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マクタガートのA系列(過去・現在・未来)の三様相のうち、特に、未来という時間概念を論理的に探究する前に、そもそも未来は、存在していると証明できているのでしょうか?と思ってしまいます。僕たちが日常生活している現在とは断絶していて、決して現在の側からはその中に飛び込めない未来という「あの世」のような概念は、語り得ない、記述し得ない、親近感のない、超体験であるがゆえに、つかみどころがないように思うのです。未来という想定の確かさについて、教えてください。

A 回答 (73件中21~30件)

 No.51です。



 ★ 物理学的な時間でさえ、相対性理論によれば、万人共通なものではなく、ゆえにニュートンの絶対時間・絶対空間は否定されているのが現状です。
 ☆ これに反応します。
 《絶対時間・絶対空間》は とうぜん 経験領域つまり相対性の世界に属します。もともと そうです。この場合の《絶対〔時間・空間〕》は ちょうど光速を最高・不変だと前提するごとく 経験世界の基準にしたというような意味だと思います。
 ふつうの《絶対》つまり それとしての神は むろん 光速をも・絶対時間をも 超えています。というよりも 人間にとって 単なる想定です。そう想定するから そうだという意味です。
 けれども この神ないし絶対を 概念として用いると いろんな発見に出会うことがあり 人間の経験可変的な真実ではあっても その真実を表わすことが容易になり しかも その相対真実をとおして 相対真実を超えたところのなぞについて 触れ得たかに思われることもあります。
 ですから ひとつの見解としては この絶対との向き合い つまりは 《絶対‐相対》関係としての全体観をもつところに 《未来》論が ある程度は 確かなものになるという側面もあるように思います。

 なお No.49のアウグスティヌスの引用は むろん おっしゃるように 単なる余興です。古代に現われた近代人というあだ名が それほど奇怪なことではないという例示でした。マクタガートが アン何世でしたか 女王の死を例にして 時間論を展開していたと思いますが このように死を例にして論じるところも アウグスティヌスにあったはづです。これも 余興です。

この回答への補足

>《絶対時間・絶対空間》は とうぜん ・・・相対性の世界に属します。・・・経験世界の基準にしたというような意味だと思います。

絶対が相対に属すると、「絶対」ではなくなってしまいます。万能物差しとでも言うようなイメージなのでしょうか。絶対の意味が、相互にずれているように思います。たとえば、メートル原器は、絶対ではないと思います。それは、任意の(恣意的な)長さの単位でしかありません。時空一体(一如)の視点では、不変の基準は光速のみで、時空は伸び縮みしますから、現代物理学においては、絶対時空なんてないことになっているはずです。ただし、近似値計算が許される範囲で絶対時空にしておくだけだと思います。

>《絶対‐相対》関係としての全体観をもつところに 《未来》論が ある程度は 確かなものになる

たとえば、どのような例示ができますか。「村山談話」を使ってできますでしょうか。ほかの例示でもいいので、「絶対なる基準」と相対性から全体像や確かな未来論をできるだけ簡潔に例示していただけないでしょうか。

補足日時:2008/11/12 19:58
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>現在を強調したくて使用しただけです。


>「現瞬間」は物理学的なC系列だし、

それは、誤解されていました。言いたかったのは現瞬間ではありません。類似した例をあげると、
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/2008 …
一般人は前頭連合野→大脳基底核→前頭連合野→大脳基底核→運動野(運動系ループ)で泳ぐそうですが北島選手は前頭連合野→大脳基底核→運動野で泳いでいるそうですね。ループ回路がないので自らの判断、選択が無く新たな外部信号がない限り止まらないし、自己のイメージから切り離された泳ぎ・・無論泳いでいるのは北島選手なのですが、北島選手の自己が泳いでいるとは言えない状態。泳ぎのスタートからゴールまで絵に描いたように一瞬なはずです。過程などないのです。
こういったときの泳ぎと幅のある今は、同一の脳内においても幅のある今の認識が泳ぎからみると未来にあたるのではないかと思うわけで、真の現在と幅のある現在の比較や、現瞬間と幅のある現在との比較ではないです。

