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現実は、虚構であるのでしょうか?
たとえば、東京ディズニーランドは、虚構の世界を体験できる遊園地であると言う人がいました。虚構を体験できるという現実があるのであれば、現実であっても、虚構に含まれた集合関係のような位置付けができるのでしょうか。つまり、「現実は虚構の一部であると言えるのでしょうか」という問いです。
一般的に、AがBであると言うとき、AよりもBの領域の方が広く、AがBの一部である関係が成り立っていると思います。ですから、質問は、繰り返しになりますが、「A(現実)がB(虚構)の一部であると考えていいでしょうか」という問いです。
あなたが、思いつく虚構の例を示して、できるだけ具体的なイメージを描くように、そして無駄な記述を省き、簡潔に、教えてください。
No.14
- 回答日時:
「A(現実)がB(虚構)の一部であると考えていいでしょうか」という問いです。
答え; その通りです。
そうですね。例として「舞台劇」とそれを観賞する「観客」を例に取りましょう。「舞台劇」の俳優たちは演技を一生懸命やってます。これは俳優達にとっての仕事ですから現実ですねでも演技が終わり舞台の裏に戻れば俳優達は別の現実の姿になり、舞台劇の自分は虚構だといいます。「舞台劇」を見ている観客は、舞台劇自体を虚構と知りつつ楽しんでいます、これは現実ですね。でも一歩外に出ると現実の自信を発見します。でも、だれそれのだれべえで生きるのもせいぜい80年の人生ですね。人生そのものが舞台劇の一主人公でしかないことに気づきます。
このような見方をすると現実とは虚構の中の一部の認識意識でしかないということになるでしょう。
この回答への補足
お礼欄で「現実(人生)とは虚構(自分が主人公の舞台劇)のようなもの」と書きましたが、さらに飛躍すると、「この全宇宙の現実は、劇(虚構)の一部ではないのだろうか」という文学的な表現も可能なのかもしれませんね。もちろん、作者は創造主と想定せざるを得ないのでしょうが。証拠はありません。
補足日時:2008/08/13 13:53大変、興味深い例示で、参考になりました。
「舞台劇」という現実、俳優という仕事も現実
演技前後の現実(日常)と演技中の虚構(作品)表現者という現実
観客の虚構参加(疑似体験的参加、感情移入的参加)という現実
人生という舞台劇(比喩)の主人公
「現実(人生)とは虚構(自分が主人公の舞台劇)のようなもの」という表現が成立しそうです。
ありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
はじまして
1 現実は、虚構であるのでしょうか?
→違うと思います。
2 東京ディズニーランドは、虚構の世界を体験できる遊園地である。
現実は虚構の一部であると言えるのでしょうか。
→違うと思います。
3 A(現実)がB(虚構)の一部であると考えていいでしょうか。
→この命題は誤りと考えます。
理由
・「東京ディズニーランドは、虚構の世界を体験できる遊園地である」
この文章は次のように言い換えることができます。
→東京ディズニーランド(浦安に存在する現実のもの)は、虚構(ディズニーアニメという現実のアニメ作品)の世界を(現実のアニメ画像の中に自分が入り込んでしまったかのような)体験ができる(現実の)遊園地である。
したがって1の命題は そもそも現実の現象としての言説としてしか解釈できませんので、認識論でいうところでの いわゆる現実・虚構に関わる命題ではないと考えます。
2の命題後段も、ディズニーランドの命題の説明としての言説であるならば 同様に否定されます。
3の命題は単独の命題として考えてみます。
「現実は虚構の一部か」
→いま 私たちが存在している世界そのものが 実は脳が独自に知覚し感受し作り出したところのものであるという観点にたって(この世界を)虚構と仮定してみます。(…これは脳科学の成果を誤解釈したところの観点ですが、後ほど説明を試みます。)
すると現実なるものの存在がきわめてあやふやなものとなります。
なぜなら、世界の存在はすべて各人ごとの虚構の産物でしかなく 現実(およそ万人又はあらゆる生物や物質を含むすべての存在が共時的に現象している世界を含む現実)の存在は すべての虚構世界において共通している部分(が存在するとしてその部分を)を指して「現実」と呼び習わしているとでも言わなければ説明できません。
