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プロレスが八百長と言われないためには、
プロレスファンが先頭にたって、
ブックやアングル等の存在を、
知らない人に説明してあげることが必要だと主張する人がいます。
ブックやアングルのことをきちんと理解してもらって、
本気で勝とうとして戦っているのではないことをわかってもらえれば、
プロレスを八百長と言う人もぐっと少なくなり、
プロレス自体の評価が今よりずっと高くなるとの見解です。
逆に、本気で勝とうとして戦っていると叫べば叫ぶほど、
世間一般からは、胡散臭いものとの見方が強まってしまう、
とのことでした。

この人の言うことについてどう思われますか?

A 回答 (14件中1~10件)

同感ですね。


勝ち負けだけは絶対決まってないと言う人が、いまだ
にいますが・・・・。
勝ち負けが決まってないのなら、カウント2.9の攻防
など絶対にできません。
あれは、両者が勝つことを意識せずに、ワザのデモン
ストレーションに徹しているから、可能なのです。
片方に、わずかでも勝ちたいという気持ちがあったら、
あれほど見事な攻防は、絶対に不可能です。

プロレスラーは、鍛え抜かれた体で、相手のワザを正
面から受け止めて、それを跳ね返して勝つことで、己
の強さをアピールしているんだ。
などと言う人がいまだにいますが・・・。
私も小学3年生くらいまではそう思ってました。
が、自分で空手や柔道などをやるようになると、すぐ
に、それが矛盾だらけであることが、わかるようにな
りました。
相手のワザにかかってあげて、それで真剣に勝敗を
あらそうことなど、100%ありえないでしょう。
それでは、格闘技として成立しません。
それが可能だと思っている人は、格闘技の経験がな
い人だけでしょう。

私も、プロレスが八百長呼ばわりされるのは、気持ち
よくないです。
筋書きがあることを、もっと多くの人に、わかってもら
うべきだと思います。
格闘エンターテイメントとして認知されれば、プロレス
は、地位が向上し、大きな発展があることでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あれは、両者が勝つことを意識せずに、ワザのデモン
>ストレーションに徹しているから、可能なのです。
>片方に、わずかでも勝ちたいという気持ちがあったら、
>あれほど見事な攻防は、絶対に不可能です。

まさにその通りですね。

>相手のワザにかかってあげて、それで真剣に勝敗を
>あらそうことなど、100%ありえないでしょう。
>それでは、格闘技として成立しません。
>それが可能だと思っている人は、格闘技の経験がな
>い人だけでしょう。

まさにその通りですね。

>格闘エンターテイメントとして認知されれば、プロレス
>は、地位が向上し、大きな発展があることでしょう。

それこそが、まさに質問文の人が力説していることです。

お礼日時:2003/05/21 11:19

 ブック、アングルについては基本的には賛成。

でも勝とうとしていないと、言うのは反対。

 元々、プロレスには有るブック、アングルは当たり前、どのスポーツにも有る。「あぁ、今日は先輩とだ。負けなくちゃいけないんだろうなぁ」とか「相手レスラーは腰が悪いから逆エビはフィニッシュ以外は控えよう」とか良く有る話でしょう。で、会社やプロモーターから直に言われる事も有る。「売り出したいレスラーが居る、頼むが負け役を受けてくれないか?」とか、「奴の地元だから花を持たしてやろうか」とか。
 でも、基本的にレスラー間の暗黙の了解。プロレスには暗黙の了解が多い。成立が競技ではなく興行からだからと言って良いだろう。

 観客は判っていて見に行くべきだろうし、本来はそれが正しい観戦スタイルだろう。お気に入りのレスラーが勝つところを誰もが見たい。だからエースは負けない。

 そこに真剣勝負という「ギミック」を持ち込んだのが問題だったのだろう。が、持ち込んだからこそ一時期、隆盛を誇ったわけだ。「うわー猪木つぇえ。まけないよ。」そら、そうだトップレスラーが負けてりゃ誰も見に来ないよな「真剣勝負を標榜している人が勝つ。凄い物だプロレスって。」って、評価になるよね。これが日本で一番の団体になったのが問題だろう。

 本来の楽しみ方が逆転して一般に流布したのが問題だ。真剣勝負ではないプロレスをどうしてそのように評価できようか。真剣勝負という熱病に犯されたままでは無いのだ。俺たちをだました、嘘で固められた試合だ!八百長だ!

