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ずばり、人生の目的は何か知りたいのです。
できるだけわかりやすく簡単に教えてください。

A 回答 (45件中31~40件)

様々な回答が既になされているところですが、見解を述べさせてもらいたいと思います。



人生の目的については各種宗教の教義にもあったりしますが、その万人共通の絶対的な目的(答え)というものを求めるということは論理的あるいは実証的な意味で不可能なことではないでしょうか。
なぜなら、結局、自分の人生は自分に唯一で、他人の人生と交換することはできません。そうするとそのままでは客観的立場から論じることが不可能となり、各人の人生目的を同一のものとする必然性の根拠を、いわゆる形而上の問題として人間の認識を越えたところの外におかなければ、論理的に完結性のある理論構築ができなくなると考えられるからです。
こういった理由で、宗教では神などを絶対的に位置付けることで、その教義の論理展開を図り合理性を保っているものと考えられます。

別の例で言えば、人間の世界認識があります。
私達人間は同じ地球上で日々生活を営んでおりますが、その生きている環境、抽象的に言えば世界といいますか、それについてみんなが同じ世界を見て、生きていると思っています。
翻って、私達個人個人がこの世界をどうとらえているかということを厳密につきつめて考えてみるならば、その認識は最終的に個々人の脳内情報処理過程に帰着され、それにより得られる像に過ぎないということになります。なぜなら他人がどういる像で世界を見ているかを体験することはできないからです。これも各人の脳内認識過程が交換不可能なことからきています。
もちろん、日常、他人と言葉を交わすことによって世界がどう見えているかという、意識共有といいますか、他人も同じふうに見えているんだよという相互確認はできます。しかし、それはあくまでそう確信しているだけで、絶対的にそうだとは原理的に言えません。(技術進展により他人の脳とジャックでつないで他人の視覚、思考を共有化できれば可能ですが、今のところ無理でしょう)
これは、申すまでもなく、人間の純粋客観的な認識というものがありえるかという問題で、過去の偉大な哲学者たちにより取組まれてきた問題でありますが、否定的な解決がなされているところです。

しかし、以上の議論によっても、例えばある有力な人生目的の理論・教えが提示され、それを妥当なものと価値を認め、それに従って生きることについては、何人も妨げられるものでありません。その絶対価値を求める人間の本性を妨げる理論も根拠もないと考えられます。

話に戻りますと、以上から、万人共通の人生の目的を究極的に求めることは不可能という帰結になってしまい、最悪には目的あるいは価値を失って絶望に至ってしまう(ニヒリズムですがこれはかなりオーバーですね)ことになりかねません。
しかし、戦時直後や全共闘時代のように各人同士で時代意識を共有化できず価値観が多様化している現在では、何を目指していけばいいのか、信じていけばいいのか分らず、人によっては生きるのが苦しいものとなっています。

しかし、それでは何の解決も導けません。
そこで、問題設定を限定化し、万人共通的な人生目的を追求することをやめ、自ら検証することができるように変えます。「自分の人生をどう生きれば、自分にとってよく生きたことになるか」と。
そうなれば、問題解決の対象として自分の意識のみを見つめればよいこととなり、その問題が分離独立、完結します。
自分の心といいますか欲求に素直に耳を傾け、それに忠実に生きることを目指します。
但し、自分のおかれている環境等の関係もあることから必ずしも実現できるものではありません。また社会も必ずしもそれを許してくれません。
しかし、様々な制約条件の中、よりよい方向を目指す、そして、自分の思いに対し向上の心を持って生きていくことが、多難な苦しみもあるでしょうが、自分の納得の上で行われるならば、自分の人生を豊かにし、最終的には充実した人生を送ったと振返ることができるのではないでしょうか。
また、そういった方法でしか「自分にとって」充実した人生を送ることはできないのではないでしょうか。
それについて現代社会に見合った方法論を考えることは意義があると思います。その方法論につき現在試行錯誤中です。
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「生きることそのものです」


「目的=それぞれの可能性です。」
あと「神様」との関係は「私なりの答ですが」
「それぞれが「自分なりの答を出すことです。」
その答が「どちらに行くかは「分かりませんが」
それぞれが「幸せ」になることだと思います。
しかし、「究極の答ですね。」
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番号10の補足質問の回答です。

