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努力しても、その結果として評価され、成功した事を証明するまでは努力したとは認められず、「努力」という行為だけを切り取って見たら無意味でしょうか?

結果が全て。評価が全て。努力せずに結果が出せた人と、努力しても結果が出せなかった人がいます。努力したかどうかなんてどうでもいいではありませんか?

努力もなにもかも全て、人間の世に存在するありとあらゆる全てのことは自己満足の世界でしょうか?

よく知りもしない他人に向って「あなたは努力していない」と言う人は何様のつもりなんでしょうか?

ある一人の人物が努力したのか・しなかったのか、一体誰が判断する(できる)んでしょうか?

「努力」とは自己満足以外の何物でもありませんね?

A 回答 (9件)

>「努力」という行為だけを切り取って見たら無意味でしょうか?



本人の絶対的価値で見れば、
本人が意味が有ると言えば「有る」
本人が意味が無いと言えば「無い」

>努力したかどうかなんてどうでもいいではありませんか?

努力の量に相対的価値を測る物差しがない以上、比較する意味が無い。
北朝鮮の人と日本人が100ドルを手に入れるとなった時に、
互いの努力の量を測る基準が無い。

>人間の世に存在するありとあらゆる全てのことは自己満足の世界でしょうか?

何を信じて生きるかによりますね。神の存在など。

>他人に向って「あなたは努力していない」と言う人は何様のつもりなんでしょうか?

知りません、本人に聞いてください

>ある一人の人物が努力したのか・しなかったのか、一体誰が判断する(できる)んでしょうか?

誰だって判断出来ます。
その判断が正しいか間違いか、価値が有るのか無いのかは別の話。

この回答への補足

>>ある一人の人物が努力したのか・しなかったのか、一体誰が判断する(できる)んでしょうか?

>誰だって判断出来ます。
>その判断が正しいか間違いか、価値が有るのか無いのかは別の話。

書き直し
誰が正しく判断できるんでしょうか?

補足日時:2009/07/20 02:11
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何があったか知りませんが質問というより自己暗示になってますよ。

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結果が出ようが出るまいが、努力の過程に意味はあります。

けれどもそれは自身にしか分かり得ない意味なのだと思います。そういった点では自己満足とゆう捉え方もあるでしょう。

>よく知りもしない他人に向って「あなたは努力していない」と言う人

努力も形が様々で、他人の目に分りやすく映る努力もあれば、他人からは理解され辛い影の努力とゆうものがあります。見えない努力とゆうものは他人からは「努力をしていない」と判断される事が多々あります。視野が狭い、もしくは自分のしてきた行動のデータのみでしか他人を判断出来ない方なのでしょう。

努力をしてきたかしてこなかったか、は努力をしてきた己が判断するものです。人の為の努力も、自分の為の努力も、結局は自分が望んで努力した事です。他者から認められる事は労いでしかありません。努力とは自己の可能性を広げる為の一手段です。
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>「努力」とは自己満足以外の何物でもありませんね?



そんなことはありませんよ。
何事も努力せずには、目標をクリアしないものですよ。
ただですね、努力したからといって、すぐに成果がでるものと
努力しても努力しても成果があがらずに、その成果が五年後
十年後二十年後に、はじめて成果がでるものとあります。

努力している姿勢が大事なのだとおもいます。
そして、努力したものは必ず、その人をも成長させるし
成果がでるものです。

成果がでないからといって、努力することをやめてしまったら
その人は、そこで止まってしまいます。
人間は一生勉強ですのでね。これは何の仕事に従事している人に
も共通することではないでしょうか。

あとですね、本当に努力している人は、人に自分が努力している
ところを、見せないものですよ。

努力とは目標に向かいクリアをしたら、また目標を
つくりクリアをすることです。その繰り返しです。

これは自己満足ではなく、自分をよりたかめていくものだからです。
これは、他人がどうということではなく、他人の評価がどうというものでも
ないと思いますよ。

スポーツの選手の世界を考えれば、答えはでるとおもいますが。
如実に出ていますよね。^^

お相撲さんの世界を例にとりますと、あの厳しい稽古は、三年後、
五年後のために頑張っているとのことです^^

これで答えになっていますでしょうか^^
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まるで、昔の自分みたいですね(笑)



「結果が全て」
「評価が全て」

というのが前提なら
「努力したかどうかなんてどうでもいいではありませんか?」
どうでもいいでしょうね。

「努力もなにもかも全て、人間の世に存在するありとあらゆる全てのことは自己満足の世界でしょうか?」

自分なりの考えを書きましょう。
人生いつもAとBの分かれ道の選択があり、片方は険しく大変で、片方は楽々コースなんですよ。
でも、どちらも選択してみないと解らない。
人生のその難易度はまるで、スーパー・マリオのようです。

自分の人生が車だとしたらハンドルを握るのは自分です。
事故を起こすも、事故されるのも、あなたの安全運転しだいですし、
休憩しようが、ゆっくり走ろうが、スピード違反しようが、あなたの人生
あなた次第です。

そこで、いついつまでにどこどこにというのが評価なのか?
あそこに行けたら評価なのか?
自分の決めた計画通りが結果なのか?
人が決めた計画通りが結果なのか?

とりあえず、自分が最終的にどこに辿りつきたいのか?

それは富士山の頂上なのか? エベレストなのか? 世界一周なのか?
月なのか? 宇宙の果てなのか?

それをあと1年、10年、20年・・・死ぬまでなのか?