 その点、全日系馬場一門のレスラーは見せて説明しやすい。相手レスラーが絶えられる限界。若しくは超えた投げを打ち合い、我慢比べとしかいえない状況まで投げ合う、しかもフラフラでもワザワザ立ち上がって相手の技を受ける。受けるのが八百長と言われれば仕様がない。明文化されていないルールだ「受け」は。客は凄いからだのブツカリ合いを見に来てるのに。しない訳にイカンだろう興行だし。
 しかし、奴らはフラフラ(にしか見えない状況)でも相手の技を受けて試合を作ろうとする。客の要求を満たしながら自分たちの優劣を競っている。そこの何処に真剣さがないのだろうか。

 プロレスは相手を投げる、殴る、締める。幾ら手加減すればあんなにいい音立てて投げれるの?ぶつかるの?
 鍛えているからだろう、思いっきり殴っても怪我をしない胸、頭から落ちても受けきれる首、肩。それって真剣じゃ無いの。なんであんなに筋肉をつけてその上に太らないといけないの?
 相手に、会社に勝つ事を許される評価を得る。その為に鍛えて、その為に勝つ。そして強い男として評価され、ずっと勝ちつづけたい。それがプロレス的強さの評価だと思うのだが。

 と、何時も説明しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>思いっきり殴っても怪我をしない胸、頭から落ちても受けきれる首、肩。
>それって真剣じゃ無いの。

演技は真剣です。双方が真剣に協力して、見栄えはするが、できるだけダメージを軽減するような攻め合いをしているわけです。
双方が最大限のいたわりの心を持って演じているのです。ですから、突発的な不自然な終わり方(プロレス的に)がほとんどないのです。

>なんであんなに筋肉をつけてその上に太らないといけないの?

勝つための体ではなく、技のデモンストレーションをするのに適した体型にするためです。

>会社に勝つ事を許される評価を得る。

そうですね。勝ち負けは事前に会社が決めているということを広く流布することが、いろいろな意味でプロレスに計り知れないプラスの効果を及ぼすことになる、というのが質問文の人の見解のようです。

お礼日時:2003/05/21 12:59

八百長ねぇ…。

プロレスにおいて勝敗は重視するものではありません。ファンを楽しませる一手段としてタイトルマッチなどを行いますがプロレスラーの「強さ」とは誰にも負けないという事ではありません。プロレスラーの強い弱いは勝敗ではなく、いかにしてその戦いを見た人の記憶に残るか。5カウント以内の反則が許され、イスで殴られたりして血だらけになってもファンを楽しませるために戦うレスラー。そしてその強さを決めるのもファンであり、純粋にその非現実的ともいえる世界を楽しむ。それがプロレスです。つまりは格闘技ではないわけですね。 プロレスを八百長としか見れない人たちはプロレスの本当の楽しさを知らなくてかわいそうな限りですよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>プロレスを八百長としか見れない人たちはプロレスの本当の楽しさを知らなくて
>かわいそうな限りですよね。

そんなかわいそうな限りの存在にすることに大きく影響を及ぼしているのが、格闘技をよく知らない一部のプロレスファンの、「プロレスは真剣に勝敗を争っている」という発言であるというのが、質問文の人の見解のようです。

お礼日時:2003/05/21 12:27

#6です。


前にも述べたとおり私もプロレスは好きですし、世間的評価は高くなって欲しいので質問文の方の意見に反対ではなく、むしろ同意。その様なカタチをとってでも確立されてほしいという願いはあります。

理想はそうあってほしいのですが、それとは別にやはりそれ自体が困難だとも思っています。
古い話で恐縮ですが、ご存知の通り力道山は日本のヒーロー、彼の試合に日本人の多くが熱狂しました。日本のプロレスが一番盛り上がっていた時だと思います。ところが多くの国民がプロレスを本気の戦いだと思っていたその時、当の力道山が自ら試合はストーリーがあり、本気で戦っていないということを告白しました。力道山は勝手に盛り上がる民衆と自分のしている事とのギャップを軌道修正するため、正しく理解してもらおうと発言したのにもかかわらず、ショックを受けた国民は「八百長」と称しました。

