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以前から疑問に思っていました。
世界の真理は一つのはずなのに、なぜ真理をうたう宗教・宗派がこの世にいくつもあるのか?と

各宗教の教えがバラバラですが、真理を教えている宗教はこの世に1つ、または0になるのでは・・・

質問は
まず「『世界の真理は一つ』という前提はあってますか?それとも真理はいくつもあるものなのですか?」

そして「『世界の真理が一つだとしたら、この世の宗教・宗派の中で真理を教えているのは1つ、または0』というのはあってますか?」

お願いします。

A 回答 (18件中11~18件)

真理は一つであることを信じたいと思います。


では、真理を教える宗教は一つか。
第一に、真理が表現可能であることは、必ずしも保証されていません。
第二に、真理を表現する方法が一つであることも保証されていません。
さらに、真理の表現は真理そのものではありません。
そんな事情から、宗教の優劣を論ずることはできないのだと思います。
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「普通、物事にはいろいろな考え方がある」


一つの真理だと思います。
そしてそのいろいろな考え方に従っていろいろな宗教が存在する。

だからそれぞれの宗教は真理と言えば真理だけど
どれもそれが全てではない。

質問の答は、
まず『世界の真理は一つ』という前提。
「いろいろな考え方がある」という「一つの真理」によればあっている。

そして『世界の真理が一つだとしたら、この世の宗教・宗派の中で真理を教えているのは1つ、または0』
同じ理由により間違っている。

種を明かせば、
宗教で「真理」だとうたっているのは、=「一つの考え方」にすぎない。
なんてね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「普通、物事にはいろいろな考え方がある」が真理であるかどうか?考えてみました。
真理の定義を調べてみますと
『真理』
【1】だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。
【2】(1)思想と事物の一致。
(2)ある思想が他の命題と整合性のあること。
(3)ある思想が有効な働きや結果を示すこと。

と考えると、多少のずれがあるように思います。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2003/09/28 12:15

> まず「『世界の真理は一つ』という前提はあってますか?それとも真理はいくつもあるものなのですか?」



その前提は間違っているでしょうね。名探偵の少年が叫んでいるのは「真実は一つ」です。真理じゃありません。そして、いくつあるかというと、一つ以外ですよね。ゼロかたくさんか、どちらかです。数えた人はいないと思います。私も知りません。

> そして「『世界の真理が一つだとしたら、この世の宗教・宗派の中で真理を教えているのは1つ、または0』というのはあってますか?」

この世の宗教は、真理が一つではない世界にあります。真理が一つではない世界の宗教が、この世の宗教と同じか違うかは、その世界に言ってみないと判りません。


う~ん、回答になってるのかなぁ…
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この回答へのお礼

ユニークな回答ありがとうございます。

その名探偵の少年は「真実は一つ」と真実に関してはコメントしてますが、「真理」に関しては何も言ってないから、「真理はいくつ」なのか聞いてみたいところです(笑)

お礼日時:2003/09/26 13:16

世界を「地球」ととらえると当然真理は一つではなく、国によって人によって地域によって違いますよね。



全ての世界ということで、創造主?という大きい目で見れば真理は一つでしょう。私個人の考えは、世界は創造主の表現の一つで、すべてみんな根っ子でつながっている、つまり全て創造主であって、みな「私」という自分を演じているととらえています。イエスにしても仏陀にしても、より創造主にちかい人間で真理を知った人だと思いますが、そのことにとらわれすぎるのはどうかなと。
自分自身が真理に近づくという行為は素晴らしいですが、それが山ごもりだったり、厳しい修行だったりする必要はなく、その人たちはそれこそ「そこまでしないと真理を知りえないよほどの人」ではないかとも考えてしまいます。

大きな大きな目でみたときの真理は一つ。愛(慈愛)かと。

ただそのとらえ方が宗教、宗派によって違うとは思います。真理はあまりに大きく、どの面からでも語れますので、逆に言えば、真理を教えている宗教は沢山あるともいえます。ある宗派はA方向から説明を、ある宗派はその裏面から説明を、ある宗派は真理の一部を。それでも真理には違い無い。

「慈愛をもって人を救う」ということでも
「自分を犠牲にしてでも人を救う」というものと
「まず自分が救われる、すると周囲も救われる」という違う行為になったりしますよね。どちらも大きな目でいえば「人を救っている」のですが、それをどちらが正しいとか言い出すところが人間の心の狭さでしょうね。

という訳で、私の解釈では
「真理は一つ、殆どの宗派が真理の一部、もしくは側面を教えている。…が、完全ではない」というところです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「真理は一つ、殆どの宗派が真理の一部、もしくは側面を教えている。…が、完全ではない」

なるほど。
殆どの(全部でないところがミソ)宗教は真理の一部や側面を教えている。
そして、「完全ではない」というところも納得です。
科学者も宗教家も完全な真理を教えているものは、まだ無いのではないかと私は思います。

>大きな大きな目でみたときの真理は一つ。愛(慈愛)

「愛が真理」というのは、そうであって欲しいとは思いますが、科学を勉強してきた小生にとっては残念ながら「愛が真理」だとするような法則・現象はまだ見つかっていないようです。

ちなみに、興味があって先ほど調べてみたのですが、科学者のいう「真理」と哲学でいう「真理」とは若干ニュアンスが違うようです。

科学の真理:だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。

哲学の真理:(諸説)(1)思想と事物の一致。(2)ある思想が他の命題と整合性のあること。(3)ある思想が有効な働きや結果を示すこと。

ありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2003/09/26 13:51

世界を一つとした時に限り、真理は一つです。


でも世界はあらゆる存在にとって違うものです。
全く同じ時空間を共有する存在はありませんから。
誰にとっても、自分と他人の世界は違うのです。
したがって真理は一つではありません。
「世界の真理は一つ」は、唱える人にとってしか正しくないのです。

すべての存在と時空を共有する存在があるとしたら、神と呼んでいいと思います。全ての「世界」を一度に認識できるその存在にとっては「世界の真理は一つ」です。
でもその存在とすら、自分が見ている世界はやはり違うのです。
神と同じ視点に立たなければ。
これが「世界の真理は一つ」と唱える人の目指す所でしょうね。
「世界の真理は一つ」は人にとっての真理ではありませんが、理想であり信念なのです。
彼らにとっては自分がそれを目指すかどうかであって、正しいか間違いかではないのです。

「真理」として他人に押し付けてくる奴を見ると、蹴り飛ばしてやろうかなと思いますが。
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まさにこの疑問に、答えなり、ヒントを与えてくれる宗教・宗派・哲学は真理に近いような気もします。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですよね。
とかく宗教は「信じなさい」とか「祈りなさい」で、こういった疑問に答えてくれるものはほとんど無いような気がします。
ありがとうございます。

お礼日時:2003/09/26 08:28

真理が1つでもそれを解釈する人は


いろいろなのでバラバラ
になるのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「真理は一つ」「解釈は様々」ですか。
なるほど、そういう見方もできますね。

お礼日時:2003/09/26 13:19

真理は一つというのに無理がありますよね。


でも、今の宗教は真理云々ってよりも、儀式、や形式重視なので、真理がひとつかどうか、ほとんど意味が無いような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なぜ、『真理は一つ』に無理があるのでしょう?
もう少し、理由など聞いてみたいところです。

お礼日時:2003/09/26 01:53

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