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天理教を信仰している主人の親と同居の家に嫁入りしました。
主人の親には、何かにつけ「因縁」と言われます。

例えば、私は中々妊娠しませんが、これも、私の「因縁が悪いから。」といった感じです。
そこで、私は最近、離婚を考えておりますが、これは、
私が中々、妊娠しない為、これ以上主人にも迷惑をかけれないので、
主人に別の方と再婚してもらいたい意思もある離婚です。

このことを先日、主人の親に、チラッと話したところ、
仮に、離婚をして、私が再婚し、もし、子供が生まれても、
その子供が身体障害者や不良になるというのです。


事実、主人の親は再婚で、主人の弟は身体障害者であり、
また、妹は交通事故を何度か起こしており、
これはその家の因縁だというんです。


天理教の方にお尋ねしますが、実際、私や主人が離婚して再婚後、
生まれてくる子供は、同様に身体障害者などになってしまうのでしょうか?

また、天理教では夫婦雛型?という言葉がある様に、
仮に、会長様などにご相談した場合、離婚はご法度NGなのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

こんにちは。


質問文章しか読んでおりませんでした。
質問者様の回答補足にある月並祭やらお供えやらの文章を拝見し、再び投稿させて頂きます。

>義親に月次祭に欠席したので、「生活費を、7万円→3万円に減額する。」と言われたり、毎月、お供えを2,000円以上すること。と
>言われたので、正直、頭の中がゴチャゴチャになっておりました。

・・・・・・・・
絶句です。
こんな信者さんがいて何も言わない教会がありえませんね。
質問者様の家族の中での波紋を呼ぶことは必至ですが、そんなお供えをする必要はありません。
金額が信仰のバロメータなんてありえませんし、あっちゃいけません。

お供えは感謝の気持ちがなければ意味がありません。
逆にお供えは神様に対する感謝の気持ちがあれば満点ですので、1円でもOKなんです。
お供えは義務では無く、日々健康に過ごさせて頂いている日常に感謝する気持ちを寄付する慣習にすぎません。
つまり、教会の掃除も「お供え」になるわけです。

天理市の御本部へお供え(お金)を持って行った経験がありますか???
封筒の中に100万円入れて持って行っても、1円入れて持って行っても、「ありがとうございます」の言葉と共に、
和紙に包まれた米粒(一度神様にお供えしてから引き下げた物)を渡されるだけです。
金額で評価される事はカケラもありません。
※そのお米を感謝の気持ちを噛みしめながら食べさせて頂きます。

生活費の減額とかお供えの金額設定を納得しろと言うのは無理です。
と申しますか、納得してはいけません。
いったい経典の何を勉強しているのやら・・・情けない限りです。

天理教の教理は「和歌」の形式でその教えを表現している事はご存知かと思います。
月並祭とは教会毎に決められている毎月の指定日に、信者さんを含めて、一同でその和歌を歌い、意味を
噛みしめ、教理(哲学)の理解を深め、自分自身の心のありようを見つめなおすお祭りです。
そしてもっと大切な事は、日々の感謝を神様に伝えるお祭りなのです。

江戸末期・明治・大正・昭和・平成とと時代が移り変わる中で受け取り方は変わってしまった感がありますが、
教理の勉学とはいえ、和歌を歌い踊り楽器を鳴らす様は、当時の人々には楽しげに写り、祭りが終われば、教会
から食べ物と酒が振舞われる。
親族親類はもとより信者以外の方々でも気軽に参加でき、食べ物やお酒は無料で振舞われたそうです。
皆でワイワイ楽しいひと時を過ごす日です。お祭りなんですから。
当然の事ながら費用は全て教会の負担です。(信者さんの負担(お供え))ではありません。
※今でも変わりは無いはずです。うちの教会では変わってません。
※基本的に教会が全額負担ですが、間に合わない場合は信者さんからの現物支給(食べ物、酒)を使わせて頂きます。

