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宗教は人にとって必要なものでしょうか?

人間の信条の根幹でもあり、その人にとっての琴線ともなるものですよね。

だからこそ争い、偏見、また逆に心のよりどころとなったりします。

皆さんのもつ宗教に対する忌憚の無い意見が開陳されたらと思います。

よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

必要であり大切なのは宗教ではなく「宗教心」ではないかと考えています。


生きる上で、絶対に必要なものだと考えます、倫理観などと言い換えてもいいかもしれません。
宗教、という具体的な団体、行為などがあれば安易に参加して、何だかわかったような、安心したような気分にひたれます。
精神的に弱った時などは安心感を得るには便利ですし、何事も「神様」のせいにすれば簡単でもあります。
そういうことを求める人が多いので、「私が神である」などと言う人が現れておかしなことになったりします。
「神」という概念は人間を超越した存在だと思いますし、また、人間一人一人が「神」であるとも例えられます。
また、それ以外、従来の神社仏閣などは「冠婚葬祭」用の形式的な習慣であり、今では宗教とは言えないような気がします。

宗教心は、特定の行為や団体にとらわれることなく、感謝とか信念とかを自分の心の内で実行していかなければいけません。
安易な方向なら「自分に甘く、他人に厳しく」とかにもなります。

ジョークと思ってください、私のお勧めは「自分教」です。
自分が教祖で信者、自分が経典であり自分が実行する「自分教」です。
他人に強要はしないで自分ひとりで実行します。
誰も見ていなくとも「自分が見ています」
自分で自分を律する、モニターする、判断する。
そうなると「心のよりどころ」は無いのか?それも自分か?と言うことになりますが、心のよりどころは人生のその都度、趣味、恋愛、子供、自分の成長、などでいいのではないでしょうか。
まあ、自分教ですから「毎日必ず~しよう」でも「今日は調子が悪いから~はまたにしよう」とか・・自由ですが・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分教ですか。

本来は個々人の信仰はそのひとそのひとによって
千差万別だから、自分教であることが一番良いのかもしれません。

自分教であれば人にいいからいいからと進めることもありませんからね。

お礼日時:2009/04/01 15:45

こんにちは。



自分は、宗教などを信仰していませんが
宗教を信仰している方や宗教組織や団体を否定したりするつもりは
ありません。

自分が宗教についておもうのは、
宗教を信じている人は、教えがもう用意されているから
楽だろうな、ということです。
自分の頭の中で考える必要がないし、上から下へ、右から左へ
自分というフィルターを通さずに生活したり
何か問題や疑問が発生したときに、教えをこうことで
救われるから、そう思います。

でも、実際自分は宗教を信じたことはないし、宗教自体の
実態について詳しく知っている訳ではないので
こういう風に、宗教をひとからげにして、論じてしまうのも
大変失礼なことだとも、おもいます。

宗教を信じて、安定した実りにみちた暮らしや人生を
送り幸せになっている方もたくさんいるとおもいますが、
宗教という価値観や正義(正論だと思い込んでいる)を
周りに押し付けたり、宗教を信じない人を憐れんだり馬鹿にしたり
そういう方も、一部ですが存在しています。

宗教も食べ物の好みも文化的な嗜好でも、
個人個人が違うし、違って当然なのだから、
まずは、それを認めてほしいとおもいます。
宗教に限らず、人に押し付けたりするのは、不快です。
でも、生きる希望を失いかけた人が、宗教というものの
教えや実務的な行事や礼拝?お祈り?によって
また明日まで生きてみよう、次の集まりまでは!と
思えるような、つながりみたいなものに救われるのであれば
いい契機だとおもいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

宗教を信じている人は楽だろうなあ自分の考えがいらないからという観点に感銘しました。

おしつけは確かに迷惑ですよね。

ただ宗教に入信することで生きがい持てるのであればいいことでしょうね。

お礼日時:2009/04/02 01:29

いろんな宗教を経験しました。



どれもこれも、元になる教えは、「人間が書いた、人として生きていくための智恵」にすぎないし、
それらのことは、「親」をはじめとする「大人たち」が「後に続く者たち」に教えていけばいいだけのことのはずです。

「宗教」なんていう特別なものじゃないんです。
人として、当たり前の「教育」なんです。

それが出来ないから、たまにその教えを聞くと・・・
「あの人、いいことを言っている」となっちゃうんです。
そこを、うまくついて「洗脳」してしまう・・・。
悲しいことです。

