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私は仏教哲学に興味を持っている高校生です。特に中観派や論理学派といったインド・チベットの仏教哲学を中心として、曹洞禅にも興味を持っています。
調べてみるとどうも駒沢大学仏教学部仏教科の教授陣は私の興味のある専門と同じ人が多く、非常に面白い授業が受けられそうです。
そこでお聞きしたいことは次の2つです。
1駒大での授業では、中観派や論理学派といったインド・チベット本流の仏教の授業はどれだけ受けることができるでしょうか。駒大は曹洞宗の大学なので、授業のほとんどが禅学になるのではないかと心配です。私はインド・チベット哲学を基本として、仏教を幅広く学びたいです。もし、選択授業で目一杯、インド・チベット哲学を選択したとして、私の希望通りの授業構成は可能でしょうか。
2駒大以外にも、仏教論理学や禅を学ぼうとしたら、みなさんは、どのような大学をお勧めしますか?聞いた話だと国立大学のインド哲学学科の方が、仏教のインド・チベット研究が進んでいるといいます。駒大の教授陣を見た限りでは、駒大の方でも(というより駒大の方が)人数的にもインド・チベット仏教哲学を学べるように思えたのですが、違うのでしょうか?

みなさんの御助言をお待ちしています。何卒よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

もうン十年も前の「仏教系大学仏教学専攻」卒業者です。



その当時の印象としては、「印哲」といえば東京大学でした。東大は国立大学ですから、仏教学を「信仰」の面からではなく、学問(哲学)の方面から研究されている方が多いという印象でした。たぶん、そのあたりは今も引き継がれていると思います。

一方、宗門大学はどうしても「信仰」の面が強調されがちです。「“我々の信仰している仏教”の中の○○学派では……」という前提から研究が進められているといいますか。
それはそれで悪いことではないですし、むしろ、仏教を知りたければそちらの方が正しいアプローチのような気がします(個人的な見解ですが)。

あとは授業内容ですが、現在はどのようなっているかは分かりませんが、宗門大学へ行けば、その宗派についての授業は必須です。駒澤大学なら曹洞宗の授業は必ずあります。坐禅なんかの授業もあるはずですから、禅に興味があるなら、こういう授業は貴重だと思います。
また、その他の専門課程の授業も「禅」に限らず「仏教」というくくりの授業が多数を占めていると思います。
それに対して国立系ならば「宗教学」や「哲学」といった、必ずしも「仏教」とは限らないくくりの授業の方が多く、「仏教」色は薄いと思います。

で、どちらにしても、「選択授業で目一杯、インド・チベット哲学」だけを選択することは無理だと思います。どちらの大学でもそんなに多くの種類の「インド・チベット哲学」のコマはないと思います(推測ですが)。
専門を学ぶためには、自分の好みのものだけではなく他の分野も学ぶことが必要です。そのことによって、視野を広げて自分の専門に生かすべきでしょう。
専門分野は自分自身で研究すればいいことであって、専門の教授が一人いれば充分だと思います。

結論としては、「仏教」にどっぷりつかりたいなら駒澤大学。宗派に偏らず「哲学」を学びたいなら国立大学。
そんな感じで選んでみては如何でしょう。

禅を学ぶなら駒澤大学以外では花園大学(臨済宗系)しかないと思いますが、こちらは自分自身が一人でもしっかり研究していこうという強い意志があればOKですが、そうでなければあまりおすすめできない大学です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>専門を学ぶためには、自分の好みのものだけではなく他の分野も学ぶことが必要です。そのことによって、視野を広げて自分の専門に生かすべきでしょう。
>>専門分野は自分自身で研究すればいいことであって、専門の教授が一人いれば充分だと思います。

了解しました。教授の人数や、教授の研究範囲にこだわらず、興味のある分野を自分で勉強していくことを大切にしていきたいです。結局、勉強は自分でするものですからね。

>>結論としては、「仏教」にどっぷりつかりたいなら駒澤大学。宗派に偏らず「哲学」を学びたいなら国立大学。
>>そんな感じで選んでみては如何でしょう。

そう考えると大学選びもすっきりします。私の場合、「仏教」一筋で貫き通したい自分と、「哲学」として仏教を学びたい自分とがいて、どちらを優先するべきか決めあぐねている状態です。自分自身の気持を見極めたうえで、選択したいです。

お礼日時:2009/03/23 21:18

参考までに、


主要な国立と一部の私立の大学で仏教学を学ぶことができます。インド仏教に限っていうと、それぞれの強みの分野は大まかに、私の狭い知見ですが

中観・・・東京大
唯識・・・京都大
仏教論理学・・・早稲田、広島大
部派仏教・・・仏教系大学?