長々と書きましたが、月並祭の大切さは、「信仰する者として神様に感謝の気持ちを伝えるお祭りだから」以外にありません。
従って、信仰する者にとって大切な日ではありますが、絶対義務ではないのです。
※信者が神様に感謝する期日に参加しないでどうする!!と言われればそうかもしれませんが。

>教えを含め、全体的に見直すべきだと思います。
是非そうしてください。
お金を払って神名を唱えて、超人的な力や奇跡を呼ぶ宗教を求めるのであれば、他に沢山ありますよ。

>因縁の受け止め方も、義親は、何か悪いことがあると、
>即座に「因縁だ。お前が悪い。」といった物の言い方をされるので、
>大変、参考になりました。

即座にこんな回答されれば納得いかないのは当たり前です。
私でしたら、「因果の縁(因縁)は一方的に納得させるための詭弁ですか!?!?!?経典の何処にそんなの書いてあるの???」
なんてバシっと言ってしまいますが、質問者様のお立場ではそうはいかないのが現状なのかもしれません・・・・
先の回答にも書きましたが、因縁の理解をもう一度考え直して頂きたいです。
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この回答へのお礼

お祭りの歴史までご教示頂き、感謝の極みです。
本当に、どうもありがとうございます。

お礼日時:2009/01/06 14:16

親が天理教信者で、子供の頃信仰していた者です。


思うところあって、今は全く信仰していません。

離婚して出て行くという事は、相手の家族に残念をかける、
その理が吹いて障害を持った子供が生まれたり・・・、ということを
おっしゃっているのかな、と考えます。

でも、子供が出来ないのはあなたの因縁だけじゃなくて、
嫁いだ先の因縁だってあるんじゃないですかね?
その因縁を切るために離婚します!って言ってやったらいーですよ。

因縁、因縁言ってないで、せっかく信仰してるんなら
頑張って妊娠できるよう徳を積んだらいいんじゃないでしょうか。

何かにつけて都合が悪ければ因縁が悪い、徳がない、
理由をつけるのがイヤで私は信仰をやめました。

教会に通わなくても、自分が神様に誇れるような生き方をしてれば
いいんじゃないでしょうか。
あなたは子供が出来ないから、お相手を思って離婚を考えてらっしゃるんですよね。
こんなに優しい気持ち、あるでしょうか。
そんなあなたにバチを当ててくるような了見の狭い神様なんていませんよ。大丈夫です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>嫁いだ先の因縁だってあるんじゃないですかね?

なるほど。



何かにつけて都合が悪ければ因縁が悪い、徳がない、
理由をつけるのがイヤで私は信仰をやめました。

確かに、そんな感じです。。。。

お礼日時:2009/01/16 15:19

はじめまして、天理教の信者の者です。



離婚後のことについてですが、質問文だけを見て考えると、嫁ぎ先の弟さんの障害や妹さんの事故が家のいんねんとするのであれば、離婚後家から離れる質問者さんにはそのいんねんがあらわれてこないのではないかと思います。
そして家のいんねんについてですが、嫁ぎ先の詳細(先祖代々の人生や現存する家族の性格など)が分からないため、それらの現象が本当に家のいんねんかどうかはわからない、というのが私の考えです。

離婚については、神様の啓示では絶対にだめだということではありません。「致し方ない事情での離婚であればしょうがない」というお話しがありますので、個人的には『天理教では離婚はNGではない』と考えています。しかしこのことを所属の教会長さんがどう考えているかによって、私と同じ返答になるかどうかは定かではありません。

最後に私の思いとして、質問文を見ていると嫁ぎ先の両親への中傷表現がされていないところから、質問者さんはとても心のやさしい方ではないかと察しました。なんとかその心で今の生活を続けることにより、今の嫁ぎ先・家が救われるのではないか、と思います。というのも、何かとつけて嫁である質問者さんに『いんねん』を押し付ける姿は、信仰的には正しいとはいえないと思うことと、「嫁は嫁ぎ先を救いにやってくる」という先人のお言葉(神様のお話しを聞き、多くの人を救われた方が言われた言葉のことです)から、質問者さんのようなやわらかな心の方が、今の嫁ぎ先に必要なのではないかと思うのです。

