プロが教えるわが家の防犯対策術!

ある映画の一場面で、こういうのがありました。

サーカスの場面で、ピエロが、観客の中にいる嘘つきの子供をつかまえて、作り物のワニに食わせるというアトラクションがあります。ピエロが観客を見回しながら
「嘘つきはいないかな~?」
とたずねる。子供はみな「いない、いない!」と叫ぶ。
で、ピエロは餌食をひっ捕まえて
「お前は嘘つきだろ!」
で、子供が「違う違う!」と否定すると放してやる。

と言うような場面なのですが、考えてみると、「嘘つきか?」と問われて「違う!」と答えるのは非常にナンセンスなわけです。なぜなら、本当に嘘つきなら「違う」と答えるものだし、正直者でもやはり否定する。嘘つきか正直者か判断できない。

逆にもし、「はい、嘘つきだよ!」と手を上げる子供がいれば、この子は食われないで済む。なぜなら、本当に嘘つきであれば「嘘つきです」という言葉自体が否定されて、嘘つきではない。また、それを表明する段階で、本来の嘘つきを正直に言うはずがない。
もし、正直者であれば「嘘つきです」という言葉は矛盾である。つまり、正直者でもないが、嘘つきでないことは間違いない、ということを表明できる。

いずれにしても、「私は嘘つきです」という表現をすることで、まったくのグレーゾーンの存在であると言うことを確立する。
つまり、子供らがみんな「はーい!嘘つきです!」とそろって答えれば、ワニに食われることはないのです。

それが思いつかないか?どうしても子供はそこまで考え及びませんかね?どうしても、「こわい!どうしても食われたくない!(矛盾とか考えられないし)だから、嘘つきじゃない!じゃない!」
と叫ぶだけ。こういうものなのでしょうかね?

A 回答 (5件)

子供の発想が稚拙すぎるかどうかを「質問」されているのでしょうか?


脚本へのダメ出しでしょうか。
映画の展開を知らないので何とも答えにくいのですが、
思うにピエロは最初からワニに食べさせることを目的としていないのでは?
問答で盛り上がるのが目的で、子供のリアクションに「ナンセンス」もなにもありません。
「はーい!嘘つきです!」と答える子がいれば、議論の余地無く食わせるピエロだと思います。

ぼくならワニのくだりに対して「その嘘ホントなの?」とピエロに問いかけ、ピエロをワニに食わせます。
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子ども(孫)と一緒に車に乗っている時に、パトカーに出会いました。

お前を逮捕してもらうか?お前は何時も悪い事をしているから。と冗談を云うと「本気で怖がります」何時も悪いと思いながら、悪い事をしているからです。
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自分の非を認められるのはある程度の水準にある者のみ。

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No.1です。

本当に3回読みましたよ(笑)
残念ながら考えは変わりませんでした。
論争の場ではないので、質問者がわたしの問いかけに答える義務はありませんが、単に論理的に考えるよりも、この例の場合は実践的に考える方がよいという立場です。おそらく質問者とわたしでは前提が異なるのでしょうね。

わたしが「嘘つき罪」の容疑で逮捕されたとする。有罪なら「ワニ食わせの刑」にされる。
「わたしは嘘つきです」と自白するよりも、
「わたしは嘘つきでない」と否認する方が無罪の確率は高くなると思います。

裁判における「自白」の重みという点について考慮すれば、問題の性格はがらりと変わってきます。
別に人間は論理にだけ従って行動するわけではないので、
映画のなかの子どもの行動の方が、質問者の判断より合理的だと思いますが、どうでしょうか?

それから、この質問(という形式のゲーム)は、
実質は質問者の中ですでに答えが出ている問題(まぁ論理ゲームの初歩のような問題ですから当然でしょうが)に回答者が答えるという
いわば教室内での先生の質問に生徒が答えるような形になっています。
補足での「まぁ、まずは質問文を3回読んで考えてください。」という余裕のコメントがそれを実証しています。

このゲームのルールは先生としての質問者が握っているので、
ルールに合わない答え方は認めませんよ、というわけでしょう。

そういうおもしろくないゲームをおもしろくするには、
ルールの前提を疑ってみるのがひとつの方法です。
「論理的に考えた答えと実践的に考えた答えが食い違いますよ。子どもの行動は思ったより愚かではないのではないですか?」
というわたしの問いかけに、興味深い反応を示してくれることを期待していたのですが……。

論争の場ではないので、質問者に答える義務はありません。
ちょっとおもしろいなと思ったら考えてみてください。
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「嘘つき」ネタはこのカテゴリーではみな「またか」というようなものでしょう。

いきなりネガティブなコメントですみません。

論理的に言うと、「私は嘘つきだ」という命題は真偽不定ということになるかもしれませんが、実践的には「私は嘘つきだ」と言えば、自白したということになりワニに食われることになるかもしれません。

「私は嘘つきではない」と言えば、ピエロはその子どもが「嘘つき」であることを証明しなければ「ワニに食わせる」わけにはいかない。

「私は嘘つきではない」というほうがグレーゾーンを確立できると私は思いますが、質問者はどう思いますか?

この回答への補足

 

補足日時:2009/08/11 01:14
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この回答へのお礼

 

お礼日時:-0001/11/30 00:00

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