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これは私と元彼女の間であった問題なのですが、彼女は人に干渉されたくないからと人に深く関わろうとしない人でした。彼女は他人に価値観を押し付けられることを嫌うので、自分も人に価値観を押し付けないといつも言っていました。ただ私に何か意見を言ったりしてきて私が「分かった。じゃあそうするよ」と言うといつも「それを決めるのはアナタだから。私は自分の意見を言っただけ」と味気ない答えを返すのみでした。問題なのは彼女が意見を言うときは、それなりに深い言い方や表情をしていました。こうした形で意見を言われる側は当然考えますし、場合にっては彼女の意見に従い、そうした方がいいかなと判断することがあります。そして彼女に「じゃあそうする」と言うと、上で書いたような突き放しが返ってくるのです。

確かに考え決断するのは自分自身であって、彼女の承認や同意を求める必要もありません。結局この手の人は言いたいことだけ言って、自分の発言にそこまで責任を負わないタイプなのかと思います。そして自分が傷つくのも嫌だから他人と深く関わろうとしないのかなと。お互い深く関わろうとすれば当然心がぶつかり合い傷つくこともあると思います。だからといって、不干渉や無関心ありきになるのもどうなのかなと。最近こうした人が増えたなと感じています。

人間なんだから他人の心や価値観を全て理解するなんて不可能ですし、傷つけ傷つけられることもあると思います。だからこそ許容する心を持ち寛大であるべきなのじゃないかとも思うのです。おせっかいや余計なお世話をする人、または愚痴を言ってしまう人が、逆に心無くて、他人の心に入ってくる良くない人だとレッテルを貼られる傾向があるのはどうなのかなと思ってます(元彼女はこういうタイプの人を良く思っていませんでした)。確かに傲慢さからくるおせっかいや余計なお世話、愚痴もあると思いますが、他人と深く関わることを極端に拒絶する人が増えつつあるのはどうなのでしょうか?こうした人たちは(元彼女も含みます)、気の合う人や分かり合える人がいるからいいといったスタンスの人や、少しでも嫌なことがあるとその友人と距離を置くという手段を簡単にとる人が多いかなと感じています。こういうのは人間味がないと思うのですがどうでしょうか?

追記:こういう人たちに限って自分の価値観を絶対視しているような気がするのですが・・・(価値観を押し付けないっていうのは、自分の価値観に干渉されたくないってことなのかなと)

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A 回答 (5件)

なんとも思ってない人に意見を求められた時は、私も元彼女さんと同じ事を言います。


それは傷つく傷つかないは関係ないです。

親友や恋人(今なら)夫が相手ならば、愛を込めて意見させていただきます(笑)
でも、その意見を拾う拾わないは、その相手次第ですし、そこまで干渉する権利は自分にはないと思ってます。

価値観(意見)の押し付けは、本当に煩わしいです。
その人それぞれの環境や考えを無視した意見は、押し付け以外の何物でもないけど、それも一つの意見だなと参考にできるところは参考にしてます。
質問者様おっしゃる通り、100%相手の事を理解するなんて不可能なんですね。
人によって、どこからボーダーラインをひいてるかはそれぞれなので、それを見極める力、あるいは超えてしまって大変な思いをしたなどの経験を積み重ねる必要はありますね。

とか言ってる私も、ある一種の価値観・意見の押し付けかもしれません。
でもこういう押し付け合いがあって、世の中って成り立ってるのかなと思います。

この回答への補足

ご意見ありがとうございます。元彼女も同じことを言っていました。ただ私は彼女に対して、どうしてそこまで嫌悪するのかが最後まで分かりませんでした。嫌なら話し合えば良いのにと。彼女は自分が嫌な思いをすることに対して強烈なまでに拒否反応を示す人でしたし、質問でも書きましたが最近はそういう人が増えていると感じます。それが個人で完結していれば良いのですが、最近はそういうのが正になりつつあるのが怖いです。困っている友達や仲間(知人)を助けようとした行為が、結果として余計なお世話だったとしてもそれはそれで良いのに、相手の立場や環境や気持ちを分かっていない人とか思いやりのない人といったレッテルを貼り拒絶することがあまりにも多いと思います(そうした行為をする人の自己満足とかはおいときます)。独り善がりになっているのならば友人や仲間(知人)であるのだから言ってあげれば良いと思います(確かにお互い話し合うという土壌が日本にないのも問題ですが・・・)。