>愚かさも極まれりです。反省できない者は、未来を語る資格が当然ないと思った次第です。

これまで未来を記載してきませんでしたが、この手の未来については、単純な話だと思うんですね。

先の大戦は日本にとって、大失敗だったと言うことです。

そして、導かれるべき結論は、二度と失敗を犯してはならないシステムにすることです。
何が失敗だったのかが明確にならないと、対応する結論が導かれず、同じ失敗を繰り返す羽目になります。
日本は、その後、世界を揺るがす大事に至らないまでも、悲しいかな同じ失敗を繰り返していると思ってますし、先の大戦で未だに何が失敗だったのか明確になっていないと思ってます。だから、経済危機にも適切な対応が出来ません。妥当性の検証さえ出来ないのです。日本は予め、何時、誰に、何を実施しておけばこのような事態に陥らないですんだのか。
未来において、同様の予兆が再度発生したときにどのように行動するのか・・・

このような未来は、過去を思い出すようにイメージするものではなくて、現時点における正しさの基準を具体的に常に明確にして、
考え得る限りの可能性を思考し、それぞれに対して、予防策を実施し、発生時の対策を準備しておくものだと思います。
それでも失敗してしまうのが未来というものでしょう・・

こういった限界まで思考したことを土台にして、気持ちの上で楽観的にポジティブシンキングするのが正解だと思います。
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この回答へのお礼

>言いたかったのは現瞬間ではありません。
>一瞬なはずです。過程などないのです。こういったときの泳ぎと幅のある今は、同一の脳内においても幅のある今の認識が泳ぎからみると未来にあたるのではないかと思うわけで

勝負脳とか「ループ回路がない」泳ぎとかは、なるほどと思って読ませていただきました。ただ、「幅のある今の認識が泳ぎからみると(反射的な反応・行動=)未来にあたるのではないか」という視点が理解できません。何か特殊な意味で「未来」を定義しているように思います。行為主体の行動の場/時は、「現在」=「幅のある現在」=「幅のある今」と見るべきで、「未来」のはずがありません。未来は隔絶しているけれども、今の方へ意義付けるべく取り込んでいる。それは未来そのものではありません。「今」そのものです。これが、日常言語ゲームで一般的に通用する例示になると僕は考えるのです。未来を現在に関係させるときは、たとえば、「未来の行動指針」を現在において決意するというような「意思未来」言及のような場合だと言いたかったわけです。

村山談話は「未来の行動指針」の例示ですので、歴史認識などをこれ以上この場では、追いかけないこととさせていただきます。そして、最近の金融危機を見ると、過去の分析をいくらしても違った抜け道を通って失敗するのではないかと思えました。とは言え、恐慌は教訓を忘れていたから作り出したと言えるかもしれません。

お礼日時:2008/11/12 00:00

 No.49からです。



 残念ながら 降ります。
 ★★ (No.17補足欄) マクタガートにこだわらないでください。
 ☆ これを前提に 場違いの議論をもして来ました。ですから――たぶん マクタガートの議論には 意味がありません―― つづける意志が萎えました。
 A系列の過去・現在・未来の区分に すでに B系列の以前・以後は 含まれます。無時間を持ち出すC系列は 絶対と相対との関係として 捉えることができます。
 それと 時間が 存在するか・実在するのか この問題は 分かりません。分かる必要がない / 想定でよいという立ち場です。
 そういう理由です。

この回答への補足

物理学的な時間でさえ、相対性理論によれば、万人共通なものではなく、ゆえにニュートンの絶対時間・絶対空間は否定されているのが現状です。

補足日時:2008/11/12 04:50
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この回答へのお礼

>A系列の過去・現在・未来の区分に すでに B系列の以前・以後は 含まれます。無時間を持ち出すC系列は 絶対と相対との関係として 捉えることができます。それと 時間が 存在するか・実在するのか この問題は 分かりません。分かる必要がない / 想定でよいという立ち場です。

ある程度、同感です。そのとおりだと思います。当初の質問趣旨は、物理学的な時間としての「未来」の存在論でした。マクタガートは寄り道です。ただ、寄り道をしながら、物理学的な時間と人間的な時間との差異・相互関係または無関係性を概観できてきたと思います。「分かる必要がない / 想定でよい」とは思わなかったので、質問させていただきました。おかげで、随分と整理できたと思います。ありがとうこざいました。

