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OKWaveで、感動する歌、泣ける歌で検索して、紹介された歌を沢山聞いてみましたら、皆、嫌悪感を催すほどのまずさでした。有名なアーティストで日本の若者たちに大人気のアーティストばかりです。こぶくろ、中島みゆき、AKIO、浜崎あゆみ、奥華子等々。何故これほど聞き苦しいのか、私なりに捉えてみますと、先ず、メロディーに独創性がない。どこかで聞いた魅力のない旋律の寄せ集めであること。激しいリズムも流れるようなリズムも、どちらもない。メロディーと声の両方に哀愁がない。声の質ですが、声量に乏しいのは勿論、声に「張り」や「つや」がない。女性などは「甘えた声」でおよそ成人した大人の声とは言えない。あの、甘えた声は、昔、童謡歌手が童謡を歌っていた時の声です。
総じて一本調子で、曲に複雑な旋律がなく、小節もなく、歌というよりも、弾き語りに近い。弾き語りには弾き語りの魅力があるが、その魅力はない。ラップは好かないが、まだラップの方がマシかも。
私自身は専門家ではありませんが、世界中の音楽を聴いて、その魅力は感じることが出来ると思っています。日本の浪曲、民謡、詩吟、美空ひばり、インド、アラブの音楽(Nooshafarinとか)、南米の音楽(Alboradaとか)、ホイットニーヒューストンとかセリーヌディオンとか。彼らは日本のアーティストが持っていないものをたっぷり持っております。
ところが、この国内アーティストたち、日本の若者には大人気なんですね。ひょっとして単なる「好みの違い」なのかなと思いましたが、そうではないようです。音楽にうるさい外人にコブクロを聞かせましたら、余りの魅力のなさに嫌悪感を催したそうです。彼の理由は、日本の若い世代が、人生や生活の苦労をしなくなったからだ、ということでした。政治では、国民は民度に応じた政府しか持てないといいますが、やはり、今の日本人の音楽鑑賞レベルが低いから、その程度に応じたアーティストしか出現しないということでしょうか?
外国を旅行すると街には民俗音楽が流れています。生まれて以来、民族伝来の音楽を聴いて育った彼らは、それをベースにした歌を作り歌います。タイでも、マレーシアでもインドでも、レバノンでも、モロッコでもプロの歌手は皆、複雑な民族伝来のメロディーやコブシを操って歌います。
ところが日本では民謡や浪曲といった民族伝来の歌謡が廃れてしまいました。学校で習った極めて単調な歌しか知りません。それで、彼らの作る歌があのような単調なメロディーになるのではないでしょうか?
諸兄の意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (21件中11~20件)

 名前が挙がっている五人のアーティストのファンに対して、けんかを売っているに等しい書き込みですね。

それとも釣りかな。
 そうでないなら、根本的に礼儀を知らない人なのでしょうね。

 こんなものは無視するに限りますが、あえて言えば、かつてロックなど音楽ではない。ただの騒音だ!と言われていたことがありました。
 彼らには、騒音に聞こえたのでしょう。

 同じことですね。あなたが魅力がないと感じる音楽を、すばらしく魅力的と感じる人が多数いるだけです。

 あなたは自分が魅力的だと思う音楽を聴いていればいい。お互いの平和のためにはそれが一番でしょう。
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この回答へのお礼

5人は仮に上げただけで、実際は全部に近いと思います。
歌唱力の違いが認識できない人は、私の質問に答えるのは間違っています。

お礼日時:2009/12/30 18:45

要するに、彼らはアーティストでないのです。

それだけです。
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この回答へのお礼

でも、本人たちは「オレはアーティストだ」と思ってる様子がありありですね。だから腹が立つんです。

お礼日時:2009/12/30 18:39

参考URLを載せました。


こちらの自分の発言を参考ください。
自分もかなり感じている所です、いや~本物は少ないですね(笑)
本物はもう一声で世界変えますよね、参りました・・

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5405872.html
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この回答へのお礼

