No.14ベストアンサー
- 回答日時:
No.7ですがちょっと補足します。
哲学的な疑問の場合、答えが目の前にあってもそれを理解するためには理解する者の機が熟していることが必要です。人は自分のレベルでしか理解出来ません。
つまり、世の中に用意された選択肢の中から答えとして選び出されるのはその人が今到達している精神レベルに他ならないということです。
例えば、世界の真理は「A」だと信じていたとします。
ところが、何年かして、一見矛盾しているように思えていた「B」も真理であったことに気が付きます。つまり、AとBを合わせた「C」が真理であったと。
更に何年かすると、全く予期していなかった「D」も真理であったことに気が付きます。つまり、CとDを合わせた「E」が真理であったと。そして更に・・・
人は若いほど狭い視野で世界を見ています。
世界の真理を「A」だと信じている人にとっては、AとBを合わせた「C」を真理であると肯定することはできません。よってこの人が否定するので「C」は、
『【1】だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。』
の「だれも」に当てはまりません。
「E」においてはもっての他です。
しかし、無知であることは真理ではないことの理由にはなりません。
『【1】だれも・・・』は、「人が本当に理解したとき」という言葉が省略されていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
キッチリした答えが欲しい気持ちは分かりますが、
探し求めている「真理」の答えは曖昧さを含んだものなのだと思います。
「いろいろな考え方がある」としか表現しようのない曖昧さが実は一つの真理だったりします。
人にはまだ知り得ない真理(の1つの側面)というものがあります。
だから人はどれも真理(の1つの側面)に違いないのに否定しあったりしている。
そして人は曖昧さの許容というものをだんだん言葉ではなく理解していく。
そんなものだと思います。
No.18
- 回答日時:
こんにちは。
はじめまして。ideaismさんは、『三酸図』という絵があるのをご存知ですか?仏教の中でも禅宗系の水墨画で、室町時代から江戸時代にかけてよく描かれて親しまれました。
絵には、釈迦と孔子と老子が一緒に大きな瓶の前に立っています。その瓶の中には酢が入っています。釈迦は、これを舐めて「ウン、酸っぱい」と言うわけです。すると、孔子は同じように舐めて「そうよね、酸っぱいワ」と言い、老子も「ホントホント、マジ酸っぱい」と、満場一致で「酢は酸っぱいのだ」ということが決定するという、賢者が三人揃って、まあ、当たり前のことを言ってる瞬間の絵です。
この絵が言わんとしているのは、宗教は違えど、「酢は酸っぱい」という真理は変わらないということ、言い換えれば、それぞれの教祖の語ることの真髄は同一である、ということを例え話にしたものです。昔から人々にはやはり「真理はひとつ」という概念があって、宗教の違いでケンカしたり軽蔑してはいけないことを、ちゃんと知っているのですね。
それでは、真理とは何か。それはきっと哲学であり、文学であり、農業であり、畜産であり、科学であり、魂であり、細胞活動であり、宇宙に存在する数え切れない程の生命活動と霊的なものの総合体でしょうから、あまりに壮大すぎて私には何が何だか分かりませんが、何らかの生なり物質なりが存在する以上、「真理」というものは確かに存在すると思います。
「ひとつ」といえば、宗教というものは、その多くが「死」を一つのキーワードにして成り立っているようにも思われます。釈迦が「生・老・病・死」を東西南北の門に見、それによって出家した四門出遊の逸話、そしてダイナミックな涅槃、キリストの磔刑および最後の審判、ピラミッドや古墳という人類の遺産がそれを物語ります。
死について話すのはあまりにおこがましくて、気持ちのいい話ではありませんが、宗教というものは、死という絶対的なものへの恐れから、望ましい生の在り方へ、何らかの模索をする存在なのかもしれません。
自分が何教徒であるかなんて無自覚であっても、人が亡くなればその大事を見送るためにお葬式をします。それは各国そうであって、キリスト教徒は彼らなりの(もちろん一絡げにはできませんが)、イスラム教徒はその習慣に合ったお葬式をします(ここでは「葬式仏教」の問題については他日に任せましょう)。
つまり、宗教はツールであると思います。軽い言い方に聞こえるかもしれませんが、人間が生きるために利用する生活の糧や、権力を支えるものであり、また、死者や大いなる力との交信に用いてきた道具のようなものではないでしょうか。敢えて「真理」という言葉と結びつけるのなら、宗教は「真理」へ到達するための手段として、人間が作り出した「梯子」のようなものと私は考えます。ただ、その梯子には色々と凝った仕掛けがしてあります。単に細くて長い梯子を一歩一歩登っていくものもあるだろうし、端っこに付いているボタンを押して呪文を唱えたらワープする梯子かもしれない。いつの間にかとんでもない方向に反れて真逆様に落下する梯子かもしれない。色々な梯子があります。