お礼日時:2008/11/12 00:11

>「瞬間瞬間に流れるような現在」「現瞬間」のことだったのですね。



現瞬間 という用語があるんでしょうか。定義されているのでしょうか。
お伝えできているか自信はありませんが、納得は頂けたようでよかったです。

>現在中心主義派の主張は、ことごとく論破されている状況から

どんな風に論破されているのでしょうか。未来の存在を前提とする論破でしょうか。
原理的に、その非線形性からして論破できないというか論理的に解くことができないと理解してますが・・

>「未来を切り出す時間論」

現瞬間から発生する 幅のある今 は、最初に切り出される未来であり、親近感のある唯一の未来はありませんか。

この回答への補足

今話題の村山談話の一部を引用します。

http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/press/danwa/07/dmu_0 …

>わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
>敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

この例を利用すると、過去の行為に関する反省とお詫び、反省・お詫びと決意・行動指針提示の場/時としての現在、未来における行動(予定として)という過去・現在・未来のA系列の典型的な関係が、よく表現できていると思いました。

「反省」は、多少、自虐的な面を持つもので、自画自賛の真反対なわけですが、あの元幕僚長は、サルでもする「反省」という行為ができないという欠陥人間のようです。その程度の人間だと自分で宣伝しているようなもので、愚かさも極まれりです。反省できない者は、未来を語る資格が当然ないと思った次第です。

bananasandさんの回答とは、全く関係ありませんが、丁度よい機会でしたので、補足欄を使わせていただきました。

補足日時:2008/11/11 09:10
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この回答へのお礼

>>「瞬間瞬間に流れるような現在」「現瞬間」のことだったのですね。
>現瞬間 という用語があるんでしょうか。定義されているのでしょうか。

用語ではありません。瞬間の中でも、過去でも未来でもない、現在を強調したくて使用しただけです。時々世間で見られる・ありふれた造語だと思います。たまに見かけます。ただ、一般的ではないかも。

>>現在中心主義派の主張は、ことごとく論破されている状況から
>どんな風に論破されているのでしょうか。未来の存在を前提とする論破でしょうか。原理的に、その非線形性からして論破できないというか論理的に解くことができないと理解してますが・・

論点から外れますので、ここでは詳しく論じません。参考文献を紹介しておきます。
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393 …

>>「未来を切り出す時間論」
>現瞬間から発生する 幅のある今 は、最初に切り出される未来であり、親近感のある唯一の未来はありませんか。

まず、「現瞬間から発生する 幅のある今」という表現が理解できません。「現瞬間」は物理学的なC系列だし、「幅のある今(現在)」は主観的なA系列なので、異質ゆえに接続不能だと考えます。
また、「幅のある今(現在)は、最初に切り出される未来であり」という表現では、現在と未来の相互排除性・隔絶性がうまく現せていません。

A系列の関係を利用して三時の相互関係を表現すると

人は、過去を背負って現在を生き、未来を志向して現在を生きているだけだ。現在に意味を与えているのは、過去と未来だ。その意味で、現在には過去と未来を含んでいる。しかし、過去も現在も未来も実在しているわけではない。人がそれぞれ大雑把な幅を設定して(比喩的に言えば)切り取ったようなもので、万人共通の物理的な時間とは全く異質だよね。

こんな感じでしょう。

お礼日時:2008/11/11 06:07

 場違いかも知れませんが お邪魔します。



 未来は やはり 神(絶対=超時空)との関係でも 扱われるのがよいと思います。

 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 時間とともに造られ あるいは時間がそれとともに造られたものは あらゆる時に存在したのであり したがってそれは常に存在したが しかし造られたものとして存在したのである と答えるべきであろうか。というのも 時間があらゆる時に存在したことをだれも疑わないとしても その時間が創造されたということをわたしたちは拒否しないからである。
 ・・・
 それゆえ 時間は被造物であり その限りで あらゆる時に存在したゆえに常に存在したと言われる。けれども・・・常に存在したことからしてただちに創造者と等しく永遠であることにはならないのである。創造者は不変の永遠性にしたがって存在したが・・・時間は可変性によって移り行くゆえに 不変の永遠性と等しく永遠に存在することはできない。・・・
 〔神の〕被造物は神から生まれたのではなくて 神によって無から造られたのであり そのようなものとして神と等しく永遠であるのではない。神は被造物より先にあったが そこに被造物はなかったのであるから 時間の中にあったのではない。神が被造物に先立つのは 時間の広がりの中でそれの向こうにあるのではなく 不断の持続によって先立つのである。
 ・・・
 たしかに神は時間に先立って存在しただけでなく 時到って明らかにする永遠の生命を約束したのであるが そうだとすればそれは神の御言葉以外の何にふさわしいだろうか。その御言葉が永遠の生命なのである。神が永遠の時間以前にはまったく存在していなかった人間にそれを約束したのであれば その約束は 神がよしとした時に起こるであろうことを 神の永遠性の中で また神と等しく永遠な御言葉の中で かたく預定していたということにほかならないのである。
(アウグスティヌス:神の国 12・16~17)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この神と永遠の生命の歴史物語によって 中途半端な 霊魂にかんするあらゆる話のたぐいに 免疫がつきます。
 あとは キリスト・イエスが 人間であると同時に神であり 永遠の生命であるという物語は うそですと言えば いいわけです。
 そうして 未来論の舞台がととのうではないでしょうか。