参考URLの貴方の投稿読ませていただきました。
なるほど、歌唱力がなくて高音が出ないから、ミックスボイスでごまかすんですね。
大変参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/30 18:36

>メロディーと声の両方に哀愁がない。

声の質ですが、声量に乏しいのは勿論、声に「張り」や「つや」がない。女性などは「甘えた声」でおよそ成人した大人の声とは言えない。

みなさん、いろいろカキコミされているので、私は↑についてだけ書かせていただきますね。
日本人(東洋人)と、欧米人や黒人の声帯を比べると、日本人の声帯は硬く、欧米人や黒人の声帯はしなやかなのだそうです。
なので、欧米人や黒人は声量もありますし、透明感があって張りのある声が出せるようです。
日本人も発声などのトレーニングによって、欧米人並みの透明感がある張りのある声が出せるようになるかというと、それは持って生まれたものが違うので難しいようです。

しっかりとトレーニングを受けた声楽家でさえも、日本人と欧米人では、発声が違うことがわかります。やはり持っているものが違うからのようです。
沖縄出身の盲目の声楽家、新垣勉さんは、ラテン系アメリカ人の父を持つハーフですが、以前付いていたイタリア人ボイストレーナーに”ラテン系の素晴らしい声をしている。お父さんに感謝しなさい”と言われたそうです。
素人の私が聞いても、日本人声楽家にはない、張りのある透明な声をしている事は良くわかります。

日本人歌手が、世界に通用しないのは、言葉の問題もありますが、欧米人のように声量もなく、か細い声だからという理由もあるのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
声帯に違いがあるとはびっくりしました。
だから、欧米人や黒人の声には伸びがあり、聞いていて心地よいんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/12/30 18:29

日本の音楽が魅力に欠けるのは、その歴史において他のの音楽文化との真の意味での融合がなかったからではないでしょうか。

ご存知のようにジャズやロックや黒人と白人の音楽文化の融合から生まれたものです。中南米のラテン音楽もヨーロッパ音楽とアフリカ音楽の融合という点では同様です。それらの音楽が非常に魅力的であり、20世紀にこれらの音楽を世界をリードしてきた言ってよいと思います。また各種の民族音楽も、特に中近東の音楽など交易と供に多種多様の音楽文化が入ってきてそれらと融合して育ったきたため豊かな音楽になっていると思います。これは、極東にあり鎖国をして日本とは大きな隔たりがあります。

日本では、明治時代に突然西洋音楽が入ってきてそれらが進んだもので民謡など日本の音楽は劣るものという位置づけになりました。それ以来、使用音楽に対してコンプレックスを感じをそれらを模倣するか、それに反発して「これで悪いか」とばかりに日本的になるかどちらで、海外の音楽と自然に融合しているいいも作り出している例は私のも考える限り非常に少ないと思います。更に近年にはカラオケの著作権料を考えてか、リズム感のない日本人にも歌いやすいにも拘わらずちょっと聴いたことでは最新の欧米の音楽のリズムに感じるような曲作りまでしているのですから、何をかいわんやです。

ところで最近では欧米の音楽の質も落ちているということですが、これはもう既に融合するべきものが全て融合してしまったからではないでしょうか。クインシー・ジョーンズのプロデュースによるマイケル・ジャクソンのOff the Wallから始まる一連の作品で黒人と白人の音楽の境はなくなり、マイケルは"King of Pop"となった訳です。もちろん、いまでもメタルとR&Bは明らかに違うが、それはお互いに興味を持つことははなく、これらが融合して新しいものが生まれるということは考えられません。アフリカ辺りから新しい血を導入しないと欧米の音楽が魅力を取り戻すのは難しいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

なるほど「融合」というのがあるんですね。西洋の文物に接したら自分たちの物を劣っているとして闇雲に捨ててしまうという、民族としては誠に情けない習性を持っているわけですね。インド人やアラブ人は今でも民族衣装を着続けていますが、日本人はとっくに脱ぎ捨てました。明治時代には鹿鳴館時代などという時代もありましたね。これでは融合が成立出来ませんね。
日本伝統の音楽を身に着けたミュージシャンが西洋の音楽に接して創る融合音楽というものがあれば、是非どんなものか聞いてみたいですが、残念ながら現在の国内アーティストにそれを期待するのは無理のようです。

