アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 いつもお世話になっております

 今回の質問は題名の通りです

 ウィキペディアで調べた結果 判ったのは
 1.「バロック」は主に16世紀頃にイタリアを中心とした(つまりドイツ語圏ではない?)今で言うアヴァンギャルドあるいはハードコア(笑) のような意味合いだったらしい
 2.西洋音楽史では 古典派と言われている時代頃からヴィーンが出てくる
 3.ハブスブルグ家のマリア・アントーニア(=マリー・アントワネット)が幼いモーツァルトをシェーンブルン宮殿に招聘している
 
 現代では「音楽の都」と言われるヴィーンですがその所以はどのような歴史的背景、動向によるものなのでしょうか?

 参考になるサイトの紹介 および 解説をお願いしたいと思います
 どうか宜しくお願い致します

A 回答 (1件)

最も大きな要因として考えられるのはハプスブルク家の本拠地だったということでしょう。


ヨーロッパはローマ帝国(西)滅亡後、暫らくしてフランク王国によって統一されました。やがて、そのフランク王国が王の息子3兄弟によって分割され、今のイタリア・フランス・ドイツの原型が出来上がったのですが、今のドイツに当たる部分はオーストリアやその他東欧の一部も含めて「神聖ローマ帝国」と呼ばれて当初は最大の勢力を保持していたとされています。
そしてその神聖ローマ帝国を長年にわたって代々支配してきたのがウィーンに本拠地を置くハプスブルクという一家。当然、帝国の都もウィーンになったわけです。宮廷文化が栄え、政治・経済だけではなく、芸術の中心地にもなりました。人口も増えていきます。長年都のあった京都で芸術文化がとても盛んだった日本の例を考えても想像できるでしょう。
音楽もその例外ではなく、皇帝や貴族の住むウィーンが最大の音楽都市になりました。当時、音楽は皇帝や貴族の楽しみであり、演奏会や昼食会・儀式など、音楽を必要とされる場面は圧倒的に都ウィーンが多かったわけです。
また、神聖ローマ帝国は他の国と違って長年、大きな戦争や変遷もなく安定していたので、ウィーンにおけるハプスブルク家の宮廷文化は一層華やかになっていったと云われます。
そんな事情から各地の優秀な音楽家は自らの腕を試すためにウィーンへ移り住み、音楽家を目指す人たちも本場で勉強・修業するためウィーンへ来る。モーツァルトやベートーヴェンもその一人です。言うまでもなく音楽の質は向上し、音楽文化は盛んになります。その後、庶民が音楽を楽しめるような時代になっても、レベルの高い音楽文化と歴史を持ったウィーンの人々の耳は肥えて、音楽家にしても「ウィーンで認められれば一流」と認識されるようになったわけです。

以上が現在も尚、「音楽の都」と称されるウィーンの所以だと私は解釈しております。ウィーンがハプスブルク家の本拠地だったというのが最大の要因ではないでしょうか。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2723344.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 回答、参考URL 共に有難うございました
 大変 参考になりました

お礼日時:2009/01/17 02:17

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!