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まずは私の年上の知り合いについて話します。
彼は今大学生なのですが高校は府内でもトップの進学校でした。
先日そんな彼と話していると、とても趣味があうことを発見しました。
彼も私もピアノとベースをしています。しかし話の内容などから
彼は私よりもピアノもベースも上手いことがわかりました。
もちろん勉強の面でも私と同い年の彼と、今の私の学力を
比べてみたらダントツで彼の方が上だと思います。(高校名、順位から)

私は自分で言うのもおかしいですが、努力しているつもりです。
日頃からピアノ、勉強、ベースは、やりまくってます。
でもあらゆる面でその人の方が上です。結構悔しいです。

これはやっぱり才能の違いでしょうか…?
または要領の善し悪しの違いでしょうか?
わたしが彼レベルに追いつくことはできないのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

その彼のレベルって一般世間からみればどうなんだろう?


狭い世界でモノを見ていませんか?

たかが大学生ごときの勉強ができる=社会で通用するとは
いえません また、できるできないの判断は
あなたの抽象的意見ですよね
ワタシから、見れば ただのバカじゃん かもしれません

あまり卑屈になることは無いと思います
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>これはやっぱり才能の違いでしょうか…?


過去の時間の過ごし方が、少しだけ彼の方が優れていただけです。

>または要領の善し悪しの違いでしょうか?
教本や先生、家庭環境の差、それと自信の持ち方というのもあります。

>わたしが彼レベルに追いつくことはできないのでしょうか?
簡単です。彼がピアノとベースと勉強から興味をなくせば、あなたが追い抜く
ことは簡単。
ウサギとカメ競争と同じ理屈。過去のリードは彼の方が優れていただけ。

でも、人生は競争ではない。あなたは、あなたの目指す方向でもっと楽しめば
いいです。張り合って切磋琢磨するのもいいです。
ただ、勝てないといじけるくらいなら、競争意識は持たないほうがいいです。
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おそらく、今はわからないと思いますが、そんなあなたも、彼も社会に出て、何年か経つと、今の差はほとんど感じないどころか、どちらが出来るのか解らなくなります。

「出来る、出来ない」の比較は社会にでて仕事や家庭を持ち、子育てや近所づきあいの中では考えることすらありません。
それよりも、相手に対して「尊敬できるか、信頼できるか」のほうが大切です。
つまり、あなたが努力していることは、それ自体が重要で、悔しいと思うことを目標やバネにして継続することこそ、彼と比べてどうなのかでしょうか。
才能の違いは個性の違いであり、要領の良し悪しはその人のペースの違いです。あなたが彼と同じレベルまで到達したと感じたときには彼が逆に才能や要領を考えてしまうでしょう。その前に努力する彼であれば、さらに向上に励むでしょうし、反対に興味をなくし、あなたと比べることも無くなるかもしれません。いいことか悪いことかは解りませんが、お互い触発し合える仲が続けば良いですよね。
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確かに才能や要領はあると思います・・・。


ただ、人並み外れたと言ってもいいほどの才能や技術でもない限り、それほど才能の違いは生じないのでは?一般レベルの才能というのは、多くが努力次第で埋められるレベルです。彼には、努力する才能があるということではないでしょうか?確かに人より少ない努力で人並み以上の結果を導き出す方もいますが、これに追いつくには何倍も努力することです。さらに努力を重ねることで追い越すことだってできます。
ただ闇雲に取り組むのではなく、テーマを明確にして取り組むことで得られる結果は何倍にもなりますよっ!
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おそらくなんですが「脳みそへの収納の仕組み」とか結構違いそうですよね。



集中力って言うと分かり易いかも知れませんが 多分そういう所が違うのではないでしょうか?

そういう意味では木村拓也も何でも出来ますよね。
もしかしたら「持って生まれた星」が違うのかも?

その人より優れた所を探すのも大事でしょうが 気にせず自分の長所や好きな所を伸ばす事も大事だと思いますよ♪
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稀にいますよ。

そういう宇宙人みたいな人。

ギフテッドと言って、国の人口の2%を占める生まれつき高い潜在能力を持つ英才児です。彼がギフテッドかどうかはわかりませんが、何をやらせても上手くいく、つまり学業でも芸術でもトップクラスの才能を発揮している彼はそれに近い存在なのかもしれませんね。

結論から言うと彼と同じレベルに立とうとすることは諦めた方がいいです。それはアナタが無能なのだということではなく、普通の人間がギフテッドに挑むだけ無駄だということです。

日本人は楽観的な人が多いためにこういう話はあまり聞かないとは思いますが。世の中、才能の無い人はある人には基本的に勝てないんですよ。努力次第で覆ることもありますが、才能のある人というのは大抵は努力もしているのですから基本的にその差が揺らぐことはありません。何故かって? 彼らは何をやっても人より上手く行くんです。努力が楽しくてしょうがないでしょう? 