お礼日時:2009/12/30 18:17

私は音楽は個人の自由でなんでもいいと思いますよ。

結局は好みですから。もし、自分が聴いてだせー曲だなと思っても、それがすごくいい!って人もいるわけだし。浜崎あゆみとかもファンがいるから成り立ってるんでしょ。つまり日本にはそういう音楽が好きな人が多いって事ですよねぇ。
レベルっつーか、聴いてくれる人が一人でもいたらその音楽はレベルとかそういう話しはもういいんじゃないかなと思います。需要と供給です。本当にいいものだったらずっと後にも残るし。
ちなみに私は自分が好きな音楽しか聴かないです。なので、あんまりCD買ったりはしません。世の中には音楽は飾り程度にしか捉えていない人が多いし、他の人たちが何を聴こうが、世の中どんな曲が受けているなどはどうでもいいです。
日本人のレベルが低いというならばもしかしたら音楽に触れる機会が極端に少ないから。またオーディションなど頻繁にあちこち行われていて閉鎖的ではなく本当に誰にでも身近なものだったら音楽を志すものが切磋琢磨し、レベル向上につながるんじゃないかなと思います。つーか、欧米の音楽と日本のロックバンドとか比べても仕方ないと思います。だって、使う楽器とか同じかもしれないけど、日本人が作った日本の曲だから。
民族伝来の曲廃れているのは私も悲しいですね。民謡一曲うたえばわかるけど、どんだけ自分にしっくりくるか…。私は西洋の音楽を勉強していますが、そんなとき自分は日本人だなーって思います。日本人は日本の文化を大切にするべきですよね。小学校で長唄、三味線とか履修科目に入れたらスーパーアーティストが生まれそうですね。
乱文失礼いたします。
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この回答へのお礼

>結局は好みですから---こう言ってしまうと日本の音楽レベルは上がらないですね。料理と同じだと思います。味にうるさい人がその国にいっぱいいると、フランスや中国や日本のように美味しい味の食べ物が出て来ますが、イギリスやアメリカのようにそれほどうるさくない国民の料理はいつまでたっても味のレベルは低いわけです。日本では沖縄人が例外的にmusic-mindedですね。つまり音楽の心を持っています。そのせいでアーティストを輩出しています。漫才でも下手な漫才をすると、観客が「面白くないぞ~引っ込め~」とブーイングすれば、ブーイングされた漫才師は芸を磨き笑い創造の努力を積み重ねるわけです。
コブクロが下手なら、下手くそ~!それでもプロか~とブーイングすれば、恥ずかしくなって勉強をすることになるのだろうと思います。

お礼日時:2009/12/30 16:07

普段、欧米のロックを中心に聴いてます。


はやりの邦楽は質問者様ほど嫌いではないのですが
劣化洋楽と言いますか、西洋の真似事の様に感じてしまいあまりハマれません。
そういう意味では、質問者様の仰るような邦楽のイメージにある程度賛同出来ます。

ただ、私に言わせれば
最近の欧米の若手アーティストも同様にひどいものですよ。
皆、似たような曲に聞こえるし、やたら複雑な旋律が多すぎて
メロディに統一性が感じられなかったり、
歌詞なんかは日本の若手と比べても圧倒的に下卑たものが多くて正直共感どころじゃないです。
何で欧米圏ってそういうのが多いんでしょうかねー

とりあえず日本の音楽だけが特段劣っているということはまずないと思います。
先進国の音楽が駄目になってきてるというのならば、私には否定は出来ませんが・・・
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この回答へのお礼

