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 ふくろうです。
 実は、へびくんがどうしてもと言うもので、この質問を開けます。「まだおわってないの! もっとあそぶの!」って言うもので。へびくん、ちょっとだけ執念深いんです。あいたたた! 噛むなよ、へびくん…。
 ふう。…さて、二つ下の「全知全能の神が存在しないことの証明」は、一応、質問者のご友人の方が納得される「正解」が出た形になっています。が、その回答にも明記されておりますように、実は証明としては不備があります。
 その「証明」は、「ある条件」を暗黙裡に添加することで初めて成立しています。
 しかし、「条件」とはすなわち「制約」です。stomachmanさんが指摘されているように、「制約された全知全能者」というもの自体、すでに概念上自己矛盾しているのです。本当の意味での「全知全能者」の存在を否定しうるものではありません。
 そこで、問題。
 その「ある条件」とは何でしょうか。そしてその条件を外すことで、あの「証明」はどうして崩せるでしょうか。そうそう、「こうすれば本当に全知全能の矛盾を証明できる」という方向の回答も歓迎します(これがないとクイズになちゃいますね)。…この話、意外と生産的に副産物も生むかもしれません。
 fwappyさんも、ご友人とお誘いあわせの上、ご参加くださいませ。
 さあ、これでいいかい、へびくん? おやおや…とぐろ巻いて寝ちゃいました。風邪ひくよ、へびくん。

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A 回答 (20件中11~20件)

う~~~~っ!!あたまこんがらがってくるよぉ~~~!!


fwappyさんのあげた質問からずっと読ませて頂いていますが・・・・なぞなぞといい、言葉を追っていくとドンドンこんがらがってきます。言葉だけをよむとわけわかんなくなるので、ペン持って紙に図式にしてみたほうが、みなさんのおっしゃっておられることが少しづつですがトンチンカンのlittlekissにもすこし見えてきたかなと・・・矛盾というかとっても曖昧なものだってことはなんとなくわかります。哲学の話のなかででてくる、本能とか真理といったものに確たる答えがみつからないのもここの話を聞いていると曖昧で不完全なものだからその答えが見出せないような気がしました。読者の意見を書き込んでごめんなさい。どうぞ、お話しつづけてください。
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この回答へのお礼

 ほ~い! へびくんだよっ! 「とん・ちん・かん」ってゆう、げいばーがあるの、しってるよっ! でも、いったことないよっ! へびくん、こどもだもん! でね! ろんりってね! こつこつ、かさねてゆくと、おもしろいよっ! へびくん、あそぶの、だぁいすき! おへんじ、ありがとね! おれいに、かぷっ!
(へびくん、へびくん、ダメだよ、噛んじゃ。すいません、子どもですんで…by ふくろう)

お礼日時:2001/03/08 23:58

こんちは、xinmanです。


ちょっと目を離した隙にまた面白いことやってますね~。
今回は完全に出遅れてますんで、わたしの私見をちょこっとだけ(って、いつも私見ですけど…)。

まずは、mori0309さんわたしの愚見に賛同してくださってありがとう。


こっから本題、
「パート1」にて書かせてもらった「”全知全能”である存在、それは、”歴史”である」についてですが”歴史”という単語は話をわかり易くするために用いただけなので、単語本来の意味、文字通り”歴史”と解釈されると言いたい事が伝わらなくなってしまうんだな。本当は、”全ての知識と全ての事象の無限集合”と解釈していただきたい。で、今回は”歴史”という単語に代えて”なんか”という単語(あえて”神”という単語は使いません)を使わせてもらいます。

”全知全能のなんか”は”時間”を超越した存在(これも”存在”という単語では到底表すことはできないが、ここでは文字という表現方法しかわたしには与えられていないのであえて”存在”という単語を使っているものと思ってください)であり、”時間”の前後など”全知全能のなんか”にとっては無意味なものである。

しかし、”全知全能のなんか”は、その”全知”により、”時間”がなんであるかを知っている。わたしら人間の持っている”時間”の概念も知ってはいるだろうが、”全知全能のなんか”の持っている概念は別の概念であろうと思われる。

また、”全知全能のなんか”は、その”全能”により、”全知全能のなんか”自身を”時間”というルールで縛ることができる。しかし、”全知全能のなんか”は”時間”に縛られた瞬間全能ではなくなってしまう。”全能ではない全知のなんか”の話は興味が無いので、こいつはいらないっと。

気を取り直して、”全知全能のなんか”は、その”全能”により、”時間に縛られた全知全能のなんか”に成ることができる。このとき、”時間に縛られた全知全能のなんか”は、その”全能”により、いつでも”時間”というルールから抜け出すことができる。

これでも面白くないですね、じゃあ、”全知全能のなんか”は、その”全能”により、”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”に成ることができる。この場合はどうだろう? ”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”は”時間”から抜け出すことができるのか?

