

No.13
- 回答日時:
真理を知らない人にとっては、真理は謎です。
しかし謎であるが故に、暴くことができることを、真理を知らない人は、知っています。そのようにして、真理は知られうるのではないでしょうか。
No.12
- 回答日時:
「しかし真理について語っている人もいるね」
「はい」
「彼らは、真理について知らないで語っているのだろうか」
「全く知らないで語っているとすれば、妄想でしょうね」
「となれば、知っていて語っているというのかな」
「少なくとも、知ったつもりでいるのでしょうね」
「少なくとも、か」
「ええ。一知半解といったところでしょう」
「それでは何も知らないに等しいのではないのかな」
「しかし、大勢の人が語れば、一知も大きくなると思います」
「群盲象を撫づ、だね」
「なにしろ、真理について的外れなことを言う人もいるでしょうからね。完全に知るのは難しいでしょう」
とまあ、私の考える限りではこんな感じですね。

No.11
- 回答日時:
真理 もし正確に知ろうとするならすべての事について知っていなければならない。
それもまちがいなく正しく、もし間違いならばそれは真理ではないですよねすべてのことを間違いなく、正しく知りうる事ができるのでしょうか?
No.10
- 回答日時:
真理は、楕円形です。
楕円形には中心点が二つあります。
どちらの中心点に立ってても、自分が立っている中心点が真理だと思い込んでいます。
このように言うと、真理は一つではなく「真理は相対的」であると言う事ができます。
真理の探究は人類の長い歴史を経て、止まることなく続いています。
真理を知りえたと思った時に、真理で無くなります。
No.9
- 回答日時:
こんにちは。
真理を知るものはいるのでしょうか?
また真理を見たものはいるのでしょうか?
真理を知らないから探求があって,
吟味し,苦心する。
見たことのないもの。
存在するかどうか不確定なもの。
しかし,森羅万象万物には真理があると思う。
それは本質と言い換えてもいいでしょう。
つまりその物事において,
小さなものから大きなものまでの取捨選択があり,
それを何億と積み重ねて行く中での,
最善といいますか,
その理にかなった道を選んで
行くこと。
そこに真理=本質というようなものが存在するはずです。
だだし,それは結末にだけ存在しえるものでもなくて,
その過程に現れるものかもしれない。
数あるパターンの中の道や考えを選ぶこと,
それはその人においての輝かしい人間的本質を垣間見ることができるのではないか?
私の言うことは矛盾である。
矛盾であるが,その矛盾は架空の矛盾ではない。
厳然たる,聡明な矛盾。相互的成長のある同時性。
真理について知っているものは真理について語らないだろう。
真理について知らなければ,望めば良いだろう。
ただし「もし知っているなら、知る必要もない」ということは起こりえないはずで,
知っているものは知っているからこそ知る必要に迫られるはずなのではないでしょうか?知るが故のモノ。
本当に面白い質問ですね。参考になれば幸いです。
No.8
- 回答日時:
真理とは、普遍的に変化しないことが必要十分条件ではないかと思います。
「人間には酸素が必要である」というのは真理と言って良いでしょうが、これは「>もし知っているなら、知る必要もない。」という場合に当てはまることになるのでしょうし、それはそれで別に問題はないでしょう。
一方の
「>まったく知らなければ、知ろうとしない。」というのはどうでしょうか。
「真理は知りえるか」という疑問が発せられる場合、未だ知り得ていない真理を指すことになりますから、
「ある事柄に関連して普遍的に変化しない法則があるはずだ」という推測(仮定)を前提にした疑問と考えることができるように思います。
「>真理について語ろうとする」ことは、この推測を証明しようとする(または、この推測が誤りであることを証明する)試みに他ならないわけです。
この試みによって真理が解き明かされることもあるわけですし、
【真理そのものを全く知らないからといって「>知ろうとしない」】という論理自体に誤謬があるような気がします。
もしも真理があるのであれば(可能性として)知り得る、というのが正しい結論でしょう。
ただ、
「まったく知らなければ、知ろうとしない。」というのが、
「真理があるかどうかという認識を持つ(疑問を持つ)という事に関してまったく知らなければ、知ろうとしない。」
という意味であれば論理的と言えるでしょう。
しかし、その場合「知り得ない」のは当然であって、
「>真理は知りえるのでしょうか」という問い自体に意味が無いことになると思います。
No.6
- 回答日時:
真理は知り得るか、、、。
この命題を考えるとき、二つの答えが考えられます。
(1)「真理は、知り得る」
(2)「真理には限りなく近づけるが、知り得ることは出来ない」
この二つの違いは、学問分野の違いです。
(1)は、自然科学分野、(2)は人文科学分野です。
自然科学において「1+1=2」なのです。
これは、何度計算しても「1+1=2」です。
「リンゴ」は必ず上から下に落ちます。
何度おとしても、必ず上から下に落ちます。
これを、ニュートンは「万有引力の法則」としました。
自然科学の分野では、何度やっても「再現できる」ことが真理となります。
その「真理」を発見して、人類は「自然科学的発展」をしてきました。
しかし、(2)の分野である「人文科学」の場合、「1+1」が必ずしも「2」となるとは限りません。
「明るい色の服が流行したら、経済は上向きだ」という「真理」を「仮定」したとします。
しかし、「A国家」についてはいえるが「B国家」については言えない場合があります。
「民主主義は平和をもたらす」という「真理」を「仮定」して調べてみたら、「Aという時代は平和だったがBという時代には機能しなかった」ということもあります。
その中には、色々な「要因」があるかもしれませんが、その「要因」自体を「再現」することは「困難」なため、なかなか「真理」に到達し得ません。
以上の事を念頭に置いて、言い換えてみます。
>真理について語ろうとする時、すでに真理について、認識していることになる。
これは、「真理について語ろうとするとき、認識していることを真理として仮定して語ることになる」
と言い換えます。
>もし、まったく知らなければ、知ろうとしない。
これは、「仮定」すら立てられない状態なので然りでしょう。
>もし知っているなら、知る必要もない。
これは、「仮定を確認するために、知ろうとしなければならない」
だと思います。
>真理は知りえるのでしょうか。
「自然科学分野」について真理は知り得るが、「人文科学分野」については知るのは困難である。
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