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A 回答 (3件)

広義の論理学では、数学はその一部になるはずだったのが、ゲーデルによって覆されてしまったため、部分的に重なり合っているといった状態でしょうか?



論理学(wikipedia)
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86% …
論理を研究する論理学は、昔は哲学の一分野であった。現在では数学的性格がより強い論理学(記号論理学、または数理論理学)と、記号論理学でない論理学とに分化している、と言える。

記号論理学に属する論理として例えば命題論理、述語論理、様相論理、直観主義論理、量子論理がある。 記号論理学は論理を単なる記号操作として扱う事に特徴があり、記号操作で表せないものは記号論理学では決して扱うことができない。 たとえば、帰納法を記号論理学は定式化できない。
(中略)
不完全性定理 [編集]
アリストテレスの論理学以来はじめて、論理学の世界に革命を起こしたのは20世紀初頭のバートランド・ラッセルである。彼は数学は論理学の一分科に過ぎないとする論理主義を提唱し、その著書『数学原理』 (Principia Mathematica)(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドと共著)において、述語論理の基礎法則を用いて、無から数学の全体系を再構築しようと試みた。
(中略)
ヒルベルトは完全性と無矛盾性を併せもつような数学全体を導くためには、適切な公理系を見出すことが重要であることを明らかにし、それを見出そうと試みたが(ヒルベルト・プログラム)、実現することはできなかった。
1930年、クルト・ゲーデルによって不完全性定理が発見された。 これは「自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在する」というものである(ゲーデル自身は弱い形で示したが一般化された)。 すなわち、二階述語論理より強い表現力をもつ公理系(これには算術体系が含まれる)においては、立証も反証もできない灰色の領域が必ず存在することが示されたのである。これによって、論理によって万物を解き明かそうという、ラッセルやヒルベルトの野望は完全に潰えた。
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お邪魔します。


素人の個人的感想ですが・・・

過日、一寸した必要があって、論理哲学論考(ウィトゲンシュタイン)パラパラと。

最初の、
世界は成立していることがらの総体である。

から、すでにつまずいてしまいました(笑。

この考えが正しく論理学と数学の関係だと思います、特に記号論理学と断った方が正しいのでしょうが。
つまり、全体は部分の総和以上のものではない、部分は部分のみで独立している、要するに数学の「1」であって、それを重ねることで、無限の可能性が生まれてくるわけですね。

こうした考え方は、全体と部分の関係同様に、演繹主義的な方法論、えぇと、証明方法、演繹的な証明を優先するということでしょうか。

最後に、
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
という有名な言葉で終わっていますが、
素人考えでは、つい、

8 数えられないものについては、数えてはならない。
と付け加えたくなります。
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すごく時事的な話題ですね。



論理学が、数学を包み込むという表現のほうが、適切なのかもしれません。

思弁的論理学には2つの体系があります。永遠の体系と無限の体系です。哲学に疎い初心者=精神の滋養をなさってこなかった方は、無限と永遠は同じものと勘違いしてしまったようです。(単語が、肯定的か否定的かは、よく見ればすぐわかるのですが…)

数学は、無限の体系の一分野です。

(1)1つは、永遠の論理学。

比喩的に述べるとすると、
精神の弁論です。主客の弁証です。
永遠の体系が、生命です。

時空の意義が、永遠です。
永遠とは、生成に内在する揚力(Dynamis)です。

(2)2つは、自然を前提とする論理学。無限の論理学です。

比喩的に述べるとすると、
自然の中の「虜の体系」=否定的な有・無のメロディーです。

無限の体系は、ある種の数学と言うことが出来ますが、説明する能力のない二源論への信仰です。1は1です。それより先には進めません。おもしろい漢の話題です。堂々巡りです。遊びです。なくても生きていけるのです。
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