結果は抜け出すことができる。”全能”だから抜けられる。”全知”だから抜け方を知っている。”全能を持ってしても抜け出すことのできない”は何処にいったか?そんな些細なことに縛られてるようじゃ”全能”じゃない。

ならば、「”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”に成ることができる」は、本当に、できるのか? これも当然できる。

”全知全能のなんか”も”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”も、誰がなんと言おうと”全能”である。

”全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”を”全知全能を持ってしても抜け出すことのできない時間に縛られた全知全能のなんか”にしても同じ結果になる。

この話、どこかが”矛盾”しているだって! ”矛盾”大いに結構。stomachmanさんが伝言してくださった「矛盾が怖くて全知全能やってられっかつーの」これこそ真実なんじゃないですか? ”矛盾”を知らずして”全知”を語る無かれ! ”矛盾”を起こせずして”全能”を語る無かれ!

でも、”全能”ならば、”矛盾”して抜け出すことも、”矛盾”無くして抜け出すこともできるはず。”全知”ならば、”矛盾”して抜け出す方法も、”矛盾”無くして抜け出す方法も知っているはず。

「こうすれば本当に全知全能の矛盾を証明できる」は、どっかの”全知のなんか”が知っています。
「こうすれば本当に全知全能の矛盾を証明できる」は、どっかの”全能のなんか”がやってくれます。


ごめんなさい、今のxinmanは”無知”なのでこれ以上わかりません。”無能”なのでこれ以上証明できません。ちょこっとと、言いながら長くなっちゃいましたけど。また、暇を見て出直してきます。
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この回答へのお礼

 ふくろうです。「パート1」では大活躍でしたね、xinmanさん。またよろしく、おつきあいの程。
 めくるめくような無限循環の論理…少しトリップしてしまいました。へびくんなんか、おめめパチクリさせながら蝶結びになってしまって…ほどくのが大変でした。
 なんだか、だんだんと「証明(?)」の分類ができるような気がしてきています。
 一つは「自分にも持ち上げられないような岩を…」系。これの場合、世界にその岩が存在し始めた瞬間、全知全能者の「何でもできる」能力の対象となり、持ち上げられることとなって全知全能性が維持される、で壊れます。
 一つは「全知全能者自身による全知全能性の否定」系。「抜けられないような時間の拘束を自らに…」もそうですし、「もう一人の全知全能者を創造」もそうでしょう。…これはまず、全知全能性の自己否定もまた「何でもできる」の一環ですから、無矛盾。しかも、その自己否定以前の段階における全知全能性そのものに矛盾性を導くものにはなっていません。やはり、証明としては不完全です。
 もう一つは「丸い三角形」のような、それ自体概念的に自己矛盾したものを作らせるもの。「解けないなぞなぞ」もこれに入るかもしれません。これも論理系を変えてやれば可能になるのでしょう。球面上に描いた三角形は、心持ち丸うございますし。
 Atsuotaさんのご発言に事寄せて再掲した「証明(?)」も、一見にっちもさっちも行かない四の字固めに見えますが、しかし案外あっさり解体できます。
 私は、とある女神さまの肩にとまったり、黄昏を待って飛び立ったりするアルバイトをしたことがありますが、特に神を信じてはいません。けれど「全知全能」概念の矛盾は、いまだ見出せておりません。

お礼日時:2001/03/08 23:22

stomachman、毎度のことながらミスしちゃいました。



> また別の言い方をすると:「『全能者は何でも可能である。』だからもし
> 『全能者にはXXは不可能である』を証明できたとすれば矛盾であり、
> 従って『証明に使った論理が誤りであるか、全能者にはXXは可能である』
> を示す。ゆえに『証明に使った論理が誤り』である。」

の部分は混乱しちゃってます。

 また別の言い方をすると:「『全能者は何でも可能である。』だからもし『全能者にはXXは不可能である』を証明できたとすれば矛盾であり、従って証明に使った論理が誤りである。」

