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私には「自分のために」が多く、「人のために」という概念が少ない気がします。

「人のためになる仕事がしたい」と言っている人も多いですよね。
何故そんなことが考えられるのだろうとすごく不思議に思います。
(批判的意味じゃなくて、素直に不思議なのです)

自分が好きな人(男女問わず)が、困っていたら放っておけなくなったりしますが・・

何故そんなに人のために、と思えるのでしょうか?
私みたいな人もいらっしゃるでしょうか?

A 回答 (7件)

質問者様はたぶんお若いのではないですか?


いいのですよそれで今は。
迷わずやりたい事を思いっきりやった方がいいですよ。

そうしていろいろ経験を重ねっていったら自然に、
人の為にって思えます。
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私も昔はwitchiさんみたいな考え方でしたよ。



だけど今は、人の役にたつことができると充実感が得られるんです。
人に何かしてそれに対して相手が喜んでくれた。
もちろんそれでお礼をもらったらうれしいけど、
相手が喜んでくれる方がもっとうれしい。

昔はそんなんじゃなかったのになあ、なぜだろう、
と、この質問を見て自分を振り返ってみたのですが、
社会生活を長いこと営むことで、一人では社会生活が出来ないことを学んだおかげ、
という答えに至りました。

社会生活、とくに仕事をやってると、社会が回るにはさまざまな人が絡んでることをいやがうえにも実感します。
食っていくことがどれだけ大変で、食っていけることがどれだけありがたいことか分かります。

そして社会で暮らしている限り、他人の恩恵を受けています。
一人暮らしで引きこもっていようが、電気・水道・ガスに住居、インスタントラーメンに牛乳、服、パソコンもネットも全部誰かが作り、維持しているものです。

金払ってるんだから、物が買えるのは当たり前、とか昔は思ってましたけど、
普通に道があって、夜も明るくて、水が飲めて、食べ物も買えて、薬も買えて、こうしてネットで誰かの質問に答えることが出来る。
そういう社会を構築できているってすごいことです。
100年前とかに放り出されたら、自分ならすぐくたばってると思います。

だから一人で生きてるなんてとんでもない、数え切れない人の働きがあって自分も生きている、というのがある時実感できたんでしょうね。
それが実感できた時、すごいありがたいもんだと思ったから、
自分も何か社会のために役に立ちたい、という気持ちが出るのでしょう。
だから人のためになる仕事がしたいんです。

道徳教育も大事かもしれないけど、
こういうのって、実地体験をして心で納得できないと、
人のためにやろうなんて気持ちはなかなかでてこないと思います。
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「欲求の5段階説」はご存知ですか?


人間の最も基本的な欲求は、「生理的欲求」です。
食べたい、飲みたい、眠りたい、というような、
生きるのに必要なことを求める欲求であり、
人は第一に、この低次元な欲求を何が何でも満足させようとします。

生理的欲求が満足すると、次に、安全でいたい(2段階目)、
人の集団に加わりたい(3段階目)、人から認めてもらいたい(4段階目)、
というような、より次元の高いことを求めます。

最も上の次元(5段階目)の欲求が「自己実現欲求」です。
自分の大きな夢を叶えて満足したいというような欲求です。
生理的欲求(1段階目)が満たされないと、生きれないかもしれませんが、
夢が叶わなくてもまったく関係なく生きることができます。
次元の高い欲求とは、ある意味ぜいたくな欲求なのです。

欲求の5段階説を提唱したマズローという人は、
自己実現欲求よりもさらに上の欲求も考えたと言われています。
それが「奉仕の欲求(6段階目)」です。
「他人のために奉仕することで満足したい」という欲求で、
これはまさしく質問文にある「人のため」というものです。

説によれば、1~5段階目までの欲求を順にすべて満足した人が
はじめて6段階目の欲求を持てることになります。
食べたいものを食べることから、自分の夢を叶えることまで、
すべてを満たしてしまった人には、「自分のため」はもう十分なのです。
だから、他人のために奉仕することで満足しようとするのです。
チャリティーなどに精を出す大金持ちのセレブなどが、それに相当します。

「欲求の5段階説」が本当に正しいかどうかわかりませんが、
やはり人と言うのは、大まかに言ってまず最初は自分の欲求を満たしたいと思い、
その次の段階として、他人の役に立ちたいと思うはずです。

つまり、「自分のため」の欲求しか持っておらず、
「他人のため」をあまり考えられない人というのは、
1~5段階目までの欲求が、まだあまり満たされていないということになります。
(個人によっていろいろと違う点があるかもしれませんが)

質問者さんも、将来億万長者になり何でも欲しいものが手に入るようになったら、
いずれ、自分だけがものを手に入れることに飽きてしまい、
他人に分け与えることで、他人を喜ばしてあげたくなるかもしれませんね。
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「自分のために」でいいんじゃないですか。

それが自分の偽らざる気持ちなのであれば。

もちろん、「他人のために」に比重がかかっている人もいると思います。

私が避けたいタイプというのは、「他人のため」という大義名分を振りかざしながら、実は自分のことしか考えていない人です。人に迷惑をかけることが分かっていながら、「あなたに気を使っている」というようなポーズを見せる人です。
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程度にもよりますが、人のため、は結果的に、自分のため、になるからではないでしょうか。



「情けは人のためならず」ということわざがありますよね。
昔から、そういう概念はあったのだと思います。
(誤用では、情けは人のためにはならないから突き放せ、なんて解釈もあるようですが、もちろん本来の意味の方です)
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「人のためになる仕事がしたい」というのが願望なら、それが叶えられたら(自分のためになる仕事に就く)ことになる。

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時代が変わってきたのと、あとは言い回しとか考え方のような気がします。


自分のために働けと言い切っている会社があります。自分が進むべき道にベストを尽くすことが、会社のため、世の中のため、人のためになるので、行き着くところは同じです。
本当に、自分だけの金儲けのためとか、他人はどうでもいいと考えるのは違いますね。あなたは利己主義的な後者ですか?

日本はそういう教育すらしてませんよね。「一日一善」なんて言うCMは今はなくなりました(昔はあったのです)。
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