才能のある人を見て悔しがったり言い訳したりしても仕方ありません。大事なのは自分のペースを崩さないこと。自分に出来ることをするということです。どうしようもない壁を目の前にしていつまでも悩み続けることこそ損なことはありませんよ。
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音楽長年やっているので、才能のある人は、ひと目で解ります。



センスと集中力・表現力がずば抜けています。

学生時代に、演奏技量の高い友人いましたが、結局プロになったのは、ずば抜けたセンスを活かしきった人だけでしたね。アタマいいんです。

なので、自分なりの技術の上に立ったセンスを表現できるようになれば、それでいいんです。

芸術に勝ち負けは、本来存在しません。

個性と、自分だけのセンスで、感情・情念的なものを吐露するのが音楽。

共感したり、感動してくれる人が、ファン。
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才能の違いかもしれないし、


彼のほうが要領が良いのかもしれない。
彼のほうがより頑張っているのかもしれないし、
単に年齢が上な分今のHAHAHA-さんより高い位置にいるだけで、
同じ年齢になったHAHAHA-さんはもっと上の位置に行っているかも知れない。

ピアノ、ベースのような芸術系のことなどは特にですが他人と比べても意味が無いです。
また芸術系のことなどは技術だけ語っても意味が無いです。
技術は素晴らしいが感動を与えることが出来ないのでスタジオミュージシャンで終わってしまう人など山のようにいます。
逆に技術はつたないが多くの人を感動させられるミュージシャンもいます。

彼のレベルに追いつくなど考えるより自分はどうなりたいかを考えた方がいいですよ。
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 若い頃は、「努力することは格好悪い」と思っていました。

どちらかというと、「努力家」より「天才肌」のほうが格好いいと思っていました。中一ですでに徹夜で勉強したりしましたが、努力とは思いたくなかったような気がします。「俺は天才だ」的なうぬぼれを動機に、努力というストレスを感じないようにしていたのです。当時の僕は、自己愛人間だったと思います。適度な自信は精神的にも健康であり目標達成への動力源になります。自分が気に入る鏡像を作り上げ、その鏡像に恋している間、人間は素晴らしいエネルギーを発揮します。しかし、その鏡像が幻影であり現実でなかったと思い知るとき、原動力も失います。もともと自分の都合の良いように解釈していますから、不得意分野ははじめから切り捨てています。僕の両親、特に母はピグマリオン効果の信奉者で、『末は博士か大臣か』と僕を持ち上げました。しかし、世間によくあるパターンですが、はたして「神童も二十歳すぎればただの人」となりました(笑)。
 本人が“努力”だと認識するということは、その行為にはストレスが存在することを意味します。よく「努力の天才」と呼ばれる人がいますが、その人自身は“努力”だとは思っていないのではないかと思います。どこかゲーム感覚で、楽しんでいる部分があり、没我的トランス状態で集中しているのでしょう。たまには僕にもそのような状態は訪れますので、理解できるのですが、長続きしません(笑)。
 長い船旅に飽きた人びとが、客船にあり合わせの材料を使って輪投げゲームを作りました。ある人の作ったそれは簡単すぎて、ある人の作ったそれは難し過ぎて面白くありませんでした。ほどよい難易度の設定で作られた輪投げゲームは、多くの人びとの心を捉えました。それでも、ご婦人や子どもには難しかったらしく、投げる位置を少し前にする必要がありました。すると、誰もが楽しめたそうです。何を言いたいのかといいますと、「努力の達人」と呼ばれる人は、このラインの設定が絶妙で、いつまでもゲームを楽しむことができる人なのだと思います。投げ位置だけでなく、時間制限を設けたり、後ろ向きで投げるというルールを自分で作って楽しむのです。
 能力の違いについては語ることはできませんが、努力に対する考え方の違いや、モチベーションのとり方については想像できます。誇大に創られた優越感を動機とする方法、劣等感を動機とする方法も考えられますが、「好きこそ物の上手なれ」という方法は、いちばん長続きする方法で、副作用もないでしょう。もし、要領が悪いのだとしたら、適度な設定の巧拙や、没我を阻む要因の存在をかんがえられてはいかがでしょう。自己愛人間だった僕には気負いがありました。劣等感を持った人にも逆の気負いがあると思います。人が集中している時というのは、リラックスしている時と同じα波が多くでていると言われています。この気持ちの持って行きようが彼は上手いのでしょう。

参考URL:http://www.women-life.com/brain/02_concentration …
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うん、まず、あなたと彼との能力の違いをピアノと勉強とベースに限って言えば、


もしかしたら追いつくかもしれないし、
追いつかないかもしれない。
追いついたと思ったら遠くに行ってるかもしれないし、
もう駄目だと思ったら意外とまだ近くにいるのかもしれない。

そんなのは誰にも、あなたにも彼にもわからないことなんだよね。

でも、ひとつだけ確実にいえることは、
気にしてるうちは永久に負けてるってことかな?

あなたはあなたの道を行く。
それしかないでしょ。
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