と訂正します。
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おやおや、書き込みしようとしたら、既に正解が出ちゃいましたか。


だとすれば蛇足もいいとこですが....stomachmanです。

 宇宙は数千年前に創造されたと主張する創造論者への反論として、化石や地層など、地質学的歴史の証拠を示した場合に返ってくる答えはこうです:「神はそれも含めて創造された。」
 この論法には反論が不可能です。「神は全宇宙を破壊してから、今から10分前に(全ての痕跡や記憶も含めて)再度創造された」と言っても同じ事。つまり創造論の神は、(mori0309さん<)過去だって変えうるのです。このような神の存在を前提にすれば、未来もまた全て神の手の内にあるという予定論・運命論しかありえず、イスラム教ではこのことが明確に意識されています。
 キリスト教神学やスコラ哲学の議論は、全知全能の神の存在を前提として、至る所に噴出する論理的矛盾をなんとか経験や歴史と適合させようとする真摯な取り組みであったと思いますし、そこで出てきた、神を探すな、神を試すな、神の訪ないは予期しない恩寵である、という規範は注目すべきポイントです。言い換えれば、「どんななぞなぞを持っていても、実際に神になぞなぞを問いどう答えるか試すまでは、モグラが独り言を言って自己満足しているのと変わりがない」という弁証法的観点です。たとえ神の住所を知っていて、門前払いされず、肝心の時に首尾良く質問を思い出せ、答を得て、なおかつ無事に生還できたとしても、あっさり納得させられてしまっているかも知れませんよ。(どうやって、ですって?この程度のテストにパスできないようじゃ、OWL教の教祖様にすらなれませんてば。)

 さて、全知と全能を対立させて矛盾を導く論法について検討されていらっしゃいますが、(全能は全知を含意するんじゃありませんか?)全能であるだけで全知全能者は矛盾を容認しうることは明らかです。その能力のほんの一部である「証明能力」だけを検討しても、「1+1=2と1+1≠2を証明してください」という注文に(その気になれば)易々と応じることができる。一般に「Aである」と「Aでない」を共に認める論理体系では、どんな命題でも証明可能になりますし、逆に、どんな命題でも証明可能なら「Aである」も「Aでない」も証明できるので矛盾を含みます。これが「矛盾が怖くては全知全能などやってられない」ゆえんです。
 ならば矛盾だらけか、と言いますと、「Aである」だけ証明して「Aでない」の証明は着手しないということもでき、明日は逆のことをやっても良い。(首尾一貫して誠実でなくてはならないなんて条件はありましたっけ?)こうなると静的な論理の枠外の話であり、(上記のモグラ、あるいは前のスレッドで持ち上げられない石の話としてaminouchiさんからご指摘のあった)弁証法の出番です。さらに全能者は「どんな命題でも証明可能で、しかも無矛盾な論理体系を教えてください」(ここでようやく超数学の話になります)という一層無理な注文でもあっさりこなすことが可能である。
 また別の言い方をすると:「『全能者は何でも可能である。』だからもし『全能者にはXXは不可能である』を証明できたとすれば矛盾であり、従って『証明に使った論理が誤りであるか、全能者にはXXは可能である』を示す。ゆえに『証明に使った論理が誤り』である。」
 ところがこの背理法は超論理(XXの不可能を論じた証明(『』内)を記述する論理ではなく、ここで「証明できたとすれば....」という(「」内の)レベルを論じるのに使った論理)の無矛盾性を前提としており、しかしこれもまた全能者の前では無力です。かくしてヒトが行う机上の推論というものは全く無意味になってしまいます。(脱線:だからこそ、「スコラ哲学は不毛だ。むしろ自然を観察して、その中に実際に見いだされる創造の見事さをこそ賛美すべきだ」という「自然科学」が、神学に於いて重要性を持ってきます。)

