
No.17
- 回答日時:
まあ、簡単に答えますとね
愛=強い興味、強い想い つまり、主観なんですね
で、主観の対極が=客観 と言うわけです
客観=イコール興味無し と言うわけです
よって、興味無し=無関心と言うわけです
でも まあ、長年連れ添えば、客観的に見れるようになると思いますので、この人が言っているのは
愛=初期の強い想いだけを限定した物のようですね
その点、老夫婦など客観的に見れるが(主観ではない)が、無関心ではないなどの場合矛盾してますね
しかし、無関心=興味がない であれば、少なくても主観的になってしまう恋や、長年連れ添った場合の敬愛にも当らないと言うのは正しい事だと思います
こんにちは。
客観的な愛というのは私にはよくわかりませんが、老夫婦の愛は客観的なのですか?そのような境地になったことがないので、ちょっと意味がわかりません。年をとると、愛を冷静に見ることができるという意味でしょうか?
肉体的には若いときほど熱烈ではないにしても、精神的に熱烈な老夫婦というのはたくさん存在しているように思いますが。
ご回答をありがとうございました。
No.16
- 回答日時:
mmkyです。
追伸まで確かに、すべての存在が神の愛であるならば、存在の否定は愛を否定することになりますね。無関心は存在の否定になるかなあ。
「愛と憎しみ」は「好きと嫌い」の大人的言い換えですね。
イエスは「なんじの隣人を愛せよ。」と教えていますから、隣人という存在に対して無関心であるのは、イエスの愛の否定になるのかも。
マザーテレサはそれを言いたかったのでしょうかね?
ちょっと言葉が不明ですね。
追伸まで
こんにちは。追伸をありがとうございます。
> 「愛と憎しみ」は「好きと嫌い」の大人的言い換えですね。
そういう見方もありますか。私は『愛と憎しみ』というのは『好きと嫌い』の言い換えというよりは、もっと違った感情のように思えます。
> イエスは「なんじの隣人を愛せよ。」と教えていますから、隣人という存在に対して無関心であるのは、イエスの愛の否定になるのかも。
そういうことなのだろうと思います。ただ、Mother Teresa は、隣人だけではなく、すべての人に愛を注いでいたのではないでしょうか?いや、私がMother Teresa を美化して見てしまっているのかもしれませんが。
ご回答をありがとうございました。
No.15
- 回答日時:
「愛の反対」、今まで考えたこともなかったので、私自身の固定観念を抜きにこうして皆さんの回答を見ていると、どれを見てもああ、ナルホドね。
鋭いね。これも考えられるね。・・・という具合にある部分においては当てはまる要素を持っています。つまりは何名かの方も言われているように、「愛」をどのように考えているかで答えも違うのだとおもいます。
哲学のカテゴリーに属していますが、そう考えないで単なる言葉として解釈した場合、そもそも「愛」は固有名詞ですので、動詞や形容詞などと違い、純然たる反対語を当てはめることに無理があります。
ですが、「愛」の難解なところは固有名詞であるにもかかわらず、具現的なモノを何も持っていません。これに近いのは「心」などもあります。
「愛」や「心」はある程度の幅を持ちながらもほぼ同様なイメージやニュアンスで人間へ備わってるのですが、その「ある程度の幅」が問題になってきます。
人間は人生を歩む上で「愛」の定義が曖昧な為に、それによって悩んだり翻弄されたり、時と場合によって微妙な使い分けをしながら生きているわけですね。
例えるならば「愛」は占いのようなものでしょう。
結局は何も無い、何も分からないはずなのに、言われたことに対して自分の経験や意識の中から最も該当するであろう事柄をチョイスして自分の都合の良いように(場合によっては悪いように)解釈をする。
悪い言葉で言えば「こじつけ」です。
Mother Teresaの言う『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』も一般的に「愛の反対は憎しみだ」ということを認識しているから、自分的な解釈として「無関心だ」と言ったのでしょう。
ですからこれも間違いではありません。
そして皆さんの回答がそれぞれ少しづつ違うのもそれらの解釈が違うからです。
