とても下らない質問です。
お忙しい方は、どうぞ無視してくださって結構です。
さて。
こんな状況を想定してください。
ある理系の高校生がいます。
唯物論的世界観を有する彼にとって、世界は極めてシンプルです。
彼にとっては、科学を前進させること、人の役に立つ技術を開発することのみが、究極的には唯一、真に意義があると思われる命題です。
なぜ彼がこれほど単純な世界観を有しているかと言えば、それは彼がそれまで「自分」や「世界」について真剣に考えたことが一度もなかったからです。
幸い彼は、数学、物理などの理系分野にそれなりの才能があったので、世間では一流大学と呼ばれている大学の工学部に進学します。
大学生活の中で彼は、「哲学」と言うものに初めて出会います。
これがあらゆる不幸の始まりです。
「哲学」と言う名のウィルスは、少しずつ、しかし確実に彼の精神を侵食し始めます。
彼は「哲学書」という書物を読み漁るようになります。
この「哲学」という名の凶暴な悪性ウィルスが、彼の薄っぺらな世界観をすっかり転覆させてしまうのに、それほどの時間はかかかりませんでした。
彼はたちどころにそれまで信じて疑わなかった、「人生の意味・目的」というものを失います。それどころか、今後二度と以前のような意味での「人生の意味・目的」を得ることはできないことを確信します。
これはもちろん彼にとって、受け入れがたい苦難でした。それ故、彼は何度もそれらの書物を読み直し、そして考え直しました。しかし、どのように考えても、存在論的な基盤の上にある西洋哲学からは、人生の意味や目的を見出すことは不可能のように思われました。そして、それを承知でなおもそれら解決不可能な問いを探求し続けるのが哲学だと言うことに、ようやく気付いたのです。
人生の無意味、さらに言えば、存在の無意味に気付いてしまった(と少なくとも当人は思っているようです)彼にとって、残された道は二つしかありませんでした。素知らぬ顔で、残りの人生を過ごすか、あるいは無意味、無目的に耐えながら日々を過ごすかです。不器用な彼がとることができる道は、後者のみでした。それ以来彼は、数年にわたりシューシュポス的な日常に耐え忍んできました。
もちろん、取り付かれてしまった病を克服する努力はしてきました。
論理を超えたところに光があるのではないかという淡い希望にすがりながら、彼は宗教書や文学を読み漁りました。あるいは西田幾多郎や鈴木大拙などと言った東洋の思想も読みました。
一時はそれらによって、絶望を打ち破ることができたように思われました。
しかし、ダメでした。
3年前に、彼はうつ病と診断されてしまいます。
それ以来、投薬治療や認知行動療法などを続けますが、そんなものが効くはずはありません。彼にはそれが誰よりもわかっていました。何故なら彼は、本当はうつ病ではないからです。うつ病だったらどんなに楽だろうかと思いました。うつ病ならば、抗鬱剤で快方に向かいますが、デンマークの哲学者が名付けた彼の病の特効薬は「死」しか存在しないからです。
それ以来彼は、死に対する憧れを抱くようになりました。
夜眠りについて、そのまま一生起きることがなかったらどんなにいいだろうかと思いました。ただし、自殺を実際に行動に移すだけの勇気も、気力も、彼にはありませんでした。
もちろん、彼が自殺を思いとどまってきた理由は他にもあります。それは、家族、友人の存在です。彼が自殺をすれば、友人は猛烈な自責の念に苛まれ、両親は今後一生立ち直れないであろうことは、彼にはわかっていました。それゆえ彼は、それらの人々の為だけになんとか生きているといってもいい状態でした。しかし、忍耐にもそろそろ限界が来てしまったようです。
彼はそろそろ死のうかと思っています。
もちろん彼の死に一握りの悲劇的要素もないことは、彼自身が誰よりも承知しています。
何よりも無意味な死、犬死です。
しかし、彼の悩みが彼固有のものであると思うほど、彼はバカでもうぬぼれてもいません。
それどころか、数え切れないほど多くの人が、同じような問いに悩み、それを乗り越えてきたことを知っています。しかし、数千冊の書物から彼が導き出された結論は、それらの問いを乗り越えることとは、結局妥協によってのみ可能だと言うことです。
ただし、これは彼の結論であって、あなたの結論ではありません。
彼は、レヴィナス風に言えば、少なくとも「他者」を「私」ではない「他者」として認識するだけの謙虚さは持っているようです。
そこで彼は、インターネットと言う媒体を使って、「他者」にたずねてみることにしました。
彼の病を克服する「知恵」を、教えてあげてください。
No.42ベストアンサー
- 回答日時:
以前、ネット系神経症相談窓口のプロの方に、「関わり過ぎてはいけないよ」と、ご指摘いただいたことがあります。
それはネット依存症という問題もありますが、特に貴方の場合は、もうご自身で進めるものと感じています。
あまり私が関わると、貴方の自立の妨げになってしまいます。よって前回答にてご挨拶差し上げたのですが、
補足文を拝見し、ありのままのご自身をさらけ出すそのお姿に、真摯なものを感じ、心を動かされましたので、
自戒を破ります。しかしながらお名残惜しいが、これにて一旦けじめをつけさせていただきます。
そんなこともあり、簡潔な形をもってお話差し上げたいと思います。予めご了承下さい。
大きくお心が動いたようにも思われ、まずは良かったと感じております。
しかし私も又素人であり、よって一旦プロたる医師などを通すとのお考えを聞き、貴方のご賢察に安堵しております。
太宰 治氏については、私も決して極みまで調べ尽くしたものではありません。
境界性と自己愛性が、しばし入れ替わったりすることはお話しました。Wikiでもご覧いただいたかも知れません。
"太宰治 境界性" で検索すれば、オール・アバウトなどでプロが氏を境界性人格とする指摘も見つかります。
しかし、狩野 力八郎 監修 "自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本" 株式会社 講談社(出版) においては、
「人間失格」の主人公、大庭 葉蔵を、自己愛性人格のはにかみ屋タイプ(周囲を過剰に気にするタイプ)