00/08/03
Q.質問内容 :真剣に回答くださいまして、ありがとうございます。なるほど、確かにおっしゃるとおりだとおもいます。精密、正確、よくできている人間が偶然に発生するかというと、難しいですよね。作られた存在と考えると納得することも多いですね。しかし、私には、神様は何故人間を作ったのか、それが良くわかりません。神様は、何のために人間を作ったのでしょうか。すみません。素人考えになってしまうのですが、疑問に思ったことを述べさせていただきました。http://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_/honnbunn/tuusin …
A.回答内容:ご質問の意味は次のとおりです。
  神様は、人間に愛し合う喜びを与えるために造られたのです。
 人間というものは、誰かに愛されていると感じているときには、「何のために生きるの?」という疑問はほとんど持たないものです。それどころかかえって、命を受けたことの喜びを知り、そのすばらしさを楽しみ味わっているものなのです。
 例えば親子の愛を、例えにとって考えてみましょう。私には、1才6ヶ月の子供がいます。とてもあどけなく可愛いものです。まだ言葉も話せませんから、会話については意志の疎通はとれません。でも子供は、お腹がすいたときには、ぐずりだしたり怒ったりして、態度、そぶりなどで、自分の意志(要求)を伝えようとしてきます。親の側としては時に、切れそうなぐらい怒れることもありますが、子供なりに、意志を伝えようと頑張っているのだなと思います。しかし、子供は我が儘ですね。
 神様は、この家族という単位を通して、愛いし合うことの素晴らしさを、教えて下さっています。親は子供を知っており、子供は親を知っている。愛に基づく親子との信頼関係、これが愛情というものではないでしょうか。愛というものが人間にとって、なくてはならないものであることは、誰もが認めることでしょう。その証拠に、愛情の中で育てられていな子供は、脳の発達の段階や、精神面で、顕著な問題を持っている場合が多く、その結果、家庭内暴力やいじめ、虐待などの社会問題を引き起こす率が、高いと言うことです。愛のない世界、誰にも愛されていない孤独感は、耐え難いものです。そんな環境の中で人は何故苦しむのでしょうか?それは人間が、どの様なものとして造られたかに、答えがあるのです。 そして、愛である神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」創世記1:26神様が人間を「神のかたち(性質)」を持ったものとして、人は造られたのです。
 それが、どれほど素晴らしいことであるかを、想像できるでしょうか?この地上で、罪人同士の不完全な愛でさえ、愛し合うことは素晴らしいことです。例えば、親が子供を無条件の愛で愛し育てること。親が子供のために、臓器を提供する生体肝移植、また愛ゆえに、身代わりに命を捨てることすらあるのです。それらはすべて愛情が、人の心を動かすからです。では、私たちの想像を遙かに超えた、完全な、神の愛に包まれて、永遠に、神様と人間が愛し合うことは、どれほど楽しく素晴らしいでしょうか。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」Ⅰコリント2:9このように神様と永遠に完全な愛で愛し合うことは、想像さえできないほどの、素晴らしいことであります。神様が人間を造られたのは、人間に愛し合う喜びを与えるためだったのです。そして、人間の喜びとは、神様の栄光を現わす(誉め讃える)ものだったのです。 
http://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_

参考URL:http://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_/honnbunn/tuusin …
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最後にもうひとつだけ ―――



実は、私も以前この問題で悩んでいました。その時の私の解決法は以下の通りです。
あれこれ悩んだ末、自分にとって重要なのは、結局「自分はこれからどうするのか?」ということだと思い当たりました。
そこで私は、数学の場合分けを使って考えることにしました。{ (i) a=0の場合、(ii) a≠0の場合、みたいな方法です。}

「自分はこれからどうするのか?」という問いの答えが重要であるとすれば、(i)神が存在する場合、(ii)神が存在しない場合、というふうに場合分けをして、もし場合分けしたその双方で同じ答えが得られるのなら、最初に設定した「神は存在するかしないか」という場合分け自体は、あまり重要な意味を持たなくなるのではないかと考えたのです。
では、やってみましょう。