宗教と真理は別物であって、「宗教=真理」ではなく、「宗教=真理に到達する手段」。これが、世界中に数多の宗教が存在する理由であると私は考えます。一生懸命作りあげた梯子ですから、出来るだけ良い設置場所を確保したい。その場所をめぐってお互いにケンカしたり、弱い立場の者を迫害してしまうのかもしれません。
さて、どの梯子に登るか。梯子に登るには多少の交通費が掛かります。お布施や会費などの心づけが必要です。とはいえそれは、あくまでも梯子の維持費であり運営費です。支払ったからといって真理への道が保証されたわけではありません。さあ、どの梯子が真理へと導いてくれるのでしょうか?・・・・・私には見当もつきません。ただ、広い意味で宗教は、生活必需品として、そしてひとりひとりが発展していくための手段として、人間にとって必要不可欠な存在であるような気がします。
ideaismさんはどう思いますか?
No.17
- 回答日時:
たぶん「世界の真理」は一つでしょう。
でも、人間の口や手から出ることのできる「世界の真理」は無いでしょう。
宗教の目的も、真理を教えることではないでしょう。
何個あってもいいです。
回答ありがとうございます。
>宗教の目的も、真理を教えることではないでしょう。
そうかもしれません。
何人もの天才科学者が長年かけて、物理に挑んでも真理にはまだまだ遠いのですから、一人の宗教の教祖が知っている保障などないですしね。
「宗教の目的は真理を教えることではない」と考えるとすっきり解決します。
ありがとうございました。
No.15
- 回答日時:
こんばんわ、疑問はつきませんね。
さてご質問の件ですが、私自身あまり哲学は勉強したことがありませんので、何ともいえません。学生時代に、構造主義・記号論に傾倒したときがあります。その観点で、意見を述べさせていただきます。
今、現在を読み解くときに、持ち出されるのが、「構造主義」です、私自身あまりよく理解しているとはいえませんが。「構造主義」では、あまり「真理」という観点がありません。真理は我々それぞれの中にある。そして、世界はその我々、多くの人の集合のお互いの関係の中にあると考えていると思います。
たとえをあげるならば、「正しい日本語」と言う実態はどこにも存在しない、あえて言うならば、「日本人」を集めて集合を作り、その中心に一番近い位置に確率論的に存在するのが、論理の上の「正しい日本語」です。この「正しい日本語」も時代が経ち、構成要素である「日本人」が変化すれば、当然変わってしまいます。
このように、現状追認的な哲学が「構造主義」であると認識しています。であるので、古典哲学・ギリシャ哲学のように、この世の中には「真・善・美」といった絶対的な「真理」があり、それを具現化したのが「神」であるといったものとは異なるものなのかなとおぼろげながら考えていました。(「神は死んだ」いったのはニーチェでしたっけ?)
一方、宗教ですが、宗教と哲学の違いは、死後の世界を扱うか否かであると認識しています。哲学の立場としては「君子は怪神乱力を語らず」と言う言葉もあるように、論議しても始まらないことは対象としません。一方宗教は「死後の世界」も扱うと思います。
そういった意味で、宗教と哲学とは両極端にあるものだと解釈しています。
(ごめんなさいね、酔っぱらった勢いでよく分からないことに首を突っ込んでしまいました。)
回答ありがとうございます。
私が注目したのは
>「正しい日本語」と言う実態はどこにも存在しない、あえて言うならば、「日本人」を集めて集合を作り、その中心に一番近い位置に確率論的に存在するのが、論理の上の「正しい日本語」です。この「正しい日本語」も時代が経ち、構成要素である「日本人」が変化すれば、当然変わってしまいます。
これは、納得です。
今まで、「言葉の乱れ」とか「正しい箸の使い方」などに疑問をもっていました。
言葉なんて、時代によって変化しているし、方言だってあります。箸は使わない民族の方が圧倒的に多いですし、誰が「これが正しい!」と決めたのか多いに疑問でした。 「構造主義」というのですね。
ありがとうございました。
No.13
- 回答日時:
地球の枠を超えて、絶対的な真理は1つだと思います。
そしてこれは信じるものではないということ。
真理を表現した時点で真理そのものではなくなりますが...。
宗教を超えた世界がそこにはあると思います。
>地球の枠を超えて、絶対的な真理は1つだと思います。
>そしてこれは信じるものではないということ。
私もこの意見に賛成です。
20世紀の相対論・量子力学などの飛躍的な進歩により真理が少しずつわかり始めてきましたが、まだまだ、わからないことや間違ってそうなことも多いです。
回答ありがとうございます。
No.12
- 回答日時:
一つ目の質問
「世界の真理」の前に、この質問で言う「世界」とは何か?「真理」とは何か?という問題を先に解決する必要があると思います。
それらの定義を定めることができたのならば、その次の段階として「世界の真理」について考えることができるでしょう。
二つ目の質問
私は宗教に精通していませんし、そもそも宗教が真理というものについて教えているかどうかも定かではないのですが、それぞれの宗教が異なったアプローチで「一つの真理」について語っているという可能性も考えられるのではないでしょうか?
