集合写真、どこに映る?

私は同じ世代の中で相対的に収入が低い人は、それまでの人生と比べるとある程度妥当な結果であるのではないかと思います。

具体的には
・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。
・就職に強い大学に進学をしなかった。
・大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。
・就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動したetc…
そこには本人なりの理由はあると思いますが、低収入な方の内8割は
上記のような「人生の結果」「能力」の方が多いように感じます。

ただ、これは低収入の人が必ず上記のような理由のいずれかである。
という訳ではなく、2割はそうじゃない理由の方もいらっしゃると思います。
・不慮の事故により、障害を持ってしまった方
・就職氷河期世代で真っ当な就職が出来なかった人の中で、世代が違えば真っ当な就職を歩むことが出来た方
具体的には上記のような理由でしょうか。
・公立の進学校に通い、国立大学へと進学するだけの学力があったが
 奨学金や授業料免除を使用したとしても大学に行くだけのお金がなかった
という方もいらっしゃるのかもしれません。

また、政府の政策によってこの割合は7割くらいまでは軽減できたのかもしれませんし
9割くらいまで増加したのかもしれないかなとも思います。
皆様は「低収入な人」の何割ぐらいが「本人の人生の妥当な結果」であると感じますか?

・「調べてもわからない」というのは重々承知しておりますので、皆様の主観でお答えください。
・「わからない」「なんとも言えない」と言う方は皆さんの周りの低収入な方の内、上記の4つの低収入の理由に当てはまる方はどの程度いらっしゃるかを大体でいいのでお答えください。
・私自身は政府がこの低収入な人の割合を減らすべきである。再チャレンジする制度を作るべきであるという意見でありますので、このようなご意見もご遠慮ください。

A 回答 (35件中1~10件)

NO.6です。


>私自身は政府がこの低収入な人の割合を減らすべきである。再チャレンジする制度を作るべきであるという意見でありますので、このようなご意見もご遠慮ください。
これに対する答えですね。現在の日本社会問題の構造を検討する目的で立てられたアンケートかと思っていました。
答えの趣旨がずれていましたね。ごめんなさい。
もっと、長期で沢山の世代を考察に入れるべきでした。あらためて、質問に答えさせて下さいね。
「政府」に拘ってしまって、森を見ていなかった、私(冷汗。
尚、「%、割合」等の表示については、統計をとる手段が見つからないのでご容赦下さい。

結論から言えば、クロス・セクションでは、大まかですが「個人の今までの生き方の結果として今の状況がある」と思います。どの時代にも勝ち組、負け組みはいました。
しかし、タイムシリーズで見た場合、団塊世代より団塊ジュニアの方が、報われにくい=競争に勝つためには努力をより多く求められていると思います。団塊ジュニア世代が自分の低所得や自分が期待していた状況がえられない事に不満度が他の世代より高いと思う理由として親(団塊世代)と比べるからです。

基本的にはNO.10の方の答えに賛成です。

>勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。

この答えは、先天的に頭が良かったり親に投資してもらっていたら、状況は変わっていたと思う人もいるでしょう。これは本人の努力だけではどうにもならない外部要因ですから、不条理と思っている人が多そうですね。同量勉強しても、80点の子もいれば60点の子もいます。
子供時代は、外的要因によって結果が決まることが多いです。中学時代に良い成績を取らないと進学校に進めません。中学時代までの成績の重要性は、親の教育方針に拠る所が大きいと思います。                    

>就職に強い大学に進学をしなかった。

これは、情報収集能力不足もありますが、中学時代、小学校からの英才教育、中学受験等と強い相関があると思います。
中学までの時期に学業の大切さを知り、進学高校に行っていれば、特別やりたい学科や、指導を仰ぎたい教官がいる場合以外、なるべく知名度の高い大学を目指すと思います。「就職に強い学部」に進学しなかったのは本人のせいですが、中高校時代からの積み重ねた学力不足により「就職に強い大学に進学できなかった」のでは無いでしょうか?

>大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。
>就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動した。

この二つは、「怠けた自分のせい」だと思います。大学生にもなれば、判断力も付き情報も集めやすくなります。大人になってから判断した事なので自分のせいでしょう。

低所得(予備軍)の若い人に、「こんな風な社会にした大人が悪い。」と言う人をよく見ます。
高所得の人は「勝っても負けても自業自得、因果応報」と思うでしょうが、「低所得の人は、『あの時、ああしておけば・・・』か『社会(親)のせいでこんなに所得が低い』と思っている人がいて、後者がとっても多いと感じます。
つまり、「棚が大きくなっている」と言えるでしょう。低所得になるほど、自分の怠けた生き方のせいにしたがらない人が増えると思います。低所得なのは自分のせいだと納得している人は半分以下では無いでしょうか。
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この回答へのお礼