(i)神が存在する場合
 もし神が存在し、この世界に何か目的があるとするのなら、なぜ神は私たち独り独りにその目的をきちんと告知しないのでしょうか?本当に目的の成就を願うのなら迷わずそうすると思いませんか?考えられるのは、「神にその目的を伝える能力がないから」か、「人間にその目的を知る必要がないから」のどちらかではないでしょうか?
 しかし、神に目的を伝える能力がないなんて何か変ですよね?ならば、人間はその目的を知る必要がないのではないか?神とは超越存在ですから、私たちのような者にまでいちいち目的を知らせるまでもなく、私たちの取る行動とは無関係に、必ずその目的が成就されるようにあらかじめプログラミングされているのではないか? ――― 私はそう考えたのです。
 つまりこれは、この世界での舵取りは私たちに任されている、私たち自身に未来を選択する自由が与えられているのだということです。ですから「自分はこれからどうするのか?」という問いの答えは、「自分で選んだ道を進んで行く」ということになります。

(ii)神が存在しない場合
 もし神が存在せず、この世界にこれといって何も目的がないのなら、この世界の舵取りは私たち自身でやるしかない、私たち自身に未来を選択する自由があるのだということです。ですから「自分はこれからどうするのか?」という問いの答えは、「自分で選んだ道を進んで行く」ということになります。

どちらの場合も、その結論が「自分で選んだ道を進んで行く」ということになりましたので、最初に設定した「神は存在するかしないか」という場合分けは、あまり重要な意味を持たないという結果になりました。

こうして私は「神は存在するかしないか」という問題で悩むことはなくなりました。
しかし、m_inoさんの場合は『人生の目的を知ること』が、あなたの人生においてとても無視できない重要なことのように見受けられますので、「自分の納得がいくまでずっとそのこだわりを持って生きれば良い」ということになるのだと思います。
ひょっとしたら、今まで誰もわからなかった『人生の目的』や『神の意志』というものを、他の誰でもないあなた自身が発見するのかもしれません。一朝一夕に成果の上がるものではないかもしれませんが、期待しておりますので頑張って下さい。
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回答NO.#4の補足を受けて…



>生きる目的がないということは、何故生きているのでしょうか。
>何故この世に存在しているかという理由がない、つまりあっても
>なくても良い存在ということにはなりませんか?
>人間も、己の人生に目的がないという事はすなわち、己の存在に
>価値がないという事なのかと思います。

『あってもなくても良いような世界』には、はたしてまったく価値はないのでしょうか?
もしも天国なんてないのなら、逆に、今私たちが生きているこの世界にこそ大きな価値があるとは思いませんか?
もしも目的なんてないのなら、人間には最初から価値というものがあるわけではないということになりますが、ならば価値とは私達自身で見出すものではないでしょうか?

>価値観がもし違うなら良心も異なるのではないかと思うのです。
>例えば、宗教戦争は決して、私利私欲、自分勝手、自己中心的で
>はなく、それぞれの良心に基づき相手を救おうとした延長線上に
>発生したのではないでしょうか。

民族・国家・宗教などが異なった価値観を持つのは別に構わないと思いますが、それにも限度があると思います。人は自らが作り出した価値観に固執するあまりに争いを引き起こしたりしますが、争いを起こす心を良心と言えるのでしょうか?
私は、ひとつの価値観に固執することを賢明だとは思いません。今、実際に争っている民族・国家・宗教などは、きっとまだ幼いのでしょう。きちんとした教育とその啓蒙の積み重ねが必要だと思います。現在は過渡期で、話し合いを通じてこれから徐々に平和な世界へと変わっていくのだと思います。悲観する必要はないと思いますよ。
人間はこんな↓ことだってできるんですから。

ジュビリー2000:http://www.ecolink.sf21npo.gr.jp/jubilee/top-ja. …
アムネスティ:http://www.amnesty.or.jp/
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「人生の目的」という言葉が「人間の生命活動の目的」という意味ならば


改善、改良、進化、進歩 ということだと思います。
人は、工夫せずにはいられません。常により良いものを求めています。

「私の…」という意味ならば
それは、一人ひとりが、それぞれ決めることであり、
決まった答えはないものだと思います。
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この問題はとても重大であり誰もが真剣に考えなければなりません。

