【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

私自身は方言に縁がなく育ち、昔からドラマや小説で「おられる」と見聞きしていたので、
最近多い「敬意表現として間違い」という指摘に違和感を覚えます。
あおぞら文庫などで「おられ」「居られ」を検索しても結構該当しますし、
「おられる→敬語は関西では普通だった」という説にしても、
東北出身の作家が「おられ」と使っていたりして、今一つスッキリ納得出来ません。
明治維新の頃に主要藩出身者の登用からその地方の方言が広まった、というようなのと同様に、
「おられる」も何かの際に広まったものの、その後「マニュアル国語信奉者」が増えて、
一度は市民権を得ていたものが誤用扱いされる事になった、のかなと思うのですが、
他の方たちのご意見を聞きたいです。
また、「誤用扱いは誤り」だとして、「おられる」は敬意表現として使っていいと思いますか?
それとも誤解を内包する以上不適切でしょうか?

A 回答 (6件)

当方、関西に生まれ、関西に育っていますので、例に漏れず、「おられる」はごく普通の敬語(尊敬語になるのかな、相手を高める言い方)だと思っていました。



「おる」が「いる」とほぼ同じ意味を持つ普通動詞だというNo.2さんのご意見にとても納得しました。
これは「方言だ」と言われればそれまでですが、「おる」は自分を落とした言い方ではなく、ごく普通に「存在する」という意味で使っています。
「そこに犬がおる」は「そこに犬がいる」と同義です。
こういう「おる」の使い方は、depu2さんがおっしゃるとおり、ちょっと古い書物を繙けばすぐに出てきます。しかも西日本に限った表現ではなかったと記憶しています。
このことは古典文学を見ればすぐ分かると思います。ただこの表現が西日本に残り、東日本では廃れていっただけ。そして東日本の言葉が共通語(だか標準語だか分かりませんが)として採用されただけのことだと思います。

さらに、『広辞苑』を見ても、「おる」のどこにも「謙譲語である」とは書かれていません。せいぜい、

意味的に下の立場の人が上に向かっては使いにくく、上から下へが多いため、それをする人を低める語と解釈されることがある。「いる」より使われる場が減った結果、「いる」の改まった感じの語としても使われる。

自分について卑下、他人について軽侮・罵詈の意味を含むことがある。

という書き方です。
ほかの謙譲語であればはっきり「謙譲語」だと書かれていますから、「おる」を謙譲語とするのは間違いではないかと、私も思います。
ただ、私は国語学の専門家ではないので、学問的に言って正しいのかどうかは分かりません。

当方、とても不勉強で、たまにそういう「誤用」だの何だのという記事を見ても、めんどくさいのできっちり読まないのでよく知らないのですが、「“おられる”が“誤用”だ」と言っているのはきちんとした専門家の方なんでしょうか……。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとう御座います。
>ただこの表現が西日本に残り、東日本では廃れていっただけ。
そういう考え方もありますね!
昨日漠然と大手新聞社の大本は関西が多いから、新聞が広まった頃に方言ではなく文語として市民権を得たのかな、などとも思ったのですが、それ以前の書物にも多数あるとなると、やはりNo.3さんのおっしゃるように関東(だけ?)で廃れたのかも知れませんね。
>下の立場の人が上に向かっては使いにくく
気になって元自衛隊員(非関西人)に上官に「おられる」と使った記憶があるかと訊いたら、「○○教官はおりますか?」などと「おられる」も両方使った、と言われて驚きました(笑)。これが謙譲語なら自衛隊も相当リベラルなのでしょうね。

お礼日時:2009/11/15 16:04

そうなんです。

私の最も愛する作家、太宰治は頻繁に「おられる」を使っています。これは古くさい言い方であるといえばすんなり理解していただけるでしょうか。口語は文語の余韻を引きずっている、いわば延長線上にあるものなので、そういう意味では変なのですが、辞書的に問題がないとすれば、それは時代の経過につれて、ことば自体が生まれ変わったのだと思うしかありません。ただ、私は個人的に「おられる」を使いたくないと思っています。誰がどう思うか、ということではなく、一人ひとりがもっと主体的に言葉を選んで使うようにすれば良いのではないでしょうか。

この回答への補足

こちらのスペースをお借りして、締め切らせて頂きます。
やはり「おられる」は謙譲語ではないと確信できたので、
「絶滅」しない様個人的に折に触れて説いて参りたいと思います。

独断と偏見でNo.3さんNo.2さんにポイントを差し上げたいと思います。
ありがとう御座いました。

補足日時:2009/11/21 13:34
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座います。
>誰がどう思うか、ということではなく、
事が敬意か謙譲かを孕んでいるので、これは当て嵌まらないと思います。
No.1・6さんが好ましくお思いにならない事は理解しました。