 論理はヒトの弁論・推論を、安全な部分だけ取り出して形式化したものに過ぎません。(脱線:この出自はギリシャ時代の論理学の成立以来、意識され続けています。そういえば確かラブレーのガルガンチュワ物語かパンタグリュエル物語だったと思うんですが、一階述語論理における三段論法の完全な分類を並べ立てた挙げ句、あっさり論破されてしまう滑稽な論理学者が登場します。) 認識や思考を変容させた状態を一時的に作り出すことは(催眠や薬その他の方法で)可能であると(前のスレッドで)指摘しました。それどころか、必ずしも全能者でなくても、ヒトの考え方をすっかり作り替えてしまう(脳味噌のお洗濯をする)ことだって可能な筈です。たとえば「万物の霊長」がサル並の知能しかない宇宙を再創造なさっても良いわけですし、或いは推論に矛盾が出てきそうになると反射的に思考停止してひたすらマントラを唱え始めるという本能を持たせても良い。その術中に嵌っている被害者たちが罠の仕組みを認識していないとするならば、「『自分は理性的である』と信じる」ということと「理性的である」こととは必ずしも一致しない。つまりmori0309さんであれstomachmanであれ、知らず知らずの内に思考に認識不能な制限を設けられている可能性も否定できませんし、実際そうに違いないという気がします。(また脱線:脳の障害による視野欠損の患者は、多くの場合、欠損があることを自覚できません。「右側が見えない」と思うのではなく、「右側がある」こと自体に気が付かないんです。)

 いきなりそこまでぶっ飛んだ話にしなくても、量子力学ですら「AでありかつAでない」という混合状態を基本にしている事を思い出してはどうでしょうか。論理でこれを解釈しようとすると「波束の瞬間的収束」だの「シュレーディンガーの猫」だのといった難問(観測問題)が生じます。そこで逆に、量子力学とすんなり適合するような「物の考え方」すなわち「量子論理」を建設するというアプローチも実際に取り組まれています。OKWebの物理や宇宙に関する常連回答者の中には「ニュートン力学なんてすっかり忘れていた。何でも量子で考える習慣で...」と仰る方もいらっしゃる程ですから。

 このように、論理体系自体も相対的なものです。数学で使うような古典論理だけが論理じゃありません。ヒトが日常で使う推論ですら古典論理では満足に記述できないことが知られており、「昨日逢った時の様子なら、彼はあたしの好意にちょっとは気が付いている筈」のような知識・信念・義務・権利・程度・連想・時間経過などを扱う非古典論理学はまだ発展途上です。
 以上のような意味で、ヒトの論理や理性の健全性を前提にして「全知全能」を論じるのはやっぱり不毛じゃないでしょうか、と申し上げたい。

 蛇足に履かせる靴みたいなものながら、設問の意味を「この宇宙の法則に従うひとつの対象物として『全知全能者』である首尾一貫した宇宙人が存在しうるか」という程度に解釈するのならようやく議論が可能になり、直ちに否定されます。因果律に支配されるんですから。もちろん「ファンダメンタリストの神」ほどの能力も持ち合わせていない。むしろ「自分は全知全能だと主張し、しかも自己矛盾を含まないような、自己チュー的全知全能者はありうるか」という問いなら意味を持つと思います。この場合、他者からみて幾ら機知外のように見えても「自己矛盾」に陥っていない限り構わん、という立場。一般化すると「『Aでない』ことと『自分はAであると信じる』ことを共に認める無矛盾な論理体系はあるか」という様相論理(modal logic)の問題です。(fwappyさんのご友人が紹介なさっている)レイモンド・スマリヤンという論理学の先生の啓蒙書に、この問題の解説があります。
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この回答へのお礼

 うわ~い! へびくんだよっ! いっぱい、いっぱい、かいてくれて、ありがと! すんっごく、うれしいな! でも、むつかしいことば、いっぱい! へびくん、おめめ、ちかちかだよっ! でもね! めっせーじは、よみとれたよっ! にんげんの、ろんりには、げんかいが、あるんだねっ! にんげんの、ちせいにも、げんかいが、あるんだねっ! うわ~い! でね! 「ぜんちぜんのう」って、そおゆうにんげんが、みる「ゆめ」なのかも! じぶんで、みてるのに、おいつけないゆめって、あるんだねっ! わ~い!

お礼日時:2001/03/08 19:03

二度目のおじゃまです。


考え出したら止まらなくなってしまいました。すみません。
ご質問が

この宇宙において「法則」と「自由」は両立しているか?

