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自分で自分を褒めてうれしいですか?

私は自分が達成した小さなこ、自分のすごいところを見つけて褒めたいのですが、
自分が納得して褒めるところがなく、
自分に投げかける言葉だけがむなしく空回りします。

もし何かをつらいことも必死にがんばっていて、
「がんばっている自分すごい」
と思おうとしても、別にがんばってる自分をすごいと思いません。

自分を褒めるとモチベーションがあがるなど、たくさんの本に書いてありましたが、
どうして褒める部分が見つかりません。
(多少ありますが・・・)

たとえばマラソンを毎日続けたいとき、3日がんばったけれども、それ以上続かなかったので、「3日もがんばれた自分すごい」「走ることがほんの少しでも気持ちがいいと思える私、幸せ」
と褒めてみましたが、嬉しくありませんでした。

褒める部分が少ないので積極的に探しましたが、
「今日は靴をそろえて家に上がった」など小さすぎて感動が薄すぎて
嬉しくありません。

自分に褒められたって嬉しくないし、褒めるところがあっても数少ないです。

A 回答 (5件)

こんにちは。



自分を褒める時のポイントをご紹介します。

褒める時は、実際の自分とは徹底的に別人格になりましょう。
天使か何か(あなたにとって常に支持的であたたかく絶対的に信頼できる人物)に褒められているのだという気持ちで素直に聞きましょう。
褒め言葉は・・例えて言うなら天使からあなたへの愛情に満ちた認証のメッセージのようなものです。

あなたはご自分を自己否定したり、あら捜しをしたりすることが癖になっているようですね。
もしかすると「完璧でなければ意味がない」、「人が賞賛するようなすごいことをしなければ、自分はゼロに等しい」などのような思考を強く持ってしまっているのではないでしょうか?
それがゆえ、ご自分を「褒める」というやり方が難しいのだと思います。
まずはその考えを少し緩めてみませんか?

事実は常にひとつです。
しかしそれをどの角度から見つめるかによって、見える一面が変わってくるだけなのです。

例えば、
「マラソンをしようと決意して3日続いた」
これが事実ですよね。

では、「3日しかできなかった」ではどうでしょう?
←もっと続けようと思ったのに「3日しか」できなかった。
他の人には「三日坊主」とバカにされるに違いない。3日やって足が速くなるわけでも、健康になるわけでもない・・・などなど。

ここで気がついて欲しいのは、「目標」と「他人の目」です。
目標は自分自身に合った段階的なものでなければいけません。性格や力量も人それぞれです。無理して高い目標を立てずに身近なものにしましょう。
身近なものにすれば褒めやすくなると思います。身近な目標を設定し、実行を積み重ねれば、それは揺るがないしっかりとした足場になります。

マラソンするのは自分自身のためですよね?他人に良く思われたいからするのではないと思います。
自分に意識を集中して物事に取り組みましょう。

そして、「自分を褒める」というやり方を、騙されたと思って、信じ切て実行することです。
こんなことやって何になるの?などという疑いや冷めた気持ちがあると、効果が得られません。
なぜかというと、これは自分自身を良い方向に持っていく自己暗示だからです。
自分が疑っていては、思うような結果が得られないのは当然のことですよね。

実は私も、自分を褒めることを実践しています。
やはり、最初はうまく行きませんでしたよ。
でも否定的な感情に浸り続けたり、他人が自分を褒めてくれるのを待っていても何も変わらないと気がつきました。
だったら自分で自分を褒めて、心の栄養を得ようと思いました。
続けているうちに、自分は褒められることに慣れていないことや、自分に厳し過ぎることにも気がつきました。

あなたにも私と似たような部分があるように感じました。
私にできるので、あなたにもきっとできるのでは?と思いますよ!
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この回答へのお礼

最初は難しいものなのですね。
まずは実践と思ったので、しばらくは根気強くやってみます。
他人の長所(うらやましいところ)を見つけることは普段から
やっている方なので、
頑張ってみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/16 01:07

先回りして期待すれば、得られません。


必要だから、やるのです。仕方がないのでやる。当然努力しなければいけません。
努力だから、基本的に苦しいのです。まずは「苦しもう。苦しいのが当たり前。苦しくて本当」。
それ位の気持ちで事に当たる。
まずは苦しむ。そして苦しんだからこそ、自分を褒められる。嬉しさもある。
しかしその嬉しさというのは、砂糖のように甘いものでなく、噛めば分かる米のかすかな甘さ程のものです。
大きな事に当たれば又別でしょうが、日常の嬉しさとは米の甘さのようなものだと思います。