しかし、現状を見ていないためこのように考えられるのかもしれません。どうしても無理であれば、やはり離婚はやむなしではないかと思います。

どのようになろうと、何とか質問者さんがこのふし(問題)を乗り越えることを願っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。


家から離れる質問者さんにはそのいんねんがあらわれてこないのではないかと思います


確かに、言われてみると、そうかもしれませんね。

お礼日時:2009/01/16 15:22

天理教徒ではないことをお許しください。



今回の案件を見て10数年前の知人にかぶり書き込みをさせていただいております。

知人の場合は新婚当初入信を勧められていましたが、彼女が納得できなかったことをご主人が知り、あえて彼女は入信させておりませんでした。
現在もかわらず夫婦仲良く過ごしているそうです。

また、彼女も当初子宝に恵まれませんでしたが、二三年後に出産、現在2人の子を持つ母ですが障害者などは生まれていません。

天理教徒だから障害者になったり、天理教徒の方と一度縁を結んだから因縁つきになるとは到底思えません。

天理教徒だろうがたの宗教だろうが、すばらしい方は本当にすばらしく、とても勉強させていただくことが多いです。

私としてはご主人の親御さんが「天理教」に責任転嫁しているように思えて仕方ありません。

確かに天理教の方は「お勉強会」のようなものがあるようですが、だからと言って井の中の蛙でおられる方はそういないと思います。
宗教徒の方は地道に地域貢献されている方が多いように思います。

ちなみに私の祖父母は障害者の子供を産み育てましたが、因縁なんかじゃなかったですよ。

どちらかといえば「遺伝」ですね。

遺伝を因縁とするならばそれはそれでまたご先祖様に失礼な話なのですが。

今はご主人とよく話し合われて、お互いがお互いの子供を欲しいのか、「天理教のための子供」が欲しいのか見つめなおしてみてはいかがでしょう?
愛する人の子供だからこそ、障害があろうとなかろうと育てていけるもの、子供は宝というのはそういうことでもあると思います。

今、不妊気味なのはもしかするとストレスかもしれませんよ。

私もそうでした。

いい方向に向かうことをお祈りしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
確かに、同居なので、ストレス溜まりまくりです。。。。

お礼日時:2009/01/06 15:44

おはようございます。


私は教会の長男。
つまり、跡取りです。

>天理教を信仰している主人の親と同居の家に嫁入りしました。
>主人の親には、何かにつけ「因縁」と言われます。

因縁とは「自らを律するための教え(物の考え方)」であり、「都合の悪い事に対する理由」ではありません。

>例えば、私は中々妊娠しませんが、これも、私の「因縁が悪いから。」といった感じです。
>そこで、私は最近、離婚を考えておりますが、これは、
>私が中々、妊娠しない為、これ以上主人にも迷惑をかけれないので、
>主人に別の方と再婚してもらいたい意思もある離婚です。

再度書きますが、因縁とは都合の悪い事に対する理由ではありません。
因縁が悪いから子供が出来ないと悟るのはとても情けない話です。

経典における因縁の解釈を参考までに。

「因縁とは、目の前に現れる事柄の原因にも”縁”がある」

自分や周囲にとって都合の悪い事や悲しい事は往々にして起こりうる事です。
その一つ一つに対して不満を言ったり理由を考えるばかりでは、解決にもなりませんし悲しいだけです。
天理教ではそれらも全て「縁(因縁)」と考えます。
自分に対する大切な「縁」です。
自分や周囲に発生する辛い事や悲しい事も大切な縁だとすれば、自分を成長させてくれる何かかもしれ
ないし、家族にとって何かを前向きに考える材料になりえると悟る事も出来るというわけです。
基本として「縁」は大切だと考える教えから生まれた言葉です。
良い事も悪い事も、大切な「縁」であると考えるのが「因縁」という教え(教理)です。

