プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

新約聖書と旧約聖書

http://www.geocities.jp/untilled/ep13.htm
http://www.geocities.jp/untilled/ep14.htm
http://www.geocities.jp/untilled/ep15.htm
http://www.geocities.jp/untilled/ep16.htm
http://www.geocities.jp/untilled/ep18.htm

 このサイトの新約聖書と旧約聖書についての情報と見解については、間違いないでしょうか。

A 回答 (9件)

返信読みましたけど、、、、、 



あなたに哀れさを感じました。
希望が0%。
つまり絶望100%。

もうどうしようもないので、このまま今まで通り生きていけばいいと思う。
今まで通り生きていくしか道は無いと思う。
他の可能性があったら とっくにそっちの道に行っていたはずだから。

今の医学では治療は無理。 絶望しか残されていない。
だけど、あなは絶望に属していると自覚することすらできないので、幸せなんです。
今までやってきたように何も考えず、酒を飲みおいしいものを食べて死を迎えればいいと思います。

他をやる必要は無い。
他人にとっては簡単なことでも、あなたには無理なこと。
他人ができることが自分ができないということに腹をたてて他人につっかかるってもどうにもなるもんじゃない。

このカテで、世間と自分が違うことに対して親やこのカテの住民やこのサイトの管理者に腹をたてている人がいますが、その人と同じことをあなたもやっている。

哀れ。

私は他人をあまり哀れだと思ったことが無い。
一筋の希望があると見えるから。
でも あなたにはまったく希望が無い。
絶望しか無い。

あなたには絶望しかない。
それしかないので、その絶望を受け入れれば楽になると思いますよ。

今まであなたなりに他人と同じレベルになろうと努力してきたとは思います。
でもならなかった。それが苦しいんですよね。
絶望に属しているから努力してもならなかったわけです。
その絶望しかない人がどうすれば苦しまずに済むか。
それは絶望しかないと腹をくくって開き直って生きることだと思います。

絶望しかないと受け入れないから苦しいし 無駄な努力をしようとしているわけです。
努力しても到底無理だと理解することもできないんですよね。
それで奇跡を当てにして聖書に行き着いたんですよね。

でも 聖書は奇跡物語でもなんでもないんです。

アスペルガー症候群というものがあります。
この障害があると比喩を理解することがとても難しい。

人は比喩を多用したり、たとえ話を通して物事の道理を説明することがあります。
その比喩やたとえ話をすることで、理解を容易にしてもらえるから。
それで、人は会話の中で何度も比喩やたとえ話をする。
小さい頃「うさぎが亀とかけっこをしましょうと言いました」と言わた子が手をあげて「先生 うさぎは言葉を喋りません」と真面目に言っていた。
ジョークだと思ってゲラゲラ笑っていた。
言った本人だけが笑わなかった。

そういうことが何度かあった。
会話をしても どうも話が通じない子だった。
笑わない子だった、他人と一緒に会話を楽しむってことが無い子だった。

今考えたらその子は真剣に「うさぎは言葉を喋らないからこの物語はおかしい」と思っていたのだとわかる。
アスペルガー症候群だったんだって。

アスペルガー症候群の人はルールにこだわる。
比喩で説明してもわからないので、アスペルガー症候群の人に理解してもらうには「これはルールなんです」と言うしかない。

アスペルガー症候群の人には「律法に書いてあるものはルールなんです」と言うことで律法を守らせることができる。
だけどアスペルガー症候群では無い人は、律法をたとえ話で説明してもらうことで、律法の内容がわかり律法に沿った生き方ができる。


どうもあなたには比喩やたとえ話をストレートに捉えてしまって、それで理解不能に陥っているように思える。
これだけ説明しても「結局ですね ルールはどれですか」と聞いてくる。
そのことに気づいてしまったのは私だけでしょうか。

この回答への補足

 ありゃりゃ、肝心のことには答えずに、他者を貶めることに決めた文章ですね。

 キグルイの憎しみによる文章は哀れさを感じます。
 相変わらず長い文章をわざわざ投稿してきましたが、既に言及されたことに対しては理解できましたか?

