内田樹が書いています。
▲ (内田樹:日本辺境論) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
けれども武士においては 名誉は実利につねに優先します。それゆえ新渡戸は
正直は引き合う( Honesty pays in the long run. )
という欧米流の商業道徳に対して 次のようなパセティックな宣言をなすことになります。
しからば 徳それ自身がこの徳の報酬ではないのか。もし正直は虚偽
よりも多くの現金を得るが故にこれを守るのだとすれば 私は恐れる
武士道はむしろ虚言に耽ったであろうことを!
武士道は 《或るものに対して或るもの》という報酬の主義を排斥する・・・。
(新渡戸稲造:武士道 矢内原忠雄訳)
ここには非常に重要なことが書かれています。・・・努力と報酬の間に相関があることが確実に予見せらるることは武士道に反する そう言っているのです。これは日本文化の深層に届く洞見だと私は思います。
(II 辺境人の《学び》は効率がいい pp.134-135)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この文章におぎないたいと思うところをおしえてください。添削・補足・批判などをお寄せください。
No.1
- 回答日時:
オコリザルです。
武士の忠義とは献身であったのではないでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
ううーん。わたしが分かっていて質問しているわけではないのです。ただ この抜き書きした箇所については いい文章だと思ったものですから 全体――武士道の全体観――から見て どういうことが言えるだろう?という問いなのです。
★ 武士の忠義とは献身であったのではないでしょうか。
☆ ううーん。どうなのでしょうね。
こういうことは言えませんか? つまり
★ 献身
☆ というとき もし君主が間違った政策を打ち出したならば わが身 いやわが命を差し出してでも その政策をめぐって君主を諌めるという行為に出るのも 《忠義》であるのではないか。
どうなんでしょう。それなら
▲ 武士においては 名誉は実利につねに優先します。
☆ に矛盾しませんね。いや あれっ。名誉も実利も棄て去ってしまった捨て身の姿勢ですかね。
ともかく
▲ 努力と報酬の間に相関があることが確実に予見せらるることは武士道に反する
☆ この命題を活かしたいと思っているのですが どうでしょう?
No.2
- 回答日時:
是は「禅」から来ています。
道に至るという事の本当の真理から出ているという意味が有ります。道に至るという事は「好きと嫌い」という事の他に人間としての価値観を見出すところに在るからです。それはやるべき事を、やるべき時に、やるべきようにやる。という意味になります。そうして只やるだけ、という事になります。やった事によって自分は偉いとか、出来なかったから自分はだめだとかは言わないという事になります。それが「無功徳」という事になります。
全てを期待をしない(計らいがない心的態度)がその前提に在ります。それが「無病息災」という事になります。
現代には心を病んでいる人が多くいますが、その心的態度の根本には「計らい」が潜んでいます。つまり「好きと嫌いで」世の中を見ている事、とその計らいが「多くを期待している事」が前提としてあります。
つまり期待して行っている事が「心の病を作っている」という事になります。その計らいが新しいストレスを作り出しているという事になります。そのストレスを避けるために、また新しい「好きと嫌いを」作っているという悪循環が有ります。
自分の行動が「好きと嫌い」ではなくて、又期待する事ではなくて、それ以外の目的や動機が有るなら、無病息災という事になると思います。人間は分別する処から二元論に落ちて悩みが始まるからです。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。おっしゃる方向性において賛意を表わしたい気もなきにしもあらずですが なおまだはっきりしません。
はっきりしないところが ふたつあります。
★ 全てを期待をしない(計らいがない心的態度)がその前提に在ります。
☆ わたしが思うには 《計らいがない》というのは実際には 計らいが気持ちの上で顔を出したときに それを抑えるという計らいがあるように見えるのですが そういうわけでもないですか?
★ 道に至るという事は「好きと嫌い」という事の他に人間としての価値観を見出すところに在るからです。
☆ やはりわたしが思うには 《人間としての価値観》というのは ほかの誰れでもない・今ここにいるわたしの価値観のことであって ほかには用をなさないのではないか?
