最近気になって仕方がないのですが、純文学と大衆文学の違いとは
何だと思われますか?

学術的な定義はよくわかりませんが、自分自身は

・純文学→人間や生き方を追求。人の内面世界を重視。固め暗め。
・大衆文学→ストーリー自体の面白さを追求。エンターテイメント性重視。軽め。

という風なイメージを持っています(個人的には大衆文学の方が好みです)。

でも、最近、「純文学はエンターテイメント性は低いのか?」「大衆文学
だって、人間を深く描いているものもあるじゃないか」、という疑問を
持つようになり、「純文学・大衆文学の違いってなんだろう」と思うように
なりました。特に、純文学って何?、と。

知人とそのことについて話したところ、「自分は純文学と言われる本は
嫌い」とのこと。理由は、「作者も登場人物も自分(の世界)に酔ってる
感じがする」「内面がドロドロ書いてあって、書いた本人はスッキリ、
読んでる方はどんより。わざわざ暗い気分になるために本を読みたくない」
からだそうです。これは、その場のノリで話した内容なので、極端な言い方
だとは思いますが、私自身が「読後感がスッキリ爽やかな明るい純文学」に
出会ったことが無かったので、少し納得したりも(笑)

線引きや言葉の定義について深く考えることもないかな、とも思うのですが、
何となく気になるので、純文学と大衆文学の違いやそれぞれの魅力について
皆さんの意見をお聞かせ願えればと思います。また、それぞれのお薦めの一冊、
というものがありましたら教えていただけると嬉しいです。範囲が広すぎる
とは思いますが、あえて!特に、明るい純文学を知りたいです。

内容の薄い質問の割に、うまくまとめられず長くなってしまい、失礼しました。
お時間のある方、よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

こんにちは。


お礼読ませていただきました。すぐに補足を書いたのですがgoo側に
削除されてしまったようで、kaigaisenさんの補足要求の再回答が
結果として遅れてしまい、失礼しました。

<<宮本輝について>>
純文学より大衆文学にカテゴライズされる作品がはるかに多いです。
ダ・ヴィンチ誌上インタビューで「希代のエンターテインメント小説作家」
というタイトルが振られるくらいです。
『道頓堀川』から読書を始められるのはお薦めしません。純文学→大衆文学への
変遷作なので、
(1)作品として洗練されていない(私個人は大変好きな話ですが)
(2)もし純文学と大衆文学の違いを理解されたいなら川三部作を初めから読むほうが
  よい(『泥の河』『蛍川』『道頓堀川』の順)
という要素があるからです。
kaigaisenさんが質問の「純文学・大衆文学」にこだわって理解を深められたいなら(2)の方法で作品を読むとよいかもしれません。
単に宮本作品を読んでみよう!と思われたのでしたら、『ここに地終わり海始まる』『錦繍』がよいかも。
また全集が出ていますので、それを順に読まれてもよいかもしれませんし、
映画化された作品が多々ありますので、それらをご覧になってもよいかもしれません。江角マキコ主演の『幻の光』、岸谷ゴロウ(漢字分かりません)出演の『わたしたちのすきだったこと』などあります。

<<漱石・鴎外について>>
鴎外は『舞姫』かな?
漱石はわたしも『こころ』がよいかと思います。

<<純文学の暗さについて>>
生と死はどうしてもエンターテインメントなしに語ると自然と暗くなりませんか?
だから意識して暗くかいてるわけじゃないと思います。
ただ海外の純文学は日本のものより明るいイメージを抱くことが。
芸術作品を作り上げる際に影響するだろう、国民性の違いでしょうか?
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ライトノベルというのは、ちゃんとした定義はないかもしれませんが「軽い小説」、気軽に読める小説を指すようです。

とりあえずティーンズハートやコバルトシリーズも含みますし、ソノラマ文庫・富士見ファンタジア文庫などで出ているヤングアダルト向けファンタジー(昔の言葉でいえばジュブナイル)、さらにハーレクインシリーズ、ポルノ小説、ボーイズラブ系(やおい系と言った方が通りがいいかな?)など全般を含む言葉として使われているようですね。
こうした作品群が人間の深みを描いていない、と決めつけては失礼かもしれませんが、本来の目的は気軽に読み捨てられるという点です。想定読者層の分化が進んでいますから、誰でも楽しめるというわけではないにせよ、「大衆小説」の定義にはぴったり当てはまるのではないでしょうか。
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皆さんが言われているように


ある種の思想・思考を追求したのが「純文学」
それ以外が「大衆文学」
こんな分類だと思います

「書く前に読もう超明解文学史」三田誠広著・集英社文庫を
読んで以下のように理解したのですが

昔の「物語」に対し主人公に感情移入出来るようにしたのが
「小説」のそもそもの始まりであった
そのためには怪獣(竜)を退治したり・月世界に戻るより
隣のお姉さんを好きになったり・なんで自分は何故生まれたんだ
を書いたほうが読む人が感情移入しやすい
そこから発展して人間(自分のこと)をより自然により写実的に
描くことが「小説」の本流に成っていった

