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愛について深く考えているのですが、みなさんのエロス、フィリア、アガペーについての考え、特長なんか教えてください。

A 回答 (2件)

 


「エロース、ピリアー、アガペー」というのは、古典ギリシア語で、これらの意味の違いというとき、古典ギリシア文化での意味の違いと、キリスト教文化での意味の違いがあって、これは少し違っています。

古典ギリシア文化では、これらの三つの言葉は、おおむね似たような言葉で、確かに違いはありますが、大体、「愛」という意味です。その適用は、友人のあいだや、家族のあいだ、同胞のあいだ、恋人のあいだなど、色々な場合で使えます。

ただし、古典ギリシアでも、次のような違いがあります。

まず、「エロース(ερωs, eroos)」は、情動的な愛で、パッションとしてあり、「受苦」という面があります。これは、「恋愛」において使われる場合、こういう意味が出てきます。人が誰かを恋するとき、恋に落ちるとき、それは、理性で判断しているというより、その反対で、自分でも自由にできない、どうしようもない感情として「愛」が起こるのです。

エロースの「愛」は、人に襲いかかる愛で、暴力的な荒々しさがあるとも言えます。また、非常に根元的な感情とも言え、作為などの混じらない「純粋の感情・思い」だとも言えます。エロースは、神として扱われ、その矢で撃たれた者は、「愛の苦しみ・虜になる」とされ、エロースの愛には、神々さえ苦しむので、エロースは、もっとも古い、偉大な神であるとの考えもありました。

エロースは、激しさ故に、また精神的というより、身体を含めての全人間的情動であるので、肉体の愛を含むのが通常で、日本語で、「エロ」というと、肉体だけの、ある意味、歪んだ愛を指しますが、エロースは肉体の愛も含むが、精神の愛も含み、偉大な感情、偉大な人間の心に起こる他者への思い・情熱なのです。

古典ギリシアでは、異性に対してだけでなく、同性に対してもエロースの愛は現れました。また、どの時代でもそうなのでしょうが、同性愛を社会的に認めない社会では、古代ギリシアのような、おおらかな、激しい、偉大な感情としては受け止められなかったということもあります。

「ピリアー(φιλια, philia)」の「愛」というのは、普通、「友愛」という訳語が与えられます。これは、友人や同胞などに対し感じる「愛」という意味です。しかし、家族に対する愛もピリアーですし、恋人に対しても、エロースの激しい盲目性が強調されない場合は、ピリアーの愛でもよいのです。

しかし、「友愛」というのが適切でしょう。ただ、その友愛というのは、「友情」ではなく、「愛」だということが違います。家族に対する愛もピリアーですが、これを「友愛」とは言いません。

「アガペー(αγαπη, agapee)」の愛は、家族への愛とか、恋人への愛で、友人への愛も意味します。これは、もっとも普通の意味の「愛」だとも言えます。古典ギリシアでは、アガペーの愛は、特別な意味は持っていなかったのです。エロースの愛は、特別な意味を持っていましたが、もっとも普通の言葉としての「愛一般」が、アガペーでした。

単純化すると、エロースの愛は、恋人への情熱的な愛。ピリアーの愛は、友人・同胞への精神的な愛。アガペーの愛は、家族・兄弟などへの自然な愛、と言えるでしょう。

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キリスト教文化では、以上のような意味とはだいぶ違って来るのです。

その最大の違いは、「アガペー」を、最上の愛、「神が人を愛する愛」であるとしたことです。キリスト教の説いた「愛」を、「アガペー」の言葉で表現しようとしたのです。そのためには、ギリシア語で、愛を意味する、三つの言葉のなかで、もっとも個性のない「アガペー」を使ったとも言えます。

また、「アガペー」が家族・兄弟への愛という側面があるので、神は、人間を、我が子のように愛してくださるし、人間も神を、父のように愛するのが自然であるという教えから、「アガペー」がキリスト教での「愛」になります。

また、キリスト教は、神の愛を通じて、人間と他者である人間のあいだで、神を媒介にして、それぞれは兄弟であり、互いに、人が神を愛するように、また神が人を愛してくださるように、愛し合うべきだとの考えがあります。つまり、人間は、父である神を媒介に、兄弟姉妹の関係になるというものです。

キリスト教の信徒は、互いを、兄弟姉妹と古く呼んでいましたが、それは、こういう「愛」の概念から派生してきています(修道会のメンバー、つまり修道士は、ブラザー、シスターと互いに呼ぶのは、この信徒は兄弟姉妹であるということを反映しています)。また、このような神と人のあいだの愛、人のあいだの兄弟姉妹としての愛は、古典ギリシア語だと、「アガペー」がそれに近かったのです。

しかし、キリスト教で、一旦、アガペーが最高の愛だとされると、例えば、エロースは、古典ギリシアでは、非常に高い位置があったのが、キリストの「精神的・霊的な愛=アガペー」に対し、「世俗的・肉体的な愛=エロース」というような区別が付けられ、その価値が、肉体の愛に限定され、理性なき情欲とされ、下落させられます。

キリスト教文化は、ユダヤ文化の影響を受けていますから、「同性愛」を徹底的に否定します。同性愛者は殺さねばならないと、ユダヤの律法にあり、キリスト教も、こういう立場を踏襲します。

すると、ピリアーの愛には、友人との友情と、恋人としての友人への愛と、連続的な意味の広がりがあったのですが、同性の友人に肉的な愛や、恋人としての愛を感じるのは、同性愛であるとなり、ピリアーの持っていた、「愛としての友愛」の側面は認められなくなります。

同性の友人に、友情以上の愛情を抱くのは、同性愛だとなるのです。ピリアーは「友愛」ですが、この友愛は、友情のことで、恋愛の要素を含む愛情であってはならないとなります。

キリスト教文化の影響では、このように、アガペー、ピリアー、エロースの意味に変化が生じたのです。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。愛と一言に言ってもとっても難しくて、僕が知ってる愛なんてほんのひとかけらでした。

お礼日時:2003/01/31 23:23

キリスト教(聖書)からみた3つの愛については下記urlを参考にしてもらえればと思います。

わたしはエロスとアガペーしかよくわかりません。

わたしも以前はキリスト教会に行っており、そこで学んだことしか語れませんが、エロスは代償を求める愛、すなわちあなたを愛するからあなたからも愛して欲しいというものとのことです。こんなことをしてあげるから、きっと代わりに何かしてくれると望む行為というものでしょうか。

逆にアガペーの愛は無償の愛と言われ、相手がどういう態度であろうと代償を望まずに愛することであると聞きました。イエス・キリストは罪深い人間が彼を愛するかどうかに関わらず身代わりの死を選んだということです。

こんなところでよろしいでしょうか?

参考URL:http://church.ne.jp/nagahama/ikomai/christian/ai …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いるわけないですが、アガペーの愛を実際持っている人物がいたらあってお話が聞いてみたいです。

お礼日時:2003/01/31 23:25

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