その場合は「一つの真理」を教えている宗教は複数あっても不思議ではないと思います。
追伸
早く「真理」を知りたいという気持ちは分かりますが、それは一足飛びの思考で解決できるものではないようです。
疑問が沸いた時には、その疑問は何についての疑問なのか?現在手元にある材料で解決することは可能なのか?
足りないとしたら先立って何が必要なのか、ということを一つ一つ丹念に解決していくことが重要かと思います。
いずれにせよこのような類の疑問は大抵の場合、結果がすぐに分からなかったからといって実生活に直接的に支障が起こる訳ではありませんし、時間をかけても許される物事は極力丁寧に進めましょう。
No.11
- 回答日時:
うまくお答えできるかどうかわからないのですが、興味深い御質問ですので考えてみました。
真理はひとつ かどうか。
これは、わたしにはわかりません。
ただ、仏教のほうで申しますと、「仏の教えはひとつであるが、人間は様々なので、仏教の到達点(成仏といいます)にいくためには、様々な形をとって教えられる。(インド哲学の唯識論もあれば、ヨガもあり、浄土宗もあり、おどる宗教もある。。といった具合です。)それは、山の頂上はひとつだが、登る道は多様であるのと同じことだ。」ということです。
以上は、仏教というひとつの教えから言いましたが、これをキリスト教、イスラム教、仏教、神道などに援用してみてはいかがでしょうか。
もうひとつ言えることは、ほとんどの信頼できる宗教では、宗教的真理 は、超越者の側にあり、現に生きている人間は、その真理にそのままのかたちでふれることはできないのだ という考え方をとるところが多いようです。つまり、人間はいろいろな形で真理の「かげ」をつかまえることはできるが、真理そのものにはふれることができない、ということのようです。
超越者に 直接ふれることができない、という「謙虚さ」の自覚と、そういう人間でも、超越者のかげをみることができるという「信頼」が、信仰の根拠になっていると思います。そこが、「唯一の真理」をいま、生きている人間の手でつかまえようとする哲学と、宗教との違いだと、私は理解しています。
お答えになっていないかもしれませんが、いかがでしょうか。
回答ありがとうございます。
>山の頂上はひとつだが、登る道は多様であるのと同じことだ。
『地図の例え』同様、わかりやすい例えですね。
そして
科学・哲学は「唯一の真理」を人間の手でつかまえようとしていて
宗教は「真理」は超越者の側にあり、人間は真理そのものにはふれることができない
と考えるのですか。
参考になりました。ありがとうございます。
No.10
- 回答日時:
#6です。
真理が一つか?ということについて、もう少し述べます。物理学における基本法則を真理に見立てて話を進めます(実際、真理に近いものがありますので問題ないでしょう)。
物理学という学問は、自然界の仕組みを解き明かそうとする学問です。量子力学・熱力学・電磁気学などなど多くの分野があり、それぞれに基本法則を持っています。現在の方向として、統一理論を完成させようという動きがあります。統一理論とは、今まで諸分野に分かれていた物理学を一つにまとめよう(同じ基本法則で記述しよう)というものです。まだ完成していませんが、少しづつ進歩しています。
つまり「真理がたくさんあるのが現状で、それを一つの真理に集約しよう」としているわけです。さて、統一理論が完成したあかつきには、物理の諸分野は消滅してしまい、統一理論だけが残るのでしょうか?そうはならない、というのが一般の見解です。例えばニュートン力学。普通に中学高校で習う力学はニュートン力学です。この運動方程式は完全に誤りであることがアインシュタインによって示されてから百年程経ちます。しかし今尚、古典力学ではニュートンの運動方程式は基本法則(真理)として扱われています。本当です(学校で教えているくらいですから)。それは、ニュートンの運動方程式が正しい世界が存在するからです。身近な問題を考えるのにアインシュタインの相対性理論を持ち出しても、ばっさばっさと近似をかまし、結局ニュートンの運動方程式の形になるからです。