素晴らしい。非常に論理的なご意見で頭が下がります。

私の意と異なるご意見もありますが、ここまで論理的であればすんなりと飲み込むことが出来ます。

大学入学以前は、先天的なもの、親に教育方針によるところが多いため
「本人の努力」ではどうにもならないところが大きい。ということですね。
たしかに、仰るとおりだと思います。

以下は私なりの意見ですが「努力した人」が報われて、「努力した人」が報われないのが妥当である。
というつもりはありませんでした。
質問文に「努力」という言葉を使わなかったのも、その意図で
「本人」「社会」「親」さまざまな要因はあるが「結果」として上記の4つだった人が「低収入」であることは妥当ではないですか。
というところでした。

最後のまとめの部分には、思わず「う~ん」とうなずいてしまいました。

お礼日時:2008/11/06 01:01

NO.31です。


>以前こちらのQ&Aで会社の経営者の方が
>「20代の若者が、実績として残してこれるものは勉強・学歴程度しかない。
> だから私は採用の歳には勉強・学歴は1つの重要な要素として見ています。」
>等の言葉から
>私のような「生を受けて20年そこそこの人生」の半分にも達していない若造には
>人がもっとも成長する20年間の間に、その成長によって得られた能力の証を残せなかった人が低収入であった場合。
>それはある程度妥当であると感じていたのですが~

>「勉強・学歴程度しかない。」ことが問題だということですね。
>これには私も同感です。
矛盾していませんか?

この回答への補足

切りのよいところで締め切ろうと思っていたのですが
なかなかいいタイミングがないので
多少強引ではありますが、ここで締め切らせていただきます。

今まで回答してくださった皆様誠にありがとうございました。

補足日時:2008/11/16 23:39
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この回答へのお礼

表現が悪く申し訳ありません。

今現在は「勉強・学歴」が重要視されている。
それは採用する企業側にたってみると特別問題だとは思っていません。

しかしながら、22歳まで気を張り詰めていかなければならない
現状の制度よりも、より「柔軟な制度」になればそれはよりよいことだと思っています。

という意図でした。

お礼日時:2008/11/16 23:34

僕は三流大学で多分いいとこへ就職はできないでしょう


だけどそれが妥当と言われるとやっぱムカつきます

話は変わりますが
すいませんでした
このアンケートに興味があって読んだんですが良く分からないので他で質問してしまいました
お礼が書いてなかったから、もう捨てたのかな、、、と思って、、、
社会 > 社会問題 > その他(社会問題) に「学歴と収入」というタイトルであります
ちょっと欠席裁判みたいになっちゃったところがありました
特にNO.4さんへのお礼には失礼になる書き方と思います
本当にすいませんでした
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

社会 > 社会問題 > その他(社会問題) に「学歴と収入」
こちらを参照したのですがどうやら削除されていたようで
ちょっと興味はあったのですが残念です。

お礼日時:2008/11/16 23:28

NO.17、NO.21、NO.24です。


理系の先輩に見てもらいました。
先輩が言うには
「この質問は、A=B、B=CならばA=Cが妥当であるのは何割?で、
当然10割なんだけど多分「=」か「≒」かで9割とか8割という回答が出てくるんじゃない?」
だそうです。
良く分からないけど、私がNO.17でした回答は的外れだそうです。(>_<)
今度からちゃんと質問を理解してから回答します。<(_ _)>
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この回答へのお礼

4度目の回答ありがとうございます。

私は当事者であるので、その理系の先輩の方のように客観的に見ることが出来ない為
・「この質問は、A=B、B=CならばA=Cが妥当であるのは何割?で、
 当然10割なんだけど多分「=」か「≒」かで9割とか8割という回答が出てくるんじゃない?」
・Mint-02様のこれまでの回答が的外れなのかどうか
これらが当たっているのかどうかはわかりませんが

ただ、少なくとも、私がそんな風に言われた場合
>>今度からちゃんと質問を理解してから回答します。<(_ _)>
ふて腐れて正直に言わないかもしれません。
その点でMint-02様は素晴らしいと思いますよ。

お礼日時:2008/11/15 11:17

NO.19です。


>人がもっとも成長する20年間の間に、その成長によって得られた能力の証を残せなかった人が低収入であった場合。
「その成長によって得られた能力」が質問の「4条件」では余りにも狭過ぎるのではないでしょうか?
「その成長によって得られた能力」を証明する方法が思いつきません。
仮に証明ができたとしても「妥当」とは言われたくないですね。

やはり、「その結果がどのような過程を経てきたのかを問わない」
というところにこの質問の問題があるのだと思います。
お疲れ様でした。
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この回答へのお礼

