歳とったな〜〜と思ったことは?

いじめを根絶したい、いじめはあってはならないという立場での質問です。
よく、「なぜいじめが起こるのか」という問いに対し、「いじめられる側にも原因があるから」という答えがくることがありますが、いかなる理由があろうともいじめはいけないことを私自身はわかります(理論的に分かると言うより人としての生き方としてわかるという感じです)。しかしこのことを本来いじめている者(ここでは中学生を対象としています)に言っても理解ができないことがあります。彼らは、相手(いじめられている者)がむかつくことをしてきたとか、暗いとかダサいからと言います。また、本来いじめをしていない傍観者的な立場の子も、その考えに同調しがちです。そこで、理詰めで「いじめをしてはいけない理由」を説明したいのですがどのような説明が一番わかりやすいでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

「いじめは何故いけないか」ということを一から説明していくのは大変に困難があると思われます。


それというのは「いじめ」というものが極めて「原初的」なところから発生しているためです。

幼児は最初は「いじめ」というものに無縁です。
しかし幼稚園などの「社会性」がある場所に自分が参加することで「自他比較」というものが始まります。
そのことによって自分が何者か、どのようなポジションか?などの認識を行っていくわけですが、その過程の中で「他者への有利性」を明確化するなどのために他者を「蹴落として」いくわけです。
これは非常に本能的な行動です。
鳥の一種は、一つの巣の中にある卵が孵化し、他の卵の孵化が遅れている場合、雛は無意識に「あとずさり」を行い、結果的に他の卵を巣の外に追い出してしまいます。
同じようなことが、人間にも当てはまるのではないか?と私は思っています。
競争心というものが人間の「DNA」には組み込まれているのでしょう。
「いじめ」というのは、私は
「極めて本能的なもの」であり「生存本能」に近いものがある、と考えています。

昔は「本能行動」を抑制する仕組みが、日常生活の中で機能していました。
子供が悪事を働けば即座に殴られたし、先生の体罰も珍しくも何とも無かった。
そこには「有無を言わせない権力」がありました。
自分の「言い分」は後で聞くにせよ、示し…行動として即座に執行される「罰」は「絶対的なもの」を当人に感じさせる働きがあったのです。

家族間の関連性もそうでした。
「家父長制」は、理由がどうあれ「権力者」は年長者という決まりがあり、その地位は高かった。
これは同時に「実力者が一番では無い」ということを、暗黙の了解のうちに子供たちに伝える役目も持っていました。
子供たちは、そうやって「本音と建前」を巧妙に「小さな社会」に教え込まれていたわけです。

教師だって人間…されど、先生は先生。
お父さんのほうがいっぱい働いてる…でも、おじいちゃんが一番偉い。
…「いじめ」は競争心など「本能的」と言いました。
どんなに教育で「みんな同じなんだよ?」と教えても、本能はそれを拒否します。
それに対峙し、コントロール化における存在は、それが真実ではないにせよ「権力者の絶対的存在」であり、その立場ゆえに可能だった「指導力」でした。

クラスというのは小さな社会です。
社会というからには権力者が必要です。
権力者の存在意義は文字通り「権力の行使」であると同時に「責を負う存在」でもあります。
「責任者でもある」ということですね。
責任者がいることで、他の人間(生徒)は自由に自分たちの行動を展開することが出来、そしてその反面「権力者」の鉄拳制裁が待っているか?と思うと、軽々しく自己本位の行動に走ることが出来なかったわけです。

今のクラスは、どうでしょうか?。
権力者ではなく責任者でもなさそうな教師。
制裁を恐れず、のびのびというと聞こえはいいが「無制御」な生徒。
…このような「コミューン」で、どうやって「小さな社会」が成立できるでしょうか?。
わたしは「大変に難しい」と言わざるを得ません。

私は「昔に戻せばいい」とは単純には考えません。
しかし「今までのもの」に変わるものを創造、成立させ、継続させていくというのは「恐ろしいほど」大変な道程であると思います。
私はこの場で何回か書いているのですが
「国民的プロジェクト」を踏まないと「いじめ問題」は解決、もしくは低減なんてしないと指摘してきました。
「理詰め」で行っていくとしたら、国家的プロジェクトの元、法制化してでもやらないと「絵に描いたもち」になると思うのです。
それくらい遠大で、難しい問題だと私は思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。とてもわかりやすいです。

お礼日時:2009/05/10 22:54

自分がされて嫌なことはしない。


された人も嫌なはずですから。

いじめている側の人が、自分がしてる同じ事を、自分がされた時に置き換えてイメージ出来たら理解してもらえるのではないでしょうか。

無視とか、暴言、暴力、悪口なんて誰だってされたら嫌な事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 23:10

ぼくは、今中1です。



「いじめられてる人間が、いやな思いをするから」以外答えはないでしょう。
まず「いじめられる側にも原因があるから」
などなんてだだの言いわけです。
「原因がある」=「友達が、いじめる」
では、おかしいのです。
いじめられている人間の苦しみがわからないならアホとしかいいようがありません。
回答になっていなかったらすいません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 23:10

