OCN光で最大124,800円おトク!

幕末の歴史本などで「倒幕」「討幕」と二種類の表記があるようですが、
これは歴史学などの世界で厳密に分けられて使われているものなのでしょうか?
もしそうならどう違うのか、意味合いの方を教えていただけるとありがたいです。
字面で見れば軍をくりだした後は討幕かと思うのですが・・・

A 回答 (3件)

ご質問の通り、武力の使用を伴うか、伴わないかという点が異なると思います。



「倒幕」:例えば反幕府勢力の力を集めて、密かに幕府の支配を終わらせる行動(密議など)をする場合は、「倒幕運動」となるでしょう。

「討幕」:軍を集めて武力で圧力をかけ、場合によっては武力で幕府を攻め滅ぼす場合。

ポイントとして、天皇から幕府追討の院宣が出た後でないと、反幕府軍は「官軍」になりません。(単なる武装集団)
武力による行動を伴う場合でも、朝廷より幕府追討の院宣が出るまでは「倒幕」(クーデターに近い)で、天皇から幕府追討の院宣が出た後は、反幕府軍が正式に「官軍」になり「討幕」になると思います。(つまり討ち滅ぼして良い)
    • good
    • 5
この回答へのお礼

なるほど・・・やっぱりそのあたりで意味が分かれるんですね。
わかりやすいご説明ありがとうございました!
官軍も、ちょっと気になっていたのでよくわかりました^^
院宣、ほんとにポイントですね。。

お礼日時:2003/02/24 00:35

分からなかったので辞書で検索してみました。


gooの辞書(三省堂)では

【倒幕】幕府を倒すこと。

【倒す】4)相手を負かす。やっつける。「敵を―・す」「横綱を―・す」
    5)国家などを崩壊させる。「幕府を―・す」


【討幕】幕府を討つこと。幕府を攻め討つこと。「尊皇―」

【討つ】1)(「伐つ」とも書く)相手を攻め滅ぼす。「敵を―・つ」「賊 
      を―・つ」
    2)斬(き)り殺す。「首を―・つ」

となっていました。これからすると、前者より後者の方が強い意味って感じがしますね。前者は首脳陣を退かせるだけで、後者は関係者皆殺しみたいな…。あくまでもこれは私のイメージですけど。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

お答えありがとうございます!
なるほど・・確かに討つほうが強い意味合いがありそうですね。。

お礼日時:2003/02/24 00:37

 はじめまして。

スコンチョといいます。(^_^)

 個人的な意見ですが、「倒幕」「討幕」は同じ意味(江戸幕府を終わら
せる)と考えて良いと思いますよ。

 強いて漢字から意味を探れば「倒」は逆さまにすること、「討」は刀で
斬りつけるとか、憎い相手を討ちとるという意味のようですね。

スコンチョ
    • good
    • 1
この回答へのお礼

はじめまして。お答えありがとうございます!
確かに本とか読んでいると、同じ意味で使われてるっぽいものもあるんですよね・・(^^;;
分けて考えるところと、そうでないところがあるって感じなんでしょうね。
漢字からの意味も興味深いです。

お礼日時:2003/02/24 00:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q兌換紙幣と不換紙幣って??

高3です。
日本史の授業で今日先生が言っていた「兌換紙幣」と「不換紙幣」の意味がよくわかりません・・。
金や銀に換えることのできる紙幣、というようなことを言っていたと思うのですが、どういうことなのかいまいちイメージがわかないのです。。
こんな私にもわかるようにかみ砕いて説明して頂けませんか?
よろしくお願いします(>_<)

Aベストアンサー

 再び失礼します、No.7です。

 不換紙幣の発行理由ですが、自信がなかったので検索をかけてみたら、こんなページを見つけました。下の方に書かれています。

 このページは分かりやすいと思います。(わからない部分があれば、また補足をください。可能な限り回答します。)

 以上、参考にしてくださいね、これで失礼します。

参考URL:http://www.findai.com/yogo/0013.htm

Q明治維新・倒幕の理由

明治維新をあまり知らないのですが、当時、倒幕のための戦いをしていた薩摩藩や長州藩の人達は大政奉還の後、明治政府の今で言う、総理大臣、経済産業大臣、厚生労働大臣などになったのですよね?
てことは単に力ずくで名誉が欲しかったので倒幕戦争を起こしたということでしょうか?
坂本竜馬だけがそのようなものに興味がなかったというのも聞きました。
わかる方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>単に力ずくで名誉が欲しかったので倒幕戦争を起こしたということでしょうか?