その一方で「物語」の発展系のちょいと東海道を歩いてみました風に
読む人に単純に楽しんでもらうのが目的の流れがあった

そこで「小説」を書いている仲良しグループ(文壇?)の中から
”あんなのは小説(文学)じゃない”の声が高まり
もともとプライドの高い・知的な人たちだから
”売れればいいてもんじゃない”
”俺たちの書いているのはもっと純粋な小説なんだ”と・・・・
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芥川賞の対象となるのが純文学で、直木賞の対象となるのが大衆文学です。

ってのは冗談ですが(^^)。

実際のところ、既に垣根はなくなっているんじゃないかと思います。とか言うと怒る人もいるのかな?
でも、大衆文学と言われるものにも芸術性・思想性に富むものはたくさんあるし、テーマの点でもさほど差があるとは思えないし。

昔は子どもの読み物だったマンガにだって、今では深い人間分析と高度な表現技術を持つ作品が生まれている時代です。「純」と「大衆」を区別することこそナンセンス。無理に区別しようとすると「これは難解で暗くてわかんないから純文学」という定義になってしまいそうで、かえって純文学の人気とレベルを落としちゃう気がします。

私としてはこんな意見ですが、いかがでしょう?
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「中間小説」なんて言葉もあります。

大衆小説に人間描写を付け加えたもの、あるいは純文学にエンターテインメント性を付け加えたもの、いずれにしても純文学とエンターテインメントの中間にある小説として提唱されました。現在、直木賞の対象になるような作品は、ほとんどこのジャンルに含まれると思います。
「大衆小説」を古い辞書で引くと「時代小説のこと」なんて定義があったりします。時代小説しかエンターテインメントが存在しない時代があったんですね。昨今の時代小説は中間小説的でなければ相手にしてもらえないので、本来の意味での大衆小説(純粋エンターテインメント)はファンタジー文庫などのライトノベル系に生き延びている、とも言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「中間小説」という言葉、初めて知りました。私が一番好きなジャンルは、多分これにあたります。物語を楽しむ中で、人生や人の持つ様々な側面を匂わせる・感じさせるような作品が好きなので。

それにしても、大衆小説がもともと時代小説とは。直木三十五が時代小説作家だということは聞いていたのですが、もともとは「大衆小説=時代小説」だったんですね。私の時代小説観は中間小説的なものだったので、逆に、純粋なエンターテイメント時代小説を読んでみたくなりました。

「ファンタジー文庫」「ライトノベル系」とは何でしょう?小中学生の頃はまった少女向け小説のティーンズハート・コバルト文庫のような系統でしょうか?(でも、これらは少女小説なので、万人向けじゃないですし・・・違うかなぁ)

お礼日時:2001/02/22 20:38

未熟な時に論展開したことなので自信がありとはいえないのですが、


宮本輝という作家が純文学作家から大衆小説作家に代わっていった過程を
研究したことがありました。

まず純文学とは純粋な芸術を目指して執筆された作品のこと。
世の流行、読み手への受けを度外視した作品です。
読み手の理解力を考慮していないといってもよいと思います。
大衆小説とは、大衆の理解力を考慮し、興味を引くことをねらいに入れた
作品のことです。
一般的に文学研究においては大衆小説は純文学に劣る風潮がまだまだあります。
たとえば私が研究した宮本輝には「川三部作」といわれる「泥の河」「蛍川」
「道頓堀川」という作品があります。前2作は純文学とカテゴライズされていますが、最後の1作は大衆小説への変遷作として前2作より評価が下がっています。
しかし大衆小説の形態をとることで、多くの人に受け入れられ、テーマが伝わりやすくなった一面を私は評価したい立場です。

明るくすっきりした純文学といわれるとむずかしいですね。
読み手よりも作品の芸術性を昇華させる方向で書かれているので、
ちょっと思いつきにくい・・・。漱石の作品が強いて言えば求められているものに
近いかもしれません。どろどろの原因は人の生と死を直面視した要素が
純文学には多いからではないでしょうか。それに性がからむとなかなかきついものがありますよね。
しかし時を経て読み継がれてきた文学作品には強い魅力があります。
短い作品をよんでみられるとよいかもしれません。
個人的には鴎外、芥川などが好きです。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすいご返答、ありがとうございました。

よく書店で平積みされているのを目にしつつ、(こんなに作品数が多いと選べない・・・)と素通りしていた宮本輝作品が、純文学から大衆文学へと変遷していったとは知りませんでした。(ひょっとして、大衆文学作家となってからの著作の方が多いのでしょうか?←なんとなく、純文学より大衆文学の方が執筆ペースが速そうなイメージがあるもので)。「道頓堀川」が読みたくなりました。個人的に、(程度によりますが)分かりやすく書かれた作品の方が好きなので。

私が書く側だったら、テーマが伝わりやすい描き方を選ぶような気がします。読み手の顔(?)を浮かべながら書く方がいいです。これも私の勝手なイメージなのですが、同じ書く作業でも、大衆文学を書く作業は一種のコミュニケーションなのに対し、純文学は本当に孤独な作業という感じがするんです。純文学には、読み手のうけを排除して書くからこその、つきつめられ完結された作品観があって、それが魅力となるのでしょうが、自分がそういう風に書くのは辛いです。魂を削られそうで。でも、そのようにして書かれるからこそ、人の心を打つのでしょうね。