非常に苦しい説明ですね。それにあくまでも虚像でしかありませんのでいわゆる共同幻想とでもいいましょうか 通常使用している意味での「現実」とは程遠いイメージです。
そもそも前提が誤っているのでしょう。
脳科学が提出している脳の機能は情報の整理と記憶と状況に応じての出力機能です。
情報はどこからもたらされるのか、それは身体のさまざまな感覚器官からがほとんどです。目鼻口舌皮膚心を通じて外界の情報が脳に伝えられその情報を脳が整理し優先順位をもって出力しているというのが脳の機能と考えられます。
情報は人の外からもたらされる点が重要です。この情報は万民又はあらゆるものににとって同様です。違うのは脳(身体)の判断作用・反応です。
同じ水200ミリリットルという物理現象も人間にとっては飲料するのに適していても 蟻1匹にそれを一気に飲料させようとするとたちまちに死にいたりますし、そもそもその水の中でおぼれてしまうでしょう。
しかし水200ミリリットルという現象は共通しています。現実です。
認識論的な意味での虚構は、人の思考における虚構性を指した言説です。思考は言葉を用いて行われますので言葉こそが虚構を生み出すといえます。例えるならば物語です。
「魚の足」「人間のひれ」 いずれも単語一つ一つとしては紛れもなく現実の存在ですが その組み合わせによっては虚構でしかありえない言説を生みます。
また「真」「善」「美」「悪」という価値に関わる言葉については言葉自身が虚構性を含蓄しています。
思うに「現実」は完全には認識され難いものであるけれども厳然と存在していることは言えると考えます。
また「現実」から「虚構」が生み出される点から 「虚構」は「現実」の一部であるといったほうがよいと考えます。
仏教で言うところの「色即是空 空即是色」般若経におけるの「空」がそのまま虚構の概念と同値とは考えられません。
「空」は存在の「現実性」とか「虚構性」とかに関わる言説ではなく
例えば般若心経では
…無明もなく無明の尽きることもない
老死もなく老死の尽きることもない
苦もなく苦の尽きることもなく苦の原因もなく苦がなくなることもなく苦をなくする道もない
教えを知ることもなく悟りを得ることもない
そのような世界の実相をして「空」と呼んでいます。
その上で心経はこの世界(現実)の実相が「空」であることをあるがままによく知りなさい。と説いていると ものの本意は書いてありました。虚構と絡めて論じられるべき内容ではないと思います。
とりとめもなくなり申し訳ありません。
この回答への補足
お礼欄に書いた次の部分を補足します。
>認識論とか、「空」論とか、理屈で考えるとこのようになってしまいます。残念です。
認識論のような理屈で考えるとこのように(良い展開なのに逆の結論に)なってしまいます。残念です。(「空」論の部分は削除します。この部分の指摘は、まったく正しいと思います。)ただし、「→違うと思います。」という結論が、ちょっと早いような気がします。
記入いただき、ありがとうございます。
認識論とか、「空」論とか、理屈で考えるとこのようになってしまいます。残念です。例示、例文に即して考察すると明晰に見えてくると思います。
>→東京ディズニーランド(浦安に存在する現実のもの)は、虚構(ディズニーアニメという現実のアニメ作品)の世界を(現実のアニメ画像の中に自分が入り込んでしまったかのような)体験ができる(現実の)遊園地である・・・そもそも現実の現象としての言説としてしか解釈できません・・・
ここの展開はすばらしいと思います。疑似体験の現実性を見事に見抜いています。
>また「現実」から「虚構」が生み出される点から 「虚構」は「現実」の一部であるといったほうがよいと考えます。
ここの記述もすばらしいと思います。虚構は現実の一部であると言えると僕も思います。では、現実が虚構の一部だと言える場合があるのかどうか。ここの考察を先入観に囚われずに、冷静に、素直に、広く見渡して、してみたいと思います。
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No.11
- 回答日時:
>自己=虚構、全宇宙の中にあり、かつ、全宇宙には属していない?これは、矛盾ですか?
