思います。仏教者のかなり勝手な解釈でしょう。
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 再び失礼します。



>>難解なため残念ながら、半分ほどしか分かりませんでした。

 出来る限り経典や論書の根拠を示しながら誤解のないように記していますと、難しくなってしまって申し訳ありません。できる限り読みやすく書くよう努力いたします。ほんと、すんません。

>>『雑阿含経』などは、たしかアショカ王の時代に書かれたものではないのでしょうか?
>>釈迦の死後、200~300年は経っていますよね。
>>釈迦自信が自分の教えは1万年ほどで効力がなくなってしまう、とは言ってはいないんですか?
>>それとも末法の時代になると釈迦の教えがだめになると言っているんでしょうか?

 釈尊自身の言葉としてと考えると、色々難しくなってしまうんですよね。現在残っているパーリ語経典に関していっても「部派仏教の時代の名残を留めている」という表現が精一杯で、お釈迦様の言葉を正確に残しているというのは難しいんですよ。(もちろん、研究者の中にはパーリ語経典こそお釈迦様の言葉を正確に世に残しているという方がいらっしゃるのも確かですが・・・)例えば、お釈迦様がお使いになったのは古マガダ語、もしくは東インドの方言が中心だあったといわれいていますが、現在のパーリ語経典は西北インド訛りが見られると言われています。また、インドの経典伝承は四世紀後期(釈尊が亡くなってから800年~900年位)までは口伝が中心であったことが法顕三蔵の『仏国記』に記されています。こう考えますと、「釈尊自身の言葉」という表現は私は難しいと考えています。

 ですから、「経典」という括りで説明させて下さい。経典ということで言えば、 

>>釈迦自信が自分の教えは1万年ほどで効力がなくなってしまう、とは言ってはいないんですか?
>>それとも末法の時代になると釈迦の教えがだめになると言っているんでしょうか?

正しい仏教が間違った仏教に変わっていってしまうという文章であれば、私の知る限りでは、先ほど申し上げたとおり比較的初期の経典でいえば『雑阿含経』の「正法像法」の一文、大乗経典では『大集経』の「月蔵分」くらいです。(パーリ語経典の方は私もまだ勉強中でそのような文章が見出せるかは存じ上げません。)『雑阿含経』の方は時間的区切りは記されていません。『大集経』のほうは五百年を一区切りに、二千年以降の五百年が「闘諍堅固」という末法と同一視される時代になります。

>>これは後世の人が言ったことでしょうか?
 今挙げた経典や、「末法」と言うことを単独で説いた教典等々を基礎に、末法が一万年続くという説が定着するのは中国に入ってからと考えられています。中国において末法思想を説いたものとしては『南岳思大禅師立誓願文』が中心といえます。この南岳思禅師とは南岳慧思禅師のことで、中国において天台宗を開いた天台大師智ギ(ギはgooでは文字化けてしまうのでカタカナにします)の師匠とされる人です。この『立誓願文』は慧思の真撰とするには疑義があって、中国にける末法思想の最初とすることはできませんが、正法五百年・像法千年・末法万年と三時の年数を決定しています。そして、この書の三時思想が後の中国日本の仏教界において大きな影響力を持つことになるわけです。

>>500+500+10000年後、または1000+1000+10000年後に釈迦の教えが効かなくなるとして、あと1万年前後ですね。でもそれより前に人類は滅亡してしまう可能性の方が大きいのでは?

 まぁ、そうかもしれませんね。私自身は人類滅亡とかそういうことは無知でして、なんとも言いようがありません。

>>人類滅亡も予測して、1万年などと言っていた可能性はありませんか?

 うーん、これは私の立場からいえば、そんなことはないと思います。釈尊の真意は私のような凡夫には計り知れるものではありませんが、「三時思想」の立場から申せば末法の終わりは「教」の終わりであって、人類が滅亡すると言うようなものではありません。大乗経典を見れば、釈尊の仏力を持って「法滅」後の世界であっても救いの効力を残すという経典もあります。例えば、『無量寿経』には「当来の世に経道滅尽せんに、我れ慈悲哀愍を以て、特りこの経を留めて、止住すること百歳ならん。」とあって、法滅後であっても100年はこのお経の救いの力を残しますと記されています。このように法滅後の世界における救いが記されていることからも、少なくとも大乗経典が編纂された当時の仏教者は「法滅=人類滅亡」とは考えていないことは分かります。

 お答えになっているかは分かりませんが、私の答えられるのはこんなところですかね。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

返信たいへん遅くなり失礼しました。

>こう考えますと、「釈尊自身の言葉」という表現は私は難しいと考えています。

釈迦の言葉には末法とかという言葉もないんですね。
釈迦にしてみれば、自分の教えが1000年後や2000年後に効果がなくなってしまうんだ、
なんて言わないと思いますよね。やはり後世の人が、自分の教えの正当化に考え出した奇説?奇説は言いすぎですが、理論?と考えるのが自然化と思います。

>正しい仏教が間違った仏教に変わっていってしまうという文章であれば、私の知る限りでは、先ほど申し上げたとおり比較的初期の経典でいえば『雑阿含経』の「正法像法」の一文、大乗経典では『大集経』の「月蔵分」くらいです。

間違った仏教ですか?私は像法・末法の時代で、民衆の心というか考え方が
末法は純粋な人たちが少なくなって、悪人たちが多くなるので、釈迦時代の仏教では
対処できないという意味だと思っていました。仏教そのものがおかしくなってしまうんですね?だとするとあるていど合っているんですかね?
(他の質問者さんが、現代の仏教は堕落しているとか言っていますが)

>末法が一万年続くという説が定着するのは中国に入ってからと考えられています。

これも末法万年と言われていますので、単純に万代という意味かと思っていました。つまり永久的にとか半永久的なのかと。1万年とはっきり数字で区切れるんですか?

>中国にける末法思想の最初とすることはできませんが、正法五百年・像法千年・末法万年と三時の年数を決定しています。

日本の正法1000年、像法1000年、末法万年と決定したのは誰なのでしょうか?
>まぁ、そうかもしれませんね。私自身は人類滅亡とかそういうことは無知でして、なんとも言いようがありません。
>うーん、これは私の立場からいえば、そんなことはないと思います。


人類滅亡とか終末観は、キリスト・メシア思想にしかないということでしょうか?
世界の終末が来るときに、信じるものだけが救われるという選民思想でしょうか?


>法滅後であっても100年はこのお経の救いの力を残しますと記されています。このように法滅後の世界における救いが記されていることからも、少なくとも大乗経典が編纂された当時の仏教者は「法滅=人類滅亡」とは考えていないことは分かります。


法滅後とは1万年後の意味ですか?それとも釈迦の教えの効力がなくなるという末法の時期ですか?
ただ弥勒菩薩信仰もありますよね。たしか何億年後かに現れて~。
末法を1万年として区切ってしまうと、その間の人たちはどうしたらいいんでしょう?

お礼日時:2010/09/30 08:11

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