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「誰かを愛するには、まず自分を愛すること」とよくいわれますが、
具体的にはどういう状況でしょうか?
自分を愛している状態になるには、何をしたら(どう捉えたら)いいのでしょうか?
同じように自分をゆるしたり、大事にしたり、自信を持つというのも、
実際何をしたらいいのかがわからずに混乱しています。
考えすぎてしまって、自分勝手、利己的、自己満足との区別もつかずにいます。

最近になって、私がこれまで愛だと思っていたものは、
見返りや、依存、コントロールを含んでいて、
どうしたら本当の愛を与えられるのかが、わからなくなってしまいました。

A 回答 (6件)

こうするんだというガチガチな考えは必要ないんです。


大切なのは自分は自分なんだという折り合い。
貴方の中には自分なりに大切にしたい部分と、出来れば改善していきたい部分と、自分を悩ませるような弱い部分と色々ある筈なんです。
そういう色々な自分の総体が自分自身。
こういう自分は良くて、こういう自分は駄目とか、
自分で自分を切り刻むような受け止め方は苦しくなると。
良い部分も悪い部分も含めて自分なんだよねと言う自覚と、それを自分なりに受け止めてあげる気持ち。それが自分に対する優しい目線であり、受容。もっといえば愛なんです。
等身大の自分から自分なりに良いなと思える自分に近づけていく努力。
大切にしたい部分は大切に育み続ければ良い。
もし納得行かない、そして自分なりに変えていきたい部分があれば、それに対しても誤魔化さずに取り組んでいく。じゃあどうしたらいいのか?自分に足りないのはどういう部分なのか?今の自分から出来る事は何か?自分と向かい合う中で自分なりの一歩を創っていく。そして進んでいく。それも自分という弱い面もまた大切にしていくと言う大切な目線なんですよね。その営みやプロセスは個々全く違う。だからこそ、自分のペースで、自分のやり方で育んでいく必要がある。
そこには他者の評価は要らないんですよ。どうやったら自分なりに納得して自分自身にオッケーを出せるか、納得して日々を過ごしていけるか。その根本にあるスタートラインが自分を受け止めているという事。
それが自分を愛するという事なんです。何も優しく愛でるだけが愛じゃない。良い部分も駄目な部分も同じ様に大切に。
それは貴方でこうすれば~と考えることでは無いんです。
貴方も貴方なりにやってるんですよ。
ただ、いきなり自分に自信がついたり、愛が芽生える事は無いんです。
その為には先ず自分としっかり向かい合わないと。
自分を良く知ってください。自分を良く知って自分なりに良いなと思える自分とはどういう自分なのかを考えてみてください。
そうすれば必然的にその自分に対して今の自分の足りない部分が見えてくる。伸ばしたい部分が見えてくる。それを貴方なりに行動や、日々の過ごし方で積み重ねていけば良い。根本はとてもシンプルですから☆
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この回答へのお礼

blazinさん 回答をいただきありがとうございます。
blazinさんの回答を読んで、紙に自分のいろんな面を書き出してみました。
ちょっとながめてみて、まずは受け止めてみようと思います。

>そこには他者の評価は要らないんですよ。
要らないんですね。

お礼日時:2009/06/28 08:20

愛の原理で混乱がでています。


教える人もやや聞きかじり的で、目の不自由なひとが同じ不自由なひとの手をひいているように感じられます。

・自分を愛するとは、独りよがりとか相手を蹴落として自分だけよかれとなるということではありません。~これは奪う愛といって悪い愛です。
自分を愛するとは、神様が創ってくれた自分を尊いものと理解し粗末にしないということです。だから、自分を愛するときは、自分を磨こうと努力する等の行為が派生するはずです。

・愛には2種あり、奪う愛と、与える愛です。奪う愛は本能的、動物的で人間であるならばここから発展しなければなりません。与える愛は無償の愛です。見返りを求めない愛です。ここで奪う愛を愛だと勘違いしていうひとが、かなりいます。自分を認めさせる。見返りを求める。
これは、一瞬、幸せになりますが、やがて苦しい毎日がやってくるのはご存知の通りです。
与える愛は、無償の愛、太陽はみんなのために光をあたえてくれますが、お金をとることはありません。ですからこの愛をみならって見返りをもとめない愛を与えはじめますと、いでたちが明るくなり、美しくなります。なんとなく、
ご自身でも、暗い人、きつい人、近づきたくない人等いると思います。
逆に一緒にいると安心する人、明るい人、強い人。いろいろいますが、この与える側、奪う側の方程式を当てはめるとよくわかります。