の典型としてあげています。
よって貴方がどういうタイプなのか、私も決して確定はできません。しかしやはり最終的には百人百色でありましょう。
パーソナリティ障害においては、その原因の最たるものとして「幼児期までの心理社会的な他者との関係」が指摘されています。
小学校以降の出来事も大いに関係はしますが、それよりももっと大切なのは、幼児期です。
そして他者との関係とは、勿論一番大きいのは親です。しかし兄妹なども大いに関係します。
カレン・ホルナイ(ホーナイ)の「自己分析」のお話をしましたが、ここに出てくるクレアという実在の女性について、
以前回答したことがあります。特に「兄妹の影響も又大きいのだ」という点も含み、参考になると思います。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4945040.html 回答番号:No.6
>理系には実はこういう人が多いのですが、文系の人間を~
理系と文系に分け隔てるのは、こじつけかも知れませんが、双極的です。二分論的です。
それは悪しき完全主義、オール・オア・ナッシングにも繋がっていくものです。
パーソナリティ障害的な人は、とかく双極的、二分論的になりがちだと云われています。
文系というより、「どう生きるか」であるとか「この心の問題をどう解決するか」なのであり。
理系の人も文系の人も人間であり、心があり、生きております。
>類似の型を他人の中に見つけると、許せない気持ちになりました。
>これって、完全に自己愛性人格障害ですよね?
というよりも、「自己嫌悪」と考えた方が、より正確であろうと思います。
自己愛性、境界性共に(否心の問題を抱えた殆どの人において)、その心には「自己嫌悪」があります。
自己愛が萎縮気味の境界性の人は、端的に自己評価が低い。
しかし自己愛が肥大化した自己愛性の人の心にも、自己嫌悪はあります。それは心に「超的な(非現実的な)理想の自分」がいるからです。
それは例えば「オレは特別な存在だから、あの人達と付き合うのがふさわしい。しかし相手にされない。自分はショボい人間だ」
といったような自己嫌悪です。理想の自分と現実のありのままの自分とのギャップが大き過ぎるのです。
ではどうすればいいのか? 現実のありのままの自分を受け入れられればいいのです。~これはこの上なく大切なキーワードです。
「ありのままの自分を受け入れること」「ありのまま」「そのまま」…。これは森田療法の核でもあり、
又「絶対矛盾的自己同一」でもあり、そして「肘外に曲がらず」でもあるのです。
話が逸れましたが、要は自分はバナナが嫌いだ。あの人はバナナだ。だから嫌いだ。そして自分もバナナだ。
だから自分がキライだ。「自己嫌悪」です。自分で自分が嫌いだから、自分に似た人が嫌いなのです。
そして、ありのままの自分を受け入れるということは、自己嫌悪を脱するということでもあるのです。
それには「本物の自己愛」と「本物の自尊心」が良循環していくことが一番必要だ。今私はそう考えています。
…結局は、全てひっくるめて回答番号:No.32に戻る、ということです。
おすすめしたい書物は多々ありますが、パーソナリティ障害の関係について、今まで私が申し上げたことの核は、
岡田 尊司 著 "パーソナリティ障害がわかる本" 株式会社 法研 (出版) に、その裏づけを求めることができます。
私としては、この本をまず、是非ともお読みいただきたいと思うものです。
しかし上記の本だけですと、例えば心理社会的な親子関係というものが、具体的にどういうものなのか、
なかなか探り出し辛いと思われます。よってそんなことも含め、加藤 諦三氏の本も強くお薦め致します。
この方は同じような内容を視点を変えて書いていらっしゃるので、どの本でも参考になると思いますが、
"運命のうけいれ方" PHP研究所 (出版) を、最近よくお薦めしております。
又ニヒリズムに対しては、これはやや手厳しい内容となるかも知れませんが、
同氏の "行動してみることで人生は開ける" (PHP文庫) も良書と思います。
長くお付き合いいただいてありがとうございました。ご迷惑でなければ、又何時か、機会があればお会いしたいものです。
貴方がより良い「本物の自己愛」を獲得され、ありのままのご自分をしっかりと受け入れることができますよう、
お祈り致します。
再度のご回答、ありがとうございました。
私のわがままにより、自戒を破らせてしまい、申し訳ございません。
大変参考になりました。
ご紹介の本も、近いうちに全て読んでみたいと思います。
長い時間はかかりそうですが、少しずつでも、自分の気質と上手く付き合ってゆく方法を模索したいと思います。
この度は大変貴重なアドバイスの数々ありがとうございました。
私も、またいつか”偶然の気まぐれにより”…、いや、そうでなくても回答者様とお会いできることを切に願っています。
No.43
- 回答日時:
はい、それは簡単です。
科学は哲学の一部であって、哲学は科学の一部です。というのも、カントやヘーゲルの考え方は純粋理性批判や弁証法です。あなたにとって、大きなスケールの世界観が見え隠れして悩むのです。宇宙の法則や人間の生きる道など考えて下さい。私たちは、輪廻という生まれ変わりに今の私がいます。因果応報というように、前世に悪い行いをした人は生まれ変わった時には性器がなかったり、頭の脳がなかったり、手足がない、心臓が壊れて生まれてしまいます。つまり、人間は善意思を持ち、常に正しい行いをしなければなりません。まず、人に挨拶をし自分が天才かというように威張るのは自由ですが、あなたの脳の中に宇宙の因果や法則という超人的な理論の持ち主で、今でもすぐ説教できる段階ですか。そういう訳で、あなたは科学よりも宗教的な教主のような職業の方が向いていると思うわけです。
科学と哲学の間には、構造主義のようにソシュールの言語学が基本として、レヴィ・ストロースという人類学者によって有名になった思想があります。構造主義と聞いて、人間を無視した考えと思われたのも、専門用語の難しさからです。実際には構造主義とは、私たちが現在、普通に使っている考え方です。つまり、相互的に見ることだけの事です。