しかもこの《わたしの価値観》は 人生を生きる過程でやはり《好き嫌い》として取捨選択しつつ形づくってくるものだと思うのです。それが 純粋概念化を意図してその結果として持つに到るところの価値観や理念であるのならば おそらく実践においては長続きしないと考えるのです。
ですから むしろ
▲ 武士道は 《或るものに対して或るもの》という報酬の主義を排斥する・・・。
☆ のも 好き嫌いで実践したほうが 長続きしますし ほんものに近づくということではないですか? そういうふうに考えますが いかがでしょう?
No.3
- 回答日時:
こんにちは、bragelonneさん。
●・・・努力と報酬の間に相関があることが確実に予見せらるることは武士道に反する そう言っているのです。これは日本文化の深層に届く洞見だと私は思います。
≪武士道に反する≫
↑
うーん、“武士は食わねど高楊枝”――――“恥の文化”
「この場で、こんなこと、聞いちゃいけないんだろうな」
聞きたいけど、なぜだか聞きづらいってことないですか?
いまは、それほどでもないけど、就職の面接に行った時
聞きたいんだけど、なかなか言い出せなかったこと…あった
給料のこと
就職難の中、職に“就く”ことが急務
働くにあたって面接される側から諸条件を提示するのは正直勇気がいる
なにせ、エントリーをしても審査審査審査を経てやっとの一次面接
二次三次…と面接はまだまだ先がある
面接までに至らず、消えていった履歴書数知れず
そんな状況下で、「労働条件は?」とまして金銭に絡むはなしを切り出せるだろうか?
≪金の話を口にすることは“恥ずかしいこと”≫と、おもいが先立ち口ごもってしまう
とても大事な話なのだけれど…ききづらい
littlekiss さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
≪金の話を口にすることは“恥ずかしいこと”≫と、おもいが先立ち口ごもってしまう
とても大事な話なのだけれど…ききづらい
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ・・・だから それで損をしてしまう。取れる得でも のがしてしまう。《艱難汝を玉にす》。言うはやすく受け容れるには難いのですが 試練でしょうね。わが身わが心が練られて行きます。練って練って練られて行きます。まだ練るのか? これでもかこれでもか?と練られて行きます。あぁ ええ加減にせえよ!と言っても練られて行きます。いったい どんだけええええ? ってっても練られて行きます。
うん?
待てよ。
でもおれは日本人なんぢゃから。はづかしいことはできん!
石にかじりついてでも生きてやる。
ただわたしは この社会にとうとう《エントリー》が成らなかった人間であるかも分かりません。そういう位置にいるやからです。
えっ? 何の話だったっけ?
No.5
- 回答日時:
bragelonneさん
krya1998という的外れ、しょうがないですね。
ご存じのように、神は神遊びはいたしておりますね。
でも遊戯化やじゃれ付きはしてないですね。
そういうのは全く腐って肥やしになるものでもない、単なる新素材のごみですね。
武士道。新渡戸も欧米人用でして全く生焼けですからね。おなかを壊さないようにしてくださいね。
大拙もぁあ、なんか臨済の方だそうですね。しょうがないですね。ずいぶん心性や臨済の真髄を削って紹介しているようですね。
何とか元っていう方もいましたね。多士済々ですね。
所詮、残っていくのはそういう人なんですね。案外イエスや孔子、釈迦もそうでしょうね。
何百人も釈迦がいて、その内の一番○○のかただったとか。
ややぁ、後世のどうしたら分らない人がつくりあげたのかなぁ。
いやぁbragelonneさんも後世にはえれぇお方として拝まれますよ。
或いは似ても似つかない別人に作り上げられるかもしれませんよ。
ナザレの方のように。いやいあや、冗談冗談。で済ましてください。
どなたかのお目に留まるといけませんから。
武士道は中学で出会いましたが、だいじなことでっす。
的外れになりませんように。あぁせごどんやあの勝の使者の方の伝説、エピソードはよくできていますが。