今から質問することに真剣に考えて下さい。
 まず、人間が偶然にでき、神はいないという仮定から始めましょう。(進化論)
A.学校では、宇宙も自然界も人間も、神の手によらずにできたと教えています。目の前に腕時計があるとします。時計は偶然にできるでしょうか?答えは決まっています。いいえです。家もビルも飛行機もすべて偶然にできたものではありません。それでもあなたは、人間は偶然に地球の上に発生したと思いますか?
  1-はい、そう思う。
  2-いいえ、そう思わない。
B.(A-1)はい.という方にお聞きします。(人間は偶然に発生した。)
 それでは、あなたが偶然にこの地球上に生まれてきたとしましょう。あなたの両親は偶然に結婚して、あなたは偶然に(神の意志によらずに・・・あなたの考えでは、神が存在しないのですから、神の意志もありようがありません。)生まれてしまったのです。だから、あなたが生まれなければならなかった理由は、なかったことになります。あなたは、この結論に同意しますか。同意しませんか。
  a-同意しない。
  b-同意する。
 (A-2)いいえ.そう思わない。(神のご存在について説明します。)
 あなたの腕にある時計を見てください。時計にはすばらしい秩序があります。その秩序は偶然に生じたのではありません。それは造られたものです。時計よりももっと精巧なコンピューターにはもっとすばらしい秩序があります。その秩序が偶然に生じたものではないことは一層明らかです。コンピューターよりももっと複雑で精巧なものならば、もっと偶然に発生することはありません。コンピューターよりももっと精巧な、もっとすばらしい秩序を持ったものは人体です。
 人間のからだの中の組織、秩序、法則は実に驚くばかりです。これらが偶然に生じたことは絶対にありません。 人間が神によって造られたことは明白です。 この自然界を見てください。一輪の花でも偶然に発生し得るでしょうか?  一枚の葉でも完全に神の力、神のご意志の働き無しに、すなわち完全に偶然に、 できることがあり得るでしょうか?  そのような偶然が発生する確率は全くのゼロです。
C.(B-a)同意しない。
 あなたは正しい。あなたの耳は聞く目的を持っています。目も見るというりっぱな目的を持っています。あなたのどこを見ても、すばらしい目的を持っています。そのあなたが目的なしに、偶然に、生まれなければならないことや理由なしに生まれて来て、目的のない人生を生きなければならないわけがありません。
 だから、あなたが選んだ「宇宙も、自然界も、人間も神の御手によらずにできた」とした仮定が間違っていたのです。
 このように、被造物(人間)を見るとき、天地万物を創造された本当の神が存在されることが分かります。そして、その神様があなたに生きる目的を与えておられます。
 *それが聖書で言う神の愛の中に生き、キリストの血贖いによる新しいいのちを受け、神との和解をもち続けることです。
(B-b)同意する(何のために生きておられますか?)
 あなたは大変勇敢です。あなたは理由なしに生まれてきたから、生きても、生きなくてもよいのです。生きなければならない理由のない人生を生きておられます。
 でも、あなたは生きている。何のために生きておられますか。次に書かれている項目の中からその答えを選んでください。(近いものから選んで下さい。)
  1.未来などは考えずに今が楽しければそれでよい。

  2.未来の金持ちになる夢を持って、現在、一生懸命に勉強して(働いて)いる。

  3.名誉、名声が欲しいから、必死で勉強して(働いて)いる。

  4.名誉も金もいらない。人々のためになる人になりたい。

  5.名誉はいらない。金は非常にたくさんは欲しくない。人々のため、社会のために生きようとは思わない。ただ、自分の家庭をもって、楽しく暮らせばよい。いわゆるマイ・ホーム主義で行きたい。
 *多くの人は、上に書かれたような平凡な人生をまた、その途中で満喫することなく、人は失われてしまいます。
 「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」聖書
  神は愛です。神のもとに近づいて下さい。聖書のみことばにより平安を得るはずです。
もっと詳しく知りたい方はhttp://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_

参考URL:http://www.d1.dion.ne.jp/~chrch_

この回答への補足

真剣に回答くださいまして、ありがとうございます
なるほど、確かにおっしゃるとおりだとおもいます。
精密、正確、よくできている人間が偶然に発生するかと
いうと、難しいですよね。作られた存在と考えると納得することも多いですね。
しかし、私には、神様は何故人間を作ったのか、それが良くわかりません。
神様は、何のために人間を作ったのでしょうか。
すみません。素人考えになってしまうのですが、疑問に思ったことを述べさせていただきました。