あなたにとって、科学というものが哲学とは全く違う異質なものだというイメージがあるようですが、違います。哲学と数学と物理は全く同じような思考回路の中で分かります。それは、理論や概念を覚えて新しい思想を生み出す点です。つまり、あなたの哲学に関する考えは偏見の山です。
宗教的な教主の適性が高いあなたにとって、世界の始まりは神が人間を作り出したことにはじまる。ああ、神よ、あなたは私の心の中に生きていますでいいのではないか。キリスト教みたいに。宗教こそが、宇宙の真理を教主に神が与えているからだ。あなたみたいに・・・・・。
この回答への補足
はあ…。
ごめんなさい m(_ _)m
私にはちょっと、色々な意味で理解を超えていますが…。
とにかく、ありがとうございました。
No.41
- 回答日時:
…そうですか、今もお薬は飲んでいらっしゃると。
まずは私ばかり貼り付いてしまい、申し訳ありません。どうか他の回答者の方も益々、良いご意見があればお寄せいただきたいと願うものです。
又、今一時的に歪んでしまっているエネルギーを感じますが、それには屈せず、功利主義的であろうと思っています。
私の今までの人生においては、大きなものが二つありました。一つは森田療法との出会いです。
そしてもう一つは「パーソナリティ障害」理論との出会いです。そしてこの二つを繋いでくれたのが加藤 諦三さんです。
思春期から三十代後半までは、森田療法を基にしていました。そしてパーソナリティ障害に出会った。
最初本を読んでも気づきませんでした。数年後にやっと気づきました。「自己愛性人格」。
ちなみに自己愛性人格は、最も本人が気づき辛いタイプと云われています。
貴方にも実は、自己愛性人格を感じます。私とはタイプが違うとも思われます。しかし結局百人いれば百通りですが。
自己愛性人格のはにかみ屋タイプ。太宰治。貴方と接していると、そんなキーワードが浮かびます。失礼ご容赦下さい。
又、自己愛性人格は、境界性人格に変わることもままあります。太宰治などもそうだったと云われています。
実は森田療法を基に生きている時、「何かが足りない」と思っていました。そしてそれがパーソナリティ障害理論で見つかりました。
それは「本物の自己愛を持つこと」です。自己愛性人格者が強く持っている自己愛とは異質のものです。
森田療法が示唆する究極の生き方をしたならば、それはまるで昔の侍のようだと思うのです。大変ストイックでもあります。
水道も電気も何もなくても、耐えていける生き方です。しかし現代という時代は、それとは違うのであり。
その辺りが分かってきて、他者とのコミニュケーションなども、随分と改善したのです。
優しくなってきました。まずは自分に優しくなった。それから以前に比べればずっと、他人にも優しくなったのです。
楽になりました。まぁ、森田療法についての徹し方が甘かったから、ということもあるのかも知れませんが…。
パーソナリティ障害理論が根拠としているものは、精神分析学です。
そして、その原因の最たるものは「心理社会的なもの。~親との心のふれあいの失敗。自己愛の傷つき」だと云われています。
決して虐待などの激しいものばかりではありません。むしろそういうものの方が数が少ないのです。
私の場合最大の原因となったのは、父親です。一度も褒められたことも叱られたこともない。たったこれだけです。
たったこれだけで、幼児期の一時期に発現する誇大自己にしがみついたのです。これはまさしく「心理社会的」なものです。
一番大きな転機は、抑圧された幼児期の心を見出して大泣きしたことでした。「抑圧された感情の解放」です。
「理論的には間違いなく私は自己愛性人格だ。すると幼児期に心が傷ついているはずだ。~おかしいな? 何時?…」
などと考えていて、やっとそれに気づいたのです。涙が止まりませんでした。「あーこれだこれだ」と思いました。
そういう経験をした人は、世に沢山います。加藤 諦三さんなども、カレン・ホルナイ(ホーナイ)の
「自己分析」という本を読み、それを実践して大きく変わったそうです。
貴方にもそれが起きるかも知れません。或いは起きなくとも、パーソナリティ障害理論は必ず役立つと強く感じています。
さて、長きに渡りお付き合いいただいてありがとうございました。
うっかり間違いをお教えしてもいけませんし、又貴方の心の自立を妨げてもいけませんので、これにて本当に失礼致します。
私の人生の貯金箱を逆さにして揺さぶっても、粗方もう何も出てこないようです。
貴方はまだ私の半分位の時間しか、人生を生きていません。私の申しましたことを、今すぐこの場で理解しろとは申しません。
どうか少しでも粘り強く在って下さい。長期的に参考になればと思って書きました。今後益々のご多幸をお祈り致します。
この回答への補足
脱力しました。
自分が鬱病だと診断されたときは、衝撃と共にいくばくかの安堵を覚えましたが、今の感覚は、何といえばいいのか…。筆舌に尽くしがたいとしかいえません。
以下長文になると思われますので、補足とお礼に分けさせていただきます。
>貴方にも実は、自己愛性人格を感じます。私とはタイプが違うとも思われます。しかし結局百人いれば百通りですが。
自己愛性人格のはにかみ屋タイプ。太宰治。貴方と接していると、そんなキーワードが浮かびます。失礼ご容赦下さい。
又、自己愛性人格は、境界性人格に変わることもままあります。太宰治などもそうだったと云われています。
太宰治…。
「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」
晩年の書き出しに太宰が引用した言葉ですね。
こんなことを告白するのは本当に、本当に恥ずかしいのですが、顔の見えないインターネットなので勇気を出して告白します。私はこの言葉の思いを抱く人間の精神構造、それはおそらく苦悩する自分への陶酔感、自己卑下と優越感の同居、過去にその感覚が手に取るように解ってしまった様な気がした自分に、猛烈な戸惑いを感じていました。
これって平たく言えば、真性マゾのナルシスト、ってことですよね?
