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与謝野晶子の歌について意味や解説などを調べなければいけないのですが、
いろいろ調べてみても分かりません><

(1)【なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな】

(2)【いとせめてもゆるがままにもえしめよ欺くぞ覚ゆる暮れて行く春】

(3)【金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に】

(4)【夏のかぜ山よりきたり三百の牧の若馬耳炊かれけり】

の解説をどれか1つでもいいので、教えて頂ければ助かります。
そのときの状況や気持ち(感じ)、景色などがあれば凄く有難いです。


また、
“清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みな美しき”
という歌があるのですが、クラスで
【清々清水へ祇園をおぎる桜月夜今宵逢ふんみなうつくしき】
と書いてあったのですが、どちらが正しいのでしょうか?

よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

 「耳ふかれけり」ですから、たてがみは風に揺れていても、耳への注目を妨げるほどの激しい動きではないはず。

また、夏の山から吹いてくる、三百頭もの若馬を吹く風。「あるかなきかの風」でもありません。

 「牧場のたくさんの若馬の耳を強い力でなでていく」という解釈を某所で見かけましたが(^_<)、そういう感じの風だと思います。「炊く」という誤記から出発した解釈のようですが、到達点をきちんとしたところへ持ってくるのは、歌の文脈や場面の情景を正確に把握する力があるからだと感じました。
 これに懲りず、短歌の解釈・鑑賞にどんどんチャレンジしてもらいたいものです。
 もちろん、しっかりしたテキストで表記まできちんと確認する(漢字表記か、平仮名かで解釈が異なってくる場合もあるでしょう)、先達の様々な解釈をよく調べるという基本的な作業が大事なのはいうまでもありませんが。
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No3さん!ありがとう。


「炊かれけり」ではなく「吹かれけり」ですか?
調べもしないで「こじつけ」で回答してしまって本当に恥ずかしい!
私も釈然としなかったので分かって良かったです。
慣れない事はするものでないですね?
もう止めました。
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> 丸投げにはしてませんよ?


> こうしてる間にも探してます。

 あなたのご質問を拝見する私たちには、残念ながら、あなたが懸命に短歌を調べていらっしゃる姿をネットを通じて見ることはできません。
 したがって、あなたが質問にお書きになったことだけで判断するしかありません。だとすれば、「丸投げ」と判断されてもやむをえないことだと存じます。

 たとえば、「○○と××のサイト、それから『△△』という本はもう見ましたが、どれにも□□についての記述がなくて」などと書いたご質問であれば、回答者の方々はあなたのご努力をほめたたえこそすれ、決して「丸投げ」とはおっしゃらないでしょう。


 検索なさって、いろんなサイトをごらんになったのであれば、

> 【清々清水へ祇園をおぎる桜月夜今宵逢ふんみなうつくしき】

と書いたサイトは1つもなかったことにお気づきなのではないでしょうか。結論ははっきりしています。


 「清々清水」(誤)→「清水」(正)

は、どうしてそんなことになったのかは、想像しづらいですが、

 「お」→「よ」、「ん」→「人」

は、字形が似通っているので、紛らわしい字体で書いたか、あわてて読み間違えたかなさったのでしょう。


同様の誤りが

 「炊」→「吹」

にもありますね。ただ、検索してみると、見た限りでは「耳ふかれけり」と仮名書きのサイトばかりでした。
 『日本の詩歌 4』(中公文庫)でも仮名書きでした。

 それにしても「wikiquote」が「耳ふかりけり」になっているのには驚きました。
 ネットの情報を鵜呑みにしてはいけないというよい例ですね。
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短歌は好きですが、ご質問にあるものは昔のもので古語がたくさん入っているので、、、、


でも出来るだけやってみようと思います。
1つを除いては特別難しい事無いと思うけど若い人には難しいのかな?

1(なんとなく、あなたが待っているような気がして外に出てみたら、外は花咲く野原で夕月がかかっていた)

2 熱烈な恋愛歌のようです。与謝野晶子は情熱のかたまりのような人だったそうですので。
もう止めが聞かなくなった恋愛感情を我慢しないと言うことを言っているような気がしますが、正確な意味は分かりません。

3(金色の小さい鳥のような形をした銀杏(いちょう)の葉が夕日の岡に散っていく)

4ここで問題となるのは「炊かれけり」の意味ですが正直私も分かりません。(笑)
しかし、炊く→炊ぐ→研ぐ というように変化した1つの方言では無いか思うのですが、、、もしそう言うふうに解釈すれば、
(夏の風が山から吹いて来て牧場のたくさんの若馬の耳を強い力でなでていく)というような意味ではないかと思います。

最後の歌に関しては上の方が正しいと思います。
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ネットで検索すれば、簡単に、しかも腐るほど出てきますけど・・・


これだけ有名な歌なのですから、図書館で探せば、文献も多いと思いますよ。
ここで、宿題(?)の丸投げは如何なものでしょうか?