 駄々を捏ねてばかりいないでたまには人の言うことも聞きなさい。

 自分の都合の良いように情報を取り入れ、妄想ばかりしていては進歩ありませんヨ。

 あ、それからオレは酒を飲みませんので

 >今までやってきたように何も考えず、酒を飲みおいしいものを食べて死を迎えればいいと思います。

 これは無理ですね。これ以上考えて100%になっても、最後の詰めの部分はどこまで行っても拡大していくんですよ。言っている意味が解らないでしょうが。

 とにかく。

 せめて人並みの理解力と、考える力を身に付けたほうが良いと想います。いや、それ以前に情報を捻じ曲げるのではなく、そのまま受け取って考えていけばよろしいかと。

 でないと今のまま惨めな状態が続くと想います。以前、朝起きた瞬間にKIGURUMIががっくりとうなだれているのを観てしまったのですが、打たれ弱いのにもほどがありますヨ。

 あなたはべらべら自分の知っていることをしゃべっているだけです。あなたのようなゴミほどの価値もない人間も生かされているのに、感謝すべきです。

 惨めですね。

補足日時:2010/06/07 22:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 とにかく、素直に物事を受け取って、聖書やアニメからいい加減卒業してください。

 エヴァン下痢音?とか、哲学ではないですよ。他人の妄想に過ぎないものを、まに受けてこのサイトを徘徊しないこと。

 結局、聖書や、今までに読んだ文献やアニメを基にしてしか考えられず、これだけ説明しても結局は「真実はどこにあるのでしょうか、ここに書いてあることは うーん、こういうことか?」などと言うのみで、自分の頭で考えることができない。

 このことに気づいたのは、今のところ私だけでしょうか?

お礼日時:2010/06/07 22:31

>これでも読んでアタマをリニューアルしてちょ



読みましたけど、モーセの葦の葉に隠されて殺されるのを回避したって箇所。
はいはい、エジプトで王家の家に生まれた子どもは必ず誕生に儀式として行われていた。
神聖さを出すために、一旦母なる水から生まれたってことにしたんです。
実際は人間から生まれたのですが、宗教上超越した者から生まれたってことにしたんです。
そういう儀式を古代エジプトではやっていたので、モーセはエジプトの王家の血筋の子。

リンク先の<割礼はエジプトから持ち込まれたと考えた裏には>の箇所。

はい 古代エジプトでは王位継承権を持つ子どもには必ず受けさせていたから。
そこまではもうわかっている。
何故エジプトでは王家に生まれた男の子は割礼をされていたのかというと、、、 
説明がめんどくさいので興味があったら調べてみてください。

で、ヤハウエイの双子の神ダビデ???? なんじゃそりゃって思いました。

えっとですね。
旧約聖書はエロヒスト・ヤハウエストがいて、どっちが政権を取ったかで内容が違っているんです。
一箇所ではAってなっていて、他の箇所ではBってなっている場合、書かれた時代 どっちかが権力を持っていたから。
その後別の派閥が権力を保持すると、まったく違う方針が真理であるって書かれたんです。

で、神のことについて語られるものは、たとえ疑いがあっても削除してはならない って考えたがあったので、保持されつづけたんです。

イスラエル人の思想家は自分の思想を語るとき、かつて英雄とされた人を主人公にして物語を書いたんです。
ソロモンとかダビデとかにまつわる物語の多くは、恐らく史実ではなく、哲学者たちの思想を基にした創作の内容でしょう。

だけど どれが哲学者の思想なのか史実なのか 編纂するとき わからなくなっちゃったんですよ。Orz
ともかく律法に沿った物語はそれが史実でなくて律法に沿っているのでって採用したらしいです。


で、あなたの質問は要するに<旧約の神は悪い神、新約の神が出現し、悪い神を退治したってことでいいですすか?>ってことですよね。

2匹神がいるって主張ですよね。

いや、一匹。

ただ、、、、新約聖書の神はエジプトからギリシャ方面に伝わった信仰が<付加>されている。
誕生の時3賢者に祝われ、聖職者に洗礼を受け教師になり、12人の弟子と旅をして病気の人を癒し、死者を蘇らせ、水の上を歩き、裏切られて殺されたが3日後に蘇った という神話は現在さかのぼるだけだか上ってわかっているのは、紀元前3000年の神話が一番古い。
今から5千年以上前に既にそういう物語が成立していた。
イエス物語はコピーのコピーのコピーのコピーの・・・・何度目かのコピーか知りませんがとにかくコピー。
元の神話もどれかのコピーかもしれませんが、なんせ今のところ見つかっていませんので。

ですので、旧約聖書に無いイエスのプロフィールに関しては、排除して考えた方がいい。
すると残るのは旧約聖書とまったく同じ。
このくっついたゴミを落とすと中から本体が出てきますでしょ?
くっついたゴミを1とカウントするから 2匹に見え、思想が違って見えるんですよ。

他の宗教の神と習合しちゃったと考えてもいいですが、、、

それにイエス作家はなんら旧約とは違うことをイエスに語らせていません。

旧約においても同胞愛や異邦人に対する教えが説かれています。
イエス作家はその教えをイエスにもう一度言わせている。

律法を捻じ曲げた律法学者や腐敗した大祭司らが仕切っていた時代において、律法に立ち返れという運動でもあったと思いますし、新約聖書ってのはディアスポラしたユダヤ人に対する「わかりやすい律法」という解説書でもあったと思います。