この回答への補足

下のお礼欄の一部を修正します。

>C系列に属する「未来」は、A系列という

でななく、A系列に属する「未来」は、

でした。

補足日時:2008/11/10 17:51
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この回答へのお礼

アウグスティヌスの時間論は、古代末期、中世直前の時代性を考慮すれば、確かにレベルの高いものだとは思います。
しかし、所詮、実時間印象から構築した旧タイプだと思うのです。
そして、創造に関わるC系列と認識論に関わるA系列をごちゃごちゃにしています。ですから、

>未来は やはり 神(絶対=超時空)との関係でも 扱われるのがよい

ではなく、C系列に属する「未来」は、A系列という認識上の分類に過ぎなく、実在論としても、一切扱えないと結論付けられると思うのです。ここまでの、やりとりの経過を見ると、充分に理解できるのではないでしょうか。そして、「永遠」は、C系列に属し、過去や現在という幅で切り出す時間感覚には、全く馴染みません。

>未来論の舞台がととのうではないでしょうか

とは、残念ながらなっていません。

お礼日時:2008/11/10 17:49

>こちら側の理解力不足のため、充分には分かっていません。



そうではないでしょう。表現力がないのです。
オーケストラの演奏を絵に描こうとしているようなものかもしれません。

>ハードルが2つある
真の現在と幅のある今との間にあるハードル
そして、表象とかクオリア、イメージ等と言語表現との間のハードルですね。
前者は、点にすぎない森羅万象の実相とこの豊かで緻密な意識空間で、
後者は、大リーグのラジオ実況放送とイチロー自身のバッターボックスとか、楽譜と生演奏の関係ですね。

>プレーヤー側、選手側、実行者側、蝶々側であって、観客側、評論側、論説側、監査側、さなぎ側ではない

平たく言うと、自己とか、意識とかイメージ、作為みたいなものが理屈ではなくて一切消失するということなんですよね。
一般通常に擬似的に体験するのがセックスでしょうね。(あんまり言いたくなかったのですが・・)
選択の余地がないといいますか・・制御不能状態とか、全自動状態とでも言いましょうか・・その・・真の現在のみに依存している状態に帰還するとでもいいますか・・純粋なプレーヤー側・・即ち、観察者でない、評論側、論説側ではないと言うことなんです。

などと表現してしまうと、確かに、自分でも全くしっくりはきません。もっと、その先のいわゆる現実より、格段に鋭いリアルを直感するのですが・・意識やイメージよりも格段に速いリアルとでもいいますか・・そこに時間があるかと問われれば、 ない という状態、即ち、幅のある現在に属さない状態(後からついてくるわけですが)ですね。

未来の存在の話からどこかずれてしまいました。スイマセン

この回答への補足

bananasandさんは、ハイデガーかフッサールの影響が大なのではないでしょうか。つまり、現在中心主義とか「現在」重視の時間論の影響が大なのではないでしょうか。それだと、現代時間論としては、核心に触れないように思いました。僕にとって、ハイデガーは退屈なのです。全然魅力を感じないのです。

補足日時:2008/11/10 10:29
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この回答へのお礼

なるほど、やっと分かりました。ありがとうございました。
>オーケストラの演奏
>真の現在のみに依存している状態
>純粋なプレー
>意識やイメージよりも格段に速いリアル
>幅のある現在に属さない状態
つまり、「瞬間瞬間に流れるような現在」「現瞬間」のことだったのですね。