No.6
- 回答日時:
新渡戸稲造さんも矢内原さんも立派な思想家ですし、どうして気にいらないなどといえましょう。
もともと気に入るいらないなんて、求道や精進、思索の世界には無縁のことです。
好き嫌いなどは、ミーちゃんハーちゃんではあるまし、下らん事です。
真理だけしか意味がないということです。
新渡戸と矢内原は少年や欧米人にはとても役立つものです。
真理は真理です。でも日本の武士道ではありません。削り落としが多すぎます。中心がないのです。
大拙も禅宗ではなく、大拙教です。それだけです。好き嫌いはありません。意味性だけしかありません。
それを《気に食わん》という言い方をするというものです。
なぜなら
★ 真理
☆ などと言っても 誰かひとりの人間の専売特許ではなく そんなことはあり得ないからです。
誰もが 真理のひとかけらでも得られればと いえいえ そうではありません。真理を得るなどということ これもあり得ないのです。わづかに真理のひとかけらが われらが文章のどこかに 誰かが見通せるくらいにでもなれば それでよしとしなければならないでしょう。
批判を成し合うこと これしか われらが道はありません。そこに活路が見出されるというものです。その意味では 敵もみな仲間なのです。真理の探究にみなちからを合わせて 取り組むのです。
その道に間違いはない あり得ないと言い続けて行きましょう。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
こんばんは、Hidocchiです。
以下の文章は、考古学者のシュリーマンが幕末の日本を、1865年6月1日から7月4日までの約1ヶ月間、日本に滞在した際の旅行記でございます。
シュリーマン著(石井和子訳)「シュリーマン旅行記 清国・日本」からでござます。
p.116
「どしゃ降りのなか、私に付き添うはめになった五人の役人とともに、私は朝八時四十五分に出発した。この護衛の役人はわずかばかりの心付けを受け取ることも許されない。彼らは、どんな辛い運命からも、その苦しみのなかばを取り除いてくれるある哲学、毅然とした諦観をもって、人生の巡り合わせにただ従っている。」
p.146
「だからなおのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである」
新渡戸稲造とは全く無関係でございますが、シュリーマンの観察記録は上述のようでございました。
それから、約150経ちましたが、今の日本国をどのようにシュリーマンが想像していたのか と思い巡らしてみました。
誠に申し訳ないのですが、ご質問者様、そして愚生が今現在対話をしておりますこの国は、本当に日本国かどうかお教えいただけないでしょうか。”はい”、”いいえ”だけでも一行に構いません。愚生は少し、意識が朦朧としております。
お手数をおかけ致しますが、よろしくお願い申し上げます。
そうですか。『古代への情熱』は――ほとんど本などを読むことのなかったわたしにしては めづらしく小さなころに――読んだ記憶があります。将来の発掘調査のために 事業で資金を貯め 語学の学習を怠らなかったというようでしたね。
Hidocchi さん ご回答をありがとうございます。
内田樹は いちど軽いという印象を受けていたのですが この本はなかなかよさそうですよ。それに はづかしながら 『武士道』も読んでいないのです。
幕末・明治にかけての外国人の旅行記などは いくらか読んでいると思うのですが 今回引いていただいた内容に関することがらを ほとんどはっきりとは覚えていないというのも 犯罪行為のごとくであります。
先ほどドラマ坂の上の雲を見ました。今回は 秋山真之がアメリカへ留学する話でした。日露戦争の勝利までに得たものを その後のわれわれは喰い散らして生きてきたのだとか。
あとは No.3の littlekiss さんのお心意気に免じて お答えを勘弁してくださいませ。お応えできるように精進いたします。
ザビーヌ事件のほうはいかがですか?
No.8
- 回答日時:
こんばんは、bragelonneさん。
●えっ? 何の話だったっけ?
↑
ったく、武士道といえば…剣でしょ?