人を愛するには自分を愛するという言い方でも大丈夫ですが、
誤解しやすいので、
人を愛するには、与えてくれた愛に感謝すること。と置き換えると混乱しません。感謝の念がでてくると、自然に愛をお返ししたくなるものです。
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この回答へのお礼

moconyan99さん 回答をいただきありがとうございます。
インターネットで心理学などいろいろ調べたのですが、
よけい混乱してしまいこちらに質問してみました。
まさにその「無償の愛」を与えられる人になりたいのです。
「与えてくれた愛」もあったと思うのですが、きっと受け取れてなかったのだと思います。
とりあえず、周囲の人にありがとうを言っていこうと思います。

お礼日時:2009/06/28 08:21

どうやら、考えすぎて、かえって混乱していらっしゃるようですね。


できるだけ、単純にしてみます。

私の経験では「自分自身を責める」のだけはやめた方がいいです。

>私がこれまで愛だと思っていたものは、見返りや、依存、コントロールを含んでいて、
こういうことを考えられる、ということは内省力がある、ということです。素晴らしいことです。でも、こういったことは誰でもありますよ? よくないと思ったら、できるだけ次からやらないように努力すればいいだけで、それでもうまくいかなくとも責めるほどではありません。

●自分を責めない。

取り合えず、当面はこれだけを考えてみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

taparonさん 回答をいただきありがとうございます。
実は今まで自分を責めたことはほとんどなかったような気がしています。
むしろ、どうして周囲は○○してくれないんだろう?という不満の中にいました。
感情的になることも多く、今思うと自己評価はとても低くかったのですが…。
自分を責めずに、精神的に成長するときなんだ考えていきたいです。

お礼日時:2009/06/28 08:23

まずは、ややこしくなるので先に整理しましょう。

愛には大別すると二種類あるのだ、と。
その一つは「愛とは愛されたいことである」
もう一つは「捧げるだけの愛、見返りを求めない愛」
捧げるだけの愛は一番高尚だとされています。これは一旦置いておきましょう。

貴方の質問は、ひっくり返せば、
「自分で自分を愛せない者が、どうして人から愛されようか」ですね。
古くから世に云われる言葉です。社会学者のエーリッヒ・フロムがその発祥とも云われています。

自己評価が低い。言い返れば「自己嫌悪」です。「自分が嫌いだ」
前にも同じような回答をしたのですが、例えばバナナが嫌いだと。
すると、バナナが好きな人を見れば「どうしてあんなものが好きなんだろう。気が知れない」と、
バナナを好きな人のことを嫌悪しますよね。バナナが好きな人のことを愛せない。

映画アニー・ホールで、主人公役のウディ・アレンは、
自分に彼女ができない悩みについて、こういうセリフを云います。
「自分を入れてくれるようなクラブには、入りたくない」~だから何時までも彼女ができないのだ、と。

貴方が自分で自分を嫌いだとする。すると、貴方を好きな人のことも受け入れられないのです。
貴方を好きな人のことを、愛せないのです。
貴方はバナナだ。貴方はバナナが嫌いだ。だからバナナが嫌いな人のことも愛せないのです。

自分で自分を愛せない。だから自分のことを愛してくれる人のことも愛せない。
ひっくり返せはそれは、人から愛されない、ということにもなります。




では、どうすれば自分で自分のことを愛せるようになるのか。

自己嫌悪が強い人には、大きく分けると2タイプあるようです。しかし原因は一緒ですし、
又この2タイプが入れ替わることもあります。元々Aなんだけど、時々Bになるとか…です。

以下に代表的と云われる2タイプのことを書きますが、勿論それ以外の場合もあります。
あくまでも代表的な2つということです。あらかじめご了承下さい。

一つは、幼児期に自己愛が萎縮してしまった人です。元々自己評価が低いのです。境界性人格的な人です。
幼児期に親に自己愛を傷つけられたのです。見捨てられ不安を感じ、甘えの心を残し、
強迫的に完全主義の良い子であろうとする。無理をして生きている。

もう一つは、幼児期に自己愛が肥大してしまった人です。自己愛性人格的な人です。
ある時期の幼児の心は弱い。だから「私は凄いんだ。特別なんだ」と思い込んで、なんとか切り抜ける時期がある。
そういう時期に親に自己愛を傷つけられる。すると「私は凄い」という気持ちに、ますますしがみつくのです。
するとこの「誇大自己」がますます肥大化して、大人になっても色濃く残るのです。
これも又、空想的な誇大自己がもたらすスーパーな自分が強迫的に迫ってくる。そうであろうと無理をする。