嬉しさを得るためにやるのではなく、例えば体脂肪が気になるから走る。
他の人の邪魔にならないように靴を揃える。必要だからやる。それだけです。
その中に嬉しさがある。

森田療法の入院治療では、作業するのです。掃除とか封筒貼りとか。
治すためにやろうという意識があるうちはダメだと、よく云われます。
禅の修業もそうです。悟るためにやるのではなく、それそのものになってやるのだ、と。

しかし期待してしまう気持ちはどうしようもありません。
私に「期待を捨てましょう」と言われても、ハイ捨てます、というわけには決していかないはずです。

且つ一番大事なことは、「期待してしまう自分」に自己嫌悪を感じ、
そういう悪しき自分を取り去ろうとすることです。これはいけません。

嬉しさを期待してしまう貴方も含めて、「今の貴方」なのです。全部が今の貴方なのです。
だからどうしようもない。努力は辛いけど、積み重ねていくしかありません。
当面それをやり続けられるかどうか、それにかかっていると思います。

それで実は、当面それをやり続けるということは、とても偉いことなのですよ。
貴方の予期恐怖的な先回りは、おそらく神経質・強迫観念的な傾向だと思います。
決して神経症というのではなく、性格傾向として、ということです。
それは遺伝子的・器質的・生物学的なものと、幼児期頃までの親子関係などによるものだと思います。
だから元々は、貴方のせいではないのです。

そういうやや辛いものを背負っていながらも、貴方はよく頑張っていると思いますよ。

しかし同時に、その辛いものは、貴方が背負うしかないのです。
その辛いものを、誰のせいにも何のせいにもせず、頑張り続けることです。
元々そういうもののせいなのですから、決して自分を責めたり落胆することはないのです。
決して自分を嫌いにならないように。自己嫌悪に陥らぬように。
「嬉しく感じることのできない自分」を、誰のせいにも何のせいにもしないのです。
嬉しく感じない。仕方ない。嬉しく感じないまま頑張り続ける。

それをやり続ければ、「何も期待しないで本当に自分はがんばっているよな」という、
「本物の自尊心」が湧いてきます。
そしたらだんだん、本当の意味で自分で自分のことを愛せるようになるはずです。「本物の自己愛」。
本物の自尊心と本物の自己愛を、良循環させていくのです。何も期待せずに。

がんばって。
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この回答へのお礼

お礼遅れました。
地味だけれども、確かにこんなに無感動、無関心、楽しいことも
うれしいことも無いのに、
それこそ良くがんばっていると自分で思います。
何も期待しないというのは難しいものですね。
なにしろ依存的な性格なもので・・・。

しばらく、淡々と頑張ってみます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/16 01:15

人間というのはなかなか複雑ないきもので、しっかり生きようとするには何か自分の心の中に拠り所がないと駄目になってしまうひとが多いようなんですね。

つまりこれを自尊心、プライドともいいますが。
これがないひとは他人から見たらとても恥ずかしくてやっていられないこと、例えば知人から頻繁に金を借りたり、軽犯罪なども平気でやってのけたりします。
また、極端な場合自殺したり、自閉症になったりする人もいます。
一番多いタイプは、俺はだめだ、と内向きになって人生を消極的に過ごし、結局自分で負け組になってしまいます。
自尊心は普通誰もが持っているものですが、これが余り太りあがっても自信過剰の変な人間になるし、異常に少なくても上記のように悪い方向へ行ってしまいます。
そんな人たちに自立させるための手段のひとつとして「自分をほめる」ということが考えられたのだろうと思います。

自分をほめるという方法は、自分に自信がもてなくて万事消極的になる一部のひとにはいい方法かもしれません。
でも私はこれはやはり不自然なことだと思います。
質問者様が仰るように、なかなか出来ないというのが自然だと思います。
ほめられるというのは普通他人からされるのでなければうれしくはないものです。