ただ、現在は流れていないし、瞬間は物理学的な時間なので、物理学的な時間ならばマクタガートのC系列(事象の一覧表的な配列)でしかなく、換言するとA系列(過去・現在・未来)の時間ではなく、そもそも「時間以前」とでも言うべきものであると思います。現在中心主義派の主張は、ことごとく論破されている状況からも、「未来を切り出す時間論」とは、論点がずれているようです。

過去時点での自由と責任、現在時点における反省・責任追求・未来に対する教訓、未来時点での贖罪・償い・補償という分節的相互関係における「未来」の位置付けという倫理的視点もあるようです。時間区分は、生命進化過程で獲得した認識能力であると共に社会的な解釈でも説明可能なもののようです。単なる後付け解釈かもしれませんが、僕はそう思いません。時間区分は、文化的に形成してと言えると考えます。

お礼日時:2008/11/10 07:22

>ここが今ひとつ伝わってこない表現になっていて、残念です。

もう少し、上手なイメージ化の表現をしていただけませんか。

そうなんです。帯域の非常に狭い言語表現自体のもどかしさですね。
ちょっと、再挑戦すると・・
点にすぎない森羅万象の実相とこの豊かで緻密な意識空間の対照は、
あくまでも親が森羅万象だからこそ、意識空間は、森羅万象側に還元してやる・・・
つまり、意識が意識空間を固定するなんてことをせずに、森羅万象側へと戻してやると言うふうなこと。
何を言っているかというと、言語も、自己も、他も、イメージも
感覚も、その意識自身さえも、真の現在へもっていうという風なこと。
カンブリア期を迎えるような、生物が陸上へ進出するような態様で、意識側としては、かなり激しく、鋭く、熱いものがある・・・と直感していると言うような稚拙な表現になるんです・・・

でもですよ・・
以上の様なことも意識の中だろう。そもそも意識は幻想のはず。だから、自己矛盾してる・・・と言うような言語表現上の否定でこれらが解けるものではありません。風穴は開いているのです。
それは、真の現在と幅のある今との峻別はしたわけであって、
その言語表現の限界の外層にあるイメージの限界をその外層に対して、イメージ側を溶かし込んでゆくことなわけですから・・・
おそらく、その状態は意識を離脱していることになるので、言語にはならないはずです。ハードルが2つあるからです。
プレーヤー側、選手側、実行者側、蝶々側であって、観客側、評論側、論説側、監査側、さなぎ側ではないと思うんですね。

この回答への補足

再挑戦、ありがとうございます。
でも、こちら側の理解力不足のため、充分には分かっていません。
>意識空間は、森羅万象側に還元してやる・・・
>森羅万象側へと戻してやる
>意識自身さえも、真の現在へもっていこう
>真の現在と幅のある今との峻別はした
>イメージの限界をその外層に対して、イメージ側を溶かし込んでゆく
>その状態は意識を離脱していることになるので、言語にはならない
>ハードルが2つある

「森羅万象側に還元」「森羅万象側へと戻す」とは、(運動のような)物理現象に置き換えるということでしょうか。
また、「幅のある今と峻別した」「真の現在」へ「イメージ側を溶かし込んでゆく」とは、やはり、(運動のような)物理現象に置き換えるということでしょうか。
そして、「意識側としては、かなり激しく、鋭く、熱い」けれども、「カンブリア期を迎えるような、生物が陸上へ進出するような態様」とは、生命進化現象とも関連して考察するということでしょうか。
「ハードルが2つある」も、何と何でしょうか。

>プレーヤー側、選手側、実行者側、蝶々側であって、観客側、評論側、論説側、監査側、さなぎ側ではない

ここも、よく分からないのです。僕の理解力の不足を補っていただけませんか。よろしくお願いします。

補足日時:2008/11/09 13:48
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プランク時間を既にプランク「時間」とするところに


我々の大きな誤解があるように思うんですね。
電磁波を波動方程式で表現したり,E=mc2での数式上の時間の次元と
この「時間」は別のものではないでしょうかね。
どうも幻想側的・・・
だから時間は1次元であるという近視眼的思考になる・・・

かつて、光の媒体として空間を満たすエーテルの存在を議論していたように、
時間をあたかも 変化 を媒体するエーテルが流れてでもいるように
観察してしまう傾向があるように思うんです。