という感じです。他にもにも東北大、名古屋大、九州大、東洋大などあり、勿論どこへいっても仏教を一通り学ぶことはできますが、仏教学の範囲を全てカバーしている大学は多分ないと思います。仏教を学ぶのであれば密教の知識は必須ですので、天台あるいは真言の専門家がいる大学のほうがよいですし、インド・チベット仏教を学ぶのなら、インド学とチベット学の専門家を一人ずつ揃えている大学が世界の主流となっています。また、曹洞宗を学びたいのなら中国・日本が加わってきますので、中国思想や日本仏教の専門家がいる大学が適切です。まあ、論理学と曹洞宗なんて対極みたいなものですからね、まずはどちらか一方に専念したほうがよいと思います。
ちなみに宗派系の大学だと信仰と研究を混じてしまう人が結構いるので、注意してください。
あと、私の印象ですが、駒大は「空」に偏りすぎている嫌いがあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仏教のすべての範囲を学ぼうと欲張らず、インド・チベット哲学を中心に研究している大学を選ぼうと思います。

ところで、駒大は「空」に偏りすぎているとはどういうことでしょうか?よろしければ教えていただくと助かります。

お礼日時:2009/03/23 21:10

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Q通信制大学(大学院)で仏教を学びたい

都内に住む30代の社会人です。
 大学で仏教を学びたいと思っています。
卒業した大学では哲学(西洋)を学びましたが、その時は仏教にあまり興味がありませんでした。(仏教学の授業もありませんでした。)
でも最近、華厳とか唯識の考えに興味をもつようになりました。
仕事の都合上通信教育を考えています。(東洋大学のイブニングコースにも興味がありますが、始業時間、学費等考えると通えそうにありません。残念)
通信課程で仏教を学べる大学として、佛教大学、高野山大学、武蔵野大学の3校があるようです。
今のところ密教にはあまり興味が無いので、佛教大学か武蔵野大学のどちらにするか、また3年次編入がいいか大学院に入るべきか迷っています。
 実は一時、佛教大学にしょうと思っていました。佛教と言う名前が気にいってますし、通信で博士課程まである。また京都は好きなところなので。
 でも最近、武蔵野大学も通信の大学院が来年度からできるようですし、書店で武蔵野大学編の「仏典を読むシリーズ」を何冊か買いましたがどれもわかりやすいです。(仏教大学のテキストはどこかで見ることはできないのでしょうか)
 佛教大学か武蔵野大学か、3年時編入か大学院か、アドバイスよろしくお願いします。

都内に住む30代の社会人です。
 大学で仏教を学びたいと思っています。
卒業した大学では哲学(西洋)を学びましたが、その時は仏教にあまり興味がありませんでした。(仏教学の授業もありませんでした。)
でも最近、華厳とか唯識の考えに興味をもつようになりました。
仕事の都合上通信教育を考えています。(東洋大学のイブニングコースにも興味がありますが、始業時間、学費等考えると通えそうにありません。残念)
通信課程で仏教を学べる大学として、佛教大学、高野山大学、武蔵野大学の3校がある...続きを読む

Aベストアンサー

現在、大学院でインド哲学・仏教学を勉強している者です。

「佛教大学 or 武蔵野大学」「3年編入 or 大学院」ということならば、私は、「佛教大学 & 大学院」を選択します。

◇佛教大学の方が、
  ・教育スタッフが多い
  ・図書館が充実している(これは重要)
  ・学生が多いので横のつながりが得やすい
◇大学院選択の理由は、
  ・3年編入では単位取得・卒論が大変
  ・大学院に入学できる学力があれば、学部に入る必要はない
と考えます。

まずは、大学院の過去問を入手して検討されてみてはいかがでしょうか。佛教大学大学院は結構難しいです。

「佛教大学のテキスト」は分かりません。大学に問合せるか、別に質問をたてられてはいかがでしょうか。

--(以下、参考情報です)---

仏教学を勉強する方法として、
(A)主に1次資料(サンスクリットやパーリ語など)を対象にする
(B)主に2次資料(日本語など)を対象にする
いずれを取られるのでしょうか。大学院では(A)がメインになるかと思います。

(A)の場合は、まず語学力を身につける必要があります。
通信制や独学では、難しいと思います。たとえば、
  ◇大学の科目履修生、研究生になる
    ・多くの大学で一般の方々に解放されています。
    ・ホームページで紹介されていないこともあります。
    ・申込期間(2~3月ごろ)が限られていることが多いので要注意です。
  ◇東方学院(@神田)に通う
    ・サンスクリットやパーリ語の講義があります。
    ・このほか学部・大学院レベルの講義が数多く用意されています。
    ・4月開講です。
なども検討されてみてはいかがでしょうか。