基本的には、質問者さまの考えで正しいでしようね。
徳川家に対する積年の恨みを晴らすとか、低下した幕府を改革するとかは「後世に誕生した話」です。
江戸時代は、徳川家を盟主とする各藩の連合国家です。
各藩は、一種の独立国家ですね。
そうすると、力のある藩は「弱体化した幕府に代わって、政治を行ないたい」との考えが生じます。
その為には大義名分が必要ですから、天皇家が望む「攘夷」に便乗(当時の多くの藩は、攘夷は不可能と考えていました。明治新政府が、すばやく国際化を目指した事でも理解できます)したようです。

幕府を倒し、明治新政府が誕生しても、政府内では「出身藩毎に政争」が多かったようです。
これも、政府内での藩を基準とした主導権争いです。

>坂本竜馬だけがそのようなものに興味がなかったというのも聞きました。

竜馬の考えは、人材を藩の枠を超えて登用する事を考えていました。
この考えは、当時の倒幕派にとっては危険な思想でした。
特に、薩摩藩では怒りが心頭したようですよ。

竜馬暗殺犯人は?
幕府・新撰組又は関係者というのが定説ですね。
ですが、当時の(京)都で囁かれた説で「黒幕=薩摩藩」があります。
犯人は「チェストー」と叫び一太刀で竜馬を斬ったとの事。
チェストーは、薩摩示現流。示現流と言えば殺しの○次郎。○次郎といえば薩摩藩士で西郷ドンと盟友。
当時の神官・坊主の日記に記述があるそうですが、真相や如何に?

>単に力ずくで名誉が欲しかったので倒幕戦争を起こしたということでしょうか?

基本的には、質問者さまの考えで正しいでしようね。
徳川家に対する積年の恨みを晴らすとか、低下した幕府を改革するとかは「後世に誕生した話」です。
江戸時代は、徳川家を盟主とする各藩の連合国家です。
各藩は、一種の独立国家ですね。
そうすると、力のある藩は「弱体化した幕府に代わって、政治を行ないたい」との考えが生じます。
その為には大義名分が必要ですから、天皇家が望む「攘夷」に便乗(当時の多くの藩は...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q藩主と大名は同じ人物か?

江戸時代1万石以上の領地(藩)を与えられた武士を大名と言い,その領地と政治組織を藩といいます。となるといわゆる藩主というのは大名と同一人物になるのでしょうか?1つの藩に藩主は1人でしょうが,大名と藩主が同一人物でないとすれば,藩に大名は複数いたのでしょうか?

Aベストアンサー

江戸時代の藩は300とも500とも言われますが、幅がおおきのは藩、大名の規定が複雑だった事を物語っています。大名という言葉は鎌倉時代からあり、徳川幕府が一万石以上を大名と定めた事から、大名とは一万石以上の領主となりますが、例外もたくさんあったようです。先ず大大名の家来には一万石以上の者がいるわけですが徳川幕府が認めなければ家来の家来(陪臣)は大名扱いを受けていません。

大名として認知されていない領主も藩を治めていれば藩主なので、大名と藩主がイクオールでないケースも出てきます。米の取れなかった松前藩は禄高ゼロでも北海道特産物を瀑布に物納して一万石の大名扱いを受けていたそうです。

参考URL:http://www.nifty.ne.jp/forum/fsiro/hp/fsiro_db/han/01-01.htm

Q大政奉還について

僕は歴史が好きで、特に幕末~明治にかけては大好きなのですが、大政奉還がいまいちよく理解できていません。
どうやら坂本竜馬が船中八策を考え後藤象二郎に提案したところ、後藤象二郎が土佐藩藩主山内豊重(容堂)に進言し、山内豊重(容堂)がかなりの勢いで「それやっ!!」と乗り気になった例のあれです。というのも、この当時幕府はすでに力もなく薩長の倒幕にびびっていたんでしょう。そこで大政奉還することにより、朝廷側が倒幕の密勅を出せないからです。この部分がわかりません。
山内豊重(容堂)は後藤象二郎から大政奉還について提案された直後、徳川15代将軍徳川慶喜に進言し、慶喜は悩んだ挙句大政奉還を受け入れ政権を朝廷に返しました。