マゾのナルシスト…。痛い。
いや、自分ではそんなこと認めたくはありませんでしたし、絶対に認めないつもりでしたけど。何故なら、これは私が最も嫌悪するタイプのパーソナリティーですから。
だけど、例えば私が強くシンパシーを抱くタイプ小説の登場人物の一例を挙げると…
サリンジャーの「フラニーとゾーイー」の、ゾーイー
大審問官でお馴染みの イワン・カラマーゾフ
スマートで、優越感を抱いていて、苦悩している自分が結構好きだったり…、要は太宰タイプの人間ばかりなんです。おまけに過度の精神的潔癖と言うおまけまでついてるし。最も、明晰な頭脳の有無という点で、彼等と私に大きな違いはありますけど…。
だから、控えめにいっても、自分には若干その傾向があるとは自覚しておりました。
ただ、回答者様の仰った自己愛性人格という言葉について調べて、絶句しました。今まで精神分析に関する本も多少なりとも読んでいたのに、何故完全にスルーしていたのか不思議なくらいでした。冷静な目線で自己を観察すれば、例えばwikipediaの記載にある8つの臨床像のうち、7つまで当てはまっていました。自己診断ですが、9つの診断基準のうち7つまで当てはまっていました。心臓が自制が利かないほど高鳴りました。
と、同時に、過去の様々な場面がフラッシュバックしました。そして、なんというか、腑に落ちた感覚を味わいました。
よくよく読み返せば、回答者様も初めからそのことをご指摘だったのですね…。こんなことに気付かないなんて、相当痛いです。
(もちろん自己診断で結論を出すことは軽率なので、担当医と大学のカウンセラーに相談するつもりですが…)
このようなことを書くのは甚だ恥ずかしく思われ、またその行為自体が自己愛性人格障害の症状の表れなのかも知れませんが、自己を見つめなおす意味からも述べさせてください。
私は小学校の頃、特に低学年時には、いわゆる「できない子」でした。忘れ物は多いし、勉強は全然できないし、いつも鼻水たらしてるし、それで担任の先生がべらぼうに厳しい明治の精神の生き残りのような人だったので、よく皆の前で激しく体罰を伴う叱責を受けては、憂鬱な思いをしていた記憶があります。また、少年野球チームにも所属していたのですが、そこでも余り実力が発揮できなくて、エラーばかりして毎週コーチに怒鳴られてばかりいました。
ただ、成長するにつれ、どういった理由からかわかりませんが、特に努力もせずに勉強や運動もできるようになり、ほとんど自習などしていないのに、中学から高校にかけてはほぼ一貫して成績で学年で3位以内には入っていました。ご存知の通り、中学校では、何故か「勉強のできる子」がリーダーシップを握ります。それまで「できない子」だった自分が、いつしかリーダー役を務めることを強いられました。ただし、自分としては、嫌々やっていたわけではありません。
また、もともと長身で、こんなことを書くのは甚だ恥ずかしく、いくらか差し引いてうけとってほしいのですが、容姿も段々と整ってきて、自分で言うのもなんですが、相当もてました。かなりの頻度で女性に告白を受けました。ただし、自分が本当に好きな人には、気持ちを一度も伝えられずに、高校卒業まで一度も女性とお付き合いしたことはありませんでしたが…。ただ、それなりの苦労や紆余曲折はありつつも、大筋上手く立ち回っていたとおもいます。
また、人間関係も一見良好で、良くも悪くも「誰からも好かれるタイプ」の人間だったとおもいます。ただ、何というか、物凄く周囲の目線は意識するようになりました。こんなことは信じがたいかもしれませんが、私は昔から、ちょっとした用事で友人を誘うのにも、断られるのではないかという恐怖から、大変な決断力と勇気が必要でした。だから余り自分から声をかけず、相手の呼びかけを待つことが今でも多いように思います。これは小学校の頃に少しの期間無視された経験(いじめ等といった大層なものではありません、たびたび友達同士で発生する仲間はずれのレベルです)が、トラウマになっていると自分では認識しております。
また、自分は質問文にも書いたとおり、学問における物理や数学の地位の優位性を信じていたので、理系には実はこういう人が多いのですが、文系の人間を見下していました。人文科学にも興味を持つようになると、今度は逆に理系を見下すようになりました。
また、社会的な成功の希求など下らないと自分に言い聞かせつつも、やはりそれを捨てられずにいました。私の兄は若くして既に巨額を稼ぐ、社会的にも認められた地位にあります。「理系」であった私は「文系」の兄を内心見下していましたから、自分よりも兄が社会的に認められている状況に、内心納得のいかない思いをしているのかもしれません。
さらに、以上のような気質を、私自身とても嫌悪しておりました。そして、哲学書や文学を読んでは、そういった自分から脱却しようともがきました。それゆえ、類似の型を他人の中に見つけると、許せない気持ちになりました。
これって、完全に自己愛性人格障害ですよね?