>最近の欧米の若手アーティストも同様にひどいものですよ。
昔、70年代に欧米のポップをよく聞きました。当時はなかなかいいものが多かったですね。しかし、最近の欧米のアーティストの歌は、日本のアーティストと同じになって、つまらぬものばかり、とは先ほどの外人の弁です。上手い歌手はホイットニーとセリーヌディオンで終ったなと嘆いています。
映画俳優にも重厚な個性を持った大スターが出現しないように、歌手も小粒な下手な歌手ばかりになって来ました。やはり、人間、苦労が人を成長させるからかも知れません。
今回、「Power of Love」をいっぱい聞いてみました。世界中のトップスターが歌っています。勿論、ジェニファー ラッシュやラウラ・ブラウニガンも含めて、ドイツ人、スペイン人、韓国人、中国人、日本人、男性歌手も歌っています。皆、私など足下にも及ばぬほど上手いですが、しかし、彼らはセリーヌディオンの半分以下の力量に感じます。
セリーヌディオンのPower of Loveを聞き終えると、一つの感動的なドラマを見終えたような満足を覚えますが、他の歌手たちは「ま、そこそこ上手いな」程度の感想で終ります。ディオンのミュージックマネジャーは彼女の歌声が「感動して涙を流させる」能力のあることを発見し、世界に広められると判断したようです。ところで、彼女は14人兄姉の末っ子で大変貧しい家庭だったとのこと。英語も十分出来なかったとか。彼女のもの悲しくもセクシーな声は、彼女の生い立ちと境遇が影響しているのでは、と思っています。

お礼日時:2009/12/07 13:04

こんにちは。


なぜ、音楽にこだわりのなさそうな「OKWave」で聞いてそれを参考にしているのか?
しかも「感動する歌」「泣ける歌」だったら、リズムよりも、歌詞重視の結果でしょう。
それで、リズムが単調って言われても、そりゃそうだ、と思いますよ。

そして、音楽にうるさい外国の方になぜ「コブクロ」を聴かせたのか?
日本人で音楽にうるさくない私でも「コブクロ」聴かされたら、よい意見を言わないと思います

判断するためのデータやサンプルの取り方に相当問題があるように見えるのですが。

あと、多分、今、人気のあるアーティストは、メロディーよりも歌詞に共感して人気があるんだと思いますよ。
メロディよりも歌詞に共感することもレベルが低いってことなんですかね?

最後に、メロディは単調だと音楽性が低く、複雑であればあるほど高度なんですか?
ピアノだと、超絶技巧の方が音楽性が高いということなんでしょうか?
なにベースに音楽を語っているのかが曖昧なので、あんまり共感することができませんでした。
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この回答へのお礼

外国の感動する歌は、歌詞が全く分からないでも感動します。つまり、それが国境を越えて通用する音楽芸術というものではないでしょうか?
彼らの歌は、歌詞がなければ感動しないということは、既に音楽として失格です。だから、弾き語りに近いと言ったんですよ。

昔、インドのお寺で生活していた時、日本からの訪問者がお寺の出す食事を「すみません」と言って箸をつけませんでした。我々、寺の者にとっては十分おいしい味なのに、美味に慣れた日本人観光客にとってはまずくて一口食べただけで、食べ続けることが出来なかったのです。
音楽もこれと同じです。耳の肥えた私にとっては、日本人アーティストたち(勿論、全部じゃありませんよ)のメロディーは単調すぎて、声にセクシーさがなくて、丸で御飯に塩だけをかけて食べている感じなんですね。やはり、隠し味があったり、料理に工夫と技巧をこらして作った方が、出来上がったものに、コクと味が出て来るわけです。味付けに塩しか知らない人間は、それはそれで美味しいとは感じるようで、それで外に目を向けようとはしないのです。
複雑であればあるほど、感動するかどうかは、結論は出せませんが、少なくとも、童謡が負けるほどの単調なメロディーでは感動とは程遠いです。

お礼日時:2009/12/07 12:19

んー、もちろん世代が違う、感性が違う、とゆーことはあると思いますけどねー。

割と芸術全般で感じるのですがー。近代の日本の芸術・芸能は、どーも「個性」とかを強調するあまり、基礎体力の部分を軽んずる傾向があるんでないかなー、と。

例えば、米国とかでもアイドルのよーに外見でデビューする歌手とか俳優さんとかいますねー。でも、デビューに至る前に、徹底的に基礎訓練をしてますねー。なので、どんな人であれ、最低限のプロとしての水準をクリアしてますねー。ところが日本だと、外見とか、言動がちょっと面白いとか、そーゆーだけで、その分野の最低限の基礎訓練のない人間がぱっとデビューして人気が出ちゃいますねー。