>漱石の作品が強いて言えば求められているものに
近いかもしれません。

お薦めありがとうございます。中学一年生の頃、母の蔵書だった漱石作品(たぶん、「こころ」だったような)をめくった時は、(なんだか静かで面白くない・・・)とすぐに閉じてしまった記憶があるのですが、同じ頃に読んで、(??・・・終わり?)だった「星の王子様」が、最近再読した際、とてもよかったので、そろそろ漱石作品にも手を出そうかな、と思いました。

同時に、中学生当時、母に言われた「大人にならないと面白くない本もあるのよ」という言葉も思い出しました。あの頃は、その言葉が信じられず、(昔の人の考えたことは、大人になったってわかりっこない)なんて可愛くない事を考えてたものです。でも、母は正しかったです(笑)! 話が脱線していますが、

>時を経て読み継がれてきた文学作品には強い魅力があります。

というお言葉に、うんうんと納得できたもので・・・。人間の根本って変わらない部分、たくさんあるんですね。私はまだ、「自分は大人だ」と胸を張れるような年ではないのですが、少しづつ「年をとらないとわからないこと」がぼんやりと見えてきた気がします。ここれから、読書の幅を広げるためにも、「読み継がれてきたもの」に、じっくりと浸っていきたいです。ただ、生や死・性といった普遍的な重要テーマであっても、必ずしも重々しく書かれる必要は無いのでは?とも思ってしまうんですよ(^^;。明るい純文学ってあり得ないのでしょうか??

お礼だかなんだかわからなくなって参りましたので、さすがにこの辺で。もしよろしければ、漱石や鴎外作品の「初めの一冊」をお薦め頂けると嬉しいです(こういうリクエストは、改めて投稿する必要があるのかもしれませんが)。長文失礼しました。

お礼日時:2001/02/22 18:53

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Q非純文学の定義

僕は最近小説を読むようになり純文学というものの存在を知りました。
辞書によれば「通俗文学・大衆文学と違って多く売れることを期待せず、純粋に芸術的な意図の下に作られている文芸作品」だそうです。

それはすごくすばらしい事だから純文学を読みたいと思ったのですが、何をもって多く売れることを期待しているかいなかを判断すればいいのか?という疑問がわきました。
その他にも純文学なのか非純文学なのかを判断するポイントがあれば教えてください。

Aベストアンサー

こんばんは。
読書好きの二十代後半の女性です。

「純文学」と「非純文学」の線引き、ですか。。。「多様な価値観」が叫ばれ「尊ばれるべき」とされる中で、語弊/誤解を恐れずにこれを語る事はなかなかに難しいな。。。と思えます。^^

ちょっと、ウィキペディアを覗いてみましたら、
「現代の主要な純文学作家としては、北杜夫、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、島田雅彦らの名前が挙げられる。」となっておりました。「純文学」で検索したら出て来ましたので、参考になさると良いかと思われます。

さて、
「何をもって多く売れることを期待しているかいなかを判断すればいいのか?」を「中心」に、「純文学か非純文学か?」について、がご質問ですね。。。。

「評価」「分類」と言うものは、「過去に対して」のもので、「作家の意図/主題」と言うものは「未来に対する」ものです。そして、私が考える「純文学か非純文学か?」の違いは、この「作家の意図/主題」の違い、です。

故灰谷健次郎さんの「少女の器」にこんな一節がありました。。。。
「それで、何? パパ」
「なんだったっけな」
「人に認められるのはうれしいことだけど、しかし・・・とパパはいったでしょ」
ああ、と男はいった。
「つくり手はね・・・」
「芸術家という意味?」
「自分で芸術家というのは面映いだろ」
「分かる」
と絣はいった。
「つくり手というものは作品の値打ちと世間の評価は本質的に関係ないと思っていないと堕落するってことをいいたかったんだよ」

「純文学作家」は、
*「作家の意図/主題」先行
*この「意図/主題」に「流行」「人気」は加味されず、
*作家自身の「思考」「本質」「衝動」によって「生成」される
*「商業面の成功」については「まあ、売れたらいいかな。。。」くらい

「非純文学作家」は、
*「意図/主題」に「流行」「人気」が多分に加味されて「選択」される。
*「商業面の成功」の目処が立っている。
*いわば「職業作家」という感じ。

いくつもお読みになって行くと、「重たい」と感じる作品に出会うと思います。私はそれこそが「純文学の必須項目」だと思えます。「重たさ」は「作家の人格の重たさ」だと思えるのです。「重たい人」って、昨今「人気が無い」ですよね。「彼女にこんな発言されたら重たくて嫌ですよね?」等と言うフレーズを良く聞きます。あまり「重たさ」って「好かれません」。

古くなりますが、夏目漱石の「我が輩は猫である」は「大衆小説」だと思われますが、「こころ」等はとてもそのような分類は出来ません。この「重さ」の違いが、「純文学と非純文学」の違い、と私は考えております。