以上、何か少しでもお役に立てたら幸いです。

現在、大学院でインド哲学・仏教学を勉強している者です。

「佛教大学 or 武蔵野大学」「3年編入 or 大学院」ということならば、私は、「佛教大学 & 大学院」を選択します。

◇佛教大学の方が、
  ・教育スタッフが多い
  ・図書館が充実している(これは重要)
  ・学生が多いので横のつながりが得やすい
◇大学院選択の理由は、
  ・3年編入では単位取得・卒論が大変
  ・大学院に入学できる学力があれば、学部に入る必要はない
と考えます。

まずは、大学院の過去問を入手して検討...続きを読む

Q仏教を学ぶには

仏教を基礎から体系的に学びたいと思っています。

仏教入門者向けの、定本として定評のある著作を教えてください。

分かりやすい本がいいです。
難解なのはパスです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>>仏教を基礎から体系的に学びたいと思っています。
>>仏教入門者向けの、定本として定評のある著作を教えてください。
定評があるかどうかは分かりませんが、初めて学ぶということでしたら
●『3日でわかる仏教』藤井正史著・ひろさちや監修 ダイヤモンド社
●『図解雑学仏教』広沢隆之著 ナツメ社
の二冊はどうでしょうか??3日で分かるってことはないとは思いますが、仏教学を初めて学ぶのでしたら概論の入門編としてはいいと思いますよ。内容は二つともそれほど差はなかったように思います。自分にあっていると思ったほうを読んでみてはいかがでしょうか。

>>分かりやすい本がいいです。
>>難解なのはパスです。
とはおっしゃいますが、仏教はどうしても特殊な用語が多いのである程度の難解さはもっています。その難解さはパスと避けていても、いつかはぶつかってしまいます。まぁ、その難解さを自然克服できるということもあるでしょうが、初期の段階で乗り越え方を知っておくことも必要だと思います。それは、「辞書を引く」ということです。現代においてはインターネットなどで簡単に調べられるからめんどくさいとお思いになるかもしれませんが、どの学問でもそうでしょうが辞書は基礎的な知識を補ってくれる有意義なものです。自分にまった辞書を手元においておいて損をすることはないと思いますよ。私が仏教を学び始めたときから持っていた辞書を上げさせていただきますと、
●『岩波仏教辞典』中村元・田村芳朗・末木文美士・福永光司・今野達編集 岩波書店
がよろしいかと思います。内容も初心者向けですし、基本的な用語はおさえてあると思います。

入門書として分かりやすいいものを書かれている方としては、ひろさちや氏、玄有宗久氏、阿満利麿氏、五木寛之氏、アルボムッレ・スマナサーラ氏の本は読みやすいと思います。学術的なものになると、中村元氏、田村芳郎氏、山折哲雄氏が入門書を書いておられたと思います。ちょっと番外ですが、
●『スター・ウォーズで「仏教入門」ですかマシュー ボートリン著 春秋社
なんて本もありますよ。入門本は特にそうですが、実際に自分で手にとって自分にあったものを探されるのがよいと思います。

長々書き連ねましたが、急ごしらえの文章でうまくまとまっていないかもしれませんが、文意を読み取っていただきたく思います。
 合掌 南無阿弥陀佛

>>仏教を基礎から体系的に学びたいと思っています。
>>仏教入門者向けの、定本として定評のある著作を教えてください。
定評があるかどうかは分かりませんが、初めて学ぶということでしたら
●『3日でわかる仏教』藤井正史著・ひろさちや監修 ダイヤモンド社
●『図解雑学仏教』広沢隆之著 ナツメ社
の二冊はどうでしょうか??3日で分かるってことはないとは思いますが、仏教学を初めて学ぶのでしたら概論の入門編としてはいいと思いますよ。内容は二つともそれほど差はなかったように思います。自分...続きを読む

Q浄土真宗の修行等について

仏の道に進もうとは考えておりません。浄土真宗に興味があり質問します。

浄土真宗は在家仏教と聞きます。
多くの最近の僧侶になる人が進むであろう仏教大学に入学してから、住職になるまでのおおまかなスケジュールを教えてください。(これ歳くらいで「副住職」とか一般的な例でいいです)
どの段階でどのようにして得度をうけるのでしょうか?
一度だけ剃髪するのですか?それとも頭にかみそりを当てるだけなのですか?
浄土真宗には修行という概念もないのかもしれませんが、お寺に入って最初のうちは何をするのでしょうか?
また、大学にいかない場合どのように浄土真宗の僧侶になるのでしょうか?

