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創価学会の学会歌「星落秋風五丈原」の現代語訳を教えてください。

星落(ほしおつ)秋風(しゅうふう)五丈原(ごじょうげん)

  祁山(きざん)悲秋(ひしゅう)の 風(かぜ)更(ふ)けて
  陣雲(じんうん)暗(くら)し 五丈原(ごじょうげん)
  零露(れいろ)の文(あや)は 繁(しげ)くして
  草(くさ)枯(か)れ馬(うま)は 肥(こ)ゆれども
  蜀軍(しょくぐん)の旗(はた) 光(ひかり)無(な)く
  鼓角(こかく)の音(おと)も 今(いま)しづか
  丞相(じょうしょう)病(やまい) あつかりき
  丞相(じょうしょう)病(やまい) あつかりき

  夢寐(むび)に忘(わす)れぬ 君王(くんのう)の
  いまわの御(み)こと 畏(かしこ)みて
  心(こころ)を焦(こ)がし 身(み)をつくす
  暴露(ばくろ)のつとめ 幾(いく)とせか
  今(いま)落葉(らくよう)の 雨(あめ)の音(おと)
  大樹(たいき)ひとたび 倒(たお)れなば
  漢室(かんしつ)の運(うん) はたいかに
  丞相(じょうしょう)病(やまい) あつかりき

  四海(しかい)の波瀾(はらん) 收(おさ)まらで
  民(たみ)は苦(くるし)み 天(てん)は泣(な)き
  いつかは見(み)なん 太平(たいへい)の
  心(こころ)のどけき 春(はる)の夢(ゆめ)
  群雄(ぐんゆう)立(た)ちて ことごとく
  中原(ちゅうげん)鹿(しか)を 爭(あらそ)ふも
  たれか王者(おうじゃ)の 師(し)を學(まな)ぶ
  丞相(じょうしょう)病(やまい) あつかりき

 嗚呼(ああ)南陽(なんよう)の 舊草廬(きゅうそうろ)
 二十(にじゅう)余年(よねん)の いにしえの
 夢(ゆめ)はた いかに 安(やす)かりし
 光(ひかり)を包(つつ)み 香(か)をかくし
 隴畝(ろうほ)に民(たみ)と 交(まじ)われば
 王佐(おうさ)の才(さい)に 富(と)める身(み)も
 ただ一曲(いっきょく)の 梁父吟(りょうほぎん)
  丞相(じょうしょう)病(やまい) あつかりき

  成否(せいひ)をたれか あげつらふ
  一死(いっし)尽(つ)くしし 身(み)の誠(まこと)
  仰(あお)げば銀河(ぎんが) 影(かげ)冴(さ)えて
  無数(むすう)の星斗(せいと) 光(ひかり)濃(こ)し
  照(てら)すやいなや 英雄(えいゆう)の
  苦心(くしん)孤(こ)忠(ちゅう)の 胸(むね)ひとつ
  其(その)壮烈(そうれつ)に 感(かん)じては
  鬼神(きじん)も哭(な)かむ 秋(あき)の風(かぜ)

  嗚呼(ああ)五丈原(ごじょうげん) 秋(あき)の夜半(よわ)
  あらしは叫(さけ)び 露(つゆ)は泣(な)き
  銀漢(ぎんかん)清(きよ)く 星(ほし)高(たか)く
  神祕(しんぴ)の色(いろ)に つつまれて
  天地(てんち)微(かす)かに 光(ひか)るとき
  無量(むりょう)の思(おもい) 齎(もた)らして
  千載(せんざい)の末(すえ) 今(いま)も尚(なお)
  名(な)はかんばしき 諸葛(しょかつ)亮(りょう)
  名(な)はかんばしき 諸葛(しょかつ)亮(りょう)

現代語訳とは別に個々の単語の意味も知りたいです。
祁山(きざん)
悲秋(ひしゅう)
更(ふ)けて
陣雲(じんうん)暗(くら)し
五丈原(ごじょうげん)
零露(れいろ)
文(あや)
繁(しげ)くして
鼓角(こかく)
丞相(じょうしょう)
病(やまい)
あつかりき

夢寐(むび)
忘(わす)れぬ
君王(くんのう)の
いまわの御(み)こと
畏(かしこ)みて
心(こころ)を焦(こ)がし
暴露(ばくろ)のつとめ
幾(いく)とせか
落葉(らくよう)の
大樹(たいき)
倒(たお)れなば
漢室(かんしつ)
はたいかに