>まさにそれをやって、「八百長」という偏見を一掃したのが、アメリカのWWEのようです。
「八百長」でないことを自ら証明して、選手はやましい気持ちが微塵もなくなり、胸を張って堂々とブックを演じ、一級のとエンターテイナーして高い評価を受けているようです。

本当にそうでしょうか?
エンターティなーとしての評価は受けていると思いますが、アメリカでも日本と同様プロレスは一部のファンによって支えられていることに変わりありません。日本と違い、そのマーケットが大きかっただけです。WWEの視聴率の低迷は已然として深刻で、内側を見せる作戦に転じたのは一種の大きな掛けです。
最近になって海外興業に力を入れているのも新たなマーケットを広げないとやっていけないという危機的状況にあるためです。(アメリカ)国内のマーケットが安定していればこのような営業展開は無かったでしょう。

>プロレスファンが先頭にたって、ブックやアングル等の存在を、知らない人に説明してあげることが必要だと主張する人がいます。

プロレスファンがその様な事をする事を願っていないのは本当はプロレス関係者だと思います。
過去の歴史的失敗や、本格エンターテーメント路線のプロレスを受け入れにくい日本人の気質、世界的に狭まりつつあるマーケットなどを考えると、今の時点で冒険する勇気がないのです。
鳥や獣になるよりも、コウモリのままでいることを望んでいるように思います。
レスラーをはじめとするプロレス関係者だってプロレスの地位向上は望んでいても、それは二の次。
自分達が食べていけなくなれば何の意味もありません。それがたとえ「八百長」という不本意な呼ばれ方をしても、生活や家族には変えられません。
それはお気楽なプロレスファンの私達には分からないプロレス関係者の本音ではないかと考えます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>力道山は勝手に盛り上がる民衆と自分のしている事とのギャップを軌道修正するため、
>正しく理解してもらおうと発言したのにもかかわらず、ショックを受けた国民は
>「八百長」と称しました。

それは真剣勝負という触れ込みでプロレスというものが入り込んできていて、真剣に勝敗を争っているという思い込みが支配的だったという当時の特殊な状況があったからでしょう。
それから時は流れて、今では、真剣に勝敗を争っていると主張しているのは、一部の格闘技というものを理解していない人達であり、またそういった人々がプロレス全体のイメージダウンに著しい影響を及ぼしているというのが、質問文の人の見解のようです。

>日本と違い、そのマーケットが大きかっただけです。WWEの視聴率の低迷は已然として
>深刻で、内側を見せる作戦に転じたのは一種の大きな掛けです。

WWEはようするにバブルが弾けただけのことでしょう。内側を見せたからまずかったのではなく、その見せ方やそもそもシナリオ自体に工夫が足りなくなっていることが勢いを失っている原因でしょう。
内側を見せてない頃であっても、アメリカのファンはプロレスにシナリオがあることは知っていました。その頃アメリカの友人とプロレスについて話をしたことがありましたが、あれは格闘技ではないと笑って言ってました。
だからこそ、その当時から、間接の取り合いのように格闘技っぽいことをすると、アメリカではブーイングがおこっていたものです。
プロレスに格闘技としての真剣っぽさを求めていない証拠であり、格闘技とショーをきちんと分けて捉えることができる当たり前の能力を誰もが有しているということでしょう。日本の一部のプロレスファンはその能力が欠如しているようですが。

>過去の歴史的失敗や、本格エンターテーメント路線のプロレスを受け入れにくい
>日本人の気質、世界的に狭まりつつあるマーケットなどを考えると、今の時点で
>冒険する勇気がないのです。

WWEのマネをして団体が自らカミングアウトすべきということでなく、プロレスファンが、変な誤解を持たれるよな言動(勝ち負けを争っている)はしないようにするべきだというのが、質問文の人の見解のようです。
団体側はあくまでも本気で勝負しているというポーズを取り続けて、そのポーズをも演出の一つとして楽しむのが日本独自の受け止め方であるというのが、質問文の人の見解のようです。