これで回答になっていますでしょうか。。。

こんばんは。
読書好きの二十代後半の女性です。

「純文学」と「非純文学」の線引き、ですか。。。「多様な価値観」が叫ばれ「尊ばれるべき」とされる中で、語弊/誤解を恐れずにこれを語る事はなかなかに難しいな。。。と思えます。^^

ちょっと、ウィキペディアを覗いてみましたら、
「現代の主要な純文学作家としては、北杜夫、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、島田雅彦らの名前が挙げられる。」となっておりました。「純文学」で検索したら出て来ましたので、参考になさると良いかと思われます。

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Q純文学と大衆小説の違いについて教えてください! 純文学 →読者を意識せず、作者が、伝えたいことや思う

純文学と大衆小説の違いについて教えてください!
純文学
→読者を意識せず、作者が、伝えたいことや思うことを作者のセンスで書いたもの。
大衆小説
→読者を意識し、読者が読みやすく親しみやすいよう書かれたもの。

自分なりに説明してみるとこんな感じなんですけど、こういう認識でいいんでしょうか…。よくわからないのでお願いします。

Aベストアンサー

大衆小説は、おもに筋や展開の面白さで読ませるもので、読者は基本的に、主人公や周囲の人物に感情移入して、ハラハラドキドキできればそれでいい、というものです。

純文学は、ストーリーはそこまで重要ではなく、言葉や表現そのものの奇抜さや面白さを味わわせたり、普通なら思いもしないような感覚や感情を描いたりするものですね。

Q純文学・大衆文学

最近気になって仕方がないのですが、純文学と大衆文学の違いとは
何だと思われますか?

学術的な定義はよくわかりませんが、自分自身は

・純文学→人間や生き方を追求。人の内面世界を重視。固め暗め。
・大衆文学→ストーリー自体の面白さを追求。エンターテイメント性重視。軽め。

という風なイメージを持っています(個人的には大衆文学の方が好みです)。

でも、最近、「純文学はエンターテイメント性は低いのか?」「大衆文学
だって、人間を深く描いているものもあるじゃないか」、という疑問を
持つようになり、「純文学・大衆文学の違いってなんだろう」と思うように
なりました。特に、純文学って何?、と。

知人とそのことについて話したところ、「自分は純文学と言われる本は
嫌い」とのこと。理由は、「作者も登場人物も自分(の世界)に酔ってる
感じがする」「内面がドロドロ書いてあって、書いた本人はスッキリ、
読んでる方はどんより。わざわざ暗い気分になるために本を読みたくない」
からだそうです。これは、その場のノリで話した内容なので、極端な言い方
だとは思いますが、私自身が「読後感がスッキリ爽やかな明るい純文学」に
出会ったことが無かったので、少し納得したりも(笑)

線引きや言葉の定義について深く考えることもないかな、とも思うのですが、
何となく気になるので、純文学と大衆文学の違いやそれぞれの魅力について
皆さんの意見をお聞かせ願えればと思います。また、それぞれのお薦めの一冊、
というものがありましたら教えていただけると嬉しいです。範囲が広すぎる
とは思いますが、あえて!特に、明るい純文学を知りたいです。

内容の薄い質問の割に、うまくまとめられず長くなってしまい、失礼しました。
お時間のある方、よろしくお願いします。

最近気になって仕方がないのですが、純文学と大衆文学の違いとは
何だと思われますか?

学術的な定義はよくわかりませんが、自分自身は

・純文学→人間や生き方を追求。人の内面世界を重視。固め暗め。
・大衆文学→ストーリー自体の面白さを追求。エンターテイメント性重視。軽め。

という風なイメージを持っています(個人的には大衆文学の方が好みです)。

でも、最近、「純文学はエンターテイメント性は低いのか?」「大衆文学
だって、人間を深く描いているものもあるじゃないか」、という疑問...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。
お礼読ませていただきました。すぐに補足を書いたのですがgoo側に
削除されてしまったようで、kaigaisenさんの補足要求の再回答が
結果として遅れてしまい、失礼しました。

<<宮本輝について>>
純文学より大衆文学にカテゴライズされる作品がはるかに多いです。
ダ・ヴィンチ誌上インタビューで「希代のエンターテインメント小説作家」
というタイトルが振られるくらいです。
『道頓堀川』から読書を始められるのはお薦めしません。純文学→大衆文学への
変遷作なので、
(1)作品として洗練されていない(私個人は大変好きな話ですが)
(2)もし純文学と大衆文学の違いを理解されたいなら川三部作を初めから読むほうが
  よい(『泥の河』『蛍川』『道頓堀川』の順)
という要素があるからです。
kaigaisenさんが質問の「純文学・大衆文学」にこだわって理解を深められたいなら(2)の方法で作品を読むとよいかもしれません。
単に宮本作品を読んでみよう!と思われたのでしたら、『ここに地終わり海始まる』『錦繍』がよいかも。
また全集が出ていますので、それを順に読まれてもよいかもしれませんし、
映画化された作品が多々ありますので、それらをご覧になってもよいかもしれません。江角マキコ主演の『幻の光』、岸谷ゴロウ(漢字分かりません)出演の『わたしたちのすきだったこと』などあります。

<<漱石・鴎外について>>
鴎外は『舞姫』かな?
漱石はわたしも『こころ』がよいかと思います。

<<純文学の暗さについて>>
生と死はどうしてもエンターテインメントなしに語ると自然と暗くなりませんか?
だから意識して暗くかいてるわけじゃないと思います。
ただ海外の純文学は日本のものより明るいイメージを抱くことが。
芸術作品を作り上げる際に影響するだろう、国民性の違いでしょうか?

