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さだまさしさんの「償い」という名曲をご存知ですか?

この曲は事故で旦那さんが亡くなり
奥さんが加害者を許す話なのですが
許すことで奥さんが得ることはありますか?

歌では加害者が許されて
人間のすばらしさ、やさしさなど色々得ますが
許すことで被害者は何が変わるのでしょうか?

許した自分を好きになりすっきりするのでしょうか?
加害者が償いきれて罪から解放され被害者もすっきりするのでしょうか?

ご意見よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

犯罪被害者の支援に関わったことがある者です。


身内が何度か交通事故に遭った経験もあります。

「償い」、聴いたことがありますが、あらためて歌詞を検索してみました。
これは、あくまでも加害者側の心情であって、被害者の心情、言い分ではないと思います。

交通事故なので殺意がないのはわかります。
過失が50対50なら、お互いに過失があったのですから、加害者だけを非難することはできません。
でも、加害者に100%過失、もしくはそれと同等の過失がある事故ならば…
被害者は、何の落ち度もないのに、ある日突然、命を奪わることになります。
雨が降っていてブレーキが間にあわなかった、とても疲れていたなどのことは、加害者の言い訳に過ぎません。
理不尽に命を奪われた本人の無念さは計り知れません。
もちろん、遺族も苦しむことになります。
この世に命よりも尊いものはありませんから、お金をいくら支払おうと償うことはできないと思います。

被害者感情を癒すこと、少しでも救うことができるのは、ただ一つです。
それは、加害者の誠意です。
心からの謝罪の気持ち、態度しかありません。
もしも、「事故だったから仕方がない」と加害者が開き直り、お詫びにもこない、
亡くなった人の仏前にも足を運ばないとしたら、被害者はどう思うでしょうか。
これは、被害者感情を逆撫でする行為です。
実際に、こういった態度の加害者は多いのです。
信じられないかもしれませんが、事故後の対応は全て保険会社に任せ、謝罪さえしない人も多いのが現状です。

>許すことで被害者は何が変わるのでしょうか?
>許した自分を好きになりすっきりするのでしょうか?
>加害者が償いきれて罪から解放され被害者もすっきりするのでしょうか?

前述したように、許すことも許されることもありません。
亡くなった人を生き返らせることは、絶対に不可能ですから。
私は、#2様がおっしゃるとおりだと思います。
亡くなった人のことは、決して忘れることはできないし、その悲しみは何年経っても癒えることはありません。
でも、自分の気持ちに区切りをつけよう、何とか前向きに歩いて行こうと思ったのでしょう。
七年目にして、やっと、加害者の誠意が通じたのです。
それと相反する気持ちになりますが、被害者としては、加害者のことは思い出だしたくもないのです。
それが当然の心情だと思います。
一言では言えない、複雑な心情です。

個人的には、結果的に、この歌詞のようになれば理想的だと思います。
長文失礼しました。





 
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この回答へのお礼

経験者なのですね。
いくら償い続けても許されないけど変わることはできるのですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/11 21:36

この歌のケースだと、加害者に殺意は無く不幸な事故だということが前提になっています。


被害者の奥さんも、それは十分に分かっていますが自分のご主人が突然に死んでしまった事実に対する怒りの矛先を事故の加害者に向けるしかないのでしょう。
相手が自分を庇ったり、被害者にも責任の一部があるというような抵抗をすれば、それこそ被害者意識から相手を責める気持ちも持続するのでしょう。
でも、相手が人生のすべてをかけて償うという気持ちと誠意を持続された場合、それ以上怒りを向けても得られるものはないと思います。

時間とともに、冷静さを取り戻して立ち直る機会を得ても加害者が生存していて償う意志がある限り、不幸な記憶の呪縛から逃れられません。

また、加害者と被害者は一歩間違えば立場が違っていたことも原因かもしれません。

こういう事故はどちらも被害者と言えるのかもしれません。
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この回答へのお礼

これ以上怒り続けても何も得られるものがないため、変化しようとしたのですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/11 21:33

さださんの楽曲には、さださん自身の身の周りの実話をベースにしたものが少なくはありませんね。

最初のヒット曲、精霊流しもその一つですし。この「償い」もその一つ。

果たして、被害者の妻は加害者を許したのでしょうか?
7年という歳月を区切りに、過去に執着せずに前に進もうとしただけなのでは無いでしょうか?
毎月加害者から賠償金や手紙が送られてきたのでは、その都度、7年前に引き戻される。だから、もう送らないで良いと告げた。
実際には、その手紙を送った後も、加害者は賠償金と手紙を送り続けてきたのですが。

加害者を許したかどうかはわからないけれど、過去に執着したままでは前に進めないから、何とか区切りを付けようとしたと感じます。
結果的に加害者は救われたかもしれないし、救われていないかもしれない。それは加害者のみが知る事であり、さださんにもわかっていません。

被害者の妻も、そうする事で救われたのかもしれないし、救われていないかもしれない。

ただ、変わろうとした被害者の妻を讃えて、さださんはこの楽曲を作った。わかるのは、それだけですね。
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この回答へのお礼

区切りですか。変化は大事ですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/11 21:25

だれだって、家族を殺した加害者を許すことはできません。


しかし、加害者のその後の態度や誠意をどこまで受け入れることができるか
でしょう。
加害者も被害者に、許されたとは一生思わないと思います。
どんなに、普通で全うな生活をしていても、ちょっとした不注意で
加害者と被害者が生まれて、お互いに心を痛めるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。許されたわけではないのでしょうか。

お礼日時:2009/08/11 21:24

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