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十字軍の遠征回数は合計7回(8という説もありますが)ですが、
本を見ると、1228年に第5回遠征の次が、1270年で最後の遠征、
となっていたのですが、どういうことなのでしょうか?

A 回答 (2件)

えーと・・・・・ 単純にその本が省略しただけだと思うのですが・・


第4回から、年代を書いてみます。

第4回十字軍(1202‐05):ラテン帝国建国
第5回十字軍(1217-21):失敗続きのためか、公式十字軍を7回とカウントする場合、この回が省略されてる。
第6回十字軍(1228‐29):無血十字軍
第7回十字軍(1248‐54):マムルーク朝に敗れる
第8回十字軍(1270):チュニスで敗退

それぞれの回の詳細については、幾つかサイトがありますね。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/111-euro …
http://uraken98.cool.ne.jp/rekishi/reki-eu23.html

参考URL:http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/111-euro …
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このサイトを見ると、7回になってますね。



参考URL:http://www1.sphere.ne.jp/rthunder/master/discove …
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Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qイスラム教の聖地はエルサレム、メッカ?

イスラム教の聖地とはエルサレム、メッカ、どちらなのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

どっちもです。

メッカ、メディナ、エルサレムの3つの都市が、イスラム教の三大聖地とされているようです。

メッカには、「神の館」であるカーバ神殿があり、また、預言者モハメッドの生誕地でもあります。

メディナには、モハメッドの墓所に建てられたモスクがあるらしいです。

エルサレムは、モハメッドが天に登った場所だそうです。

Qマレーシアには何故イスラム教徒が多いのでしょうか?

歴史を勉強しているのですが、マレーシアや
インドネシアにはイスラム教徒が多いようです。
アラブの諸国からは、少々離れているし、
間に幾つか、他宗教の教徒が多い国があります。

そのような状況の中で、イスラム教徒が多く
なった理由を教えてください。
海から渡ってきたのでしょうか?

参考文献のURLでも構いません。

宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

No.2のURLを読めば判ると思いますが、若干補足します。
マラッカ王国は最近の研究では、1402年より前に成立したと見られています。
イスラム教はもっと前にアラブ人が伝えたものですが、そのアラブ人はすでに商業拠点を確保していたインドから渡って来ました。  当時インドではイスラム教とヒンズー教が共存しておりましたが、結局イスラム教が伸びる事は出来ませんでした。
マラッカ王国ではスルタンがイスラムを国教としたので、急速に広まりました。
国民は海洋部族で交易を主とし、アラブ人との接触に有利であるからでした。
スルタンの法律に海洋法とイスラム法の二つがありました。
アラブ人の学者もマラッカに来て、イスラム神学の中心地になりました。
マラッカ王国は後に版図を拡大し、マレー半島からスマトラ島の半ばを領有するようになり、インドネシアにもイスラム教が伸びる事になりました。

Q下級裁判所の裁判官の任命について。

こんにちわ。
先日、法律関係の本を読んでいたところ、憲法の問題で

問題『最高裁判所の裁判官は、内閣の指名に基づいて天皇が任命し、下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿に基づいて内閣が任命する。』

○か×か
と言う物があり、○だと思ったのですが、答えは×でした。
解説には『× 最高裁判所の長たる裁判官は、内閣が任命します。』
とありました。
後で調べてみても、下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿に基づいて内閣が任命するとあるのですが、なぜ×になっているのか分かりません。
どうか宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

問題文をよく読んでください
憲法6条
天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

天皇が任命できるのは、「最高裁判所の長たる裁判官」だけです。
ですから、不正解。


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