こんにちは。
お礼読ませていただきました。すぐに補足を書いたのですがgoo側に
削除されてしまったようで、kaigaisenさんの補足要求の再回答が
結果として遅れてしまい、失礼しました。

<<宮本輝について>>
純文学より大衆文学にカテゴライズされる作品がはるかに多いです。
ダ・ヴィンチ誌上インタビューで「希代のエンターテインメント小説作家」
というタイトルが振られるくらいです。
『道頓堀川』から読書を始められるのはお薦めしません。純文学→大衆文学への
変遷作なので、
(1)作品として洗...続きを読む

Q新人文学賞の傾向(純文学系)

新人文学賞に応募したいと考えています。
文學界新人賞、群像新人文学賞、新潮新人賞、すばる文学賞、文藝賞、のどれかに応募したいと思ってます。
過去の入選作などを読んだりしているのですが、傾向があるようなないような。
例えば、主人公の視点がひねくれている(笑)とか、性を主題にしているものが多いとか、今時の世間で流行っている気分が出ているとか、主人公の年齢層とか、受賞者の年齢層とか、結末がハッピーエンドかアンハッピーかとか、etc。
何か感じることがあったら教えて頂きたいのですが。
よろしくお願いします!

Aベストアンサー

純文学系のことはよくわからないので単なるイメージですが、カラーはやはりあると思いますよ。読者層が若いとか、保守的とか、とんがってるとか。

どの程度研究すべきかは何とも言えないでしょう。
付け焼き刃でも入賞することもあれば、研究し尽くしたって何ともならない場合だってあるでしょう。
結局は作品が全てということです。
ただ、新築の家にリフォームのセールスに行くような真似はしたくないですから、アバウトに流れを把握しておくくらいのことは必要でしょう。
それがどこまでプラスになるかはわかりませんが、少なくともマイナスではないはずです。

Q最近の小説は純文学よりえらいか

僕は純文学が好きで色々読んできました。先日友達と話していたら、「純文学は難解なだけで読むだけ無駄だと思うけどな。最近の小説の方が面白いし偉いと思うよ。」と言われ、ちょっとショックを受けました。どういう基準でえらいと言っているのか分かりませんが、純文学を読むのは無意味なことでしょうか??

Aベストアンサー

1冊の本との出会いが人生を変えることもあります。本を読むことは無意味ではありません。

ただ難解なだけの物が何百年、何千年と受け継がれるでしょうか。純文学を含めいわゆる芸術作品は「良いもの」だからこそこの世に存在しているのだと思います。

大衆小説や流行歌も無意味ではありませんし、世界中に味わい尽くせないほどの芸術があります。気にせずどんどんいろんな物に触れましょう。

参考URL:http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/kt-1000sp.htm

Qラノベと純文学の扱いの差(一般文学作品)

学生の頃、友達が読書感想文の題材でライトノベルを使っていました。
作文は高評価だったのですが、ラノベが題材ということで先生に苦い顔をされたらしいです。
それを思い出して疑問に思ったのですが、読書感想文=純文学(一般文学作品)ってイメージが強いですよね。ラノベで書く子もいますがそれって少数だと思いますし。

この扱いの差って何だろう?と疑問に思いました。
ラノベと一般文学の違いを比べたら、表紙のイラスト(萌え絵かどうか)・文体・題材がファンタジーが多い等色々出てくると思います。
でも表紙がイラストに関して言えば「仏果を得ず」「夜は短し歩けよ乙女 」「十二国記」なんかもイラストですよね。でもこれらの作品はラノベじゃなくて一般文学作品に括られてます。表紙の「イラスト」が問題ではなく「萌え絵」(アニメや漫画をあまり見ない人が見てオタクぽいと感じる絵?)かどうかなのでしょうか。
最近だと桜庭一樹の作品がハードカバーになりましたが、文庫版にあった可愛いイラストはなくなっていましたし。

あとちょっと話がずれますが、乙一・桜庭一樹・小野不由美等もラノベを書いていましたが、最近では文学作家に分類されてる気がします。これは賞をとったから?