回答者様には再三再四に渡り回答を要求し、甚だ迷惑かとは思いますが、気が向いたらで結構なので、最期にもう一度だけご回答いただけると幸いです。
上記のほかにオススメの本はありますか?
些細なことでもよいので、何か他にアドバイスはありますでしょうか?
長文失礼いたしました。
親切なご回答に心より感謝申し上げます。
No.40
- 回答日時:
あまり波風のない人生を送ってきたのではないかと…。
あなたには、まだ余裕があるのだと思います。
だからここにも投稿出来たのではないかと思うんですよね。
余裕のない人は、何をするにも気力が湧かないものだから、ここには辿り着かないと思うんです。この場すら思いつきもしないのではないかと…。
あなたは、自分に足りないものが何なのか気が付いているけれど、どうしたら得られるのか分からないから、ここに質問に来たのではないですか?
これは私事だけれど…。
大病をして自分自身が死にそうになったり、死に向かいつつある子供を目の当たりにしたら、死にたいなんて思わなくなるものですよ。
自分や身内が大病をすると、本当に医者や看護婦は神様に見えるんです。
追い詰められて、自分が無力だと悟ったとき、人の温かさが身に染みるものなんですよ。
必死で救おうとしてくれる人の姿に涙するものなんです。
祈りのような、暖かな思いが自分の中に流れ込んで来るからです。
そして、これまで自分がして来た間違いなんかよりも何よりも、何が何でも生きなくちゃいけないって思えるものなんですよ。
自分の価値とか格好なんか、もうどうでもよくなるんです。
振り返るだけなら簡単ですよ。悩むだけなら誰でも出来る。
でも、生かして貰っている。だから生きる。それで良いじゃないですか?
難しく考える必要はあるのですか?
ちっぽけだろうが無力だろうが、見ず知らずの自分達の為に泣いてくれる人がいるのなら、生かそうとして尽力してくれる人がいるのなら、生きたいって、生きていて欲しいって心の底から願う。
それが人間ってものでしょう?
親でも他人でも誰でも良いんです。
大きな愛を受け取ったことがないんじゃないのですか?
本当の大きさなんかどうでも良いんです。
あなたには大きなものと感じられなかったのではないですか?
本当に感動したり、大泣きしたり、大笑いしたことはあるのですか?
素晴らしいことも悲しみも喜びも、全部自分を形作るもの。
それで良いんじゃないですか? 全部が自分。それで良いじゃないですか。
自ら終わらせることに何の意味があるのでしょうか。
終わらせたくなかったのに、終わらなければいけなかった人もいるのに…。
寿命を分けてあげられるわけでもないのに…。
生きているのが無意味なら、死ぬことも無意味なのではないですか?
死んだって、命を分けてはあげられないのですからね。
それともドナーに登録しますか?
それでも、志を親が活かしてくれなかったら無駄死にも良いところですよね。
事実は分からなくとも、貰う方も精一杯生き抜いた人から貰った方が良いでしょうしね。
>芸術という無目的な行為に、一瞬一瞬全てをささげ、人間の生を謳歌する。
相対する価値観に対して、ひるまず正面から戦いを挑み続ける。
瞬間瞬間を常に全力で生きる。
芸術は無目的じゃないですよ。
芸術家は内なる叫びを作品で表現するんです。
それは喜びだったり、悲しみだったり、怒りだったり、苦悩だったり…。
溢れる思いを自分の中で閉じこめておけないから、言葉で表現しきれないから、魂を込めて表現するんですよ。瞬間瞬間に永遠を込めているんです。
どれだけ他者に自分の思いを共鳴させることが出来るか?届けることが出来るのか?
――そこには、芸術家の願いや祈りが籠もっているんです。
そして、それを受け取った人の中で永遠に生き続けるんです。
それこそが芸術家が目指す真の目的なんですよ。
一人一人の生の重みを感じることが出来たなら、あなたの生は薄っぺらなものではなくなるのではないのかと私は思います。
また私は、あなたがこれまで身近に、精一杯生きて来た人を見いだせなかったのではないかと思っています。
そして、当たり障りのないように、人と深く関わらないで生きてきたのではないかと思うのです。
それならば哲学書を読むよりも、誰か一人でも良いから、精一杯、心血注いで生きてきた人を探すと良いと思うのです。
身近には難しいのならば、伝記でも読むと良いですよ。
出来れば一冊では済まさずに、自分で調べて自分で感じると良いと思います。
そして、重みを感じ取れたなら、あなたは変われるのではないかと…。
生の重みを感じて生きてきた人には力があるから、あなたが憑かれたようになっている思いを払う力がきっとあります。
そして、忘れないで欲しいのです。
世の中は書物だけで出来ているのでもなければ、理論が全てじゃないんです。
例え疑問が尽きなくても、何かを感じ取ることは次なるステップのためには避けて通れないし、その時は解けなくても、機が熟せば解けることもあるんです。一見無関係なことから、分かることもあるんです。
些細なこと、無関係に見えることで世界は繋がっているんです。
これからは自然や歌や音楽や演劇や、本当の芸術に触れると良いですよ。
堅苦しい文章よりも詩を読んだり色んな事を観察すると良いです。
これまで、万物に宿る命を感じ取ることが、あなたには少なすぎたのだと思います。
世の中は無味乾燥な物事ばかりではないですよ。
あなたが暗いものにばかり反応しているだけです。
行動しなければ、何も良い事は起きませんよ。
あなたが他人を見限らない限り、世界は輝きを取り戻すはずですから。
>あまり波風のない人生を送ってきたのではないかと…。
あなたには、まだ余裕があるのだと思います。
だからここにも投稿出来たのではないかと思うんですよね。
余裕のない人は、何をするにも気力が湧かないものだから、ここには辿り着かないと思うんです。この場すら思いつきもしないのではないかと…。
あなたは、自分に足りないものが何なのか気が付いているけれど、どうしたら得られるのか分からないから、ここに質問に来たのではないですか?