質問の最初にリンクされたことを書いた人は、恐らく旧約聖書をちゃんと読んでいないんだと思う。
恐らく漫画とかで一日でさらっと読んだだけだと思う。
それで旧約の世界を知ったつもりになっているだけだと思う。
だから2匹いるように思えてるんだと思う。

アロンの杖は蛇は一匹。
2匹の蛇なのはヘルメスの杖。

旧約聖書の創世記の元ネタに登場するティアマトは、後に聖書で蛇として登場しイヴに知恵を与えた。
それでイブは目が開いた つまり 知恵を備えたって意味。
そして真実が見えたことで、今まで騙されていたと気付いた。
自分たちが神と仰いでいたものは、権力欲しさにティアマトを殺し、信者から暴利を吸い取っていた祭祀たちだった。
ってのがベルと竜の物語。
イエス物語でも同じことを言っていると気付かないと2匹いるかのように見えちゃう。

この回答への補足

>読みましたけど、モーセの葦の葉に隠されて殺されるのを回避したって箇所。

 はいはい。そこだけ異論があるということですね。それで

>神聖さを出すために、一旦母なる水から生まれたってことにしたんです。
>エジプトで王家の家に生まれた子どもは必ず誕生に儀式として行われていた。
>実際は人間から生まれたのですが、宗教上超越した者から生まれたってことにしたんです。


 これらはどこに書いてあるのでしょうか?

>で、あなたの質問は要するに<旧約の神は悪い神、新約の神が出現し、悪い神を退治したってことでいいですすか?>ってことですよね。

 どこをどう読めばそうなるのかなぁ???

 錯乱している人にべらべら話しかけられても困るんですよね、もう少し自分の頭で考え、私が提示した内容を理解してから回答してもらえませんか?「少なくとも質問文に挙げた文章を全部読んでからにしてください」って、もう既に言ってあるね。

>旧約においても同胞愛や異邦人に対する教えが説かれています。

 なるほど、どのあたりなんでしょうか、実は興味がないので聖書は読んだことがなく、ネットで散見する程度なので具体的に示してもらえるとありがたいです。

>律法を捻じ曲げた律法学者や腐敗した大祭司らが仕切っていた時代において、律法に立ち返れという運動でもあったと思いますし、

 もうすでに言ったと思うのですが...

 自分にとって都合の良いように解釈しないこと。都合の良いことだけ頭にインプットしないこと。
 これくらいは解るよね?

 べらべら長くしゃべれば正しくなると思ったら大間違いですよ。頭の中で他者の文章ばかり追っているとそうなってしまうのだろうか?

>質問の最初にリンクされたことを書いた人は、恐らく旧約聖書をちゃんと読んでいないんだと思う。
>恐らく漫画とかで一日でさらっと読んだだけだと思う。

 リンクの一文を抜粋します。

 ~筆者がイスラエル在住の期間に気付いたオリジナルの研究であり、筆者の知る限り同様の研究は他にない。(知らないだけで過去にあったかもしれないし、過去10年以上あちこちで筆者はこのことを主張して印刷物も配布してきたから、それをご理解いただいての同様の主張があるかもしれないが…)
 これはヘブル(ヘブライ)語の聖書を読まないと気付けなかった区別であり、~

 とにかく、全部一度目を通してから回答してください。コドモじゃないんだし、イヤイヤしてないで内容を良く理解してください。

 もういい年なんだろうから、自分の境遇に合致した記述や思想だけを取り上げて都合よく解釈しないこと。

 解りましたか?

補足日時:2010/06/04 20:18
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 と に か く 。

 リンクを全部読み、ヘブライ語の聖書を読んでから回答してください。今のままではここだけではなく、社会の中でもお呼びじゃありませんよ。

 がんばってください。

お礼日時:2010/06/04 20:28

>「ミノア文明から」来たと「思っている」のなら、それで良いのではないですか.



読み違えてますね。


>信用できるかどうかは自分の主観なので、アトランティスから来たと「考えても」良いですね。

ということは、そのリンク先の内容が信用できるかどうかは、あなた次第ってことですよね。
あなた次第の問題を何故人に尋ねるんでしょうか?


