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日本の現在の基本的な学校制度は、

・小学校(6年制):6~12歳
・中学校(3年制):12~15歳
・高校(3年制):15~18歳
・大学(4年制):18~22歳

となっています。勿論、個人によって違いはありますが。

この制度はおそらく戦後に設定されたものですよね?戦時中は今とは修業年数も違い、学校の呼び名も違っていたと思います。
そこで質問なのですが、太平洋戦争中の日本の学校制度はどうなっていたのでしょうか?それぞれの修業年数と、年齢が知りたいです。
在学途中で徴兵、出征させられた大学生達の年齢は、今の大学生より上でしょうか?下でしょうか?
ご存知の方、教えて下さい。よろしくおねがいします。

「戦時中の修業期間について」の質問画像

A 回答 (4件)

こんにちは.



ご質問者さまと同じ疑問があったため,
教育委員会~文部科学省に問い合わせました.

文部科学省ホームページ→白書→その他→
学制百年史→資料編→
三 文部省局課変遷・学校系統等図表→
学校系統図 

結果が下記アドレスです.
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz19 …

ご質問の趣旨を含めて全ての情報が記載されて居るので,
詳細な解説は必要ないしていたしませんが,
ご質問に関連する部分は,
『第6図 大正8年』と,
『第7図 昭和19年』が,
ご質問に該当する時代の図表と思います.

このご質問は私の疑問解決にも,本当に役立ちました.
ありがとうございました.

なおこの回答が,
ご質問者さまの参考の一助になれば幸いです.

参考URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz19 …
「戦時中の修業期間について」の回答画像4
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、大変申し訳ありません。

詳しく完璧に教えていただき、ありがとうございます!
おかげ様で疑問が解けました!
また、質問の年代以前のものも知ることができ、とても参考になりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/13 14:37

戦前の教育制度は今のように単純ではなく、義務教育の尋常小学校(6年)は現在と同じですが、そこから後はいろいろなバリエーションがありました。



第一段階 尋常小学校 6年 (1パターンのみ)

第二段階 中学校レベルの学校 (経済的に余裕がある家庭の子供が行く)
中学校 5年 例:東京府立第一中学校
高等女学校 5年 例:東京高等女子師範学校附属高等女学校
実業学校 5年 例:大阪府立淀川工業学校

第二段階の傍系 高等小学校 2年 (多少経済的に余裕のある家庭の子供が行く)
第二段階の発展 師範学校尋常科 高等小学校卒業を入学資格とし、5年
※ 師範学校を卒業すると小学校の教員になれました。現在の**教育大学に相当する学校です。

第三段階 高等学校レベルの学校 (進学する者は国民全体の1割未満。中学校レベルの学校を卒業することが入学要件。師範学校卒業者も入学可能な例あり)
高等学校 3年 例:官立第一高等学校
大学予科 3年 例:官立新潟医科大学予科、私立早稲田大学予科
専門学校 3年 例:官立小樽高等商業学校、官立東京高等師範学校

第四段階 大学レベルの学校(高等学校レベルの学校を卒業することが入学要件)
大学 3年 例:官立東京帝国大学、官立新潟医科大学、私立早稲田大学

この時代、家庭が裕福で勉強ができ、「大蔵省の官僚になりたい」と願う子供は、理想的なコースは下記でした。

尋常小学校 6年
東京府立第一中学校 5年
官立第一高等学校 3年
官立東京帝国大学法学部 3年

合計で17年となります。卒業時には23歳となります。

さて、学徒出陣の対象は「徴兵年齢である20歳を越えて、『文系』の高等学校レベルの学校、大学に在学している者」でした。

ですので、ご質問
「在学途中で徴兵、出征させられた大学生達の年齢は、今の大学生より上でしょうか?下でしょうか?」
の答は
「今と同じくらいです」
となります。

なお、上記の「大学卒業時には23歳となります」では、
* 中学校は5年制だが4年修了で高等学校レベルの学校を受験可能。
* 中学校から高等学校に入る時が現在で言う大学受験に相当する難易度と競争率で、この段階で浪人する者も少なくなかった。
* そもそも、戦前は満年齢ではなく数え年。今とは年齢の数え方が微妙に異なる。
ことを無視していますので、実際はもっとややこしくなります。
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなり、申し訳ありません。

今のような大学全入時代とは全く違い、中学校へ上がるにも頭と財が必要だったのですね。
そこで止まらず、上まで上り詰めた大学生たちがどんなに優秀だったか分かりました。

大学生の年齢は、多少のバラつきはあっても基本的には今と同じくらいなんですね。
すごく分かりやすかったです。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/13 14:49

昭和16年に国民学校になるまでは、尋常小学校と高等小学校がありました。

一般の児童は尋常小学校に6年間通ってお終い。そこから先、旧制中学以上への進学を目指す者は、高等小学校(二年間)に進学した。すなわち高等小学校には予備校的な意味合いがありました。したがって最終学歴に「予備校・卒」がないように、「とりあえず高等小学校までは・・・」という考え方はありませんでした。
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなり、申し訳ありません。

今のようにほぼ全員が気軽に高校へ上がるような社会システムではなかったのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/13 14:40

まず日本人ならアメリカの言う「太平洋戦争」ではなく、日本国が正式に採用した「大東亜戦争」と言いましょう。



うんちくはさておき。

国民学校(6年)ここ迄が義務教育。後は就職か進学。

中学校(男子のみ)・高等女学校(4年)
進学して。
師範学校(小学校の先生になるための学校)
高等学校
その後に。
大学
高等師範学校(中学以上の先生になるための学校)

と言う具合です。
昔は小学校以外年齢は、ばらばらでした。
また戦時中の昭和18年に大幅な学制改革が行われています。
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この回答へのお礼

呼称については、大東亜、太平洋、昭和戦争 等々ありますが、個人的に名称についてはあまり拘りが無いので、一番馴染みの深い『太平洋戦争』と言わせていただきました。

年齢はバラバラだったのですか…。
高等学校や大学などの修業年数も決まっていなかったということですか?
当時はかなりアバウトだったんですね^^;

詳しいご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/31 13:25

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