私の母はアニメや漫画は手塚治やジブリくらいしか詠まない人ですが、小説は沢山読んでいます。ですがラノベに関しては読みたいと思ってはいるけど手はでない、と言っています。
ラノベを読まない人はどうして読まないのでしょう?
読書感想文でラノベを題材にすると顔を顰める人は多いと思いますが、何故でしょう?
疑問符が多くてすみません。
うまい質問文が思いつかないのですが、ようは上記のような扱いの違いって何故なんだろう?ということです。

私はラノベも読みますし好きですが一般文学で育っているので、どうしても贔屓目で考えちゃいます。
なのでラノベ愛読家(そうでない人でも!)の皆さんの意見が聞きたいです。
よろしくお願い致します。
ちなみに「ラノベだって面白い作品あるよ!馬鹿にするな!」という回答ではなく、ラノベと文学の扱いの差(?)についてでお願いします。

学生の頃、友達が読書感想文の題材でライトノベルを使っていました。
作文は高評価だったのですが、ラノベが題材ということで先生に苦い顔をされたらしいです。
それを思い出して疑問に思ったのですが、読書感想文=純文学(一般文学作品)ってイメージが強いですよね。ラノベで書く子もいますがそれって少数だと思いますし。

この扱いの差って何だろう?と疑問に思いました。
ラノベと一般文学の違いを比べたら、表紙のイラスト(萌え絵かどうか)・文体・題材がファンタジーが多い等色々出てくると思いま...続きを読む

Aベストアンサー

この問題を論じるにあたって、必ず踏まえなければならないと思われる、古典的な文章があります。

横光利一「純粋小説論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2152_6546.html


ここで「通俗小説」とされているものと、現在のライトノベルは、時代の変遷による違いはあるにせよ、位置づけとしては似た物として考えて差し支えないと思います。

僕は、ライトノベルと呼ばれるものはほとんど読みません。
一番の理由は、「知的刺激」が僕にとってあまり感じられないということが挙げられます。
語彙、漢字の使い方、前提となる知識、そういうものが「薄い」のが現在のライトノベルの特色だと考えています。
酷いいい方をすれば、何も知らない無教養な人間にも理解可能な文章。
これは、一定水準以上の教養のある人間にとっては、つまらなくて当たり前です。

とはいえ、ストーリーがわかりやすく、読みやすいと言うのも、モノ書きの腕の見せ所ではあります。
しかし、例えばトルストイがアンナ=カレーニナで見せつける、あの圧倒的に精緻な人物表現力、洞察力を目の当たりにしてしまうと、いかにも「偽もの」「薄っぺらい」と感じないわけにはゆきません。

■ラノベと文学の扱いの差(?)について…

敢えて、強引に分類すれば

●読むために前提とされる教養の差
●人物・状況の描写の精緻さ、洞察の差

むしろ、伝統的に言われてきた「偶然性」と「感傷」という問題は、あまり重要ではないように思えます。
そして、横光氏もかって論じた通り、通俗性、わかり易さもない文学は、本当の意味で優れたものとは言えません。
この技術的な二律背反性を、その作家なりに以下に克服するか?そして、問題意識を文章に織り込むか?
この
●「志の有無」
こそが、本来の純文学とライトノベルを区別するポイントであると、僕は思いたいです。

この問題を論じるにあたって、必ず踏まえなければならないと思われる、古典的な文章があります。

横光利一「純粋小説論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2152_6546.html


ここで「通俗小説」とされているものと、現在のライトノベルは、時代の変遷による違いはあるにせよ、位置づけとしては似た物として考えて差し支えないと思います。

僕は、ライトノベルと呼ばれるものはほとんど読みません。
一番の理由は、「知的刺激」が僕にとってあまり感じられないということが挙げられます。
...続きを読む

Q純文学の対義語は?

よく「この本は純文学だ」という表現がありますが、
その対義語はなにになるのでしょうか?大衆文学でしょうか?
芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学という概念抜きで気になっています。
教えてください。

Aベストアンサー

確かに難しい。
対義語は決められんでしょう

>芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学という概念抜きで…

感覚的には対義語は通俗小説と云う事になるのでしょう。
分かりやすいのは、週刊誌などで純粋(?)にSEXを主眼に置いた
ものでしょう。
アニメの本(例えばガンダム)なんかも純文学とは言えない。

対義語は色々あるのでしょうが、実際に読んだ本をこの意味で分けようとすると、
いざどの読物がどちらの範疇に入るのか
よく解りません。

藤沢周平とか、今、大ベストセラーの水滸伝は純文学なのですか?

純文学という規定自体が宙に浮いた、似非芸術家の自己満足だと思われてなりません。

音楽でも、絵画でも、芸術かそうでないかがあると感じます。
歴史が解決してきました。

100年後に分かるのかも。

独り言:テレビでは歌手を全て、アーティストなんて言っているアナウンサーがいますが、彼らは日本語を理解していません。

Q最近のものでおすすめの純文学を教えて下さい。

ミステリーやホラーを好んで読んでいたのですが、
うっとりするような素敵な文章の本をもっと読みたいと思うようになってきました。

50年以上前に遡れば名作が沢山あるのは知っていますが、
純文学に若干苦手意識もあり出来れば最近のものの方がとっつきやすいのでは、と思って質問してみました。

日本の作品で、文章が上手で恋愛メインではないものがいいです。
目に浮かぶような情景描写や巧みな心理描写、読み終わってしまうのが惜しいそんな小説を読みたいです。
あと癖のない読みやすい文体、文章の方が有り難いです。
太宰治は何作品か読みました。斜陽など面白かったものの方が多いですが読みづらいものもありました。