図書館で見たビデオだとアトランティス大陸伝説の元となったサントリーニ島の可能性が高いって言ってました。
「あー いったことあるーー 私アトランティスを旅行したんだーー」ってしばしロマンに浸ったのは秘密。



>旧約の邪神に苦しめられているイスラエルの羊のを救うために来た」と考えることもできますね。

いえ 旧約ってのは古い契約で、新約ってのは新しい契約で、どちらも同一の神と人間との契約のことです。
だから旧約が邪神で、新約の神が善神ってことじゃないし、もともと原始キリスト教はイエスを神だとは言っていないんです。 そんなこと思ってもいなかったんです。

苦しめられていたのは信者で、苦しめていたのは、律法学者たち。神じゃあない。
聖職者はレビ人限定なんです。
そのほかの民族は聖職者にはなれなかったが、律法学者にはなれたんです。
律法 規律 ルール を作り出し、人々をがんじがらめにしていったんです。
いわゆるKGBみたいなものだった。
口では立派なことを言いながら自らはちっとも実践していない口だけの聖職者をイエス作家が痛烈に批判しているのが新約聖書。


>「私が救済に来たとでも思っているのか。そうではない 地上に火を放ちにきたのだ」ってイエスは言ったと新約には書いてありますが。

火を放つというのは浄化のことです。
律法学者や腐敗した聖職者の誤った理解で人々を苦しめていた状況だったので、彼らの誤りを正しにきたってことです。
指導者が過った道に信者を導いていたので、そのしばりから開放するためには、火を放ち過った考えを浄化する、そのために戦いをさせにきたのだって言っているわけです。
おかしいと思っても指摘できなかった人々に 神が律法学者やその聖職者たちの言うようなことを民にしろというはずがないと言え」って箇所。

ベルと竜って物語があるんです。
神殿に詣でるのは贖罪をするときで、贖罪するにあたり、神殿の通過に両替して、そのお金で自分の身代わりの動物を買っていたわけです。
神がこんなに動物を大量に本当に食っているのか?とダニエルは疑問を持ち調べたら、実際は食っていたのは聖職者だった。

女が姦淫の罪でまさに殺されそうになったって箇所も、このダニエルから再度取上げられている。
女に無実の罪をかぶせたのは聖職者。
イエスに無実の罪をかぶせたのも聖職者。


>「迫害」と「追い求める」というのは意味が逆ですか?それとも全然関係がないでしょうか?
> よーく考えてみてください。

<神の義のために迫害されたものは幸いである。> 意味不明です。

<神の義を追い求めた者は幸いである> 理解できます。

後者は、「神が間違うはずがない、神が不正をするはずがない、きっと何かわけがあるんだ 知りたい。」と神がまったくの義であり続けるべきだってよーく考えた人は、神がやっぱり正しかったという見解に到達できる ってことですよね?


>オレが言っているのは、「細かい部分的な主張ではなく、全体的に思想が正反対である。」と言うことです。

いや、新約聖書は旧約聖書の内容を別の表現でイエスに説明させているだけで、言っていることは一緒です。
イエスはなんら新しいことは言っていない。
だって旧約が完成しているから。これ以上足すことも削ることも修正することも無い。必要が無い、だって完璧だから。

完璧であることがわからない人に、たとえ話で旧約の内容を解説しているのが新約聖書。
約って約束 契約の約ですが、訳 というか 解説書ってことかも。
旧約の一部だけですが。

> 梵我一如 であるなら、唯一神もなにもないがなwww

いろいろあるうちの一つじゃなく全部ひっくるめてたった一つでしか無いってこと。
絶対神じゃなくて唯一神。
唯一という特性を持つ神ってこと。
修飾語。
アテン教のレリーフみればわかりますよ。

この回答への補足

>読み違えてますね。

 「あそこらには古代ミノア文明ってものがあり、それがアトランティス大陸伝説の元じゃないかと思ってますが」

 と、思っているのだから、それはそれでいいんじゃないかな?って意味だけどね。

>あなた次第の問題を何故人に尋ねるんでしょうか?

 ⇒もっと掘り下げて、ギリシャ文明はどこから来たのか考えればもっと理解が進み、面白くなるでしょう。

 と、言っています。もっと、面白くなるので、自由に掘り下げて言って下さいって意味ですね。

>図書館で見たビデオだとアトランティス大陸伝説の元となったサントリーニ島の可能性が高いって言ってました。

 ビデオで言っていて、自分でもそう考えていると言うことで。「可能性が高い」と考えるのは自由です。

>いえ 旧約ってのは古い契約で、新約ってのは新しい契約で、どちらも同一の神と人間との契約のことです。

 もう一度、質問文に挙げたリンクを良く読んでから回答してください。
 それから、http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/framepage31.htm←これでも読んでアタマをリニューアルしてちょ

>だから旧約が邪神で、新約の神が善神ってことじゃないし、

 旧約が邪神で、新約は善神です。そのように理解した後、それを掘り下げてNo.6の言うように、人は進んでいきます。今はそれ以前の段階、つまり分別をつける段階のようです。まあ、無理かもしれませんが...

>律法 規律 ルール を作り出し、人々をがんじがらめにしていったんです。

 その元となったのが、「旧約作家」ですね。

>後者は、「神が間違うはずがない、神が不正をするはずがない、きっと何かわけがあるんだ 知りたい。」と神がまったくの義であり続けるべきだってよーく考えた人は、神がやっぱり正しかったという見解に到達できる ってことですよね?