>このことを先日、主人の親に、チラッと話したところ、
>仮に、離婚をして、私が再婚し、もし、子供が生まれても、
>その子供が身体障害者や不良になるというのです。

これ・・・・・ありえません。
そんな馬鹿げた話はありません。
信者さんの中でも勘違いされている方がいらっしゃるのですが、天理教を信仰しているからと言って
病気が治ったり、子供が授かったりすることはありません。
そんなものは教えではありません。

離婚したくない旦那さんからの質問者様に対する脅しとも考えられますし、離婚したくない思いから出た言葉では
ないでしょうか。

天理教は宗教です。
宗教とは「教え」ありきです。
そして「教え(経典)」は哲学です。
そもそも、天理教を信仰してなくても信仰してても奇跡は起きるし、いい事も悪い事も起きますよね??
お金や物をお供えし、「天理王の命」と神名を唱えて御利益や幸福を願う事とは全く違います。

旦那さんも旦那さんのご両親も、もう一度教えを見つめなおす「節(ふし)」なのではないかと勝手に思ってしまいます。

もう一度書きます。
離婚したからと言って、体になんらかの障害がある子供が産まれる事が約束されるわけがありません。
そんな馬鹿げた話はありえません。

子供が出来ない、仮に生まれたとして障害を持ってしまっている現実が目の前に現れた時、それも大切な縁(因縁)と
考えるならば、夫婦、家族そろってそれを受け止め(感謝の気持ちを持って)、現実を大切に噛みしめる事が出来るのでは
無いでしょうか。


>事実、主人の親は再婚で、主人の弟は身体障害者であり、
>また、妹は交通事故を何度か起こしており、
>これはその家の因縁だというんです。

たびたび書きますが、都合の悪い事に対する理由が「因縁」ではありません。
本当に因縁を感じるならば、現実を大切に感謝の気持ちを持てるくらいに噛みしめ、都合よく逃げたりするのではなく、
己を律する(成長させる)材料になるはずです。
※自分を律する事と卑屈になる事を間違えないでください。

>天理教の方にお尋ねしますが、実際、私や主人が離婚して再婚後、
>生まれてくる子供は、同様に身体障害者などになってしまうのでしょうか?

絶対にありえません。
生まれてくる子供が身体障害者だったとしても、離婚が理由なんてありえません。
天理教の教えには、そんな教えはカケラもありません。

>また、天理教では夫婦雛型?という言葉がある様に、
>仮に、会長様などにご相談した場合、離婚はご法度NGなのでしょうか?

天理教にかかわらず、「離婚」はとても残念な事ではないでしょうか?
最近、軽々しく「離婚」が扱われているような感じを受けますが、基本的に離婚とはとても重い物ではないですか?
私の場合ですが、少なくとも、天理教に関わらず「離婚」は御法度と考えるのが周囲の反応です。

簡略的に書きます。
夫婦雛型とは夫婦そろって、はじめて一人前。
良い事も悪い事も、すべての事柄は夫婦(家族)が一単位との教えが「夫婦雛型」です。
夫婦(家族)雛型を念頭に置くならば、手を取り合い、互い助け合い、悲しみも笑顔に変える道を歩けるはずです。
互い助け合う事が出来れば、周囲に対しても優しく思いやる心が産まれるはずです。
それが夫婦雛型(教理)です。

私の思いが多分に含まれておりますが、質問者様への回答としてはこのように思います。

この回答への補足

お教会の跡取り様からのご回答、本当にありがとうございました。
義親に月次祭に欠席したので、「生活費を、7万円→3万円に減額する。」と言われたり、毎月、お供えを2,000円以上すること。と
言われたので、正直、頭の中がゴチャゴチャになっておりました。
教えを含め、全体的に見直すべきだと思います。
因縁の受け止め方も、義親は、何か悪いことがあると、
即座に「因縁だ。お前が悪い。」といった物の言い方をされるので、
大変、参考になりました。

補足日時:2009/01/06 11:34
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わたしは今天理教から少し離れているし、実はそれほど天理教を理解しきっていないので偉そうに言えませんが、、、