徳川家終焉の歴史的な日です。

しかし、幕府としては朝廷に政権を返したところで朝廷には政治を仕切る力はないと仮定し、実質的には幕府に政権が戻ってくると考えたのでした。

しかし、そこで朝廷側は王政復古の大号令を出し徳川幕府を崩壊させました。これは幕府側にとってかなりの誤算だったみたいです。この朝廷側の決定に小御所会議で文句を言ったのが土佐藩藩主山内豊重(容堂)です。かなりのカウンターをくらったことでしょうね。
ここまでは何とか独学で学べたんですが、ひとつ理解できないことがあるんですね。さっきも書いたように、なぜ大政奉還(朝廷に政権を返す)することによって、倒幕の密勅が出せなかったのか??ということです。僕個人的な見解としては、大政奉還することにより政権は朝廷にあるのだから、その時点で倒幕をさせることはできなかったのか??ということです。

本当に気になってます。教えてください。

僕は歴史が好きで、特に幕末~明治にかけては大好きなのですが、大政奉還がいまいちよく理解できていません。
どうやら坂本竜馬が船中八策を考え後藤象二郎に提案したところ、後藤象二郎が土佐藩藩主山内豊重(容堂)に進言し、山内豊重(容堂)がかなりの勢いで「それやっ!!」と乗り気になった例のあれです。というのも、この当時幕府はすでに力もなく薩長の倒幕にびびっていたんでしょう。そこで大政奉還することにより、朝廷側が倒幕の密勅を出せないからです。この部分がわかりません。
山内豊重(容堂)...続きを読む

Aベストアンサー

幕末のこれらの経緯については、小説での脚色や研究家の仮説、新たに見つかった文書などで諸説入り混じっているような状態なので、どのように答えてもどこからか「それは違う!」という反論を受けてしまいますが、私なりの考えを述べさせて頂きます。

「大政奉還(朝廷に政権を返す)することによって、倒幕の密勅が出せなかった」という点ですが、それは徳川家側の勝手な考え(思い込み)です。徳川方(というか土佐藩の考え方かもしれませんが)は大政奉還後の新政府にその中心として関わろうと内心考えていました。具体的な仕組みはどうにしろ、朝廷+徳川家+雄藩のようなイメージです。
それに万が一新政府に加われなかったとしても、朝廷と薩長はそこまで徳川家を無下に扱わないだろう(=倒幕の密勅まで出さないだろう)、と踏んでいました。
ところが朝廷・薩長からしてみれば(特に岩倉・大久保とされますが、詳しい主導者は不明)、新しい世の中を作り統治するのに、徳川家とその取巻きの左幕派(会津藩など)が邪魔で邪魔で仕方なかったようです。
そういった動きを察して、幕府側も「大政奉還すれば文句ないだろう。武力衝突もないだろう」と思っていたようですが、そうは問屋がおろさなかっただけのことですね(^_^)。

事実、大政奉還と倒幕の密勅は同じ日に出されていますし、倒幕の密勅の手続きは数日前から始まっていたようです。だから「大政奉還することにより、朝廷側が倒幕の密勅を出せない」などという意識は、新政府側には全くなかったと思われます。
(ただ確かに大政奉還と倒幕のジレンマは、ゼロではなかったので、一説によればこれが坂本竜馬の暗殺原因となっていますが、ここでは割愛します)

ちなみに船中八策も本当に坂本が考えたのかどうか、異論をはさむ学者さんもいますし、船中八策の存在自体もあやしいという学者さんもいます。
また後藤象二郎が考えを横取りしただとか、逆に本当は後藤が考えたのだという説もあります。

しかし歴史が好きなのは、いいことだと思います。私も好きです。人間は歴史を学ぶ事によって、失敗も成功も学ぶ事ができます。
どんどん学んだ事を日常生活にも生かしていきたいですね。

幕末のこれらの経緯については、小説での脚色や研究家の仮説、新たに見つかった文書などで諸説入り混じっているような状態なので、どのように答えてもどこからか「それは違う!」という反論を受けてしまいますが、私なりの考えを述べさせて頂きます。

「大政奉還(朝廷に政権を返す)することによって、倒幕の密勅が出せなかった」という点ですが、それは徳川家側の勝手な考え(思い込み)です。徳川方(というか土佐藩の考え方かもしれませんが)は大政奉還後の新政府にその中心として関わろうと内心考えてい...続きを読む

Q桃源郷ってどういう意味ですか?