 それで、前者と後者では意味が「正反対」になっているか、についての答えはどうなんですか?

 意味をよく理解してから回答するようにね。

>いや、新約聖書は旧約聖書の内容を別の表現でイエスに説明させているだけで、言っていることは一緒です。

 質問文に挙げたリンクをよく読んでから回答してください。

>完璧であることがわからない人に、たとえ話で旧約の内容を解説しているのが新約聖書。

 古い契約が「旧約」で、新しい契約が「新約」です。それ以上でもそれ以下でもありません。

>いろいろあるうちの一つじゃなく全部ひっくるめてたった一つでしか無いってこと。
絶対神じゃなくて唯一神。
唯一という特性を持つ神ってこと。

 ↑この記述が、矛盾していると言うことがわかったら、回答して下さい。

 とにかく、質問文に挙げたリンクをまずはよく読むこと。それから回答してください。

 自分の都合の良いように解釈したり、自分にとって都合の良い情報だけを頭の中にインプットしないこと。

 もし解らないことがあれば、質問をすること。

補足日時:2010/06/04 01:13
    • good
    • 0

捉え方により解釈は何通りもあり間違いといえないと思います。


聖書観 キリスト教観にもよるしね。その方が聖書をどこから捕らえるのかにもよりますね。
個人的にチラっとみましたが旧約を中心に考えているような気がします。
私はどちらかというと福音派 恵みと救いを中心にしてますから違いますね。
間違いとか言うレベルじゃないと思いますが 単なる好みかな~

まあ聖書はこういう読み方しか出来ないというものじゃないので・・・
なんとも言えないなあ~

この回答への補足

 まず、旧約と新約の違いを理解してから、それぞれをそれなりに解釈するというのは、当たり前のことですね。

 それ以前の人がいて、自分が囚われているから、他人に働きかける人がいるのは困りものですね。

>個人的にチラっとみましたが旧約を中心に考えているような気がします。

 旧約が土台になっていると「理解」しているのだと想いますが... 

 とにかく、それほど文字数は多くないと思うので、全部読んでまた何か思い浮かんだなら回答してください。

 頭の中がお花畑なのは良いことなのかもしれませんネ。

 

補足日時:2010/06/04 01:20
    • good
    • 0

 こんにちは。



 ヤハヱーは 《あなたの神、主は 焼きつくす火、ねたむ神である》(申命記4:24)とあるとおり 異民族への殺戮をさえ民に命じています。
 これは ひとつには 世界において人間の社会が民族ごとに固まっていたというその古代の情況にかかわっていたと思われます。いまだに孤島(竹島・独島?)ひとつが その民族の命であるという情況も見られるようにです。
 もう一つには 《たのしい我が家》というとき《たのしい》のは 細かく言えば《家》ではなく 《そこに住む人びと》が です。そのように 《ねたむ神》というとき 《ねたむ》のは――表現上 擬人化されていますから ややこしいでしょうが―― 《神》であるかどうかにかかわるでしょう。
 つまりは 表現上の問題であるとともにその当時 人びとの心の情況は そこまでの程度であったとも考えられます。よそものに対して いがみ合いをするのがつねであるというような情況のことです。

 聖書はそもそも 物語です。虚構です。ですから 論証し得ないドグマをも含みます。非思考の神を 擬人化してあたかもそこここに姿をあらわす存在であるかのように描かれています。
 つぎの新約聖書の中の文章は 旧約との対比を論じて イエス・キリストの神とヤハヱーとは同じ存在であることと そして表現の仕方および歴史のすすみゆく局面には違いがあることを 簡潔に述べていると思います。

 ▲ (ヘブル書9:27~10:18)~~~~~~~~
 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、
 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

 いったい、〔旧約聖書の〕律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。
 もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。

 ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。
 雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。

 それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。

    あなたは、いけにえや献げ物を望まず、
    むしろ、わたしのために
    体を備えてくださいました。
    あなたは、焼き尽くす献げ物や
    罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
    そこで、わたしは言いました。
     『御覧ください。わたしは来ました。
      聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、
      神よ、御心を行うために。』
   (詩編40:6~8)

 ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言われ、
 次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。
 この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。
 すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。
 しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、
 その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。
 なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
 聖霊もまた、わたしたちに次のように証ししておられます。

    『それらの日の後、わたしが 彼らと結ぶ契約はこれである』
   と、主は言われる。
    『わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつ
   けよう。
     もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』
    (エレミヤ書31:33~34)

 罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ たしかに変化がありましたが 同じひとつの神ですよ。《ひとつ》というのは 全体という意味です。どうでしょう?

この回答への補足

>どうでしょう?