他宗派とのちょっとした比較も含め回答していただけますとありがたいです。
そのほか僧侶の立場での他宗派との大きな違いを教えてください。

Aベストアンサー

不良坊主(というか実家が忙しいときだけ手伝っている身分)なのであまり専門的なことは申せませんが。

僧侶になるには得度が必要です。
大学等は一切関係ありません。
浄土真宗では開祖の親鸞上人が9歳で得度したことから、9歳から得度できます。

私自身は大学1年生の時に得度しました(薬学部でした(笑))その時の同期には、小学生からお年を召された方、外国の方まで様々でしたよ。
剃髪については本山によって異なります。
浄土真宗には10派あり、それぞれに本山があります。私の場合は頭にかみそりを当てるだけでした。

生活については実家がお寺というだけでごく普通に成長しましたし、学生時代は仏教にあまり興味がありませんでしたので薬学部に進学しましたし…。お経の練習や内容、教義などは父親や本山での研修そして独学です。

住職に関しても本山によって異なると思いますが、うちの場合は住職試験?を受けるには最低教師(学校の先生でなく僧侶の学力?学位みたいなもの)の資格をもっている必要があります。
考査と研修によって得られるのですが、ここで仏教系の大学(多くはその本山の関連大学)を卒業していると考査が免除されます。
私は、大学在学中に通信過程を終了し考査免除で教師を取りました。

まあ私の場合こんな感じですね。

不良坊主(というか実家が忙しいときだけ手伝っている身分)なのであまり専門的なことは申せませんが。

僧侶になるには得度が必要です。
大学等は一切関係ありません。
浄土真宗では開祖の親鸞上人が9歳で得度したことから、9歳から得度できます。

私自身は大学1年生の時に得度しました(薬学部でした(笑))その時の同期には、小学生からお年を召された方、外国の方まで様々でしたよ。
剃髪については本山によって異なります。
浄土真宗には10派あり、それぞれに本山があります。私の場合は頭にかみそ...続きを読む

Q独学での、仏教の正しい勉強法を、私にご教示いただけないでしょうか

修行僧として、学びたいとも考えたのですが、

私は精神科の先生から、職業支援施設の紹介を受けています。

具体的な病名はまだわからないのですが、そういう健全な状態ではないので諦めています。


http://homepage2.nifty.com/shusse-kannon/budda/budda4.htm

私はこちらのページを参考に、

ノートへの書き写しをしようと思っています。

しかしこれは、私の浅知恵による思いつきであり、

正しい勉強法なのか不安です。


出家以外に、

檀家の方達が行う、仏教の正しい学び方は、

どのようなものがあるのでしょうか。

どなたか私にご教示お願致します。

Aベストアンサー

こだわらず、ネットを利用したほうが良いと思いますよ。

私は臨済宗のお坊さんが作ったHPを見て救われたことがあります。

当時は良く理解できませんでした。

ただ、読んでいるうちに気分が良くなりました。

そのあと、調子が悪いときは、救いを求めるように読みました。


内容としては、

教えをそのまま書くのではなく、歴史上の僧がどうであったか、

仏教の教えはこうらしい(お坊さんなのに)とか、

自分の趣味を書いたり、非常に楽しいブログでした。

今は閉鎖されているようで、寂しい限りです。



人とは人の感覚(その人の考え方、心の動き、観察の仕方楽しみ方)

に感化されて救われるのだと体感できました。



思考のお手本があればよいと言う事ですね。



仏教を理解すると救われるのではなく、

救われた人がどのように感じて、どうの様に考えるのかを知る。

感じたり考えたりするためには、お題が無いといけません。

救いの目的は、心が軽くなって、人生を楽しめることですから、

人が悩むことをテーマにしたほうが、需要に合いますよね。

そのために、そういった話が多いだけです。


何か知識を得たからといって、救われるわけではないようです。

そのために、仏教では、知識と智慧を分けています。

お釈迦様の教えをしって、理解し、知識を得るよりも、

お釈迦様のように感じて、考えて、行動できるほうが良いですよね?

「こっちのほうが大事じゃないかい?」

これを智慧(知恵という表現が知識を含むニュアンスがあるので分け

ているそうです)と呼んでいるようです。

わたしは、これが仏教の教えの本質だと捉えています。



そのお坊さんが最後に悟りについて現代的な解釈で教えてくれました。

人は自分と他人の境界をわける感覚を持っている。

例えば、つばを外に吐き出したとき、

体の中にあったときは気にしないのに、外に出た瞬間汚いと感じる。

そうである以上、

「自分とそれ以外を分ける感覚を誰もが共通して持っている。」

と自覚できます。

同じものなのに、好き嫌いが逆転するということは、

目の前にある事実に対して振る舞いが一定じゃないと言う事です。

自分だと感じれば、好意的に解釈し、他人だと感じれば、汚いとして

排除しようとする。


つば自体の役割を無視してそうなります。

つまり、損得を考える余地が消えてしまう。

事実を観察し、そこにある因子と法則から結果にいたる過程を知る。

これは自然科学ですよね。

仏教では因縁果報と呼んでおり、自然科学の部分が因縁果です。

これについて人が感想を述べると、報が生まれる。

そしてこの報は、さきほどの


”自分なのか、それ以外なのか?”