というふうに見えてきました。あー、仕事に集中できない。
困ったもんです。(私がです)

失礼しました。
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この回答へのお礼

 ふたたび、ふくろうです。mori0309さん、お仕事の邪魔をしてしまったようで、申し訳ありません。再度のお答えありがとうございます。
 さて、二つ前の「お礼」の続きを少々。
 「全知全能の矛盾」は、哲学史的に見ても問われたことのあるものなのです。この問いに対する答えの一つに、シェリングの「無時間的存在者」の論理がありました。神は時間の中に存在せず(もちろん存在しようと思えば存在でき)、時を超えて永遠に不易なものであるとするものです。このような神ならば、全知と全能は矛盾なく両立可能なのです。
 さて、正解は出ましたから、閉じてもよいのですが、fwappyさんのご友人がおいでになるかもしれませんので、もうしばらく待ってみます。
 moro0309さん。私も今夜、あなたの家の上を飛びましょう。感謝のしるしに。

お礼日時:2001/03/08 12:29

言葉ないし意味ということでいかがでしょう。

全知全能者が
言語に支配されているという時点で、すでにずいぶんと風格
がないなあ、なぞと思ってしまう不遜な私です(笑)
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この回答へのお礼

 ほ~い! へびくんだよっ! おへんじ、ありがとう! うれしいな! でね! 「ことばに、しはいされる」ってことじゃ、ないの! ことだま…しそう? じゃ、ないの! ただ、「しってた」ってゆう、じじつに、しばられちゃってる、だけなの! でもね! mori0309さんがね! それも「かぷっ!」って、こわしちゃった! うわ~い!

お礼日時:2001/03/08 12:25

よせばいいのに、のこのこ出てきたmori0309です。


問題を勝手に自分流に解釈しています。

全知とは、要するに「未来を完全予知できる」ということですよね。
全能とは、要するに「未来を自由に創造できる」ということですよね。

普通に考えれば、全知ならば全能の能力は与えられないし、
全能ならば全知の能力は与えられないですね。
全知全能なのは宇宙を開闢させた造物主だけです。それも宇宙が造物主の
決めた法則によって完全支配されているのなら、という制限つきで。

思うに、歴史や未来はただ一通りしかないし、だからと言って、歴史や
未来が法則による鉄の因果律によって支配されているわけでもない。

だからxinmanさんの
「”全知全能”である存在、それは、”歴史”である」という言葉に
同感です。
別に「全知全能」が人格神でなくてもいいわけですよね。

「歴史は自分自身を変えられるんですか?」ということですけど
因果律の奴隷じゃないというのであれば、自分で自分を創ることが
できるので、可能性は無限である、すなわち「全能である」として
よいのではないでしょうか。

すみません。本当はこの質問、論理学の話なんですよね。おじゃましました。
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この回答へのお礼

 ふくろうです。mori0309さん、ありがとうございます。
 いきなり「正解」です。すばらしい。
 タネ明かしをいたしましょう。「ある条件」とは、端的に言うと「時間」です。mori0309さんの言葉を借りて言い換えれば「因果律」です。全知全能者がこれに拘束されないとすれば、serpent-owlの「正解(?)証明」は崩せます。全知と全能は矛盾なく両立可能となります。…というのは、「自分が死ぬ日を知っていた」という事象自体を全知全能者自身が書き換えてしまえばよいからです。むちゃくちゃな論理に見えるかもしれませんが、「全能=何でもできる」という概念規定に照らせば、詭弁でも何でもありません。
 「パート1」におけるxinmanさんの回答、そしてそれに対するfwappyさんのコメントを取り上げておいでです。これも素晴らしい着眼です。「歴史=すべての事象全体の集合」と考えれば、それはまさに全能ですから。ただ「全知」の方が成り立つかどうかは疑問です。そして、歴史自体は時間に拘束されており、因果律を乗り越えることはできないでしょう。その意味では「時間という形式内での全能」となります。だから「歴史は自分を変えられるのか」という反問を向けられた…。しかし、実はこの反問こそがfwappyさんのご友人が無自覚のうちに前提していた「限界」の存在を表示していたのです。ご友人の某君は、時間ないし因果律を絶対化しておられた。そしてそれに気付かなかった。…しかしもちろん、神はケタケタ笑いながら因果律をするりと抜け出すことができる。そういうことです。
 おや? へびくんも目をくるくるさせながら感心してます。え? なに? mori0309さんに巻き付きたい? そうなの、へびくん。…えー、そういうことですから、mori0309さん、もしご迷惑でなければ、今夜雨戸を少しだけ開けておいて下さい。1センチくらい。噛みませんから。