 全く見当はずれです とだけ言っておきます。理由は自分で考えてください。

 コツとしては、個としての自分を軸にして考えることです。

補足日時:2010/05/31 18:41
    • good
    • 0

もしよろしければそのIDネームがどのような意味を持っているのか教えてください。


○ IDネームに意味はありません。

ここに図で示されているように、旧約と新約聖書はまったく正反対の思想を持っていると言うことでよろしいでしょうか。
○ その通りです。愛の神イエスと祟り神エホバとは相容れるはずがないことは明らかですね。
エロヒムという創造神は時として、正・反・合という手段を使うのですね。それにより魂の進化を進めているのでしょうね。でも大多数の凡人は大いなる混乱をするわけです。でも混乱すると「合」ですから、「合」を教えるためにエロヒムも地に降りることはあるわけですね。

それから、イエスは復活した後、どこへ行ってどのように暮らしたのでしょうか。それとも復活しなかったのでしょうか。
○ 肉体の復活ではなく、霊的な復活ですね。霊的復活といってもあたかも生きているように弟子には見えたということです。世に言う物質化現象ですね。
イエスの両親はエッセネ派という宗教団体に所属してましたので、ご遺体はその宗派のものがかくしたのでしょうね。
尚、マクダリアのマリアにはイエスの子供がいたようですし、その子供はスペインあたりで成長したようですね。子孫は残ったのですから復活といっても差し支えないかもしれませんね。最近の映画ダビンチコードの通りですね。
イエスの人生がどうであれ、イエスの愛の教えは立派なものですね。愛の神にタブーなどないのでしょうね。イエスご本人は、愛の実践をしないものは我が弟子にあらず、クリスチャンは現代のパリサイ人、サドカイ人に成り下がったといってますね。・・・愛の神にも怖いところあるんですね。

この回答への補足

クリスチャンは現代のパリサイ人、サドカイ人に成り下がったといってますね。

○キリスト教の「法・掟」を言われるまま守っているうちに、それらに成り下がってしまうのは皮肉なことです。

愛の神にも怖いところあるんですね。

○本来仏説によれば、不動明王は大日如来の化身であり、大慈大悲の仏様である。そして、大慈極まりて悪を許さぬ憤怒の相を以て現れ...

 という記述があります。人間にもそういった人はいるのでしょう。

補足日時:2010/05/31 18:07
    • good
    • 0

>もっと掘り下げて、ギリシャ文明はどこから来たのか考えればもっと理解が進み、面白くなるでしょう。



あそこらには古代ミノア文明ってものがあり、それがアトランティス大陸伝説の元じゃないかと思ってますが、2000年くらい前に今のギリシャあたりに移り住んで自分たち以外の民族をバルバロイと呼んでいた人々がミノア文明の生き残りなのかどうかはわかりません。
遺伝子を調べればわかると思いますが、その情報は入手していない。
「ギリシャ文明はどこからきたのか考えれば」って言うってことは、どこから来たのか知っているってことですよね?
どこから来たんですか?


> ここで示されているとおり、旧約と新約はまったく正反対の内容であるという見解に同意ということで良いでしょうか。

いえ、新約も厳しいですよ。
「私は失われたイスラエルの羊のためだけに来た」つまり、イスラエル人だけのために来たってことですよね。
ヘブライ人、ユダヤ人、イスラエル人って定義が違うんです。
で、イスラエル人、イスラエルの子らってのはイスラエルの子孫のこと。
ヘロデ大王はイスラエル人じゃありません。が、祖先はイスラエルのお兄さん。
お兄さんの子孫じゃなくて、弟のイスラエルの子孫をかき集めにやってきたってことですよね。
だって神はイスラエルとは子孫を繁栄させるって契約したことになっているから。


「私が救済に来たとでも思っているのか。そうではない 地上に火を放ちにきたのだ」ってイエスは言ったと新約には書いてありますが。
だから、パリサイ派や律法学者を否定したと物語ではなっている。彼らはヘロディアン(ヘロデ一族)だから。


>そして、今の社会はキリスト教という名を冠した旧約のユダヤ世界のまま留まっているのか、新約のキリスト教の世界が実現されているのか良く考えてみてください。

コンスタンティヌス1世の政治と同じ。
コンスタンティヌス1世は、最大4人も同時に皇帝が乱立する時代、トーナメント方式で勝って支配した人。
彼は宗教をもって統一を成し遂げたんです。
各地にあった共通の宗教観をもって。
それにはユダヤ教と自分たちの宗教を統一する必要があると考えたし、アレキサンドリアのフィロンもユダヤ人が迫害されたとき、自分たちの宗教とローマ帝国にある宗教は同じであるという見解をすることで、生き残りを図ったんです。
フィロンがイスラエル人のみと考えたのか、全人類対象と考えたのかは、思想を読んでみたけどあやふやです。
ワザと曖昧にすることで、迫害を逃れようとしたのかもしれない。


