
A 回答 (14件中1~10件)
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No.14
- 回答日時:
成功だけが繰り返されていましても、
失敗との比較を行なわせて貰えませんと、
成功の価値が十分に諒察され難く、そのせいで、
同じ成功を迎えられない方々の苦労への配慮が乏しくなりやすいですね。
No.13
- 回答日時:
人は失敗から気づく
と言うことでしょうね。
失敗しても続く人は気づかずに繰り返す。成長がないですね。
学ぶというのは、自然にすることではないと思います。
人は勉強が嫌いな部分があると思いますので。
ただ、成功したいという目標がある場合に、失敗から失敗したヒントを発見して、逆にそれに手を加えて、成功の方向にむける。
向けるために学ぼうとする。と言うことでしょうか。
失敗から学ばないのはおろかですね。
人格が問われますね。
学ばない人からは離れましょう。被害がおよびます。
学ぶのは知恵ですね。知恵で学ぶ事を思いつく。
賢明か愚かの見分けるのが、学ぶか学ばないかでしょうね。
ある意味、人の本性を見分ける基準になりますね。
No.12
- 回答日時:
一つ目の質問に対する解答
たとえば、ごはんを食べたときにおいしいと思ったことがありますが、これは別に失敗から学んだからおいしいと思ったわけではありません。
なので、すべてが失敗から学ぶというわけではないと思います。
二つ目の質問に対する解答
同じ理由で、失敗から学んだわけではないことが許されないわけではないと思います。
三つ目の質問に対する解答
いちいちごはんをおいしいと思うことまで認められないとなってしまうと非常に生きにくいと思いますから、認めなくてもいいと思います。
No.11
- 回答日時:
maimai.susです。
そう言った事は、「今」の取りあえずの基準として存在していると自分勝手に思っているのですが。
なので、許されていると言うよりも、ある意味、今の形はこうだと言う開き直り状態なのではないでしょうか。
だからこそ、許されようが、許されまいが、より正しい答えを求めるのが、科学者であり哲学者その他もろもろの人達ではないのでしょうか。
っと思う。
No.10
- 回答日時:
NO.6です。
>実在と人間の知識を区別して
知識は真であるとは本当はいえないと--
これを「人は失敗から学ぶ」と言い換えられたのですね。
…
ま、その心は理解できないこともないと----。
結構飛躍である、とは思います。
ちょっと思いもつきませんでした。
そういう意味では人間の歴史は失敗の歴史です。
そういう意味では周囲のものはすべて仮説であるといって間違いではないでしょう。
そういったはりぼての世界で自ら騙されて生きることをよしとしているのが人間です。
それは認めねばなりますまい。
でも、プラトンがいもじくも喝破したように、それをよしとしないのが真理を愛する哲学者なのですね。
まず、哲学は言葉を正しく使うのが基本です。
法学者ほどではないですが。
回答ありがとうございます
やっとキャッチボールが成功しました(笑)
言葉は気をつけます。
何から知れるのかが大事だとおもったんですよ
ただ、いや違う~だというのとは違いましたね
No.9
- 回答日時:
うーん、成長する為に必要な事柄の一つではあるが、許されるかどうかは別の問題だと思うよ。
失敗の内容次第で許されるかどうかは決まるんでないの。
例えば車の運転で、人、引き殺したら法律が許してくれないですよね。
回答ありがとうございます
自分を許して欲しいんじゃないです(笑)
科学や哲学とか失敗(間違い)する可能性がありますよね
人の知識や思考やらはすべてそういうことか?
そうだとして正しいといいきることはそれが前提にあって
許されてるんですよね?
ということで
科学や哲学やら学問、思想etcが正しいとはそういうことですよね?
No.8
- 回答日時:
人はすべての事象から何かを学ぶことができる
人は経験から学ぶ
失敗もまた人生の経験の中のひとつである
ゆえに、人は失敗から学ぶものである
<第一部終>
ただし、人に許されている事象は、ひつとして存在しない
つまり認めないといけないことなど
なにひとつとしてない
<第ニ部終>
注意:
疑問形でつづられた言葉は、すべてを=
真実に反することさえも、あたかもそれが真実であるかのように
表現することを可能にする
例)
XXさんがいじめられっこだってうわさは本当ですか!?