桃源郷って、どういう意味ですか?
楽園、、、という意味のような気がするのですが、もうすくし詳しく、語源も(たしか中国の話だったような気がするんですが)教えてください。
手持ちの辞書や検索で意外と見つからなかったので、桃源郷の意味、語源、桃源郷を使ったたとえとかとにかく情報をたくさんいただけたらと思います。よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

こんにちは、
そうですね、広義に「楽園」「ユートピア」という意味になる他、
「あの体験は桃源郷の境地だ」などと「絶世の境地」「類無い感じ」を表現しますね。

さて、こうしたものは諸説ありますので参考までにどうぞ。

原点は中国の伝奇、晋の陶淵明が記したと言われる『武陵桃源』あるいは「桃花源記」にあるとするのが一般的。
なので、「桃花源」とも呼ぶ。
中国には各地の不思議な話や伝説、小説(詩編)をまとめた本が多いのですが、そういったものの一つです。
対訳のサイトがありましたので見てみてください。
ttp://oak.zero.ad.jp/teru/gakusyu/setuwa/touka/yaku.html

大筋の話■武陵の漁夫が道に迷いたどり着いた先で、秦の戦乱を避けた人々の集落を見つける。たいへんなもてなしを受け、それが忘れられず、帰宅後再び捜してみたが、再度行き着く事はできなかった。
ーーーーー

もともとは仙人だの不老不死だのという要素は無かったのだが・・、
後世に様々なテイストが加えられ、一種の「桃源郷都市伝説」が形成されていったと思われます。
ーーーーー

さて、そこでポイントとなるのが時代背景。
「秦時代の難民」が祖先の人々、俗世を嫌った隔絶されたコミュニティ。
まるでカルト教団みたいですよね・・。
戦乱の世の難民を風刺した部分がこの物語の一つの側面かもしれません。

それから「桃」。
道教をはじめとして東洋では古くから「桃」は生命の象徴とされてきました。
根源的な女神「西王母」と桃は同一視され、さらに不老不死の仙人などの超絶的な存在の象徴となっていったのです。併せて、自然の素晴らしさを表すものとなったと考えられます。場所が日本ならさしずめ「桜源郷」になったかもしれません。

さらに、「再び訪れる事ができない」。
これは神秘性を表すシュチエーションとしてどんなものでもそうですよね。
西洋人にとってのジパングや、中国で言われた東海の蓬莱島も同様の「きっとある理想郷」の物語でもあるのです。
ーーーーー

こうした要素が後世に「仙人の住む桃源郷」などの亜流を生み出し、「シャンバラ伝説」などのようにユートピアの象徴とされていったのでしょう。
ちなみに、おとぎ話の「桃太郎」もこの「桃源郷伝説」の一部が反映されてると考えるのも面白いですね。
興味があったら桃太郎の起源など調べてみると面白いですよ。
ーーーーー

さてさて、実は「桃源郷」は実在する(?)。
中国湖南省にはちゃんとそういう名勝地があり。この近くの張家界という秘境がそれ・・・なのか?
http://www.jcbus.co.jp/chinahotel/map/hunan/index.htm

こんにちは、
そうですね、広義に「楽園」「ユートピア」という意味になる他、
「あの体験は桃源郷の境地だ」などと「絶世の境地」「類無い感じ」を表現しますね。

さて、こうしたものは諸説ありますので参考までにどうぞ。

原点は中国の伝奇、晋の陶淵明が記したと言われる『武陵桃源』あるいは「桃花源記」にあるとするのが一般的。
なので、「桃花源」とも呼ぶ。
中国には各地の不思議な話や伝説、小説(詩編)をまとめた本が多いのですが、そういったものの一つです。
対訳のサイトがありましたの...続きを読む

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html


人気Q&Aランキング