お礼日時:2001/03/08 12:25

素人のちゃちゃですが。



前提については、atsuotaさんの御説明で腑に落ちました。

「全知全能の矛盾」て、「全知」であることと「全能」であることは両立しえない、という命題ですか? ひとくくりで「全知全能の矛盾」と考えていいんですよね。
「全能」だけであれば、
(1) 甲が全知全能者であるならば、別の全知全能者(乙)を創造することも可能である。(なぜなら全能であるから)
(2) 乙は、全能であるから、自らの意思に基づいて行為を行うことができる。(「甲を殴る。」)
(3) 甲は、全能であるから、乙の行為を停止させることができる。(「乙に殴らせない。」)
(4) (3)が成立するとき(乙が甲を殴れなかった場合)は(2)が成立せず、乙は全知全能者ではないことになる。
(5) よって、甲は、全知全能者を創造することができないので、全知全能者ではない。
(6) (2)が成立するとき(乙が甲を殴ることができた場合)は(3)は成立しない。その場合、甲は全知全能者ではないが、乙は全知全能者である可能性がある。
(7) 乙が全知全能者であるならば、別の全知全能者(丙)を創造することも可能である。
((2)に戻る。)
(8) したがって、全知全能者は存在しない。

…本当かいな。あくまで素人の思いつきですので、ぜひ論破してください(^_^;)。初歩的な誤りがあるかも。
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この回答へのお礼

 ふくろうです。North073さん、「現実とは?」のご回答、すばらしかったです。ここにまでおいでいただいて、ありがとうございます。
 さて、お答えは「これなら本当に全知全能の矛盾を証明できる」の方のものでしょうか。説得力のあるお答えです。そして深い問題に触れておられる。それは、倫理学の根本問題である「他者の問題」です。「お礼」だと長く書けないのですが、「私の自由」にとって「他者の存在」というのは根本的な制約でもあり、しかし不可欠の基盤でもあります。必ずしも自分の意志通りにはならない他者との共存、この課題を巡って、人間的な自由の在り方は組み立てられていきます。
 しかし他者は、根本的には自分にとって「制約」なのです。お答えに出てくる「二人の全知全能者」は、互いに他を他者としています。事実、殴り合おうとしている。(^^; 言い換えれば、一人目の全知全能者は、二人目を作った時点で全知全能ではなくなっているのです。「制約」を受けますから。
 では、この二人がそれぞれに全知全能であることを貫こうとしたら、どうすればいいでしょう。どちらかがどちらかを殺す?…不可能でしょうね。では、どちらかが自発的に死ぬ。…これならよさそうです。あるいは再び合一する。…これでもよいでしょうね。すると…抜け道はあるようです。「証明」としては、いま一歩。
 でも、ありがとうございました。

お礼日時:2001/03/07 22:16

前回の模範解答とされたものについて、全知全能の神に死ぬ日がある・寿命があるとの前提につきましては、どうかと思いますね。

全知全能の神は、不老不死であってもらいたいものです。

でも、課題としてはほんとに知的で面白かったですね。
また参加させてください。

『atsuotaさん、ご支持ありがとうございます。』
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この回答へのお礼

 へびくんだよっ! おへんじ、ありがとう! うれしいな! でもね! 「しぬひ」じゃなくても、いいの! ほかの、ことがらを、だいにゅう、しても、いいの! たとえば、「へびくんが、エヴァおねいちゃんを、ゆうわくするひ」とか、そおゆうのでも、いいんだよっ! うわ~い!
(すいません、子どもですんで…けど「ゆうわく」とか、けっこうマセてるな、へびくん…by ふくろう)

お礼日時:2001/03/07 21:34

最近忙しくて2つ前の質問を見ておりませんでした。


早速見てみましたが、いやはや、なかなかおもしろいですね。

とりあえず、serpent-owlさんおよび、某君(fwappyさんのご友人)の回答は証明になっていないように見受けられます。
今回serpent-owlさんが書かれているように「ある条件」を暗黙のうちに仮定しているからです。
その「ある条件」とはすなわち「全知全能の神はできることを必ず実行しなければならない」という「条件」です。