厭味や謙遜の意味はまったく抜きにして、全て回答者様の仰るとおりです。
>そして、これまで自分がして来た間違いなんかよりも何よりも、何が何でも生きなくちゃいけないって思えるものなんですよ。
自分の価値とか格好なんか、もうどうでもよくなるんです。
そうですね。きっとそうなのでしょうね。そんな気はずっとしています。
でも…。
その「でも…」が自分の中ではとても大きくて…。
結構辛いです。
>あなたには大きなものと感じられなかったのではないですか?
本当に感動したり、大泣きしたり、大笑いしたことはあるのですか?
最近はめったにありません。感情の起伏が随分と乏しくなっています。そのことが実感として感じられるだけに、非常に悲しく思います…。
>芸術は無目的じゃないですよ。
芸術家は内なる叫びを作品で表現するんです。
ごめんなさい、誤解が生じているようなので、これについてだけは少しばかり反論を交えた説明をさせてください。
芸術の無目的性ということば自体が適切な表現かどうかはわかりませんが、芸術が実利や功利、合目的的な思考の彼岸に位置するということがいいたかったのだと思いまので、回答者様のご意見と真意において違いは無いと理解しております。
>これからは自然や歌や音楽や演劇や、本当の芸術に触れると良いですよ。
堅苦しい文章よりも詩を読んだり色んな事を観察すると良いです。
これまで、万物に宿る命を感じ取ることが、あなたには少なすぎたのだと思います。
はい。過去には幾分あったかと思います。ただ、最近はめっぽうそういった機会がありません。それがいけないのかもしれません。
>あなたが他人を見限らない限り、世界は輝きを取り戻すはずですから。
そう信じて生きてゆきたいと思います。
回答ありがとうございました。
No.39
- 回答日時:
再レスありがとうございます。
>禅の教えにあるような思想的側面のみならず、
殊更指摘・追求して貴方を責めるつもりは決してありませんが、
真の禅の教え全体は、思想的側面のみではありません。行動的側面もあります。
盤珪禅師は、自らは悟りを開いたのです。しかし「言葉・説法」のみでそれを伝えようとして滅びた。
しかし道元禅師の方は、それに加えて動きをやったのです。だから営々と今に続いているのだ、と。
鈴木知準先生がそのように仰っています。
>ただ、それにはおそらく長い時間が必要です…。
このお言葉。それから全体から受ける印象で、やはり貴方には欝があるのでは、と感じます。
行動が必要なことは分かった。しかし元気が出ない。
となれば、たとえ一時的にでも薬を使う、と。それも一つの手段であろうと思います。
鈴木知準先生は、私の知る限りでは、欝の人には(欝の人にだけは)薬を使っていました。
ですから、あまりご自分を責めないように、と思います。
しつこくなりまして失礼致しました。キリがないのでこの辺で失礼致します。
尚、以上の内容につきましては、その殆ど全てを、下記の書籍による裏づけをもって書きました。
ご興味があればお読み下さい。
鈴木知準 著 "ノイローゼ全治の道を語る" 誠信書房 (出版)
それでは、お大事になさって下さい。
再度のご回答ありがとうございます。
>となれば、たとえ一時的にでも薬を使う、と。それも一つの手段であろうと思います。
今現在は、塩酸ミルナシプラン、ベンゾジアゼピン系の抗不安剤と睡眠剤を服用しております。
>殊更指摘・追求して貴方を責めるつもりは決してありませんが、
真の禅の教え全体は、思想的側面のみではありません。行動的側面もあります。
きっと、それこそが核心なんでしょうね。一朝一夕にはできないと思いますが、できる範囲で少しずつ、成せることを成すように志向したいと思います。ありがとうございました。
また、この場をお借りして今までご回答くださった皆様にも重ねてお礼申し上げます。このような質問に真摯にお答えいただき、ありがとうございました。質問投稿当初よりは、混沌としていた思考もいくらか整理でき、気持ちも楽になりました。もう少し生きてみようかと思います。ただこれも、死のうと決意し、やはり生きようと考え直す、何度となく繰り返してきたサイクルの一部に過ぎないのかも知れませんが…。
また、ある程度の気持ちの整理はできましたが、もう少しだけ回答受付の状態に保っておき、皆さまの貴重なご意見を拝聴させて下さい。
No.38
- 回答日時:
レスありがとうございます。
あらためまして、♯32です。40代男性です。若い貴方に、私のささやかな人生経験からアドバイス差し上げたいことは沢山あるのですが、
全てを書けば、はなはだ長文になると思われ、よって一つだけに絞らせていただきます。
>結局はそこに行き着くしかないと思っています。
>ただ彼らの思想はそれを頭で理解しただけでは(もちろん私ごときが十分に理解しているなどと自惚れているわけではありません)何もしたことにならない、スタートラインにすら立っていない、そこが問題です。私にはハードルが高すぎます。
実は、私もこれと全く同じ行き詰まりに陥ったことがあるのです。
否、森田療法を持って自己の神経質、強迫観念、軽欝等を改善・解決しようとする人、
又、例えば禅によって悟りを開こうとしている人の殆どが、ここでつまずくようなのです。
まず、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」と、鈴木大拙の「肘外に曲がらず」と、
森田療法の「ありのまま」と、「禅の悟り」。これらは皆同じものと言ってよいと思われます。
まぁ、元々鈴木大拙先生は禅関係の人ではありますが…。
森田療法の大家、鈴木知準先生が、よく以下のような意のことを仰っていました。
「一定以上に葛藤が進んだ人は、言葉や理屈だけではダメだ。だから入院治療があるのだ」と。
そして入院治療で何をやるのかと言えばそれは「身をつくる」ことだ、と。
そして言葉だけ追っている森田療法を「ありのまま心理学」と呼んで窘められたのです。
それでは「身をつくる」とはどういうことか?