>自分達が食べていけなくなれば何の意味もありません。

そもそも日本においても、真剣に勝ち負けを争っていると信じている人は少数に過ぎないので、仮にその人達が去ってしまったとしても、健全なエンターテイメントとして新たに興味を抱く人達が去っていった人達を補って余る数になることは間違いないというのが、質問文の人の見解のようです。

>それはお気楽なプロレスファンの私達には分からないプロレス関係者の本音では
>ないかと考えます。

本当にプロレスを愛するファンであるなら、八百長疑惑を助長することになる、「真剣に勝ち負けを争っている」などという発言は控えてもらい、逆にシナリオの存在を流布することによって、健全なエンターテイメントとしての地位を確立し、今まで見向きもしなかった新しい層を取り込むことができたら、プロレスは長期の低迷から脱出し、拡大発展路線に突入していけるというのがプロレス関係者の本音だろう、というのが質問文の人の見解のようです。

補足日時:2003/05/21 11:55
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その通りです。

ちなみにWWEは実際に試合をする番組の他に
「コンフィデンシャル」という番組も行っていて、
その中で舞台裏やギミック等の色々な裏話を公開しています。
プロレスはエンターティメントだと公言しているWWE
ならではのやり方だと思いますが、実際、裏舞台を
知れば知るほど面白くなると言った側面もあると思います。(凶悪な
ヒールの某が実は凄い良い奴とか、いつもやられ役の某が実は
とてつもなく巧い人だった等)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>実際、裏舞台を知れば知るほど面白くなると言った側面もあると思います。

質問文の人もそれを強調していました。

お礼日時:2003/05/21 11:13

最悪です。

プロレスラーに対して失礼です!もしそういうことをすればプロレスは確実に衰退します。それに確かに勝とうとはしていないかもしれませんが本気では戦っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>プロレスラーに対して失礼です!

一番失礼なのは、八百長と言ってくる人達ではないでしょうか?
失礼を通り越して名誉毀損だというのが、質問文の人の見解のようです。

>もしそういうことをすればプロレスは確実に衰退します。

ゴールデンタイムに放映されていた頃に比べたら、現時点で相当衰退しているというのが、質問文の人の見解のようです。

>それに確かに勝とうとはしていないかもしれませんが本気では戦っています。

映画で俳優が本気で演技をしているのと同じように、レスラーは本気で演じているというのが、質問文の人の見解のようです。

>勝とうとはしていないかもしれませんが

「勝とうとはしてない=勝負をしてない」ことを知らしめることによって八百長疑惑を払拭し、プロレスラー及びプロレスファンの名誉を回復したいというのが、質問文の人の見解のようです。

お礼日時:2003/04/23 08:44

一番の誤解の元であると思われる『プロレス』という名称を変えるのがいいと思います。

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この回答へのお礼

なるほど!

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/04/23 08:26

質問人さんのいうとおりだと思いますが、


しかし、プロレスファンの方は、格闘技としてみている方とショウとして見ている方に分かれるようです。
格闘技としてみれば、八百長だし、
ショウとしてみると、何々チャンピョンというようなタイトルもあるようで変ですし。

プロレスっていったい何なのでしょう。

質問人さんは、台本を明かしてしまえば、八百長といわれないとの考えなのでしょうが、台本を明かして面白いものなのでしょうか。

プロレスは、格闘技でもなし、ショウでもないような気がします。

私は、プロレスを格闘技と思っていました。
したがって、プロレスは、八百長だと思って、見たこともありません。

また、プロレスラーが議員になって、議会で同じように八百長をやるのかと考えると頭が痛いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ショウとしてみると、何々チャンピョンというようなタイトルもあるようで変ですし。

格闘技の体裁を取っている以上、チャンピオンを目指して競い合うというストーリーを構築していく上で、それは必要になってくるのではないでしょうか?