『剣禅話』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0385.html
【QNo.4803472 けんかをしては 何故 いけないのか】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4803472.html
【山河有情】
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/091222/trd09 …
読み物一つ
『剣客商売』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4845837285/re …
この回答への補足
▲ (【山河有情】) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前検事総長・但木敬一 日本人の心が地球を救う
2009.12.22
日本人の独特の宗教観について考えてみたくなる。
多くの日本人の特定の宗教への傾斜度は低い。
唯一神を信仰する人々にとって八百万(やおよろず)の神々をもつ日本人の宗教心は理解しがたい。幕末(1865年)日本を訪れたシュリーマンは大変な日本びいきであったが、見せ物小屋などでにぎわう浅草観音を歩きながら、こうつぶやく。
日本の宗教について、これまで観察したことから、私は、民衆の生活
の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級は懐疑的であるとい
う確信を得た。
現代もその状況はあまり変わっていないのではあるまいか。司馬遼太郎の表現を借りれば、日本は民衆個々人が骨の髄まで思想化されるということがなく、一つの思想に染め上げられた経験を持たない稀有(けう)な国というべきなのかもしれない。
こうした国民性は、現代社会に生きるのに、プラスなのであろうか。終身雇用制が大いに揺らぎ、大量の失業者あるいは半失業者を生み出しつつある現在、働くことが生きることである日本人にとって精神的に非常に不安定な時代を迎えつつある。・・・やはり日本人には職があることがもっとも効果的な精神安定剤である。雇用を創出する経済システムの再構築のためには求心力ある政治の力が必要となろう。
今や人類の存亡は地球環境の劣化を食い止められるかどうかにかかっている。ことはグローバルにしか解決不能である。すべての宗教に心底寛容である日本人の心、自然と戦うのではなく、自然をあがめ、これとともに生きてゆこうとしてきた日本人の心は、世界の懸け橋となって、地球を救う大いなる力となりえる可能性を秘めている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ (1) 手前味噌になりますが わたしの信仰類型論は この《すべての宗教に心底寛容である日本人の心》を表わしたものと自負しています。
【Q:哲学に感動はあるか】わたしの回答No.20
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5532406.html
(2) シュリーマンの見方
◆ 民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級は懐疑的である
☆ これは ひとえに社会の二階建て構造に起因すると考えます。この場合の宗教心というのは あくまで人工的な《まつりごと》としてのそれです。
でもスサノヲ市民は 自分たちのムラの次元での《まつり》を囲んでの生活日常における信仰心は――その年の初穂を神々にささげ たしかにどんちゃん騒ぎをするのですが 神々との共食というかたちで《自然と戦うのではなく、自然をあがめ、これとともに生きてゆこう》というこころを表わしているのですから これだと言ってポケットから出して示すわけには行かなくても―― ふつうに持っているはずです。
《上流階級》なるアマテラスお二階さんたちは これらのムラムラのまつりを上から寄せて束ねるというまつりごとを仕事としているのですから その仕事に専念しているとは言えても 神々との共食における自然への感謝をあまり持ち合わせない――つまり《懐疑的である》――のは 理の当然であり 事の必然であるとなります。
みんなが自由に互いに思いやりつつ自由にはたらける世の中にしていかねばなりません。それも 現代では 《グローバルにしか解決不可能》だそうです。どうしましょう?
こんばんはは いいですが ったく またまた 《参照せよ》式の回答です。
何を つまりどういう内容に関して どういうつながりで参照するのか これを示して 参考サイトは取り上げるとよいでしょう。
ご回答をありがとうございます。
ですが 参考サイトは読んでやらないよ。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
●えっ? 何の話だったっけ?
↑
ったく、武士道といえば…剣でしょ?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ なんで剣やねん? われらは平和主義なるゆえ 剣は読み物としてのみです。
しょっちゅう けんかやねぇ。
No.9
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございます。
Hidocchiです。> 内田樹は いちど軽いという印象を受けていたのですが この本はなかなかよさそうですよ。
ご紹介いただきまして、どうもありがとうございました。
目次を見てみましたが、中々今までになかった本のように思われました。近日中にはぜひとも、読ませてただきます!