これはあくまで物理学という一つの狭い学問内のでの話ですが、私はこれが宗教の話にも当てはめることが出来ると考えています。つまり、「究極の真理が存在するかもしれないが、それは現存する真理を集約したものになるので、現在する真理が否定されるわけではない。究極の真理が現存する真理を否定したとしても、それはある一面の真実を捉えたものであることに変わりは無いので、真理かそれに近い形で残されるだろう。」ということです。
ただし、物理学と宗教を並べる時に気をつけなければならないのは、「真理」の捉え方です。物理学は自分達の真理が本当に真理であるのかを判定する客観的な手法を持っています。ですから相反する「真理」が現れたとき、どちらが本当の真理かを客観的に判断できます。宗教の場合それがありません。究極の真理が見つかったとして、それが本当に究極の真理なのか判断できる人はいないということです。その辺を踏まえて判断してください。
余談ですが、そう考えると「宗教の真理なんて星の数ほどあり、皆が勝手に自分好きなものを真理だと思っている」くらいが平和で良いのかもしれませんね。
>「真理がたくさんあるのが現状で、それを一つの真理に集約しよう」
なるほど。
実際に真理が一つかどうかは別として、多くの人がそれぞれに真理(だと思っているもの)を持っているため、現状は真理はたくさんあるのですね。
>「宗教の真理なんて星の数ほどあり、皆が勝手に自分好きなものを真理だと思っている」くらいが平和で良いのかもしれませんね。
そうですね、歴史を振り返ってみると宗教どうしの争いが多いので、それぞれが自分の好きなものを(例え本当の真理ではなくても)真理だと思って信じている方が戦争にならずにいいのかもしれないですね
ありがとうございました。大変参考になりました。
No.9
- 回答日時:
興味深い内容なので私も参加します。
まず、世界の真理は一つかという前提ですが、実際には真理はいくつもあるのではないかと思います。
例えば、世界地図を見ると、メルカトル図法やモルワイデ図法、エケルト図法など様々な図法による地図があります。
それらすべてが「正しい」世界地図ですが、何を見たいのか、その目的によって形はずいぶん異なります。
(例えばメルカトル図法なら南北が直角になりますが、面積はずれます。モルワイデ図法だと面積は正確ですが、地形がゆがみます。)
真理もこれと似ていて、どの立場から何に焦点をあてたいのかによってずいぶん異なった真理になるのでしょう。
人間が何かを認識しようとすると、何らかの立場に立たざるを得ませんから、その立場に真理のあり方も縛られるのだと思います。
ですから、世界各地で様々な宗教が、それぞれの真理を謳っているのはごく自然な事だと思います。
そして、それぞれの真理がすべて当たっているともいえます。ただし異なる立場の相手にとっては真理でなくなるでしょうけど。
地球を描くための世界地図の例えは非常にわかりやすかったです。
ということは、
真理を描くための地図は、『物理学図法』や『キリスト教図法』、『仏教図法』に『イスラム教図法』などいくつもの描き方があるということになりますね。
これは非常に興味深いです。
私は物理専門のため、『物理学図法』で今まで真理というものを見てきましたが、『物理学図法』はまだまだ、完全ではなく地図は完成してません。
『物理学図法』を見慣れている私が、『キリスト教図法』を見ると非常に違和感のある地図のように感じますが、『物理学図法』では表しにくい別の観点から「真理」をみているからでしょうか。
反対に『キリスト教図法』では表しにくい「真理」を『物理学図法』は表現できています。
ちなみに、日本地図は伊能忠敬がきちんと測量するまで、へんてこな形で完成してませんでした。
現在の真理を描く地図もまだ完成してなく、伊能忠敬以前の地図かもしれませんね。
ありがとうございました。ためになりました。
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