究極は、どれも同じような教えなのに、「自分だけが正しい」として
おたがいをつぶそうとする。
「本末転倒」ですね。

人間のおろかさを感じます。

「宗教洗脳」だけは、許すことができません。

というのが、私の「忌憚の無い意見」です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人としての当たり前の教育が出来てないから素晴らしいものと
思って、つけこまれて洗脳されてしまう。

確かにそのとおりですね。

しかもそれが正しいと思い込んだら他者を徹底的に排斥する。

人間のおろかさを感じますね。

私の洗脳されてしまった友人のしつこい勧誘にただでさえ
病臥にふせっていたのに悪化させてしまい、現在休職中です。

生真面目な人が洗脳されやすいのでしょうか。

お礼日時:2009/04/01 15:37

私はかつてアラブの人に「なぜ、日本人は神を信じないのか?」と言われて、食事のあと、回答があるまでは車から降ろしてもらえませんでした。

悩んだ末に「私たちは祖先を崇拝してるんだ。神はあちらこちらに存在する」と答えたら、納得して開放してくれました。宗教が必要なのかどうかはわかりませんが、宗教は苦しんでる人を助けなければなりません。ある宗教団体は個々の利益のために信者を食い物にしてるところを見ますが、あれは宗教ではないと、思います。信じるも信じないのも個人の自由で、ご利益があったと思ったとき、初めて、お布施と言うのが行われるのではないでしょうか?実際にそのような方もいらっしゃることを知っています。今では忙しく、弟子たちに代わりをさせてるみたいですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

アラブ系の人は日本人がよくいう無神論というものを理解できません。

神を信じないものは人間にあらずと教育されているので、
無神論者は化け物扱いされるのです。
身なりは人間なのに化け物だから、化け物か人間かを確認するため
飛行場で足止めをくらったことがありました。

ようやく私も理解して、信条欄に神道と書いて無罪放免されました。

我々の常識と、アラブの常識は全く違うものだと痛感しました。

日本の宗教団体の一部は確かに人の弱みにつけ込んで食い物にしていますよね。

私もある人の葬式にいって香典をおさめたのに香典返しがこないので
いぶかしがって率直にきいてみたら、香典はすべて宗教団体に上納され
葬式の費用も全部遺族がもたされたということを聞いて唖然としたことがあります。

お礼日時:2009/04/01 10:02

>宗教は人にとって必要なものでしょうか?


 必要でしょうね! 人種や国を超えて色々な宗教が有りますから・・・
 国や宗教によって他宗教を認めないところも有るようですが、日本は昔から万の神々を信仰していますから、代表が七福神でしょうか! そして、毎年10月出雲の国に集まる神々の中で唯一貧乏神だけが旅費が無いため我が家に居候してます、特に信仰していませんが居心地が良いのでしょうか? 
他の神々も特に信仰しておりません、しかし、神棚は有ります。

 お盆には、お墓参りもします、地域に溶け込む若しくは、お付き合いと言った感じです。

 強いて言わせて頂けば、どのような宗教を信仰されても良いでしょうが、他の方に強要だけは避けて欲しいと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに他の方への強要はやめてほしいですよね。

私もとある宗教団体の信徒からしつこく付きまとわれて
挙句、体壊して現在休職中です。

本人は正しいことをするときには必ず悪いことが起こるものだと
全く人の気持など感じていないのですから困ったものです。

お礼日時:2009/04/01 09:50

世界的に「中世」迄は必要不可欠で在ったでしょう。


近代や現代に於いては宗教は「形骸化」の一途を辿ってます。
有名な言葉ですがキリスト教での「キリストの心は教会に在らず」と云われてる位ですからね。
現在では「宗教哲学」だけで充分で、集団化した組織は不要と考えてます。
古今東西集団化した宗教組織は何かしらの問題やトラブルを抱えてたり、犯罪の隠れ蓑に利用されて来ました。
殺人を律する筈の宗教が大虐殺をしてたりと云う過去の事例は枚挙に暇が在りません。
組織化した集団は即刻解散消滅すべきでしょう。
宗教心は個人に帰すモノで在って集団には帰しません。
勧誘なんて以ての外です。

例外としては原始的な自然宗教(自然崇拝)は現在の環境問題を考える意味でも、必要な要素で在るのには間違いが無いと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに集団化した宗教は時に大虐殺や犯罪の隠れ蓑にされてきていますよね。