この回答への補足

≫hyuuma8579さん

ネット検索にかけていますが.なかなか思うような解説がないので
ここで質問させて頂いてもらってます。
私の検索が下手なだけかもしれませんが.
丸投げにはしてませんよ?
こうしてる間にも探してます。

補足日時:2009/10/26 06:57
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Q詩集[みだれ髪]の有名な文などの意味を教えて下さい

与謝野晶子の詩集?の"みだれ髪"について教えて頂きたく投稿しました。
全くこの手のことには知識がありませんが、仕事上内容を理解しないといけなくなりまして(汗;)、時間も無いのにほとほと困っております。ネットで探したのですがうまく意味としてはヒットしないので。

[1]「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」。この一文の意味は一般的に(独自解釈でなく)どういったものでしょうか。なるべく詳しく伺いたいです。

[2]みだれ髪全体の意味はどういったものでしょうか。
同じく独自解釈でなく一般的な捉えられ方をなるべく詳しく教えて下さいませんか。
自分が調べてわかっているところは、与謝野晶子自身の恋を題材にした恋愛集というものなのかと。また、与謝野鉄幹という人物に出会ってからの作品であり、この詩集?を発刊した直後くらいに鉄幹と結婚したということ。
当時としてはとても大胆なというか、時代の先端をいった内容だったような感じ(かな?)。
以上、どうぞ宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「みだれ髪」(歌集ですね)は5年位前に俵万智さんが「みだ髪チョコレート語訳」を出しています。

「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」は、「なんとなくあなたが待っているような気持ちがして外へ出てみたら、花の咲く野辺に出た。月がキレイなこと。」かな。
とまあ、恋する女心のなせる業ですね。
ほかの人の解釈の方もどうぞ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pie57577/zakkityou/zakki20.htm

チョコレート語訳はURLからどうぞ。これはなかなか今風でよいですよ。

与謝野晶子ファンサイトのようなものもあります。
http://www.yosanoakiko.net/top.html

出版当時の評判の程は
http://www.for-you.co.jp/akiko/ishida/ishida11/

http://www.tabiken.com/history/doc/R/R262C100.HTM

参考URL:http://www.for-you.co.jp/akiko/tawara.htm

「みだれ髪」(歌集ですね)は5年位前に俵万智さんが「みだ髪チョコレート語訳」を出しています。

「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」は、「なんとなくあなたが待っているような気持ちがして外へ出てみたら、花の咲く野辺に出た。月がキレイなこと。」かな。
とまあ、恋する女心のなせる業ですね。
ほかの人の解釈の方もどうぞ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pie57577/zakkityou/zakki20.htm

チョコレート語訳はURLからどうぞ。これはなかなか今風でよいですよ。

与謝...続きを読む

Qテスト直前なのに、短歌の区切れがわかりません………。

短歌の句切れ、どのように見分けたらよいのかがわかりません。
感動の助詞(けりなど)がなかったら『句切れなし』なのでしょうか?

以下の句の句切れ、自分で考えても理解できず、家族や友人に聞いてもわからないと言う返事しか返ってこなく、
ネットで調べてもよくわからないので困っています。
どうぞよろしくお願いします。

・防人に 行くはたが背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(防人歌)
・多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(東歌)
・君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く(額田王)
・近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
・うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば(大伴家持)

すべて万葉集で、とても一般的な句なのだそうですが、よくわかりません。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ。

3、終止形や命令形で言い切っているところ。

4、体言止めで言い切っているところ。
ただし、体言で句が終わっていても、そこへ「を」「に」などの助詞を補ってあとの句へ意味がつながるような場合は、ここを句切れとは考えません。

5、倒置法のあるところ。

6、呼び掛け法のあるところ。

韻文の場合、芸術的に感心できませんが、一応、「解釈(分かりやすい現代語に訳す)」をしてみると、句切れも分かるかと思います。

*防人に・・・
あの九州の警備兵として徴兵されていくのは誰の旦那さんかしらね、と訊く人を、見ることのうらやましさと言ったらないよ。なんの悩み事もなくて(あの防人は私の夫なのだよ、私には危険な国境に夫を送り出すという悩みがあるのだ)。
→「ともしさ」が体言止めで、意味的に倒置法なので四句切れです。

*多摩川に・・・
多摩川に晒して作る布を見ていた。その「さらす」という音でふと思い出したが、さらにさらにどうしてあの子がこんなに恋しいのだろうか。
→「多摩川にさらす手作り」までは、「さらさらに」を導くための「序詞(じょことば)」で、和歌の解釈としては内容的な意味はなく、「手作り」は体言止めで、二句切れです。