という感覚により支配されてしまい、個人事情が混ざってしまうんです。

ところが人が会話をすれば、報だけの話になります。

それを真に受けると、自然の法則で保障されている利得に達せず、

余計な損をしてしまうわけです。


仏教では、オカルト的な利得は無理だと伝えています。

つまり、魔法は無理。

ただ、自然の法則で保障されている限界くらいまでは得が出来る。

これに至らないロスを無くし、それ以上は諦めなさいと伝えているんです。


ところがそうならない、心理的なメカニズムが実際にあるため、

これらを細分し、どう対処するかの処方箋を作っています。

とくに、教えとして伝えられる部分は、心理メカニズムのリストです。

対処法は各お坊さんが一子相伝(弟子に)で伝えるそうです。(禅の場合など)

そのため禅では弟子入りすることが非常に大事であり、

このために試験があります。

とくに、責任転嫁を物凄く嫌います。

最初の試験のゲートは、責任転嫁をするか否かだそうです。

こういう性質が少しでもある人は、教えても無駄であるとして、

お断りをしていると書いてありました。


そして、どんな知能の高い人や魅力的な人も、

人間の脳の中にある、”自分と他人を分ける感覚”を持っており、

これがあるうちは、これに逆らえず、事実をそのまま捉えることが出来ない、

なので50歩100歩だとしています。

しかし、普通は脳内のこの機能が壊れますと、統合失調症になります。

彼らは修行により、安全にこの機能を破壊し、良いところだけが残るようにする

方法を編み出そうとしています。(禅の場合)

弟子入りするとは、この副作用のない”自他判別機能”の破壊法を習うと言う事です。


自他の区別がつかなくなれば、全ての他人(世界の万物)と自分の境がわからなく

なるため、自分のように感じて、自分のように考え、自分のように行動できる。

親が子に感じる感覚に近いでしょう。


こうした理念をたどっていくと、キリスト教の教えとかなり近いです。

キリスト教は、脳機能からの説明ではなく、

対処法や捉え方、実践方法を述べているわけです。

(理由を伝えて、対処法を秘匿するか、対処法を伝えて理由を秘匿するかの違い)


このような話をお坊さんが記事にするのですから、

現代と言うのは恵まれた時代ですよ。


お坊さんと言うのは、

古典的なプロのカウンセラーですし、かなり命がけで自分を磨いています。

そのノウハウにも歴史があります。

また学生であったときは、私たちと同じように勉強をし、色々と調べています。

そのため、

(プロ意識から)現代のカウンセリングに使われる本なども研究しています。

(と言う人でしたw)

私は思うのですが、真理が一つならば、どちらも同じ事を言っているはずです。

なので、理解も早いのだと思いますよ。


仏教が面白いのは、その原典が科学信望であること。

観察と類推により、いまの大脳生理学に近い仮説をあてているようです。



例えば、ストレスを抜くためには、音楽療法が(音楽はギリシャの数理物理学者

ピタゴラスが抗ウツ作用を期待して発明したもの)良いとされています。

ところが、これの本当のエッセンスは、拍子にあったようです。

ナンマイダーは3拍子ですし、ナンミョウホウレンゲイキョウは8分の6拍子です。

(つまりともにリラクゼーション効果がある)

また、論理的な思考に誘うことで、大脳の活性化が行われます。

お経を読むとはそういう効果もあります。

(メンタル失調の人は、サーモスタットで見ると、脳に血がいきわたっていない。
 
 大脳を使うような文字を読むとか、計算をするような行為が治療になり、

 快感になる。拍子をつけることは、本質的なストレス改善になる)

というように、隠れた効果の法を工夫しています。


さてご質問の答えになります。

本質的には、脳を楽にすることが主眼です。

脳の仕組みである、ニューラルネットワークと言う仕組みは厄介でして、

自分を苦しめるバグをこしらえてしまうんです。

感覚として非常に苦しく、辛い。

微熱や頭痛まで生じますし、自分でやめることが出来なくなります。

これらは精神病とされていますよね。

早期に発見し、改善すると、こうした癖が強化されずに済みます。

(こういった話をマザーテレサが格言で残しています)

また、道徳の様なものでも思考を調整できますから、

日本でも採用され普及しています。


現代のウツ病治療では、自分が正常だった頃の感覚が分からなくなった人

のために、薬物投与で擬似的感覚を作り出し、それを焼き付けるようです。

音楽療法でも、音楽によりリラックスした感覚を体験させ、

これを思い出させるのが目的となります。(拍子が大事)