実はそうではなくて、そもそも 時間 などないのではないかと言うことですね。
過去、現在、未来、そして、時間さえも 完全に我々側にしかないのではないでしょうか。

うまく生きるがために、我々こそが超体験の空間領域、時間領域を生きている。
思えば、すごいことです。驚愕すべきことです。この幻想が幻想にとって唯一実体であると幻想している。

とらわれてはダメだと思います。
ビッグバン前であるのか、ビッグバンは起こっているか、ビッグクランチ後であるのか
すべてが・・・あるのであって・・・すべて・・ないのです。

覆水盆に返らず・・エネルギーがちょうど走ろうとしているにすぎないのです。
ビッグバンからビッグクランチまでは一瞬です。

ここからは直感ですけど、
まぁ、こういった思考も、いかなる思考も、幻想側の時間を要素としてやっているわけで、
どう逆立ちしてもあくまでそれは幻想側と言えるんですが、
間違いなく森羅万象の実相たる変化を使っているのだという事実へこれを還元することだと
思うんですね。
OSを知るというんでしょうか・・物理層を理解すると言うんでしょうか・・
アプリ側からOSを探査すると言うんでしょうか・・ちょっと表現に困りますが・・

この回答への補足

>過去、現在、未来、そして、時間さえも 完全に我々側にしかないのではないでしょうか。

マクタガートのA系列は、個々人の認識上の時間概念に過ぎなくて、そのまま宇宙全体の物理学的な時間に適用するあたりに問題の根源があるようです。そうなる背景として、連続的に刻々と変化し消えていく微小・極小・ミクロな現在(瞬間)という推理・思い込み・虚構・錯覚であって、そもそも過去化した認識でしかなく、「真の瞬間的な現在」(つまり、虚構なのですが)を表現できていないと思います。

>うまく生きるがために、我々こそが超体験の空間領域、時間領域を生きている。

同感です。マクタガートのA系列もB系列も、宇宙と生命の進化過程で獲得した「関係」認識能力に由来しているだけです。

>思えば、すごいことです。驚愕すべきことです。この幻想が幻想にとって唯一実体であると幻想している。とらわれてはダメだと思います。

結局、「空観」につながってくると思います。

>間違いなく森羅万象の実相たる変化を使っているのだという事実へこれを還元することだと思うんですね。
OSを知るというんでしょうか・・物理層を理解すると言うんでしょうか・・
アプリ側からOSを探査すると言うんでしょうか・・ちょっと表現に困りますが・・

そうですか。ここが今ひとつ伝わってこない表現になっていて、残念です。もう少し、上手なイメージ化の表現をしていただけませんか。

補足日時:2008/11/07 13:36
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この回答へのお礼

物理学的な時空論で使う「時間」概念と知的生命体が認識する場合の「時間」概念をまず区別すると、時空論の「時間」はマクタガートのC系列であり、知的生命体が認識する「時間」はマクタガートのA系列のことであると結論付けられる。そして、なぜ物理学的なC系列から認識論的なA系列につながるのかは、進化論的に知的生命体の能力として説明できると分かる。

0 生命は、低エントロピー(秩序)維持機構として宇宙に誕生した。
1 生命は、死(高エントロピー)をできるだけ回避したい。
=エントロピーを低く維持したい。秩序を保ちたい。乱雑(死)を避けたい。
2 死にかけるような同じ失敗を繰り返さないために、記憶能力、記憶参照能力、想起能力を獲得した。
=過去を切り出す認識能力を獲得した。
3 過去を切り出した時に同時に現在が切り出された。
=同じ失敗を繰り返さないような決断・意思決定をする場/時(現在)の認識能力を獲得した。
4 意思決定をする場/時(現在)において、より生存・存命を維持している近未来を想定し、未来を幻想としてではあるが想定できるようになった。
=希望・期待のある未来の認識能力を獲得した。

大雑把に言えば、こんなところでしょう。詳細に検討すれば、いくらでも緻密化できると思いますが、ここで止めます。 

お礼日時:2008/11/07 08:59

 bragelone です。


 qsxdrfvgyh さん お答えをいただきありがとうございます。こちらは 解説していただいて なるほどと思うわけで なかなか ご質問にかんして qsxdrfvgyh さんのご期待にこたえることは むつかしいようです。