ミステリーで森博嗣さんの小説はとても文章が上手いと聞いて読んでみましたが、お話が全然好みではなかったので純文学のみで答えて頂けると嬉しいです。

Aベストアンサー

日本の作品、癖のない文体と云っても曖昧ですね。
文章というもの自体、好みですから、ステーキが好きな人も居れば、和食が好きな人もおります。
その違いが分かるようになるには、名作と呼ばれる作品を幾つも繰り返し読むことですが……。
大江健三郎の飼育や川端康成の雪国などは、好きな方も多い作品ですが、私には翻訳臭が強くて読みにくく、
吐き気すら覚えるときもあります。
そういう時は口直しに志賀直哉の暗夜行路や夏目漱石の草枕を適当に開いたところから数行サラサラと読みます。
正確には志賀直哉と漱石も全く違う文体ですが、此の「素敵」の違いも矢張り説明するのは困難です。

何を私が申し上げているか恐らく全く伝わらないと思いますが、
分かる時がもし来るのであれば、そのときはあなたが純文学の奥深さの虜になっているときかもしれませんね。
本題について、芥川賞を取った中から挙げさせて頂きました。

町田康 きれぎれ
綿矢りさ 蹴りたい背中
青山七恵 ひとり日和
吉田修一 パークライフ
朝吹真理子 きことわ
川上未映子 乳と卵

どんな一冊でも好いですから、騙されたと思って、賞を取った作品だけ気楽に三回繰り返して読んでみて下さい。
うっかり見過ごして気付かなかった「すてき」な言葉、場面の数々に出会えるはずです。
そしてその後で、併録されている賞を取っていない作品を読んでみましょう。
同じ作家の中でも出来、不出来がはっきり分かると思います。

日本の作品、癖のない文体と云っても曖昧ですね。
文章というもの自体、好みですから、ステーキが好きな人も居れば、和食が好きな人もおります。
その違いが分かるようになるには、名作と呼ばれる作品を幾つも繰り返し読むことですが……。
大江健三郎の飼育や川端康成の雪国などは、好きな方も多い作品ですが、私には翻訳臭が強くて読みにくく、
吐き気すら覚えるときもあります。
そういう時は口直しに志賀直哉の暗夜行路や夏目漱石の草枕を適当に開いたところから数行サラサラと読みます。
正確には志賀直哉と漱...続きを読む

Q純文学とライトノベルについて。できれば業界の方、あるいは目指している方

純文学とライトノベルについて。できれば業界の方、あるいは目指している方のご回答だと助かります。

私は最近小説を書き始めたものです。
質問させていただく前提の話ですが、私がこなしてきた読書数はあまり多くありません。純文学では八日目の蝉、半落ち等ヒットしたものを数冊。ライトノベルでは文学少女シリーズなどを読んできました。

私は純文学を読んでいて、薄味すぎると感じることがあります。かといってライトノベルだと味が濃すぎてきついと感じることがあります。
具体的には嫌な点は……

純文学:
人物の性格・設定、物語の展開等すべてが現実的すぎる。よく言えば大人。悪く言えば固い。

ライトノベル:
人物の性格・設定は非現実的だが、行き過ぎていて実際にいたらウザいキャラが多い。
マンガ的なくさい台詞、ご都合主義、理由付けの不十分など、しらけてしまう要素が多い。
好きなのに気づかないとか、現実ではありえないですよね? そういうところがちょっとかゆいです。
逆にそういった部分が比較的薄いものは好感触。実際文学少女はそれでハマりました。

といった趣向を持っています。
文学少女は、ライトノベル的な設定(本が大好きで、本当にページをちぎって食べるなど)もいくつかありますが、本筋のストーリーは本格ミステリーで、純文学的です。
それらを改めて、ベースはそのままで純文学風にアレンジしたなら、「味の濃い純文学」になるのではないかと考えました。
それゆえに私は「ベースはライトノベルだが、キャラ設定や展開はとことん純文学風」にすることで、私の言葉で言う味の濃い純文学を目指しています。
しかし、それは商業的に有りなのでしょうか?
プロへの意識は「まあもし万が一才能があれば」程度で、本気で目指す気はありません。商業的になしなのであれば自己満足でやっていくつもりではあります。
その、私の言葉で言う味の濃い純文学について、業界事情に詳しい方、アドバイスいただけないでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。

純文学とライトノベルについて。できれば業界の方、あるいは目指している方のご回答だと助かります。

私は最近小説を書き始めたものです。
質問させていただく前提の話ですが、私がこなしてきた読書数はあまり多くありません。純文学では八日目の蝉、半落ち等ヒットしたものを数冊。ライトノベルでは文学少女シリーズなどを読んできました。