それは行動することです。体を動かす。作業をする。社会で働く。(入院はそのシュミレーションです)
人と話す、触れ合う。…これは禅も同じですよね。修行をします。
それで、端的に物理的なものの説明をするには、極端な例を考えていただいた方が分かりやすいと思うのです。
それは例えば「戸塚ヨットスクール」です。
但し私個人は、決して戸塚氏を全面的に支持してはおりません。むしろ間違っていたと思っています。
ヨットに乗り、生死を分ける体験をすることで、ドーパミンなどの脳内物質の出方が改善される、と。
これはある程度は事実であるようなのです。
「身をつくる」とは、そういうことなのです。
心の問題の改善・解決には大きく分ければ「心理社会的側面」と「遺伝子的・器質的側面」とがあります。
心理社会的な側面の基本は、理屈、理論、考え方、本など、…言葉でしょうか。そういうものが基本でありましょう。
そして遺伝子的・器質的側面に対しては、「薬」が最も直接的で汎用されているモノでありましょう。
薬は先程のドーパミン他、脳内物質の補助をするものです。
そして「身をつくる」とは、この両側面の境界に位置するものだと思うのです。
理屈は分かった。でもそこから進んでいかない。それならば行動することです。
それで、行動する元気もなければ、一時的に薬を使う手もありましょう。
それはちょうど、自転車に乗れるようになること、即ち心理社会的側面が充分に充実されるまでは、
補助輪を使うと。この補助輪に匹敵するのが薬です。
ですから、心理社会的側面が充分に充実されれば、薬を止めることもできます。
しかし遺伝子的・器質的な要素が強い人であれば、長く薬の補助を受け続ける必要があると。
そういう場合もあるでしょう。
参考になれば幸いです。
>それでは「身をつくる」とはどういうことか?
それは行動することです。体を動かす。作業をする。社会で働く。(入院はそのシュミレーションです)
人と話す、触れ合う。…これは禅も同じですよね。修行をします。
そうですね。
質問者様に失礼を承知で申し上げれば、その点は、禅の教えにあるような思想的側面のみならず、行動によってモノアミン系を初めとする神経伝達物質の活性に少なからぬ影響を与えると言う医学的側面も、素人なりに理解していたつもりです。理解していながら、それが受け入れられませんでした。そこに私の至らなさが凝縮されているように思います。
その理由として、先ずとても疲れているという点があげられるかと思います。
二点目として、他の回答者様のご指摘の通り「頭でっかち」、根っからの理窟屋であることが災いしたのだと思います。(大学でも工学部とは言え、実験屋ではなく、ペンとコンピュータだけで勝負する、根っからの理論屋です)その上、私の頭は抽象的思考には、余り向いていないようですし…。
もう一点、回答者様の中に私のことを「お前はただの怠け者だ」と罵倒する方がおられますが、このような愚劣な表現に戸惑いと憤りを感じつつも、この指摘はあながち間違いではないのです。私自身、理窟によって自分の状況を合理化しているという面は、痛切に感じており、それが一層自己嫌悪による負のサイクルを加速させているという感は否めません。
多くの方がご指摘の通り、人間の動物的側面、肉体と精神が不可分である点を、理解によらずに実感として真摯に受け入れるべきなのかもしれません。
ただ、それにはおそらく長い時間が必要です…。
が、少しずつ行動を積み重ねてゆく以外に、方法はないのでしょうね…。
事例とその理論を交えた簡潔な説明、大変参考になりました。
丁寧な回答ありがとうございました。
No.37
- 回答日時:
>>本当にうつ病でしょうか?
>知りません。医者にはそうだと言われているだけです。
↑
お医者さんは、何軒ほど受診されてますか?
5人の医者のうち、4人の医者が「鬱病です」と診断すれば、「鬱病」の可能性は高いと思いますが。
もしも、一人や二人の医者の診断なら、最低でも5~6人の医者の診断を仰いだ方が宜しいと思います。
多くの回答者様の回答に対して、正論と思われる回答には反抗的だったり、スルーに等しい反応だったり、屁理屈もどきの文章をダラダラ書いたり、質問者さんは「鬱」とは思えない「躁」な面が、ハッキリ見て取れます。
おっと、医者でも無い人間が「診断もどき」は、ダメですね。
>>知りません。医者にはそうだと言われているだけです。
↑
繰り返しますが、他の医者を受診されてみて下さい。
>本当はうつ病ではないからです。
と、素人が勝手に判断しないで、複数のプロの医者に、先ず診て貰う事が先決でしょう。
No.36
- 回答日時:
知恵などありませんが、自分の経験に照らし少し書かせていただきます。
自分も理系大学に進学し、哲学に一時期心を奪われたので、気持ちは控えめにいっても解るつもりです。
今の苦しさは、周りの人には理解されないですし、さらにそれが辛さを増加しているでしょう。
思考にとらわれないようにもがいても、毎回絡みとられて苦しいのだと思います。
質問を見て、10年以上前の大学時代の自分を見ているようです。
かなり単純化させて書かせていただきますから、吟味のほどを・・・
あえて、くだらない事を目標にして達成するのが良いかと思います。
例えば、毎日5時におきて日の出を見る等です。
積み木を積み上げて、崩すの繰り返しでも良いです。
くだらないですか?