そうではありません。
全宇宙とは、常に変化し続ける厚・み・の全くない流転そのものなのです。
自己が認識する時間というやつを極限まで短くしたことを想像してください。
厚・み・がない実相なのです。過去は一粒たりとも残されていないのです。
今しかないのですが、その今さえも厚・み・が無いのです。
何か具体例と言うことですので・・・
例えば、「リンゴ」という音声が発生されたとき、全宇宙は、自然法則に則り、
空気の粗密波、鼓膜の振動として作用しますが、それは、流転そのものでしかなく、
鼓膜に振動が届いたときには、空気の粗密波はもはやどこにもありませんね。
この振動が耳の神経細胞を刺激し、脳細胞がその信号を処理しますね。
ここも自然法則で動いていますね。で、その処理された信号を自己が受け取る段階で、
「り」を聞きますね。このときには、もう鼓膜が振動した「り」は全宇宙のどこにもありません。
同じように「んご」まで聞くのですが。聞き終わって、「リンゴ」という単語を一気に認識する自己が
いて、赤いリンゴをイメージしてますね。
全宇宙にとってこんな「リンゴ」音声信号を一気に認識する実相は無いのです。あり得ないのです。
自己は、「りんご」音声信号を一気に認識するにしても、いわゆる時間を使ってしまっているのです。
であるからこそ、自己はその流れ自体は全宇宙に属しているものの、自己が認識したあらゆるものも
自己が自己とする存在を含めて全宇宙には属しないのです。
もう少し説明を加えると、自己は、全宇宙の実相である変化をすでに使用して初めて成立するので、
全宇宙の実相から乖離すると言うことです。
そうですね。イメージとしては、パソコンで言うと、全宇宙の実相が0と1の信号の膨大な流れ、流転そのものとすると、
自己というのは、あるプログラムで制御された特定のタスクとその出力となります。
確かに自己も0と1の羅列ですし、出力も0と1の羅列ですから全宇宙に属するのですが、
そのタスク(自己)は、そこから乖離した特別な意味を「複数の0と1の状態の流転をもって」ある特定の場所に与えていて、もはや0と1ではないんですね。
この回答への補足
No.2・9に続き、ご記入いただき、ありがとうございます。
ただ、話がかみ合わないことがよく分かりました。
実は、自己の虚構性や認識論は、主題ではないのです。ここを深追いした僕が悪かったようです。どう折り合いを付けるか思案に苦しみますが。
「A(現実)がB(虚構)の一部であると考えていいでしょうか」という問いに対しては、No.9でよいと回答されているので、だとすると、虚構=自己と置き換えて、現実(全宇宙)が虚構(自己)の一部というのは、誇大妄想のようでもあり、ピンと来ません。ここから、展開していただけませんか。その方がよいと思うのですが・・・。
補足で、虚構=自己と矮小化してしまったことを謝罪します。
自己=虚構だからといって、虚構=自己にはできないと分かりました。
自己=虚構は、自己=虚構の一種(一部)だったからです。
大変失礼しました。
No.10
- 回答日時:
「現象は留まることなく、変転し続ける相の中にある」ということを肯定するのでしたら、書かれた文脈から、「一般の現実は留まることなく、変転し続ける相の中にある」と解釈できますがよろしいですか?
ここで一般の共有される現実というのは厳密にはないのです。なぜなら、「同じひとでもそのときのコンディションで楽しめなかったり楽しめたりするかもしれない。事故がおこるかもしれない。ミッキーの大ファンかどうか(経験、記憶)でも楽しめるかどうかが違う。」
「色」(=現実存在)は、変転する現実と思います、と書かれる以上、「その現実は一時たりとも確定せず、論理的に虚構である」と結論づけるのは自然だと思います。
この回答への補足
再度の回答ありがとうございます。
>「現象は留まることなく、変転し続ける相の中にある」ということを肯定するのでしたら、書かれた文脈から、「一般の現実は留まることなく、変転し続ける相の中にある」と解釈できますがよろしいですか?
現象=一般の現実 への置き換えは、おおよそ間違いではないと思います。ただし、科学的な現象だと狭く、小説よりも奇なる現実だと広いイメージを持ちます。つまり、現実は、説明のつかないものまで含んでいそうです。
>ここで一般の共有される現実というのは厳密にはないのです。
共有されているかどうか問いません。楽しいかどうかは関係ないと思います。
>「その現実は一時たりとも確定せず、論理的に虚構である」と結論づけるのは自然だと思います。
変化し続け、一時たりとも確定しないもの、たとえば「雲」は虚構でしょうか。単なる現象(現実)だと思うのですが・・・。
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No.9
- 回答日時:
こんばんわ。
No2です。>自己(自我?)が虚構に限定され、現実ではないということは、現実と虚構を峻別し、それぞれの概念に明晰な境界を引き、
共有部分がないという理解でよろしいでしょうか。
ここでとりあえず現実を、物理法則等の自然法則に則る全宇宙とします。
ここで認識される事象の実相は、常に変化し続けるという事実であって、その変化を