結局両方とも親に自己愛を傷つけられ、そして無理をして生きているのです。
境界性の人は、これは元々自己評価が低い。だから「私はダメだダメだ」と思う。自己嫌悪です。
しかし自己愛性の人も又、「空想的な理想の自分」と「ありのままの現実の自分」とのギャップにより、
強い自己嫌悪があるのです。とても自分が好きなくせに、一方において強い自己嫌悪がある。
「私は、全てブランド物を身にまとうのが相応しい人間だ。でも買えない。なんて私はダサいんだ」等です。

親に自己愛を傷つけられた。それから「自己嫌悪」。この二つが共通なのです。

宜しいですか。幼児は分別もなく、自分では何もかも どうしようもありません。責任なんてありません。
だから悪いのは親なのです。
但し親は、多くの場合悪意があるわけではないのです。溺愛からそうなる場合も多い。
勿論虐待など激しい心の傷つきが原因とある場合もありますが、数としてはこれは少ない。

だから、自分で自分をまずは、許せますよね。「自分は悪くなかったんだ」

そう捉えれば、「自分で自分を愛する」ことができますよね。そんな気がしませんか?
自分で自分を許し、好きになり、慈しみ、愛してもいいのですよ。何の心配も要らないのですよ。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4918859.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4961484.html

私は、パーソナリティ障害という学問を勉強し、ある時幼児期の心の傷に気づきました。
「あーこれだ。これだったんだ。確かにオレは深く傷ついていた… あーこれだこれだ」
そしたら、大泣きしました。泣いても泣いても涙が止まりませんでした。
そして、スッキリしたのです。

精神分析学では、これを「抑圧された心の解放」というそうです。

必ずしもこういう体験を経なければいけない、というものでもありませんが、
もし自分の幼児期の心の傷に気づけば、大きく心が展開するということは、確かにあります。

しかし決して親を憎んではいけません。
それは心の傷の程度にもよります。それが深刻なものであれば、簡単には許せない場合もある。
しかし最後は許すのです。そして親を卒業するのです。
どうして親がそのような子育てしかできない親になったのか? それは又、親の親のせいなのです。
親の親が、しっかりとした自立の心を本人に築いてあげられなかったから、なのです。
だからキリがない。自分が自分のそういう運命を、全て背負うしかないのです。

それが「自分で自分を愛する」ことの第一歩です。
自分の長所だけが好きなら、これは好きなだけです。しかし短所も含めて自分で自分を受け入れること。
それができることが「愛」です。
人と比べない。心の傷の程度により、人はそれぞれ、自分ではどうしようもないハンデを背負わされているのです。
だからまず、人と比べない。時にはどうしても、比べてしまうこともあるけれど…。
でも元々が違うのです。妬むべきものではない。爽やかに羨ましいと思うべきものです。

そうやって自分で自分を慈しみ、自分なりにがんばり、そして自分で自分を褒めてあげる。
「私はスタートのところで出遅れていたんだ。でもそれは私が悪いわけではない。
それでも私は今日、私なりにこれだけ頑張れた。だから自分で自分を褒めてあげよう」

愛を得れば、本当の自己愛を得れば、人のことも愛せます。
同じような人が必ずいます。結局実は、完璧な人などいない。だから完璧な親も又、一人もいない。
だから誰にでも大なり小なり、幼児期の心の傷はある。
自分に優しくなれれば、人にも優しくなれます。
自分を愛することができれば、人を愛することができる。そして人から愛されるようになるのです。

そしてこのような「人格の拡張」が全人類にまで及べば、きっと真の「捧げるだけの愛」に至るのでしょう。

但し、理屈だけ分かっても、すぐに何もかも魔法のように変わらないことも多いです。
本当に自己嫌悪を抜け出す。自分の短所を見出し、それを見守りながら補正し、短所が個性と認められる範囲に変えていく。
これには何年も何年もかかると思います。今すぐこの場で全て分かることは、私も望んでいません。
一歩一歩です。少しずつ進む。~私とて、まだまだ修行の途中なのです^^

以上参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

youchan37さん 回答をいただきありがとうございます。

今まで自分の性格や心理に両親が影響しているなど思ったことがないのですが、
youchan37さんの経験にしても、幼児期の心の傷には自覚しにくいものなもかもしれませんね。
私は親から何かについて褒められたことが一度も記憶にないですが、そんなものだと思ってきました。
でも社会人になった今でも、自分の仕事の話をして親に褒められることを期待しつづけています。