 それでも 素人の向こう見ずと特権とで 一点だけ 反論のようなことを述べます。そのほかは みな なるほどと感心し納得しました。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「幅のある<今>」とか「現在」は、幻想に過ぎない(実時間ではない)「未来」という概念ではあるけれども、未来の身体的・環境的な秩序をよりよく維持する選択・意思決定するために、切り出された概念なのであって、「幅のある<今>」とか「現在」は、自由に行動し、責任を負う「場/時」という程度の意味なのでしょう。ですから、「現在」や「未来」は、神学とは、関係ありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 否定ではありません。神学は
 ★ 「現在」や「未来」・・・とは、関係ありません。
 ☆ と同時に 
 ○ その無関係のあり方として ふたたび周り回って 現在過程に かかわって来ます。
 ☆ むろん虚構であり 雲をつかむ話なのですが たとえば それこそ
 ○ 光速度を ひとが 超える〔かのような観想ないし体験を持つ〕
 ☆ という主題にかかわるのだと思います。超経験の領域なのですから。絶対なのですから。

 そうすると 《あの世》論者と同じようになりますが 違いは 《絶対》として 想定するという大前提でしょう。中身が分かるということではないわけです。関係が――つまり 無関係という関係が その虚構をとおして―― わづかに ひとにあって 心の伸びのようになって 現われるかに推し測られるというものです。言わずと知れた信仰の問題です。むろん ここでは 別とします。
 (時間が 未来に向かうというその矢の問題は エントロピーにかかわると聞きますが 信仰――限りなく中立・中性の概念として捉えてください――という動きも そこに かかわっているのではないでしょうか)。

 さらに議論のゆくえを見守ります。

この回答への補足

引用部分の誤解を防ぎ、より結びつきを明確にするために、《「幅のある<今>」とか「現在」は、》の位置を変えます。

幻想に過ぎない(実時間ではない)「未来」という概念ではあるけれども、未来の身体的・環境的な秩序をよりよく維持する選択・意思決定するために、「幅のある<今>」とか「現在」は、切り出された概念なのであって、「幅のある<今>」とか「現在」は、自由に行動し、責任を負う「場/時」という程度の意味なのでしょう。

補足日時:2008/11/06 17:13
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この回答へのお礼

未来の身体的・環境的な秩序をよりよく維持する選択・意思決定する・・・「現在」や「未来」は、神学とは、関係ありません。

ここは、言いすぎだと反省しました。共存し得る場合もあると思いました。ただし、「無秩序や死」につながるテロは、原理主義者の手によるので、イスラム原理主義に対する拒否感はあるのです。秩序を求める神学がそれとは真逆なので、拒否する必要はないと思います。「関係ありません」ではなく、「限りなく中立・中性」でもなく、「秩序をよりよく維持する選択・意思決定」に資する場合は有効であると言うべきでした。

お礼日時:2008/11/06 16:43

 科学ないし科学哲学の論文を含むサイトを見つけました。

内容について わたしに判断能力が乏しいわけですが ご紹介しておきます。
 
 ○ 空間・時間・精神~序論:http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P9_idx. …
  ▼ (もくじ) ~~~~~~~~~~~~~~~~
 序論
 結論:科学哲学は可能か
  1.科学的方法論と哲学的方法論
  2.分析的判断としての直観
  3.直観の適用限界
 4.直観に依存する科学哲学の諸問題
  (i)ゲーデルの定理と決定不能性
  (ii)構造変動の数理科学
  (iii)自己・非自己の問題
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ○ 時間に関する5つの問題:http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P6_idx. …
 ▲ (もくじ)~~~~~~~~~~~~~~~
 現在は実在するか
 時間はなぜ1次元か
 何が時間を流れさせるか
 未来はすでに定まっているのか
  (i)物理学における決定論の現状
  (ii)因果連鎖に関する認知方略
  (iii)予測不能な決定系の例
 瞬間に幅はあるか
  (i)ゼノンのパラドクス瞥見
  (ii)古典論および量子論の初期値問題
  (iii)模型的理論による考察(省略)
  (iv)パラドクスは解消されるか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ○ そのほかに 《論文》として 次が挙がっています。
 ・この世界についての仮説・概要 (06/03/23更新)
 ・アインシュタインはなぜ宇宙項を導入したか? (03/11/03更新)
 ・複雑な性質の単純な実現(第2稿) (03/09/14更新)
 ・複雑な性質の単純な実現(第1稿) (02/04/11更新)
 ・EPR論文を巡って (00/02/24更新)
 ・Field Theoretic Phase Space (in English) (99/04/09更新)
 ・決定論と自由意志 】 (98/03/19更新)
 ・《実在》の探求  (98/03/19更新)
 ・科学は〈価値〉を語れるか  (98/03/20更新)
 ・超科学と対峙する  (97/04/02更新)
 ・現代科学の方法論  (98/03/24更新)
 ・拡がった空間の知覚と世界像の成立  (98/03/23更新)
 ・実在としての精神/精神としての実在  (98/03/25更新)
 ・量子力学の基盤理論  (97/09/20更新)