四海(しかい)
收(おさ)まらで
いつかは見(み)なん
太平(たいへい)の
のどけき
群雄(ぐんゆう)
中原(ちゅうげん)
鹿(しか)
爭(あらそ)ふ
たれか
王者(おうじゃ)
師(し)を學(まな)ぶ

嗚呼(ああ)
南陽(なんよう)
舊草廬(きゅうそうろ)
いにしえの
夢(ゆめ)はた
いかに
安(やす)かりし
光(ひかり)を包(つつ)み
香(か)をかくし
隴畝(ろうほ)
王佐(おうさ)
才(さい)
富(と)める身(み)も
ただ一曲(いっきょく)
梁父吟(りょうほぎん)

成否(せいひ)
たれか
あげつらふ
一死(いっし)
尽(つ)くし
身(み)の誠(まこと)
仰(あお)げば
銀河(ぎんが)
影(かげ)冴(さ)えて
星斗(せいと)
照(てら)すやいなや
苦心(くしん)
孤(こ)忠(ちゅう)
胸(むね)ひとつ
其(その)
壮烈(そうれつ)
鬼神(きじん)
哭(な)かむ

嗚呼(ああ)
五丈原(ごじょうげん)
あらしは叫(さけ)び
露(つゆ)は泣(な)き
銀漢(ぎんかん)
清(きよ)く
星(ほし)高(たか)く
天地(てんち)
無量(むりょう)
齎(もた)らして
千載(せんざい)の末(すえ)
今(いま)も尚(なお)
かんばしき
諸葛(しょかつ)亮(りょう)

ほぼ全部の単語です。単語の意味すらわかりません。
分かる部分だけの回答も大歓迎です。
長文の質問ですがよろしくお願いします。

A 回答 (5件)

三国志終盤の主役級の軍師、諸葛亮孔明が病死するシーンの歌ですね。



祁山
五丈原
は地名です。
南陽は彼の出身地。
舊草廬はそこの彼の家の様子で、
草葺き屋根じゃなかったかな。
梁父吟は楽器で彼の趣味。
丞相は彼の地位で総理大臣。
漢室は漢帝国皇室で、衰退分裂した漢を復興するために
戦っていました。

この回答への補足

.
ご回答ありがとうございます。

梁父吟(りょうほぎん)は楽器でしたか!
才能にも恵まれ、財産にも恵まれていたのに
ただ楽器だけが趣味というわけですね。

ひとつひとつが涙ぐましいです。
.

補足日時:2008/09/09 10:53
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 著作権については問題ないのでしょうが、「学会歌」などと決めてしまって良いのでしょうか?


 創価学会さんの文化に対する姿勢が示された、貴重な発言と拝見しました
 発言者さんが学会上部から叱責(どころか譴責・またはそれ以上の処分を)されることがないよう祈念します 
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この回答へのお礼

コメントの投稿、まことにありがとうございます。

ご指摘くださった内容は、ごもっともである、と感じます。

創価学会の公式ホームページから星落秋風五丈原についての情報が
まったく得られない理由は、ご指摘頂いた通りの理由などが
含まれるであろうと推測いたします。

> 著作権については問題ないのでしょうが
> 「学会歌」などと決めてしまって良いのでしょうか?

法律的な事についてですが私にはわかりません。申し訳ありません。
もし問題があるようでしたら「教えて!goo」から削除して頂くしかありません。

> 発言者さんが学会上部から叱責(どころか譴責・またはそれ以上の処分を)されることがないよう祈念します

学会員が学会活動として質問したのであれば、もしかすると
問題があるかも知れません。

私は一般人として質問させて頂きました。
基本的人権から考えれば、あるていど自由に意見を述べ
あるていど議論することに問題はないとの考えで質問を投稿しました。

私への処分についてですが
「教えて!goo」は匿名なので、私がよほどの法律違反をしない限り
私の個人情報を創価学会に教えることはないと思います。
この時代ですから個人情報の取り扱いについては
利用規約に明記されていると思われます。

万が一に処分を下されたとすれば、その時は甘んじて処分をうける覚悟でおります。
ご心配ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/14 17:35

