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北原白秋の「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の薮を出でて消えたり」という歌の訳や読み方など、できれば具体的に教えてください!!!

それと、「蛍」が消えたあと作者の目に残ったものとは何だったのでしょうか?

A 回答 (4件)

 


白秋は、独特なリリシズム(叙情性)の世界を築いた詩人です。彼のリリシズムには、中国的というか、純日本的というか、日本・中国というような文化での「東洋的叙情性」があります。とりわけ、中期の「水墨集」(という名前だったはずです)のなかの作品には、中国人を主人公にして、静謐な、繊細な、しかも雄渾な作品があります。

このうたに関して言うと、「水墨集」のなかの作品に感じるのと同じような、繊細で、静謐で、無為自然を尊ぶ、雄渾なリリシズムが感じられます。

>昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の薮を出でて消えたり

(ひるながら かすかにひかる ほたるひとつ もうそうのやぶを いでてきえたり)

孟宗の藪とは、竹の種類に「孟宗竹」というものがあり、孟宗竹の藪という意味です。

わたしとしては、孟宗竹が鬱蒼と茂る林のなかでのできごとと考えると、幽玄さがまし、リリシズムが一層深みを持つようにも思いますが、「藪」とうたっていますから、それほど大きな茂みではないでしょう。

>昼日中であるが、孟宗竹の茂みのなかの薄暗がりのなかで、幽かに、光を放っている何かがある。それは蛍ではないか。一匹の蛍が薄暗がりのなかで光を放っているのである。ああ、自然とは、このように偉大で幽玄なものかと、幽かな光の蛍を眺めていると、蛍は藪から飛びだし、昼の光のなかに出、蛍の光も見えなくなってしまった。

「かすかに」には、「かすかに」「微かに」「幽かに」と主に三つ表記法があります。原作で、「幽かに」を使っていたとすれば、蛍の光が、単に「弱い光」だという事実だけでなく、そこに「幽玄」を垣間見たという作者の心理が述べられています。

薄暗がりのなかで、玄妙な幽かな光を放っていた蛍。昼の光のなかに入ると、蛍の光も見えなくなってしまった。自然とは、玄妙で不思議なものである。

「幽かに」というような言葉遣い、また「孟宗竹」という、いかにも中国の仙人が隠棲する仙境を思わせる言葉。たまたま、白秋が、こういうことを経験した、出会っただけかも知れませんが、それをうたに詠むというのは、これらの情景に、作者が感銘したということでしょう。

昼の光は「陽」であり、薄暗い藪のなかは「陰」、「陰」のなかの幽かな光である蛍は、「陽」で、「陰」のなかで「陽」は、幽かに姿を示すが、大いなる「陽」のなかでは、溶け込み、透けて消えてしまう……無為自然的な幽玄のリリシズムのように感じます。

>「蛍」が消えたあと作者の目に残ったものとは何だったのでしょうか?

なお、薄暗さをうちに持つ藪と、昼の光に満ちる、蛍を溶かし込んだ昼の情景の対比でしょう。蛍の光が溶け消えた、昼の光が、目に残ったとも言えますが、同時に、「陰」である、孟宗竹の藪もまた、目に残っていたはずです。
 
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山道を歩いていると、昼間の光がさす明るいところとは別のところに


孟宗の竹やぶがあります。そこは光が入らない真っ暗なところですが
そこを蛍が光を照らしながら飛んでいます。その光は照ったり、
消えたりしているという歌ですね。

作者は、蛍の光を見ながら、明るいところでは光っているのが
判らないという事柄、せっかく手にいれたのに価値のわからない事が
人生にはあるんだと言う事を感じているのでしょう。
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訳:


昼間なのにかすかに光っている蛍が一匹、薄暗い孟宗の藪から出て明るい方に行ってしまい、見えなくなりました。

読み方:
ひるながら かすかにひかる ほたるひとつ もうそうのやぶを いでてきえたり

蛍が消えたあと作者の目に残ったものは:
藪の外の明るい景色です。
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蛍は本来夜は夜のもの。

昼間、薄暗いもうそう竹のやぶで、かすかな光を放っている一匹のホタルを見つけて歌に詠む心境は凡人には分からない世界です。ホタルはひと夏で命を終えるはかない生き物、それが日中、一匹で竹やぶで光を放っているかと感傷にふけっていたら、スーと飛び立ち(いでて)日の光の中に消えてしまった。その時の牧水は人生も決して長くはないと考えホタルの姿に寂しさを感じたのかも知れません。
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