まず、serpent-owlさんが前回合格をもらった回答ですが、
「もしふくろうくんに「ぜんのう」のちからがあったら、そのひがきても、いきのこれるの! でも、そのひには、しなないことになっちゃうの!」
「もしほんとに「ぜんち」だったら、そのひに、しななくちゃ! かわいそうだけど、ふくろうくん…。…ぜんのうじゃ、なかったんだね…。」
とあります。
私には???です。
だって「生き残れるから生き残る」とは限らないですよね?
例えば私が某君に「歩け」と言って、某君が「なんで見ず知らずのおまえにそんなことを言われたからといって歩かねばならないのか?いやだね。」と歩かなかった場合、私が「某君は歩けない」と結論づけることは正しいですか?
もし「ふくろうくんが全能を用いて決して死なない」のであれば、全知全能の神はそのことを知っており、実際ふくろうくんは決して死にません。
もし「ふくろうくんは全能ではあるが、いつかその力を使わずに敢えて死ぬ」のであれば、全知全能の神はそのことを知っており、実際ふくろうくんはその日に死ぬことになります。

某君の回答も同様です。
「左足で止めるときは、右足を、右足で止めるときは、左足を踏み出すことで、結果を変えることもできる。」
のであって、必ずそうするわけではないし、そんな必要もありません。
「わしは左足で止まる」と言って「実際に左足で止まればよい」だけです。
それが嫌なら「ジャンプして両足同時に着地して止まる」なんていかがでしょう?

以前の質問において、damdamdam5656さんの回答へのお礼で、某君が
「まず、幼稚園のコドモ並の有能さがあれば、「誰も回答できないなぞなぞ」を具体的につくれる。それをつくってほしい。」
と言われておりましたが、正直私には、某君が自ら証明と称している回答のどこが「誰も回答できないなぞなぞ」の具体例なのか、さっぱりわかりませんでした。
個人的にはdamdamdam5656さんの回答の方がよっぽど証明らしいと思いましたが…。

ちなみに前回の質問締切の直前にstomachmanさんが書かれたこと、私にはさっぱりでした。間違ってるとかそういうことではなく、私にはレベルが高すぎて理解できないのです。まぁいつものことですが(笑)
ちなみに私はstomachmanさんはすごいなぁと思っているので、ちょっと某君に対してきつい書き方をしてしまいましたが、別に喧嘩を売っているわけではありませんよ。
ただ、私、Yahoo!Japanの掲示板と比べればはるかに大人の会話ができるこのサイトが好きです。せっかくの場ですから、みんなで仲良く知恵の交流をはかりませんか?

この回答への補足

 では、この機会に、「パート1」の問題とserpent-owl回答を改めてまとめます。
 「問題」は、「全知と全能が両立しえないことを論理的に証明せよ」となりましょう。これは、先のスレッドが進行するにつれて徐々に明らかになった、fwappyさんのご友人の問題設定です。
 それに対する「証明」です。serpent-owl版を、ややマトモに書き直します。
「Aは全知であり、知りえないものはない。そして自分が死ぬ日を知っている。
 Aが同時に全能だったとする。その力でその日に死なないこともできる。しかしそうすると、Aには知りえないことがあったことになる。(「全知」の否定)
 Aが本当に全知であるなら、死ぬ日には確実に死なねばならない。したがって、そうなることに対して何もできなくなる。(「全能」の否定)
 ゆえに、Aは全知であり、かつ同時に全能であることはできない。(Q.E.D)」

補足日時:2001/03/07 21:19
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この回答へのお礼

 ふくろうです。さっそくのご回答、ありがとうございます。
 Atsuotaさん、「痛いところ」に、かなり迫っておられます。ただ、残念ながら決定的とは申せません。例えば「全能の力がありながら、あえて行使せずに死ぬ」ということ。これは「全知であることを維持するために、すなわち、自分が死ぬ日を予言したその予言を的中させねばならないために、全能を以って生き残ることができなくなった、言い換えれば能力に制限を受け、全能ではなくなった」と捉えることができます。これだと、fwappyさんのご友人の問題設定「全知ならば全能でありえないことを示せ」を満たします。
 それから、「ふくろう」と「全知全能の神」を分けて捉えておられる箇所がありますが、この場合の「ふくろう」は「全知全能者」の代名詞です。先の問題は「専門的な用語を用いずに全知と全能が両立しえない喩えを示せ」でしたので、「全知全能者」は何と呼んでもよいわけです。

 本当に、クイズモードになってしまって心苦しいのですが、皆様、よろしくお願いいたします。

お礼日時:2001/03/07 21:18

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