お礼日時:2009/11/15 16:14

私自身は「おられる」は誤用ではないと確信していますが、誤用だと主張する人がかなりいます。

それゆえ、なるべく使わないようにしています。言葉は「自分だけ確信していればいい」ってものでもありません。

世間で「差別語」と言われているものの中にも、「支障ない」と私が確信してものが多くありますが、やはり自粛しています。

「いらっしゃる」があるのですから「2つ用意しておいて使い分ける」なんて器用なことをしなくてもいいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座います。
差別語、蔑視根拠を調べようと思っても判らないのが多いですよね。
単にその状況・様子を表現しているに過ぎないと思われる言葉もドンドン狩られてしまって...。
ニュースの「誰もおらず」→「誰もいなく」なんて日本語としてどうかですよね。

お礼日時:2009/11/15 16:08

個人的意見ですが、


標準語の「~で、あられる」が「~で、おられる」に
変化しているのではないでしょうか?

時代劇などでは、京都弁(公家・貴族弁?)で
「こちらにおわすかたは、○○家の姫様に[あらしゃります]。」
などと使われます。
http://dic.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga …

http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&ei=UTF-8&d …
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この回答へのお礼

アドバイスありがとう御座います。
要するに あ→お の誤字・誤読から変化した、説ですね。
誤字・誤読で変化する例もなくはないですから、あり得なくはないですね。

お礼日時:2009/11/15 16:05

 「おる」は普通動詞で、謙譲語ではありません。

「いる」に比べて、古語的イメージが強い語ではありますので、少し改まった言い方に聞こえて、謙譲語と勘違いされたのでしょう。
「私はここにいます。」は私がここにいる事実を単に伝えているだけですが、「私はここにおります。」とすると、私がここに存在することを主張していますので、それが謙譲の意味と誤解されたのかもしれません。
 したがって、動詞「おる」+尊敬の助動詞「れる」の「おられる」は、尊敬表現として誤用ではありません。ただ、「いらっしゃる」という尊敬語がありますから、そのほうが、「動詞+尊敬の助動詞」の形である「おられる」よりもきれいな表現だと思います。
 たとえば、「食べる」の尊敬語として、「召し上がる」がありますが、これを「食べられる」としても間違いではありません。でも、「召し上がる」の方が感じがいいですよね。また、「お食べになる」「食べなさる」と言った表現もありますが、やはり、「召し上がる」が一番感じがよいと思います。
 これが、尊敬語を持たない動詞の場合、たとえば、「書く」でしたら、「書かれる」「お書きになる」「書きなさる」とするわけですが、この場合も、「動詞+助動詞」の「書かれる」より、「お書きになる」「書きなさる」の方が感じがよいのではないでしょうか。
 ただし、その言葉が使われる場所、場面で使い分けがされてしかるべきでしょうが。
 助動詞「れる」「られる」は手軽に使うことができる敬語表現なので、その分敬意が軽い印象があるのかもしれません。また、「れる」「られる」には尊敬以外に受身、自発、可能(ら抜き言葉に圧倒されてますが)の意味があり、それらと混同しやすいということもあります。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとう御座います。
ランク分けとしてはネットで漁った中でも、「おられる」は余所行き・外出着程度で、
正装・盛装と普段着の間を埋める位置に入る、というような記述がありました。
使い分けられると素敵かなと思っています。

お礼日時:2009/11/15 16:01

ある作家が発した語としてならば、それは表現としての語なので、例え誤用であっても構わないと思うのです。

しかし、「おられる」は間違いなく誤用なので、なぜそれほどこの言葉を敬語として使用することにこだわるのか疑問を抱きました。「おる」が謙譲語なのに対し、「れる」という尊敬の助動詞を合わせているのですが、これはおかしな表現です。誤解でも何でもありません。「いらっしゃる」と言えばいいではありませんか。発言としての語はやはり正しいものでなくてはいけないと思います。日常会話には差し支えないと思いますが。手紙を書いたり、それほど親しくない人に対して使う場合、あらたまった場面での使用(たとえば結婚式での挨拶など)の際は要注意です。
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座います。
私も一時期は「おる=謙譲語+られるで誤用」という説にすんなり感化されて受け入れましたが、それでは納得出来なくなって調べてみると、誤用「扱い」ではないか、という方向へ傾きました。
「居る=いる」「おる=謙譲語」と、「居る」の読みを「いる」と限定した事に「おられる誤用」の発端がある、とする記述もネットでありました。太宰治も誤用している一人というご意見なのでしょうか。

お礼日時:2009/11/14 23:03

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