お経を読んでもいいわけですね。(拍子が無ければ効果がほとんどない)


次に、脳を楽にする考え方が定着(習慣と成った)人の思考をたどる

方法があります。

文章を読んで、同じように考えて理解していくと、同じ脳の状態になります。

つまり、冒頭に私があげた”救われた”わけです。

お坊さんの思考をたどり、脳が楽になったと言う事ですね。


ヒットする作家の論理も同じでしょう。


徳の高い人が記述した文章を繰り返し読めば、繰り返し同じ脳の状態

を体験できます。

すると、いつのまにかそれがコピーされているというわけです。



そうじゃない人の文章を読んでも効果がありません。

お経が大事にされるのは、

そういった

”脳楽に出来たよレベル世界チャンピオン”

クラスの人が残したものだからです。

内容は同じでも、文章の記述により全く効果が違うわけです。


脳が苦しい人が、同じ内容を知識で得て、それを伝えたら?

読んだ人は苦しくなるわけです。


人に何かを伝えるためには、

このような訓練(自分の脳を楽にする)をしてから伝えるべきなのでしょうね。


ネットを活用するのは間違っておりません。

ただし、読んで見て、脳が楽になるか苦しくなるかを考えましょう。

同じ内容でも、気持ちが上向く場合は、その人の文章を読めば宜しいです。

仏教を理解するよりも、訓練をしたひとの脳の状態を自分に複写することが

大事です。(考え方のお手本。その人の癖を頂く)

半年もすると、同じような思考が複写されています。

逆に、そうじゃない人につきあっても、同じままだと言う事です。

だとしたら、ネットは大変強い武器になります。

(天竺まで取りに行かないですむのですから)

こだわらず、脳が楽に成ると感じた人の文章を反芻して読むことです。


以上、ご参考に成れば。

こだわらず、ネットを利用したほうが良いと思いますよ。

私は臨済宗のお坊さんが作ったHPを見て救われたことがあります。

当時は良く理解できませんでした。

ただ、読んでいるうちに気分が良くなりました。

そのあと、調子が悪いときは、救いを求めるように読みました。


内容としては、

教えをそのまま書くのではなく、歴史上の僧がどうであったか、

仏教の教えはこうらしい(お坊さんなのに)とか、

自分の趣味を書いたり、非常に楽しいブログでした。

今は閉鎖されているようで、寂しい限りです。



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Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q東京芸術大学ってそんなに凄いんですか?

中学校の美術の教師が東京芸術大学芸術学部美術学科卒業でした。授業中「俺は東大よりも難しい大学を出てる」とよく自慢していました。中学生の時はその意味が分かりませんでしたが、大学受験の時、その意味は分かりました。ただその先生のことは本当に嫌いでした。そんな凄い大学出てても所詮は中学校教師。何が凄いのか分かりません。東京芸術大学でた人はどんなところで働くんでしょう?官僚になるわけでもなく、大手企業に行くわけでもなく・・・。いったい何をしてるんでしょうか?

Aベストアンサー

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

ただし、東京芸大の、それも大学院卒の俳優である伊勢谷友介さんがテレビでおっしゃっていたと記憶していますが、東京芸大は貧乏人を算出する大学だそうです。つまり、極めて優秀な芸術家を輩出する大学なわけですが、そもそも芸術家は芸術を生み出す人なわけで、お金を生み出す人ではないので、お金儲けにはつながらないのです。

「難しい大学を出る=安定した生活を送る」という理論に基づいて考えれば、芸大は「難しい大学」ということには確かにならないかもしれません。でも大学は本来、学問をするところです。そして東京芸大が、人の心や感覚をゆさぶるような優れた芸術を生み出すための優秀な教育を施してくれるのは事実です。東京大学法学部を出ても優秀な芸術家にはなれませんが、東京芸大を出れば優秀な芸術家になれる可能性が極めて高いのです。そして、あくまでも芸術家として優秀なだけであって、優秀な教師を育てる大学ではありませんので、中学教師として劣っていたとしても、まったく不思議ではありません。

ちなみに、私の中学時代の美術の先生は、当時、現役の東京芸大院生でしたが、実践的なことと芸術的なことの両方を楽しく学べる工夫をしてくださった、人としてもすばらしい愉快な先生で私は大好きでした。今は東京芸大以外の芸術系の大学などで教えながら、たまに展覧会を開いておられるようで、作風は変わりましたが、当時と同じジャンルの芸術を生み続けておられるようです。

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

ただし、東京芸大の、それも大学院卒の俳優である伊勢谷友介さんがテレビでおっしゃっていたと記憶していますが、東京芸大は貧乏人を算出する大学だそうです。つまり...続きを読む

Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Qインド哲学を学ぶとすれば、教授は二人以上いる大学を選んだほうが無難でしょうか?