「愛」の解釈が経験や意識によって違うということは、同じ人間でも年齢、時代によって十分に変わり得る可能性があります。
つまり、「愛」は普遍的であり、人そのものだと思うのです。
ということは、「愛の反対」・・・「自分以外の万物」ということでしょうか。ゴロは悪いし何かしっくりきませんけど。
まあ、これも私の「こじつけ」ですから。
こんにちは。お礼が大変遅くなって申し訳ありません。
> そもそも「愛」は固有名詞ですので、動詞や形容詞などと違い、純然たる反対語を当てはめることに無理があります。
そうなんですね。『白の反対は?』と聞かれた時、普通は『黒』と答えますが、人によっては『赤』とか、あるいは『無色』という答えが返ってくるかもしれません。どのような考えからそういう答えが導かれるのかということも興味があります。
> 人間は人生を歩む上で「愛」の定義が曖昧な為に、それによって悩んだり翻弄されたり、時と場合によって微妙な使い分けをしながら生きているわけですね。
含みのある言葉ですね。確かに、愛の定義というものは難しいですね。愛を定義できれば愛の反対というのも考えやすいだろうとは思います。
> 「愛」の解釈が経験や意識によって違うということは、同じ人間でも年齢、時代によって十分に変わり得る可能性があります。
> つまり、「愛」は普遍的であり、人そのものだと思うのです。
愛は人そのものですか。いい言葉ですね。その人その人によって、持ってる愛の形は異なるとも言えるわけですね。なんだか頷けます。
ご回答をありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
そうですね。
好きと嫌いも、愛と憎しみも紙一重で、
相手をしっかり意識(もしくは相手に執着?)しているところは同じ。
なので、愛が大きければ大きいだけ、憎しみも大きくなる・・・
振り子のように。
そう考えると無関心は、動かない振り子なので、
愛に対しても憎しみに対しても反対になるのかな?
思いがあるか、ないかで考えると・・・。
私は、愛の反対は憎しみだと思いますが。
こんにちは。お礼が大変遅くなって申し訳ありません。
> 好きと嫌いも、愛と憎しみも紙一重で、 相手をしっかり意識(もしくは相手に執着?)しているところは同じ。
これは他の方も書いておられますが、その通りだと思います。
振り子の例えはとても分かりやすいですね。振り子の対極にあるのが愛と憎しみで、動いている振り子に対して動かない振り子が無関心という説明はなるほどと思いました。
ご回答をありがとうございました。
No.13
- 回答日時:
参考程度に
「愛の反対は何ですか?」
についてですね。
「愛の反対は愛ですね。」
愛には大きく分けて二通りの愛があります。
一つ目が「与える愛」
二つ目が「奪う愛」です。
「与える愛」というのは人に優しくするとか、人をいつくしむというよな愛ですね。マザーテレサの愛ですね。人のために働くというのも愛ですね。
「奪う愛」というのは自分を愛するがゆえに生じますね。愛してほしいという気持ちですね。これが嫉妬やストーカの愛ですね。嫁姑間にも多々ありますね。
求めても求めてもまだ足りないのがこの「奪う愛」という状況ですね。
「与える愛」が多くなると社会も争いは減りますね。
という考えはあります。
参考まで
こんにちは。お礼が大変遅くなって申し訳ありません。
> 愛の反対は愛ですね
うーん、そうですか。私にはどうもピンと来ないのですが・・・
> 愛には大きく分けて二通りの愛があります。
> 一つ目が「与える愛」
> 二つ目が「奪う愛」です。
与える愛と奪う愛が、反対の位置にあるという意味でしょうか?それならば、何となくわかります。
普通は『愛』というのは、一方的に与えるものだと思っていましたので、『奪う』のも『愛』というのは少々違和感を覚えます。敢えて言えば、『歪んだ愛』なのでしょうか?なるほど、そう考えると愛の反対が歪んだ愛だというのは十分納得がいきますね。
いろんな考え方があるんだと感心いたしました。
ご回答をありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
「愛」の反対はなんなのかのこの問いですが、「愛」がなんなのか?