他の方が「三国志」としていますが、正しくは「三国志演義」です。

日訳書は、徳間文庫とちくま文庫と岩波文庫(これのみ訳題が「完訳三国志」)とがあります。
時代は魏・蜀・呉の三国が並立すると云う異常の事態の中、本来正統の漢の王室の血をひく(劉玄徳は中山王の裔と云う事になっている)が国の全体を治められず華陽の地に偏在している。簒奪者曹の一族を滅ぼし中原の地を回復したいと云う悲願がある。それを目指した先主劉玄徳の遺志を全うせんとした諸葛亮も志半ばで倒れると云う事です。我国ではこのくだりは江戸時代から「秋風かなしや五丈原、死せる孔明いける仲達をはしらす」として有名です。
多少拾って行きましょう。
五丈原:諸葛亮(蜀漢の丞相、軍師)の病没した地。
四海:四つの海。転じて世界。
漢室:漢の王室。蜀漢は東漢の正統の後継者と云う事からここでは蜀の王室をさす。
中原:当時の世界の中心。ここを治める事が本統の帝であると云う意識があった。当時は魏にとられていた。
鹿:ここでは正統の王室たるべき中原を統治できる権利としておいて下さい。(本統はもっと厄介。)
星高く:現在でも「巨星堕ちる」などと表現に残っているが、諸葛亮の星廻り。
諸葛亮:諸葛は名字。二字姓は珍しい。亮は諱(いみな)あざなは孔明。天才的な軍師だったとされる。蜀の先主の劉玄徳が「三顧の礼」をもってむかえたはなしは有名。没時は後主の時代。
鬼神:日本の鬼ではない。

この回答への補足

返答が遅くなりました。

「秋風かなしや五丈原、死せる孔明いける仲達をはしらす」
これも、なんか思い出せずにいて気になっていました。
ありがとうございます。

落ち着いたときに「三国志演義」の世界にひたってみたくなりました。
諸葛亮の理想からはロマンスを感じます。
こんな人が現実にいたんだと思うと胸が熱くなります。
まるで魔法の世界のようです。ファンタジックとも思います。

語句の解説もありがとうございました。

補足日時:2008/09/15 09:38
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現代語訳ではありませんが。

。。

これって三国志の諸葛孔明がなくなる場面を歌った歌ですね

諸葛孔明は三国時代の蜀の宰相で名軍師と呼ばれた人です。この人が五丈原というところで戦争しているときに病気でなくなったときの歌だと思います。

三国志をお読みになれば背景はわかるかと思います。

しかし、なんで創価学会の学会歌になってるんだろう?だれか教えて!

この回答への補足

.
ご回答ありがとうございます。

ご指摘の通り、もともとは土井晩翠(どいばんすい)の詩です。
いろいろな学校の校歌を作詞された方のようです。
Wikipedia に情報があります。

> しかし、なんで創価学会の学会歌になってるんだろう?

創価学会をゼロから作り上げた戸田城聖(とだじょうせい)は
戦争に反対した罪で牢獄に入れられました。
なんとか生きて牢屋から出てきましたが、栄養状態も悪く
骨と皮だけでした。おそらく外科手術も不可能なぐらい体は
ボロボロであったと思われます。

敗戦後の日本は貧乏で、さらに悲しみに暮れておりました。
その、どん底にあった日本において
すべての人々が実生活において利益をつかむためにと
戸田城聖が創価学会をスタートします。

お体の状態からすると、いつ死ぬか分かりませんでした。
壮大な事業に取り組みつつも、道なかばで死ななければならない
戸田城聖の心と、道なかばで死ななければならない諸葛孔明の心を
重ね合わせています。

学会歌の歌詞は、土井晩翠の詩から抜粋しており
曲(メロディー)は、作者不詳です。

http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/keyword/%E6%98% …
.

補足日時:2008/09/09 10:37
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この回答への補足

だいたい意味が理解できました。ありがとうございます。
その内容に涙がでました。

教えて頂いたサイトでは以下の歌詞がありません。

 嗚呼(ああ)南陽(なんよう)の 舊草廬(きゅうそうろ)
 二十(にじゅう)余年(よねん)の いにしえの
 夢(ゆめ)はた いかに 安(やす)かりし
 光(ひかり)を包(つつ)み 香(か)をかくし
 隴畝(ろうほ)に民(たみ)と 交(まじ)われば
 王佐(おうさ)の才(さい)に 富(と)める身(み)も
 ただ一曲(いっきょく)の 梁父吟(りょうほぎん)

創価学会の会合である座談会(今月はブロック総会)にて使う資料を
作成中です。神戸三宮にて大三国志展が開催中である今月の座談会に
必要なのです。来月以降は、あまり使う機会があまりありません。

よろしくお願い致します。

補足日時:2008/09/09 10:06
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