下で別の方々も書かれていますが、仲間や家族の絆をないがしろにした上に成り立つ個人主義が原因で、傷つくことや嫌な思いをすることに対しての過剰防衛や、人と深く関わろうとしないことに繋がっているのだと思います。SonoAyumiさんが仰ってる『違いへの拒否度が高くいから、すぐ距離を置く』がまさに的を得ているなと思います。私もドイツに住んでいたことがありますので分かります。そしてそのような方々(日本人の女性に多いかも・・・)は"価値観を押し付けるべきではない"ということと"相手のことを考える思いやり"ということを頻繁に口にしていると感じています。でも個人を尊重、人に嫌な思いをさせない、自分も嫌な重いをしたくないという考えばかりが膨張してしまい、人に関わろうとする人が傲慢かつ思慮が足りないといった風に見る現在の風潮はどうかと思います。そのためか"人に迷惑を掛けなければ何をやっても本人の自由"とか"自分が決めたことだから自分が好きにやる"といった、不思議な個人主義が横行しているのかなと感じます。こういう時代だからこそもっと泥臭く、人と人がぶつかり合っても良いじゃないかなと思うんです。

補足日時:2009/07/27 20:12
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今の日本の教育の成果だと思いますよ。


極端な個人主義や失敗を認めない風潮、それに伴う傷つくことがいけないことかのような扱。などが従来の日本人が持っていた良い部分を殺してしまっているように感じます。

本来人間は失敗し傷つく中からさまざまな成長をし大人になっていきます。
なのに今のような失敗しないように、傷つかないようにと過保護に育てられているから大人になりきっていない。

欧米は個人主義だと言いますが実際は家族を大事にしたり、仲間を大事にしています。
馴れ合うのでなく、お互いの意見を尊重する。
そしてこれは昔の日本もそうでした。
和をもって尊しとなす。和して同ぜず。というように馴れ合うのでなくちゃんとした関係を作ろうという社会でした。

また、「価値観を押し付けない」これほど矛盾した行為はありません。
自分は他人に「価値観を押し付けられない」という価値観を押し付けているのですからね。
これは自己中の極みですね。

そんな子供で馴れ合うことしかしないで自己中な人が増えるような教育をしているのが大問題だと思いますね。

この回答への補足

仰る通りだと思います。極端な個人主義の成果かと。また私の元彼女の場合中・高と典型的な帰宅部(高校は同じ学校でした)で、色んな考えの人とぶつかりあうような場もほとんど経験していません。だからある意味"気の合う友人としか関わってこなかった"という彼女の言ってる通りなのだと思います(私は団体競技をやっていましたので、良くも悪くもいろんな経験をしまいた)。傷ついたり違う考えの人を受け入れやっていく経験が極端になかったから、そういった考えに繋がっちゃったのかなと思うのです。彼女はいつも友達は仲間は宝だと言っていました。でも私から見ると、それは単に自分にとって心地よいことだけを言う仲間にしか見えませんでした。少しでも彼女自身の価値観にあわないことがあると引いていましたし。彼女に限ったことではありませんが、自分が大切であり自分が嫌な思いをすることは良くないことだと判定しちゃう人増えましたね。自分が楽しいことが第一にきすぎているというのでしょうか。私も教育の責任は大きいと思います。彼女自身は他の人に押し付けないという考えを持っていますので、表層的にはとても人当たりがよく人気があったと思います。ただし深く入ってきた人とはことごとくぶつかり、距離を置くことになったみたいですが。

補足日時:2009/07/27 20:43
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深いつきあいを避ける理由は、他人に干渉されたくないからだけでなく、違いに寛容でなく、違いの扱い方が分からないからではないかと思います。


避けあうのが「ドライ」で「個人主義」だと勘違いしている人が私の周りには多いです。

結局は人になんと言われても当事者が自分で決断する、という部分は質問者様の彼女さんが言うとおりで、自分が決断選択したのだという意識を当事者が持っており、その選択をほかの人は尊重する必要がある、と認識するのは良いと思います。ただ、その条件として、意見を言い、それに反論したり賛成したりして(公の討論に限らず日常でも)、自分と相手の違いを認めたうえで、違いについてグチグチ言わない。これを満たしていれば上手く行くと思います。私が居住経験を持つ西欧やアジアの他国ではこの方法でうまく現地の人と友達付き合いができていました。

今日本に住んでいて、そのような付き合いができる人はいません。
人と距離を置き、個人主義だのドライだの尊重だのと言っているけれど、うわっつらの付き合いに都合の良い単語を飾り立てているように私には見えます。個人主義でなく、表面主義、事なかれ主義の焼き直しだと思います。

違いへの拒否度が高くいから、すぐ距離を置く(私の外国人の友人たちの場合、日本よりもっと近くまで接近できるけれど、「個人」という核の強度が強いので、守るべきところをちゃんと守っている。私の周りの日本人の場合、入って来るなという領域が広く、個人の核が弱いので、入られることは危険。)
距離を置くから違いを超えて一緒にやっていく方法を学べない。
という悪循環にはまっているのではないでしょうか。

つまり、自分の価値観を絶対視しているというより、過剰防衛な気がするのです。個人の核が本当にしっかりしている人は、多少干渉されてもクッションのようにバウンドするだけで、壊れることはないと思います。…精神的に弱ってる時は難しいでしょうけれど。

ウチとソトを分けて、ウチでは違いを排除し、同質性を常に確認するという日本のやり方と同じパターンである気もします。
しかし個人 対 個人でこのやり方を応用しようとするのには無理があり、この辺りが世の中でこんがらがっているのではないでしょうか。個人と個人のあいだであれば、相手に合わせて行動を改める、といったことも当然必要で、長く付き合うためには必要なことです。
長く付き合うために交渉するというコミュニケーションの目的を両者が共有していないと、人の言うことを聞いた聞かないという話にすり代わってしまうのでは?