根絶は無理だと思います。


誰もがストレスのはけ口を探しています。
相手が人間だと反応がわかるので、わかりやすく自分のほうが
立場が上と錯覚できるから手軽なストレス発散です。
でも実際に問題は解決していないので
エスカレートしていき、相手の人間性とか生活とかまったく意識にも上らなくなります。

「いじめをしてはいけない理由」はいじめをしている人には伝わらないと思います。
わかってたらやってないからです。

それよりも、「いじめがどんな馬鹿な行為か」を説明するとか
(もししているなら、恥ずかしいという感情が沸くかも)
「どこからがいじめか」を議論させるとか
(自覚なくいじめに加担しているのに気付くかも)
「暗いとなぜいじめていい理由になるのか」を突き詰めて聞いてみるとか
(順をおって聞いていくと、いじめる側の心の闇がみえてくるかも)
のほうがいいような気がします。
いくら「いじめをしてはいけない理由」を説明されても
受け取る心がないと腑に落ちない話になるからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 23:09

>「なぜいじめが起こるのか」という問いに対し、「いじめられる側にも原因があるから」という答えがくることがあります



いじめとけんかは違います。
いじめは、「いじめられる側 に も あった原因」相応を、はるかに超える危害(精神的・肉体的)を与える行為です。


>相手(いじめられている者)がむかつくことをしてきたとか、暗いとかダサいからと言います

性格的に暗いことは法律に違反しませんが、暴力を振るったり物を奪ったり壊したりする行為は、それぞれ暴行・窃盗・器物破損の犯罪です。


「たとえ相手に多少の原因があったとしても、明らかな過剰防衛だからダメ!」
「犯罪行為だからダメ!」

ではいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 23:08

・非生産的である。

いじめても何も解決しないし、何もうまれない。
・「いじめる」という行為自体が暗い。陰湿。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 23:01

人の嫌がることはしない。

ということが第一に挙げられると思います。
逆に、いじめをしてもいい理由ってあるのでしょうかね~。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 22:57

いじめる側といじめられる側とが区別できる状況でなら、


いじめる側に、いじめられる側の立場で作文させてはどうでしょうか。
いじめる側はその行為に正当性があると考えてますから、その立場から話を引き出すよりも、逆の立場で考えさせることが肝要です。
また作文というのは一種の証拠としても機能しますので、理詰めで説明するためには重宝するはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 22:56

う~ん、回答にはなっていないかもしれませんが・・・



本当は説明するまでもなく、誰もが「いじめはよくない事だ」を分かっているんじゃないでしょうか。
現実にいじめをしている人間も、それが正しいことなどと思っているのではないと思います。

人は誰しも「やってはいけないこと」をやってみたくなる衝動ってあると思います。
脱いじゃいけない場所で脱いじゃったりとか(^^;
また、反抗期のようなもので「いけないこと」「だめ」って言われるからこそやってやる!みたいな時期もありますし。

「むかつく」とか「ださい」とかは言い訳にすぎないんじゃないかな。

だから、「いじめはしてはいけない」と分かっている相手にその理由を説明してもあまり意味はないと思うのです。

他の方がおっしゃるように「いつか自分の身に返ってくる」というような話の方が効果的かもしれません。

それは「いつかあなたもいじめられる」ではなくて、「いけないとわかっていたことをしてきたことを後悔する」という意味で。

実は私も昔(30年以上?(^-^;)はいじめられっ子でした。
随分と悩み、苦しみもしましたが、おかげで私はいろんな意味で強くなれたと思います(っと、これは質問には関係ないですね)。

で、最近、同窓会などで昔私をいじめた相手とも飲んだりします。
ちょっと意地悪く「昔は随分といじめられたようなぁ・・・」なんて言うといじめをしてた相手はみんな「まぁ、それは言わないでくれよ~」とごまかします。
「悪いことをした」「すまないことをした」と心では思ってるんでしょうねぇ。ちょっと得した気分になります(^^;
長くなりましたが、「いじめをしてはいけない理由」よりは「いじめをすることでいつか後悔すること」を教えた方がいいような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 22:56

本能的なものも前提としてはあるのだと思いますが、あまりにも無意味なものは問題ですからね・・


ですがそれを理屈で理解させるというのも限界があるでしょうし、言ってもわからないのが現状だと思います。
いけない事は理屈抜きでいけないと言える人がいないのも、いじめた理由に同調してしまうのも問題なんですけどね。

まぁ~ちょっと乱暴かもしれませんが、どんな人でも欠点のない人はいないのですから、その子の欠点をいじめられている子のそれと置き換えてシミュレーションをしてみるのが一番わかりやすいのかも?
無視や言葉の暴力などは実際に体験させてみれば、わざわざ説明しなくても自分自身で何かを感じ取る事が出来るかもしれません。
その上で、人の欠点を責めていじめる事の無意味さや情けなさを説明したらいいのではないでしょうか。
いじめている子の多くは、自分自身や自身の行いを客観的に見る事が出来なくなっているような気がするので・・
ただそれがわかってやっているのだったら、その子自身にカウンセリングが必要なのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/10 22:55

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