例えば、音楽でも、昔は子供の頃から民謡とかそーゆー分野でじっくり訓練を積んだ人が歌手としてデビューしましたねー。それが今、なくなっちゃいましたねー。大事なのは個性だ、他の人の真似できない個性があれば、基礎がどーのこーのなんて関係ない、とゆー感じがありますねー。

例えば、絵でも「へたうま」の絵とかありますねー。「写真みたいにうまく描けるのがすばらしいんじゃない。ピカソなんか子供のいたずら書きみたいでも芸術じゃないか!」といますねー。けれど、ピカソが、20世紀最高水準のデッサン力・基礎能力を持っていたからいたずら書きでも芸術になったんだ、とゆーことは考えないですねー。

一見するとめちゃくちゃだったり、それまでの既成概念をぶち壊してたりする新しい創造が誕生したとき、「そーだそーだ、昔ながらの古臭い、基礎訓練から地道に積み上げるなんていう考えはもう古い!」とみんな思いましたねー。けれど、古い概念をぶち壊した人たちは、みんな基礎からみっちりとその能力を培ってきた人たちだったんですねー。昔ながらのやり方でも十分成功できるだけの能力を持った人間だったからこそ、既成概念にとらわれない在り方を提示できたんですねー。そこには目を向けず、ただ「昔の基礎からしっかり、みたいなのはもう古い」といって、技術を磨くより、その人の感性、センスばかりを重視するようになっちゃった気がしますよー。

基礎は、体力みたいなもんですねー。どんなセンスのいいサッカー選手でも、3分で疲れて走れなくなったらプロにはなれないですねー。そのために、どんなセンスのいいサッカー選手であっても、長い間、地道に基礎体力をつけていくわけですねー。どんな分野でも、そーだと思いますよー。歌、楽器、絵、小説、普通の会社での仕事だってそーですねー。みんな昔は、雑巾がけからしっかりと基礎をみにつけていきましたよー。それがなくなったら、どんなに頭の切れるセンスのいい人間でも、やっぱりお里が知れることになりますよー。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ピカソのデッサンを見て、上手いのでびっくりしたことがあります。
ホンダの本田宗一郎でしたか、「お茶汲み」から断固始めると言って実行したそうですね。やはり貴方の言われるように基礎体力の養成が不可欠なのかも知れません。

しかし、感性、個性と言いますが、彼らにはそんなもの無いですよ。やはり基礎体力が養成されてないからでしょうか。
あんな単調なありふれたメロディーなら、私でもいくらでも量産出来ますよ!何故あんなつまらぬものしか作れなくなったのかという疑問と、何故そういうものを素晴らしいと感じることが出来るのかという疑問の2つがあるわけです。

お礼日時:2009/12/07 11:51

ご指摘の点は確かになかなか反論できないですね。


一つは日本は民族性が希薄なのでそこからくるエナジーが希薄で
優しい歌に終始しがちだからかもしれません。
日本人が苦労してないという外から何もしらない上から目線の決めつけを
評価するのはどうかと思いますよ。
ご存知の通り日本は年間三万人が自殺をする社会です。
自殺をトライされたらわかりますが怠惰からトライできるものではありません。
どの社会も生き抜くのは大変です。
そのような他社会へのリスペクトがない発言を参考にされるのはいかがなものかと思いますよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ここは音楽の質問をしているわけで、日本は年間三万人が自殺をする社会というのは政治社会問題です。弱者に思いやりがない政治社会に憤りを持つのは当然で、上記の外人は当然そういう日本社会の実情も知っており、憤っております。しかし、終戦後を生き抜いて来た日本人に比べ、苦労知らずで育った若者が大量発生しているのは事実で、そういう事実をもとに上記の意見が出て来たわけです。

お礼日時:2009/12/07 11:36

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