>質問人さんは、台本を明かしてしまえば、八百長といわれないとの考えなので
>しょうが、台本を明かして面白いものなのでしょうか。

台本があったとしても台本の内容が事前に分かるわけでもないし、台本のある映画を多くの人が楽しんでいる事実を考えれば、台本の存在を知らしめることはプロレスの面白さを減退させることにはならないというのが、質問文の人の見解のようです。

お礼日時:2003/04/23 08:26

私は正直プロレスが好きですし、プロレスのなんたるかは解っているつもりです。


ですがプロレスを知らない人、理解できない人を諭すつもりは毛頭ありません。
質問の言葉はどなたの発言かは知りませんが、残念ながらプロレス好きのプロレス側からのみの立場になった発言だと思います。
叫べば叫ぶほど胡散臭い云々ではなく、それ以前の問題なのです。
例えば大人になってもアニメやゲームのコスプレをする人、爬虫類ばかりペットにする人など、その魅力の虜になった人には趣味とよべるものになりますが、これらの魅力をその趣味のない人に何時間説明してもまるで納得してもらえません。
理由は簡単。理解するつもりがないからです。
プロレスに興味が沸く。プロレスを好きになる。プロレスを理解する。というプロセスが生ずるには、何時間もかける説明や解説書は必要ありません。
「プロレスに感動する」ということが必要なのです。
それは、別に大げさな事ではなく、バラエティ番組に出ていたレスラーの顔が気に入ったとか、スポーツ番組で一瞬映った空中殺法に釘づけになったとか、あるいは今ニュースでよく見る「グレートサスケ」って、どんな試合をする人だろう?と思うようなことです。
八百長だ。ヤラセだと言っている人には一生言わせておけば良いのです。
マジックを見てタネばかり暴こうと必死になり、凄い!と素直に楽しめない人と同じです。
心に楽しむという余裕の少ない人達です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>ですがプロレスを知らない人、理解できない人を諭すつもりは毛頭ありません。

質問文の人は、プロレスに対して「八百長」という言葉を投げつけてくる人達に対して、プロレスを理解してもらいたいというよりも、「八百長」呼ばわりすることは名誉毀損であることを訴えたいというのが、本意のようです。

>例えば大人になってもアニメやゲームのコスプレをする人、爬虫類ばかりペット
>にする人など、その魅力の虜になった人には趣味とよべるものになりますが、
>これらの魅力をその趣味のない人に何時間説明してもまるで納得してもらえません。

大人になってもアニメやコスプレに興じる人達のことを、笑ったり気持ち悪がったりする人はいるかもしれないですが、道義的に悪いことをしていると言う人はほとんどいないと思います。
それらはつまるところ、変わった趣味の持ち主という受け止め方に過ぎないと思いますが、「八百長」という言葉には、道義的に許されないこと・限りなく犯罪に近いという意味合いが汲み取れ、それに関わる人々の人間性を否定しかねないものであり、差別問題的見地からも放置しておくことはできないというのが、質問文の人の見解のようです。

>八百長だ。ヤラセだと言っている人には一生言わせておけば良いのです。

八百長と言う人が極めて少数ならともかく、社会全般がそう言われるのもやむを得ないという雰囲気に陥っていることは、プロレスラー及びプロレスファンにとっては著しく名誉が損なわれていることであり、名誉の回復の意味でも、元々勝負などしているのではないことを説明した方がいいというのが、質問文の人の見解のようです。

>マジックを見てタネばかり暴こうと必死になり、凄い!と素直に楽しめない人
>と同じです。

マジシャンがもし、「タネなど存在しない!」と主張すれば、「んなわけないだろう! このペテン師、八百長やろう!」と言われてしまうでしょう。
それと同じように、勝敗は元々決まっているということさえ分かってもらえれば、プロレス八百長疑惑は消滅し、プロレスラーとプロレスファンの名誉が回復することになるというのが、質問文の人の見解のようです。

>心に楽しむという余裕の少ない人達です。

その人達の「心の余裕」については別にどうでもよくて、ただ、その人達にプロレスラーとプロレスファンの名誉を損ねる言動をしてもらいたくないというのが、質問文の人の見解のようです。