 《吉田伸夫:科学と技術の諸相:http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/index.htm》です。

この回答への補足

No.43のお礼欄からの続きです。

★ プランク時間以降に関心があり
★ 実時間でも虚時間でも 数学的には 大差ないのではないか
☆ とすれば 科学哲学としても つまり哲学としても 《実時間・虚時間ともに 大差なく》 生ないし死の問題を考えていくのではないでしょうか? 
(ご返答)生死の問題ではないつもりですが、できるだけ死なないように生存し続けるために、未来に向かって<今>の時点でよりよい選択・意思決定をするという意味で、未来は想定されてくると思います。

○ 時空間の出現したあとの《最大限に想定した〈現在〉》過程において 人それぞれが 時代に応じて社会に応じて さまざまな《幅のある<今>》を捉えていけば よいでしょうし その《今》に立って その今にむしろ含まれて来るようになる《未来》についても 自由に 思い描いて行ってよいと考えます。
 一人ひとりが安定した生活を送れ 互いに安心して暮らせる社会という主題 たとえば このような主題をめぐって 過去・現在・未来という時空間が問題になると考えます。これが 時間論であり 未来論であると思うのですが いかがでしょう。
(ご返答)そのとおりだと思います。「未来」とは、生命としてエントロピーの増大した死をできるだけ回避する(エントロピーを増やさない)ために、身体的・環境的な秩序をよりよく維持する選択・意思決定を行って、次なる<今>につながっているという幻想なのです。

>どこで どう違ってきているのでしょう。人が生きるを別にして 過去や未来というものを探究するということでしょうか?
 《ふつうの生活》という主題のもとに いくつもの小主題が分岐し その各論ごとに 過去・現在・未来という時間過程が持たれていく――あるいは そこで 発生する――と思います。
 平等思想について 貴族・華族の制度という主題にかんしてなら 日本において おおむね過去となりました。未来に そういう主題が 起こるとも思えません。同和問題という主題は 裏ないし奥ないし底の底にもぐっていますが 現在時の主題であり課題です。それの解決という情況は 未来時に わたしたちは 想定しています。遠くビッグクランチを恐れつつです。
(ご返答)過去を記録し、記録を参照し、そして想起する能力があるからこそ、未来に向かってよりよい意思決定を現時点ですることができると僕も思います。

 ★ (No.40お礼欄) 絶対的ではない、相対的な時空観を基礎とした、現代の時空論として「未来」を探究するという関心です。
 ☆ つまり 上のように 主題ごとに 未来の探究があるのではないでしょうか。哲学としては です。科学哲学としては 未来は 現在の延長であるという程度で足りませんか。というよりも ビッグバンからビッグクランチまでの宇宙大の《現在》過程に つねにその生きる主体の意識するつど 未来が 小さな区分として 想定されるというかたちです。
 それとも もしくは 《〈絶対〉との遭遇としての永遠の生命》の議論があります。相転移を匂わすかに思われる神学にかかわる存在論のほうです。
(ご返答)「幅のある<今>」とか「現在」は、幻想に過ぎない(実時間ではない)「未来」という概念ではあるけれども、未来の身体的・環境的な秩序をよりよく維持する選択・意思決定するために、切り出された概念なのであって、「幅のある<今>」とか「現在」は、自由に行動し、責任を負う「場/時」という程度の意味なのでしょう。ですから、「現在」や「未来」は、神学とは、関係ありません。

補足日時:2008/11/06 08:53
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この回答へのお礼

参考にさせていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/05 18:30

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