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キリスト教の三位一体論は新プラトン主義の強い影響の下に
形成された教義だという言及をよく目にします。
こういった言及はよく見るのでおそらく正しいのでしょうが、
【どのようなプロセスを経て】新プラトン主義が三位一体論の形成に影響を与えたのかがわかりません。
一者(ト・ヘン)、精神(ヌース)、霊魂(プシュケー)という新プラトン主義における三位一体が、
キリスト教における三位一体論に影響を与えた、らしいですが・・・。これは本当なのでしょうか?
できることなら、どなたか、信頼できるソースを教えてください。
そんなにむずかしいものでなければ、書籍でもかまいません。
よろしくお願いいたします。

参考として:こんなサイトにもいろいろ書いてあったのですが・・・。
http://www.geocities.jp/ch1kv/catholic.htm

A 回答 (3件)

調べてみました。

まったく、私の推測です。

325年・ニケア公会議で、アタナシウスの三位一体説が正統とされ、
451年・カルケドン公会議が、こう宣言しました。「神の第二位階・ロゴスが人になり、キリストになった」

『御言(ロゴス)は人となりき』(新約ヨハネ福音書1章14)に由来するのですが、これはまた、
新プラトン主義による、9層に重なる宇宙像
1神、2知性、3霊魂、4第一質量、5第二質量、6秩序世界、7天圏、8月下界、9鉱物・植物・動物
の、第2層:知性であって、第3層が聖霊。だと考えられます。

新プラトン主義vs三位一体説は、ここを基点として、
トマス・アキィナスが出るまで、すっかり神学・哲学が廃れていた西欧ではなくて、
ギリシア哲学を継承したイスラムと、東方キリスト教世界で、深く議論されて教義を確立したのでは?と考えます。

8~9世紀に、こんな↓論争があったそうです。
リンク貼りますが、読みにくいので、一部を抜粋しておきます。

>ネストリオス派、単性論派、皇帝派一カルケドン派一問のキリストをめぐる論争が、シリア教会のアブー・ラーイタの短篇の中に遺されている。

>ネストリオス派
>『私はキリストが二つの位格(shakhş)より成る〕と申します。〔すなわち、〕父とその性質(ţabī'ah)やあらゆる属性(şifah)において等しく、〔父から〕不断に生成され続けている位格と、様々な罪を除いてあらゆる人格を共有する、マリアから産み落とされた人間としての位格です。
>そしてキリストの名は、二つの位格のどちらかをおいて片方に帰属するものではなく、その両方に〔帰属する〕のです。ゆえに、キリストは神と人間という二つの性質を備えた二つの位格なのです。
>その証明は、〔このようです。〕我々は万物を見ますと、総じて必ず実体(jawhar)と偶有('arad)に分かたれますが、その分かたれたものは一般的('āmmī)なものか個別的(kh'āşş)なものかいずれかでなければなりません。既に我々はキリストが偶有ではないと合意していますから、〔キリストは〕すべからく実体であることになります。そして我々は、その実体が一般的か個別的かいずれかでなければならないと気付きます。
>もし仮に、神と人問とに別々に分かたれて〔その実体に〕付された名が一般的実体の仕方で付されたとしますと、キリストの名は父と子と聖霊を包含し、またすべての人間を包含しなければならないことになります。これがあり得ないことから、別々の名はそれぞれの位格そのものに付されたに過ぎないと証明されます。
>これは、〔キリストが〕神的実体と人的実体という二つの個別的な位格である実体〔から成ること〕を必然とするのです。』

>皇帝派
>『私はキリストが単一の位格であり、神性と人性の両性を〔有していると〕申します。ゆえに〔キリストは、〕神性において神であり、人性において人間であり、二つの異なる面から神と人問である単一の位格なのです。
>その証明は〔このようです。〕我々は既にキリストが唯一であり、ある性質において神、ある性質において人間であると合意しています。そして、ある性質において神である者は、ある性質において人間である者か、そうでないかのいずれかでなければなりません。
>もし仮に、〔その者が〕単一の位格であってその性質において神であり、その性質において人間でなければならない者ならば、これは我々の言説に〔他なりません。〕
>もし仮に、ある性質において神である者がある性質において人問である者ではなくかつある性質において神である者が無始の神の子であり、キリストはその性質において神であるならば、キリストは神の子ではなく、神の子はキリストではなくなります。
>これはキリスト教の立脚するところと矛盾します。』