月次祭はすごく大事なものだということは間違いないと思います。ただそれで生活費減額というのは…私にはわかりません。それだけ月次祭にでてほしいのでしょうが。。

ただ、mikichan-eさんはお供えを、欠席した罰、ととってしまっているのではないでしょうか。私の母もお供えをさせてもらいなさいとよく言いますが、嫌々するお供えならまったく意味がない、ともいいます。

いろいろ納得できないことがあるなら、納得いく、あるいは自分には天理教はどうしても信じられない、と結論が出るまでもっと天理教のことを知ってほしいと私は思います。そうすれば教会長さんのお話も素直に聞ける日が来るのではないでしょうか。時間はかかるかもしれませんが。

私もまだ分からない部分が多いのでもっと知っていこうと思っているところです。
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この回答へのお礼

どうも、ありがとうございました。
元々が、普通のサラリーマン家庭の為、しかも長男一家でなく、
分家の為、仏壇もないので、私的には、
確かに、腑に落ちない点が多々ありますが。

お礼日時:2009/01/05 20:51

こんにちは。

わたしは実家が天理教教会で、ようぼくです。
天理教の教えはいい部分をたくさん持っていると思っているし、疑問点もまたあると持っています。

おそらくご主人は、悪気を持って言っているわけではないと思うのです。ご本人のためを思って、だと思うのです。でもわたしのように生まれながら天理教とか、自ら入信したわけではない方にそう言っても脅しのように聞こえるだけで納得いかないでしょうね。

因縁は、まったくのでまかせではないし、だからといって絶対的なものともいえないと思います。たしか天理教の教えでは、日々の生活において教えを実行する(人を助けるとか、参拝するなどなど)ことで因縁が切れるんです。だから、離婚したことで、子供に影響するというようなことは話が飛びすぎてますよね。

でもやはりせっかく縁があって結婚されたのだから、そう簡単には離婚は考えてほしくないです。天理教が結婚の妨げになるのは悲しいです。

上級の会長さんに相談するとか、知り合いがいやであれば他の行ったことのない教会に足を運んでみるのもいいのではないでしょうか?

この回答への補足

すいません。
実は、私も、おさずけを頂戴しておりますが、
つい先日、私が風で寝込んだ際に、毎月の月次祭を欠席したら、
義親より、生活費を減額する。と言われました。
趣旨としては、何とか、月次祭に出席してもらいたいのに、
親の意思に反する。とのことです。

また、今後、毎月2,000円お供えする様に言われたのですが、
こういったことは、当たり前なのでしょうか?

補足日時:2009/01/05 13:22
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/05 08:12

はじめまして。


なんだか嫌ですね。
このようなことをいう教会長がいるから天理教のイメージが悪くなってしまうんですよね。
大丈夫です。そのようなことはありません。僕は因縁とは身上や事情が起きたときの自分の運命や心の使い違いがなかったかを反省するためのものであると理解しています。更に因縁という言葉を脅しの手段としては使ってはいけないものと思います。なので離婚したからといって運命が悪くなるとは一概に言えません。
ただちょっと悲しくなりました。僕の親は天理教ですがやはり天理教が結婚の障害になるんですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/05 08:13

医学的には離婚しようがしまいが、不妊も障害児も全く根拠がありません。



そもそも、宗教って心の拠り所ですよね?

なのに、○○すると天罰が下るみたいに脅迫的なことをすること自体ありえません。

信じる信じないはあなた次第です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/05 08:13

大丈夫。

そのときは別の神様を信仰すれば、そちらが救ってくれます。

そもそも自分のとこでナイトだめだなんて、チンケなことを言うような神さんに、たいした力があるはずはありません。おやさまがアカンでも、ほかに、親鸞さんも、弘法大師さんも、日蓮さんも、キリストさんも、マリアさんも、モハマドさんも、天照大神さんも、いくらでもご利益がある方はいらっしゃいますから。

まあ、宗教は単なる趣味嗜好ですから、それがあまりにあなたの常識と異なるなら、一緒にいる意味はないでしょう。
そもそも、子ができないことを責め、離婚することを責めるとなれば、じゃあどうしろって言うんでしょうかね。教えて!中山さま。
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この回答へのお礼

確かに、そうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/05 08:14

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