私はインド・チベット仏教を専門に学びたいと考えている受験生です。私立大学を受験しようと思っているので、駒沢大学、東洋大学、早稲田大学を受験しようと思っています。
その中でも、早稲田大学は教授が一人しかいないようで不安があります。専門的に学ぶとすれば、やはり、教授が一人では不十分でしょうか。みなさんのご意見をお待ちしています。

Aベストアンサー

東洋大の印哲は創立以来の看板学部ですから、伝統も長く、インド哲学関係の教授陣は充実しています。ただ後期大乗仏教を専門としている先生はいないようです。

早稲田について知っていることを書きますと、インド関係を学ぶようになったのはここ三十年くらいのことでして、加えて他の教授の専門が道教・道学・日本仏教と妙に広範なので、どうしてもインド・チベット関係は手薄にならざるを得ないという事情があります。個人的には中国思想や日本思想も併せて勉強しておけば将来的に有益だと思いますが。そのため、勉強の仕方は基本的に放任主義です。ガッチリとしたカリキュラムはなく、先生に言われなくても自分でやります(というのが理想らしい)。例えばチベット語なんかも皆暗黙のうちに勉強しています、そうしないと授業についていけないので。

駒沢大は流石に仏教関係は充実しています。ただ宗派系のためか、中には過激な人達もいまして、仏教はチベット仏教と道元だけ、とか主張したり、なんでもかんでも批判して・・・。

結局、勉強は一人でするもので、高校みたいに授業を受ければよいというものではないと思います。本当は大学での勉強は、必要最低限の講義を受けて、示された参考文献を20~30冊程読んでブックレポートを書き、年間300冊以上の本を読むという風にしたほうがよいのですが。

どの大学を選ぶかは、自分の学力と好みとに相談して決めなくてはいけなせん。大学の雰囲気も極めて重要ですのでオープンキャンパス等の機会を利用するのが良いでしょう(5月30日に東洋大で真言の声明公演があります)。

東洋大の印哲は創立以来の看板学部ですから、伝統も長く、インド哲学関係の教授陣は充実しています。ただ後期大乗仏教を専門としている先生はいないようです。

早稲田について知っていることを書きますと、インド関係を学ぶようになったのはここ三十年くらいのことでして、加えて他の教授の専門が道教・道学・日本仏教と妙に広範なので、どうしてもインド・チベット関係は手薄にならざるを得ないという事情があります。個人的には中国思想や日本思想も併せて勉強しておけば将来的に有益だと思いますが。そのた...続きを読む

Q僧侶になる方法

大まじめにお坊さんになりたいと思っています。

修行やさまざまな苦行も承知の上です。

一般人からお坊さんになる方法を教えてください。

尚、当方、今秋から、京都で生活する予定です。

できれば、京都界隈での情報がありがたいです。

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは。

まず、どの宗旨の僧侶となりたいのかが大切です。
そして、僧侶になりたい宗旨の寺院をさがして住職に聞くことです。
どこの宗旨でもですが、一般的には末寺の住職に弟子入りすることから始まります。
弟子入りすることが出来れば僧侶になる道は開かれます。
直接、本山に入ることは難しいと思います。
なぜなら、その人を僧侶として育てる責任をもった後見者が必要となるからです。
後見者=師匠となるのです。
師匠の元で無事に僧侶となることができても、師匠とのつながりは一生です。
所属は師匠が住職を務める寺となります。
師匠の許しを得て、独立した場合でも所属は変わりません。
所属の寺の行事などに手伝いに出て、礼を尽くさなくてはいけないのです。
もし、礼を尽くさず、不義をはたらいたり、僧侶としての資質を損なえば処分を受けます。
処分とは僧籍剥奪ということです。
師匠が見放せば、僧侶の資格も無くなります。

私の寺でも僧侶になりたいという人がたまに来ますが、一番最初は人柄を見ます。
人柄を見て、その後に熱意でしょうか・・・。
僧侶の世界は戦国時代の殿様と家臣の関係によく似ています。
しっかりとした心構えを持たないと難しいかと思います。

こんにちは。

まず、どの宗旨の僧侶となりたいのかが大切です。
そして、僧侶になりたい宗旨の寺院をさがして住職に聞くことです。
どこの宗旨でもですが、一般的には末寺の住職に弟子入りすることから始まります。
弟子入りすることが出来れば僧侶になる道は開かれます。
直接、本山に入ることは難しいと思います。
なぜなら、その人を僧侶として育てる責任をもった後見者が必要となるからです。
後見者=師匠となるのです。
師匠の元で無事に僧侶となることができても、師匠とのつながりは一生です。
所属は師...続きを読む

Q数学的考えってどんなことですか?