ここ↑に出る『実体・偶有』とは、イブン・シーナ(アヴィケンナ)が受けつぎ、トマス・アクィナスに伝えた、ギリシア哲学です。
(井筒俊彦「イスラーム思想史」中公文庫1991、277頁)

結論として、451年・カルケドン信条から、三位一体説は新プラトン主義に拠っていたのだが、
それが、神学・哲学として深められたのは、8~9世紀ではないか?
(だから、5世紀までの歴史を見ても、新プラトン主義があまり出てこないのでは?)
と思うのです。

参考URL:http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/lecture1.html
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連続で、すみません。

聖書を見ると、
新プラトン主義は、ニケア~カルケドンの公会議を通じて、三位一体説の形成に関わり、その後もアクィナス神学に影響を与えた。と言えると思います。

『新約のヨハネ福音書 → 新プラトン主義の宇宙像』と並べてみると、
「初めに、御言(ロゴス)ありき」(世界の創造)<1章1> → 第1層:万物の原因たる神
「ロゴスは人となりき」(神が、人イエスになった)<1章14> → 第2層:知性(ロゴス)

また、第3層:霊魂については、
「私が父なる神にお願いすると、父はあなたに、聖霊を送って下さる。聖霊は、いつもあなたと共におられる、真理の霊である。
聖霊は、あなたにすべてを教え、あなたに私の話の全てを思い起こさせる」<ヨハネ14章16,17,26>

新プラトン主義では、第1層:神から、順に下の層へ、霊力が及ぼされる。

だから4世紀に、長老アリウスは、こう考えた。
第1層:万物の原因たる神は、第2層:イエスに生気を与えるため下られた。神の子イエスは、人間を導くため、第3層:聖霊を、神にお願いして人間に送って下さる。
だから、神格が高い順に、神→イエス→聖霊、となる。

325年、二ケーア公会議は、このアリウス説を異端とした。神・イエス・聖霊は、すべて神格が同じだ。として、三位一体説が創始された。

381年、コンスタンティノーブル公会議は、再び力をつけたアリウス説を、改めて異端だとした。

431年、エフェソス公会議。回答No.2に出た、ネストリウス派を異端として、『聖母マリアは、神の母である』と宣言した。

451年、カルケドン公会議。『聖母マリアは、神の母ではない』として
「イエスとは、神の第二位階:ロゴスが人になったもの」とし、これが現在まで正統とされている。

質問者さんが貼られたリンクの、最後の3分の1ほどの部分で述べられる事が、少しわかりやすくなった気がします。

その後、アクィナスにつながる新プラトン主義は、回答No.2の通りと思います。
ばたばたと調べましたが、どうでしょうか?
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新プラトン主義、と言うより、シリア神秘思想を、異端とするか否か?


から、三位一体説が生まれた。と私は考えていました。

(逆かも知れません。「三位一体説が公会議で採択されたから、シリア神秘思想が異端とされた」のかも?と今、思いました)
とりあえず、私の考えを、、、

シリア神秘思想による、キリスト教では、聖母マリアを恋慕というべき激しさで愛した。
処女懐胎したマリアは、清純であり、しかも母の優しさでもある。
シリアでは、聖母を、『神の母』と呼んだ。イエスが神の子ならば、
マリアは『神の母』ではないか。

だが、三位一体説は、これを禁じて成立した。
イエスは、神が人になった、実例なのだ。神が人になれるから、逆に、人が神にもなれる。
人は、信仰によって神になれて、神の国に入れるのだ。
だから、イエスには、神vs人 の二面性がある。

もしイエスが、人でなくて神、ならばどうか?
信仰する人が、神になる道が閉ざされてしまう、ではないか。

イエスには、神vs人 の二面性があって、
人・イエスの母である、聖母マリアは、 神・イエスの母ではない。
だから聖母は、『神の母』ではない。。。

こうして『神の母』と呼ぶ思想を異端として、三位一体説は完成した。

神性単一と三つの位階は、文庫クセジュ「キリスト教思想」エルヴェ・ルソー、2001、29頁
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この回答へのお礼

御礼が大変遅くなってすみません。
思ってもみない返答だったので、どう答えてよいか分かりませんでした。
この場を借りてお詫びさせていただきます。
親切なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/03 14:33

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