補足日時:2000/07/24 19:20
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私はNO.#4の回答をした者ですが、少し補足します。



kawakawaさんへ
私は質問者の方の『人生の目的』という言葉を、『人類共通の普遍的な目的』と解釈しました。
私は『目的』という言葉に、『完遂しなければならないこと』『やるべきこと』というニュアンスを感じるのです。それに対して『目標』は、『自発的に決めたこと』『したいこと』というニュアンスだと思います。
『したいこと』をするのは、自然な流れだと思います。

>生物学的な人生(生きること)の意味は、DNAを伝えていくことでしょう。
それでは、子供を作らない人やゲイの人たちは、人として認められないのですか?
遺伝子の継承は、目的というよりは結果だと思います。

>哲学的な人生の意味は、(中略)永遠のナゾなのではないでしょうか?
私はNO.#4の回答で「人生に目的なんてない」と書きましたが、確かに『ない』というより『わからない』と言った方が正しいと思いました。

同じように、神は存在するかしないかという問いの答えも、『わからない』だと思います。
『わからない』のですから、私はけっして無神論者ではありません。
ただ私は、この世界で人間にできることは、すべて神に許されていることではないかと想像しています。ちょうど、お釈迦様の手のひらの上で暴れている孫悟空のようなイメージです。
私は「西遊記」の物語が好きです。三蔵たちの天竺までの道のりは、人間の心の成長を象徴的に表現したものだと思います。天竺までの旅の目的は、当初はありがたい教典を手に入れるためということでしたが、本当は違いました。
天竺にたどり着いた彼らは、大切なことは、これまでの道中で経験した様々なことから、学んだり感じたりしたことそのものなのだと、お釈迦様から聞かされます。
それでいいと思うのです。『人生の目的』なんか知らなくてもいいのだと思います。
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それは、私も常々考えてしまうのですが…「いかに死を迎えるか」と思う時、


とにかく後悔はしたくないと思うのです。
だから私の人生の目的は「思うように生きる」です。
そして自分の友人、家族、恋人を欺かないこと。
死ぬ時に「あの時素直に気持ちを伝えていれば…」なんて思いたくないから。
親友を今までに二人亡くしましたが(10代の時)「最後に話した時自分は笑っていたか」と振り返ったりもします。

だけど、「自分は何者か」なんてヤボな事考えないで下さい。
それは死ぬ時まで判らないと思うと村上龍も言ってました。私もそう思う。

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生物学的な人生(生きること)の意味は、DNAを伝えていくことでしょう。

これは地球上に生きるすべての動植物や菌やウイルスなどに共通することですから。
哲学的な人生の意味は、きっと人間がいつの日か滅亡してしまうまでの永遠のナゾなのではないでしょうか。
個々の人の人生の意味は・・・運命は避けられないけれど選ぶことができるはずなので、その運命をまっとうすること・・・カナ?
あるいは、別の表現をすれば;
人生は一度でやり直しがきかないのですから(前世は覚えていないのでなかったのと同じでしょうから)、死ぬ瞬間に、悔いのない人生だったと思えるように、自分の決めた目的(ユメ)に向かって最後まで努力し続けることじゃないでしょうか。
少なくとも、私の人生の目的はユメに向かっていくことです。

この回答への補足

回答下さり、ありがとうございます。
前半の部分の表現は、なにか人がモノみたいで、感覚的に抵抗を感じてしまいますが、確かに生命をつなげていかないと、100年足らずで滅亡してしまいますね。
(そう考えると、エイズが広まると、かなり大変な
 問題になってしまうのでしょうね       )

私はこう考えるのですが、人として、生まれたからには、その人生に意味があるのだとおもうのです。それは、個人的な満足を得るだけのものではなく、なんらかの目的、なにかなすべき事それを果たすことによる個人の存在意義が存在するのではないかと。
上手く説明できませんが、人生の目的、生きる価値は、自分一人では見いだせないのかなと思うのです。
一体、人はなんの為に生きているのか。生きる事に意味はないのでしょうか...

補足日時:2000/07/24 19:00
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