自尊心を自分に育てるにはほめられるのが一番だと、私も思います。でなければ、ひそかに自分でしっかり努力して、よし、これは他人よりも上だ!と自覚することでしょう。そういった実質的に他人よりも上だ、と感じる結果が大切だと思います。
努力すれば、大抵結果がついてきて、他人からほめられるようになると思います。
無理して自分をほめる種を探すのは私も間違っていると思います。
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この回答へのお礼

お礼遅くなりました。

自分には他人より上だと思うところがあれば、
そこも大事にしてみます。
無理に褒めて失敗して落胆するのも良くないですよね。
とりあえず、試すことにしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/16 01:10

それは質問者様が心から自分を褒められてないだけですよ。


三日頑張れた自分すごい、と本気で思えないのでしょう?
どこかで三日坊主じゃないか、と見下しているからでしょう。
褒めたことになってないからですよ。
1日も走れなかった自分と比べれば、三日できた、それは進歩だ、と自分を認めることができない。
どこかでそんな自己暗示には意味がないと、冷めた気持ちが拭えないからですね。
まあそんな時は、そんなマイナス思考な自分を認めるしかないでしょう。
だけど自分を褒めようと頑張っているんだ、と。

私は主婦業をしてますが、主婦の仕事なんてものは何をしても当然で誰も褒めてはくれません。
だから自分で褒めるしかない。褒めると言うよりは認めるんですね。
誰も褒めてくれなくても、気づいてさえくれなくても、今日も1日やるべき事をやった、マル!と。
掃除をしたら部屋がきれいになった。ああ、素晴らしい!マル!
おいしい料理ができた。誰も褒めてくれなかったけど、文句言わずに食べてくれた。マル!
洗濯ものが気持ちよく乾いた、良い出来栄え、誰も気にしてもくれないけど、マル!
家族に向かって、あなた達の快適な暮らしはこの私が支えているのよ、と自分を認めて、さあ明日も頑張ろう、と。

あなたが自分のこと、どこも褒めるところがない人間だと思ってる、と親御さんが知ったら、さぞ寂しいですよ。
人や物に感謝の気持ちが持ててこそ、自分を認めることができるものだと、私は思います。
今自分があるのは誰のおかげか、毎日を無事に過ごせることの素晴らしさを実感して欲しいと思います。
決して当たり前の事じゃないんですから。
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この回答へのお礼

お礼遅くなってすみません。

私は理想が現実離れしているので、確かに3日頑張ったところで心からは褒められません。せいぜい半年続ければ褒められるけれども、
その前にやめて、自分を責めるのがパターンです。

褒めるところがたくさんあるのはとてもうらやましいです。
実感って難しいですね。もう少し頑張ってみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/16 01:04

自分を褒めろって書いてある本って沢山あるんですねー。


私は自分で自分をよく褒めます。
ただ自己完結ではいつも終わらず誰かに対して自分は頑張っているでしょ?、役に立っているでしょう?なんて褒めたりします。
そうすると「そうだね」という答えか、「自分で言っちゃ駄目だよ~」なんて答えが返ってきます。

何故自分で自分を褒めるかですが、そもそもの動機は人から褒められるとどう返事すればいいのか分からず照れてしまうので先に自分から言います。
あとは、人にわかってほしいという願望でしょうか。

質問者様の例えになぞらえると、頑張ったけど3日で挫折。
正直これは褒められません。
けれど「続ける事も大事だけど、辞めない事も大事だ。また間隔が空いてもまたやるぞ!」と奮起させます。
それで実行に移した時に「やるじゃん俺!やっぱり間違ってないな」になります。

また、今日は靴を揃えて家に上がったという例を取るならば玄関がスッキリしているはずなのでこれを続けていると「美しい我が家の玄関!」と一人で感動していたりします。
外でも靴を揃えるようになると他人の靴の乱れも気になるので直します。
そうすれば「気の効く俺!」と人から好印象だろうと勝手に思い込んでたりします。

基本的にはネガティブ人間だったのですが、こうやって書くとポジティブ人間みたいですね。
ま、否定や批判をする人は多いけど人を褒める人って私の周りでは数少ないので仕方なく自分で褒めている次第です。
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この回答へのお礼

お礼の遅れ、失礼しました。
私は他人をうらやましがる方なので、過剰に褒めるほうですが、
私自身は人から賞賛されることもないので、
褒めてみようとおもいます。

回答ありがとうございます!

お礼日時:2009/08/16 00:59

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