いわゆる時間軸に沿った形式として認識しているのは自己側であるということです。
つまり、この自己という事象として成立する概念は、もともと現実である全宇宙の中にありながら、
全宇宙には属していないのです。これを指して自己は虚構と言っています。
この虚構であることろの自己が認識する現実は、それがいかなる対象であれ、これを峻別し完全にイメージし
完全に表現することは不可能なのです。
自己からみて、自己の外側は、現実であり、自己とその限界に境界が引かれます。
全宇宙からみて(虚構かもしれませんが 笑)全宇宙と自己との境界はありません。
>結局、現実は虚構の一部であると言ってもいいのでしょうか。この場合、現実と虚構を峻別できず、
それぞれの概念に明晰な境界が引けず、ぼんやりとして曖昧な共有部分があるという理解でよろしいでしょうか。
自己が現実と虚構を峻別できないから境界を引けないと言うことではあるのですが、もともと自己が虚構であるが故に、
峻別できる完全な能力を有していないのです。
そういったことを認識する自己その立場に立てば、仰るとおり、現実は虚構の一部であると言えますし、
前段で想定した現実から見ると、あくまでも虚構は現実が構成しているにすぎないと言うことになると思います。
この回答への補足
>ここでとりあえず現実を、物理法則等の自然法則に則る全宇宙とします。ここで認識される事象の実相は、常に変化し続けるという事実であって、その変化をいわゆる時間軸に沿った形式として認識しているのは自己側であるということです。
現実=全宇宙、時空において常に変化し続ける事実ですね。
>つまり、この自己という事象として成立する概念は、もともと現実である全宇宙の中にありながら、全宇宙には属していないのです。これを指して自己は虚構と言っています。
自己=虚構、全宇宙の中にあり、かつ、全宇宙には属していない?
これは、矛盾ですか?
>自己からみて、自己の外側は、現実であり、自己とその限界に境界が引かれます。全宇宙からみて(虚構かもしれませんが 笑)全宇宙と自己との境界はありません。
矛盾ですか?何か釈然としないのですが・・・。何か具体的な例示で表現していただけませんか。よろしくお願いします。
No.8
- 回答日時:
まず虚構と現実の境目をはっきりさせた方がいいと思います。
現実=意識に浮かび上がってきた対象の対象そのもの
虚構=現実以外
となれば一部ではないです。
これが
虚構=意識に浮かび上がってきた対象の様相
となれば一部と言えると思います。
また現実と虚構の定義が
現実=対象そのものであり知覚される前の段階
虚構=意識に浮かび上がってきた対象や様相
となれば一部ではないとなると思います。
参考にしてください。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
核心に近づいてきた予感がします。
できれば、具体的な例示をお願いできますか。
抽象的な定義ではなく、あなたの「生きた表現」として。
たとえば、現実的には、ミッキーマウスは単なる着ぐるみに過ぎないけれども、虚構の中では、擬人的に振る舞い、大活躍する。これだと、定義いただいたことと、微妙に違うような気がするのですが・・・。
>現実=対象そのものであり知覚される前の段階
>虚構=意識に浮かび上がってきた対象や様相
に適合する例がありますでしょうか。
お手数かけますが、よろしくお願いします。
No.7
- 回答日時:
東京ディズニーランドについていえば、「虚構を体験できるという現実がある」といっても、その現実はひとによってさまざまであるといえるでしょう。
同じひとでもそのときのコンディションで楽しめなかったり楽しめたりするかもしれない。事故がおこるかもしれない。ミッキーの大ファンかどうか(経験、記憶)でも楽しめるかどうかが違う。すなわち、現実と思える状況は個人や時間、空間的な条件などによってとても変わってくるわけですから、現実と思える状況はすべて虚構であるとさえ言えます。
色即是空、存在(現実)はすなわち空(虚構)なのです。
この回答への補足
>色即是空、存在(現実)はすなわち空(虚構)なのです。
空は虚構のことであるという部分が、かなり乱暴な解釈ではないかと存じます。「現象は留まることなく、変転し続ける相の中にある」というような解釈かと思うのですが・・・。「色」は、変転する現実と思います。結局、現実は、虚構であるのでしょうか?
No.6
- 回答日時:
度重なる世界大戦の末、アメリカが世界中でもっとも力のある国と認知されています。
そのアメリカに反旗を翻したのは、ロシアでも、ヨーロッパの大国でもなく、名もなき民族の少数団体です。現実にパワーバランスだけ考えたら、アメリカの完全勝利はゆるぎないものと思われますが、ところが現実にはテロと呼ばれるその虚構は大国アメリカと五分以上の戦いをしています。虚構、イメージそれ自体が肥大化される情報化社会、そしてリアルという概念が交換されより大きな力を持つ時代。虚構が現実を超える時代。
イメージと現実が交換される・・
価 値基準の変容。絶対的なリアルがない時代に突入した現在、虚構が現実に包含される・・?リアルが虚構を超え、虚構自体が現実となる・・?