思い描くものに名をつけて、「愛」と呼ぶのか?そうであるのならば、歌の歌詞で「あれもあい、これもあい、みんなあい」ということばがいたくしっくりもする。けれど、「あれもこれもあい?みんなあい?」なんだかあるようでないようでわけのわからないものがあいなのか?あい・愛・I?人なのか?それとも、このおおきな宇宙すべてを覆い尽くすものなのか?あいっていったいなんだろう?
死を美しいものとするのもあいなのだろうか?
死を美しいものとするのは残忍な我を欺き、死者への言い訳なのだろうか
人は語る、死びとに向けて美辞麗句を奏でるように口々に
誰の元に届くというのだろう、誰に向けて語っているのだろう
他の誰でもなく、自らの身に向けて語っているのではなかろうか
自らの犯した過ちにわけのわからない畏怖をおぼえるのではないだろうか
我が身のうちに潜むあさましさをかき消すように
あいということばを口ちづさむのではないだろうか
あいという名のことばのやさしさにときにふれ
あいという名のことばにときにきづつき
あいという名のことばになみだする
こぼれおちるなみだ
くやしなみだ
うれしなみだ
はずかしさをつくろうなみだ
あいってなんなんだ!
わけのわからないあいってものをくるりとひっくりかえしたらそこになにがあるというのか?アルファベットの「I」の文字をくるりとひっくりかえしても「I」はなにもかわらない。
「I」は「I」
こんにちは。お礼が大変遅くなって申し訳ありません。
とても素敵な詩ですね。導入部分の数行が、思わず引き込まれます。
> なんだかあるようでないようでわけのわからないものがあいなのか?
そうですね。なんとなくわかるけど、『これが愛だ!』とは説明しにくいのが愛なのでしょうね。
> あいという名のことばのやさしさにときにふれ
> あいという名のことばにときにきづつき
> あいという名のことばになみだする
もう、これ最高ですよ。パソコンの前で、ウンウンと頷いています。
> わけのわからないあいってものをくるりとひっくりかえしたらそこになにがあるというのか?
> アルファベットの「I」の文字をくるりとひっくりかえしても「I」はなにもかわらない。
> 「I」は「I」
笑ってしまいました。littlekiss さんはとてもセンスのいい方ですね。
ご回答をありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
私もご質問の言葉を初めて耳にしたとき、「ああ、なるほどね」と「なんか変だな」の両方を感じたように思います。
一般的に「相手へ向かう強い思いのプラスとマイナス」なら「愛」に対して「憎」ですが、マザー・テレサの言うのは「愛の有無」ですから、対応するのは「無関心」になるんですよね。二つの「愛」は微妙に違っています。
私なら「愛」の反対に何を据えるか考えてみました。「相手へ近寄りたい感情と相手から遠ざかりたい感情」で「恐」はどうでしょうか。
(でも「怨」の音韻的解釈、好みです。)
こんにちは。お礼が大変遅くなって申し訳ありません。
私と同じような感じ方をされたようで、心強いです。(^^;
反対というのをどのようなスタンスで取るかによって、答えが違ってきますね。
> 私なら「愛」の反対に何を据えるか考えてみました。「相手へ近寄りたい感情と相手から遠ざかりたい感情」で「恐」はどうでしょうか。
これも新しい解釈ですね。おっしゃりたい意味は何となくわかります。
私も、怨」の音韻的解釈は面白いなと思いました。いろんな解釈が聞けて、興味深いです。
回答をありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』という Mother Teresa の言葉は、愛がある故に相手に強く関心を寄せる。
だから関心を寄せない無関心とゆうことが反対だとゆう意味でいってるのだと私は解釈しています。でも、私もこの解釈にはピンときません。なぜなら、相手に関心を寄せる感情は愛だけではないからです。好奇心や憎しみ、憧れ。こうゆう感情も相手に関心を寄せるからこそ湧いてくるものだと思います。
なので、関心・無関心とゆう事は愛だけに限ったことではないので、愛の反対には当てはまらないように感じます。
単純かもしれませんが、愛の反対はやはり「憎しみ」ではないでしょうか?同じように人が相手に対して抱く感情にも関わらず、片方は相手に好意があり、片方は敵対する。
「反対」とゆうものは、似通った部分がありながら、歩み寄る事のできない相違のあるものだと思います。