人によってそれぞれ「人生計画」が違いまよね。

つまり、周りや他人様の意見は「意見」としてとらえるでいいのでは?


よく知りもしない他人に向って「あなたは努力していない」と言う人は何様のつもりなんでしょうか?

それは「真の努力」とは「真のボランティア」の精神に近いかも知れませんね?
「真のボランティアとは、人に見せない、人に言わない、人に気付かれない、
人に悟られない、黙ってやる」

ある一人の人物が努力したのか・しなかったのか、一体誰が判断する(できる)んでしょうか?

その人がその人の見解や価値基準で判断は出来ますね。
でも、それが正しい、正しくないかは別です。

実際にAとBの分かれ道の選択の結果は「どちらも正解」なんですよ。

何十年かして「あの時のあの苦労や経験はこの瞬間のためにあったのか!!」って思う時が必ず来ます。

例えば英語を覚えたての頃に「自分は日本人だ!外国語なんか出来なくても死にはしない」となんで英語がしゃべれないと駄目で、たかが英語をしゃべれただけで「あの人は凄い!」ってなるんだろうって。

何十年かして滅茶苦茶な英語力で海外のメーカーの代理権を持ったりしてみて、初めて「あーあ、あの努力があったからこそ、ここに立っているんだなぁー」と地球の裏側を歩いた時に感じました。

中学生の時にスパルタ英語塾で破門でしたよ(笑)

何がいいたいかと言いますと
「努力」とは自己満足以外の何物でもありませんね?

その通りです!!

でも努力は植物でいう「肥やし」です。

家で言うならば土台と骨組みをいかに細かくキッチリやるかで、
地震で倒れるか倒れないかの違いです。

どこまでやるやらないはアナタの人生ですから「アナタ次第」です!!

アナタだけの人生を是非「努力」してみてはいかがでしょうか?

人生とは自己満足の世界ですから。
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努力すれば結果が出ないまでも努力してないときよりは少しは成長できるものだと思いますよ。


その成長まで全否定する必要ないと思います。
成長していけば自然と自信が持てるようになります。
そうしてどんどん成長して自分に自信がついてくれば結果はおのずといい方向に出るのだと思います。
何も努力しないでいるといつまでたっても何の成長もありません。
まわりはみんな多少なりとも努力して少しづつ成長してるわけですから、
相対的に自分はどんどん追いていかれてますます自信喪失していくことになります。
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「努力しても成功しない人はいるが、


     成功した人で努力していない人はいない」

これに尽きるのでは?
努力なしで、たまたま運がよくて成功したような人の場合、評価されるのは一瞬のことですぐに沈んでしまいます(評価を維持できない)。
結局、努力は確かな結果を得るための必要条件であることは間違いないようです。

その上で、努力するかしないかは当人の自己満足の世界ですね。
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他人が結果を評価する世界では、努力をしても結果が伴わなければ意味がありません。

自己満足に終始できれば、結果はどうあれ、努力することは意味があります。
>「あなたは努力していない」と言う人は何様
何様でなく、それが他人です。努力していないという評価=結果が伴っていないということ。
> 「努力」とは自己満足以外の何物
他人にとってはまさにその通りです。他人は結果だけを求めます。
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基本的には自己満足こそが、個人にとっての「意味」のすべてでしょう。


他人を満足させようとするか、他人から良い評価を得ようとするかも、
そのことで自分が満足できるかによるはずです。
「他人の満足」といっても、結局自分が考えたところの「他人の満足」なのです。

努力の意味を考える前に、「努力とは何か?」という問いが浮かびます。
努力とは、「好ましい状態を実現するため、全力を傾けること」
「目標を掲げ、そこに到達する事を欲して、邁進すること」
という説明があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%AA%E5%8A%9B

私は当初、「多少でも苦しいのが努力かな?」と思ったのですが、
上の定義によれば、そういう要素は関係ないようです。
別に、息を切らせたり、慌てたり、苦悶の表情を浮かべる必要はないようです。
どうせならば、夢中になり、楽しみながら「努力」したいものですね。

努力が自己満足という「意味」をもたらすかについてですが、
努力そのものが満足を与える場合もあるでしょうし、
努力して結果を出すことが満足につながる場合もあるでしょう。
結果を出したのち得られる二次的な報酬(他人からの評価・報酬など)が
満足をもたらすケースもあるはずです。

[他人に向って「あなたは努力していない」と言う人]とは、
「努力には価値がある」と信じている人だと、まずはいえるでしょう。
そんな人が、「努力していない」ように見えたため、そう発言したのでしょう。
あくまでも、その人にとっての見え方の問題です。

努力とは目に見えるものではなく、行動や結果から類推するものです。
自分の努力であっても、ある努力と別の努力の大きさを
正確に比較できるものでもないのではないでしょうか?
努力とは曖昧なものであるがゆえに、努力を評価するのは困難なようです。

であれば、自分が満足できるような努力をすればいいのであり、
結果を欲するのであれば、結果が得られるような努力を、
報酬を得たければ報酬が得られるような努力をすればいいのでしょう。
努力の価値や目的は、自分で自由に決めていいはずです。

ところで、先ほどの努力の定義には、
「目標」や「好ましい状態」という語が含まれていましたが、
「現状維持」がそれらに当たる場合もあるでしょう。
そうであれば、「現状維持という結果」を得るための努力は、
他人からはとても見えにくいはずです。

本来、「努力」とは個人の内面的なものであるために、
他人からはとてもわかりづらいものなのですね。
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