補足日時:2003/04/23 07:20
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Gです。



なぜプロレスを格闘技と言い、また、八百長だと言うのだろうか。

私が言ってみても仕方がないと思い、今まで書いてきませんでしたが、書かせてくださいね。

プロレスは私も好きですよ。 悪く思ったことは全くありません。

でも、一度も、格闘技だとは思ったことはありません。 そして、八百長だとも思ったことはありません。

なぜかと言うと、ブルース/リーやジャッキー・チェンが本場の中国でのカンフームービーでは、10分も15分も、お互いを叩きあっていても、格闘技を見せているのとも八百長だとも思わないからなんですね。

日本でも、暴れん坊将軍(つい最近、こちらの弟子に2本分ほど見せてあげました!!)がばっさばっさ、生身の体を切っている(違った、あれ、峰で打っていることになっているんでしたね)と言っても、剣術をしているとは思いません。 日本で見ている人のどのくらいの人が、刀/ナイフで人間の体を切ったら、手術でおなかを割き開けているより、もっとひどいものだとかんじているのだろうか。

格闘技と思うから、八百長だ、と言う人が出て来るわけですね。 

実際に、本気で、何でもありのストリートファイターや、難度貸して逃げまくろうとしている犯罪人を取り押さえる事をしていると、いかに、エネルギーを使うものであり、自分の体に対しての危険を背負っているかが分かります。 骨は簡単に折れる、靭帯は切れる、筋肉は割け軟骨はつぶれる、のが、実際の戦いです。 そして、全治2ヶ月と言われるものなどは、ちょっと怪我に過ぎません。 でも、それを毎週のようにとは言いませんが、少なくとも1-2回はみていなければ、やはり、分からないと思います。

ここでは多くの人が、エンターテインメントなんだ、と言っていますが、プロレスファンの中には、何を言っても、真剣勝負をしているんだ、と思い込んでいることに対しての、この人の答えじゃないかなと思います。

私としては、八百長ではないと言われたくなければ、格闘技だと言うイメージを無くす事じゃないかな。

主催者が、「申し訳ない。 会社の方針が変り、今までやってきた事は、100%真剣勝負ではなかったことを表明する事になりました」って、今更いえないでしょうね。

でも、いいんじゃないですか。 相手に自分の理解を押し付けるようなことをしなく、人それぞれに、プロレスと言うものを楽しめば。 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>プロレスは私も好きですよ。 悪く思ったことは全くありません。

>でも、一度も、格闘技だとは思ったことはありません。

その道の専門家のおっしゃることには非常に説得力を感じます。

>ブルース/リーやジャッキー・チェンが本場の中国でのカンフームービーでは、
>10分も15分も、お互いを叩きあっていても、格闘技を見せているのとも八百長
>だとも思わないからなんですね。

きっと、多くの人が同様に、格闘技でもなく八百長でもないと受け止めると思います。

>格闘技と思うから、八百長だ、と言う人が出て来るわけですね。

そうですね!
質問文の人の意見の核はそこにあるようです。

>何を言っても、真剣勝負をしているんだ、と思い込んでいることに対しての、
>この人の答えじゃないかなと思います。

そのようです。

>私としては、八百長ではないと言われたくなければ、格闘技だと言うイメージを
>無くす事じゃないかな。

まさにそれをするために、脚本が存在していることを知らしめたいというのが、質問文の人の意見のようです。

>主催者が、「申し訳ない。 会社の方針が変り、今までやってきた事は、
>100%真剣勝負ではなかったことを表明する事になりました」って、
>今更いえないでしょうね。

まさにそれをやって、「八百長」という偏見を一掃したのが、アメリカのWWEのようです。
「八百長」でないことを自ら証明して、選手はやましい気持ちが微塵もなくなり、胸を張って堂々とブックを演じ、一級のとエンターテイナーして高い評価を受けているようです。

>でも、いいんじゃないですか。 相手に自分の理解を押し付けるようなことをしなく、
>人それぞれに、プロレスと言うものを楽しめば。

それぞれがそれぞれの楽しみ方をすることはかまわないですが、「八百長」と言って罵声を浴びせてくる人達に対して、また社会一般の中に根付いている「プロレスは胡散臭い」というイメージに対して、プロレスラーとプロレスファンの名誉を回復するためにも、脚本を演じている(アドリブが非常に多いが)に過ぎないことを分かってもらった方がいいというのが、質問文の人の見解のようです。

お礼日時:2003/04/23 06:50

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