質問者のご質問につきまして、最後の2行
は、論理学的にナンセンスです。
<第三部終>
No.7
- 回答日時:
kaitara1ですが、私が実験と書いたのは無害なシュミレーションとか予行演習と言われているもののことを考えていたわけです。
しかしこういうシュミレーションや予行演習を十分(と思われるほど)やっても実行してみると結果は失敗だったということもよくあると思います。貴方が言われる許されるというのはこのような場合のことではないのでしょうか。回答ありがとうございます
肯定されてる そうである可能性がある 成功している
そういう状態にある思考、知識は
否定される 不可能性がみつかる 失敗する
可能性がある
逆はない
そうじゃないですか?ということです。
許されるの意味はしたの回答のお礼に書いてます。
No.6
- 回答日時:
「人は失敗から--」こういった命題を出してみる。
うん、あまり食いつきがよくないな。
失敗だったかな。よし、次は
「人は成功から学ぶ」この命題で行こうか!
こういった進み方を「試行錯誤:カットアンド・トライ」とかいっていたような気がします。
基本的には失敗が目的でない事は明白です。成功のために当面何をするのが有効か?ということをみんな懸命に考えての風景だと思います。
当面する関係情報を集合して論理的に組み立て、前進するための最善の方向を決定して一歩前へ出てみる。未来は誰にも分かりませんが、こうやって未来を自ら作っていかねばいつまでたっても前進は出来ない。その結果が成功でなければ、一度撤収し、その(失敗を含む)新たな結果を情報の材料に取り込んで方向を再度思考し、---、というやりかたですね。科学であれ政治であれ経済であれ、思想であれ芸術ですらこういうやりかたを取っている面はあります。
「人は失敗から学ぶ」とはこういうことではないかと私は思います。
許されるというよりも、未来は読めないという人間の限界を突破するための一つの方法論だと思います。
未来における失敗を極小にするための方法論であって、失敗そのものをを推奨しているわけではないでしょう。
回答ありがとうございます
まあそういうことですね。
たとえばりんごが赤いという知識があったら
赤いりんごをいくら見つけても学ぶことはなくて
あおいりんごを見つけたときに新たな事を学ぶ
これを失敗から学ぶと書いたんです
実在と人間の知識を区別して
知識は真であるとは本当はいえないと思っただけです
つまり正しいとされてることは否定されうるが
その上で正しいと言い切ることが許されてると思ったんです
理由はそれが人間の基本的な方法だと思ったからです
でも、もしかしたら絶対的に正しいとかいう人がいるのか興味あって
質問しました。
そう~ですって説明してほしいんじゃなくて、
いや違う~だというのを期待してたんですよ。
無責任だみたいな回答ばかりでしたが
No.5
- 回答日時:
>>人は失敗から学ぶ
この意味は否定論理から入るということですかね。確かにほとんどのかたはまず否定しますね。成功肯定論理から入る方は非常に少ないですね。
その意味では「人は失敗から学ぶ。」は真理を突いてますね。
この真理が蔓延した理由も考えてみると良いですね。この主な理由が民主主義にあるのですね。個人個人が同等な権利を有しているがために多数が失敗を知り、それに目が留まり安いということでしょうか。否定すれば責任は逃れますからね。
宗教的思想にもよりますね。キリスト教の終末思想などは否定論理そのものですからね。
でもこういう否定論理は割りと歴史的には新しいものですね。
日本でも近代以前は御信託ですから、ご神託で肯定されれば肯定論理ですから、誰も否定できなかったのですね。
日本の神様は偉いから、すべて肯定論理なんですね。
西洋の神様はすぐ捕まって処刑されるような弱い神様ですから否定論理になるのかなって思いますね。
わりと根底の思想が数学論理も決めてるのでしょうね。
良い例は、ホンダの社長であった本田総一郎さんがF1に出て優勝すると公言した時、社員のほとんどが否定だったのですね。でも社長の決定には従うということで結果は、その通り優勝ですからね。
否定論理では立派な創業者にはなれないんでしょうかね。
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