昨日作った、自分のいいところわるいところリストをながめてみると、両親の性格そのままが反映されていて驚いています。
気付きの多い、回答でした。ありがとうございます。
引き続き、自分をみつめていきたいです。

お礼日時:2009/06/29 07:48

真摯なレスをありがとうございます。


又、稚拙な長文に目を通していただき、重ねてお礼申し上げます。

恐れ入りますが時間の制約等もあり、次の二つのURLを
是非ご覧になっていただきたいと切に望むものです。
私も親に一度も褒められたことがないのです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4946105.html 回答番号:No.4
↑親が子供を褒めることが、いかに大切か書きました。
この内容の本質は、加藤 諦三さんの本や幼児教育の専門書などに書いてあるものと同じです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5045904.html 回答番号:No.6
>両親の性格そのままが反映されていて驚いています。
このお言葉にドキリとさせられました。

なかなか ややこしいものなので、すぐには分からないと思います。
私も最初にこの関係の本に出会うなどしてから、
ある程度理解できるまでにざっと5年位はかかったと思います。
どうかあせらずに、ゆっくりとお進み下さい。
きっかけ作りになれれば幸いだと思っています。
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この回答へのお礼

youchan37さん 回答をいただきありがとうございます。
こんなに自分のことについて考えた数週間はないというぐらい自分と向き合っています。

「褒められたかった・甘えたかったのにできなかった自分」を前提に、
過去の自分の選択や行動をみていると、どれも納得がいきます。
自分は自立した人間だと思っていたのですが、
「他者に甘えたり頼ったりしても拒否され傷つくだけだから全部自分でやる」というふうに、
心を閉ざしてきたのだと思います。

また、パートナーについてだけは、甘えてもいいのだという欲求を解放して、
受け止めてくれる彼に過剰に依存したのだと思います。

今、親を責める気持ちにならないのは、
その他の側面もあったからなのだと思います。

youchan37さん の指摘がなければこんなことは考えつきもしませんでしたが、
自分を認めることが前進したようです。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/07/06 10:14

No.3です。


すみません、少々私の勘違いもあるようです<(_O_)>。ネットだと、文字だけのコミュニケーションですし、心の問題というのはデリケートなので、私の実力ではなかなか質問者様の状態を把握することが難しいのです。ご容赦ください<(_O_)>。どちらかと言うと、No.4様のいう「幼児期に自己愛が萎縮してしまった人」のイメージで考えてしまいました。No.5様の引用されている加藤諦三氏もどちらかというとこのタイプらしいです。

>どうして周囲は○○してくれないんだろう?という不満の中にいました。
質問者様はこういうタイプ方でしたか。これも愛情に飢えている症状の一つですので、自分を責めないということも大事なんですが。
むしろこの場合は、「どうして周囲は○○してくれないんだろう?という不満」ということに目をとめて、「何故、自分は周囲の人間の態度で感情が揺れるのだろうか(不満が出るのだろうか)?」と考える方がいいように思います。
周囲の人の態度で感情が揺れ動くというのは、ある意味、周囲の人たちの振る舞いの奴隷になることです。むしろ、何で自分はそんなに他人の振る舞いに動揺しなければいけないんだ!? 私の感情は私が決めるぞ!というような心構えの方が効果があるような気がします(保障はできませんが(^^;))。

ただ、質問者様のタイプの人間で
>私がこれまで愛だと思っていたものは、見返りや、依存、コントロールを含んでいて、
これほど内省力がある、というのに驚きました。非常に精神力のある方だと思います。はっきり言って、凄いです!
私は、質問者様はもっと自分に自信をもってよいと思います!
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この回答へのお礼

taparonさん 回答をいただきありがとうございます。

>どうして周囲は○○してくれないんだろう?という不満

「周囲」と書きましたが、とくにパートナーに対して強く思っていました。
「○○してくれない=愛されない=自分が存在していないような不安」だったので、
何としてでも相手の行動を変えようとしていたのです。

また、taparonさんのご指摘のとおり、
感情について自分が選択したり決めたりできることを、
今までしてこなかったんだな。と気付きました。
相手の行動をどうこうしようとするのをやめ、
自分のこころの姿勢を変えようと思ったら、自分自身も楽になりました。

最後に書いていただいた応援メッセージ?がうれしいです。

お礼日時:2009/07/06 10:18

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