幼稚な質問ですが、ご存知の方、教えてください。

私は学生の時、算数も数学もあまり興味がなくて微分/積分 関数、、、なんて
理解できなくても足し算/引き算あたりがわかれば生きていくのに
困らないだろうと考えていました。
しかし当時の数学教師が「数学的思考は人生の、きっと役に立つよ」と
教えてくれました。
成人した私は、しばしば周りの人間から「数学的考えができるね」と言われます。
自分では、何のことなのか、さっぱりわからないのです。
単に合理的、理論的という意味なのでしょうか?
そもそも、数学的思考って何なのでしょうか?
実生活で具体的に表現すると、数学的思考とはどういうことなのでしょうか?

Aベストアンサー

 
「数学的思考」と「論理的思考」はまた別なのですが、数学は論理的という考えが一般化しているようで、「違い」がどこにあるのか、なかなか理解しにくいようです。

簡単には、数学は論理的でもあるのですが、その使用する「論理」のレンジが狭いということがあります。「論理的思考力」は、もっとレンジが広く、広い世間知や経験や知識・教養などをベースにして、総合的に発揮される思考能力です。これは、数学の論理思考よりも、修得が難しいのです。

「数学的思考」とはどういうものか、とりあえず、それはデジタル的、解析的な思考法だと言えます。無論、数学的な形式論理思考は含まれます。

具体的に例で言いますと、何か会社で問題などがある時、その問題を、ステップや要素に分けて考え、問題の性質を、解析的に分析し、どう対応すれば問題が解決するか、ステップや要素の持つ意味や働きに応じて、「見通しの良い」回答が出せるような思考が、数学的思考と言えます。

「論理的思考」の場合、こういうデジタル的、解析的な思考も無論しますが、もっと総合的で、相互交差吟味などの内的検証や、無意識の直観の吟味など、非常に幅広い「思考力」を駆使して、ものごとの本質に迫ろうとする思考です。

数学的思考は、外から見ると、「問題の整理の仕方」が明晰、解決の筋道が、分かり易くステップ的デジタル的になているという風になります。実際、内部の思考処理でも、こういうことを行っていることになります。

これは自然科学の基本手法である、要素還元的な方法で問題を眺め、把握し、次に数学の問題を解く時のように、ステップ的な回答を出すような思考で、これが、数学的思考的だということになるのでしょう。

数学的な思考は、ある意味で、形式的な思考で、綺麗に問題を把握してエレガントな回答を出すように見えますが、総合的な論理思考ではないので、抜け落ちが出てきます。

数学的「形式性」の限界というか弊害があるのです。これは、あの人は、堅苦しいことを考える人だという評価にもなりますし、思考の余裕が狭いという評価にもなります。

質問者が述べている通り、「数学的思考」は、足し算引き算程度でも実は十分なのです。無論、証明のステップ的思考法というのは修得していなければまりません。しかし、訓練しなくとも、そういうステップ的思考が馴染んでいるという人もいるのです。

(金銭の損得問題で、どうすれば得か、ということを真剣に考えていると、微積分など習わなくとも、こういう思考は訓練されます。逆に微積分はできるのに、お金の損得勘定ができないという人も結構います。高校・大学程度の数学だと、答えが分かっているものがほとんどで、「解き方のテクニク」などがあります。しかし、現実世界の金銭問題は、場合場合で問題が異なり、正解のない問題もたくさんあるのです。こういう問題には、学校数学の思考法や解法テクニクはあまり意味を持ちません)。

問題について、デジタル的、つまり数字的に考え把握し、数字の計算をきちんと行っているというのが、おそらく、他の人に「数学的考えができる」と言われる根拠だと想定します。これは関係ない要素を切り捨てて、数値的に評価できる面を思考するということでもあるのです。

他の人は、人間関係の問題とか、感情の問題が入って、なかなかスパっと割り切れない問題を、数やステップで置き換えて、スパっと切って回答にするという「合理的」問題思考だと、数学的考えが得意という風に言われると思います。

数学と論理の関係は難しいです。以下の質問のわたしの回答も参照して見てください:

>No.272799 質問:(^_^.) 数学がよくできる人って、ほんとうに頭がよい人??
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=272799
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=272799

 
「数学的思考」と「論理的思考」はまた別なのですが、数学は論理的という考えが一般化しているようで、「違い」がどこにあるのか、なかなか理解しにくいようです。

簡単には、数学は論理的でもあるのですが、その使用する「論理」のレンジが狭いということがあります。「論理的思考力」は、もっとレンジが広く、広い世間知や経験や知識・教養などをベースにして、総合的に発揮される思考能力です。これは、数学の論理思考よりも、修得が難しいのです。

「数学的思考」とはどういうものか、とりあえず、...続きを読む


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