少なくとも昨日よりは相対的に見て出来た事が増えているわけですよね。
出来るようになったら、少しずつ外に出てみる等、増やせばよいだけです。
こうして少しずつ自分を取り戻していくのです。
今の貴方の精神は、常に哲学的な思考を強要させているため疲れています。
あえて反対の事をするのがかえってよい結果を招きます。
ただし、これは自分の経験からですので、貴方に当てはまるか保障は出来ません。
最後に、うつ病が悪いことでは有りません。
うつ病は想像力の源泉となり、以後の人生がより深いものになります。
嘘だと思いますか?
もうお亡くなりになりましたが、ユング派心理学者の河合隼雄をご存知でしょうか?
彼は、うつ病を「クリエイティブ イルネス」と言って、想像の病と定義されています。
うつ病を乗り越えた人間には、想像性等、一皮向けるからですが、まずは今の状態から抜けましょう。
頑張る必要は有りませんし、かえって逆効果です。
怠け者の私も抜けられたのですから、大丈夫ですよ。
貴方は死にたいと言っているが、それは今と変わった人生を生きたいからだと私は捉えています。
>思考にとらわれないようにもがいても、毎回絡みとられて苦しいのだと思います。
仰るとおりです。思弁的な議論は避けようと思えば思うほど、益々それを無意識に強要されてしまう感覚です。
>あえて、くだらない事を目標にして達成するのが良いかと思います。
他の多数の回答者様のご意見も踏まえ、やはりこれが今の自分に最善の治療法だと思います。
>うつ病は想像力の源泉となり、以後の人生がより深いものになります。
そういった意見に反対の立場の精神科医や心理学者もいるようですが、私自身はそうであってほしいと願っています。
>貴方は死にたいと言っているが、それは今と変わった人生を生きたいからだと私は捉えています。
そうかもしれません。ご自身の経験に基づいた大変親切なご回答に感謝いたします。
No.35
- 回答日時:
先ずNo.33などは無視しましょうね。
文章読解力に多少の問題があるだけだから、許してあげてね。これまで、様々な良回答が投稿されているけど、それに対してあなたがどこか素っ気無いのは、もしかしたら「そんなこととっくに知ってるよ」「同じことは過去に嫌ほど考えたよ」って思ってるからじゃないかな?
でも、敢えて言わせてね。
本当に貴方は知ってるのかな?
本当に貴方は考えたのかな?
これを機会にもう一度真っ白な状態から考え直してみたらどうかな?
もしかしたら、貴方に見えなかったものが、見えてくるかもしれないよ。
>これまで、様々な良回答が投稿されているけど、それに対してあなたがどこか素っ気無いのは、もしかしたら「そんなこととっくに知ってるよ」「同じことは過去に嫌ほど考えたよ」って思ってるからじゃないかな?
自惚れているわけではありませんが、恥ずかしながら、そういった思いが全くないと言えば嘘になります。
>これを機会にもう一度真っ白な状態から考え直してみたらどうかな?
もしかしたら、貴方に見えなかったものが、見えてくるかもしれないよ。
その必要はあると考えております。しかし今それをやることは、やはり私にはできそうにありません。
回答ありがとうございました。
No.34
- 回答日時:
異なる部分はありますが、死に対して憧れを抱いている者からの回答です。
私の独善的な考えと経験からですが、その病は「自分の寿命を自分で決めること」で進行を遅らせることが出来ると思います。
私のケースでは、50歳になったら自殺すると決めて今を生きています。
克服と進行を遅らせるでは、質問者さんが得たい回答と異なるかもしれませんが、死に対する考えの一つのサンプルと思っていただければ幸いで、このまま独善的な回答を続けます。
まず、いつか死ぬまでということを漠然的に考えていると、その「いつか」が「いつなのか?」ということばかり考えてしまい、面白くないものになります。私の場合は、気持ちばかり焦ってしまい、死ぬための行為を考えることに囚われるだけの状態でした。
ただし、そのいつかを「いつ」と決めれば、それまでどうするか?という次の問題が出てきます。ここで、若干ですが自分を見る角度が変わります。また、そこで少しだけ心に余裕が生まれると思います。
そこから残りの人生を楽しむように生きてみるのはいかがでしょうか?
上に記述したとおり、私は50歳で自殺します。
いま30弱なので、のこり20年とちょっと。
その20年は体の自由が利くと思いますので、まだ経験していないことや今まで無理だと思っていたこと、それに格好良いと思えたことをどんどんやっていく予定です。
死は最後のお楽しみとして残し、50年目にどのような最後を遂げるのかと考えるのもなかなか楽しい生き方です。
大変ユニークな考え方ですね。
確かに死を、遠い未来にある漠然としたものとして捉えるより、確実に訪れるものであると認識し、より身近に実感することで、今の生き方、気持ちの持ちようも変わるかもしれませんね。
回答ありがとうございました。
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