私は純文学を読んでいて、薄味すぎると感じることがあります。かといってライトノベルだと味が濃すぎてきついと感じることがあります。
具体的には嫌な点は……

純文学:
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Aベストアンサー

 小説は叙述(書き方)と虚構(ストーリー・設定など)のバランスにより成り立っています。文学小説は叙述を重視し、娯楽小説は虚構を重視します。
 表面的な設定等にばかり目がいって、技巧的な面の分析が不足しているところからして、質問者さんはまだ文学を知らないように見えます。
 とりあえず、ゴーゴリ『鼻』、カフカ『変身』、レーモン・ルーセル『アフリカの印象』、ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』、大江健三郎『性的人間』、三島由紀夫『仮面の告白』、笙野頼子『二百回忌』、奥泉光『バナールな現象』などを読んで、まだ「人物の性格・設定、物語の展開等すべてが現実的すぎる」と言えるかどうかは聞いてみたいところです。

 それとは別として、質問者さんの言う「味の濃い純文学」というやつですが、それをやりたいなら、海外のSF小説やミステリー小説、冒険小説などとライトノベルを読み比べて検討すればいいかと思います。
 たぶん、質問者さんがライトノベルに感じている不満は、日本のドラマや映画に感じる不満と同じ性質のものだと思うのです。なんでもかんでも誇張しすぎという。アニメや漫画はデフォルメ表現と調和した表現媒体なので違和感がないのですが、実写になると途端に嘘くさくなります。
 アメリカやヨーロッパのファンタジックな作品は、設定そのものはぶっとんでいても、その中でリアリティが感じられるように演出されています。両者のいいところをいかにして折り合いを付けるかを研究されてはいかがかと。

 商業的にどうかは、理想通りに書けたら売れるに決まってます。それがどんなに難しいかは、書いてみればわかると思いますが。

 小説は叙述(書き方)と虚構(ストーリー・設定など)のバランスにより成り立っています。文学小説は叙述を重視し、娯楽小説は虚構を重視します。
 表面的な設定等にばかり目がいって、技巧的な面の分析が不足しているところからして、質問者さんはまだ文学を知らないように見えます。
 とりあえず、ゴーゴリ『鼻』、カフカ『変身』、レーモン・ルーセル『アフリカの印象』、ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』、大江健三郎『性的人間』、三島由紀夫『仮面の告白』、笙野頼子『二百回忌』、奥泉...続きを読む

Q純文学の面白さがわかりません

純文学の面白さが理解できません、
「どこが面白いのですか?」などと野暮な事を聞くつもりはありません、
ただ、多くの人々に知られている
「夏目漱石」「川端康成」「芥川龍之介」etc...

そういった物を理解できないのはつまらないのです、
昔と今ではセンスが違うのかもしれませんが、
できることなら面白く読んでみたいものです。

同じような経験のある方、もしくはこういった文学作品を読みなれている方、アドバイスをいただけたら幸いです。

Aベストアンサー

No.1の方の『こころ』が高校生には分かるまい、というのは分かります。

映画なんかもそうでしょうけど、本も、
何年もしてから再度取り出して読んでみると、違う感想を持ったりするものです。
三島の『金閣寺』なんかも、読み返してないけれど、
たぶん今読んだら違うのかもなぁ。

でもあまり「純文学」と考えなくていいと思いますよ。
(私もさほど多く読んでいませんが。太宰は読んだが芥川は読んでないとか)
好みもありますし・・・・・・。
夏目漱石の『こころ』は良かったけど、『虞美人草』は分からん、とか

『こころ』は、大学生の青年が、たまたま夏休みの浜辺で知り合った
「なんかカッコイイ大人だな」と思った“先生”。
その先生の謎、みたいな感じで読んでみるとか。
実際、そういう話だと思うのですが(^^;
もちろん、時代背景まで読み込んで深く読む読み方もあるわけですが、
一般読者は評論家ではないですから。

太宰さんの『人間失格』なんかは、自分の中にも「わざと演じている」
ところが多少あると、アイタタタ、という感じかもしれません。
誰でも少しはあるのではないか。

純文学だろうがエンタテイメント小説だろうが、
「登場人物の誰かに感情移入できるかどうか」が鍵なんじゃないでしょうか。
それが主人公でなくてもいいので。
自分と重ね合わせてみる、自分の身近な環境や出来事を考えてみる。
それとか、「わっ、この人、この先どうなるんだろう」という視点で読んでみるとか、、、
教養的でなくて、普通の小説の読み方ですよね(^^;
大切なのは「共感」。

ドストエフスキーなんかは何冊か読みましたが、
基本的に、「人生における青年の悩みおよび色恋沙汰(美女あり)」って感じがします。
カーチャよりグルーシェニカのほうが私は気になるかな。
http://blog.livedoor.jp/benica/archives/24179011.html

No.1の方の『こころ』が高校生には分かるまい、というのは分かります。

映画なんかもそうでしょうけど、本も、
何年もしてから再度取り出して読んでみると、違う感想を持ったりするものです。
三島の『金閣寺』なんかも、読み返してないけれど、
たぶん今読んだら違うのかもなぁ。

でもあまり「純文学」と考えなくていいと思いますよ。
(私もさほど多く読んでいませんが。太宰は読んだが芥川は読んでないとか)
好みもありますし・・・・・・。
夏目漱石の『こころ』は良かったけど、『虞美人草』は...続きを読む


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