この回答への補足
<<ご回答をいただいた皆様へ>>
お礼が大変遅くなって申し訳ありません。
私事ですが、少し前から目の異常を感じていたので、No.8の方のお礼を書いた翌日に病院へ行きましたら網膜剥離と言われ、入院手術になりました。手術後、網膜の付きが悪いということで再手術になり、とてもしんどい思いを経験してきました。
この質問のことも気にはなっていましたが、退院後も光を見ると眩しくて涙がポロポロ出るし、またほとんど片目で見ている状態なので、とても目が疲れてパソコンどころではありませんでした。
そのため、パソコンはメールチェックのみで、ほとんど開いていなかったので、こんなにたくさん回答がついているのにびっくりしています。
返事は少しずつ書かせていただこうと思っていますので、もうしばらく御猶予を頂きたく存じます。
大変申し訳ありません。
こんにちは。
> 関心・無関心とゆう事は愛だけに限ったことではないので、愛の反対には当てはまらないように感じます。
確かに『関心=愛』とするには少し抵抗がありますね。でも、Mother Teresa の愛というものは『好奇心や憎しみ、憧れ』といったものすべてを含んでいるのかなあとも思います。尤も彼女には憎しみという感情は存在しないのだろうなあと勝手に想像していますが。
愛の反対を、歩み寄ることのできないものとして考えると、憎しみが最もあてはまある気はしますね。
ご回答をありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
愛の反対は、ありません。
愛は満ちているので、反対の余地はありません。空っぽと言うのも、また愛です。愛は、それほどに、満ちています。
と、考えました。
>『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』
きれいな、スマート(知的)な言葉だと感じます。
このクリスチャンの言葉の愛が、人の愛か、神の愛か。
愛に違いはないと、思えるなら、うれしいです。
こんにちは。
> 愛の反対は、ありません。
> 愛は満ちているので、反対の余地はありません。空っぽと言うのも、また愛です。愛は、それほどに、満ちています。
何度も何度も読み返してみましたが、私の頭が悪いせいで、おっしゃっている意味がどうしても理解できません。あまりに哲学的すぎて、わたしの理解の範囲を越えています。いろんな考えを聞こうと思って立ち上げた質問ですが、このような考え方があるとは思ってもみなかったので、呆然としているところです。
『愛は満ちているので、反対の余地はありません』というのは、
愛は自分の反対のものの存在を許さないということでしょうか?
愛の反対というものは、あってはならないという意味でしょうか?
反対の余地がないとおっしゃられると、この質問の存在自体が意味をなさないということですね。
せっかくのご回答にケチをつけたり、揶揄するものでは決してありません。
本当におっしゃる意味が理解できないのです。
私の文章を読んで、気分を害されたら申し訳ありません。
ご回答をありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
愛の反対は、「相手に対する強い思い」の中で言えば、
「憎しみ」という気がします(ていうか、そう思ってます)。
でも、「相手に感心を持っているかいないか」な感じで言ったら、
反対は「無関心」だと思います。私は。
参考にならなくてすみません。では。
こんにちは。
> 参考にならなくてすみません。
いえいえ、決してそんなことはありません。愛の反対というものを考えるとき、自分の感情のスタンスをどこにもってくるかによって、答が違ってくると理解しましたが、それで合っているでしょうか?
先ほどから考えていたのですが、たとえば、愛していた人に裏切られたときに憎しみを抱いたとします。この憎しみという感情は、愛の反対なのでしょうか?
いや、本当は愛ではなくただの独占欲ではなかったのでしょうか?
自分の思うようにならなかったから憎しみを抱いたのではないでしょうか?
もしそうであるなら、憎しみの反対である愛は実は本当の愛ではないのでしょうか?
というようなことを考えてしまうと、わけがわからなくなってくるんですよね。
ご回答をありがとうございました。
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