> 幕末・明治にかけての外国人の旅行記などは いくらか読んでいると思うのですが 今回引いていただいた内容に関することがらを ほとんどはっきりとは覚えていないというのも 犯罪行為のごとくであります。
いえいえ、そんなことはございません。OKWaveにて、皆様との対話を通して、思い出していく というのも一興ではないでしょうか。
> 先ほどドラマ坂の上の雲を見ました。今回は 秋山真之がアメリカへ留学する話でした。日露戦争の勝利までに得たものを その後のわれわれは喰い散らして生きてきたのだとか。
日露戦争後、東郷平八郎(海軍大将)が、「勝って兜の緒を締めよ」と言った話が有名ですが、締め忘れてしまったのか、ゆるゆるにしか締めなかったのでしょうか、東郷の懸念もどっかにいってしまったようでございます。
> あとは No.3の littlekiss さんのお心意気に免じて お答えを勘弁してくださいませ。
こちらこそ、どうもすみませんでした。
> ザビーヌ事件のほうはいかがですか?
はい、苦手なKさん(ダヴィンチ・コードにハマり過ぎてしまったのでしょうか?)も来られないようですので、微力を尽くしたと思っております。
それでは、どうもありがとうございました。
Hidocchi さん わたしのわがままを全部聞いてくださった感じで たいへんありがたく思っています。
思うのですが 富国強兵の強兵は要らなかったかも知れないという感じを持ちました。
あるいは 強兵でたしかに防衛力は持つのですが いまの憲法のごとくしかも永世中立で戦争放棄をしておくといった国是を建てておいたほうがよかったのではないかと感じたものです。
永世中立というのも どこか冷たいのですかねぇ。八方美人でもまずいでしょうし。いまさら鎖国というのも何ですし。
ザビーヌ事件のほうは おおむね不評のようです。
No.10
- 回答日時:
どうもご返答いただきまして、ありがとうございました。
こんばんは、Hidocchiでございます。> 永世中立というのも どこか冷たいのですかねぇ。八方美人でもまずいでしょうし。いまさら鎖国というのも何ですし。
確かに、“中立”を維持するというのは、国際社会では困難なようでございます。例えば、永世中立国で知られておりますスイスも、最近までは国連未加入だったのですが、2002年3月に国連に加盟し、PKO活動にも努力するという姿勢をとっているようでございます(EUには未だ未加盟のようでございますが)。
軍事・防衛力、外交力(前の大戦におきましても、地理的にイタリアとの間を分断していたスイスですが、ドイツの侵入を阻止しました)、さらに、国民の独立精神(各家には、銃の所持が義務付けられているそうです)、かような国民でなければ、”中立化”は困難と考えせられました。
スイス政府 編さん「民間防衛」原書房(スイス政府が民間向けに発行したものだそうです。アマゾンでも入手できます)
日本もスイスに見習えるものはないか? と自問した際に、この本をパラパラめくったときに、上述のように考えさせられた次第でございます。
> ザビーヌ事件のほうは おおむね不評のようです。
微力を尽くしたいと考えております。それでは、末尾ながら、厚くお礼申し上げます。
Hidocchi さん ご回答をありがとうございます。
あぁ そうなんですか。そうなんですね。つまり スイスの防衛体制です。
日本では いまさら家庭に銃を備えるというのも むつかしいですし しないほうがよいように思いますし。
ムラ(市町村)を中心とし主体としたインタナショナルな連携を考えているのですが どうでしょうかね。
つまりこれのほうは もう国家を通さずに――国家は 出来るだけ妨げにならないようにしていてもらって―― ムラどうしで 縦横無尽に 経済的・共同自治的および文化的に 連帯して共生するという青写真です。ですが そのとき 安全保障ないし防衛は どういうふうになるのか。どうすればよいのか。なかなか むつかしい。というより さっぱり分かりません。
▲ 努力と報酬の間に相関があることが確実に予見せらるることは武士道に反する
☆ この精神は 何と呼べばよいでしょうかね。旧くからのスサノヲイズムとしては 《ゆづる》精神なんですけれど。
《互恵思想》でしょうか。ちょっと違うようですね。
《恩恵に生きる》 《恩恵第一主義》・・・? あるいは 《へりくだり》でしょうか?
* 先の考えは インタナショナルなインタムライズムと呼びます。
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