他の方と同時期にお礼差し上げたつもりだったのですが
手違いか何かでこちらの回答が反映されていませんでした。

なるほど。どちらかというとJurimika様は
「学校」=「勉強」ではないというお考えで
Jurimika様は「勉強などによって得られる結果」について「妥当」とは言われたくない。
と言うことですね。

参考にさせていただきますね。

お礼日時:2008/11/16 23:39

>以前こちらのQ&Aで会社の経営者の方が


>「20代の若者が、実績として残してこれるものは勉強・学歴程度しかない。
>だから私は採用の歳には勉強・学歴は1つの重要な要素として見ています。」
この話で大事なのは「しか」にある。
「しか」ないのだったら、それを増やすべきであり、
または、それを排除しなければ「妥当」にはなり得ない。
この方は判断材料が極めて少ないから
「しょうがなく」それを「重要な要素として見ざるを得ない」だけで、
それが「妥当」とは仰っていない。

また、私は「茶番」とは思っていない。若い方とディスカッションできて楽しかったし、
自分の考えを見つめ直すいい機会であり、我ながら「良い事言うなぁ」とニンマリもできた。w
ありがとう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「勉強・学歴程度しかない。」ことが問題だということですね。
これには私も同感です。

参考にさせていただきますね。

お礼日時:2008/11/15 11:12

NO.めんど


>なんだか話が脱線しているような気がするので、改めて質問の意図を整理しました。
いや、脱線はしていない。
この質問の本質を見極めるための分かり易い例である。
>やるべきときにやるべきことをやる能力
これは、大人には問えるが、子どもには問えない。
したがって証明も糞もない。

心を真っ新にして、改めて回答をすれば、
・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をした。
・就職に強い大学に進学をした。
・大学に進学してしっかり単位を取ってストレートに卒業。
・就職活動中において自分の将来についてしっかり考え、適切に行動したetc…
以上4条件を満たしたが、
子どものころから勉強ばかりしていたせいで、
云ってる事が分からない・云いたいことが伝わらない・人の云ってる事が理解できない、
などのコミュニケーション能力に欠けているという理由で面接をパスできなかった。など
(見た目で落とされた人は、2割に入るんですよね?)
で収入の多い職には就けなかった人を引けばいい。
したがって、9割


ひとつ言って置きたい(たくさん言ってきたが・・w)、
    
     人生に「妥当」などということはない。


また、
rocknrose様、Mint-02様、Jurimika、DQragnarok様、Kmutai様、v008様、におかれましては、
私の誤解から端を発したこの茶番に巻き込んでしまったことに対し深くお詫び申し上げます。
私はしばらく蟄居謹慎致します。
できますれば、Opolskie様には総括して頂きたくお願い申し上げます。
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この回答へのお礼

6度目の回答ありがとうございます。

4つの条件を満たしたとしても
・コミュニケーション能力がない
等の理由で低所得である人がいるから妥当なのは9割程度だというご意見なのですね。

参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/11/15 11:09

ANo.25です。


ANo.28へのお礼を読んで少し思う事がありました。
「能力の証明で示される能力」と「本来の能力」に差がない、の部分。

私基準で考えていたので、先の回答では0%と回答しました。
私は、高収入を求めてそれなりの努力をし、
高収入が得られると思われる仕事についたわけではありません。
自分の給料がいくらなのかを給与明細を見た事もないくらいです。
自分が高収入なのか低収入なのかもわからないので、
ますますに、回答になる率を導きだせなかったわけです。

そうして、私のような人間も考えに入れて、
改めて低収入な人の割合を考えると、
「能力の証明で示される能力」と「本来の能力」に差がないと思えるのは、
50%ぐらいではないかと思います。
少なくとも、質問者様の言われる80%ほどもいないと言う事です。
ここにはなぜ低収入なのかの要因が、
その個人にかかるものではないものがあると思うからです。
世の中の会社がどのように運営されているのかまではわかりませんが、
例えば、景気の影響を受けて給料がさがった会社や、
経営者の経営力のなさや、
その会社の社員全体の会社に対する貢献度が影響して会社が儲からないでいる、
などなど、その個人の能力に関係ない具合で、
低収入でなかった人も含め、低収入になった場合があると思うのです。
それも含めると80%はないと思いました。

逆に、その個人だけで判断した場合。
つまり、私のような、給料に無頓着でいるものは除き、
例えば、人生計画を立てて、自分はこうこうこれだけの事をして、
これだけの収入を得ようと志を持って社会に参加した人は、
その努力が足りなかった、能力が足りなかったなどの理由で、
得ようとしていた収入が得られず、妥当な収入になった、
と言う事は言えると思います。
このように対象をしぼった場合は、
100%と考えてもいいと思います。

