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なぜドビュッシーが、アジアやら世界音楽に共感したのに、他の同時代人はそういうことがなかったのでしょうか。あったにしても、あくまで伝統的なほうから出ようとしなかったのでしょうか?
地勢的、政治情勢的その他の外部事情からフランス人のほうがよりドイツ人よりも刺激が受けやすいということがあったのでしょうか?
その感性は、他の音楽家とは一線を画すものがあったのでしょうか?

A 回答 (1件)

まず、ドビュッシーという人は器楽というものを、音楽と音楽外の基盤で等しく扱った音楽史上最初の作曲家ではないでしょうか。


そして音楽自体、ピッチ、リズム、音色も全く抽象的な組み合わせの世界であり、ドビュッシーの音楽の拠りどころというか主体もそこにあるといえます。

彼は、同時代の作曲家たちが激しい情熱を傾け、幻想の世界を創造することに夢中だったのに対し、むしろ客観を重んじる写実の手法をとり、抑制された表現のうちに、変化に富み響きの単位を作る非機能的和声、多様なリズムと色彩、さらに形式を作り出し、それらによってある気分や雰囲気を喚び起こしたのです。

フランス人(フランス的)とドイツ人(ドイツ的)との比較は単純には分かりません(出来ない)が、当時の印象派絵画でもジャポニズムを始めとする東洋趣味(含オリエント、中国など異国趣味)の影響は大きいですし、それらは音楽や文学の世界にも影響を与えていますよね。何よりそういった芸術分野でのインターナショナル化、アバンギャルドなどは感覚的・色彩的・雰囲気的といったフランス人の持つ一種特有なセンスに最もフィットし、かつ広まったのではと思います。その点、ドイツなどは伝統的・規律正しい型にはまったものを好むという国民性?からか、なかなか保守的な概念から自由に飛び出すということが出来なかったのかも知れません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お答えいただいたことは、いちいちなるほどと感じました。フランスっていい意味でも悪い意味でも開明的です。交じり合う文化があります。そのフランスが生んだ作曲家の筆頭という評価もむべなるかなと感じます。

お礼日時:2008/06/20 08:50

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