おっしゃるとおり個人の心の問題で収めていれば何のトラブルもおきないでしょう。

アニミズムが環境問題を考える上で必要という点はご指摘受けるまで気づきませんでした。

感謝します。

お礼日時:2009/03/31 23:56

あくまでも社会秩序の為に人間が作り出した哲学(方便と言っても良いです)である事を理解すれば良いのにと思います。


神に与えられたものだなんて思い込めるのは、人間が自然科学について無知であった時代だけで十分だと思いますけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに方便ですよね。

神に与えられたものだなんて思い込めるのは、
人間が自然科学について無知であった時代だけで十分

科学文明が開けた今は確かにそうですね。

だけどなかなかそうはいかないものですよね。

お礼日時:2009/03/31 23:51

必要不可欠というものではありません。


しかし、不要とも言い切れません。
欧米のように、教会が地域の振興や教育に貢献できる例もあります。
一方で、信仰が犯罪を呼び起こす例もあります。
死後の世界への不安や、死者への弔いの儀式が宗教を求めている事は否めません。
答は出しにくい問題ですが。
私は、神仏の存在を信じても、宗教とは距離を置いています。
教義は是としても、宗教団体には否定的です。
マルクスを尊敬しても、共産党員ではない。と同じ様なスタンスでいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに必要不可欠なものではないかもしれないけど全く不要とも
言い切れないですよね。

おっしゃるとおり死後の世界に不安や畏れがあることで人が宗教を求めてるんでしょうね。

私も答えがわからないんですよ。

長くなりますが少しお付き合いください。

今から23年前に私の隣の家の人亡くなりました。
42歳という若さでした。
この人の家族は全員ある宗教の信者で深く信仰の道を進んでおられたようでした。
その人の葬式に参列したときのことですが、信者の方はみんな
人が亡くなっているというのに微笑んでいらっしゃいました。
それにすごく違和感を感じたのと同時に、天国の話をしていたので、
死んでしまえば天国も地獄もあるものか。生きていてなんばじゃないか
と思っている私にとっては非常な違和感と人の死を微笑みで送ることに
不快感を感じました。
しかし、その宗教では笑顔で天国へ旅立つ人を見送るのが常識のようで
信者でない私と私の母の泣きじゃくる姿に好奇のまなざしをおくっていました。
今から思えば世間一般の葬式の常識というものが各宗教によってそれぞれ違うし、
ある宗派から見れば、死者を泣いておくるということは非常に
不謹慎なことで新しい門出を祝う席なのに失礼なことだということに
今頃になって気がつきました。

なかなか難しい問題ですよね。

お礼日時:2009/03/31 23:47

宗教とは少なくとも原始~古代社会では必要なものだったと思います。


というのも、宗教とは科学の発展していない時代、人が動物とは一線を画し、人として在る規範としての役割があったからです。
例えば天国・地獄といった因果応報の観念によって、人は社会に仇なすことをあえてしないように自戒するようになったし、先祖や年長者を敬う教えによって、動物的に力弱くなった老人を若者は害したりしなくなり、老後の安全をある程度保障されることによって、人は安心して同族・社会のために働くことができるようになりました。

今は無宗教という人も増えましたが、それでも冠婚葬祭では多少なりとも宗教行事を無意識に行っているし、正月やクリスマスなどの年中行事も多分に宗教的意味合いを持っています。
言わば宗教は人類の文化であり、良し悪しは別として、人類にもはや無くてはならないものだと考えます。

時に宗教は権力者の利権と複雑に絡み、時に陰謀や扇動、戦争の原因ともなり、多くの宗教の教義は現代科学に矛盾する記述も一部ありますが、それでも宗教の存在によって、人類は社会を築けたのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、仰るとおり、宗教の存在が社会の規範を築き、
人間社会を築けたのでしょうね。

なければ猿と同じように、年老いて衰弱したリーダーは
代替わりごとに失脚していってたでしょうからね。

お礼日時:2009/04/01 00:01

日本人は宗教に関して広く浅くですからね


12月25日クリスマス
12月31日お寺で除夜の鐘
1月1日神社でお参り
と短期間に3宗派の行事こなしますから
祖霊のお参りとかもありますね
自分自身は原始宗教なんで神道系になるのかな
直接の生活には結びつかないので無くても問題は無いと思いますよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

日本は確かに神仏習合の習慣が連綿と渡って続いてきているから
宗教には寛容すぎるきらいがありますよね。

私のところは何派になるかは知りませんが日蓮宗のようです。

ところが法事と葬式の時以外はお経を唱えるようなこともしません。

宗教的な儀式や説法を嫌う親の元で育ったので日蓮宗とは名ばかりで
どちらかというと先祖崇拝に近いのかもしれません。

お礼日時:2009/03/31 23:32

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