私は、言えば、4つの条件の内の4番目にあたると思うのですが、
上で書いた事を考慮する際に、「能力」には含められないと思うので、
はずして考えての、再回答です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ごたごたして以下の方には御礼が遅れてしまいましたことを深くお詫びします。
「本人の責任がないところで低所得になった人がいる」
だから50%程度だというご意見ですね。

しかしながら
>>人生計画を立てて、自分はこうこうこれだけの事をして、
>>これだけの収入を得ようと志を持って社会に参加した人は、
>>その努力が足りなかった、能力が足りなかったなどの理由で、
>>得ようとしていた収入が得られず、妥当な収入になった、
と言う人に限れば100%妥当であるとの事なのですね。

参考にさせていただきますね。

お礼日時:2008/11/15 11:07

NO.10、12、14です。


聞き捨てならない(見過ごせない)ものを見てしまったので、
前言を撤回させていただく。
ちょっとキレ気味。w

NO.21とNO.24で
打率と年俸は直結しているが(打率が低い=低収入)
そもそも結果(4条件)と収入を直結させてしまってはこの質問が成り立たない。
>もしよろしければ低収入の人の内
>・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。
>・就職に強い大学に進学をしなかった。
>・大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。
>・就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動した
>のいずれかに当てはまる人はどの程度だと思われるかをお答えいただけると幸いです。
とあるのだから
     結果(  )低収入
で( )の中に「=」を入れていいか?
と質問しておいて、最初から( )の中は「=」でした。
ってそんなのアリ?
と思ったのだが、「=」を入れていいのは何割?
と言う質問ですよね?
答えは10割だけど、そりゃないよ。
打率が低ければ年俸が安いのは当たり前。
そんなの決まってるジャン。
殆どの回答者様方(少なくとも私)は「4条件」は、
あくまでも打席に立つまでの過程であって「結果」などとは露程も思っていない。
※なので、高い金を出して優秀なコーチを雇った者、
様々な変化球を投げられるピッチングマシーンで練習した者、
ただひたすらに素振りを繰り返した者。
また、金属バットを持って打席に立つ者、
ひびの入ったバットで挑む者、
バットを持たせてもらえない者、
そもそも打席に立つことすらできない者。
色々いる中で、その結果打率を残せなかった者の年俸が安いのが妥当か?
と問われれば「否」と応えざるを得ない。※
※は質問の真意と異なることを認識しているので、スルーして下さい。

私の反論が誤解であることを願いつつ・・・・
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この回答へのお礼

4度も回答していただいて恐縮です。

なんだか話が脱線しているような気がするので、改めて質問の意図を整理しました。

例に挙げました4条件で結果を出していることは「やるべきときにやるべきことをやる能力」の証明となるのではないか。
その上で、この「能力の証明が行える人」と「能力の証明が行えない人」そこに差があるのはある程度妥当なのではないか。
そして企業や社会は「その能力に至った理由」にお金を払うのではなく「やるべきときにやるべきことをやる能力」自体にお金を払う。
それも妥当なのではないだろうか。
そして、低所得な方のうち8割程度は「能力の証明で示される能力」と「本来の能力」に差がないのではないだろうか。
という質問意図でした。

しかし、Seiron04様は
>>あくまでも打席に立つまでの過程であって「結果」などとは露程も思っていない。
というように
4条件の結果は「やるべきときにやるべきことをやる能力」の証明にはならない。
というご意見なのですね。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/11/07 05:25

NO.18、NO.20です。


>「低収入である本人」が
ではなく、本人も含めて何人(ナンピト)たりとも、です。

>単純に言うと~ということですね。
違います。
簡単にいうと
この世に生を受けて、20年そこそこの生き方で、生涯賃金が左右されるべきではない。
ということです。

この回答への補足

すみません。

お礼文の「「生を受けて20年そこそこの人生」の半分にも達していない若造」
だと私は10歳にも満たないことになってしまいます。

「「生を受けて20年そこそこの人生」が人生の半分にも達していない若造」
に修正させてください。

補足日時:2008/11/07 03:18
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど。ANo.20におけるDQragnarok様の仰る「妥当である」の定義は
「本人も含めて何人(ナンピト)たりとも」が妥当と思えるかどうかだったのですね。

以前こちらのQ&Aで会社の経営者の方が
「20代の若者が、実績として残してこれるものは勉強・学歴程度しかない。
 だから私は採用の歳には勉強・学歴は1つの重要な要素として見ています。」
等の言葉から
私のような「生を受けて20年そこそこの人生」の半分にも達していない若造には
人がもっとも成長する20年間の間に、その成長によって得られた能力の証を残せなかった人が低収入であった場合。
それはある程度妥当であると感じていたのですがDQragnarok様は
「この世に生を受けて、20年そこそこの生き方で、生涯賃金が左右されるべきではない。」
という考えだったのですね。

参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/11/07 03:12
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