*君待つと・・・
恋人のあなたの訪れを待って私があなたを恋い慕っていると、私の家の簾を動かして、あなたの代わりに秋の風が訪れ、あなたはまだ来ないのだった。
→順当な流れのうちに結句まで言い切っている歌で、句切れなし。ちなみに、古今集以降だと、「秋風」を「飽き」との掛詞(かけことば)と考えて、恋人の訪れがないのを、恋人とが自分に「飽き」たからだ、と、別れや失恋を暗示するのですが、万葉集だとそこまで読むのは深読みと考えられるでしょう。単に季節がほんとに秋だっただけ。女心の寂しさは詠み込まれているけど。

*近江の海・・・
琵琶湖に夕方立つさざ波に群れ遊んでいる千鳥たちよ、お前が鳴くと、私はひどくしみじみと悲しくなって、昔のことが偲ばれてならないよ。
→「夕波千鳥」を呼び掛け法と考えても、単なる体言止めと考えても、いずれにせよ二句切れ。

*うらうらに・・・
うららかに照っている春の陽射しに雲雀が空高く舞い上がり、私の心はいっそう悲しいなあ。一人ぼっちで物思いに耽っているので。
→「心悲しも」の「も」は、上代特有の助詞で、詠嘆を表すので、ここで切れて四句切れ。春の憂愁(メランコリー)を詠い、万葉集としてはかなり進んだ、中古的美意識をもって詠んだ歌。雲雀の楽しそうなさえずりと、自分の憂鬱な物思いとの対比。

万葉集の和歌には、二句や四句の偶数で句切れのある歌が多いのです。
五七/五七/七
と「五七」のリズムが強調されるので、「五七調」と呼ばれます。
(古今集以降の和歌は、初句や三句の奇数句で句切れのある歌が多く、五/七五/七七と「七五」のリズムが強調されて、「七五調」と呼ばれます)
五七調の和歌は、五音という軽い上半身を、七音という重い下半身でしっかりと支えるので、歌体が安定し、堂々とした力強い響きをもたらします。
七五調の和歌は、反対に、七音という重い上半身が、五音という軽い下半身の上に乗っかる格好になるので、歌体はふらつき、なよなよとした流麗な流れの良い歌になります。

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ...続きを読む

Q短歌(句切れ)

 短歌に関する質問です。次の短歌の句切れは、どこになりますか?
(1)屋上の柵にむらがり来るかもめまなこ鋭く互ひに憩ふ
(2)草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり
(3)みすずかる信濃のわが家いや古りてかの大時計今も動くか
(4)その子らに捕へられむと母が魂蛍となりて夜を来たるらし
(5)アカシアの並木にポプラに
   秋の風
   吹くがかなしと日記に残れり
(6)夏の風山より来たり三百の牧の若馬耳ふかれけり
 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

自分も知りたいので注目していましたが、レスが付かないので呼び水として・・・。
解説する能力はないので答でなく、自分の考えだけです。
(1)3句切れ
(2)1句切れ
(3)5句切れ
(4)3句切れ
(5)3句切れ
(6)2句切れ

・「句末に体言がある」というのは句切れの有力な目安になる、と考えています。
・「屋上の」は字余りでないと考えます。

・毎日曜日NHK教育、7:30AM(?)で司会者が応募作品をよむとき、句切れの箇所でほんのちょっと間をとっていませんか。参考になるかもしれません。

回答ではなくて済みません。締め切る際に正解を教えてくれると有り難いです。

Q短歌の数え方の単位は?

俳句は一句二句、和歌は一首二首、では短歌はどういう単位で数えるのでしょうか?
どなたかご教授くださいませ。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 他の方のおっしゃるように「首」で数えます。

 なお、「和歌」は、中国の詩(日本人が作ったものもありますが)である「漢詩」に対して、「日本の歌」を意味するもので、広い意味では、「短歌(五七五七七)」の他に、「長歌(長歌=五七を二回以上繰り返して、最後五七七で終わる)や旋頭歌(せどうか=五七七五七七)なども含みます。
 その、広い意味での「和歌」の中で、平安時代以降は短歌以外はあまり(ほとんど)作られなくなったので、「和歌」は、五七五七七の「短歌」を表す狭い意味で使われるようにもなりました。現代では和歌というとほとんどの場合、五七五七七の短歌のことです。
 だだし、その場合でも五七五七七の「短歌」を和歌と呼ぶのは江戸時代の作品までで、明治以降の作品は短歌と呼び、和歌とは呼びません。
 したがって、与謝野晶子や斎藤茂吉、近いところでは俵万智などの作品は「短歌」と呼び、和歌とは言いません。


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