ディスにーランドというある種現実と切り離した虚構が、現実としてそこにあるということ。そしてその虚構-現実に交換された対価としてお金を払うということ。この例は、資本主義の一要因を提示しただけに過ぎず、、「A(現実)がB(虚構)の一部であると考えていいでしょうか」という問いに対する適切な事例とは思えません。
サブプライムの破綻により、アメリカのドルが力を失います・・しかしドル?これは虚構のイメージです。円?これも虚構のイメージです。
しかし現時点でお金=価値に虚構自体が意味を持ちます。そしてその虚構が現実に換金されます。一ドル92円~105円この値幅で僕は100万くらい稼ぎました。そして、僕自身小さな会社を経営しているのですが、大の大人が、僕より十以上上の人が、僕に頭を下げます。これこそまさしく虚構と現実が交換された事例と思います。
僕自身はテロも金もそれに対するイメージもすべて虚構であると考えています。でも実際はどうでしょう?現実に交換されています・
思想は思想でしか、交換されず思想を越えることはできない・・
現実自体がもうすでに虚構(イメージ)なのではないか・・?
リアル・・?イメージ・・?
哲学カテなんでこんなところでどうでしょうか?
この回答への補足
>サブプライムの破綻により、アメリカのドルが力を失います・・しかしドル?これは虚構のイメージです。円?これも虚構のイメージです。
しかし現時点でお金=価値に虚構自体が意味を持ちます。そしてその虚構が現実に換金されます。一ドル92円~105円この値幅で僕は100万くらい稼ぎました。そして、僕自身小さな会社を経営しているのですが、大の大人が、僕より十以上上の人が、僕に頭を下げます。これこそまさしく虚構と現実が交換された事例と思います。
通貨が虚構ということなのでしょうか。
イメージが虚構ということなのでしょうか。
虚構と現実の交換とは、通貨を介在するということでしょうか。
交換の仕方とかメカニズムのような部分が分かりません。
もう少し、緻密に記載いただけきたいのですが、理解に苦しんでしまいます。ほかの方にも分かるように、簡潔にお願いします。
それと、テロも虚構なのですね。そして、リアルと交換されるという部分がよく分かりませんので、噛み砕いていただけますか。
No.5
- 回答日時:
まず、前提の
「AがBであると言うとき、AよりもBの領域の方が広く、AがBの一部である関係が成り立っている」
はありえないです。
AがBであるということはA=B、AとBは同等です。
続く文も定義としては有効ですが、一般論としては成立しません。
ま、それはともかく、
「虚構を体験できる現実」というのは虚構の世界を外である現実に立ってはじめて成立することばです。
「現実であっても、虚構に含まれた集合関係のような位置付け」とは
その遊園地の中から遊園地の中に作られた世界を見ることで可能となります。
この場合、現実の中にある虚構の世界から虚構の世界を見ることになりますが、虚構の世界しか見ることができないので外の現実は無視されます。
つまり「現実が虚構の一部である」とは考えられません。
虚構の中で虚構を夢想しても虚構は虚構です。しかし、外を囲む現実が消去されることにより、主観によっては虚構の中を現実として再構築される場合もあるでしょう。その場合、同様の虚構は現実と置換され、別の虚構は虚構として存在を認知されるはずです。別の虚構が「存在する」ものとして、ですが。
これが遊園地の中に入って虚構を捕らえる場合のパラドックスの説明になります。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
>まず、前提の
「AがBであると言うとき、AよりもBの領域の方が広く、AがBの一部である関係が成り立っている」はありえないです。
AがBであるということはA=B、AとBは同等です。
No.4の補足の後半部分と同じ質問をさせていただきたいと思います。
>「虚構を体験できる現実」というのは虚構の世界を外である現実に立ってはじめて成立することばです。
-----------
l l---- l l
l l 虚構 l 現実 l
l l---- l l
----------- こんなイメージでしょうか。
>「現実であっても、虚構に含まれた集合関係のような位置付け」とは
-----------
l l---- l l
l l 現実 l 虚構 l
l l---- l l
----------- こんなイメージだと思います。
>その遊園地の中から遊園地の中に作られた世界を見ることで可能となります。この場合、現実の中にある虚構の世界から虚構の世界を見ることになりますが、虚構の世界しか見ることができないので外の現実は無視されます。
ここの意味が分かりません。イメージが逆転しているようなのですが。前のイメージのまま、展開していると思います。よって、結論も破綻しているように思うのですが。
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