>ギリシャ語に翻訳したからといってまったく正反対の内容になるはずがありませんねぇ。

例えば、「神の義によって迫害された人は幸いである」 こう聞くとキリスト教を布教しようとして迫害された人は幸福な人達だって思えますよね。
実際は迫害ではなく追い求めた人です。
ギリシャ語に翻訳するときミスを犯している。
神が間違うはずがない、神は正しい、この災いと思えるものも、その背後には神の正しさの実践があるはずだ と神の義をあくまでも希求し続ける人は結局 災いにも神の正しさがあったとわかる ってことですよね。
だから、イエスは「この運命から逃れさせてください」と磔刑になる前に汗を流して祈ったが、結局は神の義を追い求め、磔刑を受け入れたとなっている。
プラトンの義人の証明をパクってますね。
古代の人の徹底した神への信仰とはこういうものだってのが、物語によって描かれている。


>「唯一」という意味がどういう意味を持っているのか、そしてどのような意図によって「唯一」と言っているのか解れば、「唯一神」という言葉自体が欺瞞であるということが解るでしょう。

梵我一如で、一つしかないってこと。
この世全体は一つで、現象はその一つの影にすぎないってことでしょ?
アテン教には悪は無い。だって一つだから。

アメン教では宗教職の人が口だけ立派で実際は口で言うことをやっておらず、そのくせすごい権力を持っていたのを見て、アメンホテプ4世が宗教改革としてアテン教を作った。
あまりにも急激な改革だったので、聖職者の反感を買い不利になり、エジプトを脱出した。
その人達が「聞けイスラエルよ 汝の神は唯一アテンなり」って祈祷文に残したわけです。


パリサイ派はクムラン宗団から「すべらかなる者」と軽蔑されていた。
口だけ立派でその口で言うことをぜんぜん実践していないくせいに、権力を握っていたから。


>古代のユダヤ教も現代のニセキリスト教(ユダヤ教)と変わりないですね

キリスト教徒はパリサイ派と同じ? 同意です。

この回答への補足

>「ギリシャ文明はどこからきたのか考えれば」って言うってことは、どこから来たのか知っているってことですよね?

 「ミノア文明から」来たと「思っている」のなら、それで良いのではないですか.
 信用できるかどうかは自分の主観なので、アトランティスから来たと「考えても」良いですね。

 >「私は失われたイスラエルの羊のためだけに来た」つまり、イスラエル人だけのために来たってことですよね。

 その記述が本当だとして、何のために来たのかを考えると、「旧約の邪神に苦しめられているイスラエルの羊のを救うために来た」と考えることもできますね。

>「私が救済に来たとでも思っているのか。そうではない 地上に火を放ちにきたのだ」ってイエスは言ったと新約には書いてありますが。

 その記述が本当だとして、「地上に火を放つことで、邪神ヤハウェから救う」という意味で考えれば、旧約と新約の内容が正反対であるのは納得できますね。「火を放たれる」ことで最も困り、ダメージを受けるのは「持てる者達」だろうからね。

>例えば、「神の義によって迫害された人は幸いである」 こう聞くとキリスト教を布教しようとして迫害された人は幸福な人達だって思えますよね。
実際は迫害ではなく追い求めた人です。

 「迫害」と「追い求める」というのは意味が逆ですか?それとも全然関係がないでしょうか?
 よーく考えてみてください。
 オレが言っているのは、「細かい部分的な主張ではなく、全体的に思想が正反対である。」と言うことです。

>梵我一如で、一つしかないってこと。

 梵我一如 であるなら、唯一神もなにもないがなwww

>この世全体は一つで、現象はその一つの影にすぎないってことでしょ?

 この世全体は一つで、現象はその一つの影に過ぎないことと、絶対なる唯一神 
 これら双方で使われている 一 の意味は違うね?

 一つの影に過ぎない唯一神では、なんの威厳もないねぇ。

 もう一度「唯一」と言う言葉をどのような意味で、どのような意図でもって使っているか考えてみてください。

>キリスト教徒はパリサイ派と同じ? 同意です。

 馬と鹿の区別・分別がつかないのは馬鹿であると言うことですね? 同意です。

補足日時:2010/05/31 17:47
    • good
    • 0

 このサイトの新約聖書と旧約聖書についての情報と見解については、間違いないでしょうか。



○ 少し読みましたが、エロヒムとエホバの解釈はあっていると思いますよ。エホバは神々の一人ですが祟り神(処罰する神)ですね。エロヒムは愛の神ですからイエスの指導もエロヒムですね。
エロヒムの人類創造があり、後から来たエホバも一部創造したという事実もあってますよ。戦争好きの人類がそれですね。2種類以上の人類がいるわけだから歴史書としての宗教もたくさんあるわけですね。