個人対個人の相手に対する集中度が高いため、リスク回避が過敏な反応として表れているのでは…という気もします。
昔は逃げ道がなくなるほど追い詰めるようないじめは無かった、そこそこでやめておいた、しかし今は自殺させるほど追い込む、とお年寄りが言っているのを聞いたことがあります。そういう状況を日常的に見ていて過敏になっている可能性はありますね。

極端に人との関わりを避ける状況に、私も憂慮しています。

この回答への補足

回答ありがとうございます。私も学校の関係で海外に住んでいたいたことがありますので仰ることは分かります。ご指摘の通り違いへの拒否感は日本の人は極端に強いですよね。プライベートな質問をすべきではないってところも、私自身は違和感を感じる方です(欧州の人たちは普通に彼女がどうこうとか、結婚しないのかとか気軽に聞いてきますし)。また他人への思いやりや優しさを説く人に限って、一度違和感を感じると排除する力がすごいと思います。このOkwaveでもそうですが、ちょっとした感情のもつれ(決して喧嘩などではなく、言われたことに傷ついたとか)で距離を置いたりしているみたいですし。自分と同じ考えや価値観ばかりを持つ人ばかりではないと思うのですが。

補足日時:2009/07/30 22:43
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人には色々な考え方があるものです。



育った環境、そこに関わる人間関係などで千差万別ですね。核家族じゃなく、3世代や兄弟が多い中で育った場合は、協調性や人を思いやる感情が人より多い傾向があります。彼女は一人っ子?もしくは4人家族ぐらいかな?と推測はできますがどうでしょう。

言い換えれば自己保全や自分の価値観崩壊を恐れているのだと思います。先の事に照らし合わせれば、大家族は幼少のころに協調性や社交性は確立されますから、核家族に多い傾向としてそれを守る術は他人と距離を置く・・・となるのは察しがつくでしょう。

それが良い、悪いはここでは結論付けはしませんが、利潤追求型資本主義の中で育つことの弊害とだけは言っておきましょう。

この回答への補足

回答ありがとうございます。仰るとおり彼女は4人家族で年の離れた姉がいました。確かに一人っ子同然で育ったとはいつも言ってたので、そういうところがあったのかもしれません。核家族の弊害って確かにありそうです。

補足日時:2009/07/30 23:39
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まぁ、これも日本人的だなぁと思いますよ。



最近、自分はある本からの受け売りでのハイジャック時のニュースキャスターの話をするのですが、多少犠牲者が出ても強行突破すべきなどとうっかり言ったら、それが正しくても抗議が殺到することはあなたも理解できるかと思います。それをリスクと考えれば、あなたの彼女はまさにその部分に関して「石橋をたたいて渡って」いるんですよ。
つまり、自分の意見を言えばそれはすべて実行されるべきだ、だからそんな自分を押し付けるようでは人として問題がある。こういう考え方なんです。上記したある本の巻違いの部分に書いてあった事なのですが、奈良時代に百人一首で有名な柿本人麻呂がこう言ったそうです。「我が国は言挙げせぬ国...」どういう意味かと言うと、言挙げ、つまり自分宣言なんかうっかりすれば、それを実行しないと自分は言葉に悩む結果になる、と言う意味なんです。まさに日本における「口は災いのもと」の語源となるエピソードと思いますね。
それとあなたの彼女の感覚は似たようなものだと思います。少し先鋭化しているきらいはありますが、千年以上前から持っている日本人的感覚だとも言えます。


>追記:こういう人たちに限って自分の価値観を絶対視しているような気がするのですが・・・(価値観を押し付けないっていうのは、自分の価値観に干渉されたくないってことなのかなと)

ある意味その通りですよ。但し、あくまで人に対する傲慢さの感覚は本人にはありません。それにおいては他人が意味づけて初めて成立するとも言えます。コミュニケーションを重要視する現代感覚では理解しづらい部分は確かにあろうかと思いますが、あなたにだって持っているものです。例えば仕事上の話で、事前に上司のやり方と明らかに違うやり方で計画している時にその手法(5W1H中のHOW)を具体的に説明せよと言われても、多分口ぐもるはずです。それは仕事上の言挙げに他ならないからです。
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