この回答への補足

 こんにちは、mmkyさん。

 もしよろしければそのIDネームがどのような意味を持っているのか教えてください。

http://www.geocities.jp/untilled/ep16.htm
ここに図で示されているように、旧約と新約聖書はまったく正反対の思想を持っていると言うことでよろしいでしょうか。

 それから、イエスは復活した後、どこへ行ってどのように暮らしたのでしょうか。それとも復活しなかったのでしょうか。

補足日時:2010/05/30 20:38
    • good
    • 0

ちらっと見ましたけど、「我々の姿に似せて」となっているのは、聖書のルーツと思われる物語がそういう内容だからじゃないかと。



本体と精霊だから複数とか苦しい言い訳も聞いたことがありますが、実際は元ネタの内容だと神々は自分たちの身の回りの世話をする奴隷が欲しいと待望し、それに最高地位を手に入れた神が応えて大地と血より人間を造ったとなっています。

たくさんの神々の訴え、願いにより人間は造られた。

エルってのはわが主って意味で、エロヒムってのはその複数形で、元の物語では神々はたくさんいたから。

ディアスポラしたイスラエル人はギリシャ地方だけでも本国の8倍もいたそうです。
そんなヘブライ語がわからないイスラエル人向けに、イエスの知恵の書とかコイネー語(古代ギリシャ語)で書かれたわけです。
その作者は両方の言語に精通していたが、それでもヘブライ語にあってコイネー語に無い語彙があり、近い語彙に変換したけど、そのままではないので、その差は心で読んで埋めて欲しいと言っていました。

そんな感じでヘブライ語を知らないギリシャ方面にいるイスラエル人向けに書かれたのが新約聖書。
マタイは直訳っぽい翻訳、だから堅いし意味がよくわからないようになっている。
意訳されていないから。

ルカはギリシャ地方で成立したんだったと思うので、ギリシャ地方に伝わっていた宗教の概念に沿った内容になっていたと思う。
共観福音書で3つとも内容が共通しているが、ところどころ違うってのは、成立した場所にある宗教や概念がそれぞれ違ったから。
その地方で生まれ育った人に理解してもらうために、その地方の概念を用いて説明されたんだと思う。

だからその地方に伝わっていた水の上を歩き、12人の使徒を連れて旅し、病気の人を治し、死んでも蘇る太陽の擬人化神話を、焼き直し新約聖書にしたんだと思う。
イエスのそれらの特徴は、ギリシャ地方に伝わっていた神の概念。
ギリシャ地方に住むイスラエル人が受け入れやすいように、オプションでその地方の神の概念を付加したわけです。

何人もの同じ内容の神話はイエス以前からあり、辿るとホルスが今のところもっとも古いイエスと同じ特徴を持つ。
紀元前3000年くらい前に成立している。
それがオリジナルなのかどうかはわからないが、まあ とのかくエジプトの宗教がギリシャ地方に伝わり、ギリシャ地方の人はそういう特徴を持つ概念を神だとしていたわけです。


>このサイトの新約聖書と旧約聖書についての情報と見解については、間違いないでしょうか。

その人も掘り下げてはいるが、もっともっと掘り下げるとこんな感じです。

つまり古代エジプトの宗教がキリスト教の元。
もちろんユダヤ教も古代エジプトの宗教がパレスチナ地方に伝わり熟成され、それをイスラエル人が独自性を出したものに変えたわけです。
変えたときに神々が神に変化したんじゃないかと。

「聞け イスラエルよ 汝の神は唯一アテンなり」と古代のユダヤ教の祈祷文にもありますから。
アテン神は古代エジプトで信仰されていた。

相互に影響しあって宗教って造られているんですねぇ。

この回答への補足

 もっと掘り下げて、ギリシャ文明はどこから来たのか考えればもっと理解が進み、面白くなるでしょう。

 http://www.geocities.jp/untilled/ep16.htm
 ここで示されているとおり、旧約と新約はまったく正反対の内容であるという見解に同意ということで良いでしょうか。

 そして、今の社会はキリスト教という名を冠した旧約のユダヤ世界のまま留まっているのか、新約のキリスト教の世界が実現されているのか良く考えてみてください。

 ギリシャ語に翻訳したからといってまったく正反対の内容になるはずがありませんねぇ。

>「聞け イスラエルよ 汝の神は唯一アテンなり」と古代のユダヤ教の祈祷文にもありますから。


 「唯一」という意味がどういう意味を持っているのか、そしてどのような意図によって「唯一」と言っているのか解れば、「唯一神」という言葉自体が欺瞞であるということが解るでしょう。

 古代のユダヤ教も現代のニセキリスト教(ユダヤ教)と変わりないですね。

補足日時:2010/05/30 20:20
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!